9.お守り
東西に横たわる〝東モルグ山脈〟。この西端では、北から南西にかけて広がる〝北モルグ山脈〟と交わり、その交わった点に湖のごとく大きな水源が存在してる。
この水源から様々な方向へ川が伸び、王国中に様々な恩恵をもたらしていた。
そのうちの一つに、〝東モルグ山脈〟を経由して、騎士団支部のある〝オービット〟やデフロットの村まで流れる川がある。
これを聞いてキラは、村から出て、川をたどっていけばすぐにつくのではないのかと思った。何より、地平線を覆い尽くすように左右に広がる山脈が、常に目の前に見えているのだ。
だが……。
「もう夕方……」
山脈が見えるといっても、その中腹にある〝オービット〟へ至る道は平たんではない。
確かに、村を出てから少しするまで楽な道のりが続いていたが、昼食のころには山道に差し掛かっていたのだ。
川に沿う街道――通るべき道が踏み鳴らされているだけで、特に手は加えられていない――は、徐々に傾斜がきつくなり、いつの間にか両側は山のように隆起した険しい丘に囲まれている。
道しるべである川も大きな変化を見せ、グネグネと曲がっていた。
辺りは木々に囲まれ、まるで森の中にいるようだ。
しかも、この見晴らしの悪い中、暗がりや死角から魔獣が飛び出ては襲い掛かってくる。
ランディやリリィ、セレナがほとんど一撃で屠ってくれるからよかったが、肝心の馬たちがストレスで疲れやすくなり、さらに、キラたちも休憩を必要としていたのだから、時間が重なるのは当然だった。
「あとはここをまっすぐ行けばいいだけだし、日が暮れるころにはつくよ。まだ早い方さ、普通の馬だとこうはいかないよ。この子たちよりもずっと臆病で、体力もないうえ、遅いからね」
「そうですわよ。旅慣れしてる行商人の馬車馬でさえも、魔獣に襲われそうになったらパニックを起こすんですもの。そうなったらもう、旅どころではありませんわ」
先頭を務めるランディ、そして殿のリリィがそれぞれそう教えてくれる。
彼らの言うことは正しいのだろうが、キラにはどうしても理解できなかった。
「でも……じゃあユニィは?」
キラのまたがる白馬は、魔獣を見つければ真っ先に駆け出して踏みつぶそうとするし、皆が休憩している間もそこら中を駆け回っている。他の倍以上、坂を行ったり来たりして、落ち着くことがない。
なのに、こうしている間も、他の馬にちょっかいを出す始末。
――ヘイヘイ、何ビビってんだよ
時折そんな幻聴が聞こえてくる。どれほど体力があるのか、想像もつかない。
「ソイツが異常なんだって。ゴブリンの頭踏みつけたがる馬とか聞いたことねえんだよ。ってか、人乗せねえとか何なんだよ」
隣に並ぶグリューンがたいそう不機嫌そうに言った。
彼は一度乗ろうとして、暴れ馬と化したユニィに吹っ飛ばされたのだ。セレナが風の魔法で助けなければ、地面で頭を打っていたかもしれない。
――んだと、小僧! テメエに背中を預けた覚えはねえ! 馬なめんな!
白馬は反省の色も見せず、逆に鼻を鳴らして憤慨する。
皆のいる手前、キラは声をかけることはなかったが、どうにもユニィからの幻聴が多くなっている。
リリィは馬が話すことはないといっていたが、どうなっているんだろう? 厳密にいえば、実際に声を出して話しているのではなく、頭の中で響いてくるのだが……。
それとも、ユニィは馬ではなく、馬の姿をした何かなのだろうか?
キラがそんなことを考えている間に、なぜかリリィとグリューンの間でケンカが勃発していた。
「ユニィは特別賢いんですもの。異常でも何でもありませんわ」
「あっ? どういう意味だよ、〝竜殺し〟」
「特に深い意味は。そんなに甲高い声で凄んでも怖くありませんわよ」
「なんだと!」
キラは二人のケンカの声を聞いて、ほっとした。
どうやらリリィは元気になったようだ。出発前、ひどく落ち込んでいたようだったが、喧嘩をするぐらいなら大丈夫だろう。
安心したためか、くしゃみが続けて出た。
ずるりと鼻をすすり、
「なんか、寒いなあ……」
むき出しの腕をさする。
日中は汗をかくほどだったが、日差しが柔らかくなった今、涼しかった風が冷たく感じる。心なしか、周りの気温も徐々に下がってきている気がする。
「キラ様、マントを」
そう気遣ってくれたのは、相乗りしているセレナだ。目の前で器用に鞍からマントを取り出し、またも器用に馬上で体を回転させて被せてくる。
「あ、ありがとう……」
「いえ。ただ、標高が徐々に高くなっているうえに、東モルグ山脈から吹く風で今までよりもぐっと寒くなります。王都もまだ肌寒いですし、オービットについたら袖の長い物を用意しなければなりませんね。支部についたら鎧を調達いたしましょうか? キラ様は治癒の魔法が効かないという話ですし、身を守るものがあった方がよろしいでしょう」
「えっと……遠慮しとくよ。あんまり戦ってないけど、なんとなく体の動かし方を分かってきたところだし……慣れないものをつけるとかえって怪我する、気がする……」
「承知しました。しかし、私とリリィ様、そしてランディ様がいる限り、キラ様には戦わせませんので」
「あ……うん……ありがとう」
メイドを象徴するようなこの甲斐甲斐しさは、本当に昨日までとは全然違っていた。
だからキラは、セレナとの距離を測りかねていた。どう接していればいいのか、全く見当がつかなかった。
そして、物理的にも……。セレナを抱きしめる形で手綱を握っているが、おっかなびっくりだ。手綱を握る手をどこに置けばいいか今でも戸惑っている。
「キラ様? 先ほどから気になっていたのですが、そんなに脇を広げていてはお疲れになるでしょう?」
「へ? い、いや、別に、これがちょうどいいだけだよ」
「しかし、何かあってはいけません。こうやって、ぐっと」
メイドは大胆にも、自らの脇の下にキラの腕を押し付けた――外れないように、腕で挟んでくる。リリィほどではない、しかし柔らかな感触が腕の一部に当たる。
「ちょっ?」
「ユニィは中々活発な子ですゆえ。また振り落されてはいけません」
その言葉が最も過ぎて、キラは何も言えずにいた。
この白馬は突っ走ったが最後、全く言うことを聞かない。手綱をどれだけ引っ張ろうとも、「野郎、踏みつぶしてやらぁ!」とか叫びながら魔獣に突っ込むのだ。
そうしてキラは、落馬というものを初めて経験した。
とんでもない恐怖だ。地面に落ちたうえ馬の長い後ろ足に蹴られそうになるのは。ゴブリンの頭をつぶすような威力でやられたら、いくら身体が頑丈でもひとたまりもないだろう。
落馬の瞬間を思い出し、ブルリと身震いする。キラは躊躇なくセレナに抱き付くように手綱を握った。
「キラ君、体調はどうだい? 何か変わりあるかい?」
ランディが馬の足を少し緩めて、そう聞いてきた。
「大丈夫です。……残念なくらい、変わりありません」
〝神力〟の雷の力が目覚めても、キラは変わりなかった。
一度魔獣と剣を交えたが、〝神力〟を扱うどころか、自分の中にその存在を確認することもできなかった。
以降も、魔獣と戦い力を引き出そうと試みるも、セレナに強く引き止められ、その間にリリィがあっという間に始末してしまう。彼女たちの『キラに剣を振らせない』という思いも変わっていないようで、その過保護っぷりにキラも辟易してきた。
「そう焦ることはないよ。師匠らしいことを言うなら、今君がするべきことは『雷の扱いを完ぺきにする』ことではなく、『より多くの戦いを目にする』ことだ」
「どういうことです?」
「君はやはり特別だということさ。戦いを目にすればするほど、君は強くなる」
「はあ……」
キラは老人の言葉がどうしてもわからず、首を傾げた。
剣を振らずに強くなることがありえるのだろうか?
「天然ですわねえ」
「天然ですね」
「馬鹿だ」
――最低だな
「なんでっ?」
リリィにセレナはまだ良いとしても、グリューンに加えてユニィにまで暴言を吐かれた。老人は笑っているだけで、特に否定はしてくれない。
キラが唇を尖らせてそっぽを向いていると、
「ああ、キラ君。はい」
振り向いた老人が、ひょいと何かを放ってきた。
何とか反応して、それを受け取る。手に収まったのは、とても小さな革のポーチだった。
「これは?」
「お守りだよ。〝神力〟は――君の雷の力は、とても強力だ。天候をも操ることができるなんて、人の身に余るからね。気休め程度でも、役には立つだろう」
キラはセレナに手綱を任せて、ポーチの中身を取り出してみた。
薄く、ほぼ正方形の黒い石、のようなものだった。石にしてはつるつるとしているし、何か文字が書かれてある。
「〝旧世界の遺産〟ですか……! 初めて見ました。それもこんなに小さなもの」
セレナの言葉はリリィとグリューンの興味を引いたようで、馬を寄せてきた。
「マジ……? すっげえお宝じゃん」
「ラ、ランディ殿? これを一体どこで?」
二人とも――特にリリィは頬がくっつくほどに顔を寄せて来る。息をするのも忘れて驚いている。
「うむ……昔、ある青年にもらってね。『もう自分には必要ない物だから』と。ずいぶん昔のことで忘れていたんだが、ちょっと思い出してね」
「そ、それでコイツにあげんのかよっ?」
「結局、私が持っていても何もならなかったからね。そうすると、弟子に譲るのが筋というものだろう?」
「そりゃあ、そうだけど……」
手元を見てうなるグリューンを見て、キラはなんだか珍しいことだと思った。
彼は常につっけんどんな言動をしているが、その実、彼の素直な感情をあまり見たことがない。デフロットの村で、帰れと警告したときぐらいだろう。
「その青年というのが気になりますわね……一体どこでこんな貴重なものを手に入れたんでしょう?」
「……あ、リリィ様、古代人という可能性は?」
「夢はありますけど……ありえませんわね。それこそ、おとぎ話の世界ですわ」
またグリューンに何か言われるからと我慢して聞き流していたが、我慢の限界だった。
キラはリリィをじっと見つめながら聞いた。
「さっきから言ってる〝旧世界の遺産〟とか〝古代人〟って、何?」
すると彼女は、やはりいつものようにこりと笑って答えてくれる。グリューンが何かを言い出す前に。
「〝旧世界の遺産〟とは、言葉通り、前の世界とされるものの総称ですわ」
「ま、前の世界?」
「宗教の話が混ざってしまいますけど、ある系統の学者たちの間では、神様が定期的に世界を破壊してしまうという説が一般になっていますの」
「う……?」
「つまり、何千年、何億年かごとに神様がこの世を造り変えているということですわ」
「ってことは……〝旧世界の遺産〟っていうのは、一つ前の世界の残骸みたいなもの?」
「そういうことですわ。空想の世界のように思えますけれど、このお守りのように、世界各地で同じような文字が刻まれたものが多く発見されていますわ。長寿の竜人族やエルフでさえ、長い間討論した末、解読不能であるという結論を下したのです」
「へえ……」
するとここで、キラの腕の中で何やらうずうずしていたセレナが口をはさんだ。後ろ向きに体勢をかえ、
「旧世界の文明は、〝超文明〟あるいは〝古代文明〟と称されていまして。発見された遺産の様子からして、今とはまた違った特徴を備えているようなんです。ある人は魔法のない文明と言ったり、またある人は魔法を超えた技術のある文明と言ったり……ともかくはっきりとしていることは、旧世界というのは、私たちの想像もできない世界だということなんです」
こう一気にまくし立てたセレナは、相変わらず無表情であったが、誰が見てもわかるほどに目を輝かせていた。特徴的なライトブルーの瞳孔がキラキラと輝いている。
彼女はこういうことが大好きらしい。
「じゃあ、〝古代人〟っていうのは……」
「旧世界の住人です。神様と対等であったとも、あるいは神様の下僕であったともいわれています。中には、神を信じない人が多かったと説く学者も。ですがやはり、〝古代文明〟と同じく謎に包まれたままなんです」
「途方もない話だね……」
「しかし夢があります。遺産のおかげで旧世界の存在は立証されているんですから。後は時間をかけてじっくりと調べていくだけなのです」
ぐっと控え目に握り拳を作る赤毛のメイドは、なんだかかわいらしかった。
だが確かに、キラも手の中にある〝旧世界の遺産〟に魅力を感じた。
途方もなく現実味のない話を、一気に確実なものにする可能性を秘めているのだ。
そこに存在しているのに霧のように実態をつかめないでいる状態は、秘めたる〝神力〟のようで――そして失われた記憶のようにも思えた。
「私はあまり気にしたことないが、まあ、そういう代物だからね。お守りにもちょうどいいんじゃないかな」
「ありがとうございます、ランディさん。大事にします」
〝旧世界の遺産〟を小さなポーチに戻すと、リリィもセレナもグリューンもため息を漏らす。
彼女たちのそんな様子に苦笑しながら、鞍に取り付けたバックパックに入れようとすると、セレナがぐっと手首を握ってきた。
「何をしているのです?」
「いや、しまっておこうと……」
「肌身離さず身に着けておくべきです。ポーチから出さなければそのお守りの正体がばれることはありませんが、万が一ということもあります。盗人には十分気を付けないと。とてもとても貴重なものなのですから」
有無を言わさぬ迫力だ。
キラはコクコク頷き、ポーチをベルトに引っ掛ける。
と、セレナがそれでは不十分だとばかりに、取り付けたポーチを引きはがし、抱き付くようにして腰に手を回してきた。
「……セレナ、いい加減にしなさいな。まだ恋仲でもない男女が……」
「いえ、いくらリリィ様の命でもいけません。〝旧世界の遺産〟はそれこそ国が占有財産としたがるものなのですから、しっかりと盗賊対策をしておかなければ」
セレナはぶつぶつとつぶやき始める。魔法をかけているのだ。
その様子を見てリリィは恨めしそうにため息をつき、キラはピクリとも動けずにいた。
陽が落ち、街道はいくらか薄気味悪くなった。
辺りは妙に静かで、魔獣のほかに何かが出てきそうな雰囲気がある。川のせせらぎも、悪魔のささやき声に聞こえた。
それでもキラが正気を保っていられたのは、セレナと相乗りしているということと、彼女の出す光の玉が辺りを照らしているためだった。
「これ、ずっと出してて疲れないの?」
気を紛らす意味も込めて、セレナに聞いてみた。
光の玉は、厳密に言えば煙の塊のようだった。
セレナの細長い指先からいくつもの煙のような白い線が伸び、空中で光の玉を形作ったのは何とも美しかった。
「人によりけりですが、少なくとも私はこの程度で疲れはしません。息をするのと同じです」
「へえ……」
セレナはキラの腕の中で、人差し指を立てた。すると、近くに浮いていた光玉がふよふよと近寄り、指の先にとどまる。
光の玉は回転しながら徐々に大きくなり、より一層、輝きを増した。
「転移の術も、もう少し扱いやすくなればいいんですが……」
「やっぱり、難しいもんなんだ?」
「〝神の魔法〟と称されるだけのことはあります。魔法陣があれば、五人までなら詠唱なしに跳ぶことも可能ですが……ここからだと王都までが限界ですし、そのあとはまるきり動けませんから」
いくら魔法を知らないとはいえ、キラも転移という魔法の難しさはなんとなく想像できた。二か月かかる道のりを一瞬で行けたら、大きな代償も伴うだろう。
だが、キラの考え方は、少し甘かった。
「詠唱なしって……化けもんかよ……」
隣に並ぶグリューンが、唖然とした様子でつぶやいたのだ。
「……そんなにすごいものなの?」
「そりゃな。魔法を発動するための道筋をわざわざ失くすんだ。目つむって〝グストの森〟歩くようなもんだ」
「うわ……それは怖いね……」
「んで、転移の魔法ってのは、大概が大人数でやるもんなんだよ。人手がありゃあ、それだけ道筋が多く作れるからな。だけどそこのメイドは、たった一人で、しかも詠唱なしで王都まで五人飛ばせるって言ってんだ。非常識にもほどがあんだろ」
キラは腕の中のセレナをまじまじと見た。
とても小柄な彼女は、しかしすごいことを平気でやってのけるのだ。
それまで手綱を握るためにぎゅっと抱きしめていたことが無礼に思えて、キラはばれないように少しだけ力を緩めた。
「ふふん。わたくしの親友ですもの、そのくらい当然ですわ」
キラが振り向くと、やはり想像した通り、我がことのように胸を張るリリィがいた。
彼女の周りにはセレナの作り出した光の玉が浮いていたが、他にも紅の炎もある。炎もリリィの気持ちを表すように、軽快にボッボッと燃えていた。
「ぜんっぜん理由になっちゃいねえな」
「何ですって?」
このままではまた喧嘩になってしまう。
キラは即座に察知して、別の話題を振ってみた。
「あ、あのさ、グリューン。オービットについたらどうするの?」
「あ? そりゃあ、ついて行こうと思ってるけど?」
キラはそれを嬉しく思ったが、いち早く反応したのはリリィだった。
「あら、なぜかしら? 未熟な冒険者が、わたくしたちについてきたい理由が何かあるのでしょうか?」
「金稼ぎだ、金稼ぎ。あんたらが動いてるってことは、そろそろ戦争が始まるってことだろ? いったん冒険者稼業は休止して、傭兵か用心棒として雇い口を探すんだよ。そのためにはまず、王都の近くに行かなきゃなんねえからな。二か月もちんたらしてたら、他の奴らに良い口奪われちまう」
戦争。その言葉を聞いて、キラはなんだか気分が落ち込んでしまった。
今まで魔獣とばかり向き合っていたから気にしていなかったが、次からは人が相手になるのだ。リリィやセレナ、グリューンやランディと同じ、人間が。
「残念ですけど、転移の魔法は騎士団のメンバーでしか使用できませんわ。たとえ国王陛下であろうとも。言っておきますが、これは嫌味ではありませんわよ」
「はっ? じゃあこの田舎者はどうなんだよ! それにそこのじいさんも! 国王もってことは、英雄だって例外じゃないだろ?」
「ランディ殿は問題ありませんわよ。だって、竜ノ騎士団の総帥ですもの」
「え?」
キラは純粋にその言葉に驚き、
「えっ?」
老人が、不意を突かれたように振り返って意外そうな顔を見せ、
「……あら?」
そしてリリィもまた、ランディの反応に首を傾げた。
「ランディさんは英雄って話だし、納得できるんだけど……」
「しかし、私は王都を去る際に除籍したはずだがね……?」
「いいえ? お父様からは『特に除籍をした覚えはないのでそのままにしている』と聞いていますが?」
老人の勘違いか、リリィの父親の勘違いか、それをはっきりさせてくれたのはセレナだった。
「アランから聞きましたが、除籍の手続きはしたそうですが、その際に国王陛下から止められたそうです。『歴代総帥として名を残すべき人物。その権限は永久のものである』と」
「あの放蕩王子め……」
老人がぽつりとつぶやいた。
キラはその言葉で思い出した。畑仕事を手伝いながら、彼の昔の旅の話を聞いたことを。
「そういえばランディさん。風変わりな王子と一時期旅をしてたって言ってましたけど……」
「ん? ああ、まあ、そうだよ。今は国王として頑張ってるみたいだが……その時は手を焼いてね。あまり思い出したくないものだ……」
「へえ……王都に行ったら、会ったりとかするんですか?」
「さあねえ……折があったらかな。あっちもまあまあ忙しいだろう。これから戦争になることだし、全部落ち着いてからだろうね。……会いたくない気もするが」
国王にはあまりいい思い出がないみたいだ。
それでも老人は、昔話を朗らかに笑いながら話してくれていた。手を焼いたのは確かだろうが、きっと楽しかったに違いない。
「な、なんだかレベルが違いますわね……」
「ええ。国王陛下を〝放蕩〟に〝風変わり〟呼ばわり……私たちには恐れ多いです」
「そうなの?」
「お前も田舎者のくせに何だかんだで大物だよな。大国の王にそう簡単に会えるわけねえだろ?」
「……僕の中で偉い人って、村長のランディさんだけだし」
「国王と村長は全然違うだろ……片方は英雄だけどよ」
――ま、どっちもどっちだな
三人に加え、ユニィにまでため息をつかれて、キラはなんだか納得いかなかった。
馬は国王と会ったことがあるのだろうか? 王子と旅をしていたのは、もう五十年以上前だと聞いたのだが……。
「話は戻るけど、別にグリューン君を連れて言っても問題ないんじゃないかな?」
「なぜです? 騎士団としては、それ相応の理由が必要となりますわ。――嫌味ではなく」
「嫌味にしか聞こえねえんだよ」
「弟子のお守、というところかな。キラ君の身体はまだ目を離して安心できる状態じゃないし、戦争となれば、私もリリィ君もセレナ君も自由に行動できなくなるだろうからね」
「ちょっと待て。じいさん、こいつのお守なんか……」
「なに、転移した後は好きに動けばいい。あくまで理由づけさ」
「ランディ様、それではキラ様の身の安全が……」
「大丈夫。ユニィがいるさ」
白馬がブルルンッ、と鼻を鳴らす。
キラは、まかせろ、と言っているのかと思ったが、違うことに気が付いた。
目が覚めてから一緒に過ごしてきて、こんな鳴き方をしたのは少し前のことだ。
こういうときは、決まって――。
「セ、セレナ! つかまって!」
――ゴラァ! テメエらの親族に恨みがあるんだよ、このデカブツゥ!
キラがセレナに抱き付き伏せたのと、ユニィが暴言を吐いて暴走しだしたのは同時だった。
美しい白馬に似合わないほど口を開け――ぎょろりと目をむき出しにし――舌を出して唾をまき散らす。セレナの光の玉で丸見えだ。せめてもの救いは、セレナが白馬のたてがみに顔を伏せ、その醜い馬面を見ていないことだ。
キラは小柄なメイドが吹き飛ばされないようにしながらユニィにしがみつき、再び白馬を暴走させた要因を知るべく、前方を見た。
そこには、オーガと思われる大きな影があった。
「ユ、ユニィ! さすがにあれは――」
キラが思いっきり手綱を引っ張って止めようとした時だった。
光のともす先で、赤い鬼が真っ二つに裂けたのだ。
そこには幅広な剣を振るった直後の男がいて、
――テメエ! 邪魔してんじゃねえよ!
その彼めがけて、ユニィが突っ込んでいった。




