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10.〝オービット〟

「んだよ、この馬! オーガより狂暴じゃねえか!」


 ――こんの、生意気な! デカブツを返せ! 俺が踏み潰すゥ!


「こら、ユニィ! 落ち着け、大人しくしろって!」


 オーガを真っ二つに切り裂いた男は、突然前脚を振り上げて襲ってきた白馬に対して悪態をつきながらも、きっちりと対処していた。

 背丈ほどもある幅広な剣を片手で軽々と扱い、降りかかる蹄を防ぐ。

 男のおかげで少しだけユニィに隙ができたのを見て、キラはぐいと手綱を引っ張った。

 ハミはしっかりとつけているはずなのに、全く制御できない。どころか、ブルンブルン頭を振るう白馬に吹き飛ばされそうだ。

「うぅ……セレナ、ごめん、降りて!」

 ――オイコラ、ガキ! こいつをやらせろ!

 まるで魚のように跳ねまくるユニィにしがみつきながら、キラはぐっと白馬の首をつかみ、声を張り上げた。


「いい加減にしろ!」


 その時、少し不思議な感覚があった。

 耳元でドンッ、と空気を叩いたような音が鳴り、目に見えない何かが四方八方へ飛んでいったような気がしたのだ。

 ただ、それは本当に気のせいだったようで、実際には何も起こらず、白馬が大人しくなるのみだった。


「はあ……まったく」

 キラはぐったりとして、馬上でうつぶせた。

 なんだか一気にだるくなった。何もやる気がしない……。

「ご無事ですか?」

「なんか……疲れた」

 セレナが慌てて駆け寄ってきて、再び光の玉を作り出し、辺りを照らしてくれる。それだけで、少し救われた気がした。安堵のため息が出る。

 が……。

「うえ……」

 真っ二つにされ、緑の液体を大量に垂れ流しているオーガの遺骸を見て、胸が気持ち悪くなった。


「よお、メイド元帥。一体何事か聞いていいか?」

 馬上で横たわったキラの背を撫でていたセレナに気さくに声をかけたのは、先ほどの男だった。オーガを――加えてユニィも――相手にしていたというのに、まるで何事もなかったかのような顔をしている。

 隣に無残な死骸が転がっても、やはり平気そうだ。


「ヴァン……。なぜあなたがオービットに?」

「シリウスのおっさんの命令だよ。帝国の侵略に備えよ、だと」

「あなたも師団長ならば少しは敬語を使ってください。シリウス様にも、私にも。年下であれど、私はあなたの上司です」

「堅いこと言うなよ。んなことよか、お嬢様元帥と噂の英雄は? てか、この馬は何だよ? そこの小僧のか?」

「質問が多いですね。一つに……いえ、一言でまとめてください」

「無茶いうなよ!」


 ヴァンと呼ばれた金髪の男は、屈強な剣士だった。

 キラが今まで会った中でも一番に背が高く、筋肉が付いている。そうはいっても太っているわけではなく、程よく引き締まり、体型的にはキラと変わりはなかった。

 精悍な顔つきは、しかしセレナとの会話でコロコロと変わり、感情豊かである。特に笑っている顔は印象的で、口を大きく開けていた。

 対するセレナも、リリィと接する時とは違い、どこか活き活きとしている。


 キラはそんな彼女に聞いてみた。

「セレナ……ヴァン、さんと、恋人なの?」

 その瞬間、そんなバカげたことを聞いたのを後悔した。

 セレナは照れるわけでも、逆にヴァンを突き放すようなことを言うわけでもなく、ただただ感情の抜け落ちた、真に無表情な顔で振り向いてきたのだ。ライトブルーの瞳孔がちらりと光り、とても怖い。


「キラ様は、私にこの世の地獄を見よと?」

「え……あ、いや……」

「私にはリリィ様という大切な存在がいます。そして、新たにキラ様も加わりました。これより他に、たとえ神さまであっても、誰かが入り込む余地は一分もございません」

「や……でも……楽しそうだったし」

「それは無論です。ヴァンはお馬鹿ですから、からかいがいがあります。私の生きがいの一つと言っていいでしょう」

「……そっか」

「そっかじゃねえよ! このメイド、俺が地獄だとっ!」

 大切な存在……。

 セレナのその言葉がじんと胸に響いた。そういうことを言われたのは、生まれて――目が覚めて初めてだ。

 ということは、セレナは友人であるということなのだろうか?

 だとすれば、リリィはどうなんだろう? グリューンは?

 少し恥ずかしい気もするが、今度聞いてみようと心に決めた。




 ユニィは思ったよりかなりの距離を疾走したようで、後ろからくるリリィたちと合流するには少し時間がかかった。

 例のごとくリリィにペタペタと体中を触られ、なぜだかヴァンが叱られる羽目になり、ヴァンはヴァンで彼女の苦言を聞き流してランディをじっと見ていた。そうして「英雄さん、俺と手合せしてくれ」などというものだから、老人は困ったように笑い、ヴァンはリリィとセレナの集中砲火を浴びていた。

 グリューンは一人興味なさそうにしていたが、一応心配してくれていたのか、「大丈夫だったか?」と小さく聞いてきた。心の中で小躍りしたのは内緒だ。

 こういうことがあって、ヴァンが加わった道中はたいそう賑やかなものになった。

 ただ、道のりといってもそう大したものではなく、すぐに目の前に鉄鉱の町〝オービット〟の門が現れた。


 キラにとって初めての町は、印象的なものとなった。

 町に入ってまず目についたのが、奥の方でふよふよと浮いているいくつかの大きな光の塊だ。セレナが作ったものよりも何十倍もでかい。山の中腹に築かれたこの町を、明るく照らし出していた。

 門の外から見えなかった・・・・・・のが不思議なくらいだ。

 いくつかある光玉の中でも、ひときわ目立って大きなものがあった。それは壁のようにそびえる山肌近くで、闇夜を払拭するかのごとく、明々と輝いていた。

 この光玉の下こそが、騎士団の『第一師団オービット支部』であり、キラたちの目指していた場所だった。


 ヴァンの先導で、キラたちは馬に乗ったまま町中を行く。照らし出されている支部とは違い、濃い闇が支配している場所が多かった。

 見たことのない家の造りがずらりと並び、村にはない道から外れた裏道などもあった。場所によって明暗がくっきりと分かれているために、村にはない独特の雰囲気がある。

 だが、キラにはそれらに気を取られる暇がなかった。

 なぜなら……。

「セレナ、抱き付きすぎよ」

 キラは今、馬上で後ろからセレナに抱き付かれていた。ユニィのせいでぐったりしていたところを介抱してくれているのだ。

 この姿はヴァンに当然みられ、ここぞとばかりにからかわれたのだが、セレナの「さみしい男の遠吠えですね」の一言で撃沈していた。


 デフロットの村に着く直前まで、リリィにも背後から介護を受けていたが、彼女とはまた違う女性らしい感触にドキドキしていた。

「しかしリリィ様。こうやって治癒の魔法をかけ続けているのです。ユニィを落ち着かせてから、ずいぶんとぐったりとしていますし」

「でも効果はないでしょう?」

「いえ、どうやらそういうわけでもないようです。治癒の魔法のかかりがすこぶる悪いというだけで、こうして全身で長時間かけ続けていれば気持ち悪さぐらいは取れるはずです」

「ならば……仕方がないわね」

 キラは懸命にセレナから意識を逸らそうとじっと前を見据えていると、ちらりと振り向いたヴァンと目があった。 

「なんか、見慣れねえ光景だな……」

 その青い目にはいろいろな疑問が渦巻いているような気がしたが、キラも今更ながらよくわからなくなり、苦笑いするしかなかった。


 照らし出された赤煉瓦の建物は、横に広かった。それでいて、高さも十分すぎるほどある――〝グストの村〟にあるすべての家屋がまるごとはいるんじゃないかと思うほど、『第一師団支部』は巨大だった。

 しかしその後ろには、支部をも軽く越す山肌が控えていた。まるで巨大な壁がのしかかり、飲み込もうとしているようだ。

 ずっと見上げていると、少し不安になってくる。

「で、お嬢様元帥。転移の準備は整ってるが、どうする?」

「出来ればすぐに出発したいところですわね。お父様の忠告通り、帝国の侵略が現時点で最大の脅威ですし。攻め入られて魔法陣が壊されでもすれば……」

「うし、じゃあすぐに人手を集めてくっから、あんたらも〝転移の間〟で待機しといてくれ」

 

 リリィやセレナが言うには、騎士団支部は近隣の村や町を守るのみでなく、人員や物流を円滑にする役割も担っているという。他の支部から人手を借りたり、貸したり――あるいは、飢餓や食物による流行病を食い止めるために、食糧を回したり。

 その要となるのが、転移術。あるいは〝転移の魔法陣〟。ここから人を送り出したり、食糧を受け取ったりしているのだ。



「一応聞いておきますけど、キラは転移の魔法は初めてですわよね?」

「うん」

 馬小屋にユニィたちを預け、中庭を通って〝転移の間〟へ向かう。転移の魔法は建物の一室ではなく、岩肌をくりぬきつくられた特別な場所で行うという。

「でしたら、わたくしと手をつないでいただきますわ」

 リリィはにこりとかわいらしく笑いながら言った。

「手を? 何かあるの?」

「一瞬の出来事とはいえ、転移中は平衡感覚がなくなってしまいます――立っているのかさえ分からなくなりますわ。わたくしもセレナももう何度も経験していますから慣れたものですけれど、キラのように初めての人は、悪くすれば何日も寝込んでしまうような頭痛や吐き気に見舞われますの」

「ええっ?」

 急に足が重くなった気がした。

 その大げさな反応に、リリィもセレナも、ランディでさえ笑ってくる。

 キラはむっとしてそっぽを向いた。

 わざわざ頭痛になりたい人なんていない。……リリィやセレナに看病されるなら、少しはいいかもと思ってしまうが。


「そうならないために、わたくしと手をつなぐのですわ」

 リリィが安心させるために優しい口調で続け、その説明をセレナが淡々とした口調で行う。

「逆にいえば、平衡感覚がなくなるのはたったの一瞬です。その間を誰かに支えてもらうだけで、寝込む可能性はぐっと低くなるのです」

 それならば安心だろう。二人の慰めで、キラは心が軽くなった。

 欲を言えば、セレナとも手をつないで吐き気やら頭痛を完ぺきに回避したい気もする。


「……まあ、私はあの放蕩王子のいたずらで色々と大変なことになったがね」

「わたくし……今日一日で国王陛下の印象が変わりましたわ」

「私は……なんとなくその茶目っ気には気づいていましたが……まさか転移の魔法で無茶をするとは」

 セレナのぼやきを聞いて、キラは一つ尋ねてみた。


「あのさ。もし転移の魔法が失敗したら、どうなるの?」

 すると彼女は、いつも通りに無表情で言う。

「何かが無くなります」

「へ?」

 ヴァンの時と同じだ――彼女の無表情が、一層恐怖を駆り立てる。

「魔法陣が完ぺきに崩壊している時点で無理矢理発動すると、体の一部が無くなります。少し壊れた程度ですと、身に着けていたものが消えたり、髪の毛がバッサリと切られたりするという報告もあります」

「へ、へえ……安全第一だね」

「繊細な魔法でもありますからね。何もないに越したことはありません」

 そんな繊細な魔法で、一体ランディは国王に何をされたというのだろう……?


 少しして、〝転移の間〟の入り口が見えてきた。

 切り立った崖にあいた黒い穴は、まるで洞窟のようだった。その穴の両側に、松明が掲げられている。

 リリィとセレナが指先に灯りをともし、彼女たちを先頭として中に入っていく。足音が無数に反響し、奇妙な気分にとらわれた。

 灰色の洞窟がしばらく続き、かと思うと一気に広い空間へ出た。

 するとリリィがぱちんと指を鳴らす。ボッ、ボッ、と壁際に置かれていた篝火に次々に火がともっていく、〝転移の間〟を明るく照らす。


「おお……!」


 キラの驚きの声は、異様に響いた。

 〝転移の間〟は広く、そして高かった。半円状にくりぬかれ、灰色の岩肌が嘘のようにつるつるにされている。

 床全面には、複雑な文様の魔法陣が彫られていた。

「これが、転移の魔法陣……」

「数ある支部の中でも、最大クラスなのですよ。腕のある魔法使いが揃えば、五十人の移動が可能となりますわ」


 魔法陣はすべての線が溝のように深く削られ、青白い粉のようなものが敷き詰められていた。キラはしゃがんで、それに触ってみる。

「……これ、なに?」

 指についた粉は、砂よりもきめ細かく、きらきらと輝いていた。

「魔鉱石を細かく砕いたものですわ。これにはマナが含まれていましてね……」

「マ、マナ?」

 魔法についての基礎はランディから一通り聞いたことがある。〝マナ〟という単語も聞き覚えがある。

 だが、魔法が使えないと分かってから、キラはふて腐れてしまってろくに覚えていないのだ。

「んっと。簡単に説明すると、転移の術を発動するのを補助してくれるものですわ。マナは魔法の元と、覚えておけば大丈夫です」

「なるほど……」

 そうは言いながらも難しい顔をし続けるキラにリリィは苦笑し、そして老人も、

「キラ君。いつか魔法のことを勉強しなければね。魔法を使う敵と出会ったとき、知識は役に立つものさ。……まあ、私もその気持ちは痛いほどわかるがね」

 同じように笑っていた。


 そういえば、冒険者であるグリューンは転移を使ったことがあるのだろうか?

 キラは彼に聞いてみようと思ったが、その姿はどこにもなかった。

「あれ、グリューンは?」

「え? ついてきて……いませんわね」

 嫌な予感とでもいうのだろうか。

 胸騒ぎがして、キラは落ち着いていられなかった。

「ちょっと、探してくるよ」

「では、わたくしも」

「いや、リリィはここで準備とかが……」

「出立前に約束したでしょう? 何があってもわたくしから離れてはいけません。――セレナとランディ殿はここで待っていてくださいな」




 中庭を小走りで横切り、家のように広い馬小屋へ向かってみる。

 リリィが指先に炎をともして、小屋の中を照らしてくれる。

 が、そこには甲高い声の少年はいなかった。どころか、

「ユニィもいない……」

 いつ寝ているのかと思うくらいずっと起きている白馬も、馬小屋から忽然と姿を消していた。


「まさか、盗んだのでは……?」

「リリィ」

「あう……だって……。偏見でも何でもなく、冒険者がそういうことに手を染めるというのはよくある話ですし。何より、ユニィはあんなに美しい馬ですもの」

 しゅんと肩を落としたリリィに、キラは慌て、彼女の背中を撫でながら言い直した。

「リリィ、そうじゃなくて。ユニィは一人で――一匹? で出ていったんだよ。ほら」

 ユニィがいたはずの場所には、木が散らばっている。内側から柵をぶち壊したとしか思えないような散らかりようだ。転がった木片には、ユニィらしき馬蹄のあとが付いていた。

「きっと、魔獣か何かの気配を察して……」

「しかしわたくしもセレナも、ランディ殿だって何も感じませんでしたわよ」

「でも、それ以外に――」


 その時だった。

 肌が粟立つような感じがした。

 ぴりぴりと空気が震えているような気もする。

 そう感じたのはキラだけではないようで、リリィもはっと顔を上げていた。


「リリィ、今のは……?」

「わたくしも感じましたわ……いい気はしませんわね」

「じゃあ、魔獣?」

 リリィは、やはり根っからの騎士だった。穏やかな青い瞳をした彼女は、もうない。

 鋭い視線を辺りに散らしたかと思うと、紅のコートを翻して馬小屋から飛び出ていった。

 キラもそれを追いかける。不安定な心臓は、いつも以上に大人しくしている。だから迷いなついていけた。

「あなたは戻ってくださいな!」

「いやだ!」

 キラはきっぱりと断った。

「なぜ……っ!」


 彼女が体の心配をしてくれているのはとても幸せなことなのであろうが、その思いをただ受け止めるだけでは駄目だと感じていた。

 今の指標は、命の恩人の跡を継ぐこと――〝不死身の英雄〟がそうだったように、王都を守り抜くことだ。彼の後悔と不安を払しょくするために。

 それに加えて、リリィやセレナの故郷を守りたいという思いもあった。迷惑をかけて世話になりっぱなしの、やはり命の恩人たちに、少しでも力になりたいのだ。

 リリィの父親は頑固だとランディは言った。

 その娘であるリリィもまた似ていると。

 そんな彼女の言葉を押し返せるほど強い心持でなければ、話にならない。

 ここでリリィの言うことに従うということは、つまりはこの先もずっと彼女に守られて生きていくしかないように思えた。


「てか、約束したんじゃないのっ? 離れないって!」

「……勝手にしなさいな!」

 リリィはそう言い放って、走る速度を速めた。

 支部からの光が届かない町中を、彼女は明かりが見えているかのように、右へ左へ、くねくねと家々の間を走る。

 キラも置いていかれないように必死についていき――足を踏み出すたび、ピリピリとした感覚が強くなっていくのが分かった。何かがいる場所へ近づいているのだ。

 そして――。


「うぅ……!」


 路地裏でグリューンを見つけた。

 誰かと対峙しているようで、幾度も金属音が響く。

「グリューン!」

 キラは迷わず剣を抜いて突っ込んでいき、リリィがそれを補佐するように上空へ紅の炎を放つ。

 ぱっと周りが明るくなり、見えた光景は何とも奇妙だった。


 一瞬、グリューンが闇に向かってその短い剣を振るっているのかと思った。

 だが実際にはそうではなく、黒づくめの格好をした何者かが、光が放たれてもなお闇夜に隠れて対峙していたのだ。

 黒づくめは素早い動きでグリューンの懐に入り――、キラが剣を振るって割り込む。

 響く金属音――手ごたえは、思いのほか軽かった。


「お前……!」

 いつごろからこの謎の襲撃者と対峙していたかはわからないが、ともかくグリューンはほとんど無傷のようだった。右手にかすり傷が付いている程度だ。

 呆気にとられている彼を見てキラは頬を緩め、それから黒づくめを鋭く睨む。

「いったい何者だ! グリューンに何していた!」

「チィっ!」


 キラの問いには答えず、ただ舌打ちをして襲撃者は再度襲い掛かってきた。

 速い――だが、遅い。

 いまだ脳裏に残る、残像も残さぬようなリリィの動きと比べると、はるかに遅い。

 キラは半歩身を引いて、両手で構えた剣で相手のナイフをきっちりと受け止め、流す。

 これも、先ほどと同様に軽い攻撃だった。高速の勢いで繰り出された紅の騎士の大振りとは、雲泥の差だ。

 道々目にしてきたランディやリリィの剣を振るう姿を思い起こしながら、キラは一歩踏み込む。


「なに……!」

 横一閃。

 しかしそこで、キラの経験不足がたたった。

 何より人に凶刃を向けることに躊躇してしまい、振るう瞬間に迷いが出たのだ。

 その隙に相手は一歩後退し、結果、キラの剣は黒づくめの胸を浅く裂く程度に終わった。


 すると、それを事前に察していたかのように、リリィが横から飛び出る。

 白い剣がきらめく――前に、黒づくめは影に隠れる・・・・・ようにして跳び退った。

「お待ちなさい! ――え?」

 白銀の剣にまとった紅の炎が影を明るく照らしたが、なぜかそこには、黒づくめの襲撃者の姿がなかった。

 代わりに、


 ――どこだあああ!


 煌めくほど美しい白い毛並みを持ったユニィが、姿を現した。

 キラの愛馬は、キラにもリリィにも尻餅をついたままのグリューンにも目もくれず、一目散に駆けていく。

「ちょ――!」

 キラは声をかけようとして、黒づくめが消えた方をぱっと見た。

 ピリピリとした空気が、今までにないほど重圧をかけて来る。じわじわと、全身を締め付けるように。


「これは……あの時と同じ……」

 リリィが剣を収めないまま、一歩ずつ後ろへ下がる。

 そのまま彼女は、キラに背中をぶつけた。気づいていなかったようで、リリィは異様なほど肩をびくつかせた。その姿は、まるで幼子だ。

「リリィ、大丈夫?」

「え、ええ……」

 しかし、彼女は返事とは逆の状態だった。それを表すように、上空で辺りを照らしていた紅の炎も弱くなる。


 キラは片腕でギュッと彼女を抱きしめて支え、

「グリューンも、大丈夫? いったんここを離れよう」

 もう片方の手を、尻餅をついているグリューンに伸ばした。

「……おいてけ」

「え?」

「情けねえが……毒にやられちまった。少量だが、厄介な神経毒だ」

 キラはむっと唇を曲げて、グリューンを抱え上げた。少しきついが、彼は小柄だ。肩に担ぎあげれば平気だった。

「な、おい……!」

「友達は置いてけないよ」

「はあ?」

「……聞こえてないならいいよ」

「そういう意味じゃねえよ!」

 キラはじたばたと暴れる少年を何とか片手で押さえつけ、リリィに歩くように促す。


 だが、

「同じですわ……」

 リリィはそう呟き、動こうとはしなかった。

 上空に浮かぶ炎の玉が、ボッと一気に燃え上がる。

「まるで同じですもの。このわたくしが、気づかないと思って?」

「同じって……七年前と?」

「これで三度目。疑いもありませんわ」


 三度目・・・

 キラは少し疑問に思ったが、それよりもこの場所から離れたかった。

 重圧は徐々に増してきている。

 彼女が『同じ』だというならば、おそらく〝影から湧いたように〟魔獣が出て来る。

 その光景はきっと、彼女を刺激する。


「――キラ、先に戻って、すぐに王都へ向かってくださいな。わたくしは後で向かいますから」

「だめだよ、リリィ」

「いいえ、何が何でも……!」

「だめだって!」

 キッと振り向いたリリィは、見たこともない表情をしていた。目の端に涙を溜めながらも眼光は鋭く、歯を食いしばっている。

 彼女は完全に冷静さを失っていた。

 どう説得したものかと、言葉を選んでいる暇はなかった。


「ユニィ!」


 どれだけ遠くに行っても白馬に届くように、キラは声を張り上げた。

 だがソレが、同時にやってきた。

 体を締め付ける重圧が最高潮に達し、暗闇から解き放たれたのだ。


 炎を映したかのような鱗を身にまとったドラゴンが。


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