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13.夫婦

 リリィは顔を真っ赤にし、ボフンッと頭を発火させた。


「ふふ、ふっ、ふふっ?」


 そればかり口にしながら、ついにはふらりと倒れそうになる。キラは慌てて支えようとしたが、まだドラゴンとの戦いが響いている身体では、尻餅をついて彼女にケガさせないようにするのがやっとだった。

 リリィは腕の中に納まり、紅の炎を出し続けたままぐったりと気絶する。

 試しに頬をつついてみたが、目を覚ますことはない。

 彼女の頬はすべすべで柔らかくて、いつまでも触っていたいという思いが膨らむだけだ。


「おもろい嬢ちゃんやのお」

「そんなのんきに……またリザードマンに襲われでもしたら……」

「大丈夫やて。いたとしてもさっきの雷の魔法で絶対逃げよるわ。それよか俺の馬車……あ~あ、商品がめちゃめちゃやん」

 二頭の馬は無事のようだが、荷台は横倒しになり、樽や麻袋が中身を盛大に散らしていた。それでも、無事なものも多いようで、エヴァルトはため息をつきながら片づけていく。


「さっきの話だけど、僕とリリィが夫婦になるって、どういう?」

 白馬のユニィが、気絶したリリィに顔を寄せる。ブルルッ、と嘶いただけで、彼女の顔を覆っていた炎がかき消えた。

 どうやったの? と問う暇もなく、エヴァルトが商品を片付けながら先の言葉にこたえる。

「本当になれっちゅうわけやないで? ま、その内なりそうな気ぃはするけど」

「そ、それはたぶんないから……」


 キラは寝息を立てているリリィの顔を見下ろした。

 彼女の傍は、グストの村よりもずっと居心地がいい。だがそれは体の心配をしてくれているからだ。もし健常な体だったならば、特に気を使うこともない赤の他人だ。

 それにリリィは、忘れそうになるが竜ノ騎士団の元帥で、王都生まれのお嬢様だ。その隣は、自分の居ていいところではないような気がした。


「あんたら二人が夫婦で行商人をしとるっちゅうことにするんや。で、俺が二人に雇われた傭兵。配役はピッタリ、これでエマール領にも楽々はいれるっちゅう寸法や」

「でも、行商人には許可状がいるって……」

「それは何とかしたるがな」

「なんでそんなに……」

「ようするのかって? 別にお人好しやないで。荷物を隠すためや。お嬢さんの話聞く限り、中に入ったら何が待っとるかわからんからなあ。そこで、あんたらを利用させてもらおうって考えたわけや」

 おちゃらけたように言うエヴァルトは、背中を向けて、いそいそと片づけをしている。

 そうやって言われた言葉が、彼の本心なのかは、分からなかった。





 エマール領は、米粒程度と言っても、レピューブリク内では一番広大な領地だ。

 それもそのはずで、エマール家は『御三家』と称される、大昔の王族の血を受け継ぐ大貴族のうちの一つなのである。

 国王に取って代わるほどの権力を持つ代わりに、民衆に対して大きな責任を持っていた。治安を維持し、貴族をまとめ、誰もが住みやすい安定した場所を作ることで、民衆の代弁者となっていた。


 しかし、時代は変わっていく。人間は、エルフや竜人族のように長寿ではなく、後の世に己の意志を伝え維持させることは難しい。

 そうであるから、民衆のために存在した『御三家』は、徐々に貴族のための存在になりはじめていた。


 その状況を察したのが、先代国王であった。『御三家』が王都に構えていた特別な区画を解体し、傘下の貴族と共に王都以外の遠くの地方にとばした。

 そうして、エルトリア家という昔から王国と共にあった古い貴族が、『御三家』の代わりに王都の頂点に君臨した。絶対の信頼を持つ、民衆の代弁者が復活したのだ。


 だがこのことに当然、『御三家』やそれらの傘下の貴族たちは反発した。王族の血を一番受け継ぐエマール家は特に。

 結果、エマール領は王都の東に位置することになった。

 勝ち取ることになった、と言い換えることもできる。聞こえのいい様々な約束を国王と取り付けて。


 しかしここ十年ほど、約束も忘れたかのような、エマール公爵の傍若無人な振る舞いが目立った。

 その最たるものが、外部から領内への干渉の異常な厳しさだ。エマール領に入るためにはいくつかの許可状が必要であり、領内の町を訪れるにしても、領番から受け取った新たな許可状を提示しなければならない。

 リリィも言っていた通り、このことには貴族内でも大きな反感があり、エマール公爵の国外追放を訴える者も少なくなかった。

 だが、これがまずかった。

 王都に残った貴族の中にも、伝統は重んじるべきもの、という考えを持った者はおり、派閥が分かれてしまったのだ。

 そうして、言い争いの果てに、内紛じみた争いが起こってしまった。反エマール派が結託し、権力を用いて王国騎士軍を出動させ、エマール領地へ侵略したのである。


 しかし、王国の歴史は何百年もの間、帝国といつ終わるともしれない戦争と共にある。

 帝国に致命的な隙を見せることとなり、王都陥落の危機にまで陥り――その悪夢は、一人の女性の死によって過ぎ去った。

 これを境に、全ての貴族にはエマール領に干渉しないことが、そして、エマール家は王都への一切の接触禁止が、現在の国王によって言い定められ言い渡され、派閥争いは鎮火した。

 しかし、水面下では公爵の暗殺をもくろむ者が大勢いる。

 今日まで、公爵に暗殺者が幾人も送り込まれたが、成功の報告はない。





 元々いた二頭の馬に加えて、その真ん中にユニィが加わっている。行商の荷台を引く馬が三頭なのは、なんだか妙な気分だった。

「お、あれやな、エマール領は?」


 丘の頂からは、領内への入り口が見渡すことができた。

 目立つのは、やはり見張り台だった。門の代わりのように、二つの櫓が立っている。加えて、二つの見張り台の奥の方には、多くのテントが張られていた。

 領内への干渉が厳しいということで、きっと高い壁で阻まれているのだろうと思ったが、そうではなかった。むしろ何もない。

 しかし近づくにつれて、エマール領の境界線あたりに多くの人がうろついているのが見えた。それは兵士たちらしく、全身を鎧で固めて、抜身の剣を持っている。領地に勝手には入る者がいないか、監視しているのだ。

 見張り台の前で並ぶ数多くの行商人たちに睨みを利かせ、物騒と言ったらない。


「物々しいし、結構時間かかりそうやなあ。なあ?」

 エヴァルトが振り返って、キラは思わずドキリとした。

「ほお~……ええで、完ぺきな夫婦や」

 キラは、リリィと共に荷台に座っていた。

「でもな、お嬢さん。そないに顔真っ赤やったらバレてまうで。あんたは、とんでもなく恥ずかしがりやな若奥さんなんやから……うん? 恥ずかしかったら顔真っ赤でええんか」


 リリィはぴったりと寄り添ってきていた。これほどくっつくのはよくあることであるが、何を思ったのか、腕をからませ身体を押し付けてきたのだ。

 ふにょりと、柔らかなものが腕を包み込んでくる。紅のコートやマントをはさんでいても、この感触だ。どうかなりそうではあったが、彼女の体温が心地よく、ずっと半袖の身にはありがたい物ではあった。

 そっと彼女をうかがってみるが、目深にかぶったフードのせいで、その表情が見えなくなってしまった。


「こ、こんなことで本当に大丈夫なのでしょうね?」

「夫役が少年で、まんざらでもないんやろ? 俺も面倒な説明せんでええし、みんなが幸せや」

「き、キラはどうなのです?」


 リリィが上目づかいで聞いてくる。ちらりと見える彼女の顔は真っ赤で、今にも発火しそうだった。

 恥ずかしいのは腕に抱き付いてきたからでは、と思ったが、そんなことは口にせず、キラはしどろもどろに答えた。


「え……いや、その……安心するから、僕はこのままで――このままがいいかな」

「安心?」

「だって、リリィが傍にいると心臓の不安なんてないし。それに、なんか楽だから」

「そう、ですか……ふふ」

 リリィは嬉しそうに微笑み、ギュッと腕を掻き抱き、頬を寄せた。その上、すべすべな頬で甘えるようにすりすりしてくるのだから、別の意味でキラの心臓がどきどきしっぱなしだった。


「心臓が不安て……なんか悪いもんでも抱えてんのかいな?」

 並んだ行商人の馬車の後ろにつけ、エヴァルトが聞いてきた。

「まあ……ちょっとだけ」

「はあん。それでよくあんだけの動きするなあ。怖くないんか?」

「怖い? なんで?」

「なんでって……心臓やで? 下手すりゃ死ぬかもしれんやん」

「ああ……確かに」


 キラはいまさら他人事のように呟いた。

 心臓が暴れることに不安を持ったことは幾度もあるが、それが怖いことだと思ったことはない。 

 そんなことより気になるのが、リリィの様子だ。エヴァルトの言葉を聞いた直後、何かにおびえるように腕を掻き抱いてきた。ふるふると震え、何かを呟いている。――お母様?


「なんや軽いなあ。死ぬのが怖くないんか?」

「そりゃ死ぬのは怖いけど……でも逃げたらもっと怖いし」

「うん?」

「さっき僕が逃げてたら、リリィが危なかったし。前のドラ……前だって、逃げたらみんなが死んでたし」


 戦うときはいつも無我夢中で、ベヒモスであれゴブリンであれドラゴンであれ、魔獣に屈すれば皆が危なかった。そんな時に、自分の心配なんてしている余裕はない。

 キラは震えるリリィの頭を、フード越しにそっと撫でてみた。すると彼女はどこか意外そうに見上げてきて、うるんだ瞳を見せて来る。

 今にも泣きそうで、だからキラは笑みを作ってみた。が、やっぱり頬がひきつり、変な顔になってしまう。

 それでもリリィの心を支配していた何かは消え去ったようで、クスリと笑ってくれた。


「ほお、大物やなあ。そんな考え、久しぶりに聞いたわ」

 あった時から変わらない口調で言うエヴァルトだったが、その背中には、なんだか哀愁が漂っているような気がした。

 時折、リリィが見せる悲しい雰囲気と似ているような気がする。

 だからキラは、別の話を持ち掛けてみた。


「そういえばエヴァルトって、いろんなところに行ってるんだよね?」

「うん? まあなあ」

「なにか、珍しい物とかってあったんでしょ?」

「そやなあ……。ああ、〝冒険者の国〟で〝流浪の民〟に会ってなあ。話には聞いとったけど、珍妙な連中やったで」

「冒険者……る、流浪……?」


 キラは聞いて後悔した。知らない単語が満載だ。

 エヴァルトの哀しげな感じはなくなったが、代わりにキラが窮地に追い込まれた。

「〝流浪の民〟とはあまり聞きなれないですわね。どのような方で?」

 するとリリィが援護するように口をはさんだ。

 キラが小さく礼を言うと、彼女ははにかんだ笑顔を見せる。今までに見たことがないくらいの、とても可憐な笑みだった。


「世界各地を回っとる少人数の民族でなあ、これといった居住を構えんのや。行く先全部が住む場所っちゅうわけやな。ま、たとえ王国の騎士でも知っとる奴は少ないやろ。独特の魔法使って身を隠すっちゅう話やし」

「よく出会えましたわね?」

「そん時、いい剣を探しとったんや。そしたら偶然、そいつらの縄張りに足を踏み入れてな。すぐにヒラヒラした服の奴らにコテンパンにされてもうたけど」

「エヴァルトが、ですの?」


 キラはリリィと目を合わせた。

 剣の腕は今のところ分からないが、少なくとも彼の放った雷の魔法はすさまじかった。ドラゴンにだって大きなダメージを与えられたのではないだろうか。

 そんなエヴァルトが、コテンパン?


「それで、どうしたの?」

 エヴァルトは肩をすくめて、

「どうするも何も、気絶しとる間に姿を消しよったわ。あ~……今思い出してももったいないことしたと思うわ。あいつらの持つ剣は、めちゃめちゃ切れ味が良いっちゅう話やったからなあ……」

「切れ味が?」

「せや。刀の発祥も〝流浪の民〟やし、ドラゴンの鱗も切り裂けるっちゅう噂や」


 刀と聞いて、キラはランディを思い浮かべた。

 老人が持っている片刃の剣も刀だ。彼から教えてもらったので間違いない。

 妙な青い輝きを放つ刃は、確かに切れ味がよさそうだった。そうであるから、ベヒモスやらオーガやらをいとも簡単に切り伏せることができたのだろう。

 貰い物だと聞いたが、あの老人も〝流浪の民〟に出会ったのだろうか?

 それとも……。


「キラ。もしや、ランディ殿のご出身では?」


 キラはどきりとしてリリィを見た。ほんの少しだけ、可能性があると思ったのだ。

 エヴァルトから聞く限り、〝流浪の民〟は相当に癖が強い人の集まりらしい。いきなりコテンパンにされてしまったのだから。

 もしも刀を〝流浪の民〟から貰っていたのだとしたら、ランディが身内だという可能性はある。

 しかし。


「ランディさんは世界から隔離されたような場所って言ってたよ。ずっと遠いところだって」

「どこにも居住を置かないから、世界から隔離されたと表現されたかもしれませんわ。ずっと遠いのも、人里から身を隠し見つからないようにしているため」

「でも……」

「一度、聞いてみてはどうです? もしもそうならば、キラも〝流浪の民〟。昔のあなたを知っている人もいるかもしれませんわ。だから、ね?」


 真か否か、それを知るのはランディのみ。

 王都で合流して、落ち着いたときに聞いてみよう。

 上手くいけば、記憶喪失のわけもわかるかもしれない。

 今までバタバタしていた分、自分自身の謎を解くことにかなり前進した気がして、キラはリリィに笑いかけた。




「はあ~……やっと俺らの番かいな。もう日が暮れるで」

 ようやくエマール領への入り口が見えてきた。

 と、同時に、キラは緊張し始めた。不安定な心臓も爆発しそうだ。

 何せ、今からはリリィと夫婦。そう演じなければならず、決してばれてもいけない。

 思わず居住まいをただし、マントを整えていると、ずっと腕に引っ付いていたリリィが手を握ってきた。

「大丈夫ですわ。きっと」

 たったそれだけの言葉だが、とても安心できて、落ち着きを取り戻した。やはりリリィと一緒にいると、全然心臓に不安がない。


 そして――。

「次」

 鉄のように冷たい男の声が、前の方から聞こえてくる。

 エヴァルトは三頭の馬を操り、見張り台の足元にいる門番の横につけた。門番は一人だけのようで、あとはあたりを警戒している。


「馬が多いな」

「一頭は俺の馬なんや」

 エヴァルトが軽く答えると、門番が眉を吊り上げた。

「俺の?」

「せや。俺は傭兵やからな」

「傭兵? ならば証を見せろ」


 エヴァルトは馭者席に置いていた袋から紙束を取り出し、門番に渡した。

 キラは少し心配になった。

 門番である男は、顔つきもそうだが、厳しそうな性格をしている。身を守る甲冑は、他人の声を遮断しているようにも見えた。

 許可状を持っていない行商人を通してくれと、本当に説得することができるのだろうか? 

 それ以前に、エヴァルトは帝国で傭兵の経験があるといっていたが……。


「ほう……中々な経歴だな」

 どうやら問題ないみたいだ。もしかしたら、帝国の明細書だけ抜き取ったのかもしれない。

「最近の傭兵募集のためにここに?」

「そうや」

「で、後ろの二人は?」

「行商人夫婦や。ここに来るっちゅうからついでに傭兵を頼まれたんや」


 門番が荷台を覗いてくる。キラは愛想よくお辞儀をしたが、リリィは『恥ずかしがりやな妻』を演じて隠れるように会釈をする。

 ぐるりと荷台の荷物を見回し、門番が聞いてきた。

「許可状はあるのか?」

 キラはなんといって答えていいかわからず、まごまごとしていると、エヴァルトが手助けをしてくれた。


「それがなあ、いろいろあって許可状を失くしてしもうたんやと」

「失くした? ならば――」

 彼の言葉を聞いた門番がにべもなく突き放そうとしたところを、赤いバンダナをまいた若い男がその腕をぐっとつかんだ。

「聞いたで。エマールっちゅう領主は、そらもうひどいもんなんやろ? 見とる限り、あんたみたいな正規の兵士と村や町でかき集めた素人兵士が入り乱れ取るやん。それだけでどういうやつなんか、ようわかるわ。領内の秘密を守るために、人を駒にする奴や。――どや? 金渡したるさかい、他んとこ移ったらどうや。こう見えてもいろんなところに伝手があるからなあ。その代わりに、ここは見逃してくれんか」


 中年の門番は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それでも首を横に振った。

「妻と息子を放って、ここをやめるわけにはいかない。わかったなら――」

「そうか? このままエマール領におっても、ぼろぼろになるまでこき使われて、挙句には犬のえさに出もされるかもしれんで。あんたも、あんたの家族も。そうなりたくなかったら、ここを早いこと出ることや。後ろのお二人さんさえよければ、一緒に脱出できるで」

 門番がそっとこちらを窺ってきた。

 キラはリリィが頷くのを見て、彼女の夫らしく、ゆっくりと落ち着いた声で言う。


「いいですぉ」


 かんだ。


 エヴァルトが、そしてリリィまでも吹き出すのをこらえている。

 しかし門番だけは、若干表情を緩めただけにとどまった。

「……通行証だ。これで領内のどの村や街にも出はいりできる」

 そういってエヴァルトに三枚の羊皮紙を渡した。

 続けて丸めた紙を手にして、今までにない冷たい声で凄んだ。

「まずはプルバという村に行くんだ。もしも騙したならば……」

「そないなことするはずないやろ?」

 肩をすくめたエヴァルトは、地図を受け取り、じゃらりとなる小袋を手渡すとさっさと馬車を出発させた。

 


 もう日も地平線に隠れ、辺りは真っ暗だ。

 それでもエヴァルトは、明かりも何もつけず、馬を繰る。その技術は真似できるものではなく、地面から突き出た岩や、小さな池、木の密集地帯をまるで見えているように事前に避けていた。


 彼は、普段は魔法を使わないらしい。

 味方一人いない中、広大な世界で生きていくための一つの知恵だという。誰の助けもない以上、特に夜間での魔獣や盗賊との戦闘は避け、いざというときのために力をためておく。魔法で辺りを照らしていたら、魔力がいくらあっても足りないのだ。

 しかし、魔法というものは厄介なもので、温存ばかりしとけばいいというものではない。使わなければ、体内にたまった古い魔力が悪さをして、身体を蝕んでいくのだという。

 要は、魔法を使うにも調節が必要ということだ。


 これを聞いてキラは、ようやくリリィやセレナがとんでもない人たちなのだと気づいた。彼女たちは平気で魔法で辺りを照らし、何の苦も無く魔獣を倒していく。

 竜ノ騎士団の元帥は、やはり普通ではないのだ。


「もうちょい夫婦らしゅうせんとなあ、少年」

 草原よりも若干荒い道のりに揺られながら、エヴァルトが楽しげに言ってきた。そうしながらも、暗闇の中、細心の注意を払っているのが分かる。

「……これでも精いっぱいだよ」

「せめて噛まんようにせな。お嬢さんの肩を抱けるようになったらなおよしや」

「か、肩……っ?」


 キラはリリィを窺った。彼女は『恥ずかしがり屋な妻』をまだ演じているのか、フードを外さず、うつむいたままでいる。

 こうして隣にぴったりと座っているのを見ると、彼女は意外なほどに華奢だった。女性らしさを捨てるのなんてもったいないほど、とても可憐な人だ。

 この美しい女性を抱き寄せる姿を想像してみる。

 笑ってしまうほど釣り合わない。そもそも、そんなことができるならば……。

 おかしなことを考えそうになって、キラはふるふると頭を振った。


「そいで、どないするねん?」

「へっ?」

 エヴァルトの唐突な問いに、変な声が出てしまう。それと一緒に、リリィもびくりと肩を震わせた。

「このままタニアへ向かうか、それともパルブっちゅう村に寄り道するか」

「タニアへ向かうって……じゃあ、あの人の家族は?」

「見捨てることになるなあ」

「だめだよ、そんなの。約束したんだし――」

「そう言うても、あんたらに時間があるんかいな? 〝竜殺し〟のお嬢さんが動いとるっちゅうことは、王都にのっぴきならんモンでもせまっとんやろ。こっからさっさとタニアを抜けていったほうがええんちゃうか?」


 キラは答えられなくて、口をつぐんだ。

 今この瞬間にも、王都に帝国の魔の手が伸びているかもしれない。

 もしかしたら、ランディやセレナやグリューンがすでに戦っているのかもしれない。

 リリィの助けを必要としているのかもしれない。

 手遅れだったとしても、彼女は王都に行かなければならない人物なのだ。


「パルブへ行きましょう」

 暗闇の沈黙を破ったのは、他でもないリリィだった。

 彼女はフードをかぶり、キラの腕に抱き付いたまま続ける。

「たとえ時間がなくとも、約束を破ったとなれば、騎士として――いえ、人として落ちぶれてしまいますわ」

「さすがは貴族様や。言うことが違うのう」

 エヴァルトのその言葉は、愉快な響きなど一切なく、妙にとがったものだった。まるで別人になったかのように、声が低い。


「貴族こそ、綺麗ごとをやってのけなくてはなりませんもの」

「……なるほどなあ」

 エヴァルトの様子が変わったのは、先ほどの一瞬だけで、リリィの返事にはいつもの通り軽い口調で受け止めていた。


「それに、この領地の状況を把握しておく必要がありますし、何より、わたくしとしても確かめたいこともありますから」

「確かめたい?」

「ええ。ずっと疑問に思っていまして」

 リリィの表情はフードで隠れてよくわからなかったが、きっと厳しい顔つきになっていただろう。


「エマールを追放しないのは国王陛下の意志だそうですわ。この機に、その理由を少しでも知っておきたいのです」


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