第八話:猟犬グリード
「へっへ、いーじゃねーかよねーちゃん。パンツくらい減るもんじゃねーだろ?」
「そうそう、一緒に楽しもうぜぇ?」
盗賊たちは相当酔っているようで、その一人はウェイトレスのスカートを掴んで離さない。
ウェイトレスも必死に抵抗しているようだが、数人の盗賊が相手ではどうしようもないだろう。
『おいおい、誰か助けてやれよ。兵士は何してんだ?』
周囲の客たちは盗賊が恐ろしいのか見て見ぬふりをし、助ける素振りを見せない。
城下町の警護を行っているはずの城の兵士も、この辺りには見当たらないようだ。
「お、お客さん、困ります。どうか―――」
「うるせえ! ひっこんでろ!」
「あぐっ!?」
止めに入った酒場のマスターは、盗賊の一人からボディブローを食らい、その場にへたり込む。
それも当然だ。本来なら兵士が止めに入り、牢獄へと入れるべき相手なのだから。
「この俺様を誰だと思ってやがる。あの“猟犬”グリード様だぞ? てめーはさっさと酒持ってくればいいんだよ!」
「ぶーっ!? ぐ、ぐぐ、グリード!?」
祐樹は聞きなれた単語に驚き、思わず飲んでいたジュースを吹き出す。
グリードはそんな祐樹に気付くと、その方角へと視線を向けた。
「あーん? ガキィ、なんか文句あんのかぁ?」
グリードは威嚇するような目で祐樹を睨み付け、ボキボキと拳を鳴らす。
筋骨隆々としたその両腕と、背中に背負った大斧。皮で出来た身軽そうな鎧に、丸太のような太い足。どこからどう見ても、攻略本に載っていた序盤の中ボスその2。猟犬グリードだった。
「あ、い、いや、そんなめっそーもないっす。は、ははは……」
祐樹は両手を盾のようにしながら、グリードから視線を逸らし、言葉を紡ぐ。
まさかこんな所で、序盤の中ボスに出会うとは思いもしなかった。
いや、正確には出会う場所は合っているが、タイミングが問題なのだ。
『確かグリードは、王様と謁見した時に勇者の権利をかけて勝負するってシナリオだったはずだろ!? それがなんでこんなとこにいんだよ!』
祐樹は脳をフル回転させ、攻略本の内容を思い出す。
それ自体は一語一句間違っていないが、事態はそうではない。事実、グリードはこの裏通りの酒場にいるのだ。
「にしてもアニキィ。王の野郎もわけわかんねーっすよね、“もう一人の勇者候補がなかなか来ないから、待っていてくれ”なんて言いやがって」
「おう。俺様は勇者の器だってのに待てとか偉そうにしやがって、全く気に入らねえぜ」
「ぶーっ!?」
祐樹はグリード達の言葉を聴くと、再びジュースを盛大に吹き出す。
そしてさらに、脳をフル回転させた。
『やばい。やばいやばいやばい。森で修業させてた間に、グリードに先を越されてたのか。つうかこれ完全に俺のせいじゃん! なんだそれ! 攻略本にも書いてねーよ!』
「ああん? さっきからぶーぶー吹き出しやがって汚えガキだなぁ。俺たちに文句でもあんのかぁ?」
グリードはイラついた様子で祐樹の方を再び見て、言葉をぶつける。
祐樹は情けない笑顔を見せながら、ぶんぶんと両手を横に振った。
「い、いえいえいえ! めっそうもないですって! ほんとすんません!」
祐樹は慌てた様子で言葉を紡ぎ、グリードへと返事を返す。
グリードはつまらなそうに舌打ちすると、ヤケクソのように酒を飲みこんだ。
「ちっ。根性のねえガキだぜ。見ててイライラすらぁ」
「まーまーアニキィ。こっちのねえちゃんと遊びましょうや」
手下の一人は相変わらずウェイトレスのスカートを掴み、グリードの機嫌を取ろうと言葉を紡ぐ。
グリードは下種な笑いを浮かべると、その方へと視線を向けた。
「へへ……そうだな。ちょっとそこの宿で、つまみ食いさせてもらうか」
「ひっ……!?」
ウェイトレスはグリードの視線に凍りつき、動くこともできない。
祐樹はその様子を見ると、再び脳をフル回転させた。
『まずい。まずいまずいまずい。俺が止めるか? いや、それじゃシナリオが、しかしこのままじゃあのねーちゃんが……』
祐樹は頭を抱え、どうすべきかを考える。
しかし明確な答えは出ず、時間だけが過ぎていった。
「やめ、て……やめてください!」
「っ!?」
手下の手を振り払ったウェイトレスの手が、偶然グリードの顔に当たる。
グリードは一瞬驚き、目を見開いた。
「あ、アニキ! 大丈夫ですかい!?」
グリードの頬はほのかに赤くなり、手下は心配して声をかける。
しかし次の瞬間、その手下はグリードの拳によって、石作りの壁にめり込んでいた。
「あぐ……あ……」
「大丈夫だぁ? 大丈夫に決まってんだろーが。つまんねー事聞くんじゃねえよ!」
グリードはギラついた目で手下を睨み付け、その瞳はまさに野獣そのもの。
周囲の客たちも、ついにざわめき始めた。
『お、おい。あの壁、石で出来てたよな?』
『ああ、しかも頑丈な“ガルドストーン”で出来てたはずだぞ。それを素手で……』
『あんな壁、大魔法使いか王国騎士でも連れてこないと壊れないはずだぞ……嘘だろう?』
周囲の客はぼそぼそと話し、グリードへと視線を集中する。
しかしグリードが一瞥をくれると、皆一様に視線を落とした。
「ちっ……火照ってきちまったよ。これ冷ましてくれるよな? なぁ!!」
「ひっ……!?」
ウェイトレスはついに腰が砕け、その場に尻餅をつく。
グリードはにやりと笑うと、そのウェイトレスを見下し、言葉を続けた。
「ウェイトレスごときが俺様に一撃くれやがってよぉ。火照り冷ます前に、ちょっとお仕置きしねえとなぁ!?」
「っ!?」
グリードは右手を振りかぶり、ウェイトレスに向かって振り下ろす。
ウェイトレスは両目を見開くが、恐怖のあまり体が動かず、固まっていた。
「うらぁぁぁぁぁあああああ!!」
グリードの盾のように大きな手の平が、ウェイトレスの顔へと振り下される。
しかしその手の平は……二本の指先によって、制止された。
「なっ!?」
「おい……顔はやべーだろ、さすがに」
祐樹は一瞬にしてグリードとの距離差を詰め、人差し指と中指だけでグリードの右手を止める。
グリードは驚きの表情のまま、その右腕を振り抜こうと力を込めた。
「ぐっ……うっ……!?」
「あ、アニキ……?」
グリードは振り抜こうと右手に力を込めるが、ピクリとも動かない。
祐樹はウェイトレスの様子を横目で確認すると、出来るだけ穏やかな声で、言葉を紡いだ。
「ねーちゃん。悪いけど、一人で立てっかな? 店の奥に行ってくれると嬉しいんだけど」
「あっ!? は、はい!」
ウェイトレスは慌てて立ち上がると、店のマスターを連れて店の奥へと走っていく。
一方祐樹の脳内では、ミニ祐樹が懸命に思考を回転させていた。
『やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう』
思わず飛び出してきてしまったのは良いものの、これからどうすればいいのかわからない。
まさかグリードを倒してしまうわけにはいかないし、かといって謝って済む状況でもない。
しかし時間は待ってくれず、グリードは手を引くと、背中の大斧に手をかけた。
「てめえ……俺様に逆らって、生きてられると思うなよコラァ!!」
「っ!?」
グリードは見た目とは裏腹に素早い動きで大斧を取り出し、そのまま祐樹へと振り下す。
その風圧で店のテーブルは吹き飛び、客たちは叫び声を上げながら体を伏せた。
『いかん……これもスローモーションに見える。どんだけだよ俺のステータス』
祐樹は冷静に振り下されてくる斧を見つめ、思考を回転させる。
『さっきみたいに防ぐか? しかしそれでは目立ちすぎてしまう。いや、もう充分目立ちすぎてるけど、これ以上目立つような行動は避けたい』
「……あ、そっか。避ければいいんじゃん」
祐樹はぽんっと両手を合わせると、グリードの斧の軌道を指先でちょっと変えてあげる。
すると斧はそのまま地面へと突き刺さり、その衝撃波で向かいの民家が真っ二つとなった。
「あちゃ……いやまあ、人いなかったよな? 多分」
祐樹は記憶を頼りに、民家の中に人がいなかったことを思い出す。
全ての街の全ての家に入ったことのある祐樹は、その全てもすでに暗記していた。
もっともそうでなければ、避けるなどという選択肢は選べなかったのだが。
「っ!? て、てめえ、いつのまに避けやがった!?」
「あ、いやーそのー、あはは、偶然っすよ。ラッキー、みたいな?」
「殺すぞこの野郎!?」
頭を掻きながら緩い笑顔で言葉を紡ぐ祐樹に対し、さらに怒りのボルテージを上げるグリード。
どうにもこうにも、このままでは収拾がつかなそうだ。
「ぼーっとしてんじゃ、ねえぞコラアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
グリードは再び斧を振り上げると、今度は横に振り回す。
こんな街中でこのまま振り回されれば、今度は甚大な被害が街に及ぶだろう。
「うーん、またもスローモーションタイム突入か……考える時間があるのはありがてえけど、これ、どうすっかな」
祐樹の目の上には、鬼の形相で斧を振るうグリードの顔面がある。
その瞳はしっかりと祐樹をとらえているように見えるが、実際に祐樹の動きまでは見えていないだろう。
「……仕方ない、反撃しよう。デコピンくらいなら大丈夫だよ、な?」
祐樹はしばし考えた後、街を守るため、反撃することを決定する。
ぴょんっと小さくジャンプすると、グリードの額にちょんと中指を当て、そのまま軽く弾いた。
「ふべらああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
斧を振っていたはずのグリードは、その斧を置き去りにして、酒場のカウンターへと頭から突っ込む。
いや、むしろカウンターに突き刺さったと言った方がいいのかもしれない。
「あちゃ……ごめんマスター。加減間違えた」
「あ、いえいえ……大丈夫です、はい」
酒場のマスターはポカンとした様子で、モブキャラであるはずの祐樹に対して言葉を返す。
しかしマスターが事態の異常性に気付くのは、恐らくずっと後の話だろう。
それくらい、ありえない光景だった。
「しっかしまずいな……グリード死んでないよな? あいつとはアオイと戦ってもらわなきゃ困る」
祐樹はボリボリと頭を掻きながら、倒れているグリードを見つめる。
手下達はようやく事態に気付いたのか、アニキィ! と叫びながらグリードへと駆け寄っていった。
「いや、ギリだ。ギリセーフのはずだ。このままアオイが戻るのを待って、グリードを倒してもらえば一件落着」
祐樹は折り曲げた一刺し指を顎の下に当て、ぶつぶつと呟く。
他に忘れていることは無いか、再度頭の中を整理し始めた。
「えーっと、この街のイベントはグリード戦と、あと獣人族を仲間にするんだよな、確か名前は―――」
「にゃーっはっはっはっは! 正義の味方! 獣人族の若き雌豹! このニャッフル=パンチャー様がいれば、もう安心にゃ!」
突然現れて酒場のカウンターに上る、謎の獣人族。
オレンジ色の髪に、毛並みのよさそうな猫耳と、ぴんと跳ねたしっぽ。
ショートパンツとTシャツ。そしてショートパンツを引き上げているバンドがボーイッシュさを引き立てている。そんなラフなスタイルに身を包んだそれは―――
「あー、そうそう! ニャッフルだ! ニャッフルが仲間になるんだよ!」
「にゃ?」
祐樹はぽんっと思い出したように両手を合わせ、明るい笑顔を見せる。
ニャッフルはそんな祐樹の方を、不思議そうに見つめた。
「…………」
「…………」
二人を包む、沈黙の空間。
そしてその沈黙は、ほぼ同時に破られた。
「えええええええ!? なんでもう登場してんのおおおお!?」
「えええええええ!? なんでもう倒しちゃってるにゃ!?」
二人の視線が、交差する。
波乱続きの冒険は、再び新たな火種を巻き込み、さらに大きなうねりとなって、祐樹を飲みこんでいった―――