第 10 夜 『ルームメイトの悩み』
語り部 : 久野つかさ
お相手 : 前園時子
盛立役 : 里中篤
高校生の頃からの友人で、大学生になってからはルームメイトとして、彼女とはずっと一緒に過ごしてきた。
炊事、洗濯、掃除。
家事と呼ばれる物は概ね私が担当して、課題の作成は彼女に任せきり、4年制の大学を卒業し、今は別々の会社に勤務している。
夜は私の方が早く帰ってこられるので、私に用事があったり、彼女から夕飯はいらないという連絡がない限りは、今も私が自炊して食事を用意している。
いつかどちらかにステキなパートナーができるまでは……。
うぅうん、私の方からその日を迎え入れることは決してない。
私にとってのベストパートナーは彼女しかいないのだから。
第 10 夜
『ルームメイトの悩み』
「え、今なんて?」
「だから、今度彼氏連れて来てもいいかな? って」
彼女が数週間前から、ある男性と交際を始めたことは知っていた。
彼女が勤めるスポーツジムの会員さんで、何度となしにお誘いを受け、断り続けてきたがキリがないので、それじゃあ一度だけと言う、念書付きの約束を結んで遊びに行った。
そのたったの一回で落ちた彼女は時々、自分から連絡して、遊びに行くようになり、つい先日正式に交際をスタートしたのだった。
「つまりその間、私に外に出ていろと?」
「違う違う、いてもらわないと困る。っていうかお料理お願いしたいの」
ああ、そう言うことか、だけどそれって。
「もしかしてお料理得意とか言っちゃった?」
「う、うん」
先週遊びに行くって時に、二人分のお弁当を持たせてあげた。
それを作ったのは私とか言っちゃったんだろうな。この子から言ったのか、向こうが勝手に勘違いしたのかはしらないけど。
「それでまた私が作った物を、自分のものって言って出すの?」
それじゃあいつまでも、黙ってこそこそを続けなくちゃならなくなる。
「教えてあげるから、今からでも練習しない?」
「今からで間に合うかな?」
「今度だけじゃないでしょ」
「それはそうだけど……」
渋い顔をする彼女だったが、やる気は十分あるようだ。
高校の時も大学時代も彼氏という存在はいた。
しかしそのいずれもあまり長続きはせず、その度に彼女はやけ食いをしていた。
体重が増えて大騒ぎして、ダイエットにもつき合わされて、私はそれが幸せだった。
カミングアウトしようかと考えたこともあった。だけど私たちの関係を壊すリスクの方が大きい。
今はまだこのままで、いつかそれぞれの道に分かれる日が来るとしても今はこのまま。
インストラクターの彼女と私の休日がかぶることは少ない。
そんな少ない貴重な休みを、来客のためにわざわざ空けて、朝からそわそわしている彼女と二人、無言の時を過ごしていた。
「落ち着きなよ時子」
「だってつかさ、結局自信料理なんてできなかったんだよ」
「やるだけのことはやったでしょ、大丈夫だって、料理は愛情だよ」
私のいる時にどうしてもと言うから、今日になったんだけど、特訓の成果は……間に合わなかった。
「とにかく誠意を示せば大丈夫、あなたが選んだ彼なんでしょ」
「う、うん」
そのあとも落ち着くことはなかったんだけど、暫くして彼が訪れて、その緊張はピークを迎えた。
「いらっしゃい」
時子は朝から用意していた手料理を温めなおしている。
「こ、こんにちは」
見た目はマルかな、まぁ、あの時子が選ぶ相手だから、見てくれはこれくらい当然だな。
「初めまして、里中篤といいます。これつまらない物ですが」
手土産に話題のお店の洋菓子詰め合わせ、まぁこの選択も合格かな。
なんか結婚の挨拶に来た、娘の相手を値踏みする母親な気分になってきた。
「里中さんって、何をしていらっしゃる方なんですか?」
「ああ、えーっと、ジーンズショップの店長をしています。雇われですけど」
「へぇ、じゃあ今日はお休みをとっていただいたんですか?」
「いえ、今日は遅番なので、夕方から出ないといけないんです」
わざわざ時子のために時間を作ってくれたってことか。
猫をかぶっている?
何か臭うのを、私の鼻は感じているけど、何かあるとしても、ここまでは完璧。
張り切ってテーブルをセッティングする時子に、優しく声を掛けたりと、なんかここまで来るとそれが地なのか、かなりこなれた女たらしかのどっちかだな。ちゃんと見極めないと。
並んだ料理の数々、これを用意するのに使った食材3、いや4日分、勿体ないから、再利用できる物は利用するとして、これで成果が出なければまるまる大損となる。
一口目、あっ、動きが止まった。噛んでる噛んでる。の、の、のみ、……飲み込んだ。
「どうですか?」
「うん、いけるよ。それじゃあ次は……」
おお、すごいすごい、怖い顔のままだったけど、残らず食べちゃった。
食べてるときの表情から察するに、正しい味覚は持っているみたいだ。
「ごめんなさい。つかさに教わって頑張ってみたんだけど、こんなのしか作れなくって」
「いやいや、俺のために頑張ってくれたんだよね。それだけでも嬉しいよ」
取って付けたような感想だけど、男として立派な態度じゃない。
ふん、文句の付け所なんて見つけられなかったわよ。
「それじゃあ、ごちそうさまでした」って、爽やかな笑顔で帰っていった。
自分が持ってきたお菓子と、私の入れたお茶で口直しをしたからか、ちょっとは増しな表情になって、彼は仕事場へと向かった。
「ねぇ、つかさ、どうだった彼?」
「うん、今まで時子がつき合ってきた中では、一番いいんじゃない?」
「本当? へへ、……あれ?」
テーブルの下、時子は何かを見つけて拾い上げる。パスケース?
「篤さんの運転免許証だ。今日車だって言ってたし、持って行ってあげないと」
運転中なら電話をかけるのも良くはない。
時子は急いで外着に着替えて、彼のお店へ向かった。
「さてと、私は後片付けを」
戦場と化したキッチンの掃除を始める。
さすがに今回ばかりは、間に入り込む余地はなさそうだ。
もし彼女が結婚を決意して、ここを出ていったら、私はどうすればいいんだろう?
新しいルームメイトを迎え入れて、新しい生活を始めるんだろうか?
その前に結婚に夢を描いているのに家事全般、何もできない時子の特訓をしないといけない。
別れが来るとしても、それはまだ直ぐではない。
今は先の事は考えないことにしよう。
日が落ちて外はもう薄暗がりに、ちょっと遅いなぁと心配していたら、時子が帰ってきた。
「お帰りぃ、遅かったね。……えっ!?」
帰ってきた時子の目にはうっすらと涙を浮かべた跡が付いていた。
「どうかしたの?」
力なくリビングのソファーに腰を下ろした時子の正面に座り、事情を聞くと。
「彼と彼のお店の男の子の話が聞こえてきたの」
時子が電車で里中さんのお店がある街に着いたのは、家を出て30分ほど経った頃、車で出勤した彼はとっくにお店に入っていた。
お客さんの数もまばらで落ち着いた店内で、彼は笑いながら話をしていた。
話題は時子のこと。
「本当にひどい料理だったよ。何度か意識が飛んだもんな」
「里中さん徹底してますからね。そう言うところ。俺だったら怒鳴り散らして出て行きますよ」
「いやだってお前、確かに料理の腕は最低でも、あれだけ面が良ければ、欠点の一つくらい目も潰れるってもんだろ。別に結婚するわけでもなし」
「遊びにも全力で! ですよね」
「そうだな、結婚するなら見た目はちょっと落ちるけど、あのルームメイトの方がまだマシだよ。メシだけはやたらと上手いからな」
そんな風な事を言ったらしい。
時子は驚きと怒りを混ぜ合わせた表情で、里中篤の前に躍り出て、顔面目掛けて、思いっきりパスケースを投げつけて走り去った。
しばらく街の中を歩き回り、少しだけ落ち着いたところで帰ってきたそうだ。
「ご飯、食べる?」
「うん、……いっぱい、たべる」
いかん、この顔がたまらない。
思いっきりハグしたいけど、ここは我慢我慢。
「次の相手が見つかるまでに、もっとお料理勉強しておかないとね」
今は良き友人として慰めなくては。
「うー、もう男なんてこりごりだよ」
これもいつものお決まりの言葉。
そしてこの後に時子は、私が一番本音から言って欲しい言葉をくれる。
「私、つかさと結婚しようかなぁ」
その場限りでも、至上の時間が私に訪れる。
さぁ、思い切っていっぱい食べて、また一緒にダイエットしよう。
いつかどちらかにステキなパートナーができるまでは、あなたのベストパートナーは私。
もしかしたら一生一緒に居られる事を夢見て、今を大事にしていこう。