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38.――幕間―― 王女の逃亡

 王の第三の子供として生を受けたといっても、彼女はまだ十三の少女だった。


「お父さま! お父さまも一緒に……!」

 ルイーズは自分よりもずっと背の高い父親に、縋り付くようにして訴えた。だが、頑とした様子で首を振るい、拒否される。


 暗い通路の中、松明の炎が辺りを照らしていた。この場にはルイーズにその父親、二人の護衛を務める四人の騎士――現場・・を指揮しているクロエが竜ノ騎士団から借りてくれたのだ――がいるにもかかわらず、静寂を保っている。

 呼吸の音は暗闇に吸い込まれ、あるのは炎がぱちぱちという音と、すぐそばを流れる水路の静かな音、そしてルイーズのまだ幼い抗議の声のみだった。


 少女は大きな目に涙を一杯に貯め、父を睨み、騎士たちの顔をぐるりと見ていった。

 同調してほしいという切なる願いを求めて、順々に騎士の顔を見つめたが、彼らは一様に、気まずそうに顔を背けるのみだった。


 父の――シャルル三世の意志が固いことは、ルイーズにもわかっていた。

 兄であるアドルフとピエールが、今日にいたるまで――帝国軍に攻め入られる今日この瞬間まで――しぶとく説得をしていたにもかかわらず、その考えを曲げることはかなわなかったのだ。

 結局、予定通り――シャルル三世の命令通り・・・・――二人は、地下水路をたどって散り散りに脱出していった。

 ルイーズもそうした方がいいと、頭ではわかっている……。飾りで毎日のように家庭教師に勉学を教わっているのではないのだ。


 だが……。


 シャルル三世は、しかしすでに王ではなかい。この脱走の計略を三人一緒に伝えられた日に、その王位は譲られた。

 そんなことは考えたくないが……。帝国軍が、頼れる竜ノ騎士団や〝竜殺しリリィ〟たち実力者の防衛を突破し、この王城を制圧したとなれば……。権力を持たない王が、どんな仕打ちを受けるかは、目に見えている。


そこは・・・お前が心配することではない、ルイーズ」


 意外にも穏やかな声に、ルイーズは抗議の口を止めた。まるですべてを覚悟しているような、そんな確固たる意志を含んだ微笑に引き込まれるように、父のしわがれた顔に見入った。


「私が望むのは、お前が無事遠くへ逃げのびることだ。それこそが、帝国を追い返す初めの一手となり、痛烈な一打となる」

「でも……!」

「今は私のことより、自分のことを考えるんだ。王都を抜ければお前一人となる……。足を止めるな、考えることをやめるな。――いいな?」


 最後の言葉は、聞いたことがないくらいに厳しい口調だった。微笑も消え去り、眉間に深いしわが刻まれ、眼光が鋭く光る。

 ルイーズは何も言うことが出来なくなった。いろいろな気持ちが、胸の奥でごちゃ混ぜになっていく……。


 ぱちり、ぱちりと松明が燃える音だけが続いた。

 父や騎士たちの目から逃れるように視線を逸らし、水路に目をやった。水面は鏡のように全てを反射し、中でも映り込んだ炎がひときわ輝いていた。

 このまま時が止まってくれれば……。そう思ってじっと目を凝らしていると、かすかに炎が揺れた気がした――炎そのものではなく、それを映している水面が波打った。

 

 直後、爆発音が轟いた。通路の天井からぱらぱらと土埃が舞い降り、水面が激しく水をざわつかせる。

帝国軍――。

 頭の中にその言葉が横切り――まだ少女の、しかし純粋な・・・王家特有の青紫色の瞳には固い決意が宿っていた。


「お父さま……どうか、無事に再会すると……」

「約束しよう。――さあ、行くんだ!」

 ルイーズはマントのフードをかぶり、騎士二人を連れて地下水路を走った。




 目指すは王都の南。地下に広がる通路や緊急避難空間は複雑に入り組んでいるが、地下水路だけはそれらから外れて簡易な道のりとなる。シャボンヌ宮殿を中心として、二つのまっすぐな水路が垂直に交わり、東西南北へ流れているのだ。

 玉座の間の秘密通路から降りたルイーズは、ただ走るだけでいい。護衛の騎士もいらないくらいに、安全なはずだった。


 だが、すでに王都内部に潜り込んで侵略しているらしい帝国軍と、おそらくは〝竜殺しリリィ〟たち騎士団との衝突は激しく、幾度も地響きが続いた。その影響で、水路が水しぶきをあげて脇の細い一本道を濡らし、滑りやすくしていた。

 ルイーズは緊張と不安と心配のあまり、走る足が空回りして、幾度も転びそうになる。そのたびに騎士たちが支えてくれなければ、あっという間にびしょ濡れになっていただろう。

 今でさえも、靴が水にまみれて不快な感覚が肌を伝っている。


 ただ、それ以上に気になることがあった。

「ねえ。お父さまのおっしゃったことは本当なのでしょうか?」

 頭の中で父の警告が幾度も鳴り響き、ルイーズは息を切らしながらも前を走る騎士に尋ねていた。


「私には、何とも。ただ、七年前と同じならば、おそらく――ありえない事ではないかと。帝国軍は異様に王都内部の構造に詳しいようでしたし」

 正真正銘の騎士は、警戒で表情を厳しくゆがませながらも、息を弾ませることなく一気に言いきった。後ろを追走している騎士も、同意の声を上げる。


 父が、地下に降りる前に警告したのだ。

『王都内に進軍されたら――地下水路も敵地だと思え』

 地下水路は王都での生活のためのものでもあるが、同時に脱出経路の役目も果たしている。水路の脇を走る細い道は、いわゆる秘密の道だ。

 だというのに、この道が敵地となっていたら秘密の意味がなくなる。それこそ、王宮の制圧などあっという間だ。

 そんなことがありえるのだろうか……?

 ルイーズは己の疑問を、自らの目で知ることとなった。



 場所でいえば、南の門を通り過ぎたあたりだ――秘密の出口まで、もう少し。

 分厚い地面を通してでも、騎士たちの気合の入った怒号と、攻め入る魔獣たちのわめき声と、戦闘の激しい音が聞こえる。


 普段全力で走り続けることが滅多にないこともあって、ルイーズは息を切らしていた。

 足を緩め、歩く。前方をいく騎士は松明をかざし、辺りを警戒しながら励ましの声をかけてくれた。

「ルイーズ様。あと少しです」

 もう一方の騎士が重ねて、

「あと少しで、我々も防衛に戻ります。準備と、それからご覚悟を。王都を出れば守る者はおりませぬ」

 慎重に言った。


 ルイーズはその真剣さに息をのんだ。

 懐に入れた杖を無意識に触る。兄二人や家庭教師との魔法の特訓の日々を思い出す。いくつかの魔法を小声で口にして、頷いた――今までやってきたことへの自信が、そうさせていた。


 青紫色の瞳に強い光を宿らせ、再び歩み始めたその時。天井がひときわ大きく揺れ、ひび割れ始めた。ぱらぱらと土の塊が落ちて来る。

 轟音が鼓膜を打る――慣れない事態に、慣れない音だった。


「姫様!」


 後ろにいた騎士が叫び――松明を捨て――ルイーズを抱えて前へとびのいた。濡れた地面の床の上をともに滑る。一方の騎士が剣を掲げつつ、堕ちてきた大きな塊を魔法で破壊する。

 ふらふらと立ち上がると、二人の騎士が順々に声を張り上げた。


「走ってください! 敵襲です!」

「ここは我々で! ご武運をっ」


 騎士に背中を乱暴に押し出され、ルイーズは必死に走り出した。

 振り返ると、二人の騎士は地上から降ってわいてきた魔獣と対峙していた。




 ようやく出口へ続く階段にたどり着いた……。

 暗い地下水路は、無限の地獄のようだった。走っても走っても、前に進んでいる気がしなかった――後方から響く戦闘の音が、嫌に耳につくからだろうか。

「はあ、はあ……やっと……」

 ルイーズは息を整えながら、恐る恐る振り返る――追手は来ていない。安堵で膝から崩れ落ちそうだった。だが、へたっている場合ではなかった。この一本道には隠れ場所などないのだ。


 息を弾ませ、急いで階段を上る。

 ずっと握っていた杖を震える手で握り直し、行き止まりの壁に突き付ける。

 杖先で小さな円を右回りに描き、続けて左に手首をひねる。


 壁に魔法陣が浮かんできた。淡い青色で光り、ゆっくりと回転し――まるで開錠されるように――ガチャリと音がする。

 第九師団長を務める〝鬼才〟エマによる魔法陣の隠し扉だ。これを押し開けると、王都から離れた場所に出る――扉のありかは、丘の緩やかな斜面にたたずむ幹の太い一本の木だ。

 ルイーズは息を切らしながら外に出て、ようやく大きく深呼吸した。乱れた息を整える。


 久しぶりに若草の香りを鼻孔に感じる。街中では――正しくはエルトリア家の『自然区域』内以外では――、こうした自然を感じることは少ない。

 すると、途端に心細くなった。何もかもが、昨日とは……日常とは違う……。夏期に向けて温度を上げる風も、今では極寒の風のようにも思える。


 走っている間はずっと必死で、夢中で、ただひたすらに逃げることだけを考えていたが、今は冷静に状況を確認できた。

 辺りはしんとしていて、暗い。空は黒く厚い雲に覆われ、西のほうでは青白い稲光が絶えず雲の表面を照らしていた。

 後ろを振り向くと、王都では所々に火の手が上がっていた。皮肉にも、それらが一番の灯りとなり、そこに街があることをしめす狼煙となっている。

 その光景を見るだけで、ルイーズは泣きそうになった。


 ――七年前といえば、まだ六歳だった。それでも、あの時の出来事は覚えている。


 訳の分からないうちに王宮に帝国兵がなだれ込み――放り込まれるようにして地下水路に押し込まれ――今と同じように王都の外で、同じような光景を目にした。

 住み慣れた街が、再び燃えている。

 変わらなかったのだ。何も……。

 魔法を懸命に覚えても、戦争の何たるかを学んでも。


 涙をこぼしそうになって、しかしそれが許せずにルイーズはぐっと我慢した。

 泣く代わりに荒い呼吸を繰り返し、杖を一振りする。鋭く光る玉が杖の先から生まれ、宙に浮かんだ。

 それを操って腰元を照らす。紐でくくっていたランタンを手に持ち、再度杖を振って火種を入れる。

 ボンヤリとしたオレンジ色の光が足元を照らし、その代わりに、浮かんでいた魔法の光が消える。二つ同時の魔法の制御になれていない証拠だ。


 ルイーズは杖を握りしめ、息をひそめてランタンを振り回した。とりあえず、辺りに敵はいない……。

 これからどうするか――どう無事に逃げのびるか。暗い草原の中、たった一人で立っていることにめまいするほどの不安を覚えた。現実逃避したいぐらいだ。

 これは夢でも何でもない。ルイーズは何度も自分にそう言い聞かせ、頭を働かせた。


「南……ダルク領に……。まずは、村を見つけなきゃ……大丈夫……場所は分かる」


 ぶつぶつと独り言をつぶやき、自分を勇気づける。

 ランタンをせわしなく動かしながら、神経が擦り切れるほどに警戒しつつ、一歩、二歩と歩いていく。

 右へ左へ、顔を動かし、ランタンで照らし。時折背後を振り向き、戦火の散る生まれ育った街を目に焼き付ける。


 そうしながら、なだらかな丘を登り切った。

 が――。

 警戒していたのに――前にランタンをかざすと、暗闇からベヒーモスの凶悪な二本角がぬっと突き出てきた。続けて、地響きのような鼻息とともに、その凶悪で面長な顔が現れる。


「あ――ひゃっ」

 あまりに突然で、あまりに静かな敵の登場に、ルイーズは目を見開いて腰を抜かした。


 ずしり、ずしり、と。分厚い蹄でゆっくりと地面をふみこみ、近づいてくる。一歩進むごとに、四本足の獣は興奮してきたらしく、荒い呼吸を繰り返した。

 ルイーズは絶望した。後ずさることもできない。


 この魔獣に魔法はほとんど効かない――全身無毛のその表面には、魔法の効力を弱らせる脂が浮き出て、さらに分厚い皮膚で完璧に防いでしまうのだ。火や雷やあまたの自然の驚異でさえも、ものともしない。

 少女の様子で自らの勝利を悟ったベヒーモスは、嫌味なほどにゆっくりと、一本のねじれた角を差し向けた。

 そして――。


 破裂した。


 息を飲むほど美しい毛並みを持つ馬が、後ろ足を振り上げていた。一方の蹄が魔獣の頭部にめりこみ破裂させ、もう一方がその巨体を遠くまで蹴飛ばす。

 ベヒーモスの巨躯は、暗闇の奥へと飛ばされていった。


 ただし、ルイーズがその状況すべてを飲み込むまで、時間がかかった。

 救世主が長い顔を寄せ、つんと鼻先でつついてきて、ようやくわれに返った。


「あ……ありがとう、ございます」

 ルイーズは恐る恐る手を伸ばしたが、恐怖で震えて思う通りにならなかった。すると、白馬がそれを察したかのように、その鼻先を手にこすりつけてきた。


「温かい……」

 ルイーズはほっと息をついて、夢中で馬の顔じゅうを撫でた。つややかな見た目の白い毛並みは、手触りもうっとりするほどで、絹を思わせた。

 自分の心を落ち着かせる意味も込めて、ずっとその毛並みを堪能していたが、白馬が嫌そうに顔を振ったことで――その仕草はとても人間くさかった――ようやくルイーズは手を放した。


「お馬さん、本当に助かりました」

 白馬は耳をピクリと振るい、まるで言葉が分かっているかのように、ブルッと鼻を鳴らす。

 今までに出会った馬の中で、とても賢い反応をする。そう感心し、ルイーズは何気なく白馬の背に目を向けた。

 誰かがうつぶせになって乗っていた。マントが掛けられ、鞍に結び付けられるようにしている。とても小柄な人物だ。

 一瞬死人かとひやりとしたが、マントがかすかに上下に動いていたことで、息があるのだと安心した。


「お馬さん……なにかあったのですか?」


 聞いても明確な答えが返ってくるわけではなかったが、ルイーズは懸命にその馬面に潜む感情を読み取ろうとした。

 白馬はゆっくりと、まるで頷くように瞬きをする。どこか、気落ちしているようだ。


「あの……近くの村の場所を知っているんです。そこで……この方の治療をしてはいかがでしょうか? その……私も……一緒に。とにかく、ここから――王都から離れなければならないのです」

 ルイーズが馬の瞳を見つめながら提案すると、白馬は視線を逸らして考え込むように俯いた。やはり、人間っぽい。

 しばらくしてから顔を上げ、ブルルッと嘶いた。そして背を向けて、乗りやすい位置にまで下がってくれる。


「ありがとうございます! お馬さん」

 ルイーズはランタンを腰元に括り付け――気づいた。

「まずは、この方とどうやって相乗りをするか考えなければなりませんね」


 こうして、ルイーズ・ド・レピューブリクは、世にも珍妙な馬と気絶したままの小柄な人物をお供に加え、夜に紛れて南を目指した。


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