43. 〝グストの村〟
『はずれの畑』でウルフェンに襲われた翌日。
「朝起きたときはね。『おはよう』っていうんだよ」
キラはねむけ眼でユースに向かって頷いて見せた。つづけてもごもごと口を動かすが、その小さなつぶやきはかすれてつぶれてしまった。
小柄な少女も同じように、ベッドの上で眠そうな目をしている。そのためか、まるで声なき声を聴いたかのように、コクリと頷いた。
「昨日言い忘れたけど、寝るときには『おやすみなさい』」
「……なんでそんなこと言うの?」
そこで、キラはあくびをした。少女もつられて大きくあくびをした。
「う~ん……挨拶だから?」
「あいさつ?」
「うん。挨拶は人と人をつなぐものだって、おじいちゃんが言ってた。……あれ、〝挨拶〟じゃなくて〝言葉〟だったかな?」
人と人をつなぐ……。
キラは本槍とした頭の中で繰り返し、じっとユースを見つめた。うちまた座りで、ほとんど膝をくっつけるようにして寄ってきている――再びあくびをして、無防備に目をこすっている。
思い返してみると、この小柄な少女は話すたびに反応を示し、態度を変え、距離が近くなっていった。
昨夜は、一晩中ベッドの中で寄り添ってくれたのだ。傷の手当のあと、再び体の中心で何かが暴れ出し、眠るどころではなかったところ、ずっと背中をさすってくれていた。
これがその結果ということだろうか……?
「ありがとう」
そう思うと同時に、キラは自然とその言葉を口にしていた。
が、どうやらユースには唐突すぎたようで、疑問符を大量に浮かべて首をかしげていた。
「背中をさすってくれて。よく眠れたよ」
キラは無表情に、かつ濁った瞳で言った――硬さと無感情さが取れた声音で。
「えへへ。よかった」
嬉しそうに笑う少女は、とても可憐だった。
ランディ家は四つの部屋で構成されている。
一つはキラが占領しているランディの部屋。他にランディが一時的に寝室として使用している客間、エーコの部屋があり、この三つのどれもが中心の部屋である居間につながっている。村の家屋のなかでは、豪邸といえるつくりだった。
居間は食卓であると同時に団欒の場でもあり、常に和やかな雰囲気が漂っていた。
真ん中に長方形のテーブルが据えられ、一辺にランディとエーコが、その真向かいの一辺にはキラとユースが並んで座る。四人が腰を落ち着け、会話と共に食事を始めたのは、エーコがせわしなく台所を行き来した後だった。
目玉焼きとベーコンの乗った丸いパン、ゆで卵が二つにコーンポタージュ。それが朝食だ――何一つ、どれがどういう味をしているのかさっぱりわからなかったが。
キラは三つの皿を見て――いいにおいを感じて、胃の底が蠢くのを感じた。
思えば、目覚めてからろくな食事をしていなかった。起きた直後――薪割りに魅了された後の昼食は、起きたばかりということもあって野菜を煮込んだ薄味のスープのみだった。夕食にいたっては、ウルフェンの襲撃で気を失ったために逃してしまった。
エーコが皿を並べてくれるまで、腹が鳴りっぱなしだった。
無意識に、まるで幽霊のごとく手を伸ばす。すると、ぺしっ、とユースに手を軽くたたかれる。
「食べる前には『いただきます』だよ」
「ああ……そうだった……。いただきます」
キラは隣のユースが――彼女は必要以上に椅子を寄せてきていると思う――手を合わせるのを見て、同じように手を合わせた。
手始めに、コーンポタージュの注がれた木皿にスプーンを入れる。
昨日の野菜スープとは違う、濃厚でまろやかな味わいだ。思わず感動して黄色く染まったスプーンを見つめていると、エーコが苦笑しながらぼやいた。
「『いただきます』って手を合わせて食事を始めるのは、この村だけなんだけどね」
これは朝からいろいろなことを教えてくれたユースも知らなかったらしく、真ん丸な目をさらに丸くした。
「そうなの?」
「そうよ。もともと、おじいちゃんが言い始めたことなの。聖母様か、あるいは神様に祈りの言葉をささげるのが普通なのよ。……ここには教会はないけど」
「ほんとにほんと?」
「お母さんもおじいちゃんについてデフロットの村とか他の村とか、王都まで行ったことあるけど、どこも『いただきます』の一言で終わらせてなかったわよ」
それをじっと聞いていたらしい老人が口をはさんだ。穏やかな表情ではあるものの、声には苦々しい思いが含まれていた。
「……常々思っているが、聖母様はともかく、神に感謝して何になる? この食事は神が与えてくれたものではあるまい。与えてくれたのは、豚と鶏と植物だ」
「そんな屁理屈……。異教徒にでもなったつもりなの?」
「教徒でも異教徒でもない――神を信じていないだけだ」
まるでそれが禁忌だったかのように。老人が言いきった直後の空気は、異様だった。しんと静まり返り、すべての音が掻き消えた。
エーコやユース、キラでさえもその妙な雰囲気にのまれてしまい、押し黙った。スプーンを動かす手が鈍くなる。
ただ、ランディだけは何の変わりもなかった。変わらず穏やかで、変わらず落ち着いている。
「ああ、そういえば」
老人が生み出した空気は、再度老人によって上書きされた。
止まっていた時間が動き出し、さらさらとした木の葉のさざめきが風に乗って届く。
「礼を言うのを忘れていたよ」
「……?」
キラは何のことか見当がつかず、首を傾げた。
「ユースを救ってくれて、ありがとう」
お礼は何度も言ったが、言われるのは初めてだった。
なんといって返していいかわからず、キラは目をきょろきょろさせて戸惑い――少ししたのちに、こくりと頷いてコーンポタージュを口にした。
いまだに表情はなかったが、ひくりと頬が動いた……。
「一応、ユニィがついているから大丈夫かとも思ったんだが……。いやはや、うかつだったよ。反省しなければ」
「たっぷり反省することね、お父さん。大体、連れていくのが間違っていたのよ。キラ君はもちろん、ユースだって。しかも剣も持たせないなんて……」
エーコの鋭い言葉には反論する気も起きないらしく、娘に怒られた父親はしゅんと肩を落とした。ピリピリとした空気が漂う。
キラは再び変わった雰囲気を敏感に感じ取って、食べようとしていたパンをそっと置いた。代わりに、顔を隠すように麦茶の入ったコップを口元に持っていく。
そのやりとりを落ち着かない様子で見ていたユースは、老人の深い反省に心を痛めたらしく、母親に食ってかかる――とはいっても、声を抑えた甘噛みのようなものだったが。
「でもね、お兄ちゃんのことがいっぱい分かったから、よかったと思う。それに、すごかったんだよ! ウルフェンをスコップでズバーッて」
「それは昨日何度も聞いたわよ」
エーコは苦笑し父親への追及をやめた――が、パンに手につける前に、立ち上がった老人をひとにらみした。ランディはそれを気にも留めず、すごすごと寝室のドアを開ける。
ぴりりとした空気が無くなったことで、キラは再びパンを手に取った。目玉焼きとベーコンとを一緒にかじり取る。塩コショウが程よく効いていて、パン自体にも味が付いている……とてもおいしかった。
「ねえ。剣ってなに?」
無心で頬張り、ひと心地着いたところで、キラはユースに聞いてみた。
少女は口の周りについたコーンポタージュを手でぬぐい――母親がその仕草をたしなめ、綺麗な布巾でふき取った――、妙に目を輝かせて答えた。
「武器だよ。ウルフェンをやっつけたり、村に来るのを追い払ったりするの」
「武器……」
何か、頭の中で引っかかるものがあった。
「私もね、おじいちゃんに鍛えてもらってるんだ。筋がいいんだって!」
「ユースはまだ剣に振り回されてるでしょう?」
「大きくなったら平気だもん。お母さんよりも腕があるって言ってたもんっ」
「う……確かに、否定はできないけれども」
母娘が言いあいながらも、楽しそうにする。
そこへ、ランディが何かを持って戻ってきた。まだ朝食の残る自分の席ではなく、キラの隣に立つ。
「キラ君、これをきみに。昔、私がずっと愛用していた剣だ。ずいぶんとこの家の守り神となっていたが……。ユースを助けてくれたお礼も含めて、受け取ってくれるかい。――きっと、これから必要になる」
ランディが持っていたものこそ、剣だった。黒いなめし革が鞘となって刀身を覆い、一部分――刃の根元と剣先だ――が銀色の輝く金属がはめられている。鞘から突き出た鍔と柄も含め、無駄な装飾や文様はなく、質素ななりをしていた。
だが、老人の孫と娘には、全く違って見えるらしい。口を開けて驚いていた。
「おじいちゃんの大切な剣……」
「お、お父さん、本当にあげちゃうの? だって、それは――」
エーコがすべてを言い終える前に、ランディはキラの手に半ば強引に剣を押し付けた。
ずっしりとして、重い。取り落しそうになるところを何とかこらえ、キラは両手で持ってみた。
まるでそれが当然であるかのように――そして、どう扱うかを知っているかのように、キラは慎重な手つきで少しだけ鞘から剣を抜いた。
最初に、剣の刃が目についた。磨き抜かれた表面はキラの顔を映し、きらりと輝く。少しでも触れれば切れてしまいそうに鋭かった。
剣腹は傷だらけで、刃とは打って変わって、煌びやかな銀色を鈍いものにしている。
「アーサー・ペンドラゴン――自称〝不可能を可能に変える男〟。世界の頂点に君臨する鍛冶職人が作ったものだ。だからその剣は特別でね、滅多なことでは刃こぼれが生じないんだ。彼曰く、彼が打った残り十一本の剣以外では傷つけることもできないそうだ」
過去を懐かしむように、ランディは説明した。
キラにはその言葉の半分も理解できなかったが、熱意のこもった老人の声が耳にしみこんでいくたびに、手の内にある剣に見入った。柄を握る手に力が入る。
老人はその様子に目を細めて微笑み、ゆっくりと自分の席に戻った。
かたん、と椅子が鳴るのが合図だったように、ユースが背中から抱き付いてきた。肩越しに、一緒になって剣に見入る。
「ところで、私はこれからデフロットの村に行ってくるよ。少し急な手紙を出さなければならなくてね。エーコ、何か足りなくなったものはあるかい? ついでに買ってくるが」
「定期商人が来るのはまだ先よね?」
「あと……十日ほど待たなきゃならないね」
「じゃあ……お砂糖とお塩。それから、バターと卵と小麦」
ランディはエーコの言った品物を繰り返し呟き、
「よし、では行ってくるよ。――ユース、キラ君を頼むよ」
「任せて!」
満足そうに頷いてから、家を出ていった。
まじまじと。ランディから貰った剣を観察する――今度は鞘から抜き放って。突然の行動だったためにエーコに怒られてしまったが、そんなことは気にならないほど見入っていた。
柄に手が吸い付いてくるようだ。その感覚を――握り、振るい、敵を打ち払う感覚を――キラは知っていた。身に覚えがないはずなのに……。
なぜ知っているのか知りたくて、剣に問いかけるようにみつめる。
「キラ君。もう一回注意しておくけど、この剣は――確か、『エクスカリバー』だったかしら――特別鋭いの。慣れないうちは――というより、怪我が治らないうちは抜かない方がいいわ。危ないもの」
再度厳しい口調でそう言われ、キラは渋々剣を元に戻した。カチン、と金具が響く音が心地いい。
特にすることもなく、何気なくエーコの動きを観察する。
彼女は台所の流し台で、食器を洗っていた。頭上には頭ほどの大きさの水の塊がいくつも浮いており、ぬれた指で一振りするたび、その手元へと移動する。
この不思議な光景に目を奪われたキラは、無意識のうちに立ち上がり、エーコの隣に並んだ。彼女の手元を覗き込む。
流し台に移動させた水の塊の中に、木製の皿が突っ込まれていた。汚れを幾度かすすいで、水の塊から食器を出す――塊はふいに液体となり、流し台に流れていく。隅にあけられた穴から、さびた金属の管を通り、台の下に置いてあった桶に溜まっていった。
エーコはもう一度指を振った。すると今度は、どこからかこぶし大の灰の塊が漂ってきた。それを一回、二回、三回と摘まんでは皿に振りかけ、灰まみれにする。
「ん? どうしたの?」
先ほどとは打って変わって、エーコが優しげに問いかけてくる。
「何やってるの?」
「お皿を洗ってるのよ。こうして灰で汚れを落として、水洗いすれば――。ん、これでよし」
再び水の塊が覆い、流れていった後に露わになった皿は、一つの汚れもなかった。
「その塊は? 何で浮いてるの?」
「〝水玉の魔法〟よ。私が浮かしてるんだけど……他にも……。たしか……そう、『魔力でかたどった不定形の物体は、別の物体に触れない限り、地中にたまっている高濃度のマナと反発し合うから』だったかな?」
「……わからない。そっちは?」
「私も分かってないから大丈夫よ。これは〝集結の魔法〟。『はずれの畑』で抜いてもらった雑草を燃やして灰にして、それを集めたの」
エーコはにこりと微笑みながら、次の皿に取り掛かった。水の塊が移動し、皿が洗われ、灰まみれになる……。
キラはそんな光景を目にして、うずうずしていた。死人のような不気味な瞳に純粋な光が差す。
「……僕にもできるの?」
「え? う~ん……」
エーコは困ったような顔をして、表情を曇らせた。
「出来ると思うんだけど……魔法のことは、お父さんが教えるみたいよ。でも……」
「でも?」
「魔法が使えないの、あの人は。確かに戦いに関しては適正だろうけど、〝水玉の魔法〟みたいにちょっとしたものなら、私やユースのほうが断然わかってるのに……」
魔法の使えない可能性もある……。
そう考えると、嫌な予感がした。頭の中で言葉が飛び交い、キラは知らぬうちに落ち込んでいた。
後ろから服を引っ張られ、ふり向いた。ついさっきまで、母親と一緒に寝ている寝室に引っ込んでいたユースだ。
彼女の格好は、さっきまでとは変わっていた。それまでキラと同じように紺色の上着に麻色のズボンだったが、今はそれに加えて、ひざ下まであるブーツをはき、腰には黒色のベルトを巻いて剣をさげている――剣先は小柄ゆえに床についていた。胸と腕には、簡素な子供用革鎧をつけている。
少女は自信満々に、目を輝かせて胸を張って言った。
「剣の修業を見せてあげる!」
「修行?」
「うん! おじいちゃんから剣を貰ったんだから。……いや?」
ユースは途端に自信をしぼませ、伏し目がちになって声を落とす。
キラは無意識に、そのサラサラとした黒髪に指を通しながら、ゆっくりと横に首を振った。そして、嬉しそうに見上げて来る黒い瞳を見つめながら、そっと呟いた。
「見てみたいよ」
少女は頬を赤くして喜び、はにかんだ。手をぎゅっと強く握ってきて、ぐいぐい引っ張る。
「早くお外行こう!」
たたらを踏むキラの背後で、エーコが慌てた様子で声を張っていた。
「あ、ユース。キラ君に無茶させちゃだめよ!」
「わかってるよー!」
〝グストの村〟は他の村よりも小規模である。深い水脈につながる井戸のある広場を中心として、三十にも満たない簡素で小ぶりな家々――一間で食事をし、寝て、村の中で当てられた作業にいそしむのだ――が並んでいる。家畜の世話を担当する家は、自分の庭ともいえるものをもっているが、それも隣家と共同であることが多い。
円形に整えられたこれらを、先のとがった丸太の外壁が囲っている。一分の隙もなく、しかし、一か所のみ人や馬や馬車が通る出入り口としてくりぬかれている。門というには小さすぎるそこには、見張りをつけるのが常となっている。
この門の真正面に位置するのが、ランディの家だった。馬小屋付きの、合計で四つの部屋を備える家は他を圧倒し、村長としての権力や発言力を象徴していた。
キラがユースと共に家を出ると、明るく輝く太陽のもとで村が活気づいていた。
広場では朝早くから元気な子供たちが駆け回り、あるいは主婦たちが井戸で水を汲み、あるいは家畜――羊や牛、そして馬だ――を追い立て横断している。広場の端では、非番の男たちが二人一組になって剣の修業にいそしんでいた。
「あ、ユース! おは、よう……」
奇声にも似た声を上げてはしゃぎまわっていた子供の一人が、ユースに気づいて声をかけた。が、何かいけないものを見てしまったかのように、尻すぼみになる。先ほどまで元気だったのが嘘のようだ。
それは子供から子供へ、大人にも感染していき、活気があった村は急に静かになった。
すべての目が――男に連れられた家畜までもが――小さな針となって、キラを突き刺す。
キラは居心地が悪くなり、助けを求めるようにユースを見た。
「みんなに挨拶しなきゃ。『おはよう』だよ」
「うん……」
頷いたものの、顔を上げて村の広場を見渡すと、口を閉ざしてしまう。誰もが、嫌悪のまなざしを向けているような気がしたのだ。
すると、キラの緊張を感じ取ったユースが、率先して声を上げる。
「おはよう! このお兄ちゃんね、昨日、私を助けてくれたんだよっ」
子どもも大人も老人も、少女の言葉にあいまいな反応を示した。受け入れるか受け入れまいか、決めかねているようだ。
ユースにつつかれて促され、キラも重い口を開いた。
「おはよう……」
消え入るような声だったが、辺りは静かで、広場の皆には聞こえたはずだった。
が、誰も何も返さない。隣人とこそこそと言葉を交わす程度だ。皆奇妙な表情をして――その様はまるで、初めて接して不安そうに母親の陰に隠れていたユースのようだった。
そのために、キラはどうしていいか戸惑ってしまい、口をつぐんだ。
ユースも何をすればいいかわからなくなったようで、キラ以上に動揺して、声を震わせた。
「き、きっと緊張してるんだよ。村の外から知らない人が来るなんて、滅多にないし……。あとからもう一回、仲良くしてみよ?」
小柄な少女は場を取り繕うように、ギュッと手を握り、ぐいぐい馬小屋のほうへ引っ張っていった。
「そんなことより! 私の剣技、見てっ」
キラはたたらを踏みながら、その小さな背中についていく。
村人たちの視線を、気味悪く感じながら。
● ● ●
デフロットの村まで比較的安全に、そして楽に移動するため、ある程度手が加えられている。木の根は排除され、土の色が見えるように雑草を抜いている。突き出た木の枝も、なるべく除去している。
だがそれでも、急を要するとき以外は、馬に乗るのは避けるべきだ。
密生した木々は恐ろしい。枝は上にも下にも伸び――除去したとしても、その再生力はすさまじい――、馬上にいる人間に対して猛威を振るう。高速で駆けだしたとなれば、たちまち傷だらけになってしまう。
そのことをよく心得ているランディは、白馬には乗らず、早足で歩いていた。
「ユニィ。君には手紙のことを話して聞かせたが……キラ君も旅に連れていこうと思う」
白馬は、ブルンッ、と鼻を鳴らした。「なぜ?」と聞いてきているようだ。
老人はその人間くさい仕草に微笑み、しかし据わった眼で鋭く睨めつけた。
「キラ君には村でゆっくりとしてもらいたいのだが……昨日ははしゃぎすぎた。君にも責任があるんだぞ。いくら何でも、正体不明の少年が、馬に――よりによって君に! ――私の家から引きずり出されていたら、皆色々と勘違いするだろう」
白馬のユニィの村での立ち位置は、独特なものだ。
何せ、ランディの次に――あるいはランディよりも年を取っている。実際にどのくらい生きているのは不明だが、それでも出会ったのはもう六十年も前のことだ。
さらには、単純に強い。〝グストの村〟に戻ってきて二十年、留守中に幾度も村を救ってきている。
そのことを村の皆は知っているため、この摩訶不思議な馬のことを敬い、尊重している。神様のように扱い、崇めている節もある。
そんな白馬が、〝森の外〟から流れてきた正体不明の少年を、はたから見ればぞんざいに扱えばどう見えるか。これほどはっきりとしたこともない。
「しかも……きっと、記憶喪失のことも触れ回っているぞ。そうでなくとも、キラ君の不自然なほどの無表情さに、誰もが尾ひれをつけて話をややこしくするだろう……。〝グストの村〟をつぶしにやってきた悪魔だとか」
そこまではっきりと非難すると、白馬も申し訳なさそうに嘶いた。キラの素質に気づき、興奮してしまったのだ。
その様子から見て取ったランディは、ようやく心を落ち着けた。尖った口調をおさめ、なんともなしに白馬に語り掛ける。
「まあ、彼は小さなところに丸くとどまっていいような子じゃないとも思っていたから、いい機会かもしれないがね」
しばらくすると、〝グストの森〟の終わりが見えてきた。延々と続くと思われた木々のトンネルが、そこですっぱりと途切れている。
最後のアーチを潜り抜けると、視界ががらりと変わった。森の中では感じられない、開放感が身を包む。
熱を含んだ風がどこからともなく舞い降り、長くなった白髪をゆさぶる。
ランディはぼうっとして、見慣れた景色を眺めた。緩やかに波打つ丘の上で、真新しい色合いの草原が陽の光を反射して輝く。
「……ユニィ」
老人は六十年来の友人でもある白馬の首元を撫でた。
「君の声を聴かなくなって、もう久しい。これが何を意味しているか……分かるんだろう?」
白馬は何も答えなかった。
嘶きもせず、瞬きもせず、動きすらしない。
「新しい時代の幕が開けるだろう。世代交代というやつだ……。〝運命〟とは〝神の計算式〟だと聞いたが、実に恐ろしい……」
ランディは言葉をつむぎながら、少し驚いていた。これほどまでに、自分の声はしわがれていたのかと。
「――そこで、頼みがある。この手はシャルの十八番なんだろうが……一生に一度のお願いだ」
白馬が、短く鼻を鳴らした。
しかし、今はもう、その意味を知ることが出来ない。
「あの記憶を失った少年を、守っていてくれ。彼は私の同郷の者だ……。その言うことにも、なるべく聞いてあげてほしい。きっと、助けになる――私がそうであったようにね」
白馬の目を見つめると、半ばこの頼みを予想していたようだ。
――まかせておけ、小僧
懐かしい声でそう言われた気がして、ランディは思わずにやけてしまった。
そして同時に、無表情にも見えるユニィの黒目に、一つの疑問があることを読み取った。幻聴も聞こえていないのに、不思議なものである。
「私がなぜ、彼に『キラ』と名付けたか、知りたいんだろう?」
白馬は、ゆっくり大きく頷いた。
「それが彼の名前だからだよ。きっとね」
~とある大過去のヒトコマ~
「……なんだって? よく聞き取れなかったな、ペンドラゴン」
「だからさ。名付けて! 『アーサー王の物語に富んだ十二の剣』、さ!」
「『さ!』じゃないだろう。なぜおまえが王なんだ? そんなふざけた奴、一人でいい」
「ふむ……。注文の多い御客人だ。君が初めてだぞ。この〝不可能を可能に変える男〟こと〝至高の鍛冶職人〟に対してそんなことを言うのは」
「……それで? 早く本題に入ってくれ」
「うむ。君に授けるのはこれだ――主人公の剣! 名付けて、『エクスカリバー』!」
「……で?」
「別名〝よみがえりの剣〟!」
「そういうことを聞いているんじゃない。私の頼んだとおりにしたのかという意味だ」
「むろんだ、この天才を侮るなっ」
「よし、なら――」
「待て。俺は約束を守った。君も約束を守っていけ」
「ああ……あー……いや、それはまた今度……」
「ふふふ。では、『ペンドラゴン劇場』のはじまりだ。アーサー王の物語は、親友であったランスロットとの敵対から始まるのだ――」




