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22. しくみ

 旅のための分厚い靴を履き、紐をぎゅっと縛る。窮屈でないことを確認してから、立ち上がり、よれてねじまがった服をさっと伸ばした。

 剣帯を腰に巻いて、鞘を通す。ベルトやバックルを確認してから、最後にマントを羽織る。

 これでキラの準備は完了した。


「本当にいいんですの? 一人で大丈夫ですか?」


 リリィが心配そうに眉をよせ、神経質にキラの身体をペタペタと触る。

 彼女も準備万端で、紅のコートの上にマントを羽織ってフードを目深にかぶり、全身はおろか、その黄金色の美しい髪のかけらも見せないようにしている。

 リリィも同じように、寝間着を用意していない――ユニィの鞍にまとめていたために転移でなくした――ため、着替える必要がなく、したがって前のように見てしまう・・・・・ことはなかった。せいぜい半袖白シャツに、ぴっちりとした白ズボンというラフな格好を目にしただけだ。

 残念のような、そうでないような……。


「大丈夫だよ。一人っていっても、エヴァルトもいるし」

「でも……」

「組み分け試験ってのは限られた時間でしかやってないだろうから、なるべく早い方がいいでしょ」

「ん……」

「まあ、離れないでいるって約束には反しちゃうけど、でもそうも言ってられないし」

「……ええ、そうですわね」


 貴族街への門が開くのはあともう少し。大体正午から、三十分ほど開門しているという。

 そこでおそらく、あの訛りの強い傭兵が待っているはず。

 待ち合わせには、キラが一人で行くことになった。


 朝の内に気づいたのだが、リリィは昨日、武具アルミュー通りで胸当てを購入していた。彼女用に採寸してもらい、今日の昼に出来上がると聞いている。

 最初は二人で一緒に行こうという話だったが、それを聞いたニコラが妙に落ち着きをなくしてしまったので、キラはリリィと別れて、直接エマール城へ行くことにした次第である。


「じゃあ、これからのことを確認しますわよ?」

「うん」

「なすべきことは、エリックを傭兵にさせない――彼に勝つということ。キラならば心配はないでしょうけど……それでも、相手はあの村で生き残った立派な戦士ですわ。あなたも、あまり本調子でないのですから、十分に注意してくださいね?」

 キラは頷いた。


 セドリックたちの友人は、生半可な覚悟で挑んではいないはずだ。憎い敵であるはずのエマールの懐に飛び込もうとしているのだ。

 その覚悟を断ち切ろうとするならば……。

 気を引き締めていかなければならない。キラの表情は自然と硬くなっていた。


「できれば、気絶させた方がいいですわね。賢い選択とは言えませんが……それでも、抵抗されてどうにもできなくなるよりましです」

「頑張ってみるよ。そこからは?」

「わたくしも合流しているでしょうから、その時に考えましょう。ここのところ、想定外のことが続いていますから」

 リリィは冗談交じりに笑い、キラもそれにつられて笑った。

「よし。それじゃあ行こうか」

 ひとしきり笑ったおかげで、何とかなりそうだという気がしてきた。

 キラはフードを目深にかぶり、『恥ずかしがり屋な妻』を連れ添って部屋を出た。




 貴族街への鉄門の前には、昨日と同じように人だかりができていた。

 剣や槍や杖を背負った傭兵志望の戦士たちばかりではなく、小ぶりな馬車を操る行商人や、背中に大きな荷物を抱えた商人たちもいる。


 一部はタニアの住人らしく、聞き耳を立てている限り、彼らは出来上がった商品を納めに行くらしい。

 〝労働区〟とはその名の通り、〝貴族街〟を成り立たせるための平民の働き口となるのだ。

 悪臭漂う川の傍でリネン職人や皮なめし職人や精肉職人たちがせっせと仕事をしているのは、金を得るためであっても、決して彼らの生活をより良くするためのものではない。住人たちは自分たちが作ったものを、自分たちで利用するのが許されていない。たとえそれが、食糧であっても。


 そんな話を聞き、キラはむっと眉をひそめ、いらだちのため息をついた。

 ならばいったい、彼らはどうやって生活しているのだろう?

 貴族たちとは、それほどにも偉いものなのだろうか?

 誰にぶつけることもできない憤りを深呼吸しながら振り払っていると、鉄門がぎりぎりと音を立て始めた。


 開門だ。

 人だかりはゆっくりと前進し、左右に設けられた検問所の窓口に手を伸ばす。申請書を提示し、いくつかの質問に厳かに答えていく。

 キラも少しドキドキしながら前の人たちに倣い、あっけなく貴族街へ入ることができた。



 門の向こう側は、まるで別世界だった。

 〝労働区〟とは違い、道は土埃のたたない石畳で敷き詰められている。馬や荷車が通るたびに、かたかたと小気味の良い音がなる。

 道幅もゆったりとしていて、両側には整然と建物が並んでいた。それもボロボロの木造家屋ではなく、赤レンガを積んだ鮮やかな建物だ。屋根の形も色もさまざまで、派手ではなかったが、〝労働区〟よりも色彩豊かな街並みであることは確かだった。


 そんな貴族街にキラは終始圧倒され、ぽかんと口を開けて立ちっぱなしになっていた。

 何より驚いたのは、門から続く大通りの先にあるものだ。

 周りよりも一段と高い場所に築かれたそれは、山のようだった。しかしよく見れば、背の高い建築物の集団だということが分かる。太陽の光も跳ね返さんばかりの白さが際立ち、まるで自らがこの街の支配者だと言わんばかりだった。

 すなわち、あれが、


「エマール城……」


 セドリックたちを苦しめる象徴なのである。

 キラは開けっ放しの口を閉じ、ぎゅっとしばった。

 再び、いらだちの波が襲ってくる。


「白の本体は真ん中にある尖塔の群れだけや。周りに見えるんは貴族様方の邸館やな」


 歯ぎしりまでしていると、もはや聞きなれた訛りの強い声が聞こえた。

 エヴァルトだ。赤いバンダナをまいた若い傭兵は、門から少し離れた場所で待っていたらしく、こちらへ歩いてくるところだった。


「これがどういう意味か、分かるか?」

「いや……」

「もし何者かにここを攻められたとき、真っ先に矢面に立たされるんは貴族様方っちゅうことや。いわば壁……城壁やな。城主エマールを守るための」

「何者か……」


 それは帝国だろうか? あるいは王国の反エマール派?

 どちらにしても、強引に攻め入ることはできないように思えた。


「そんなことよりも。ずいぶん時間がかかったっちゅうのは、まあええとして……俺の荷物は無事なんやろな?」

「それは大丈夫だよ。宿にあるし。ニコラさんがいるから、盗られることはないと思うけど……」

「あのガキの性格からして親父を置いてきたんは正解やろうが……お嬢さんもおらんみたいやけど?」

「昨日胸当てを買ったんだよ。今日受け取りでね、少し遅れて来る」

「せやったら、待たんとあかんなあ」

 キラは、その必要はない、と言おうとして、ぎょっとした。

 いつの間にか、


「その時間はないですよ。証なしの傭兵志願者の受け付けは、あと少しで終わってしまいますから」


 黒いマントを纏った優男、シスがエヴァルトの後ろに立っていた。わざとらしく、ゆっくりと彼の肩に手をかける。

 これにはエヴァルトも素っ頓狂な声を上げた。


「ホァ! ――お、お前、いきなり現れたり消えたりすな!」

「おや? これでも音を立てて近寄ったのですが……」

 シスはそう言いながらもにこにこと笑い、悪びれた様子はなかった。心なしか、楽しんでいるようにも見える。

「赤バンダナさん、彼を案内してあげてはどうです? 彼の……んん、奥さま? は私がお連れしましょう」

「逆や! 俺がここで待つさかい、お前さんが連れていけ。ずっと言いなりになるんはなんか癪やからな!」

「おやおや。では参りましょうか。少し小走りで。先ほども言ったように、時間がないので」


 シスは黒いマントを翻し、有無も言わさず、エマール城への道をたどり始めた。キラは軽くエヴァルトに礼を言って、そのあとを追う。

 ちらりと振り返ると、訛りの強い傭兵はすでに後ろを向いていた。知らない間に、彼は優男とおかしな関係を築いたらしい。

 あまりに唐突であったため、キラは笑うこともできなかった。





 門から続く幅広な道をしばらく行くと、邸館に挟まれた急な坂が現れた。

 そこも小走りで急ぐのだが、いよいよエマール城の門にたどり着いて振り返ってみると、気づくことがある。


 邸館の内側には窓や扉など、人が生活しているらしい様子が見て取れるのだが、外側はそういったものがないのだ。

 エヴァルトの言うとおり、そのさまは城をぐるりと取り囲む〝壁〟であった。邸館だけでなく、教会までもが形を変えている。原型があるのは、尖塔とその先にある聖母の偶像だけだ。

 そんな〝壁〟以上に、エマール城は巨大だった。城門の前に立っただけで、すでにその全貌が見渡せない。


 貴族街に足を踏み入れた時と同じように、キラはぽかんとしていた。その隣を、剣や盾や斧を背負った傭兵たちが緊張した面持ちで通り過ぎ、城門をくぐっていく。

 厳しい目つきをした門番たちも、どこか嫌そうな顔をしながらも、止めはしなかった。


「確認しておきますが、あなたは証を持っていませんよね?」

「うん。僕は行商人……ってことになってるから」

「では、こちらですね」


 シスは城内ではなく、邸館の内側に続く東方面の方へ歩き出した。

 弧を描くその道の左右は花壇で彩られ、おしゃれな小路といったものであった。道端では談笑する煌びやかな婦人たちがちらほらとみえる。

 紳士たちは、道すがら情報を共有している。その行く先は、キラたちと同じであった。


「場所が違う……?」

「ええ。証持ちとそうでない方とで。分かりやすく区別するためでしょう。経験者は城内の中庭、未経験者はこの東上流階級ノブル通りにある円形闘技場で組み分け試験を行うのです」

「なんで?」

「さあ、そこまでは。何か思惑でもあるんでしょうけど……。私自身、城内の中庭しか拝見していませんし」


 円形闘技場は、歩いているとすぐに見えてきた。まるで道を分断するように存在している、極端に低い構造物だった。

 そうはいっても〝労働区〟にあったどの建物よりも高いが、高い〝壁〟の邸館とその上を行くエマール城が隣接していては、足元にも及ばない、と表現するほかない。

 だからか、とても浮いていた。無理矢理はめ込んだような感じだ。


 そんな闘技場に、貴族たちが吸い込まれるように入っていく。

 明らかに戦いをするような人たちでないのに、なぜ試験の会場へ行くのだろう?


「なるほど、そういうことですか……」

 シスはあちこちに視線を飛ばしながら、低い声でつぶやいた。優しい風貌には似合わず、ひどく冷たく感じる。

 ややあって彼はキラに目配せをして、

「あなたの奥さんは、もしかしたら不快に思うでしょうね」

 つまらなさそうにそう告げた。





 ――シスの言葉通りであった。


 貧困街と貴族街の差は見て取れるほどにあった。道の様子、家屋の状態、道行く人々の身なりや表情……。

 〝労働区〟の奴隷化もその一つだ。差があるために、誰もが苦しむ状況が誕生した。

 しかも、その様子は〝貴族街〟の中にも存在していた。貴族と貴族の間でも、明確な格差があったのだ。

 門の近くですれ違った貴族と、東上流階級ノブル通りで会話に花を咲かせていた貴族たちとでは、比べることもなく明らかに顔つきが違っていた。

 だがそれらがどうでもいいと思うくらいに、この組み分け試験というエマールの生み出した仕組みはひどかった。


 キラもリリィもニコラもエリックもエヴァルトも、誰もがこの腐敗した街に足を踏み入れるべきではなかったのだ――。





 砂利で不揃いに整えられた円形の戦場を、何段にもわたる客席がぐるりと囲っている。

 すべての席が埋まり、皆、今か今かと始まりの合図を待ちわびていた。


「このタニアの地に住む高貴なる方々よ! お待たせいたした!」


 頂点にまで上り詰めた太陽がきらりとひときわ大きく輝いたとき、闘技場の中心で一人の男が観客たちへ向かって声高に呼びかけた。

 仰々しいまでの赤いマントを羽織り、ステッキを高々と掲げている。


「これより、誰もが心待ちにしていた決闘祭を開催する!」


 男の宣言と共に、水晶玉が埋め込まれたステッキの握り手から、炎の玉がひゅるりと上がってゆく。

 上空で煌びやかにはじけ飛び、巨大な一輪の花を咲かせた。


 決闘――それは暇を持て余した『高貴なる者たち』の最大の娯楽であった。

 刺激を求めて。ただその為だけに、皆、自分の人生とは無縁の者たちが争っているところを、高いところから見物していたいのだ。

 それがたとえ、戦士たちによる決死の傭兵志願であっても、関係ない。

 いや、そういう事情を知っているからこそ、闘技場に詰めかけた貴族たちは大いに盛り上がっていた。

「さあ、今回は特別に! この愉快な催しを彩る花を用意いたした!」



 愉快な催し?

 キラは眉をひそめ、目の前で本当に愉しげに観衆の目を集める男を睨んだ。


 不揃いに整えられた砂利には、数えきれないほどの血がしみ込んでいた。

 キラがいる南側の入場口などは、傷を負ったであろう志願者が引きずられた跡がある。背の低い少年――エリックが仁王立ちしている、北側の鉄柵扉のほうにも同じような跡が伸びている。

 ここで戦った者は皆、血を流しているのだ。


 彼らの思いや決意を知ることはないにしろ、決死で戦って傷ついているというのに、何故〝愉快〟と言える?

 しかも、貴族たちもこの見世物を心待ちにしている。

 キラには、空気がけがれていくような気がした。とても、息苦しい。


「その〝花〟の名はエキシビションマッチ! 私ことトレイト・エマールと、その腹心の部下、ブラックとの一騎打ちにございます!」


 会場が歓声の嵐から、どよめきの渦へと引き込まれる。

 キラも驚かずにはいられなかった。


 トレイト・エマール。エマール家の当主だ。

 丸々とした顔には余分な贅肉がつきまくり、肥えた体はエマール自身にも辛いものらしく、水晶玉付きの杖で支えなければならないほど。癖の強い長い前髪は、彼の健康状態を表すがごとく、ぎとぎとだ。


 そんな人物が、今から戦うのだという。

 とても信じられない。


「興味深い〝花〟ですね」


 キラは心臓が止まりそうだった――いや、実際にこのせいで不気味な鼓動を始めた。

 いつの間にか、隣にシスが立っていた。ぶかぶかな黒フードを目深にかぶり、声を聞かなければ誰だかわからないのだから余計だ。


「きゃ、客席で見てるんじゃないの?」

 キラは胸に手を当てながら聞いた。

「そう思いましたが、あの観衆に混ざるのは荷が重すぎました。そんなことより、エマール様はどうされるつもりでしょうね? 魔法を使うにしても、それでは〝特別〟とはなりえませんし」


 魔法でも剣でもないとすると、考えられるのは〝神力〟……。

 偉大な老人ランディが〝高速治癒〟を行使したのは納得できるが、肥えたエマールが特殊な技能を使うとは到底思えない。

 なにをしようとしているのか見極めようと、じっと目を凝らし――と、誰かに乱暴に押しのけられた。


「邪魔だ、野蛮人。俺様の前に立つな」


 顔見知りでもないのに横暴な態度を取ったのは、比較的若い男だった。他人を見下すような目つきで、己こそが強者であると胸を張る仕草は、どう見ても印象のいいものではない。

 だがキラは、彼がリリィの婚約者候補――と勝手に名乗り出たラスティ・エマールなのだと、すぐにわかった。

 父親とは違って背も高く細身であり、帯剣してはいたが、くすんだくせ毛の金髪は似通っている。大仰な身振りもそっくりだ。


 同時にキラは確信した。

 ラスティはリリィとは釣り合わない。絶対に。

 なんとしてでも彼女には近づけさせない。そう誓った瞬間であった。


 横暴な子息は鼻を鳴らし、再び歩き出す。その手には鎖が握られ、ぐいぐいと引っ張られているのは、鉄の首輪をつけられた人間だった。

「さっさと歩け、このノロマ! ――ちっ、まだ安定してないぞ……ベルゼめ……」


 前のめりになってのろのろと足を進める男は、傭兵の格好をしていた。簡素な革鎧で身につけ、刃こぼれだらけの剣を腰にぶら下げている。

 しかし、ろくな治療を受けていないらしく、鎧のない部分にはいくつもの傷跡があった。

 化膿して、血ではない何かが流れ続けている個所もあったが、虚ろな目をしている男は怪我をしていることにも気づいていないようだった。


 キラは絶句して、ラスティに引きずられていく男を見送った。

「〝預かり傭兵〟……ですか」

 シスがひどく冷たく、そして小さく呟いた。

 彼の表情は、ぶかぶかのフードで伺うことは出来なかった。



「さぞ驚かれたことだろうが、心配はない!」

 エマールが再び声を張り、さっと腕を振って登場口から現れたラスティを指し示す。戸惑っていた観客たちも、やっとのことで反応し、大きな拍手で迎える。

 ラスティも、先ほどの横暴な態度はどこへやら、よそ向きのいい笑顔で応えた。

 だが奇妙なことに、誰も鎖でつながれた傭兵には何の反応も示さなかった。


「私が戦うなどという野蛮な行為を嫌っていることは、皆々様はよく知っているはず。ですから、この日この時をもって、戦わずに戦うという方法をお見せしようと思う!」


 エマールは息子から鎖を受け取り、ぐいと引っ張る。

 そして、たたらを踏んだ傭兵の額に、ごつんと杖の水晶を当てた。

 カッ、と。一瞬にして視界を奪い去ってしまうような、まばゆい光が放たれた。


 キラはドキリと心臓をはねさせながらも、手で光を遮り、行く末を見守る。シスも、目を細めて注目していた。


 ――傭兵はピンと背筋を伸ばして立っていた。

 空虚な目はそのままに、気味の悪いほどやる気にあふれている。


「なるほど……。〝預かり傭兵〟とは言いえて妙ですね」

 それはどういう意味か。キラは問おうとしたが、ラスティの声によって遮られてしまった。


「これから行うのはエキシビションマッチであり、同時にデモンストレーションでもある! 戦わずに戦う……その真意は、父上と彼が明らかにしてくれるでしょう!」

 太った領主はいつの間にやら傭兵を連れて端の方へ寄り、その反対側にはエマールの〝腹心の部下〟が立っていた。


「あ……!」

 ブラックは、純白の髪に血のような赤い瞳をしていた。


 昨日、教会の前で出会った男だ。漆黒のコートがたなびかせる姿は、特徴的な容姿も相まって、この世のものではないようだ。

 男の赤い瞳が一瞬向いた気がして、キラは――そしてシスも――とっさに顔を背けた。


「昨日、下手に逆らわなくてよかったですね」

 頷いてみたものの、全身を包む緊張は晴れない。

 シスはまだいいが、キラはどのみちこの闘技場に立って戦うこととなる。

 なかなかにマズイ気がしてきた。


 どうやってエリックをこの会場から連れ戻そうかなど、考えている余裕がない。もはや別世界に迷い込んだかのようで、目に映るものや状況を受け止めるので精いっぱいだ。

 そうしているうちに、


「さあ、ではエキシビションマッチ――はじめっ!」


 ラスティによる合図が城内に響いた。

 ブラックはピクリともせず――先手を譲っているようにも見えた――、エマールが動いた。

 ブクブクな手で杖を握りしめ、ガツン、と地面を突く。すると、握り手にはめ込まれた水晶玉が淡く輝いた。


「行け」


 屈強な男は、主に逆らうことなく、剣を抜き放った。

 空虚な目のまま、だらりと剣を構えた白髪赤眼の男へ向かって走り出す。

 様になっているとは到底思えなかった。

 剣を手に走るという、何でもないその動作がどこかぎこちない。足の動かし方、剣の構えた手の位置、前傾姿勢……。

 どれを取って見ても、奇妙なものだった。

 恐ろしいほどかみ合っていない。


「彼は〝預かり傭兵〟という全く新しい従者。身も心もすべて主に任せ――そう、今も主のためだけに戦っている!」


 傭兵がブラックへ斬りかかるところで、ラスティが解説を始めた。

 それがどれだけ、〝高貴なる〟観客たちの心をひきつけたのかはわからない。だが事実として、皆が歓声をあげた。


「王国の行く末はとても不安定なもの。そのことは皆さま方もご存じのはず! 自分の身は自分で……乱れ行く時代では、一人一人が戦力を保持しなければならない! そして〝個〟が〝集団〟となった時――皆で団結したとき、戦乱の最中でももはや怖いものはなし!」


 〝預かり傭兵〟とブラックの戦いは、ラスティの言葉と会場の盛り上がりによって、激しいものとなっていく。

 エマールが杖を突くたびに、〝預かり傭兵〟はがらりと攻め手を替える。コンパクトから大胆に、一定のリズムから不規則なテンポへ。

 さらには魔法も交え、まるで何人もの人間が一斉にブラックへ襲い掛かっているようだった。

 だが……。


「すでに試した者・・・・もおられるであろう。俺も、そしてもちろんこのエマール領の頂点に立たれる父上も、〝預かり傭兵〟たちには舌を巻いている次第! この忠実さこそが、傭兵という野蛮人たちが目指すべき姿なのである!」


 観客が沸き上がると同時に、キラは果てしない違和感に襲われた。

 目の前で起こっていることすべてが、茶番に思えてならないのだ。

 ラスティの言葉も、この場にいるすべての貴族たちの反応も、〝預かり傭兵〟のデモンストレーションも。


 傭兵の動きは、いうなれば、一番下手な芝居だ。教えられた通り、筋書き通りに動いている。水汲みの時に襲い掛かってきた虚ろな目をした〝預かり傭兵〟たちとは、全くの別ものであった。

 そして白髪赤眼の男も。昨日感じた威圧感はなく、ただ素人な傭兵の芝居のランクまで力を抑え、それに合わせている。感情無く、淡々と。


「いろいろな思惑が渦巻いていますねえ……。エマール様やラスティ殿、その〝腹心の部下〟のブラック、そして観客の貴族たち。ここに本物の感情はあるんでしょうか? 確かに、誰もがこの決闘を楽しみにしているんでしょうが……」

「どうなんだろうね……」


 キラは静かに返しながらも、そんなものは無いと、断言出来た。

 この退屈なエキシビションマッチに盛り上がっていることこそが証拠だ。

 そうして、ブラックとエマールに忠実な〝預かり傭兵〟の対決は引き分けとなり、両者をたたえ合うという、なんとも滑稽な終わり方をした。


「さあ、お待ちかねのメインディッシュ! 傭兵を志す者たちの、生死をかけた戦いだ!」


 そしてキラは、顔も知らぬエリックと対峙する時が来た。


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