六話 大切な命
始まりの部屋から踏み出した俺は、天井に張り付いて床を眺めながらゆっくりと進んでいた。
壁に張り付いている方が慣れているし動くのにも楽なのだが、天井からの方が見渡しやすい視界になるからだ。
未知なる領域に何があるのか、はたまた何が起こるのか分からない以上、慎重に事を運ぶに越したことはない。
そうそう、部屋を出た直後だったか、スキル取得を知らせるあの鈴の音が鳴ったのだ。おそらく特殊条件を満たしたのだろう。
取得したのはパッシブスキル『雄気堂々』。
念の為もう一度確認しておくか。
――パッシブスキル『雄気堂々(ゆうきどうどう)』。
永続効果:[行動力]+10
一歩踏み出した君にピッタリの、漢気溢れるスキルだね! ちょっぴり早く動けるようになるみたいだけど、気になる女子のお尻を追いかけちゃダメだぞ☆ 鍛えればオリンピック出場も夢じゃない!?
なんだろう、もはや慣れたっていうか、違和感を感じなくなってきたのは俺がおかしいのだろうか。というかむしろ、このおかしな説明文を読むのが少し楽しみになっている自分がいて憎い。
とは言っても、[行動力]に補正値が加算されたおかげで、動くスピードが少し上がった気がする。
ステ振りの優先度的にはVITが高いけど、後々は[行動力]の上昇を含むDEXに振る予定だったし、お目当てのパラメーターに上乗せされるパッシブスキルが手に入ったのは正直ラッキーだ。
それからしばらく散策を続けていると、元来た一本道を含め四つの分岐点に差し掛かった。
交差する中央の天井にてキョロキョロと視界を動かし、どの道に進もうか選り好みしてしまう。
「ええい! ままよ!」
なんの根拠も無かったのだが、自分の直感を信じて右の通路へと進むことを決めた。
結果から言えば”当たり”と言えただろう。
進んだ先は行き止まりだったのだが、多くの石コロと一つの宝箱があったからだ。
ダンジョンと言えば宝箱、宝箱と言えばダンジョンだ。
てことはつまり、「転生した場所は始めからダンジョンの中だったのかよ!」って、この時になって初めて気が付いたのである。
まぁ、どこかの洞窟なのは視界に映る風景からも分かっていたことだし、薄々ここはダンジョンなんじゃないかって思っていた部分もあるから素直に受け入れておこう。
もう少し女神様が気を遣ってくれていたら嬉しかったけれど、今更ぶーぶーと文句を言っても仕方がない。だってあまりにも言いたい事が多すぎるのだから。
とは言え俺も男だ。可愛い見た目に免じて大目に見るとしよう。
「そんなことより、お宝チェックだ! 何が出るかなっ何が出るかなっタラララッタータラララ」
宝箱へ向かって鼻歌交じりに舌先を”ペチン!”と当てると、きしむ音と共に上蓋がゆっくりと開き出した。
《オロナ眠Gを入手》
どうやら宝箱の中身は回復系アイテムだったようだ。
欲を言えば、まだ適正武器が分からない以上武器が欲しかったところだが、まぁ仕方がない。序盤のダンジョンだろうし、宝箱の中身もこんなところだろう。
後は食料のストックの為に、辺りに転がってる石コロを回収しておく。
<胃袋>から取り出して再び収める摩訶不思議現象が起こることになるだろうが、これも生き延びる為に必要なことだ、背に腹は変えられない。
あちこちに石コロが散らばっている為、壁に移動したり床に移動したりしながら、舌で包んでは口の中へ放り込んでいた。
しかし、それなりの数があるがゆえに没頭していたのが悪かったのだろう。
この場へと近づく不穏な足音に気が付いた時には――、すでに逃走するには遅すぎたようだ。
「あ! 宝箱みっけ!」
「ホントだぁ!」
「つーか、なんか空いてない?」
小振りの片手剣と長めの杖を持つ女の二人、そして大振りの両手剣を持つ男が一人。
どこからどう見ても、その容姿と話している言葉の内容で分かる。
この三人組は――、間違いなく”プレイヤー”だ。
開け放たれた宝箱の裏へと隠れる俺は、恐怖と緊張で心臓の鼓動が早まり、ガタガタと歯を震わせた。
プログラムによって決められた動きだけをする意思を持たないモンスターよりも、リアルに生きてゲーム内で好き放題する意思あるプレイヤーの方が、俺にとってこの世界で一番危険な存在だと思っているからだ。
向こうは三人、こっちは一人。しかも相手の頭上には[Lv.25]、[Lv.20]、[Lv.32]と表示されている。対峙すれば……、どう考えても瞬殺されるのは間違いない。
――頼む――っ! 気付かないでくれ、気付かないでくれ……。
この時ほど神に祈ったことはないだろう。
心の声を震わせ、絞り上げるかのように祈りを込める。
ここで死んだら――、全てが終わってしまうのだ。
「誰かと入場被っちゃったかぁ~」
「どうせ大した物は入って無かっただろうし、そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」
「初心者の誰かが開けたんだろ。先輩として快く譲ってやろうぜー」
早く立ち去って欲しい俺の気持ちと裏腹に、三人は呑気に会話を繰り広げる。
「ヒマだったから最初のエリアからダンジョン巡りしてるけど……、さすがにまだこの辺じゃ味気ないね」
「まぁ私達のレベルからすれば、明らかにダンジョンの適正レベル超えてるしね」
女子二人が会話を続けている中、目を細める男はとある一点に視線を集中させていた。
何かを気取るかのようなその視線は、明らかに俺が隠れる宝箱へと向けられている。
「なぁ、何か……いる」
――っ! 気付かれた!?
男の放った一言に、俺は全身の血の気が引いていく感覚を覚えた。
「……ターゲット出来るから、NPCじゃないね」
「でも、PKコマンドも出てる……。プレイヤー?」
「ここはPK不可能ダンジョンだぞ。なんなんだこれ」
各々が思い思いの言葉を口にしながらも、その顔つきは真剣で、静かに武器を構え戦闘態勢へと移っていくのが見て分かる。
何が潜んでいるのかと確認するように、三人がジリジリと距離を詰めてくる。
その一歩一歩がまるで俺の寿命を縮めているかのようで、息をひそめて隠れる俺の呼吸は激しく乱れていった。
杖を持つ女が宝箱の正面に位置し、残る二人が左右へと別れていく。
あと数歩――、その足を進めれば、目と鼻の先まで二人がやって来る。
ガタガタと震える俺は居ても立っても居られなくなり、二人が宝箱の裏を覗き込んだ瞬間に、壁を伝って一気に天井の隅まで逃げ出した。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
「「きゃああ――っ」」
「うぉっ!?」
逃げる瞬間に放った咄嗟の悲鳴に驚いたのか、はたまた俺の容姿に驚いたのかは分からないが、三人組は反射的に一歩後ずさり、天井の隅に張り付いている俺の事を見上げながら驚愕の面持ちを浮かべている。
「なに……あれ」
「分かんない……、見たことないよあんなの」
「もしかしたら、まだ発見されてないトロフィーモンスターかもしれない」
男が発したトロフィーモンスターという単語に、女二人は目の色を変えた。
「マジ!? ヤっちゃお、ヤっちゃお!」
「レアアイテムお願いしま~す!」
「んじゃ、いつも通りいくか!」
急にヤル気に満ちた三人組。
杖の女が何やら詠唱し、剣を持つ女と男の足元に魔法陣が浮かび出す。それと同時に二人の体を巡るように、足元から頭の先へと一筋の輝く光が透過した。
どうやら杖の女は強化魔法――、いわゆるバフ効果を二人に付与したようだ。
そんな本気の姿勢を向けられた俺は、ますます震え上がった。
このままではマズい。なんとか戦闘を回避しなくては絶対に死ぬ。
命の危険を感じた俺は、必死に命乞いに徹することを決めた。
ゲーム内のアバターとはいえ、あのキャラの向こう側は俺と同じ人間なのだ。話せばきっと分かる。
そう信じ、誠心誠意を込めて口を開く――。
「お願いします! 攻撃しないでください! 急には信じられないかもしれないですけど、俺、元は人間なんです! 事故で死んじゃって、女神様の力でこのゲームの中に転生しちゃったんです! ホントなんです!」
俺の言葉にふいを突かれたのだろう、三人はきょとんとした面持ちで顔を合わせ、しばし沈黙している。
しかしそれも束の間、三人はほぼ同時に「プッ」と頬を膨らませた笑いを零すと、次の瞬間には腹を抱えてゲラゲラと声を上げた。
「アハハハ! すっごーい! リアルー!」
「言葉を話すボスはいたけど、トロフィーモンスターってこんなに凝ってるんだねぇ!」
「モンスターが命乞いって、新しいなぁ~!」
まるで聞く耳を持たず、よもやゲームの仕様だと思い込み面白がる三人。
紛れもない事実を心から伝えたというのに、その言葉は微塵たりとも届いていないようだ。
俺の視界にはまるでその姿が、口角を吊り上げ細めた目であざ笑う狂人のように映り、頭の中が真っ白になる程の恐怖感を植え付けられた。
口の中はもうカラカラで、唇も渇いてしまっている。
頭の中では三人組の言葉を、心の中では自分自身を否定するかのように、必死に声を絞り上げる。
「ち、違う……。人間……、人間なんです」
俺の言葉に男は「へ~」と不敵な微笑みを浮かべると、その手に持つ大振りの剣の切っ先を真っ直ぐに向けてきた。
直後感じる、死への圧倒的恐怖感。
何を言っても聞いてくれない、信じてもらえない絶望感。
向けられた剣の切っ先が、俺の言葉と共に命を両断すると物語っているかのよう。
「いやだ……死にたくない、死にたくないっ! うわぁぁぁぁぁぁ!」
気が付くと俺は、意識とは別に本能でその場から逃げ出した。
出せる限りの速度を引き出し、天井を一目散に駆け抜ける。
「逃がすかっ! 『バスタースピア』!」
おそらくスキル名であろう単語を発した男の声の後、必死に逃げ出そうとする俺の背後から、巨大な剣を模した残影の切っ先が凄まじい速度で飛んで来た。
突如一気に押し寄せてきた激しい痛み。
まるで巨大なナイフで口を突き刺され、同時に心臓までも貫かれたような尋常ではない激痛。
「いっ――! ってぇぇぇぇぇぇぇぇ! いってぇーよ、クソッたれぇぇぇっ!」
さすがに痛みで悲鳴を上げるとは思ってもいなかったのだろう、三人は俺の悲痛な叫びに一瞬躊躇したようだ。
その隙に俺はすかさず逃げ出し、激痛を感じながらも必死にその場から離脱することに成功した。
我に返った三人が後から追いかけて来たようだが、事前に取得していたパッシブスキル『雄気堂々』のおかげか、なんとか振り切ることが出来たようだ。
始まりの部屋に戻った俺は、部屋の隅に石コロを詰み重ねて壁を作ると、小さな防提と化したその狭い空間に身を潜め、グッタリと倒れ込むように壁から床へと滑り落ちた。
視界に映るHPゲージにふと視線が行く。
緑色だったゲージが今では赤色に変わり、HP120と表示されていた。
2000とちょっとあったはずのHPが、たったの一撃でここまで減らされていたのだ。あと一度でも攻撃を受けていたならば……。
死と隣り合わせにまで陥っていた危機的状況を知ると、なんとか生き延びれた現状に喜びが溢れ、心の中では安堵の涙が流れた。
「良かった……、ホントに良かった……」