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4.英雄

 三頭の馬はとんでもなく速かった。息切れもしていない。

 おかげで、魔獣の群れに囲まれるようなことは一切なかった。


 だが、狙い定めたように襲い掛かってくる木々の枝、時折ぱっと前を横切る小型の魔獣、絶え間なく聞こえる獣の雄たけび。

 危険な要素は、ほかにいくらでもあった。

 恐怖でどうにかなりそうになりながらも、キラはユニィのたてがみに顔をうずめるように姿勢を低くし、身を守る。


 翻る紅に、波打つように煌めく黄金色――今のキラにとって、目の前のそれが頼りであり、

「キラ君、あともう少しだ!」

 後ろから励ます老人の声が不安を打ち消す光であった。

 彼の言うことは本当のようで、前を見ると、木々の間から開けた空間が見える。

 だが……、

「おかしい……昨日に続けてまだ大きな魔獣が……?」

 本当ならば聞こえるはずもないであろうランディの呟きを、キラは聞き取ってしまった。

 不安になって振り向いてみる。ユニィの白いしっぽが靡き、その向こう側に黒い馬に乗った白髪の老人がいる。いつになく鋭い目で、辺りを見回している。


 ――と、何かが黒馬の騎手に躍りかかった。

「ランディさん!」


 老人の反応は俊敏で、即座に反り返った片刃の剣――刀を抜き、斬り払う。

 パッ、と。

 赤と緑の液体が舞った。

 ランディの二の腕から、そして彼に襲い掛かった何か――大きな赤鬼の腹からそれぞれに血しぶきが上がった。

 下あごから大きな牙をむき出しにした赤鬼は、苦悶を怒りに変えて、大きく吠えた――地面に転がるも、すぐさま起き上がり、老人の後を追う。

 

「で、お! おっきいゴブリン!」


 キラは夢中になって前に向かって叫んだ。

 紅の騎士がちらりとこちらを見て、馬の速度を緩める。

 するとそこに、腹の底にまで響くランディの叱責がとどろいた。

「そのままだ! 止まるんじゃない!」

 リリィは一瞬戸惑った様子だったが、すぐに愛馬に合図して、足を速めた。

 離れていく紅の背中を見ながらも、キラはどうするべきか戸惑い――悩んでいる暇ではないといわんばかりに、ユニィが指示を待たずに速度を上げた。




 森を出るころにはリリィと並び、心地よく吹き付ける風を感じることもなく、臨戦態勢を整えた。美人騎士に倣って馬を降り、キラは剣を構える。

 と、

「あなたは下がってなさいな!」

 白い剣を手にしたリリィが、キラの目の前に立った。剣が振るえないほどに近くに寄り、身体で後ろへ押し出してくる。

 むっとしたが、言い争っている暇はなかった。


 森からランディと大きな鬼が現れる。彼は追われるような形で、鬼と並んでいた。

 老人は馬に乗ったまま刀を振るい、赤鬼が鋭い爪をたてようと彼に手を伸ばす。

 結果両者ともが血しぶきをあげ――そこでリリィが動いた。


 彼女の動きは目で追えないほど速かった。

 黄金と紅が混じった線となり、老人と赤鬼の間に割って入る。

 とたんに鬼は悲鳴を上げた。

 老人に向けて伸ばしていた腕が、騎士によって切り離されたのだ。

 腕は緑色の液体をまき散らしながら宙を舞い――悲痛なうめき声をあげる赤鬼と共に、ベヒーモスと同じように炎に包まれた。

 そして間もなく、炭となって消えてしまった。


「……すごい」

 キラの目には、二人の姿が焼き付いていた。

 馬を下りるランディは老人には見えず、白銀の剣を鞘に納めるリリィは年頃の女性とは思えない。

 どちらも達人の剣士だということを、まざまざと見せつけられた気がした。


「うむ……少し腕が鈍ったかな、あの程度の魔獣に後れを取るとは……」

 キラが二頭の馬を引いて近寄ると、老人は悔しそうに呟いていた。

 その左腕は、深く切り裂かれ、骨のような白いものまで見えている。右肩もあの爪で貫かれたみたいで、どくどくと血があふれていた。

 キラはふらりとよろめいた。最も親しい人の怪我は、とてもショッキングなものだ。倒れそうなところをユニィが鼻先で受け止めてくれた。


「ランディ殿、今、治癒を……」

 リリィが近づけた手を、そっと払いのけるランディ。

「大丈夫さ。年が年だが……まだまださ」

 目の前で起こった現象に、キラは目を瞠った。

 ふっ、とランディが意気込むと、怪我が見る見るうちに治っていく。

 左腕の深い切り傷も右肩の穴も、どんどん塞がって元の肌を取り戻し、血の跡もなくなっていた。


 リリィにとっても信じられないことだったようで、呆然としてランディの怪我のあった場所を指でなぞる。

「魔法も使えないのに治癒だなんて……信じられませんわ。キラとは全く反対ですわね……」

「ふふ、そう万能じゃないさ。痛みはしばらく続くし、同じ個所が傷つけば治癒もそれだけ遅くなる。失血死の可能性がなくなるのは大きな利点だがね」

「あ、すみません!」

 さっと手をひっこめ、何度も頭を下げるリリィ。そんな彼女を見て笑って許すランディ。

 人間業とは思えないほどの光景を見せた二人が、普通の人にも見られるようなことをしていて、キラは何だかほっとした。


「しかしオーガとはね……予想外もいいところだよ」


 草原の上で炭の塊となった鬼、オーガ。

 確かにキラも、少し思うところがあった。

 一瞬見た赤鬼の目は、ひどく血走っていた。昨日のベヒーモスにしてもそうだ。濁った赤い目という点で、鬼とひどく似通っていた……。

「申し訳ありませんが、調べる暇もございませんわ」

「承知しているよ。支部についたら、なるべく早く小隊をよこすように手配してくれないかな? こうなると村が心配だ」

「そうですわね。――では、直ちに」


 リリィは右耳に手を当てた。

 今まで彼女の美しい金髪に隠れて気づかなかったが、耳に金色の何かが付けてあった。板がぶら下がっているように見える。

 しばらくして、リリィは独り言を言い始めた。少し砕けた口調だ。

「ああ、セレナ、今いいかしら……え? オービットに? まあ、それでも大丈夫でしょう――至急小隊の手配をお願いしたいの。――ええ、もう合流したわ。けど〝グストの森〟が少し異常な状態で……え? ちょっと待って」

「おお……もうここまで……」

 感心しているランディは、彼女が何をやっているか理解できたらしい。

 話をしているようだが、もしかしたら魔法か何かで遠くの人とつながっているのかもしれない。


「ランディ殿、少しよろしいですか?」

 リリィはいったん話し相手にことわり、老人に顔を向けた。

「何かね?」

「わたくしのメイドであるセレナという者が、この道より外れたところにある村で合流したいと申し出たのですが……」

「というと、デフロットの村だね……。もしかして、小隊を率いて来るのかね?」

「ええ、手配はすぐに済むものと」

「ならば断る理由はないよ」


 リリィは礼を言ってまた右耳に手を当て、

「大丈夫よ。――ええ、このままいけば明日の昼頃ね。森の魔獣は妙な点が多かったから、皆に注意を促して」

 それで見えない相手との会話は終了したらしい。

 キラが呆然としてリリィを見続けていると、彼女はにこりと笑って言った。

「〝リンク・イヤリング〟と言いましてね。騎士団のあるメンバーが開発したものですの。本人曰く、〝転移〟の技術を応用したと。詳しいことはよくわかりませんが、転移する対象を人やモノではなく、声にしたのだといっていましたわね」

「へえ……だから遠くの人とも話せるんだ」

 キラも使ってみたいと思ったが、おそらくは無理だろうとも思った。そもそも魔法を使えない人間が、そんな便利な道具を使えるはずがない。


 すると、ランディが少し興奮したように聞いた。

「もしかして、そのメンバーというのは〝三人のキサイ〟のうちの一人かい?」

 だが、

「〝鬼才〟のエマですが……お知り合いでしたの?」

 リリィにそう不思議そうに返され、老人は肩を落としていた。

「ああ……いや。〝奇才〟と呼ばれた友人が昔の王都にいたんだが……違ったみたいだ。まあ、彼は一所にとどまるような人じゃなかったからね」

「そうなのですか……」

 リリィは首をかしげていた。『彼?』と呟いて。

「さ、そろそろ行こうか。もたもたしている暇はあまりないよ」




 辺り一面は草原というやつだった。森の中とは打って変わり、木はほとんど見当たらない。

 視界が寂しい反面、見晴らしがよく、常に風が吹いていて心地よかった。全くの平面というわけではなく、水が波打つように地面がなだらかに隆起している。

 その隆起した丘の間を縫うようにして、三人を乗せた馬が歩いていた。


 歩みはゆっくりとしたもので、キラはこれで本当にいいのかと、少し不安に思っていた。だが経験豊富な老人によると、馬の体力や周りの状況も考えていかないといけないらしい。


「あー……このあたりはやっぱり暑いですわね」

 リリィが馬上でけだるげに呻く。

 彼女の言う通り、曇り空一つないために――そして森とは違って木々が空を覆っていないために、太陽が隠れることなく照り付けて来る。

 じりじりとした日光に風も心なしか生ぬるくなり、それが余計に暑さを際立たせていた。


 キラも同じようにうめきながら裾をパタパタ仰いでいると、隣でリリィが胸当てを外し出した。

 ちらりとそれを見たキラは、今朝の彼女の着替えを思い出し、さっと顔をそむける。

 しかし無意識に視線を戻し――甲冑を外し白いズボンがめくりあげられ、むき出しになった彼女の生足を直視した。


「……キラ?」

「ご、ごめん!」

 リリィが蔑むような目を向けてきていそうで、キラは当分、彼女を見る気になれなかった。


「そういえば、王都はまだ〝砂の時期〟だったかな?」

 三人の中で唯一、暑さになれたようにのんびりとしていたランディが、ふり向きながらリリィに訪ねた。

「ええ。夏には程遠いですわ」

「……砂の時期?」

 気になる単語が聞こえてきたため、思わずリリィをうかがった。

 彼女は特に厳しい視線を送ってはおらず、逆に優しい目でにこりと笑っていた。

 キラはほっと安心して、彼女の言葉に耳を傾ける。


「王都の西側には、大きな砂漠がありますの。これが位置的にも気温的にも不自然な砂漠でしてね、特に名称はないのですが、皆〝不思議の砂漠〟と言っておりますわ」

「砂漠って、砂だらけの……ってことは、王都も砂だらけ?」

 リリィはクスリと笑って答えた。

「そこまで隣接していませんわよ。馬を全力で走らせても二週間以上かかるところにありますから。でも、季節によっては王都が砂をかぶる時期もありますわ」

「それが、〝砂の時期〟?」

「ええ。春期と夏期の間に訪れますのよ。――とはいっても、そこまで極端なことにはなりませんけれどね。洗濯物をあまり外に出したくない程度のものですわ」

「それって地味に嫌だ……」

「ええ。セレナもこの時期になると何度もぼやいていますわ」


 キラはそれを聞いてハッとした。

 セレナとは、リリィのメイドであるという。

 つまりは、セレナという人はリリィのお世話をしているということだ。

 だが今のキラには、メイドよりもリリィの方が世話焼きなイメージがあった。

 ということは、リリィもまた、メイドのセレナに尽くしているのだろうか……?


「うん……うん?」

「キラ? いかがしました?」


 首を傾げ、凛とした美しい声で尋ねるリリィ。

 その上品でかわいらしい姿はお嬢様と呼ぶのにふさわしく、恰好を無視してしまえば、騎士とは到底思えない。

 そもそも、なぜ彼女は騎士なんかやっているんだろう……?

「え、ああ、いや、何でもないよ」

 王都の風習は謎。

 キラはそう結論付けた。



 黒い馬は、その色にもかかわらず、毛並みを青毛と言うらしい。本当に真っ黒で、特に揺れるしっぽが太陽で煌めいて美しい。

 白馬と対をなすその馬は、ぶんぶんとしっぽを振りながら、リズミカルに歩いていた。

 老人もいつになく楽しげだ。昔の弟子の待つ王都へ行くのが嬉しいのだろう。

 ランディが振り返り、にこやかに聞いてくる。


「キラ君。どうだい、森の外は」

「開放的です」


 村ではどこを向いても木があり、森を歩くには低木や草むらや地面から突き出した太い木の根に注意しなければならなかった。

 だがこのなだらかな丘の合間では、そんなことは必要ない。

 どこを見ても青空が見えるし、どこを歩いても木の枝にぶつかることはない。上を向いたまま歩くのだって平気だ。

 森の中とは違って太陽がじかに照り付けてくるが、何より心地の良い風が、キラは気に入っていた。


「ふふ、これからいろいろと体験することになるだろう。戦争が落ち着いたら、国中を旅してみるのもいいかもしれないね」

 戦争……。

 その言葉を聞いて、キラは左腰の剣が重く感じられた。

 ベヒーモスやゴブリン、オーガを思い出し、少し胸がざわつく。


「なに、気負うことはないさ。君は筋がいい。後は実戦を経験するだけだよ」

 キラには、前を行く老人がなぜそう言いきれるのか分からなかった。

 そもそも、彼から剣の稽古を受けたことはない。

 目覚めてから、毎日のように朝から晩まで村はずれの畑の作業を手伝っただけだ。世界の常識などを教えてもらいながら。


「ランディ殿、そのことでよろしいでしょうか?」

「うん、何だね?」

「わたくしはキラのためになると思って旅の同行を同意しましたが、戦争への参加は拒否いたしますわ。ましてやこの状況で剣士など……」

「君はマリア――お母さんに似てだいぶ頑固そうだが……私も自分の意見を曲げることは知らないんだ」

「なぜ、ランディ殿はそこまでキラを買っているんです?」


 キラはオロオロとしてリリィとランディを見比べた。

 リリィのこの雰囲気は、旅の同行を拒否したときと似ている。

 村では英雄を目の前にして緊張していた彼女は、確固たる決意をもって言葉を口にし、その英雄に明確な敵意を向けている。

 だが、キラにはそんな彼女が、なぜだか超が付くほどの心配性な人に思えた。


「……おそらくキラ君と私は、同郷の生まれだ」

「えっ?」

 リリィは敵意の抜け落ちた間抜けな声を出し、キラもぱっと彼を見た。


「ここよりもずっと遠いところ――世界から隔離されたような場所だよ。そんな生まれの少年が、記憶を無くして生きることに迷っている。ならば、同郷の私が、自分の持ちうるすべてを伝え、導いていきたいと思うのは至極当然のことではないかね?」

 ちらりと振り向き、老人の目が見えた。今までにないほど鋭い眼光で、少しでも反対すれば腰の刀で斬られるのではないかと思うくらいだ。


 だが、そんな彼にリリィは、

「わたくしも、見過ごすわけにはまいりませんわ。いかなる理由であろうとも、これだけは譲ることはできません」

 頑固なセリフを言い放った。

 何が彼女をそんなに意地を張らせるのだろうと、キラは思った。

 記憶喪失やら心臓の発作やら、色々とあるが、結局のところ昨日知り合っただけの関係なのに。

 ただ、キラも分かったことがあった。

 リリィであるからこそ、お嬢様なのに騎士となったのだ。



 ランディとリリィはそれからしばらく言いあっていたが、ずっと平行線だった。

 そして日が暮れ、野宿の準備をするころに、老人が妥協案を提案した。

「君とキラ君が試合をするのはどうかね? 彼には純粋に素質がある。騎士として、君も気になるところではないか?」


 つまりは、真剣の勝負だ。

 キラは夜に備えて薪を組みながら、不死身の英雄と美人騎士に見下ろされつつその話を聞いていた。

「考えてみれば、私の思いは私のわがままということもある。……キラ君、嫌と言うならばわざと負けてもいい」

 そう言いながら、老人はキラの隣に座って火種を作ろうとし、するとその反対側に腰を下ろしたリリィが人差し指から紅の炎を薪の山に移した。

「……お言葉ですがランディ殿。素人のキラにわたくしが敗するとでも?」

 薪は細い煙を出し、やがて、リリィが負けず嫌いであることを示すかのように激しく燃え上がる。


「……リリィ君。ここは騎士として平等な方法を取りたいとは思わないかい?」

「と、言いますと?」

「一分間、リリィ君がキラ君に猛攻を仕掛けるんだ。無論、全力で。そうして彼が耐えきれば負け、というのでどうだい?」

「いいでしょう。加えて、魔法を使わないことも誓いますわ」

「よし、決定だ。明日、出立する前を試合時間としよう」

 それから三人は、戦や剣のことをいったん忘れて、夕食の準備に取り掛かった。




 寝ずの番というやつは、リリィがしてくれることになった。

 火を囲むようにして寝ることになったのだが、なぜだか彼女は、キラの傍にいた。

 剣を傍に置き、周りを警戒してはいるものの、時折撫ぜるようにして髪の毛をいじってくる。

 それがくすぐったくて、キラは眠れずにいた。


「キラ、早く寝ないと体に悪いですわよ」

 髪の毛いじるのをやめろ、とは言えず、キラは、

「し、心臓がドキドキしちゃって眠れないというか……」

 冗談交じりに軽い口調で言ってみた。


 すると、

「大丈夫ですか?」

 と、心配そうに背中をさすってくる。

 どうやら言葉の意味を間違えられたみたいだ。

 冗談だというのもどこか違う気がして、キラは話題を変えてみることにした。


「そういえば、リリィはなんで騎士に?」

「おかしいでしょうか?」

「いや……ただ、純粋に。聞いてみたくて」

 リリィは背中を撫でる手を止めないでいる。

 もういいと言おうとしたが、胸の違和感が全くないことも確かなので、キラは感謝しながら撫でられていた。


「……騎士を目指したのは、お母様が騎士だったからですわ」

「じゃあ、騎士の一家なんだ」

 ランディがリリィと初めて会ったとき、『二人の弟子の娘』と言っていた。父親も騎士なのだろうことは、キラにも分かった。

「ええ。お父様もそうですけど、お母様はわたくしの一番の自慢でしたわ」

 ……〝でした〟?

 その言い方に、キラは疑問を抱いた。


「でもある時、お母様は亡くなりました。わたくしのせいで」


 背中を撫でる手が緩み、止まった。目をつぶっているからリリィの表情は見えなかったが、きっと悲しそうな目をしているに違いない。

「すみません……少し話が飛んでしまいますが、王国と帝国の関係はご存じで?」

「ん……王国と帝国は仲が悪い程度は」


 隣り合うレピューブリク王国とアレマニア帝国は、水と油のように関係が悪い。

 その歴史は古く、もう五百年もいがみ合っている状態だ。ここ二百年にいたっては、数年に一度の頻度で戦争が続いているという。

 〝不屈の戦争〟。どちらも自ら屈することがなく、それどころかだんだんと過激になっているためにそう呼ばれているのだと、ランディに教わった。


「ランディ殿――〝不死身の英雄〟が〝不屈の戦争〟で初めて名を挙げたのが、もう五十年以上も前と聞いていますわ。そして、それから三十年、王都は〝絶対不落の都市〟と呼ばれるほどになりましたのよ」

「すごいね……」

「でも、ランディ殿がいなくなってから、ガラリと状況が変わってしまいましてね。英雄がいなくなってからの二十年間、王都は幾度か帝国に侵略されていますの」

「え……じゃあ今は帝国の手に……?」

「騎士団がいる限り、そんなことは決してさせませんわ。けど、七年前の侵略の折、王都内部まで侵入されてしまいましてね。その時にはわたくしも見習いの騎士としてお母様と共に参戦したのですが……」

 リリィのかすれた声の先は、聞かなくともわかった。


 背中を撫でる手を止めた彼女は、今度は頭を撫でてきた。

「きっとランディ殿は、キラに英雄になってほしいのですわね」

「僕が英雄……?」

「あの方が王都からいなくなった理由は、奥さまをグストの森で亡くされたから。でも、王都を去る際にはとても苦悩されていたと、お父様から伺いましたわ。王都と村を天秤にかけるしか選択肢がなかったのが、相当に悔しそうだったとも」

「そっか……」


 確かに、あの老人がいるから村が安全だ、という漠然とした感覚があった。村の皆も『村長がいるなら』『ランディさんがいるなら』と言っていた。

 そして実際に、キラもランディに命を救われた。


「……リリィはちょっと間違えたかもね」

「え……?」

「そんなことを聞いたら、剣から手を引く理由がなくなるよ」

「……あ」

 キラは軽い口調で、しかし決意を込めて言う。

 記憶と共に何もかもを失った自分に、老人はいろんなことを教えてくれた。

 ならば今度は、恩返しをしなければ。


「言っておきますが、わたくしは反対ですからね。こんな体で……」


 キラはそういうことかと思いながら、リリィの優しい手つきに身をゆだねて、眠りについた。



   ●      ●      ●



 腕を枕にし、ぱちぱちと燃える炎に背を向けていたランディは目を開いた。

 自分にとってはまだまだ未熟な騎士と少年の会話は、気恥ずかしいものであると同時に、胸に突き刺さるような鋭さを持っていた。


「やはり……私は間違いだらけだな……」


 夜空に浮かぶ綺麗な満月には、老人の心を移すように、徐々に雲がかかっていった。



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