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7.友

 じぃっ、と。

 キラは、赤毛のメイドのセレナに見つめられていた。


 彼女の顔立ちはリリィと同じくらいに整っており、しかし無表情であった。冷たい印象はないのだが、顔つきや表情に一切の変化がみられない。

 もう一つ、彼女には特徴的な点があった。ブラウンの瞳であるのだが、本来ならば黒いはずの瞳孔がライトブルーに染まっていた。何とも不思議な色合いだ。


 そんな特徴的な瞳に見つめられ続けて、もう五分経つ。

 キラはちらちらと彼女を気にしながら、野菜スープをすすった。


 今は食事の席。長いテーブルにはランディ、キラ、リリィ、と並び、この向かい側にセレナとグリューン、そして彼女が引き連れてきた騎士たちが座っている。

 皆一言もしゃべらず、黙々と食事を進めていた。時折、木製の皿とスプーンが軽い音を鳴らすくらいだ。

 これが習慣であるかもしれないが、キラには、無表情ながらも異様な圧力を放っているセレナが原因だと思えてならなかった。

 現に、自宅に招いた〝デフロットの村〟の村長は、隅の方でびくびくとしている。騎士たちをよく観察してみても、スプーンを動かす手は重い。

 気まずさを通り越し、笑ってしまいそうだ。キラは視線を窓の方にやり、「雨が降ってきたなあ」と思いながら、懸命にこらえていた。


「……ごふっ」


 が、こらえきれずに笑ってしまった。

 キラは盛大に咳き込み、何とか平静を保とうと水を一気に飲んだ。

 ……さらに詰まった。

「大丈夫ですか?」

 リリィが献身的にその背中を撫でてくる。

 すると、騎士たちが不思議なものを見たかのように、ざわめきだした。


「リリィ様、その方は何者なのですか?」

 ついにセレナが口を開き、抑揚のない声でリリィに尋ねた――やはりピクリとも眉を動かしていない。心なしか、広がった騒めきがさあっと晴れていく。

 だがキラには、彼女の声やその表情に、嫉妬にも似た感情が含まれているような気がした。

「さっきも言ったでしょう? ランディ殿の弟子よ。……まだ認めたわけじゃないけど」


 彼女とセレナは主従関係にあり、同時に姉妹でもあるらしい。

 とはいえ、血がつながっているわけではない。元々リリィ付きのメイドだったセレナが、わけあって養子になったのだという――どちらとも自分が『姉』であると主張していたが、年齢的にはセレナの方が上らしい。

 このためリリィは、セレナのことをメイドとして扱いながらも、幼馴染としても接しているそうだ。

 キラの考えていた、『リリィもメイドに仕える』という謎の風習はここで否定された。


「認めたわけではない、とは?」

「キラには剣を振らせたくはないの。……説得しようと試合をしたら負けてしまったけど」

 リリィの悔しそうな言葉に、より一層騎士たちがざわついた。

 「やっぱ英雄の弟子なんだな」「じゃあ将来性があるってことか?」「大元帥とアラン元帥がそうだったろ?」――そんなささやき声が聞こえてくる。

「負けたことについては後ほど詳しく聞くとして。ならばなぜ、そんな相手にリリィ様は入れ込んでいるのですか?」


「い、入れ込む? わたくしが?」

 ボフン、と妙な音がした。

 リリィの顔が紅の炎で燃え上がったのだ。

「ちょ、え? リリィっ?」

「だ、大丈夫ですわ。ちょっと燃えてるだけで……」


 じっと見てみると、確かにリリィは燃えていなかった。

 紅の炎の中でも髪の毛は全く焦げず、綺麗な黄金色のままだ。

 どうやら、彼女自身が発生させているらしい。不思議なものだ。

 頭が燃え上がるというのも魔法使いの常識なんだろうか?

 キラはどうしても気になってしまい、紅の炎を放出しているリリィの頬を人差し指でつついてみた。

 ふにっとして柔らかい。が、熱くはない。


「キ、キラっ?」

「リリィ様になんてことを……それは私だけの特権です!」


 わずかに眉間にしわを寄せて、激昂するセレナ。ライトブルーの瞳孔がその怒りに呼応するように輝いている。

 彼女が机をたたいて立ち上がると赤毛がふわりと揺れ――突如として、嵐のごとく、激しい風が吹き荒れた。

 残っているスープも水の入ったコップも、すべてが超局地的な竜巻によって吹き飛ばされる。

「うわ、と、っと!」

 キラも椅子ごと倒れそうになり、そこをランディがさっと支えてくれる。


 そして――ふっ、といきなり風がやんだ。


「え……?」

 セレナもリリィも、慌てて壁際に移動していた騎士たちも、突然の現象に驚いていた。

 だがキラは、ランディが何かやったのだと思った。遠くの魔獣の様子を的確に知ることができたりするのだ。

 彼には〝高速治癒〟のほかに何か力がある。それこそ、英雄の名に恥じないような力が。

 グリューンも同じように思っているらしく、じっとランディを見つめていた。


「騒がしいのも好きだが、あまり度が過ぎないようにね」

 老人の一言は大きかったようで、セレナは恥ずかしそうに俯き、ストンと腰を下ろした。

 まさに嵐のように過ぎ去った出来事ののち、すぐに動いたのは村長の雇っている召使たちだった。ささっと荒れた食卓を片付けていく。

「申し訳ないね、デフロット。あとで弁償するよ」

 老人とともに、リリィもセレナも、他の騎士たちもそろってデフロットの村長に頭を下げる。

 それに小心者の村長は大いに恐縮したらしく、床に頭をこすりつける勢いで「とんでもない!」と連呼していた。

 どちらがどちらに謝っているのか、全然わからなかった。




 食事を終えて少しして。セレナの連れてきた騎士たちは、雨の中であるにもかかわらず、〝グストの村〟に向けて出発した。

 村を絶対に守ること――そのことをセレナがせっせと指示していたのであるが、キラはそんなメイドの姿に疑問を抱いた。


「あのさ、リリィ。セレナって何者なの?」

「え? ああ、セレナは騎士団の元帥ですわ」

「元帥?」

「騎士団の三番目の地位ですわ」

「三番目か……三番目っ?」

 戦争の話を聞いたとき、騎士団は国に頼られるほどの組織という印象だった。

 そんな組織の三番目だという。

 同時に、キラははっと気づいた。

「そういえば、リリィも元帥って言ってたよね?」

「ふふ、そうですわよ」

「おお……!」

 キラの驚きようにリリィは、嬉しそうしていた。胸当てのされていない、、ふくよかな胸をつんと張る。


 だが、同時に疑問も増えた。

「なんで元帥が元帥のメイドに……?」

 リリィとセレナは主とメイドで、血のつながらない終い。そして、両者とも元帥。

 簡単に言えばこういうことだが、ならばなぜ、セレナはいまだにリリィのメイドをやっているのだろう?

 姉妹であるならばメイドになる必要はないし、同等の地位でも同じことがいえる。

 片方が片方のメイドになることなどあるのだろうか?

 それとも、これこそが王都の常識だろうか?


「リリィ様にお仕えしたことが、私の原点ですゆえ。何か問題でも?」


 この疑問には、会話を聞いていたらしいセレナが答えてくれた。盆を持って真後ろに立っている。

 隣で懐かしそうにくすくすと笑うリリィは可憐で、キラはセレナに返事をするのも忘れて、見惚れていた。

「あまりリリィ様をいやらしい目で見ないでください」

「う……別にそんなんじゃないよ」

「まあ、いいです。――リリィ様、紅茶です」

 リリィの目の前に受け皿つきのカップ――食事に使われた食器類とは違い、真っ白に輝く陶器製だ――が置かれる。


 紅茶?

 キラは気になって中身をのぞいてみた。

 見たこともない、綺麗な赤色をした液体が揺れている。初めて見る色だ。グストの村では茶とコーヒーを飲んだことはあるが……。

 じっと見つめていると、生意気な高い声が降りかかった。

「お前、まさか紅茶を知らないのか?」

 キラは言い返そうとして、むすっと口を閉じた。

 ここで言い合いに発展すれば、それこそ子供じみている。

 紅茶から無理矢理視線を引きはがして、キラは何でもないふりをした――隣でリリィが頬を緩めているのにも気づかずに。


「ところで、ランディ様。出発はいつごろに?」

 お盆を小心者の村長に預け――というよりも、リリィに紅茶が渡った時点で小間使いのように盆を受け取っていた――、セレナは再度席に腰を下ろして、ランディをまっすぐと見据えた。

「うむ……明日にしようかと思っているんだ。キラ君の体調も芳しくないし、さらにこの雨だ、移動が遅くなるし野宿するには準備が足りない」

「雨でしたら、私の魔法でどうにでも」

「君は……もしかしたらクォーター・エルフかな?」

 老人は抑え気味の口調で、しかし確信をもって、セレナの独特なライトブルーの瞳孔を見つめつつ聞いた。

「はい。ですから、一晩雨をしのぐことなど造作もないです」


 クォーター・エルフ?

 またも聞きなれない単語が耳に入ってきて、キラは紅茶そっちのけで考えた。

 セレナのことを示しているのだから、前にランディが話していた〝竜人族〟や〝ヴァンパイア〟などの人以外の種族のことを指しているのだろう。

 だが、どんな人たちなのか、キラには全く想像できなかった。


「キラ、エルフを知っていますか?」

 するとリリィが、二人の会話を邪魔しないように、こっそりと問いかけてきた。

 キラもそれに合わせて声を低め、首を横に振る。

「……いや、知らないよ」

「〝魔法族〟というのが正式名称でしてね。皆が生まれつき才能を持ち、特別な訓練がなくともあらゆる魔法を行使することのできる種族ですの。あんまり人と変わらない姿ですけど、尖った耳と白い瞳孔が特徴的ですわ」

 キラはじっとセレナを観察してみた。確かに瞳孔は特徴的なライトブルーであるが、白ではなく、ちらりと赤毛から見える耳も尖ってはいない。


「エルフと人が結ばれて生まれてくる子がハーフ・エルフ。そのハーフ・エルフと人の子が、クォーター・エルフ。エルフの血が混ざり、なおかつ特徴を受け継いでいれば、これよりいくら血が薄くても〝クォーター・エルフ〟となりますわ」

「へえ……つまりセレナは、魔法がすっごく得意ってこと?」

「ええ。わたくしが知っている中でも断トツですわ。純粋なエルフにだって負けませんもの。絶対に」

 リリィはまるで自分のことのように胸を張って言いきった。

 友人に対する絶対的な信頼とでもいうのだろうか、それはキラの知らないものだった。

 そういう風にして言うのを羨ましく思った。


「――どちらにしても、今日はこの村で過ごすことにするよ」

 ランディとセレナの議論は続いていた。

「なぜです?」

「いくらクォーター・エルフでも、一晩中魔法を使えば疲れが出るだろう。帝国相手に、少しの隙も与えるべきじゃないんだ。事実、私たちはすでに襲撃を受けているからね」

「え、いつ?」

 キラは英雄な老人の意外な言葉に驚いた。

「畑にベヒモスが現れ、森を出る際にはオーガに襲われた……あれらは決して偶然じゃないということさ」

「そういえば……七年前のあの時も、いくつかの支部が魔獣によって破壊されたと聞きましたわ……」


 ということは、帝国が魔獣を操っているのだろうか?


 キラがそれを聞いてみたところ、セレナから答えが返ってきた。

「エマに聞いたことがあります。魔獣を操る魔法は簡単に開発できると。ただ、実用化は難しく、長時間にわたって高度な命令を遂行させるのは、例え一体であってもかなり難しいと……」

「十中八九、帝国はその魔法を完成させたといっていいだろうね……。――うん?」

 ランディは話している最中、あらぬ方向へ視線を飛ばした。

 続けてリリィもセレナも視線を飛ばし、キラだけが何もわからずにいた――が、魔獣が迫っているのだろうことは分かった。

 グリューンも何かを察したらしく、警戒している。

「もしや、これは帝国の……?」

「いや、違うみたいだ……よくあるオークの集団……」

 リリィの問いに老人が答えている間に、外が騒がしくなる。


 同時に警鐘が鳴りひびき、かと思うと、扉を雑に開けてびしょ濡れの兵士が転がり込んできた。

「そ、村長! オークです、オークの群れが……東側から……!」

 小心者の村長はその兵士の慌てぶりに感化され、指示も出せずにわたわたとしていた。

 召使たちもざわめき出し――それと対照的だったのが、ランディたちだった。

「デフロット。いきなりですまないが、五人の宿泊を許可してくれないかね? できれば二部屋用意してくれると助かるが……」

「も、もちろんですとも! それより、オークどもを、どうにか……!」

「むろんさ」

 老人は何でもないように言い、リリィもセレナも慌てることなく立ち上がった。


 キラも続けて腰を浮かしたが、ランディに椅子に押し戻される。

「君はまだ動けるような身体じゃないだろう。グリューン君とここで待っていなさい」

 老人の言うことに反論しようとしたが、甲高い声に遮られ、むすっと口をつぐんだ。

「はっ? この田舎もんの巻き添えかよ」

「もしかしたら、この機に乗じて本当に帝国が乗り込むかもしれないからね。ここを支配されるようなことがあれば私の村も危ない。頼んだよ」

 苛立ちを机にぶつけたものの、グリューンは不承不承といった感じで返事をした。


「キラ、何があっても動いてはいけませんわよ。絶対に、絶対に――」

「リリィ様、行きますよ」

「ああ、ちょっと、セレナ――あ、キラ、わたくしの紅茶を差し上げますから……」

 リリィはそう言いかけて、メイド元帥に引っ張られていく。ランディが二人のあとに続いた。

 その姿にはまるで緊張感などなく、その場にいた小心者の村長や兵士を安心させるほど、堂々としたものだった。




「なあ、お前のアレは元からか?」

 向かいの席で足を机に載せ、たいそう暇そうにしながらグリューンが聞いてきた。

「アレって?」

「胸押さえてうずくまってたろ」

「……たぶん、元々」

「たぶんだ?」

 その甲高い声が妙に耳に引っ掛かり、キラはぶっきらぼうに答えた。

「たぶんはたぶんだよ。覚えてないし」

「はあん……」


 キラにはグリューンが何を言いたいのかさっぱりわからず、手元に視線を落とした。

 リリィの飲みかけの紅茶だ。と言っても、ほとんど口をつけてないようだ。

 揺れる紅の波はとてもきれいだ。お茶やコーヒーとは違い、とても透きとおっている。独特の香りは、しかし安らぐようなものだった。

 一口飲んでみる。

「紅茶、うま……!」

 名前からしてお茶に似ているかとも思ったが、そんなことはない。

 甘くて、コクがあり、すっきりとしていた。

 コーヒーともお茶とも違う、第三の飲み物だ。


 キラが新たな発見に喜んでいると、向かい側でグリューンが鼻を鳴らして笑った。

 むっとして見てみると、金髪少年は意外にも真剣な目で見つめている。

「今からでも遅くない。お前はもう村に戻れ」

「え……?」

「正直、お前が剣を振るう姿なんて想像できねえ。ましてや、あの〝竜殺し〟に勝ったなんてな。せいぜい、そーやってのんきに暮らしてるのが似合いだろ」


 キラは首を傾げた。リリィが何を殺したと?

「りゅう……なに?」

「ほんとになんも知らねえんだな。記憶喪失かよ」

 グリューンの言う通りなのであるが、それを肯定するのはなんだか負けた気がして、キラは憮然として黙っていた。

「何年か前に暴れてた竜人族がいてな。そいつをあの元帥が退治したんだとよ。有名な話だぞ? 『竜をも焼き尽くす紅蓮の炎』ってな」

「へえ……」

 竜をも焼き尽くす……。

 キラは竜がどんなものか知らないが、その様子は思い浮かべることができた。今までにもベヒモスやオーガやゴブリンたちをそうやって消し去ってきたのだ。


「んなことはどうでもいいんだよ。お前はさっさと帰れ」

 再度強く言うグリューンをおかしく思いながら、キラは首を横に振った。

「そう言われても、村に居場所なんてないよ。余所者だし」


 村とは、閉鎖的な集落だ。多くの村人が一生その場所で暮らし、子を育て、死んでいく。他人の入る余地などない。

 〝グストの村〟は森に囲まれ、周りから隔離されているということもあり――デフロットの村との交流は唯一の例外といっていい――、その色が一層強かった。

 たった一週間の村の生活を思い出す。

 ランディに彼の孫のユース、そしてエーコの三人は感謝してもしきれないほどよくしてくれた。が、他の人はと言うと、腫物でも扱うような態度だ。決して自分からは話しかけてこないし、キラもその雰囲気から声をかけることは滅多になかった。

 ランディ一家には申し訳ないが、旅の解放感を味わったら、到底戻りたいという気持ちにはならない。


「でも、まあ……ありがとう」

「は?」

「心配してくれてたんじゃないの?」

 キラがじっと少年を見ると、

「ば、ばっかじゃねえの? 冒険者としてアドバイスしてやっただけだよ」

 彼は一層高い声を出し、ぷいとそっぽを向いた。

 ……耳が少し赤い。


 歳は少し違えど、グリューンと最初の友達になれるかもしれない。

 そう思うと、途端に次々と聞きたいことが出てきた。

 グリューンはどこの出身だろう? なぜ一人で冒険を? 仲間はいるのだろうか?

 彼の出身国についても聞いてみたい。レピューブリク王国ならば、どんな町に生まれたて、どういう人たちに囲まれて育ったのだろう?


 キラがどれから質問しようか迷っていると、再び鐘の音が響いた。

 壁際で控えていた召使たちがざわめき、二階の自室にいたデフロットがドタドタと駆け降りて来る。

 それだけで何が起こっているか明白だった。

「おい、お前はここにいろよ」

 グリューンはそういうと、その小柄な体で雨の中を走っていった。

 彼と入れ替わりに、びしょ濡れの兵士が現れる。

「に、西側にゴブリンの群れが……!」

 小心者の村長が何か言っていたが、キラは椅子にぶら下げていた剣を手に取り、グリューンの後を追って飛び出した。




 空は黒い雲で覆われていた。まだ昼を過ぎたあたりなのに、とても暗い。

 息が詰まるほどの強い雨に打たれ、キラは駆ける。

 目標はすぐ目の前だ。雨の中、小さな少年が数匹のゴブリンを相手にしているのが見える。他には誰もいない。


 キラは剣を抜き放った。

 心臓が妙な音を立て始め、足の力が抜けそうになるが、ぐっと踏ん張る。

 ぬかるむ草原にも負けずに走り――グリューンの背後に忍び寄っていたゴブリンに一撃を加えた。

 剣は思うように軌跡を描いた。小鬼の腕を切り落とし、はらわたを裂く。


「な……お前っ」

 グリューンがこちらを見て驚きながらも、二匹の子鬼に的確に対処していた。小さなステップで伸びてくる爪を交わしつつ、二匹の首元をその短い剣で瞬時に捌く。

「おい、お前! 何で来た!」

 緑色の鬼たちは気味の悪い声で連携を取りながら、取り囲んでくる。

 キラはグリューンと背中合わせにして、雨の音に負けないように叫んだ。


「なんとなく!」


「はあっ?」

 すると、一匹の子鬼がとびかかってくる。

 リリィよりもずいぶんと遅く、オーガやベヒモスに比べても迫力がない。

 ふっ、と息を吐き、キラは前進しながら剣の腹で叩き付ける。

 ギャッ。短く叫んで地面に突っ伏す小鬼を切っ先でとどめを刺しつつ、右側から飛んできた鬼をしゃがんでよける。

 なぜだか、すべての鬼たちの動きを把握することができた。

「何だよ、なんとなくって!」

「何も考えてないってこと! 気づいたらここにいたんだよ!」

「夢遊病かよっ」


   ●   ●   ●


 一方でグリューンは、ちらりと見たキラの動きに、舌を巻いていた。

 キラという少し年上の少年は、何も考えずに戦っているように見えた。すべてを反応だけでさばききっている。

 紅茶一つに感動し、何でもかんでも質問するあの純朴な姿はどこにもない。

 眼光は鋭く、まるで鬼たちの動きをすべてわかっているようだ。

 すぐに悟った。ノロマで病弱な奴だと勘違いしていたのだ。


 キラは剣の天才だ。

 魔法族エルフと同じように、そこにいるだけ――見ているだけで、戦場のすべてを自分のものにしてしまう。

 恐ろしい奴だ。

 グリューンはそう思うと同時に、少し焦っていた。

 雨は人の天敵だ。地面はぬかるみ、視界が遮られる。

 何よりキラには、心臓という最悪な裏切り者がいる。


「うぅ……!」

 キラが後ろで呻いた。

「おい、しっかりしろ!」

 グリューンが後ろを向くと、キラが剣を地面に突き立て膝をついていた。間もなくうずくまり、苦しそうにうめきだす。


 白馬で気絶しかけていた時よりもひどいかもしれない。

 グリューンは素早い動きで、目の前にいるすべての鬼の首元を切り裂く。飛び散る緑色の液体は、少年に降りかかることなく、雨にかき消された。

 うずくまるキラに爪をたてようとしたゴブリンもすべて退治し、グリューンはその苦しそうな背中に手を当てる。

「おい、おい!」


 治癒の魔法を試みるが、何度やってもすぐに霧散する。


 効いていない証だ。


 その間にもキラの苦しみは大きくなり、そして――。


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