最 終 夜 『SUTERA』
語り部 : 北島珊利
お相手 : 滝窪亮
盛立役 : リム
父は日本人、母はスコットランド人、ハーフとして生まれた私は日本人だった。
けれど母方の祖父が私にスコットランド人の名前を付けてくれた。
今の私はその名前を使って、仕事をしている。
最 終 夜
『SUTERA』
ラジオの収録を終えて、帰宅したのは夜も11時。
一人暮らしの部屋は、灯りも点っていない。
玄関に施錠して、リビングのソファーにとりあえず腰を下ろして一息つく。
「おかえりなさぁ~い」
「ただいまリムちゃん」
一人暮らしの部屋に小さな女の子が一人、彼女は今年の春先に家のベランダに空から振ってきた。
いや、落ちてきただな。
お腹を空かせて目を回していた。
その時に聞かされた彼女の正体は夢前案内人。
本人曰く “バク” であるらしい。
「今日も集められたの? 恋心?」
夢を食べると言われる幻の生物、悪夢を食べたり、人の恋心を食べて恋する気持ちを無くさせたりとかって、どこかで聞いた事があるけど、実際の彼女たちは、人の見る夢を観察して集めているだけで、夢を消したりはしない。
なぜそんな事をしているのか、それは……教えてくれない。
これは私の憶測だけど、たぶんリムは知らないんじゃあないかな。
「ほら、もうこんなに集まったんだよ。でね、一度帰って報告しようと思ってるんだ」
「帰るの?」
「一度ね。だって私、まだまだ見習いだから、もっとこっちで勉強しないといけないし、ほら100の心が集まったんだよ」
「ホントだ。……うん? リムちゃん、これ101あるね」
「ほへ? ……だ、大丈夫大丈夫、私はまだまだ見習いだもん。多いのはいい事だよ」
ずっと一人暮らしをしてきたけど、ひょんな事で始まった彼女との生活はとても楽しかった。
「それで、またこっちに戻ってきたら、またお世話になってもいい?」
「もちろん」
できたらずっと、一緒に過ごせたら、どれだけ楽しいだろう。
「そう言えば、すてらちゃんって、恋してる? まだ私、すてらちゃんの恋心見せてもらってないよ」
「私は、見せて上げられるような恋は、今はしてない」
「今はって事は、今じゃない時には恋してたんだよね」
そりゃあ私にだって、恋をしていた時はある。
それはそう、今から4年前の事だ。
私達は高校1年生だった。
私と彼は音楽が好きで、歌うのが好きで、よく二人で歌っていた。
彼のギターが好きだった。
彼の作る歌が好きだった。
二人で音楽の世界で生きていこうと語っていた。
だけどそんなに世の中は甘くない。
なんて判らないほどに、私達はまだ幼かった。
音楽オーディションに、二人で作ったオリジナル曲のデモテープを送っては、将来について語り合った。
そんなある日、一通の手紙が送られてきた。
「これって、この間出したオーディションのだよね」
「そうだよ。今日の昼に届いたんだって」
彼の名前で応募した音楽オーディション、その合否がかかれた封筒、私達は並んで中身を確認した。
中には私達のオリジナル曲を収録したデモテープが入っていた。
またダメだったのだ。
「そんなに簡単にはいかないね」
だけどなんでだろう? ソースは還さないって応募要項に、注意書きが書いてあったのに。
「いや、ちょっとまて」
その時に彼が何かを見つけた。
「なに?」
「これ見てみろよ、ほら、ここ」
言われるままに、彼が指さす辺りを読んでみる。
「これ、私の事?」
通知の中には、今回の楽曲は不合格になった事が書かれていた。
それについての説明文は特になかったけど、私の目にしたのはあまりにもビックリする一文だった。
「私、歌手になれるって……」
テープに入った私の声を聞いた、某有名な音楽プロディーサーが気に入ってくれたと書いてある。
「これって、本物かな? 本物なのかな」
ちょっと興奮気味になる私、だったんだけど、彼があまり喜んでくれていない様子なのに気付いて、もう一度書面を読み直す。
「これって、なんで?」
「なんでもなにも、ここには北島珊利の名前しかない。つまり向こうが欲しいのは珊利の歌声って事だろ? 俺の歌には興味がないんだよ」
そんなのあんまりだ。あの歌は彼が初めて作った、私のために作ってくれたバースデーソング。
世界に一つだけの大切な歌。
「な、なに迷う事があるんだよ? こんなチャンス、お前ならいつでも手に入れられるかもしれないけど、こんな大物の目に掛かるなんて、すごいじゃないか」
それはそうなのかもしれない。
「けど……」
「小さい頃からの夢だろ? 珊利は大好きな歌の世界で、いろんな人に自分の歌声を聞いてもらうんだろ?」
そうだけど……。
「一人じゃあ意味無いよ。もう私の夢は私だけの物じゃあないもの」
「ダメだよ。俺はお前の足枷になりたくない」
「えっ?」
「お前がそう言ってくれるのはすごく嬉しいけど、このままじゃあ俺がいるから夢が叶えられない。そんな風に考えちまう」
「そんなことあるわけ……」
「あるだろ? 現にそうなんだよ」
無情にも私が手にしている書状には、確かにそう書かれている。
「だけど……」
「だから! ……先に行っててくれないか? この先何年かかるか判らないけど、いつかきっと追いつくから」
「……わかった。きっとだよ。絶対に夢を諦めないで、必ずいつか一緒に曲を奏でようね」
そう誓いを立てて、私は上京した。
「それで? その彼とは、それっきり会ってないの?」
「会ってるよ。滅多には会えないけど、オフをもらって田舎に帰った時には。それに今もメールの交換もしてるし、たまになら電話でも話してる」
「へぇ~、だけどなんで? すてらちゃんから恋の香りがしないの、そんなにステキな恋をしてるのに」
「う~ん、確かにあの頃は恋をしてたんだけどね。結局告白すら出来なかったし、この4年間は夢を叶える事に精一杯で。第一彼は私の事、音楽のパートナーくらいにしか想ってなかったと思うし」
「えーっ、なんで? すてらちゃんこんなに可愛いし、性格もいいのに」
「ふふっ、ありがと。だけど少なくともあの頃の私達は、お互いを意識し合うよりも、夢の実現の方が大事だったから」
だから私は自分の心にフタをして、ずっと気付かないフリをしてきたんだ。
「ぶーっ、どうかしてるよその彼氏。……でもいいや、帰ってきたら今度こそ、すてらちゃんの恋のお話、聞かせてね。それじゃあ、行くね」
そう言ったリムちゃんは、すっと消えるようにして姿が見えなくなった。
一人用の部屋なのに、彼女がいないと広く感じてしまう。
「さぁ、明日も早いんだし、寝よう寝よう」
彼が夢を叶えた時、少なくとも私はこの業界に生き残っていないといけない。
幸いな事に今はまだ、多くのファンのみんなに支えられて、頑張れている。
地元の大学に進学した彼からの吉報を待ち望み、今は自分の出来る事を一生懸命に。
最近よく耳にする歌がある。
インディーズの、まだ名前も売り込まれていないような人の曲なんだけど、ある人気ドラマの主題歌に使われて、NET上での反響も大きい、甘く切ないメロディーがどことなく懐かしい。
きっとこれは彼の曲に違いない。
そう思ったけど、聞こえてくる歌声は彼の物とは似ても似つかないものだった。
「マネージャー、今日のお仕事? この歌を歌っている人も出るんでしたよね。確か俳優の……」
「うん、そうだよ。ドラマの主役をしてるんだっけ? なんか面白い裏話が出るらしいよ。その番組に君は、急遽入院したレギュラーのピンチヒッターとして出るんだ」
今日は人気のバラエティーへの出演が今朝になって決まって、スケジュールの調整に負われているマネージャーは電話を離せない。
その電話の合間に聞いたのだけれど、その面白い事について聞こうと思ったら、また電話が掛かってきて、それ以上は聞けなかった。
番組は大御所の芸人さんが司会をするトークバラエティー。そのゲストとして、あの曲のシンガーソングライターも出る事になっている。
私は出演者の方々の楽屋を順々に挨拶に回り、最後にその人の部屋を訪れた。
「おはようございます!」
「あっ、おはようございま……」
「初めましてSUTERAです。今日はどうぞよろしくお願いします。……って、今の声?」
私は聞き覚えのある声に、振り返ったその人の顔を確認した。
「亮ちゃん? なんでここに亮ちゃんがいるの!?」
彼だ! 一緒に夢を語った滝窪亮がそこにいた。
「ああいや、それはこっちも驚きなんだけど、今日の出演者の名前に上がってなかったのに」
「いやだって、私は今朝になって、入院したレギュラー出演者の代理で呼ばれただけだから」
「そ、そうか……」
「そんなことより、何であんたがここにいるの?」
「ああ、いやまぁその、簡単に言えば、俺の作った曲がインディーズでヒットして、それを買ってくれたレコード会社が、ドラマで使いたいとかで、その主役の人が歌ってくれて」
そう、そのドラマで流れた曲を初めて聴いて、これは亮の歌じゃないのかと思って、でも歌っているのは、そのドラマの主人公役の俳優さんで。
「作詞作曲者名、あんたの名前じゃあなかったよね」
「いや、その、俺……、出来れば自分で歌えるようになるまで黙ってようと思って、その……ビックリさせようと」
そうか、さっき渡された台本、あのドラマの曲の、紹介の覧が白紙になっていたのは。
「司会の人の発案で、作者の紹介をすることになってるんだ。そこで俺は初めて、俺の曲としてこの歌を歌える事になってる」
そうだったんだ。
「もう、そんな大事な事、なんでもっと早くに教えてくれなかったの? 本当にビックリしたじゃあない」
「いや、この歌でようやく掴めたんだ。その成果を実感してから、君には伝えたかったから」
「この曲、私にくれた曲のアレンジだよね」
「ああ、よく分かったね。かなり弄って、原曲とは似ても似つかなくなってしまったのに」
「うん、なんとなくね」
大学に通いながら、地元で歌い続けてきたこの曲を、ネット上で見つけて聴いてくれたスカウトマンに声を掛けられて、そこからとんとん拍子で話は進み、ドラマで起用される事が決まった。
ただデビュー前の新人ではなく、主役が歌う事で、話題作りをすると言う事で、今までは表だって言えなかったのだそうだ。
「ようやくスタートラインだ。これでやっと君に言える」
「なにを?」
「一緒に夢を叶えたら言うつもりだった。今や人気絶頂中の君に言う事じゃあないかもしれないけど、俺なんて直ぐに消えてしまうかもしれないし、だから今言っておきたい」
遠くでスタッフさんの「本番で~す」と言う声が聞こえてくる。
「あの頃からずっと君の事が好きだった。迷惑だったら聞き流してくれてもいい。ただ伝えたかった」
「あっ……」
私も想いを伝えなきゃ、そう思った。
だけどその時、楽屋の扉が開いて、スタッフさんが声をかけにきたせいで、その時にはなにも言えなかった。
その後直ぐにスタジオ入りし、番組収録を終え、だけど私は彼にもう一度挨拶に行く事も出来ず、急いで次の仕事に向かわされた。
今日も仕事終わりは深夜となり、もう今から電話するのも失礼だろう。
答えは明日にして、とにかく今日も疲れた。
「おかえりぃ」
「えっ? リムちゃん、もう帰ったの?」
「うん、だって報告だけだもん。それにすてらちゃん寂しがってるかなと思って」
「うんうん、寂しかったよぉ」
このいつも元気なバクのおかげで、私は少しだけ疲れを忘れる事が出来た。
「すんすん、あっ! すてらちゃんから恋の香りがする。ねぇ、なにかあったの?」
私から恋の香り?
そうか、やっぱりそうなんだ。
「うん、いい事あったよ。私なんかの恋心でよかったら集めてくれる?」
「もちろん、よろこんで!」
明日もまた早い、さっさと寝ないといけないのに、少し元気を取り戻した私は、今日の出来事を彼女に言い聞かせた。
後日、電話でその想いを彼にも伝えた。
彼は照れ臭そうに、「ありがとう」と言ってくれた。