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45.自意識

 暑い……。

 ベッドで直に日差しを浴びながらキラが目を覚ましたのは、意外にも早かった。気絶して一時間後――太陽が頂点に上り、傾き始めた時だった。

 上半身を起こし、目をこする。手も顔も、じっとりと汗ばんでいた。あいた窓から風が吹き込んでくるが、身体を包む暑さは全く消えない。

 無意識に胸元を仰ぎ、寝ぼけた顔であくびをして――なぜ寝ていたのかと首を傾げた。


「……なんで?」


 その理由どころか、寝る直前まで何をしていたのか分からなかった。ランディから剣を貰い――それに見入り――ユースに外に連れていかれて……。それから……?

 憶えていない・・・・・・というよりも、思い出せない・・・・・・。もやもやとした光景が浮かんでは消えて、その全景がつかめない。何かを憶えているとしたら……。

「剣……?」

 単語たった一つが、胸の違和感を招いた。身体の中心が、トクン、トクンッ、と自分のものではないように――まるで誰かに心臓を握られ、圧迫されているかのように――蠢く。

 うめき声を漏らしそうになり、しかしそれを何とかこらえようとして、奇妙な深呼吸を繰り返す。嫌な汗が、だらだらと出ていく――熱くて暑くて――身震いがする。


「ああっ、お兄ちゃん!」


 少女の驚いた声が耳をついた。それから間もなくして、背中が暖かくなる――相変わらず、全ての不安を吹き飛ばしてしまうような、異質の暖かさだ。同時に、優しい手つきで背骨に沿うようにして撫でて来る。

「ありがとう……もう大丈夫」

 無論、キラはユースが何をしているのか即座に理解し、俯き深く呼吸を繰り返しながら言った。

 が、少女は耳を貸さず、むしろベッドに上がりこみ看病をつづけた。ほとんど抱き付くようにして、背中をさすり、治癒魔法をかける。

 その厚意に甘えていると、また違う声が聞こえた。ランディのしわがれた声だ。いつの間にか帰ってきていたらしい。

 顔を上げると、老人が丸テーブルを引きずり、寄せてきた。ベッドに座っていても机に手が届くぐらいに近づける。

「食欲はあるかい、キラ君?」

「あんまり……」

「ん、そうか。なら……コーヒーはどうかね?」

こーひー・・・・?」

「うむ。食欲促進の効果があるからね。もしかしたら、食欲が出るかもしれない」


 ランディの言葉を引き取るように、後から部屋に入ってきたエーコが、手にしていた盆の上からいろいろなものをテーブルの上に並べていく。受け皿つきのコップにポット、白い何かが詰まった瓶――液体のものと砂のようなものだ――が二つスプーンと共に置かれている。

 次々と目の前に置かれるそれらが気になり、キラはユースの看病もそっちのけに、ベッドの端に座ってじっと見る。少女は「あっ……」と残念そうな声を漏らしながらも、隣に並んだ。

 エーコはキラの視線を感じたのか、微笑みながらポットをコップに向けて傾けた。すると黒い液体が注がれていく。もわっと湯気が立ち、咳き込むほどに濃い香りが漂ってくる。


コーヒー・・・・……?」

 キラはもう一度呟いて、首を傾げた。

 隣で寄り添ってくれている少女が、楽しそうに教えてくれた。

「すっごく苦い飲み物だよ。でもお砂糖とミルクを一杯に入れるとおいしくなるの!」

 エーコが瓶に入っていた砂状の物体――砂糖を入れる。ぽとん、と高い音ののちに小さな泡をたてて、黒い液体に消えていく。

「苦いのに?」

「うん! あ……見てて」

 続けて、エーコは瓶の液体――ミルクをスプーンで一掬いする。キラもユースも、身を乗り出して、黒一色の水面を覗き込んだ。

 匙から垂れた白い一滴。その一滴だけでは黒い一面に呑まれて何の変化も起きなかったが、二滴三滴と続き――白い塊となってかき混ぜられると、あっという間に淡い褐色へと変化した。むせるほどに濃い香りも、緩まった気がする。


「どうぞ、キラ君。熱いから気を付けてね」

 キラは注意しながら取っ手を持ち、口を近づけた。

 揺らすようにして少しだけ飲む。それだけで、お茶とは違うコクのある味わいが口の中に広がった。ユースの言う通り、苦味などはほとんどなく、まろやかで舌触りが良い。

 もう一口――ほう、と息をつく。と、じんわりとお腹が温かくなってきた。次第に体中が熱くなり、ついには汗が噴き出してきた――暑い。

 すかさず、ユースが汗を拭いてくれた。

「ゆっくり飲むといいよ。一気に飲むと暑くてたまらなくなる。――エーコ、私のも頼む」

 エーコが台所のほうへ行くのを目で追いながら、キラは受け皿にコップを置いた。


 老人を見やると、彼も娘の後ろ姿を見つめていた。だが目はぼんやりとしていて、何か考え事をしているだろうというのが分かる……。

 『はずれの畑』で、ウルフェンに襲われる前に見せた難しい表情と同じだった。

 あの時はランディが何を考えているのか分からなくて、少し恐ろしかった。いまも分からないという点では同じだが、彼がいったい何を思っているのか、知りたい気がした。

 問いかけてみようと口を開きかけ……、

「ねえ、お兄ちゃん」

 面白い顔をしている――何かわくわくしている顔だ――ユースが、腕を揺さぶってきた。

 キラの視線を独占したことが嬉しいのか、にんまりとした顔のまま、手を上げ指を振る。


「熱いコーヒーを冷たいコーヒーにしてあげる!」

 ほら、と指を指した先は、コップの真上だった。

 すると、その何もなかった空間に、何かが――そうと形容するしかない、もやもやとした形なきものが――集まり始めた。

 その何かが徐々に塊となり始め――透明な氷となった。小ぶりなそれが、ユースの合図によってぽちゃんとコップの中に落ちる。

 ユースはもう一つ氷を生み出して落とし、得意げな顔をして見上げてきた。息が上がり、疲れているようだ。

 声を出さずにじっと見つめてきている少女が、何を考えているのか手に取るようにわかり、キラは彼女の頭を撫ぜた。

「魔法、すごいね。ありがとう」

 少女は満面の笑みを浮かべ、そしてキラも、頬をゆるませ微笑んだ。コーヒーを手に取り、口をつけると、先ほどとは打って変わって冷たくなっている。小さくなった氷が唇に当たって気持ちいい。


 キラはカップを遠ざけ、褐色の水面に映る自身を見つめた。

「僕もできるかな……」

 それはかすれるような独り言だったが、耳ざとい老人には聞こえたらしい。しわがれた静かな声は、いやに抑揚がなかった。

「残念ながら、君は私と同じだ……。魔法は使えない」

 ぱっと顔を上げると、その衝撃でちゃぷりとコーヒーが波打った。褐色のしぶきが指にかかるが、そんなことは気にしていられなかった。

 エーコも、ユースも魔法を使ってみせた。

 あの不気味な村人たちも、井戸に向かって指を振り、水の塊を持ち上げていた。遊び回っていた子どもたちも、きゃっきゃと騒ぎながら、半透明の空気の塊を飛ばし合っていた。どれもこれも、魔法だったのだろう。

 だというのに、なぜ……?


 老人はキラの視線を受け止め、優しく微笑むでも困ったように眉を寄せるでもなく、ただただ無感情に――なるべく感情を抑えて――口を開いた。

我々・・は……いわば理から外されているんだ」

「われわれ……ことわり……?」

「そう。例えば――ユース」

 キラの隣でおろおろとしていた少女は、突然自分の名前を呼ばれたことにびっくりしたらしい。ぴんと背筋を伸ばして、祖父をまじまじと見た。

「私たちの足元……地面に対して、何か感じるものがあるんだろう?」

「え……うん。水みたいなものが――こう――うねっている感じがする」

 ユースは言葉を詰まらせ、首をかしげながらも、懸命に言葉をつなげた。

 恐る恐るといった風に見上げてくる少女に対し、キラは困惑していた。地面に何かがあるなど、思いもしなかった。

「村の子供たちもみんな感じていることだ。言うまでもなく、大人たちも……。この村でその感覚が分からない――知らないのは、私とキラ君の二人だけだよ」

「でも……」

「確かに君は記憶喪失で、体調も万全とはいえない。……しかし、ウルフェンから逃げ回り、それどころか一匹は撃退したんだろう? 寝起きで・・・・そんな芸当が出来ておきながら、魔法は全く使えない――大地に眠る〝マナ〟を感知することが出来ないなんてこと、ありえないよ」


 キラは呆然とした。それと同時に、恐ろしくなった。

 どんどんと『自分』というものが分からなくなっていく……。記憶喪失で名前さえも教えて・・・もらったのに、本来は効くはずの治癒魔法もほとんど恩恵がなく、さらには魔法自体が使えないという。

 しかも、時折襲う胸の違和感。

 自分はいったい何者なのか……? 本当に、他の人たちと同じ人間なのか……? 普通であってほしかったのに……。

 底なし沼に引きずり込まれる――そうしておきながら、暗く狭いところに押し込まれるような感覚がした。

 吐く息が冷たくなり――全身が凍え――手からコップが滑り落ちる。

 だがそれを、ユースが救ってくれた。

 落ちゆくコップとコーヒーに指を突き、すると、重力に逆らうように浮き始めた。こぼれたコーヒーはコップに収まっていき、ぷかぷかと浮かんで机の上に静かに置かれた。

 そして少女は、何も言わず、ぎゅっと抱き付いてきた。膝の上に乗り込み、顔を胸にうずめて来る。

 キラは腕の中に出来た体温に、ほっと安心した。身を縛る恐怖が、少しずつとけていく。


「うむ……。また迂闊だったね……厳しいとは思ったが、君を責め立てたわけでも、ましてや落ち込ませようとしたわけでもないんだ。……すまない」

 老人は、そこでようやく穏やかな――しかし引きつった――笑顔をみせた。もぞりとキラの腕の中で動くユースをみて、びくりとしている。

 重苦しいため息をつき、ランディは言いづらそうに言葉をつづけた。

「だが……現実的な問題として、君が魔法を知らないというのは非常にまずい。好む好まないに関係なく、この理は常に我々に降りかかってくるんだ……時に猛毒を含む牙となっていね」

 キラは腕の中の症状の背中に手を当てつつ、こくりと頷いた。

「さて……何から教えたものか……。困ったことに、自分が全く使えないもののことを憶えるのはひどく難しい――というよりも、単純に辛い。……私も経験したが、何とかして使いたい欲求が出て来るんだ……」

 ランディは深くうつむき、黙り込んだ。口の何か早口で呟いている。


 そのうちにキラは、少女をもう少し抱きしめてみた――ユースもそれに応えて、抱き返してくる。

 まだ沼の底に引きずり込もうとするかの如く、気だるいものが巻き付いている感じがしたが、凍り付いたような身体は徐々に温かいものに包まれていった……。とても心地よい。

「お兄ちゃん。コーヒー、飲んだら?」

 耳元にかかる幼い声と息がくすぐったくて、キラは少女の身体から少し離れ――申し訳なく思った。

 目が合うと、ユースは祖父と同じように穏やかに微笑んだが、その額や頬には汗が流れていた。顔全体が火照っているのか、赤くなっている――耳にかかった息もとても暑かった。

 すぐに、体を密着させていたからだと悟った。キラも、今更ながらに額に汗が噴き出てきた。


「ユース……ごめん――」

 少女はキラの言葉を遮るように、再度抱き付いてきた。

 慌てて引きはがそうとして――なぜだか全く彼女の体温が気にならないのに気が付いた。どころか、肌寒くなっている気がする。

「魔法はね。人のために使うものなんだ」

 ユースは頬をすり寄せ、静かに呟いた。そこではっきりと、彼女自身が冷えているのだと分かった。

「誰かが苦しかったら、それをどうにかしてあげるの。お兄ちゃんに治癒魔法が効かなくても……こうやって私が『冷たくなる』ことで、お兄ちゃんが私に甘えられるようにすることが出来るの。お兄ちゃんが傷ついても、その痛みで苦しまないようにする方法はたくさんあるんだよ……」

 少女の言葉の最後は、震えていた。彼女は自身が冷えることで、『冷たく』なっているのだ。

 キラは急激な喪失感を憶え、ギュッとユースをかき抱いた。すると、少女はとてもうれしそうに笑っていた――寒くはなるが、平気らしい。


 そんな彼女に、少し聞いてみたくなった。

「ユースは……魔法が使えなくなったら、嫌?」

「ううん、全然。だって、必要ないもん」

 黒髪の少女は、少しの間キョトンとした顔をして見つめて、そして朗らかに笑いながら言った。

 キラにはそれがなぜだか・・・・意外に思えた。

「何で? 人のために使うって……」

「魔法がなくても、誰かのためにできることはいっぱいあるもん。魔法が大切なんじゃなくて……えっと……」

 ユースは続けようとしたが、上手く言葉が続かないらしい。うんうんと首を傾げ、もどかしそうにしている。苛立たしさからか、抱き付いてくる力が強くなる。

 なんとなくではあるが、何を言いたいのかはわかった。

 きっとユースは、突如として魔法が使えなくなっても、傷ついた人たちを何とかしようとするだろう。

 少女はモヤモヤを振り払うかのようにぶるぶると頭を振るい、睨み付けるように見上げてきた。


「ともかく! 魔法が無くなっても困ることはない――と思う――んだよ! だって、それをおじいちゃんが証明しているもん」

「……どういうこと?」

 キラはちらりとランディを窺う。うつむき考え事をしていた老人は、顔を上げて、優しげな眼で孫娘を見ていた。

 そんな祖父の様子には気づかず、ユースは熱を込め、そして力強く語る。

「おじいちゃんは物知りだし、何でも魔法なしでやってみせるの。戦いだってそう! とっても強いんだよ。ほとんど刀だけで村を守っちゃうもん。だって、この前だって――」

 少女が祖父のすごさをとうとうと続けようとした時、扉の向こうから叫び声が聞こえた。台所からだ。続けて、水を床にたたきつけたような音がする。


 キラもユースもランディも、驚いて扉を見つめていると、音を立てて少しだけ開いた。エーコが、顔だけをのぞかせてくる。

「あ、はは……ごめん、お父さん。コーヒー、こぼしちゃった……」

「なんだ、そんなことか。びっくりするじゃ――」

「あと、桶も倒しちゃった……。お皿洗いをしたあとの灰と油まみれの水……」

 エーコが扉を全開にする。彼女の身体越しに、台所から食卓――そして玄関付近にまで、灰色の水が流れていくのが見えた。

「それは……困ったな……」

 あまりの大惨事に、さしもの老人も固まった。言葉が詰まり、唖然としている。


 誰も何も言えない中、キラの腕に抱かれていたユースがぴょんと飛び出ていった。腕の中の冷たさが消えて寂しくなると同時に、夏期特有の暑さで全身から汗が噴き出る。

「お母さん、私が手伝ってあげる! ――お兄ちゃんも手伝う?」

 きっと、片づけに魔法を使うつもりだ。そう思うと、その様子を見てみたくなり、キラは腰を浮かしかけたが、

「すまない、ユース。おっちょこちょいな母さんの手伝ってやってくれ。やはりキラ君には、色々と教えることがあるからね」

 老人がそれを制し、口をはさんだ。穏やかだったが、反対できないような雰囲気があった。

 ユースはしょんぼりと肩を落として、母親のあとについて部屋を出ていった。

「キラ君。君はこれからのために、学ばねばならないことがたくさんあるんだ」

 そんな孫を申し訳なさそうに見送ってから、ランディは真剣なまなざしを向けて言った。

「これから……?」

「そうだ。生きるためには、知恵をつけなければね」


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