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2.紅の騎士

 それは一瞬の出来事だった。

 紅の何かが横切ったかと思えば、怪物の凶悪な角が斬られ。

 宙に舞った二本の角が地面に刺さったかと思えば、ベヒーモスがあっという間に紅の炎に飲み込まれていた。


「は……?」

 キラは、剣で自分の身体を支えながら立ち上がった。

 見ると、白馬を襲おうとしていた怪物は綺麗に消え去っている。

 黒焦げの地面に代わりに立っていたのは、


「大丈夫かしら?」


 黄金色の髪の毛を持った女性だった。陽の光で美しく輝き、胸当てや脚の甲冑も煌めく。

 彼女は白銀の剣をさっと振るって鞘に納め、ユニィの鼻先を撫でた。

 緑と太陽の元、白馬を心配するその姿はやたらと優雅で、そして幻想的でもあった。


 キラがぽかんとしていると、女性が近づいてくる。長い金髪が揺れ、それと同じように紅のコートの裾も揺れる。

「大丈夫?」

「え……はい……」

 今度はキラは、女性のあまりの美しさに気を取られ、呆けた返事しかできなかった。


 整った顔は人間離れしていて、無表情にも見えた。切れ長な眼に、きゅっと結んだ唇は怒っているようにも見えた。

 しかし、細い眉が垂れさがり、青い瞳の奥に人の情があるのを知ると、決してそんな人間ではないということがわかる。


「わたくしには、そうは見えませんけれど?」

「へ?」

 女性はその色白な手を伸ばして、頬に触れてくる。滑らかな指先がさらりと撫で、キラは口をパクパクとしていた。

「顔色が悪く見えますわよ。それに、さきほど胸を抑えていたでしょう?」

「え、あ、ああ……元からというか、なんというか……」

「もしかして、心臓に病を……?」

 女性は呟くように言い、ますます心配そうな顔をした。

 何と言って答えればいいのか困っているところに、ランディがやってきた。


「すまない、キラ君。一匹取り逃がしてしまって、無事だったかい? ……ん、君は?」

「……ランディ殿でいらっしゃいますか?」

「うむ……もしや君は、リリィ? シリウスの子の?」

「は、はい、娘のリリィでございます」


 女性ははっとして立ち上がり、ピンと姿勢を正す。緊張しているようで、声が震えていた。

 対して老人は、この女性――リリィに覚えがあるようでうれしそうに顔をほころばせた。


「おお、これはまた! 最後に会ったのは君がまだ小さいころだからね、すぐには気づかなかったよ。もしや、ベヒーモスも君が?」

「はい……何とか間に合いました」

「そうかそうか。キラ君、彼女はリリィ君と言ってね。昔いた二人の弟子の子どもなんだよ。生粋の王都生まれだから、色々とおもしろい話が聞けるよ」


 どうやら二人はお互いを知っているようだ。とはいっても、楽しそうに話しているのはランディだけで、女性――リリィの方はずっと身を固くしている。

「よ、よろしくお願いしますわ」

 たったの一言、しかもキラに向けてのものであっても、彼女は震えた声で言った。

「う、うん、よろしく」

 キラもその緊張がうつってしまって、消え入るような声で返した。


「しかし、なぜ君が? 王都からはずいぶんと遠いはずだが……」

「ランディ殿のお力をお借りしたく、参ったのでございますわ」

「ふむ……ということは、放っておけない事態か……。やはり、帝国関連なのかな……?」

 リリィが王都から来た、というのはランディにとって重大なことらしい。眉間にしわを寄せ、見たことのないほど難しい顔で考え込んだ。


 キラが成り行きを見守っていると、白馬が鼻でつついてきた。

「っとと、ああ、ユニィ、怪我はない?」

 するとユニィは元気そうにいななき、再度鼻先で頭を小突く。

 キラは念のため、白馬の身体を一通りあらためる。美しい毛並みには一切の穢れがなく――蹄には何やらどろりとしたものが付いていたが――、本当に大丈夫のようだ。

 首元を撫でると、機嫌よさそうに鼻を鳴らし、勢いよく顔をぶつけてきた。

 何気に痛い。


「ふふ、仲がいいですわね」

 ランディといくらか会話したことで緊張が解けたのか、リリィは朗らかに微笑み、声をかけてきた。それはとても可憐で美しく、その声を聴いただけで、今度はキラのほうが緊張してしまった。

 不自然な間が空き、キラはそれを隠すように、いくらか早口で言う。


「うん、まあ、起きた時からずっと一緒にいてくれてるし」

「起きたとき?」

「あ……」

 口を滑らした。

 リリィが不思議そうに首を傾げ、澄んだ青い瞳で見つめてくる。

 整った顔が近づくにつれて、キラは頭が燃えてしまいそうなほど照れてしまい――しかし、彼女のつややかなピンク色の唇からどうしても視線が外せなかった――、恥ずかしさのあまり、本当のことをしどろもどろと続けた。


「えっと、近くの海岸で倒れてたらしくて。まあ、何があったか全然覚えてないんだけど。で、ランディさんに拾われて、気づいたらユニィが近くにいたんだ。『起きた時に』っていうのは、そういうこと」

「幸いでしたわね」

 リリィは一言だけ、ゆっくりとした口調で言う。

 その言うとおりだとキラは思った。ランディとユニィ、どちらかが欠けていたら今頃どうしていたかわからない。


 そこでキラは、リリィに助けられたことを思い出した。彼女がいなければ、やはりあの凶悪な角に貫かれ、ユニィとともに死んでいたかもしれなかったのだ。

「あの、さっきはありがとう。助かったよ」

 リリィは嬉しそうに笑い、少ししてからその豊かな胸を張った。銀色に輝く胸当てが、カシャリと窮屈そうに呻く。


「騎士として当然のことをしたまでですわ」

「きし……?」

 キラは聞かない単語に首を傾げた。

 剣士ならばランディから聞いている。剣を振るい、魔獣を撃退する人のことだ。

 するとその様子に気づいたリリィは、キラをまじまじと見つめた。

「人を救う正義の心を持った者のことですけど……覚えてないって、まさか記憶喪失のことでしたの?」


 キラはどう返答すればいいのか迷い、笑って済ませようとした。

 だが、彼女はそれでは納得できないらしい。さっきも見せた心配そうな表情で、身体や頭を遠慮なくペタペタと触ってくる。

「笑ってすむようなことじゃありませんわ。心臓の病に、記憶喪失……しかもベヒーモスに襲われて……本当に、どこにも怪我はないんでしょうね?」

「大丈夫だよ、大丈夫だから――いでっ」

 リリィが肘を触った時、ズキリと痛み、キラは顔をゆがめた。見ると、少しすりむいている。


 小鬼のせいでユニィに振り落とされた時、肘をすりむいてしまったみたいだ。

「いけませんわ」

 美人騎士は傷口の土を払い、そっと手で傷を覆う。

 彼女は何事かを呟き、すると、その手がぼんやりとした白い光で包まれた。


「これは……?」

「治癒の魔法ですわ。実はちょっと苦手なんですけれども、このくらいの傷ならば……あら?」

 リリィが手を離してみても、傷は全く治っていなかった。ただ、傷口がむず痒くなっただけだ。

「おかしいですわね。失敗したのでしょうか? もう一度……」


「たぶん、無駄だと思うよ」


 そこでランディが口をはさんだ。考えがまとまったようで、老人はさっぱりとした顔つきになっている。

 彼はキラの傷ついた腕を、タオルで巻きながら言う。

「キラ君の体質は特殊でね。治癒の魔法の効力をほとんど受け付けないんだ。魔法を使えない影響だろうね」


 リリィは目を見開き、キラを見た。

「本当ですの、それは?」

 キラは頷いた。

 いくつか生活に役立つ魔法を習ったが、一つとしてその効力のかけらも発揮しなかった。子供にすらできるものも同じ有様だった。


 だがそれは、キラに限ったことではなく、

「そんな……それではまるで……」

「ふふ、私のようだろう、リリィ君」

 ランディもまた、魔法を使えないのだ。

 だが使えたとしても彼には不要だろう。

 あの怪物を、剣を二度振るうだけで瀕死にまで追いつめたのだから。


「それはそうと、リリィ君、君の要望通り王都へ向かうことにするよ」

「ほ、本当にっ? ――で、ございますか?」

「うむ。君は相当な力を持っている。すでに元帥の地位についているんだろうね。そんな君が助けを求めに来たんだ、見過ごすことはできない」

「ありがとうございます。これで百人力ですわ」

 リリィは何度も頭を下げた。


 それほどに、〝王都〟というところに危険が迫っているのだろう。

 とすれば、そんな時に助力を求められ、しかも『百人力』と称されるとは、この心優しい老人はいったい何者なのだろう?


 何にせよ、彼がいなくなれば、村は立ち行かなくなる。彼は村一番の剣の達人の上、村長も務めているのだ。

 どうするつもりなんだろう?


「では早速――」

「ただ、二つほど頼みがあるんだが」

「はい?」

「一つは騎士団の小隊を村に派遣してほしいんだ。ベヒーモスが二頭も出没するなど、今までにないことなんでね」

「承知しました。あと一つは?」

「おそらく戦争になるのだろうね、状況から察するに。そこで、弟子を連れていくことを許可してほしいんだ」

「弟子、ですか? ランディ殿の?」

「うむ。きっとこの先助けになるであろう弟子だ」


 嬉しそうに言う老人をキラは不思議に思った。

 ランディは腕が立ち、そのことで村人たちに稽古をつけることがある。ただそれは頼まれてのことであって、彼がすすんですることはない。


 彼の言葉を借りれば、『村の皆は、弟子にするには多くの経験を積んでいる』。

 今までにも、三人しか弟子を取ったことがないらしい。そのうちの二人が、リリィの両親だろう。

 可能性があるとすれば、彼の孫であるユースだ。だが彼女はまだ十歳の少女で、剣を一振りするのにも苦労していた。

 だとすれば、一体だれが弟子なのだろう……?

「ではそのお弟子さんにも話をうかがわなければ。わたくしも、これからどう状況が悪化していくのか予想しきれませんので……」


「む、そうか。ということで、どう思うかね、キラ君」


「へ?」


「力を貸してくれないかな、この国を守るために」

 ここまで聞いたら、いくら世間知らずなキラでも理解できた。





 広大な森の端にぽつんと存在する小さな村の名は、〝グストの村〟。多くの魔獣に囲まれながらも、村人たちは平穏に暮らしていた。人の気配やにおいを遮断する結界に囲まれ、平和が保たれているのだ。

 だがそれも完全ではない。見つかるときには見つかり、そのために皆は剣の訓練を怠らないでいる。


 この光景は、村の門をくぐるとすぐに見ることができた。男はもちろん、中には女性や小さな子どもも。皆一様に、太い丸太を魔獣に見立てて木の剣を振るっている。


「村長!」

「やあ、ヴィル、調子がよさそうだね」

「はい、村長の助言のおかげです!」

「ん、よかった。――ああ、ロラル。畑の収穫はどうなっているんだい?」

「それがいつの間にかシシに侵入されてて。備蓄は十日分ほどあるのですが……」

「うむ……しばらくはデフロットに頼るしかないね……。はずれの畑も、さっき完成したばかりだし」


 ランディが通ると、村の皆がそれぞれ声をかけてきた。単なる挨拶だったり、感謝の言葉だったり、相談事だったり。

 彼が皆に尊敬され、愛されているという証拠だった。


 一方でリリィには、いろいろな視線が集まった。絶世の美女ということで浮かれる男もいれば、紅の騎士然とした格好に目を輝かせる子どももいる。

 だがリリィはそういう視線に慣れているのか、気にもしていなかった。


 ランディから教えられたのだが、〝イルド〟という名の都は、王城も抱える相当な規模の街だという。

 木ではなく赤いレンガの建物が多くあり、道にしても砂利ではなく石畳。大きな通りがいくつもあり、複雑に入り組んだ迷路のような場所もある。道行く人々はこの村の人口の比ではない。


 どこからでもお城を見ることができて、特に夜になるとたくさんの明かりで光り輝くらしい。

 そんなところからリリィは来たのだ。そもそも、恰好からして違う。


 キラも村人も、せいぜい紺色に染色したリネンの服を着ているのに対して、彼女は紅のコートに肌を見せないほどのぴっちりとした白いズボンという、とても煌びやかな服装だ。

 鎧にしてもそうだ。胸当てに、ひざ上まで覆う脚の甲冑。どちらも銀色で、何かの意匠が彫られている。一方で、村の倉庫には使い古された革の鎧しかない――使うことを躊躇したくなるようなものばかりなのだ。


 だからか、村の人たちがざわつくのも分かる気がした。

 王都にはリリィのような美人な騎士も多くいるのだろうか?

 反対に、男の騎士というのはどういう人がいるのだろうか?

 そんな疑問が次々と湧いてくるのだ。


「ところでキラ。ランディ殿の弟子というのは本当ですの?」

 チラチラとリリィを見ていたキラは、突然彼女に青い瞳を向けられドキっとした。

「う、うぅん……まあ。一応、稽古をつけてくれてるみたいだけど……」

 実を言うと、キラも老人の弟子発言を聞いたのは初めてだった。だがランディの近くでそれを正面から否定するのは気が引けて、微妙な返事をした。


「では、この村の皆さんのように剣の修業を?」

「あ~……いや。実は剣を振ったことがほとんどなくて。ゴブリン相手に初めて鞘から抜いたくらいだよ」

 鞘から抜いた剣は重く、切り裂いたゴブリンは柔らかくもあり硬くもあった。

 とっさの攻撃は成功に終わったが、今更ながらぞっとした。


「だからまあ、僕が力になれるかはちょっと疑問で……」

 リリィは全くの無反応だった。その横顔は真剣そのもので、しかしそれゆえに美しくもあった。



 会話のないまましばらくして、ランディの家についた。周りよりも一回り大きな家だ。他とは違い、馬小屋も並んで建っている。

 それが見えるなり、白馬のユニィが勝手に早足で歩いていった。まだ荷も降ろさないまま、馬小屋の奥に消えていく。


「えい、やっ」

 小屋の近くでは、少女が一生懸命木剣を振っていた。

 ランディの孫であるユースだ。単なる素振りであったが、小柄な彼女にはそれも精いっぱいのようで、何度もよろけている。

「ユース。腕だけで剣を振ろうとする癖を直さなければね」

 老人が声をかけると、黒髪のユースはぱっと顔を輝かせて走り寄ってきた。

 短めの黒髪に汗が滴り、頬が上気しているということは、ずいぶんと前から剣の訓練をしていたみたいだ。


「お帰り、おじいちゃん、お兄ちゃん! ……と、さっきのお姉ちゃん!」

「ランディ殿のお孫さんって、あなただったのね。先ほどはありがとう、おかげで助かりましたわ」

「うむ? もう顔を合わせていたのかね?」

「ええ。異変を感じる少し前に、この村に到着しましたの。そこで、この子――ユースちゃんと会って、ランディ殿の居場所を聞いたというわけですわ」

「そうか、それならば早いね。ユース、彼女は今晩泊まるから、お母さんに寝床の用意を頼んできておくれ」


 少女は無邪気に返事をして、家へ入っていく。元気な声が外まで聞こえてきた。

「さ、急いで旅支度をしなければね。リリィ君、王都へ向かうにはまず支部へ行くんだろうけど――」

「申し訳ありません、ランディ殿」

 リリィがランディの言葉を遮った。



「やはり、キラの同行を認めることはできませんわ」



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