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11.襲来

 ――ォオオオオ!

 闇夜を叩く咆哮。怒気を含んだそれが、高らかに響き渡る。

 それに呼応するように鱗が真っ赤に輝き、爆ぜる。やがて全身が燃え上がり、力の波動を辺りにまき散らした。


「これは……」

 キラはくらりとして、しかしグリューンを落とさないように踏ん張る。

 今までに感じたことのない圧力だった。気を緩めれば押しつぶされそうだ。

「……竜人族」

「これが……?」

「けど今は、理性のとんだ〝災厄の魔獣〟――堕ちたドラゴンですわ」


 ドラゴンは翼をはためかせ、その巨体を宙へ浮かせた。一階の羽ばたきが嵐を巻き起こし、全身を覆う炎が吹き荒れる。

 無数の火の粉が飛び散り――その一瞬で、辺りが火の海と化した。荒れ狂う炎が家をむさぼり、地面をなめ、人々を追い立てるようにはい回る。

 ガラン、ガランと今更のように警鐘が鳴り響き、人々の悲鳴が聞こえてきた。

 キラにもリリィにも、どうしようもできなかった。突如として迫りくる炎を前に――そして、最悪の地獄絵図を次々と生み出すドラゴンを前に、立ちすくむほかなかった。


 ――オオオオオオッ!


 もう一度声高く啼くドラゴン。

 長い首をもたげ、凶悪な牙の隙間からチラチラと炎を見せながら覗き込んできた。人の頭ほどある目は赤黒く濁り、絶えず怒りが渦巻いている。

 だがなぜかキラには、苦しんでいるようにも見えた……。


「――前から……」

 キラの隣で、ただただ上空に浮かぶドラゴンを見上げていたリリィが、剣をきつく握りしめていた。

 周囲で沸き上がる炎に照らされ、黄金色の髪先がボッと紅色に燃え上がる。

 憤怒の炎内に持つのは、ドラゴンだけではないのだ。

「わたくしの前から姿を消しなさい、ドラゴン!」

 激情した紅の騎士が、白銀の剣を強く握って飛び出していく。

 しかし、完全に気持ちだけが先走っていた。彼女らしくもなく、速さよりも一撃で屠ることに重きを置いているらしく、動きには大きな隙があった。

 キラは止めようと手を伸ばし――その横を影がよぎった。


 ――テメエかあ!


 ユニィだ。

 純白の尾をなびかせ、リリィをも追い越して勢いよく突っ込んでいったかと思うと、高々と跳躍し、振り上げた前脚でドラゴンの額を思いっきり踏みつけた。

 そして、

 ――青二才が立派に不良してんじゃねえよ!

 白馬の蹄が、ドラゴンの燃える鱗を砕いた。

 それだけにとどまらず、竜の頭を地面にめり込ませ、浮いていた巨体ごと突き落とす。


「……え?」

「う、嘘ですわよね……」

 キラも、そしてそれまで殺気を振りまいていたリリィでさえも毒気を抜かれたように、唖然としていた。

 到底、ただの馬になせることではない。いよいよユニィが何者かわからなくなった瞬間であった。


 強力な一撃は、しかし屈強なドラゴンを気絶させるには至らなかった。

 直後、もうもうと立ち込める土煙を振り払うがごとく、怒りの炎を上空へ打ち上げたのだ。

 ヒュン、と尾を引きながら夜空に上がっていき――破裂する。小さくなったが、それでも十分に威力のある火球が、町中に雨のように降り注ぐ。

 その一つが唸りをあげて迫り、キラは間一髪のところでリリィの手を引いて直撃を免れた。吹き荒れる熱風がじりじりと肌を焦がす。


 ――小僧!


 ユニィの打撃は確かに効いただろうが、災厄の魔獣の脅威が去ったわけではない。

 グリューンは毒のせいでまともに動けず、リリィはドラゴンを前に冷静にいられない。

 何より厄災の魔獣は、煙を大きな翼で払い、赤黒い目でにらんできている。割れた額から赤い血を流して。

 キラはグリューンとリリィをユニィに乗せ、白馬の足を叩いた。

「支部の魔法陣まで、お願いだよ」

 ――了解だ!

「キ、キラ――」

「〝竜殺し〟……落ちる……!」

 リリィが何か言うまでもなく、白馬は炎の中を駆けた。馬とは思えないほどの脚力と瞬発力に、炎の魔の手も襲う術がなかった。


 キラは小さくなる白い姿から目を離し、剣を構えた。周りで揺れる炎を反射する剣先を、ドラゴンに向ける。

 いくら傷ついていても、怪物相手に勝算はない。唯一対抗できるとすれば雷の力だろうが、今はかけらほども力の気配を感じない。

 だが、少しの間の足止めぐらいはできる。リリィたちが転移するまでの短い間ならば……。

 ドラゴンが突如として姿を現したのは、言うまでもなく帝国の仕業だ。だとすれば、その狙いは〝不死身の英雄〟が王都へ向かうことへの阻止――転移の魔法陣の破壊だ。成功すると、竜ノ騎士団の元帥を二人も足止めすることになる。

 そのための、災厄の魔獣。必ず目標を達成するために。何をどうして竜人族を堕落させたか――どうやってこの凶暴な怪物を従えているかは知らないが……。

 ここで逃げるわけにはいかないのだ。


 キラは竜の濁った眼を睨み――凶悪な口が開くのを見て、さっと後ろへ下がった。

 間もなく炎が地面を焦がし、火柱を起こして爆発した。

 想像以上の追撃だった。頬が、腕が、腹が、足が。まるで蛇のように火柱からにゅっと生み出された炎に焼かれる。

「うぅ……!」

 キラも痛みと熱さのあまりに膝をつく。

 そこに、鱗に覆われた腕が伸びてきた。

 巨体にしては小さな、しかし人の背丈ほどある腕は火柱などものともせず、鋭い爪で命を刈り取ろうとしてくる。


 それは紛れもなく人の動きで、だからキラも素早く反応することができた。

 剣を縦に構え、迫りくる刃のような爪を受け流す。これだけでも、リリィの大振りの剣撃を軽く超えている。

 完璧に流す事は出来ず、肩や胸がえぐられ、パッと鮮血が散った。

「くっ……ぅう!」

 靴底を滑らせながらも何とかこらえ、炎を突き抜けて現れたドラゴンの腹に向かって剣を振りぬく。

 鱗のないそこは柔らかく、まるで手ごたえもなく切り裂くことができた。

 呻き、叫ぶ竜はやはり平気そうで、どころか怒りのこもった眼を向けて来る。

 そして次の瞬間、長いしっぽが周りの火をかき消しながら横殴りに襲ってきた。虚空を裂き、まるで連続して爆発しているかのような音を立てて迫りくる。


 これはいけない――。キラはその場から飛び退ろうとして、

「うぅ……また……!」

 ハッと息を吹きだして膝をついた。

 胸の違和感が、急激に全身を締め付けてきた。小さな稲妻が走るように、ビリビリと痺れる。

 そうしているうちに、鞭のようにしなる尻尾が迫り――。


 何かが、その行く手を遮った。まるで金属同士がこすれるような音が辺りに響く。

 ついで、次々と何かがドラゴンへと降りかかる。

 キラが唖然としてその光景を見ていると、ドラゴンの攻撃を阻止したであろう誰かに担ぎ上げられ、かと思うと、一瞬で後方に遠ざかった。


「坊主、無事かっ?」

 闖入者は、ヴァンだった。

 彼だけではなく、多くの騎士がドラゴンを囲むようにしていた。魔法使いだろうか、深い青色のローブを着た数名が竜へ向かって杖を掲げ、それぞれ魔法を放っていた。

「な、なんとか……」

 体は火傷だらけだ。が、動けないほどでもなかった。不安定な心臓も、落ち着きを取り戻している。

 キラは体を剣で支えながら立ち上がり――すると、ヴァンにぽんと肩を押されて、後ろに追いやられた。


「んじゃあ、お前はさっさと元帥たちと合流しろ」

「いや、でも……!」

「ってかよこせ」

「え?」

「あいつは俺が仕留める。前ん時はお嬢様元帥にとられちまったからな」

 ヴァンは、笑っていた。精悍な顔つきが野心的なそれにすり替わり、大剣を持つ手が小刻みに震えている。

 戦いたいと、全身でそう叫んでいるようだった。

 反論すれば『それもまた一興』と、ドラゴンの尻尾を止めた幅広な大剣を向けてきそうで、キラは素直に礼をいって背を向けた。

 よたよたと走っていると、後ろのほうからヴァンの声が聞こえる。

「なあ! 次会ったら俺と手合せしてくんねえか!」

「考えときます!」

 味方であるはずなのに、なぜだかキラには、ヴァンのほうが恐ろしく思えた。



 騎士たちのおかげで、火の海だった町は早くも鎮火つつあった。轟音の鳴りやまぬ場所を除いて。

 キラは息荒く、しかし徐々に速度を速めながら走っていた。道順はろくに覚えていなかったが、支部の上空に浮かぶ大きな光玉が目印だった。

 ようやくレンガ建ての建物が見え――キラは目を細めた。

 照らされた東モルグ山脈の岩肌。魔法陣の洞穴の上あたり。その一部分が動き出している。

 徐々に膨らんでいき、やがて岩肌がボコリと岩の塊を吐き出した。

 塊は急な斜面を伝って洞穴の真横に転がり落ち、ドスン、と轟音を響かせた。一瞬、地面が揺れるのを感じた。

「あれは……?」

 卵にも似た大きな岩は、しばらく変化を見せなかったが、形を少しずつ変えていく。

 岩の上部に小さなこぶが生えたかと思うと、


 ――アアアアァア!


 それが大きく口を開けて叫び出した。

「は……?」

 キラは驚きのあまり、足を緩めて立ち止まった。

 岩の塊はすり切れそうな甲高い叫び声をあげながら、形を変えていく。腕を生やし、胴体をつけ、作り出したその足で立ち上がる。

 人型の岩は、パラパラ土を落としつつゆるりと動き出した。

 これも帝国の仕業なのだろうが、どうにかできるというレベルを超えていた。ユニィが痛打を見舞ったこともあり、ドラゴンはまだ可能性があった。

 だが、たった今誕生した人型の岩はとにかくでかい。

 付け入る隙が見当たらない。


 ぽかんと見上げていると、人形岩が緩慢な動きで手を向けて来る。

 ――アアアア……

 大きな指先から――いや、人差し指の形をした岩が飛来してきた。

 徐々に徐々に迫りくる岩石。家が飛んできているようだ。

 キラは逃げようとしたが、膝をつく。恐怖ゆえか、それともドラゴンとの戦いが響いているのか、身体に力が入らない。

 支部の一部を削り取ってもなお、岩塊は勢いを落とさず、すぐ眼前にまで迫り、


「キラぁ!」


 押しつぶされる寸前のところで、白馬に乗ったリリィに助けられた。胸ぐらをつかまれ、強引に引き上げられ、ユニィに覆いかぶさるようにして乗せられる。

「う……リリィ?」

「バカ!」

 ぐずっ、と鼻をすする音。どんな顔をしているか、見なくても分かった。


 ――つかまってろよ。飛ばすぜ!


 白馬はやはり速かった。岩の塊が着地したせいで地面が大きく揺れているにもかかわらず、足を取られることなくスピードを上げていく。もう少しで魔法陣へと続く洞穴だ。

 人形岩は握り拳で山脈の岩肌を叩いていた。動きはどこかぎこちなく緩慢だが、一発一発が重く、岩肌が着実に崩れていく。


「転移の魔法陣が……!」

「ぐすっ……ユニィ、もっと早く! キラもしっかり掴まっていてくださいな!」


 キラは落とされないよう必死にしがみつき、そしてその上からふり向いたリリィが覆いかぶさるように馬上で伏せる。

 洞窟に入ると、バラバラと土の塊が降り注いできた。

 リリィのおかげで少なく済んだが、それでも時折焼かれた箇所に当たり、鈍く傷む。

 突き上げるように揺れる中、白馬は懸命に駆け――転移の間に抜けた。

 魔法陣の中心にはランディたちがいた。

 グリューンは横たわり、セレナは祈るように両手を握っている。揺れにも土埃にも動じずに集中していた。


「リリィ様、少々お力添えを!」


 それから一気にいろんなことが起こった。

 白馬がとうとう揺れに耐え切れずに倒れ。

 キラとリリィはともに魔法陣内で滑り込み。

 びしりと魔法陣に亀裂が入ると同時に、天井が崩れ。


 ――そうして、目の前が暗転した。




 目を開けると、美女がぼろぼろと涙を流していた。

 小さな水の粒が頬を叩き、少しくすぐったい。

 何をそんなに泣くことがあるんだろう?

 キラは不思議に思って、口を開けた。


「リリィ? どしたの……?」

「しゃべっては……しゃべってはいけませんわ」


 眉を顰め――と、何か胸からせりあがるものがあった。

 口の中を瞬く間に見たし、キラは我慢できずに横を向いてそれを吐き出す。

 血だった。柔らかな草が、血にまみれていた。


 ――おいおい、ひでえな、こりゃあ


 リリィに続いて、ユニィが幻聴と共に覗き込んでくる。デフロットの村でのことを思い出す、見事な馬面だ。毛並みに劣らず、美形な顔立ちだ。

「動かないで……じっとしていてくださいな。すぐ、すぐに戻ってきますから」

 そう言ってリリィはどこかへ行ってしまった。

 口の中に残った気持ち悪さを草の上に吐き出しながら、キラは声を抑えてユニィに聞いた。


「何がどうなったの?」

 ――みんなバラバラに飛ばされちまったんだよ。ここにゃ俺と小僧とあの嬢ちゃんしかいねえ

「バラバラに……うっ」

 キラはまた気持ちが悪くなって、吐き出す。今度は違うものだ。

 ――運よく俺らは同じ場所に落ちたんだ。発動自体は成功したが、結局は失敗だ。ここは王都じゃねえ

「じゃ、どこ?」

 ――さあな。それよか、お前は自分の心配をしとけ

「どういう……?」


 キラは起き上がろうとして、自分の身体を見て理解した。

 横腹には大きな火傷、胸と肩には切り傷。他にも無数の傷が体に刻まれてあり、火傷も重なっていた。

 上半身が裸のこともあって、自分で見ても卒倒しそうだ。なにしろ、血が流れていないところを探すのが難しいほどなのだ。


 ――失敗した代償だな

「何かが無くなる……」

 ――この具合だと、本来ならば胴体が無くなっていたみたいだな。お前の底知れねえ強靭さもあるんだろうが……あのクォーターだから傷がつく程度で済んだんだ。会ったら感謝しとけよ

「ユニィは……リリィは大丈夫だったの?」

 ――怪我はねえが、嬢ちゃんは胸当てと足の甲冑が吹っ飛んだな。俺もほとんどの荷物が鞍ごとな

「怪我がない……よかった……」


 気を抜くと、また吐き気が襲ってきた。

 ドラゴンとの戦いに加えて、初めての転移。ずいぶんと体に負担がかかったようで、リリィがぬれた布を持ってくるまで吐き気が止まらなかった。


「川が近くなのは幸いでしたけど……今はこれしかできませんの。少し、少しですから、我慢してくださいな」

 リリィは白銀の剣を中ほどで持ち、その腹を傷口に押し付けた。

 ジュッ、と。竜の炎に焼かれた時と同じ音が耳につく。

 熱くて熱くて、キラは喘ぐように呻く。体を抑えるリリィの手を振りほどきたかったが、彼女が目に涙をためているのを見て、ぐっと我慢した。

「もう少し、もう少しですから……」

 上半身をすべて終え、足の傷の処置に入った時、キラはついに気を失ってしまった。


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