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42.変化


「ウ、ウルフェン……! なんで……!」

 四本の足で駆けてくる獣たちがいったい何なのか、ユースはいち早く理解したようだった。小柄な少女は全身をこわばらせ、動くに動けないでいる。

「ウル……なに?」

 だが、キラは一体これから何が起きようとしているのか、いまいち理解していなかった。

 状況を読めず、土の付いたスコップを手にしたまま棒立ちになり――だから、ウルフェンたちの第一の標的となった。


 五頭の獣たちの先頭を走るウルフェンが、長い灰色の剛毛をなびかせ、しなやかな動きで跳躍した。毛深い頬に切り込まれた口を大きく開け、鋭い牙をむく。

 飛びついてくるまでボケっと見ていたキラは、しかし、素早い動きで横に跳んで避けた。身体が勝手に――何かにつられたように動いたのだ。

 獲物を取り逃したウルフェンは、深く震える唸り声に怒りを込めつつ、着地。そのまま地面をけり、次の標的――ユースに向かっていく。


 が、それは白馬のユニィによって阻まれた――強烈な後ろ蹴りがその腹めがけて放たれる。

 獣は原形こそとどめたものの、不愉快かつ気色の悪い音を辺りに響かせ、軽々と吹っ飛んでいく。すべての法則を無視して、まっすぐに木々の間へ消えていった。

 一連の出来事を目の前にした他の四頭の獣は、土を削りながら制動をかけ、注意深く唸った。毛を逆立て、姿勢を低くし、身体に力を込めている。

 キラはいまさらながらに感じ取った身の危険に、荒い息を繰り返した。獣の群れに背を向けないようにしながら、ユースの元に近寄る。


「大丈夫?」

「う、うん……」

 小柄な少女は目を丸くしていた。キラの素早い動きと、予期せぬユニィの蹴りに。

「ユニィに乗って。アレは危ないんだろう?」

 キラは手を伸ばし――ユースはコクリと頷いてその手を迷わず握った。少女の瞳には、キラに対する不信感も不安感もなかった。

 少女を白馬に乗せ――ユニィも、まるでそれが分かっていたかのように乗りやすく膝を曲げていた――すると唸っていたウルフェンが動いた。


 四頭がそれぞれ示し合わせたように駆け――キラはそれを見て、ユニィの脚を叩いた。

「行って!」

「え――」

 白馬はちらりと頭を傾けただけで、迷いなく去っていった。少女の甲高い叫び声が、徐々に遠くなっていく。

 だがキラには、それを気にしている時間など残されていなかった。

「っ!」

 一頭の獣がとびかかったのを見て、横に避ける――それを見越していたかのように、もう一頭が唸り声を上げ突進してきた。

 キラは息を飲み――不思議な感覚に陥っていた。


 ひやりとした手で胸の奥を撫で続ける、そこはかとない何か……。その正体が〝危機〟だというのは分かっていた。鳥肌が立ち、呼吸が震える。

 雑草だらけの地面を強く踏み込み、間近にとびかかる獣に恐怖しているのだ――だが、ひどく冷静でもあった。

 獣の妙に血走った赤い目も、剥かれた鋭い牙が黄色いことも、開いた口端から丸いよだれが飛び散っていくのも、すべて見て取れる。

 どうすればいいか? 何をすれば危機を回避できる?

 恐怖に襲われながらも、それを全て瞬時に判断できた。


 よろけるに身を任せ、迫りくる牙から目いっぱい逃れつつ、手に持ったスコップを掲げる。襲い掛かってきた獣の大きく開けられた口の端に、添えるようにつっこむ。

 強い手ごたえと共にウルフェンの頭部が裂け――嫌な音と鮮血がはじけ飛び――スコップの刃が根元からもげた。

 キラは尻餅をついたが、即座に立ち上がる。

 ――まだ一頭だ。

 後に続く二頭がすでに間近に迫っている。通り過ぎた一頭も、くるりと反転して再び地を蹴る。


 キラはさっと目を走らせ――背後の森に逃げ込んだ。

 木々の合間をぬい、飛び出した木の根や低木を飛び越える。

 後ろを振り向き、三頭のウルフェンが追ってきているのを確認する。どの獣も一様に唸り声をあげ、ギラリとした赤い目を向けてきているが、その動きは鈍かった。獣たちも、森に慣れていない・・・・・・ようだった。

 息を弾ませ、辺りを見回す。


 村から『はずれの畑』まで歩いて、キラは分かったことがあった。

 木々が密集している中は思いのほか視界が悪い。

 そして、そこら中に危険がある――棘のように鋭い木の枝や、木の根と同じように地面から飛び出した尖った石。太く頑丈そうな枝もたくさん落ちている――巨大な何かにもぎ取られたように、どれもが折れ、片側あるいは両端が鋭い。

 タイミングを計ってこれらを活用すれば……。


 ただ、今のキラには体力がなさ過ぎた。歩いても息が乱れていたというのに、走りながらとなると、余計に立ち止まるのが早くなる。

 森に逃げ込んで数十秒たっただけで息を乱し、喘ぐように木の陰に隠れた。

 ザッ、ザッ、ザッ、と。背後からいくつもの足音がする。どれも迷いがなく、一直線に向かってきているように思える。

 見られていたのだ。ならば、何とかしなければ。

 ぐるりと辺りを見回し――みつけた。足元の低木に、折れた太い枝が引っ掛かっている。

 それを拾い上げようとして――枝を握った時には獣の一頭が背後から襲いかかってきた。

 だがここで、二度ウルフェンに襲われた経験が生かされた。


 いち早く察知したキラは、間近に聞こえる唸り声を頼りにしゃにむに枝を振るう。何かがつぶれるような音がほんのわずかにしたかと思うと、獣の甲高くも痛ましい悲鳴でかき消された。

 何があったか、どうなったか。確認している暇はない。

 すぐさま木陰から飛び出し、駆けた。残りの二頭の獣が追ってきているのが分かる。

 一歩、二歩。足を踏み出すたびに、肩と横腹に走る激痛が大きくなる。それでも、慣れないけもの道を半ば転がるように駆け、木と木の間、木陰から木陰へと不規則に走った。


 身体も服もずたずたになり、『はずれの畑』がわからなくなったとき――足に限界が来た。つっかえたようにがくんと膝がつんのめり、太い木の根に足を取られる。

 宙を舞い、キラは低木を越え、その向こう側に背中から着地した。鋭い何かが左の肩に突き刺さり、息切れとは別の鋭い痛みと熱さが貫く。

 痛い、痛い……。キラはあおむけになり、あえいだ。わずかに残った理性でぼんやりと低木を見つめる。

 獣たちが徐々に近づく音がする。――そう思ったら、すぐに姿を現した。


 低木を飛び越え、そして――二頭の獣が瞬時に真っ二つになった。

 ばしゃりと。キラは鮮血をもろに浴び、血まみれになる。仲間に続けて襲い掛かってきた獣も同じ目にあい、キラも再び血に染めた。

 このあっという間の出来事は、物言わぬ骸となった獣が地面にべたりと堕ちる間に起こった。

「うむ、間に合ったようだね」

 しわがれた老人の声が耳に届き、それが目覚めたときと同じ穏やかなものだったからか、キラはすぐに気を失ってしまった。



   ●    ●    ●



 ――『はずれの畑』にウルフェンが現れる少し前。

 ランディはわけあって畑から出て、森の中に入っていた。

 木々が周囲を囲う中で、老人は柄に手を当て、油断なく構えていた。老いてもなお鋭く光る瞳は、目の前の敵――赤黒い目を持つ・・・・・・・オーガを見据えている。


「魔獣と話せたら、これほど楽なことはないんだがね。だが一応聞いてみようか。君は一体、どこからこの森に紛れ込んできたんだい?」

 全身を血で塗ったような巨大な人型の魔獣は、やはりしゃべることなどなく、ただ牙をむいて汚く雄たけびを上げた。

 それは相手を威嚇なのだろう。雄たけびは野太く、大きくなっていき、体中の筋肉が盛り上がっていく。指の奥に隠されていた爪も、今は小ぶりのナイフのように伸びている。

 だがそんなものは、何十年も戦い続けてきた老人にとって、ただの見栄っ張りだった。


「魔獣はすべての知的種族に敵対する……いわば、〝非知的種族〟。その一員である君が――この森にはかかわりのないはずの君が、自分の考えでここにいるのはまずありえない。だろう?」

 もはや赤鬼に言葉は届いていない――悲鳴にも似た雄たけびと共に、突進してくる。

 特別鈍くはない。むしろ、辺りの木をなぎ倒す力を持っている割には、素早い方だ。

 だが――。

「ふむ……大声を上げるのはどうかと思うがね。戦いに集中しなければならないのに、発声練習をして何になるというのかね?」

 〝不死身の英雄〟には遅すぎた。オーガの唯一のとりえである怪力でさえも、取るに足らないものだった。


 居合、一閃。伸びて来る巨木のような腕を斬りおとす。

 間抜けにもオーガは悲鳴を上げるために大口を開け――ランディはそこを裂いた。パッと鮮血が散り、野太い声が発せられる前に、返す手で首を斬る。

 ごとりと頭が落ち、巨体が派手な音を立てて倒れた。

 辺りにきつい血と何かのにおいが充満したが、老人は顔をしかめることなく、オーガの遺骸に近寄る。何かの予感があったのだ。

 真っ赤な巨躯に視線を走らせ――見つけた。あまり目立たないが、肩辺りに黒い印があった。

「帝国暗殺部隊〝黒影〟の意匠か……驚いたな」


 最後に王国と帝国の戦争に関わったのは、もう二十年前のこととなる。数多ある帝国との戦いの中でも、〝黒影〟と相対したのはそのもっと前だ。

 当時、弟子になりたての三人とともに、この暗殺組織を壊滅に追いやった。だが、とかく大変な戦いであったことを、今でも時折思い出す。帝国は実力主義であり、とりわけ〝黒影〟は厄介な存在そのものなのだ。

 いくら年月を重ねたからと言って、そう簡単に再結成できるはずがないのだが……。


 眉間に深いしわを刻んでいると、目の前のオーガに変化があった。徐々に赤色の肌が黒ずんでいき、全身が真っ黒になったかと思うと、地面に吸い込まれるように霧散した。

「証拠隠滅もタイミングを間違えると明確な証拠となるね」

 帝国が赤鬼を寄こしたのは決定的だ。

 それが分かり、ランディはなおさら深刻な表情をした。


「だが……どうやって私の居場所を突き止めたのだろうね……?」

 グストの村に戻った二十年前……あの時、誰にも何も言わず王都を去るつもりだった。

 森で妻が命を散らしたと聞いて、動揺し――心が乱され――どうするべきか苦しんだが、本当は最初から何もかも決めていた。

 ただ、その時の予定と少し違っていたのは、弟子の三人――今や竜ノ騎士団の名を背負って立つシリウスとアラン、そしてマリアだ――や自由奔放な放蕩王子シャルルに見送られたことだ。

 その四人以外に、グストの森に引っ込んだことは知らないはず……。近隣村であるデフロットの村は唯一例外だが、帝国がピンポイントでこの村から情報を聞き出すのはまず不可能だ。

 何せ、知る限りでは・・・・・・、帝国は王国の地理に疎かった。そうであるように、ランディやシャルルが苦心して情報を操作していたのだ。


「裏切り、か……。誰かが帝国側と密会でもして、王国の地理を売り渡したかな? ならば、時間をかければ私の居場所を突き止めることは容易だ。だが、どうして私を……?」

 しわがれた声で呟くと、ふと思い出すものがあった。胸の奥の、古くも忘れられない痛みだ。

「七年前の王都防衛戦争……」

 その時のことは、よく覚えている。日付も――そして、それが起きた・・・・・・時間も。

 おそらくは――いやほぼ確実に、その日、その時間に聖母と同じ名を持つ弟子マリアが、命を落とした。

 王都は遠く離れている。どれほど強大な〝覇〟を持っていたとしても、誰かの死を感じ取ることなど不可能だ。竜人族でさえ、個人を特定するのは難しいだろう。

 だが、彼女の〝死〟は別だった。

 時を同じくして王都内に帝国軍が侵攻したと知ったのは、〝死〟を感じた一週間ほど後のことだった。


「七年前には、帝国が王都に侵入した……となれば、それ以前に王国の地理の情報を得たはず。七年以上の年月をかけて私を探り当てたのは……次の侵攻で確実に・・・王都を落としたいがためということか……。すべての準備や条件が整っているからこそ、ということもあるんだろうね」

 ランディは頭の中で素早く現状を整理した。


 帝国の狙いは、昔から変わっていない――すなわち、王国の支配。

 そのためには王都を落とすことが手っ取り早い。が、彼らとて、〝不死身の英雄〟――この呼び方はどうにかならないものかと常々思っている――の名前を忘れようもないだろう。

 だからこそ、年月をかけてその居場所を探り当て――あるいはタイミングを見計らって――、襲撃を仕掛けたのだ。

 どうやって魔獣を操ったのかは知らないが……これから分かることがもう一つある。

 どうやら帝国は、相当な知恵者を味方につけたようだ。


「手をこまねいているわけにはいかないな。このままでは村に危害が及ぶ……。とはいえ、キラ君のこともあるし……」

 しばらく考え込んでいると、何かが近づいてくる音がした。再度刀を握り直し、集中し〝覇術〟で気配を探ると、ユニィだと分かった。背中にユースを乗せている。

 何かがあったようだ。

「ふむ……。とりあえず、シャルに手紙を書こうかな。……私のことを覚えているといいが」

 ランディは手紙の文言を頭の中で何度も書き直しながら、走り寄ってくる白馬に足を向けた。


   ●    ●    ●


 静寂な暗闇の中で、それは強烈な目覚ましだった。

 体の中心が――心臓が――強く鼓動する。眠気が一気に吹き飛び、しかし、瞼を開くことが出来なかった。

 繰り返す鼓動は不気味なほど不安定で、自分のものではないようだった。別の何者かが、体中を這っていく感覚がする……。

「う……うぅ……」

 耐え切れそうで、耐えられない。その境を行き来しているために、苦しみが増す。

 どうにかこの苦しみから逃れようとベッドの上を転がり、声にならないもがき声を上げていると、


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」


 そんな悲しそうでか細い少女の声と共に、何かが背中をすりすりとさすった。続けて、蒸し暑さとは違うほのかな温かさが覆う。それが小柄な少女、ユースによるものだと分かるのに、かなりの時間を要した。

 ユースがずっと声をかけてくれるからか、しだいに胸の鼓動は弱まっていった。

「大丈夫? お兄ちゃん」

「……うん」

 キラは息を整えながら、上半身を起こした。すると、ユースはさする手を止めずに、起きるのを手伝ってくれる。

 身を起こし、背中を丸め、深呼吸をする。胸の奥で奇妙な違和感が塊となって残っているが、もう辛くはない。

 だが、体中のあちこちが痛いことに気が付いた。左肩はずきりずきりと痛みが脈動し、膝や肘や二の腕などが嫌に熱い。

 怪我をしたのか確かめようとしたが、真っ暗な部屋の中では、自分の手さえも判別できなかった。


「まだ苦しい?」

「いや……。もう平気」

 ユースの表情もまた、分からなかった。

 しかし不思議と、キラの頭の中には今の彼女の表情が思い浮かんだ。瞳が潤み眉を曇らした、心配そうな表情だ。


「ん……ちょっと待ってね」

 少しすると、目の前が明るくなった。

 あまりに急だったために、キラは目を細めた。

「あっ、ごめんね。明るくしすぎちゃった」

 視界の端で、ユースがピンと伸ばした人差し指をくるくると回すのが見える。

 一周、二周すると、いきなり現れた光は落ち着きを取り戻し、穏やかな明かりを部屋に投げかけた。

 キラは目の前に現れた光を凝視した。煙の塊が浮いているようだ。

 そっと人差し指を突き出してみると、何も触れることなく、向こう側に突き抜ける。不思議なものだった。


「これは?」

「魔法だよ。〝陽灯しの魔法〟っていうの」

「まほう……?」

 その単語は、光の玉よりも不可思議のもののように思えた。

 それがいったい何なのか。〝まほう〟とはこの光の玉だけなのか。

 色々なことが疑問にわき、聞いてみたいと思ったが、ユースはそれどころではないようだった。


「ああっ。包帯がずれてるっ」

 いきなり素っ頓狂な声を上げて、キラの肩の裾を強引にめくった。小さな指先が傷に引っ掛かり、ズキリと痛む。

 キラは軽い悲鳴を上げそうになったが、ぐっと口をつぐんだ。なぜかそうしなければならないような気がした。

「ん……お兄ちゃん、服、脱げる?」


 言われたとおりにすると、ユースはずれた包帯から露わになった傷跡を、いたわるようにひと撫でした。背中を撫でてくれた時と同じように、やんわりと温かい何かに包み込まれる。痛みはなく、むしろかゆいくらいだ。

「やっぱり治癒の魔法、効かない……」

「ちゆ……?」

「うん。とっても不思議……おじいちゃんも驚いてたくらいだから」

 小柄な少女は呟くように言いながら、肩の包帯を外す。光の玉を操り、傷跡をまじまじと見て眉を顰め、それからテーブルの上にあった布と小瓶を取って戻った。

 キラはたどたどしく動く少女を見守った。何かはよくわからなかったが、瓶に詰めたどろどろとしたものを薬指で掬い取り、肩の傷口にそっと塗り込んだ。

 ひやりとした感触に、思わずビクリとする。


「痛い……?」

 ユースが窺うように見上げてくる。光の下で、心配そうな表情が良くわかった。

 キラはなんとなくその表情を見たくなくて、じりじりと沁みる傷口を気にせず、首を振った。代わりに、ふと思い出した言葉を口にした。

「……ありがとう」

 かすれ気味のたった一つの言葉は、しかし驚くべき効果があった。

 キラ自身に、変化があったのだ。氷のようにピクリとも動かなかった表情が、わずかながらであるが、頬をゆるませ微笑んでいた。死人のような目も、若干の輝きが差し込んでいる。

 ただ、それは一瞬のことで、

「よかった」

 ユースがほっと頬をゆるませたときには、無表情かつ濁った眼に戻っていた。


   ●    ●    ●


 じりじり、カリカリ。

 卓上で蝋燭の火が揺れ、老人のしわがれた手が動く。そのたびに、黄色味を帯びた羊皮紙の上に黒い文字が刻まれていく。

『古くからの友、シャルに』

 これが書きだしだった。


『勘が告げている。やはり私は、君ともう一度顔を合わせることはできないようだ』

 インクにペン先をひたし、再度続きを書こうと羊皮紙の上に乗せる――手が震えていた。

 ――〝運命〟という言葉を、今ほど恐ろしく思ったことはない。自分が死ぬことよりも、何より厄介なそれが脅威だった。

『願わくば、私の言葉に従ってほしい。君も覚えているだろう、〝奇才〟の言葉を。〝運命〟とは、かくも恐ろしいものだ』


 老人はそこで手を止め、ふうっ、と深く息をついた。何もかもが震えていては、続きが書けない。

 自分のつづった文章を見直して、我ながら妙な書き方だと苦笑した。

 これを受け取った方はどうするだろうか? 脅迫のようだとは思わないだろうか?

 ひとしきり笑い声を漏らしたところで、再度気合を入れ直し、ペン先をインクにひたした。


『王都を去って二十年。一度君の元に戻ったこともあるが、それ以外は平和な日常だった。が、昨日、そして今日と――君の元に届く頃には過去の話になっているだろう――、二日にわたって非日常が続いた』

 老人はそこでペンを止め、ふむ、と唸ってから続きを書き始める。

『要点をまとめると――羊皮紙は村にとって貴重なんだ――、私の元に帝国の刺客が送られた。それも、魔獣だ。聡い君ならわかってくれよう? 私がいては、村が危険にさらされる。だから村を出ようと思うんだ』

 静かな夜だった。もはやペン先が羊皮紙の表面をひっかく音しか聞こえない。


『その際に、村を監視しているであろう帝国暗殺部隊〝黒影〟に、ひとつも怪しまれずに旅立ちたい。そこで、竜ノ騎士団から使者を送るよう手配してくれないか。正当な理由を――そう、来る戦争にそなえ、〝不死身の英雄〟の力を借りたいだとか取り繕って』

 ランディは、そこで近づいた視線を遠ざけ、重要な箇所に黒線を引いた。

『ただ、すぐにではない。一週間後、村に使者が着くようにするんだ――この手紙は、君の元にちょうど一日後に届くようにする。こうする理由は、少し複雑になってしまうが、こういうことだ』

 火がどんどんと獣脂を溶かしていく。安価なそれは、黒煙と共に妙なにおいを放っていた。


『昨日、少年を保護した。記憶喪失の、まっさらな少年だ。一晩考えてみたが、彼はどうやら私の同郷らしい。一秒を生きるのすら迷う彼を、一週間――人生に比べればほんのわずかな期間だが――導いてあげたいんだ。私の心境をわかってくれ……』

 老人はしわがれた手を見つめつつ、再びインクにペンをひたした。

 少し迷いつつも、手紙の締めくくりをつづる。


『やはり〝運命〟とは恐ろしいね。私は彼に〝キラ〟と名付けてしまい、彼の中に圧倒的な剣の際を見てしまった。さらには治癒が効かない・・・・・・・と来た。……これは戯言ととってくれて構わないが、もし彼に会うことがあったら、融通を効かしてやってくれないか。少しの間考えてみたが、彼も旅に連れていくことにしたんだ。きっと、王都に着くことになる。頼みごとが多くなってしまったが、どうか、よろしく頼む。――〝不死身の英雄〟ランディ』

 あらかじめ用意しておいた果物ナイフを手に取り、親指に短く傷をつける。ぷっくりと血の塊が浮き出たのを見て、素早く署名の右下に捺印した。

 羊皮紙から指を放すと、すでに親指の傷は閉じていた。〝高速治癒〟はこういう時に意外と不便になる。


「ふう……明日、早めにデフロットの村に行かなければね」

 老人は、机の上に置いていた〝お守り〟を手に取った。

 昔、とある青年から貰ったものだ。以来、肌身離さず・・・・・持っている。

「〝旧世界の遺産〟……もう、私が持っていても意味がないね」

 元から意味はなかったのだが。

 同時に頭の中で呟き、ランディは羊皮紙に目を落とした。



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