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15.邂逅

 村の朝は早い。それはグストの村もこの隠されたパルブの村も違わないようだ。

 その生活リズムはキラの身体にも刻まれており、たとえ疲労が蓄積していたとしても、自然と目を覚ましていた。

 キラはぐっと伸びをし、いくらか体を動かす。身体を締め付ける痛みはほとんどなくなっていた。全身の傷もうずくことはなく、もう包帯を取り換える必要もないくらいだった。

 心臓にも違和感はなく、この分ならば多少の戦闘も平気だろう。

 やはり、リリィが隣にいると調子がいいみたいだ。


「あ……キラさん、起きられましたか?」

 あくびをしたキラは、慌ててマントを羽織った。体中の包帯を見られて、怪しまれては困る。

「はい、ついさっき。でも……」

 キラは視線を落とす。

 看病のために丸一日起きていた反動だろう、リリィはまだ眠っていた。横になり、腕と足を畳んで熟睡している。

 小さく寝息を立てる姿はまるで子供で、それでいて綺麗だった。

 彼女の横顔に見とれていると、


「ふふ。奥さまがお好きなんですね、本当に」


「へぇっ?」


 ミレーヌがくすくすと笑いながらそう言ってきたため、キラはおかしな声を出してしまった。それが意外にも響き、リリィがうるさそうにしてうなった。

 口をつぐみ、キラは顔を真っ赤にしてコクコク頷く。

 今はリリィは妻であるのだ。すっかりと忘れていた。


 笑みを深めていたミレーヌだが、しばらくして申し訳なさそうな顔になった。

「あの、心苦しいことですが、キラさんにお願いしたいことが……」

「お、お願い……?」

 心を落ち着かせ、キラは何とか平静を保って聞き返した。

 夫が妻を好くのは当然……夫が妻を愛しているのは当然……。


「一緒に、水を汲みに行ってくれませんか? その、いつもはエリックがいるんですけど……」

 ミレーヌは目を伏せた。

 彼女の息子は昨日、傭兵になるといって村を出ていったのだ。

 エヴァルトがそのあとを追ったから大丈夫、と言うのはとても無責任な気がして、キラはあえてエリックのことには触れなかった。

「分かりました。手伝います」

「ありがとうございますっ。少し待っててください、すぐに準備いたしますから」


 キラは隠すように置いてあった剣を取り、きしむ荷台で立ち上がろうとして、眠るリリィを見つめた。

 きっと、これから色んなことが起こる。彼女は少しでも疲れをとっておいた方がいい。

 毛布代わりのマントをきちんとかけなおしてやり、キラは静かに荷馬車を出た。




 水汲みは一日に何回も行われるらしい。何が起こってもいいように、村に大量に備蓄しておくのだという。

 これには、村でも選りすぐりの戦士が護衛につく。今日は非番であるというニコラと、その後輩たちがついている。

 そうであるから、思ったよりも大人数でパルブの井戸へ向かうこととなった。


「キラ殿、剣をもっていたのだな」


 全身を鎧で固めたニコラが、馬を寄せ、キラのマントからはみ出た剣に目を止めた。殿を務めているためか、夫婦での相乗りではなかった。

 彼の妻は、なぜだかキラの後ろにいた。

「まあ。護身用に」

「あ、エヴァルトさんに忠告されたんですね?」

「えっと……そんなとこです」


 ミレーヌの何でもない問いに、キラは頬がひきつるのを感じた。

 とてもまずい。リリィもエヴァルトもいないこの状況では、すぐにぼろが出る。そのせいでこれからの行動に支障が出ては、何よりリリィに申し訳ない。

 だからキラは、ニコラが続けて何か言う前に、口をはさんだ。

「そ、そんなことより。なぜこんなに護衛が? 移動するといっても、エマール領内でしょう?」


 水汲みを目的としているのは、キラとミレーヌ、そしてキラと同年代の少年と少女の四人だ。

 それに対して、護衛をしている剣士は、ニコラも含めて六人。

 林に広がる馬の数は、とても多い。


「エマールは一年ほど前から定期的に傭兵を集めているんだ。今回ほど大規模なものではないが……」

「その傭兵さんたちの一部が、かなり粗暴な方たちで……その、いけないことをするんです」

「いけないこと、ですか」

 名乗ったもの勝ち、とエヴァルトが言っていたのを思い出す。名乗るのが自由ならば、悪人が何かをやらかすのもとても便利だろう。

 ということは、エマール領に住む人々は、竜ノ騎士団の支援を受けられずに飢餓や疫病の危険に晒され、さらには傭兵にも気を付けなければならないのだ。

 キラはむっとして、眉をひそめた。


「〝流浪の民〟のおかげで村が安全なのが救いだな。あの結界は目に見えないどころか、人に触れさせないからな」

「ええ、本当に。あの詩人さんに感謝ですね」


 夫妻は笑いあっていたが、キラの気持ちは晴れなかった。

 エマール領という枠が存在する限り、あるいは村人たちが全員脱出しない限り、彼らを取り巻く状況が変わることはない。

 いつか、考え得る最悪な出来事が起こるだろう。


 キラは先を行く人たちを見た。

 水を汲むもう一組は、キラとそう年齢が離れていない。見ていてが恥ずかしくなるほど仲睦まじく、将来を誓い合った仲なのであろうということが容易にわかる。

 その周りにいる三人の護衛は、笑いながら少年少女と話していた。二人の男が少年をからかい、また、弓矢を背中に背負った女性が少女に何かを耳打ちする。それぞれに反応を示し、とても楽しそうだった。

 残りの男女二人は目の前に馬を並べて、

「ニコラ先輩。奥さん、取られちゃいますよっ」

「心配いらない。彼も既婚者だ」

「ええっ? セドリックたちと同い年くらいだろ……」

「いいなー、私も早く結婚したいなー」

「なんだ、ジャン。まだアニーにプロポーズしてないのか?」

「うっ……」

 ニコラも微笑を見せながら言葉を交わしていた。


 誰もがとても楽しそうだ。

 彼らが――結界の中の村人たちが、悲鳴にまみれる未来が来るというのなら、無関心ではいられない。

 何とかしてあげたいと、そう強く思った。

 まずはニコラ家族の脱出。それがパルブの村やエマール領内の問題の解決の糸口になるかもしれない。

 キラはギュッと手綱を握った。





 日の出に照らされた元パルブの村は、物寂しい雰囲気があった。

 家々は廃墟と化し、作物を育てていたであろう畑は雑草でおおわれている。遠くから引いた人工的な川も、汚く濁っていた。


 肝心の石積みの井戸も崩れていたが、それはフェイクのようだった。

 ニコラが石をどかしていくと、木の蓋がはめられており、それを外すと井戸の底にきれいな水面が見えた。

 すると、ミレーヌは杖を取り出して井戸の中に向け、少年と少女――セドリックとドミニクというらしい――も、同じようにした。


「ん? キラ殿も、早く」

 ニコラの言葉でようやく彼らが何をしようとしているのか見当が付いた。杖を構えているセドリックとドミニクがチラチラと見てくるのがつらい。

「魔法は、その……に、苦手でして」

「〝水膜の魔法〟もか?」

「あはは……才能が全くなくて」


 魔法を使えない、と正直に言うことはできず、キラは苦笑いしているだけで精いっぱいだった。

 グストの村でも日常的に使う魔法――〝常用魔法〟は皆使っていたために、さすがに怪しまれるかもしれないと思ったが、

「聞かなかった私が悪いですから。さ、やりましょう?」

 ミレーヌがそうはさんだことで、注目されることはなくなった。


 だが、桶や樽なんてものがこの場にはない。

 どうするつもりだろう?

 キラがそう思っていると、三人は井戸の中に向けていた杖をそっと持ち上げる。杖の先から、何かもやもやとしたオーラのようなものが出ている気がする。

 すると、ジャバジャバ、という水しぶきとともに、大きな水の塊が浮き上がってきた。人一人を丸ごと包めるような大きさだ。


 ミレーヌが手首をひねって杖を回転させると、水の塊がパッと三分割された。セドリックとドミニクが軽く杖を振るうと、みるみる水が凝固する。

「おお……」

 そうして出来上がった三つの氷の塊が、ミレーヌらそれぞれ杖の先に引き寄せられていくのは、何とも不思議なものだった。

「よし、成功だな。キラ殿、これに氷を」

 ニコラは厚手の革袋を押し付けて、ジャンと共に井戸に蓋をして石を積んでいく。


「えっと……」

「キラさん、袋を広げてください」

 にこやかに言うミレーヌに従って、キラは袋の一つの口を広げる。

 彼女は杖ごと氷の塊を突っ込んだ。

「あれ、杖は?」

「このままです。杖の魔力で溶けないように」

「へえ……」

 袋から杖が一本飛び出しているさまは、珍妙なものだ。

 キラはセドリックとドミニクの分の氷も受け取り、袋の口を絞る。三つの杖つきの袋は、護衛の一人であるフランクと言う男が持って行ってしまった。



「ってか、お前誰?」

 ニコラとジャンが必死になって井戸を隠している間、セドリックにそう声をかけられた。小柄なドミニクも、恋人に隠れるようにして見てきている。


 セドリックは中々に背の高い好青年だった。気さくで人懐こい性格が顔に表れている。だけでなく、金に近いほどに明るい茶髪も、彼を表現しているようだった。

 たいしてドミニクはセドリックの胸辺りまでの身長しかない。人見知りのようで、口数が少なく、恋人から離れようとしなかった。濃い茶髪をお下げにしていると言うこともあり、なんだか子供みたいだ。

 彼らの身長差はすごいことになっていたが、お似合いのように思えた。


「こちらはキラさんといって、行商人さんなんです。まだお若いですけど、とてもかわいらしい奥さまをお持ちで、いわば二人の先輩なんですよ」

「え」

 ミレーヌがそんな紹介をしたことで、キラはどっと汗が噴き出るのを感じた。

 その言い方はとてもまずい。ニセの夫婦にとってどうしようもなく答えられないことがたくさんあるのだ。

 セドリックの目は怪訝なものから尊敬なまなざしに早変わりし、


「なあ……ぷ、プロポーズの言葉って、どんなことを?」


 案の定、キラも知りもしないことを、こそこそと聞いてきた。

 どう答えるべきか。血の気の引く思いだ。

 そもそも、彼の恋人であるドミニクの前で聞くとはどういう了見なのだろう?

 ドミニクもドミニクで、なぜそんなに顔を赤くしているのだろう?

 ミレーヌはもちろんのこと、ジャンと仲の良いアニーも聞き耳を立てている。

 残りの男女の護衛――カルロスとジニーも興味津々だ。周りを警戒していてほしい。


 時折破天荒な行動を起こすユニィに助けを求めたかったが、それは間違いだったようで、他の馬たちにちょっかいを出していた。

 はぐらかすこともできず、キラはリリィを頭に思い浮かべる。

 黄金色に輝く髪の毛を持った彼女は、まるで降り立った女神のようだ。

 だがそんな彼女と、たった一つだけ約束をしている。


「その……は、離れないでいると。ただそれだけ、約束しました……」


 青から赤へ。

 本当に告白したわけでもないのに、とんでもなく恥ずかしかった。顔が熱い。

 セドリックがまた何か問いかけて来るが、全然耳に入らない。

 先ほどから、パリパリッと軽く痺れるような音が支配するのみ。

 ただ、ブルルッ、という白馬の嘶きは届いた。人をからかうものではない、真剣に注意を促すものだ。


 ――おい、小僧。気を付けろ


 厳しい口調の幻聴で気づいた。

 いつもより鋭くなった感覚に、パルブの村人ではない者の存在が引っ掛かった。遠くから、いくつもの蹄の音が聞こえる。

 嫌な感じがした。肌がピリピリとする。敵意までもが風に乗ってきているようだ。


「キラさんはロマンチストですけど、奥さまと同じように恥ずかしがり屋さんですね」

 ミレーヌたちはまだ気づいていないようで、楽しげに笑いあっている。

 ニコラでさえも、今やっと馬に乗り、皆に村に帰るよう促しているところだ。


 だからか、キラが剣を抜くと、皆一様に大げさに驚いた。


「ちょ、ちょっと、キラさん?」

「キラ殿、冗談が過ぎるぞ。みなが歓迎している証ではないか」

 キラは敵意を強く感じる方を――ユニィが向いている方を振り向いて言った。

「ミレーヌさん、ニコラさんの馬に乗ってください。セドリックもドミニクと。早く」

「え?」

「誰かが……たぶん、傭兵がこっちに向かってきています」

 敵意が一層強まった、気がする。


 ――馬の足が速くなった……ヤツラ、待ち伏せしてやがったな。ここに定期的に水を汲みに来ることを知ってんだ


 キラは気を引き締め、剣を構えた。先ほどまで怪訝な顔をしていたニコラたちもわかるほどに、多くの馬の足音が聞こえ、その影が見えてきたのだ。

「言う通りのようだな」

「どど、どうします、ニコラ先輩。このままじゃあ、見つかっちゃいますよ。最悪、村の場所が特定されるかも……!」

「ぬぅ……廃墟と成り果ててもここはもともと村だ。みんな、どこかに隠れるんだ。俺が対処しよう」

 ニコラの言葉にキラは反論しようとしたが、ミレーヌに引っ張られてかなわなかった。妻である彼女も、他の皆もニコラに何も言わずにそれぞれ馬を引っ張って散らばった。

 なぜ、と聞く必要はなかった。昨日見た彼の人望の厚さで、その理由は大体わかる。


 ミレーヌとセドリックとドミニクと共に、壁が崩れた家に入る。キラたちは物陰に隠れることができたが、美しい毛並みを持つ白馬のユニィはとても目立っていた。これでは見つかるかもしれない。

 キラは慌てて羽織っていたマントを白馬にかぶせた。気休め程度だが、長い首をこれで隠して、後は尻尾の方を見えないようにすれば何とかなる。

 ユニィを伏せさせ、三人と一緒に倒れた机の影に隠れると、ミレーヌが小さく驚いた。


「キ、キラさん、そのお怪我は? 包帯だらけじゃないですか」

「へ?」

 自分の腕を見て、しまった、と思った。

 むき出しの腕には幾重にも包帯を巻いているのだ。転んだ、などと言う言い訳は通用しないだろう。


「ええっと……いろいろあって」

「まさか、魔獣と戦ったのか? 奥さんを守るために?」

 セドリックが真剣なまなざしで聞いてきた。ドミニクも。

「う~ん……まあ、そうかな」

 キラは歯切れ悪く答えた。

 すると、何を思っているのか、二人の目に涙がにじんだ。ミレーヌなどは、ぽろぽろと泣いてしまっている。

 気まずかったが、決して嘘ではない。ドラゴンと戦うことになったのも、言い方をかえればリリィを守るためであった。

 何ともいえない空気にげっそりとしていると、ニコラのいる方から幾重にも重なる蹄の音が聞こえてきた。


 キラは息をひそめ、物陰からその様子をうかがう。いざというときにいつでも飛び出していけるように、剣から手を放さずに。

 心臓が不安定な蠢き方をするが、ことさら無視をした。


「ヨオ、こんな廃れた村で何してんだ?」

 馬を引いて歩くニコラに、六人の集団の先頭にいた傭兵が馬上から声をかけた。色が抜け落ちたようなぼさぼさの短髪の男だ。

 ガタイのいい褐色の体にぼろぼろな革の鎧を取り付け、手にはすでに長剣が握られている。ものぐさな性格か、はたまた敵を脅すためのものなのか、剣は全く手入れをされておらず、赤黒い血糊が付着したままだった。

 後ろに控える傭兵たちも同じようなものだ。ただ、皆がニコラを睨みつけながらも、どこか虚ろな目をしている。


「見ての通り、巡回しているだけだが?」

 ニコラは臆さず、肩をすくめて言った。

「偶然だな。俺らも見回りなんだよ。この村を……神隠しにでもあったみてえに村人全員がいなくなっちまった村を調べるためになァ」

「知らないな。こんな有様の村はエマール領内に腐るほどあるんだ。……要件はそれくらいか?」

「ホォ……?」

 褐色の男は面白そうに口をゆがめた。


「この近くにそいつらが移動した村があるはずだ!」

 褐色の男の後ろに控えていた一人がそう叫び、それに続くように、他の傭兵たちが次々と怒鳴り声をまき散らした。

「貴様がその一員じゃないのか!」

「エマール様に逆らって無事に済むと思うな!」

「どうなるかわかっているのか!」

 彼らのひどく感情のこもった声は、しかしどことなく違和感があった。傭兵たちの目が、魂を抜かれたように虚ろなものだからであろうか。

 ニコラは、やはり臆した風もなく、

「知らんなあ」

 と返した。


 その時キラは、心臓を鷲掴みにされたような気がした。

 相変わらず獣のように歯をむき出しにして笑っていた褐色肌の男が、ニコラから視線を外し、こちらを見てきたのだ。

 まずい。ばれている。

 ニコラの態度に、傭兵たちも一触即発の雰囲気だ。馬から降りている者もいる。


 キラはとっさに剣を構える、

 ――おい

 が、ユニィが太ももにがぶりと噛みついてきた。


「いっだ!」

 噛む力は想像以上に強く、さらにはドラゴンの炎に焼かれた場所でもあったため、キラは情けなくも悲鳴を上げて倒れこんだ。

 腐った机をぶち壊し、ニコラの背後に転がり込む。

「ホォ……?」

「キ、キラ殿……!」


 ミレーヌやセドリック、向かい側で隠れているジャンたち、そして傭兵集団の視線に晒された。

 飛び出るつもりでいたものの、この状況はあまりに予想外だった。

 だからキラは、

「ユニィ!」

 と愛馬を叱咤するしかなかった。


 ――おお、悪ぃ。忠告しようとしただけだ


 そうは言うが、白馬に悪びれた様子はなかった。どころか、挑発するようにひょこひょこと首を動かし、廃墟から姿を現す。

 ――敵が多い時は殺すよりも戦闘不能が良いぞ。手くびがねらい目だ、お前ならやれるだろ

 キラはむすっとして白馬を睨んだ。

 ――それと、気づいてないみたいだが……

 だが、ユニィとケンカしている場合ではなかった。


「ふん、やはり反逆者が隠れていたか!」

「キラ殿!」

 振り向くと、鋭い斧の刃が目の前にあった。傭兵の一人が突っ込んできたのだ。

 狂気じみた男だ。血に飢えた、とでもいうのか、魔獣のように濁った眼をしている。さっきまで見せていた虚ろな目が嘘のようだ。


 キラは一瞬驚いたが、即座に剣を合わせて対処した。

 ギィン、と鈍く響く音を聞き、ずきりと全身が痛むのを感じながらキラは思う。

 ドラゴンは強かった。どの一撃も強力で、紙一重で生き残ったようなものだ。

 さらにはあの濁りまくった眼だ。

 それに比べれば、目の前の狂気など微塵も怖くない。

 キラは目を細め、弾いて浮いていた手に力を込める。

 狙うは白馬の忠告通り、手くび。

 ベヒモスと対峙していた老人の剣筋を思い起こしながら、振り払う。

 パッ、と鮮血が散った。


「ぎゃっ」

 傭兵は悲鳴を上げて斧を取り落すが、怯んだ様子はなかった。

 むしろギラリと血走った目でにらみ、覆いかぶさるように襲い掛かってきた。

 キラは即座に体勢を直し――、


「ハッ!」


 対処しようとしたところ、横から矢が放たれた。

 男のこめかみに食い込み、どうっと倒れ、狂ったまま絶命する。

「ニコラさん、キラくん!」

 矢を放ったのは女性の護衛のジニーだった。ぱっと物陰から飛び出し、息をつく暇もなく、弓の弦をぐいと引っ張る。


 ヒュン、とものすごい勢いで飛んでいった先には、褐色の肌の男がいた。ニコラと対峙している。

 男は剣で対処した――が、キラには、手の甲でさっと払ったように見えた。

 そうしておいて、ニコラの横から飛び出てきたジャンとアニーをけん制し、距離を取る。

 三人を前にしても、全く気にした風もない。

 それどころか、笑みをますます深めていた。


「歓迎会か? それにしちゃァ、手荒いな」

「……そちらこそ、いきなり切りかかるとはいかがなものか」

「何せ血の気の多い〝預かり傭兵〟なんだァ、しゃあねェだろ。だがパーティは楽しまねェとなあ!」

 褐色の男は右手を高々と上げ、すると、ひゅるりと炎の玉が上がっていった。

 パァン、と空中ではじけるさまは、昨日見た炎の花のようだ。

 それを合図に、傭兵たちが動き出した。


 後ろで控えていた三人がニコラに襲い掛かり――それを、ジャンとアニーの二人が両脇から妨害する。

 残りの二人の傭兵が、一斉にキラに向かって走ってきた。

「キラくん、援護――」

 ジニーとカルロスが寄ってきたが、キラはさっと手を払った。

「いえ、僕の方は良いから、二人はニコラさんたちの援護を!」


 褐色の男もそうだが、他の傭兵たちも脅威だ。

 〝預かり傭兵〟と呼ばれていた彼らには、正気というものがない。狂いに狂って、人ならざる目をしている。ジャンたちが相手をしている三人もそうだ。

 先ほどの斧の男も、手首に傷を負ってもなお、怯むことはなかった。

 まるで魔獣のようだ。グストの森から出るとき、ランディと戦ったオーガも、腕を切り落とされても怯んでいる様子はなかった。

 傭兵たちは、誰かに何かされているのだろうか?

 セレナの話では、帝国は魔獣を操る術を持っているかもしれないという話だが……。


 深く考えている暇はなかった。

 相手は二人――。

 キラは剣を構え、素早く一歩下がる。ほとんど同時に、一人が放った大振りの一撃が地面に食い込む。

 もう一方が続けるように繰り出してきた剣を軽くいなし、キラは地面に埋まった長剣を抜こうとしている男の肩に向けて剣をつきだした。


 肉を断つ感覚が――血液が滴る感覚までもが、剣から伝わってくる。

 キラはぐっと歯を食いしばり、苦痛に泡を吹きながらも濁った眼で睨み付けて来る傭兵の顔面を、ガツンと蹴り倒す。勢いよく地面に頭をぶつけ、白目をむいて気絶した。

 躍りかかってくる残りの一人と振り向きざまに剣を合わせ、響く金属音が鳴りやまないうちに、キラは目いっぱい身体を入れて脇を切り裂いた。

 血が多量に吹き出し、男は膝をつく。それでもまだ剣を落とさず、血走った眼で睨んできた。傷つくことに躊躇していないようだ。

 キラは顔をゆがめ、男の腕を軽く斬りつけ、先ほどの男と同様に蹴り倒した。


 気の狂った相手とはいえ、魔獣を切るのとはまたわけが違っていた。

 いろんなものをため息につめて一気に吐きだし、周りを見た。


 混戦だった。

 ニコラ、ジャン、アニーはそれぞれ狂った傭兵を相手にして立ち回り、カルロスがジニーの援護を受けながら褐色の男と対峙している。

 男は傭兵をまとめているだけあって、かなりの腕があるらしい。ジニーの矢の援護を受けていても、カルロスはかなり押されていた。

 手助けを――そう思って駆け出そうとしたが、また白馬にかみつかれた。

 今度は肩に負ったドラゴンの爪痕だ。めちゃめちゃ痛い。

「ユニィ、ふざけるのは後にして……」


 ――三十人、来るぞ


「え?」


 ――増援だ


 キラもようやく気付いた。

 振り返ると、無数の馬蹄の音が響いていることに。


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