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8.開花

 空は真っ黒な雲で包まれていた。

 リリィはその下で軽快にステップを踏み、目の前のオークをわけなく切り裂く――発火。

 強く雨が打ち付けられているのにもかかわらず、紅の炎は大きく発光し、灰色のブタを炭にかえた。

 白銀の剣に常に魔法を付与させ、切り裂き、相手を焼き尽くす――これがリリィの得意としている戦い方だった。


 これは誰にも真似のできないものである。たとえ魔法にたけたエルフであっても。

 生まれついて持っていた紅の炎は、竜人族の内包するそれと同等だ。使い方次第で石を溶かすことができ、大地を消滅させることができる。

 それほど大きな力であるために、文字通り、リリィは血を吐くほどの努力をした。

 幾度もやけどを負い、制御の方法を覚え、剣に定着させる技術を得た。

 天性の能力を、努力によって真に自分のものにしたのだ。


 ただ、リリィが本当に望むのは、母のような剣の腕だった。

 今もなお色あせず、目に焼き付いて離れない美しい剣舞。

 しかしその背中を追うには、あまりにも未熟だった。

 だからこそ、およそ淑女には似つかわしくない、剣の訓練に明け暮れる日々を送った。

 竜ノ騎士団の騎士たちに片っ端から戦いを挑み、かつては英雄の弟子だった父にも剣を振るっていた。

 毎日――何年も――勝つまで。

 生傷が絶えることなどなかった。

 そうして今の強さが誕生したのだが――それがキラを否定することになった。


 〝グストの森〟を駆け、キラがゴブリンを屠った瞬間を見たとき、リリィは戦慄した。

 お手本のような太刀筋をしていたのだ。

 そのあとにベヒモスを迎え撃とうとした一瞬の動作も、まさに達人の域であった。

 後に英雄の弟子と聞いて納得したが、しかし、彼は何も学んでいないという。

 天性の才というやつだ。

 剣を持っただけで己の動きを思い描き、実行することができる。キラという少年は、凡人がどうやっても到達しえない域にすでに立っており――。

 そして何より、追い求めていた母の剣とそっくりだった。


 その時、キラの心臓病の心配よりも、剣の腕に対する嫉妬と恐怖が勝ってしまった。気づいたら、旅の同行を否定したのだ。



「ふぅ……」

 リリィは白銀の剣を振り払い、鞘に戻す。

 苛立ちを紛らすようにすべてのゴブリンを屠っても、どうしてもキラの剣を思い出し、やりきれない思いでいっぱいになる。

 ――極めつけは、今朝の試合だった。

 キラが心配で仕方がなかったが、実際に対峙して悟った才能の差に唖然とし、瞬間、本気で剣を振り下ろしていた。

 それを耐えきり、なおかつ小さな隙をつかれて負けたことには、苛立ちやら怒りやら言いようのない憤りを忘れて、本当に泣きそうになった。


「リリィ様」


 セレナが寄ってきて、無造作に頭の上に魔法陣を展開する。

 白く淡く光る陣は雨を遮り、なおかつリリィの濡れた髪の毛をさっと乾かしてくれる。

 歪んでいた表情をさっとひっこめ――しかし完全に苦味を消し去れず、奇妙な苦笑とともにリリィは言った。

「ありがとう、セレナ。でもいつも言ってるでしょう? 自分にも気を使いなさいな」

 メイドで友人で妹で。そんな赤毛の彼女はよく尽くしてくれるのだが、自身に対してはずいぶんと無頓着だ。

 今のように、自分がずぶ濡れでも構わないところがある。

 リリィはエマに習った通りに魔法陣を頭に思い浮かべ、セレナの頭上に展開する――が、ぐにゃぐにゃで安定せず、やはり陣札を素直に使った方が出来が良かった。


「それで、何を思い悩んでいたので?」

「べ、別になんでもないですわよ?」

「嘘ですね。敬語を使うのがその証拠です」

「う……別に、キラが心配だっただけよ」

 それはリリィの本心だった。

 天才的な剣の腕を持つ彼は、しかしとても不安定な心臓を持っていた。

 本来はキラを守るはずの強靭な体も、下手に意識を保てるせいで、その苦しみを増加させている。

 いつ発作が起きるかもわからない……。今もそんな状態で、村長の家にいるのだ。

「……なぜ、彼をそこまで気にかけるので?」

「お母様と同じだからよ」

 その言葉は、セレナに大打撃だったようだ。いつもの無表情が崩れていた。

 目を見開き、ぱくぱくと喘いでいる。


 そこに、ランディが寄ってきた。ながい白髪が雨に打たれ、皺の多い肌にくっついている。

 実は、リリィはいまだに彼と話すことに慣れていなかった。

 緊張し、言葉が詰まり、噛みそうになる――そしてそれを何とか我慢する。この繰り返しだ。

 なんといっても、三十年も王都を守り抜いた英雄だ。その存在は今や伝説となり、彼の旅や戦いが吟遊詩人たちによって創作され、世界中に広まっている。

 〝不死身の英雄〟という呼び名も、元はある吟遊詩人の詩の題名なのだ。


「出来れば私にもくれないかね。その天使の輪」

 天使の輪?

 その呼び方を不思議に思ったが、セレナの上に浮かぶ魔法陣を見て納得した。

 たしかに、絵画でよく見る輪っかそのものだ。

 リリィはクスリと笑い、

「ではこの魔法を〝天使の輪〟と命名しましょう。セレナ?」

 まだ立ち直っていないセレナに声をかけた。すると彼女は無表情に戻り、老人の頭の上に輪っかをつける。

「そろそろ髪の毛をどうにかしないとね。村に理髪師がいないとはいえ、伸ばしすぎた」

「では王都で良い理髪師を紹介しますわ」

 

 ――それは唐突だった。

 三人で村長の家に戻ろうとした時、どこからかとんでもない力の波が押し寄せてきたのだ。

 リリィもセレナも、そしてランディでさえも、あまりの衝撃に膝をついた。


「こ、これは……?」

 嵐のように雨足が強まり、上空では黒い雲が渦巻いていた。

 雲から地響きのような音が鳴り響き、真っ白な帯が蛇のようにのたうち回る。

 嫌な予感がした――。

 何より、ランディも深刻な顔をしているのだ。


「やはり……」

「ランディ殿。これはキラが原因ですの?」

「十中八九ね。思い出したよ、私も似たような経験をした……だがこれほどとは……」

 おそらく、老人が経験したというのは、〝神力〟の発芽ともいうべき出来事だろう。

 キラの眠れる力が目覚めたのだ。

 だが、なぜ? 彼は今、村長の家にいるはずだ。

 いや、それよりも、彼が――彼の心臓が、これほどの力に耐えうるのだろうか?

「まずいな。リリィ君、キラ君が外に――」


 直後、黒い雲がカッと光った。


 暗闇を照らすほどの光にリリィは目を開けていられず、直後に爆音がとどろく。

 雷だ。

 見なくても分かった。

 キラの元へ落ちたのだ。


   ●    ●     ●


 まぶしい。瞼を突き破るような日差しが照り付ける。

 キラが呻きながら目を覚ますと、馬面が覗き込んでいた。


 ――面倒かけやがって!


 白馬が歯を剥いて嘶いた。

「うん……は……?」

 いきなりの幻聴にキラはびっくりしてしまい、後ずさりする。

 と、白馬が追撃を加えてきた。鼻先でごつんと突いてくる。

「いだっ」

 されるがままにユニィにベッドの上から追いやられ、どんと床に落ちる。

 なおも歯を剥きながら迫ってくるユニィの鼻先をおさえながら、キラは起き上がった。


 今いる場所は寝室だった。横長の部屋で、ベッドが二つ壁際に並べられている――キラが寝ていたのは、窓際のほうのベッドだ。

 ベッドの向かい側の壁には、暖炉がはめ込まれていた。その隣に打ち付けられたフックには、見覚えのある銀色の胸当てが引っ掛けられ、見慣れないメイド服もかけられていた――リリィとセレナのものだ。

 キラの荷物も並べられている――白馬の鞍に取り付けていた荷物袋や剣だ。


 簡素な部屋の中で強烈な存在感を放っていたのが、本来いるはずのない白馬のユニィだった。

 外にいるとそうでもなかったが、部屋の中の白馬は巨大だった。暖炉の前に立ち、足を踏み鳴らすだけでも迫力がある。

「……ユニィ、何でここに?」


 ――昨日、俺が運んでやったんだぞ


「昨日……?」

 幻聴の言葉で、キラは窓の外を見た。

 晴れやかな空が見えた。太陽もさんさんと輝き、あの曇り空が嘘のようだ。

 だがキラには、いまいち状況がつかめなかった。

「一晩中寝てた? でもなんで……?」

 すると、ドタドタと走る音が聞こえ、派手に扉が開いた。

「キラぁ!」

「え……えっ?」

 リリィが目の端に涙をためながら、ぱっと飛んできた。ベッド二つを飛び越える大ジャンプだ。

 そうして飛来してきたリリィに抱き付かれ、キラは再び床に倒れこむことになった。



 キラが覚えているのは、グリューンとともに戦っている最中のことまでだ。途中で心臓が暴れ始め、そこから記憶がない。

 昨日と同じ食卓につき、隣に座るリリィから力やら雷やらとよくわからないことを聞かされたが、やはりここでも気になることがあった。

「ミントティーです。きっと落ち着くでしょう」

 セレナが、とても優しい。柔らかな物腰でカップを目の前においてくれる。

 相変わらず無表情であるが、とても温かみのある笑みを浮かべているようにも見えた。

 真向かいの席に戻っていくセレナを凝視し、キラが戸惑っていると、

「セレナは名医でもあるんですよ。ハーブティーの中には薬になるものもあるといいますし、召し上がってみてくださいな」

「いや、あの、そうじゃなくて……セレナ、何かあった?」

「何もありませんわ。ね、セレナ?」

「はい。病人を看病するのはメイドと医師の務めです」

 キラは微笑み合う彼女たちが何かを隠していることに気が付いたが、あえて追求しなかった。心優しいリリィも何も言わないのだ、きっと触れてほしくないのだろう。

 そんなことを考えながら口をつけていると、グリューンが二階から降りてくるのが見えた。


「頑丈な奴だな。大丈夫だったのか」

「君こそ。何があったかよくわかんないけど、無事でよかったよ」

 その高い声を聴いてキラは安心した。なんとなく、ほっとする。

 だから軽くそう言ったのだが、グリューンは全力でそれを否定した。

「無事なもんかよ! えらい目にあったんだぞ、こっちは!」

「へ?」

「いきなり呻きやがるし、かと思ったらなんだ、あの力! なに雷引き寄せてんだよ!」

 彼は椅子を引いて、不機嫌そうにどかりと腰かける。

 雷を引き寄せた? 何の話をしているんだ?


「おまけに〝竜殺し〟におもっきし責任擦り付けられたし」

「その呼び方はおやめなさいな」

「あん?」

「不可抗力とは思いますが、キラをあんな悪天候の元に引き出したのは事実ですわ。少しは責任を感じなさいと言っていますの」

「ハッ、自分で追いかけてきたやつの心配をしろってか?」

「キラに手伝わせるぐらい、みっともない戦いはおやめなさいな。たかだかゴブリンの群れ、冒険者ならばいくらも経験しているはずでしょう」


 昨日までとは何もかもがあべこべだった。

 きつかったはずのセレナが、色々と世話を焼いてくれていて。

 グリューンが気に入らなかったキラは、今では彼を心配するようになり。

 その代わりとでもいうように、リリィとグリューンがいがみ合っている。

 窓を破って部屋に勝手に入ってきたユニィを、馬小屋に連れていっていたランディは、そんな光景を見て笑っていた。



 皆が落ち着きを取り戻し、召使たちがパンとスープを用意してくれたところで、老人が話し始めた。

「昨日のあれは、〝神力〟の発芽といってもいい現象だと思うよ」

「〝神力〟?」

 その言葉に反応したのは、グリューンだった。

 リリィが英雄の言葉を遮るなと言わんばかりにキッと睨んでいたが、少年はじっと老人を見ていた。

「キラ君は私と同じように魔法が使えないからね」

「ふぅん……」

「話を続けると、私も似たような経験をしていたんだ。その時、キラ君と同じですぐに気絶してしまったから、ころりと忘れていたが。人が持つには大きすぎる力の暴発に、耐え切れなかったんだよ」


 ランディは紛うことなき英雄だ。〝高速治癒〟に、事前に魔獣の居場所を察知する力――昨日はセレナが巻き起こした嵐でさえも無力化してしまった。

 仮にそれがすべて〝神力〟によるものだったとしても、天候を操るような、人間離れしたことが本当にありうるのだろうか?

「あの、さっきグリューンが雷を引き寄せたって……」

「言い得て妙だね。君に雷が落ちたが、確かにそういう見方もある」

「落ちた? 僕に?」

 キラはリリィとセレナを交互に見たが、彼女たちは微妙な反応を示した。


「わたくしたちは直接見てはいませんけれども、おそらくそうなのかと」

「それにしては、キラ様は無傷でした。雷はそれたかと思いますが……」

「だぁかぁらぁ! 何度も言ってるだろ! 間違いなくこいつにぶち当たったんだって!」

 どうやら直接その光景を見たのはグリューンだけらしかった。

 キラは少年のことを信じたかった。

 が、本当に雷を浴びたのだとしたら、無傷でぴんぴんしているのは奇妙だ。


「私も見てはいないが、グリューン君の言葉は本当だと思うよ。それがキラ君の〝神力〟の正体なんだろうから」

「雷が、キラの力と? そうおっしゃるのですか?」

「うむ。だからグリューン君も、『雷を引き寄せた』と思ったんだろうし。それに、自分の力であるからこそ無傷でいられたといえる」

 雷の力……!

 キラはその言葉のかっこよさにしびれていた。


「私たちの中で、彼の〝神力〟に最も近いのは、リリィ君。きみだと思うよ」

「わたくしですか?」

 リリィは驚くと同時に、嬉しそうでもあった。

 ちらちらとキラを見ては「キラと同じ……!」とつぶやいている。

「君は紅の炎を自在に操るだろう。キラ君の〝神力〟もおそらく似たようなものだ。雷を呼び寄せることができるほど、自在に操ることができるんだ。今はまだ無理だろうがね」

「え、そうなんですか?」

 キラは素早く反応した。

 老人は〝神力〟を肯定しながら、しかし扱えないと否定しているのだ。

 何とも変な話だ。


「私と同じならばね。ゼロか百か――力の現れ方が極端なんだ。普段は〝神力〟を扱えないが、何かのきっかけで勝手に発動する。私の場合は、確か……そう、命の危機に瀕した場合にのみ、〝高速治癒〟が現れたね」

 キラは落胆した。それでは今までと何ら大差ない。

 リリィが背中を撫でて慰める一方で、

「ケッ。あんな力をポンポン使われちゃ、剣士も魔法使いも立つ瀬がないぜ」

 グリューンは甲高い声で憎まれ口をたたいた。

 それに対してリリィがむっとしてにらむが、グリューンはどこ吹く風。

 完璧に二人は犬猿の仲となってしまった。

 少し前までそうであったはずのキラは、二人の仲裁にも入れず、オロオロとしていた。


「しかしなぜ、あのような力の現れ方をしたのでしょう?」

 セレナがぽつりとつぶやく。

「うん?」

「正直な話、あんな暴発ともいえる力の波動など、今まで感じたこともありません。まるでため込んだものを一気に吐き出すような……それが、雷を引き寄せたことにもつながるんでしょうが……なぜ今までそれがなかったのでしょう? 暴発ということは、力が不安定だったということ……単なる運でしょうか?」

「今まで幸運にも暴発しなかったのではなくて、条件が整ったから力が解放された。そう考えるべきじゃないかね?」

「条件、ですか」

「……竜人族の友人に聞いたことがあるが、〝神力〟というのは魔法を使えないこと以外に何らかの代償が払われているようなんだ。キラ君の場合は、おそらくは心臓。……絶対だと言いきる事は出来ないがね」


 グリューンといがみ合っていたリリィが、パッと老人を振り向いた。

「それはどういう意味ですの、ランディ殿?」

「心臓という生物に最も重要な機能を代償に、大いなる力を得るといったところだよ。発作のたびに彼の秘めたる力が徐々に蓄積されていた……つまりは、心臓に負荷をかけることで、雷を引き寄せるだけの力をためていたんだ。そして、それこそが〝神力〟の能力を引き出す条件」

「心臓に……でもそんなことをしては……」

 ちらりとキラを見るリリィ。すると、少ししてからハッとした表情となった。さっと血の気が引き、わなわなと唇が震えている。


「リリィ君の思う通り、キラ君の異常なまでの強靭さは、いわば本能的な防衛機能なんだ――彼があっけなく死なないためのね。昨日、まだグリューン君に出会う前、試合をしただろう? その時、一気に心臓に大きな負荷がかかったんだ」

「あ……!」

 キラは老人の言葉で思い出した。

 リリィが最後に放った大振りの一撃――あの一瞬で、衝撃が体を貫き、心臓に多大な負荷がかかったのだ。


「ほう、ってことは何か? 〝竜殺し〟のせいで昨日のうちに二回もコイツが苦しむことになったわけだ」

 くっ、とリリィが唇をかんだ。彼女は相当に後悔しているようで、グリューンに言い返すこともせず、ただ「申し訳ありませんわ」と謝った。

 キラもさすがにこれを見逃す事は出来ず、セレナよりも先に、

「グリューン」

 と、ただ一言だけ注意した。

 少年は舌打ちしたが、続けてかけようとした言葉を飲み込んだ。


「リリィ、あんまり気にすることないよ。ほら、僕は頑丈なんだし、リリィのおかげでどんな〝神力〟かが分かったんだしさ」

「……ありがとうございます」

 キラの慰めの言葉にリリィはそう返したが、落ち込んだ声は変わらなかった。

 メイドで友人なセレナなら何とか慰めることができるだろう――そう思ったが、彼女も無表情ながらになぜだか落ち込んでいた。

「あの、朝食をお持ちしました」

 五人の話になかなか入っていけなかった召使が声をかけ、ささっと皆の前に皿を並べていく。目玉焼きをトーストに載せたものだ。

 食べ盛りのグリューンは「こんだけかよ」と漏らしていたが、この日の朝食は、皆黙りこくっていた。



   ●    ●    ●



 ランディは一足先に、馬小屋で支度をしていた。

 白馬のユニィ、リリィの栗毛、セレナの鹿毛、そして自分の青毛に鞍を取り付けていく。

 グリューンの馬がいないが、相乗りするしかない。村にはこの四頭ほどの足を持つ馬はいないし、いたとしてもこれから先の環境には不慣れだ。


「中々なもんだね……」

 老人はため息交じりに呟く。彼はリリィとセレナについてずっと考えていた。

 あの夜、リリィは母親を亡くしたといっていた。そして昨日、彼女がセレナに投げかけた『母と同じ』という言葉。

「まったく……」


 まだ王都にいたとき、ランディには三人の弟子がいた。

 今は元帥だというアラン。その友人で、リリィの父親であるシリウス。そして、二人と仲が良く、後にシリウスと一緒になったマリア――リリィの母だ。

 キラと同等の剣の才能を持っていたマリアは、不安を抱えていたのだ。


「悪魔だな、私は……」

 それを知っていて、だが見たことのない才能の輝きにほれ込んで、彼女に剣を持たせてしまった。

 今度も同じだ。

 同じ輝きを持ったキラを、剣の道に引き込んだ。

 その結果リリィとセレナには、七年前と同じ苦しみ――あるいはそれ以上のものを押し付けようとしているのだ。

 ランディがため息をついたとき、彼の背中をごつんと押す者がいた。


 ――オイコラ、老いぼれ。いつまでもクヨクヨしてんな


 幻聴とも勘違いしそうなその声に、老人は驚き、しかしすぐに笑みを漏らした。

「君に声をかけてもらうのは、ずいぶん久しぶりだね」

 ランディが振り向くと、柵の向こう側からぐっと首を伸ばす白馬がいた。

 ――テメェの〝覇〟がどんどん薄れてきてんだよ

「おや、気づかれていたかね」


 ――その代わりにあのガキのが濃くなっていやがる

「ほう……?」


 それには、ランディもうすうす気づいていた。

 白馬の目は、「お前が譲渡しているんだろう」と言っていた。

 が……、

「私は何もしていないよ。与えてもいない。そもそも、〝覇〟や〝覇術〟は譲渡できるものじゃないだろう? その祖である竜人族以外は」

 ――まア、そんなことはどうでもいい。テメエ、まさか後悔してるんじゃないよな?

「まあね」


 老人の答えに、ブルルッ、とユニィは歯をむき出しにした。

 ――テメエはいつも失敗してんだから、んなことでメソメソしてんじゃねえよ。後悔してる暇あるんなら次考えろ、次!

 ランディはぽかんとし、少ししてから苦笑した。

「確かに、言えてるね」

 老人は目を閉じ、白馬に礼を言った。このおかしな白馬には、今までに幾度も助けられた。

 いつも世話になっているついでに、ランディはユニィに聞いてみることにした。


「〝無陣転移〟を知っているかい?」


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