23.微かな自覚
キラはエリックのことを知らない。
単身で悪玉の膝元へもぐりこむことへの決意と覚悟など、想像もできない。
だが――いや、だからこそ、剣を合わせてひしひしと感じる。鍔迫り合いが続く中、父親譲りの頑固なまなざしが訴えかけてくるのだ。
勝利に対する執念を。何があっても屈しない強さを。
彼にリリィやランディのような腕はなかったが、それを補って余りある気迫があった。
紅の騎士の大振りもドラゴンの猛撃もガイアのパワーも耐え切れたが、エリックとの鍔迫り合いは押し返せる気がしなかった。
「お前、剣にまだ慣れてないな」
ぎちぎちと金属音が振動する向こう側で、エリックが喉の奥から力を込めて聞いてきた。
キラは立ち位置を変え、剣に加える力点を変え。押し切られないようにしているので精いっぱいだった。
ニコラはエリックを『年相応』の剣の腕と称していたが、とんでもない。
この気迫は、巨大な力だ。
「慣れてないのをとんでもない才能でカバーしてる感じだ」
「だから……何?」
「そういうのがむかつくって話だよ!」
エリックが強引に剣を振り切った。
微妙に姿勢を変えるその瞬間を狙ってきたのだ。
キラはたたらを踏んで後退し、エリックの追撃をギリギリのところでいなしていく。
防いで、躱して、受け流して耐え――ようやく隙を見つけた。
勝利を求めるあまり、少年は半端な位置へ踏み込んできたのだ。
キラは襲い掛かる剣を払いのけ、彼の首に突き付けて降参を求めようとした。
が、寸前で剣を引き寄せた少年は、それを柄で受け止めた。
「……!」
「く……っそ!」
キラが目を瞠ったところを、エリックは見逃しはしなかった。
後退して体勢を持ち直し、再び斬りこんできて鍔迫り合いへと持ち込んだ。
「お前、剣をもってどれくらいだ?」
エリックが息を荒くして聞いてきた。
「……一週間」
「ハッ! 願ってもない才能だな……金稼ぎにはちょうどいいだろ」
「なに……?」
「その腕ならこんな掃き溜めじゃなくてもやっていけるはずだ……! だったら、勝ちを俺に譲れ!」
「そんなこと……!」
「譲らねえなら奪うまでだ。へらへらして傭兵に志願するような奴に負けるわけにはいかないんだよ!」
「……へらへら?」
「反吐が出るんだよ。才能だけで覚悟も執念もない奴なんてな……!」
同じように、エリックは力を込めて剣で無理矢理薙ぎ払おうとしてくる。
キラはそれを受け止め、逆に押し返した。
むっと、眉を寄せて。
「ち……てめぇ」
「誰が……」
不安定な心臓がバクバクと暴れ始め、包帯を巻いているあちこちの傷が再び痛みだす。
だが、そんなことは気にならない。どころか、全身に力がみなぎってくる。
「あ?」
「誰が好んで『こんな掃き溜め』に……!」
元はといえば、エリックが傭兵になるために単身でここへ来たのが原因なのだ。
そのために、彼の両親が心配している。
そのために、セドリックとドミニクが心を痛めている。
そのために、彼らの計画は保留となった。
ただエリックという少年の身の安全のために。彼を思って、皆がその意向に賛同した。
「才能ってのはよく知んないけど、そんな奴に君はこれから負けるんだ」
「なんだと?」
だが、キラにとって何より重いのが、このせいで王都へ行かなければならない人物が足止めを食らっているということだ。
彼女は騎士で貴族で、そうでなくとも、そういうことを見逃せない人だ。
本当にぎりぎりの判断で、ニコラの息子を連れ戻す手伝いを決心した。
なのに……。
「そんな奴に負けるなら、ここに来るのはまだ早いってことなんじゃないの?」
キラは、リリィのために動いている。
恩人たちに恩を返したいから動いている。
記憶を失った空虚な自分を、理解してくれた人たちを助けたいから。
だから何でもできるが――目の前の自分勝手な少年のために怒りを抑えられるほど、キラは大人ではなかった。
「決めつけるんじゃねえよ……勝つんだ! 俺が!」
「いや、負ける。君が何をしたいのかはわからないけど……君みたいに周りが見えてない奴に、負けたくなんかない!」
キラは力で攻めた。
ぐいぐいと押し込み、自分の方が身長が高いのを利用して、圧迫していく。
包帯を巻いた腕がプチプチとはじけたが、どうでもいい。今なら暴れ狂う心臓すら抑え込める気がするのだ。全然平気だ。
エリックは一歩下がり、二歩下がり――三歩目でキラは再び仕掛けた。一層力をこめ、体勢を崩しにかかる。
少年の体勢がわずかに後ろへそれた。剣を握る手もわずかに浅くなっている。
そこでキラは思いっきり剣を弾き飛ばし、無防備になったエリックのみぞおちに、剣の柄頭をたたきこんだ。
「ふう……」
少年はうめき声もなく、気絶して崩れ落ちる。
どっと疲れた気がして、キラは大きくため息をついた。
腹が立っていて忘れていたが、これからが肝心だ。エリックをどうにかここから連れ帰らないと。
とりあえず、手当を装って連れ出そう。
そんなことを思いながら少年に近づいたが、
「殺せ!」
キラはようやく、周りの異様な雰囲気に気が付いた。
滑稽なデモンストレーションの時とは違い、高貴なる観客たちはおかしな盛り上がりを見せていた。
興奮して興奮して、立ち上がり拳を振るって、皆が口々に叫んでいる。
「ほら、何してんだ!」
「とどめを刺すんだよ、野蛮人らしく!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
キラは困惑してしまった。
殺す? たかだか傭兵の試験で?
しかし、観客たちの熱は収まらない。どころか、ますます常軌を逸していく。
キラは動揺しながらも、剣を納めようとして――憎たらしい声が聞こえた。
「何をしている? 早く殺すんだ」
端の方で豪奢な席について、父親とブラックに挟まれて傍観していたラスティが、憎たらしく口端を歪めている。
「殺すって……そんなこと」
「これは貴様に傭兵の素質があるかどうかを見極める試験だぞ? 傭兵が人を殺せなくてどうする。――やるなら野蛮人らしくな。その方が盛り上がる」
「盛り上がる……?」
思ってもみない言葉に呆然としていると、ぶくぶくと太った父親の方が、いくらか甲高い声で口をはさんだ。
「盛り上がらねば、娯楽とはなるまい。傭兵の実績があるならまだしも、ただ傭兵になりたいという愚かなお前たちの要望に耳を傾けてやっているんだ。少しは私たちを楽しませるべきだ。だろう?」
ぎりっ、とキラは歯ぎしりした。
娯楽? 楽しませる?
なんとふざけた言葉だろう。これほどの侮辱は他にない。
キラはエマールを睨み付け、怒りに任せて罵ろうとして――。
背後で、より大きな塊が爆発した。
● ● ●
リリィは門の前の人だかりに紛れるキラを見送った。
昨日は怒りを抑えるので精いっぱいだった。いや、この街にくる以前からぎりぎりであった。
あのシス(・・・・)がいるのを見て、本当にどうにかなりそうだったが……キラのためと思えば、何とか我慢できた。キレてしまえば、何より彼に迷惑がかかるのだ。
ずっと――特にこのエマール領に入ってからずっと、キラには無理させっぱなしだった。
オービットでドラゴンとの接触から始まり、偽物とはいえ『夫』として振る舞い、『リリィ・エルトリア』をかくまってくれている。さらには、身体もつらいだろうに、ここに来るまで何度も戦っている。
すべては、王都へたどり着くために。
そのために、ようやくできた友達の思いを無下にし、自分が嫌な思いをしてまで、力を貸してくれている。
だからこそ、こんなところで怒りを発散させるわけにはいかなかった。
この街――エマールとの因縁など、関係ない。
貴族として、人として、彼へは最大の感謝と敬意と愛情を示すべきなのだ。
とはいえ、積もりに積もったものは今にも崩れそうで、ボロけた武具通りを見るだけでも、ふうっ、とため息をついて落ち着かなければならなかった。
リリィはフードをかぶり、なるべく目立たないようにしながら歩く。
やはり商店が連なった通りの割に、道幅が狭い。ほとんどが露店の形をとっているため、客が道のど真ん中に立って取引をしているのは当たり前だ。
人や並べられてある商品に体をぶつけないようにしながら、ひしひしと周りの視線を感じた。
リリィの着ている麻のマントは、英雄に戦争への参加をお願いしに行く前、王都で購入したものだ。
何しろこの旅は――といっても転移の魔法を使った短いものだったが――、エマの提案によって急に決まったものであり、特にこれを好んだというものではない。……キラに会うことが事前に分かっていれば、もう少し時間をかけて選んだかもしれないが。
ともかく、そんなマントであっても、〝労働区〟の住人には高価なものと映るらしい。羨ましい、疎ましい、妬ましい……いろいろな感情が注目しているのが分かった。
とても居心地が悪い。
キラが離れているからかもしれない。状況が状況なだけに、約束を破られたとは全く思っていないが、それでも胸をきゅっと締め付けられるような、どこか切ない気持ちになる。
もしかしたら、彼が母に似ているからかもしれない。
リリィは気が付かないうちに早足になり、昨日の武具店へと向かっていた。
住民たちも直に接すればおかしな偏見も持たなくなるらしく、昨日来た時と違い、最初から丁寧な態度で接客してくれた。
ただ、やはり彼らは職人たちだった。いくらリリィがもっと早く、開門時間が過ぎてしまうからとお願いしても、手を抜くことはなかった。
そもそも一日で完成させろというのが酷な話ではあったが、間に合わなかった場合は、門を自力で破ることになる。そんなことはごめんだ。
お願いをし続けていると、よほど切羽詰まった表情をしていたのか、彼らは多少の妥協をしてくれた。
もう少し見栄えをよくしたかったと残念がるその店の親方に、リリィは少し色を付けて代金を支払い、せかせかと来た道を戻った。
宿の狭い馬小屋で白馬たちが元気にしているのを確認しつつ、キラと共に借りた部屋に入ってさっと胸当てをつける。
ニコラとエリックを見送れば、その先は戦争だ。
いまだセレナからはリンク・イヤリングへの連絡はないが、おそらく、王都へ着くころには帝国軍の侵攻は始まっている。
七年前もそうだった。師団長たちが次々と王都を離れていったと思うと、そのタイミングで闇と共に攻め入ってきた。すでに王都を包囲していたかと思うくらいに、進行速度が速かったのだ。
外から、内から。そうして崩れていき……。
だが、今回は違う。
リリィもセレナもあの頃より成長し、騎士団には父と〝鬼才〟のエマがいる。
それに加えてかの〝不死身の英雄〟、そして母に似た剣の天才たるキラ。……気にくわないが、あの生意気なグリューンも数に入れることとする。
誰一人欠けることなく、王都を守り切れるはずだ。
改めて気合を入れて――内にこもる怒りをやり過ごす意味もあったが――、白銀の剣を確かめる。昨日はいろんなことが頭の中で駆け巡っていて、結局砥石を使うことはなかったが、この分ならばまだ必要はない。
リリィは、エヴァルトの待つ貴族街への門へ行く……その前に、ニコラの部屋の前に立った。父親が何もできずにただ待っているというのは、やはりつらいものだろう。
そう思って何か一言声をかけようと思ったのだが、あいにく留守だった。
彼は――彼らの計画はまだ終わったわけではない。その時に備えて情報収集にでも行ったのかもしれない。あるいは不安に耐えかね、気を紛らわせるために散歩をしているかもしれない。
どちらにせよ、早くキラと共にエリックをニコラの元へ返さなければ。
リリィは唇をきゅっとしぼり、駆け足で〝労働区〟の門へ向かった。
王国内であっても、貴族と平民とを区分する街の構造というのは、それほど珍しくはない。例え支部が設置されていようとも、騎士団がその街の行政に口出すことは許されない。
これは王国の建国にもかかわった『御三家』の影響ともいえる。
最初期の彼らは『民衆のための貴族』だったが、あくまでも自分たちが『貴族』であり、『民衆』が平民であることにこだわった。人々を不安にさせることなく未来へと導くことに、誇りを持っていたのだ。
そのままであったならば、極端な街は生まれなかった。彼らは決して、身分を定めることによって、平民たちを差別しようとは思っていなかった。
むしろ、どうしても教育を受けられない者たちを、何とかして守ろうとしていた。
――平民であるから、余分な教育を受ける必要はない。だから自分たちの生活だけに目を向ければいい。
だが、そんな思想は瞬く間に変化した。言葉の持つ意味が、後の世にまで正しく伝わることは非常にまれである。
その上、帝国との〝不屈の戦争〟の始まりだ。
『御三家』は国を守るために、バラバラで協調性のなかった貴族たちをまとめ上げた。言い換えれば、民衆たちに目を向けることもなくなっていた。
そしてその貴族たちは、平民にこうささやくのだ。
――教育を受けないならば、せめて兵力となって国の役に立て。そうすれば生活も保障する。
貴族と平民の間に壁ができ、上下関係までもが作られた瞬間である。
貴族たち――特に『御三家』とその傘下は急激に堕落し、やがてエマール領タニアのような、極端な身分差別がものをいう街を生んだ。
エマール家以外の『御三家』――アズナブール家と、その三つの内でもマシなダルク家の領地にも、タニアのような街は存在する。
これらには、共通してある特徴があった。
タニアの場合、貴族街と貧困街は『壁』で分割され、貧困街はさらに〝居住区〟と〝労働区〟と区別されている。
だが上下関係というのは、貴族と平民の間だけで作られているものではない。
貴族街の中でも、身分によって住む場所が分かれている。エマール城の近くには上流階級が、街を隔てる 『壁』の近くには下流階級が割り当てられているのだ。
リリィにしてみれば、とても滑稽で気味の悪い場所であった。
『壁』の近くに住む貴族たちは、自分より下の者たちを見下すことに余念がない。
傭兵や行商人、〝労働区〟の商人たちが歩いているのを見れば、鼻で笑い、あるいは侮蔑の視線を送り。同じ貴族である人間でさえも、その身なりから判断して見下す。
リリィも、そんな気味の悪い視線にさらされた。
だが彼らは気づいていないのだ。その行為は、はたから見れば、『上に切り捨てられないよう頑張って着飾っている』ようにしか思えないことに。
ただ、そんな人間たちがいる中では、端がぼろけた赤いバンダナは良い目印となった。
この傭兵の愉快な口調と、周りの様子も気にしない気楽な立ち振る舞いは、ほっとするものであった。
キラが傍にいるのが、一番に良いことであるが……。
「おお、間に合ってよかったわ。胸当ては無事買えたか?」
「……よくへらへらしていますわね」
「へ?」
「説得を諦めるならまだしも、傭兵の試験を受けさせるだなんて……もちろん、説明はあるのでしょうね?」
リリィは第一に、この訛りの強い男をギラリとにらみつけた。
このせいで、また一つ、キラの負担が増えたのだ。
少しは責任を感じてもらいたかった。
「う……お、俺も頑張ったんやで? やけど、シスのやつが……」
「シス?」
「せや! あいつが勝手に割り込んでいらん事吹き込みよったんや!」
リリィはため息をついた。
毎度のことながら、いつもの調子だった。ここまで来るとお人好しなどではなく、トラブルメーカーだ。
「……もうわかりましたから。さっさと案内しなさいな」
「ほんまなんやで」
「分かったといったでしょう」
とは言いながらも、リリィは眉間にしわを寄せていた。
誰のせいでも、現状が変わることはないのだ。
「せや、一つ言っとかなあかんことがあったわ」
「何です?」
「俺はもうここの傭兵になってしもうたからな、これ以上の手助けはできんで。会場に着いたら、もう他人同士や。この街から出るのも自分たちでどうにかすることやな」
「親切にどうも。しかし、わたくしたちもそれは承知していますので」
「……なんや、えらい冷たないか? あの少年に対する態度とまるで違うやん」
「キラはわたくしの『夫』ですもの。違って当然ですわ。……それとも、もう少し頼ってほしかったので?」
「ぬう……いうやないか」
半ば八つ当たりであったが、少しだけすっきりした。
心が軽くなり、何もかもがうまくいくような気がした――。
体の奥から燃え上がっていくような感覚には、いつも決まった感情が伴っている。
「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!」
人々が口にするのは、そんな野蛮な言葉である。
一瞬、場所を間違えたかと思った。
エヴァルトの冗談か何かと思った。
本当はここは、戦士たちのはけ口かとも思った。
だが、違う。
何より、『夫』が中央に立っていた。剣を手に持ち、辺りを見渡し困惑している。
その足元には、少年――エリックが倒れていた。
「盛り上がらねば娯楽とはなるまい」
憎たらしいほど冷静なこの声は、知っている。
トレイト・エマール。
いまや母の敵となった許されざる男だ。
「傭兵の実績があるならまだしも、ただ傭兵になりたいというお前たちの要望に耳を傾けてやっているんだ。少しは私たちを楽しませるべきだ。だろう?」
そうと分かった今ならば、この根性の腐りきった男の言葉にも合点がいく。
らしい言葉、考え方だ。そのもとに集まる貴族たちが、心無い野蛮人へと堕ちるのも納得だ。
こんな場所には居たくない、居させたくない。
ここは肥溜めだ。ここにいては、純粋なキラまでもが汚染されてしまう。
早くエリックと共に連れ帰らねば……。
だが、もう我慢の限界だった。
知らぬ間に紅の炎でマントを燃やしていた。
周りの汚らしい俗物が何やら驚いているようだったが、関係ない。
鬱陶しいフードを払いのけ、リリィは溜りにたまった怒りを爆発させた。
「裏切り者が良い御身分ですわね。娯楽とあれば、あなたを焼き払うことも一興ではありませんか? ――腐った焼き豚など、見たくもありませんが」




