お出かけ
ベッドの中でもぞもぞと寝返りをうっている少女がいた。アリアという名前でこの家の家主だ。涎をたらし幸せそうに眠っている。そのベッドの傍らには椅子に座りすっかり冷めたお茶をすすりながらマドレーヌをほおばる女性が一人。こちらはシエラ。少女と窓の外を交互に見ながら暇そうにしている。特にする事が無いので寝顔を見るしかないようだ。そうしている間に少女の表情がくもりだしうなされ始めた。少し驚いたができることもないので優しくアリアの頭を撫でていた。少しすると起きてアリアがシエラを見てほっとしているようだった。
「大丈夫ですか? ずいぶんとうなされたようですが。」
聞かれて汗で濡れたアリアが答える。
「大丈夫です。怖い夢?を見ただけです。」
「ならいいですがどんな夢だったんですか?」
その言い回しと暇だったこともあり内容を聞いてみる。するとアリアは恥ずかしそうに答えた。
「夢って見ているときは怖いけど起きて思い出してみると全然怖くないことありませんか? 今回がそれだったんです。人懐っこいスライムがいて撫でたりお菓子をあげたりしていたらだんだん増えてきて。気づいたらあたり一面スライムになっていてその子達が一斉にじゃれついてきて・・・」
何かトラウマがありフラッシュバックでうなされているなども考えていたため心配する内容では無かった事に安心し頬が緩むシエラだった。
「ところでなんで私は寝ていたんでしたっけ?」
ベッドから起き上がりシエラの向かいに座り直したアリアが聞いた。自分が気を失ったことを覚えていないようである。シエラは現在に至るまでをさっと説明した。さらに天球が起動し現在移動可能な状態であることも伝えるとアリアは喜色を隠さずに言った。
「すぐに行きましょう! 行ってみたいです!!」
「わかりました。それでは持っていく物が有れば準備してください。」
特に断る理由が無いシエラは同意し支度するように促した。この静かすぎる黒い空間に嫌気がさしていたアリアは両手をあげて強く喜びを表現していた。数ヶ月の間朝も夜も無いこの空間で過ごした日々にお別れを告げるべくいそいそと支度を始める。しかし、特に物が有る訳でも無く直ぐに準備が終わった。
「そういえば・・・ 特に何も無いのでこのままでした。」
少し残念そうにアリアが言った。家と家具しか作っていなかったので持ち出せるものが特に無かったのだ。
「まぁ 行き来が自由な上に現地でも作成は自由自在なので準備しなくてもいいんですが。」
シエラがポツリとつぶやいたのを聞き、それを先に言ってほしかったとアリアは思ったが口に出さなかった。あとはどうやって行くのかを教えて貰うだけだ。
「それではいきましょう! どうやって行くのか教えてください!!」
元気よくアリアが質問した。
「方法と言ってもその場所にいるイメージを作るだけです。イメージがしっかりしていればそれだけで移動可能です。行ったことのない場所は天球で現地を確認できるので直ぐに行けます。天球の操作を教えますので一階に移動しましょう。」
なんと便利なことかと思いながらシエラに従って一階の店舗部分に移動する。すると7cm程だった天球が80cm程の大きさに膨らんでいるのが見えた。色付きの点にしか見えなかった物たちが煌めきを纏っているようにすら感じた。それが床から60cm程の高さにふわふわ浮いている。
「な・・ なんかおっきくなってませんか?」
アリアがたまらず聞いた。
「えぇ。 休眠状態から目覚めたため本来の大きさになっています。さぁこちらへ。それとお願いがありますがよろしいでしょうか?」
「あ はい。なんでしょう?」
大きくなった天球はさらに美しさを増し目を引くが、シエラの頼みも気になりそちらに意識を戻した。
「すみません。温かいお茶を頂けませんか?」
「! お安い御用です!」
自分が気絶してからどのくらい経ったか把握していなかったが少し配慮が抜けていたと感じたアリアだった。今度はレモンティーとバウムクーヘンを準備しお茶の時間にした。お茶をすするシエラは嬉しそうにニコニコとほほ笑んだ。
「ありがとうございます。わがままを言って申し訳ありません。それでは天球の使い方をご案内します。」
そう言うとシエラは天球をテーブルの脇に移動させた。移動させたい場所をイメージしてやるとそこまで来る様だ。そのうえで天球に手を突っ込んだ。
「このように見たい星をタッチするとその星を選択できます。また、その星を指二本で広げると拡大できます。さらに指二本でタッチしたまま横にスライドすると横回転。上下にスライドすると縦回転できます。あくまで確認モードなので星の中の生命や環境には全く影響がありません。心行くまで観察してください。慣れるまで繰り返し行うことでスムーズな操作が可能です。この操作が基本となります。この状態で確認している場所へ移動しようとイメージすると転移できます。」
そう言うと今拡大している草原へシエラが移動した。隣にいたはずのシエラが草原で手を振っている姿を見ながら驚きで声が出ないアリアに今度は隣に戻ってきたシエラが肩を叩いて言った。
「それでは試してみてください。」
説明がざっくり過ぎて戸惑うアリアをニコニコ顔のシエラが観察している。本人も"慣れろ"と言っているので試してみようかと手を伸ばす。真ん中の赤く揺らめく星を中心に赤錆のような星、金色に近い星、青色の星など様々あった。ひとまずシエラが開いていた青い星とは反対の青い星に手を伸ばしてみた。
「ちなみに生命がいる星は恒星を挟んで対称の位置にある青い星だけです。それ以外は環境が過酷過ぎるため居ません。また、その青い星についても人類を生産するのは片方にした方が賢明です。魔力が枯渇しては元も子もないので。」
天球を使いこなそうと練習を繰り返すアリアにシエラが言った。バウムクーヘンを口に頬張りながら幸せそうにしている。アリアは先代が人間と争いを繰り返していたという話を思い出しながら頷いた。思いのほか操作が楽しく拡大や縮小を繰り返している。
「シエラさん! なにかいます!!」
青い星を拡大して見ていたアリアが言った。それを聞いてシエラが天球をのぞき込んだ。最初は何かの見間違いだと思っていたシエラは驚いた。すでに生物がいたからだ。ウサギのような生き物が狼っぽい物に追われて草原を逃げ回っている。
「まだ起動して9時間ほどしか経っていないのですが・・・ 今までで最短です。」
「それはいい話なんですか?」
神妙な面持ちのシエラにアリアが聞いた。
「悪いことではありませんので安心してください。天球は与える魔力の量で時間経過や進化を早める機能があります。おそらく気絶するほど与えた魔力が時間経過と進化の両方を早めたのでしょう。元々生命の種である微生物がいる状態にしても今までの"継承者"達は平均で一週間程掛かっていました。哺乳類が9時間程度で誕生したのは初めてです。」
「へー」
何を言っているかのか理解できなかったアリアは目を丸くして生返事をしていた。いずれにせよ狼がいるならば注意して移動しなければならない事だけは理解できた。助けてくれると言っているがシエラは華奢で腕っぷしが強そうには見えないため武器になるものが必要だと考えた。今までの人生で武器を振ったことなどないため、どうやって戦うのかもわからないが何もないよりはまし程度に考えている。
「順調に育ってきているようなのでこちらの星を拠点にするのが良さそうですね。」
「わかりました! では早速準備しますねー」
そう言ってアリアは槍を作り出した。以前見たことのある衛兵が持っていた物を参考に作り出したため2m近く穂先は20cm程。柄は木製だが簡単に折れないように樫で作られていた。町でも使えるように短めだったがそれでもただの町娘だったアリアには重くまともに扱えずふらふらしている。それを見てきょとんとしているシエラが聞いた。
「どうして槍を作ったのですか?」
「いやいや。 あんなに元気いっぱい他の生き物を襲ってる奴がいますから武器は何かあった方が良いと思って。」
「あぁ そのことなら私から離れなければ安全です。安心してください。というかその状態では逃げるのもままなりません。扱いなれない武器は隙が大きく槍は間合いを詰められると致命的です。武器を持つなら刀剣の方が取り回しが良いのでそちらをおすすめします。」
アリアは納得し冒険者が腰に下げていた刀を思い出した。武器屋のおじさんも仕入れした時に自慢していた。おじさん曰く反りのついた独特な形状でよく磨かれた刀身は美術的価値もある。柄や鞘にまで意匠を凝らした美しい仕上がり。刃渡り60cmと間合いは槍に劣るが一太刀目を外してから切り返すまでの速さは刀剣の強みと言っていた。元冒険者といえども振った事は無いだろうおじさんが目を輝かせて語ったことを思い出してその時の刀を作り出した。
「刀・・・ ですか。また玄人向きな武器ですね。このままでは直ぐに折れてしまいますので小細工します。一度借りてもいいでしょうか?」
そういうとアリアから刀を受け取り何やら刀身を指で撫でていく。すると刀身がぼんやりと一瞬光った。どうやら小細工が終わったらしくアリアに返してきた。受け取った瞬間の軽さに驚いて目を丸くする。
「小細工は完了です。魔力を吸うことで軽く強靭になります。あなたが持っている間はまず折れないでしょう。刃こぼれも無いでしょうからどんどん練習して下さい。」
ナイフくらいの軽さになった刀とシエラを交互に見つめ口をぱくぱくしているアリアに気付きシエラが口を開いた。
「そうですね。服にも細工しておいた方が安全ですね。」
そう言うとアリアの背中に回り服にも同様に"小細工"を始めた。気になったのはそこではないと思いながらも見守るアリアだった。少し暖かい様なくすぐったい様な感覚が走ると作業は終わったようだ。
「終わりました。これでドラゴンに噛まれてもかすり傷程度で収まるでしょう。もちろんその前に私が守りますのでそのようなことにはならないでしょうが。」
「あ・・ ありがとうございます。ところでこの"小細工"ってなんですか?」
気になっていたことを我慢できずに聞いた。こんな便利な"小細工"は今までの世界では聞いたこともなかった。こんな技術があれば馬車の車軸や荷台などの重量を無視した画期的な流通が可能になっていた。仕入れの価格もまとめ買いでさらに安くなっていたに違いない。
「これは二代目が開発した技術です。本来は物に魔力は宿らず表面に纏わせることしかできません。効率が悪いので表面に呪文を刻み属性の付与や効果時間の延長をしていました。そうすることでなまくらでも業物程度に切れ味を確保できる程度の技術でした。しかし、錬金術により物の中に血管のように魔力の通り道をつけてやることでより効率よく強化できるようになりました。さらにその管の中に強化のための印を刻むことで更なる強化に成功しました。布は元々繊維の集まりなので印を刻むだけで強化可能です。二代目はこれをマテリアルエンチャントと名付けました。」
得意げに語るシエラを見ながら半分以上理解できなかったアリアが生返事をしていた。
「よくわからないですけど・・ すごいんですね!」
理解を放棄したアリアからの精一杯の返事だった。
「魔力の操作に慣れればこのような小細工は不要です。アリアさんなら近々使えるようになるでしょう。それでは準備もできましたので早速行ってみましょうか?」
「はい!! 行きましょう!」
アリアは天球に向き直り先程見ていた平原とは別な場所を探し始めた。狼といきなり鉢合わせすることは避けるべきと判断しひとまず危険のなさそうな場所を探している。見通しの良い足場のシッカリした所を目標に探している。するとそこから山二つ分ほど離れた場所に丁度良さそうな開けた丘を見つけた。丘の上には綺麗なピンク色の花を咲かせた木が生えている。丘のふもとには先の木が群生しておりまるで絨毯の様だ。
「シエラさん! ここにしませんか? すごく綺麗ですよ!!」
「桜ですね。 それではその丘でお花見をしましょう。」
「桜っていうんですね。 それでは早速行ってみましょう!」
元気よく答えるとアリアは丘の上の桜を見ながら現地にいるイメージを強くしていった。瞬きをする瞬間辺りの空気が変わり土の匂いと爽やかな甘い香りを感じる。目を開けると眼前には先程まで天球で見ていた桜がたたずんでいた。
「・・・綺麗。」
アリアがこぼした。久しぶりの大地の感触も忘れるほどの可憐な花であった。もともと住んでいた土地にはこういった花で枝が見えなくなるような種類の植物が無かった。そのためか感動のあまりしばし絶句していた。なぜか誇らしげなシエラがアリアの様子を満足げに見ていた。
やっとお出かけしました。盛り上がりの無いお話で申し訳無いとは思います。