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39.遠い未来、そして過去

 『大英雄』、『平和の番人』、『世界政府創立者』……。『神殺し』、『復讐者』、『無情の鬼』……。

 歴史上最も偉大で、最も有名な英雄は、記憶をなくした少年だった。

 騎士という単語も忘れてしまった彼には、人間であるために必要なものが残されていなかった。両親も、故郷も、友人も、自分の居場所さえも。


 彼を待つのは、死のみだった。

 もしもほんとうに、そのままだったなら……。

 老いた英雄と出会い、最強の摩訶不思議生物を相棒に持ち、〝竜殺し〟なる美人騎士をはじめとした者たちと関係を持つことはなかった。

 そして、世界を破滅に導くこともなかった――。


   ●   ●   ●


 その日、グストの森はとても静かだった。空を覆うほどに密集した木々を風が通り抜けても、木立の間を老人と少女が歩いても、毛並みの美しい白馬が馬蹄を踏み鳴らしても、誰の耳にも何も届かなかった。熱い日光を届けてくれる太陽でさえ、黙り込んだかのようだ。

 ただならぬ雰囲気といえば、ただならぬ雰囲気であり――人なり魔獣なり、何者かの邪気もないこの妙な空気に、さしもの〝不死身の英雄〟ランディも困惑していた。


 しかし彼は、長年の経験から警戒を怠ることはしなかった。無意識に腰の刀の柄に指をかける……。

 そうしつつも、時折連れて歩く白馬の表情を窺っていた。老人はとこからともなく響いてくる幻聴に期待していたが、聞こえてきたのはブルルンッという妙な鼻息のみだった。

 せめて表情を読み取ろうとしても、そっぽを向かれ――それ以前に、面長な馬面は表情が分かりづらく、得るものは皆無だった。


「なんか……神さまがいるみたい……!」


 沸き立つ興奮に抑えきれなくなったように、唐突に小さく叫んだのは、隣を小さな歩幅で歩く孫娘だ。同意を求めるように、大きなまん丸の目で見上げて来る。

 老人には思いもよらぬことだった。小さな手でぎゅっとつないでくる愛しい孫に、しわがれた優しい口調で問いかける。


「神様か……。ユース、なぜそう思うんだい?」

「え……? うーん……?」


 母親であり――同時にランディの娘である――エーコに似たサラサラな黒髪を、何度も揺らし、応えようとしては口を閉ざすというのを繰り返していた。

 どうやら、語彙が足りずに妥当な言葉が見つからないようだ――あるいは、その感覚を表現するには言葉で足りないのかもしれない。

 そのどちらにも覚えがある老人は、孫の様子に強く同感し、思わず笑ってしまった。

 するとそれが癇に障ったのか、ユースは目に涙をためて睨んできた。ぺしん、と手を払われる。

「笑わないでよ! おじいちゃんも時々物忘れするくせにっ」

 グッ、と老人は喉の奥で変な音を鳴らした。最近気にしていたことだ。

 目に入れても痛くないほど愛らしい孫娘に言われただけに、余分に辛い……。


 カタッ、カタッ、カタッ。後ろをついて歩く白馬が、歯をならして――『まるで』といわずとも明らかに笑っていた――首を突き出してきたため、老人はその馬面を軽く小突いた。

 この白馬は、昔から人をからかうのが得意だ。それで何度悩まされたことか……。

「しかしまあ、ユースのいうとおり、いつになく神々しいことには間違いないね」

 そっぽを向いたユースの頭にポンと手を乗っけると、純粋な少女はたちまち顔を輝かせ、再びぎゅっと小さな手をつないできた。

 ご機嫌取りの意味もあったが、孫の言葉でランディは考えを改めていた。


 奇妙なことに、森の中から魔獣の気配が消えている。覇術を使えば森中いたるところにゴブリンやらウルフェンやら小型の魔獣が群れていることが分かるが、それが一切感じられない。

 そのせいか、空気が澄んでいるように思えるのだ。

 老人は、再びちらりと白馬のユニィを見た。


 白馬は森の中に入るときには常についてきて、荷物運びや仕事を手伝ってくれる。一方で、帯同するユースや村人のために――彼がいないときは、村人たちに森へ出るのを厳しく禁止している――、覇術で魔獣たちを追い払ってくれている。

 だからもしかしたら、この摩訶不思議な馬の仕業かとも頭に浮かんだのだが、そうではないようだった。老人の表情から考えをくみ取った白馬が、ゆっくりと顔を横に振っていた。

 何が起こっている? あるいは、何かが起ころうとしているのか……?


「じゃあさ、おじいちゃん。今日はいっぱいお魚が釣れるかもね」

 ユースの無邪気な声に、ランディは深い思考の海から浮かび上がり、

「うむ、きっとそうだ。大物も釣れるに違いない――ユース、期待しているよ」

 穏やかな声でそう言った。

 続けて、辺りを見回しつつ、白馬と一緒に先に行くように促す。

「念のため、危険がないかどうか確かめておくよ。ユニィを頼むぞ」

 完全に機嫌を直したらしく、ユースはユニィを連れて海岸へと続く洞穴にはいっていった。


 ランディはその様子を見届け、周りに視線を向けたときには、鋭い目になっていた。刀の柄に掌を当てつつ、森の気配を探る。

 木々の間――生い茂る葉の上――あるいは低木の影。範囲を広げつつ、虫一匹も逃さぬように、息をひそめる脅威をあぶりだそうとする。

 ――いた。


 老人はぱっと背後を振り向いた――ユースの向かった方角――半円に弧を描く海岸だ。

 だがそこで、眉をひそめた。脅威であるならば、ユニィが何らかの行動を起こしているはずだが、激しい〝覇術〟の活動は見られなかった。

 早歩きになりながら、ランディも洞窟へ入っていく。崖上から崖下へ掘り下げられた斜面は、丸太で簡易的な階段を作ったといっても、歩きにくいことには変わりない。


 気を付けて下っていたが、

「――! おっとっと」

 老人は足元を取られ、滑り転げそうになった。

 気を取られてしまったのだ。

 ふいに脳裏に刻まれた、少年が倒れている場面に――。


   ●   ●   ●


 かつて、何十年にもわたって王都を守り抜いた〝不死身の英雄〟。

 讃えられ、尊敬され、詩の主人公ともなった――敵に回った者たちには、死の象徴として恐れられた。

 だが、彼は誰も知らない過ちを犯していた――彼自身も後年になって気づいた、大きな過ちを。

 他の追随を許さぬ圧倒的な剣のセンスを持って生まれた、か弱き少女。彼女に教えるべきことを教えず、教えないでいるべきことを教えた――ことごとく、その選択を間違えたのだ。

 過去の英雄が未来の英雄と出会ったとき――彼の中で過ちは後悔という重い塊となっていた。


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