第一話:ただのゲーマーの魂
「ど、ど……」
青年はポカンと口を開け、目の前の風景を見つめる。
崖の先に立っている青年の視線の先には森が延々と続き、その先には緑の山が見える。
しかし青年が驚いているのは、そこではない。
その緑の山の上には、月以外の巨大な惑星が見え、明らかに地球とは別世界の光景。フルCGのゲーム画面そのものである。
青年の周りでは聞いたことのない鳥の鳴き声が響き、風のせせらぎだけが心地よい。
そして青年はそんな爽やかな風をかき消すように、大きく息を吸い込み、叫んだ。
「どこだこりゃあああああああああああああああああああああああああああああ!?」
ただのゲーマーだった俺が異世界では無敵だった件
「クソがぁ……全然HP減らせねえよ」
朝焼けに照らされる部屋の中、ゲームコントローラを操作するカチャカチャとした軽快な音が響く。
しかしその軽快な音とは裏腹に、この部屋の主の表情は思わしくない。
唇はカサカサ。肌荒れは酷く、目の下のクマは墨を塗ったかのような漆黒をたたえ、水分不足のドライアイが痛々しい。
『パーフェクト・ストーム!』
「うっし、大魔法発動した! ダメージ9999!」
青年はガッツポーズを取り、画面に向かって言葉をぶつける。
画面ではゲームのキャラクターが、カットインと共に魔法を発動していた。
「ここだ……ここであのアイテムを使えば……げっ! もう持ってねえじゃん!」
苛立たしげにゲーム機のコントローラを握り、まるで親の仇を見るような目でテレビ画面を睨みつける。
しかしその眼力にゲーム機がビビるはずもなく、部屋の中にモンスターの雄たけびが響き―――
「ああ! ちくしょう! また全滅かよ!」
ブーメランのようにコントローラをぶん投げ、コードに引っかかって無残に地面へと落ちる。余談だが、彼は普段こんな乱暴な子ではない。ただちょっと徹夜しちゃったから、テンションが高いだけなのだ。決してひきこもりのニート様ではないことを断っておく。
「クソが……なんだよHP10000000って……。もはや天文学的数字じゃねーか」
右手でパラパラと攻略本をめくり、今戦っていたボスのページで手を止める。そこにはただ一文。
『ちょっとHP高いけど、頑張ろう! 粘ればなんとかなるよん♪(編集部メンバーは結局倒せませんでした☆☆)』
「……なんだこの軽いノリわああああ!」
またしてもブーメランのように攻略本を投げ、ゴミ箱へとナイスシュート。しかしその後、いそいそと取りに行く。
「なんだよこの攻略本……ていうかこれ攻略か? ただの意見じゃねえかこの野郎」
イライラとしながら本の装丁を整え、本棚へとキッチリしまう。攻略本編集部のコメントは腹立たしいが、世界で一番好きなゲームの攻略本だ。無下にすることはできない。
「あー……喉かわいた。ていうか、腹へった。どっかにおにぎり落ちてねえかな……」
どこぞのダンジョンを探っているかのような台詞を吐きながら、部屋を出ようと立ち上がる。隅にあった鏡にその姿が映り、しばしの静止。
「げっ……やべえなこりゃ。徹夜してたのモロバレじゃん」
目の下のクマをさすり、ひとりごちる。びろんびろんに伸びた白のタンクトップに、青色の縞々パンツ一丁というセクシースタイル。これでスネ毛でも生えていようものなら、おっさん以外の何者でもない。
「とにかく顔だ、顔洗おう。後は服着替えて、風呂入って……」
ボリボリと頭をかきながら、隠蔽工作をするため部屋のドアを開ける。廊下から涼しい風と、新鮮な空気が彼を包んだ。
「っかぁー! この風呂上りの牛乳がたまんねーぜ!」
どうやらHPは回復したらしく、爽やかな笑顔で独り言をこぼす。
一人暮らしのアパートで特に返答があるはずもなく、ちょっと空しくなった気持ちを抱えて、牛乳パックを冷蔵庫へと仕舞った。
「さーて、学校行くか」
パンツマンだった青年はいつのまにか学校の制服に着替え、顔を叩いて気合を入れる。
とはいえ、クセになってしまっている目の下のクマは消えておらず、その目つきは極端に悪かった。
「我ながら凶悪な顔つきだぜ……テレビで報道されても納得できる。悪い意味で」
青年は玄関前の鏡で自分の顔を確認すると、がっくりと肩を落とす。
どうやら本人はそこそこ気にしているようだ。
「ま、いっか。徹ゲー(徹夜でゲーム)はやめらんねーし、これが俺の宿命だな、うん!」
一体何に納得したのかはわからないが、青年はうんうんと頷きながら、玄関のドアを開ける。
爽やかな朝の日差しが、青年を包み込んだ。
「うおっまぶし! つああ、この瞬間がきついんだよなぁ」
まるで吸血鬼のように日差しを嫌がりながら、すぐに日陰へと避難する青年。
その見た目も相まって、怪しさ100%である。
『おはよー。ねえねえ、昨日の特番見た!?』
『見た見た! ちょーかっこよかったよねー!』
『おーっす!』
『あ、おはよー! 相変わらずチャラいねー』
『はぁー? 俺ほど誠実な男いねーべ?』
『どの口が言ってんのー? あはははは!』
「…………」
通学路なので当然だが、青年の周りでは楽しそうな学生たちの声が響いている。
青年もその一人のはずなのだが、青年の傍には人どころか猫一匹寄りついていなかった。
「……ま、そりゃそーだわな」
青年はいわゆる“ぼっち”である。特にいじめられているわけではないが、友達がいるというわけでもない。ゲームの話なら無限にできるのだが、そもそもその凶悪な目付きのせいで話しかけすらされない。
そして青年自身、友達を作る気がなかった。
「いいさ、昨日ついに“グラディス”の攻略本丸暗記したからな。俺の中には達成感しかないぜ」
青年は自嘲するように笑いながら、通学路を歩く。
その笑いのせいでさらに他の生徒から距離をおかれているのだが、本人が気にしていないので良しとしよう。
なお“グラディス”とは青年が愛してやまないRPGの略称であり、正式名称を“グランディスカ・ストーリーズ”という。累計販売本数が100万本以上というミリオンセラーソフトである。
青年はゲーム全般が好きだが、特に“グラディス”の熱狂的ファンであり、作成したセーブ数は四桁に上り、プレイ時間はもはや計測不能である。
それが目付き以外に特徴のない青年の、たった一つの誇りでもあった。
「それにしても、あの分厚い攻略本を完全読破してしまうとは、我ながら恐ろしいぜ」
再びニヤリと笑う青年。それに合わせて横を歩いていた生徒たちは、数メートルの距離を取る。
いつか青年が罪を犯した日には、目に黒線を入れられた状態で「いつかやると思ってました」と元気に証言してくれることだろう。もっとも今は、ゲームの攻略本の内容を覚えたというだけなのだが。
「くぁぁ……めんどくせ。学校爆発しねーかなぁ。もしくはゲーム知識で評価点をくれても良い」
物騒+自分に都合の良い事を呟きながら、学校へと向かう青年。
こうして青年の日々は平凡に、ごく平和に過ぎて行った―――
はず、だったのだが。
どうやら運命というやつは、この何の変哲もない青年を放っておかなかったようで。
見つけられるべくして見つけられる。そういう運命にあるそれは、ある日青年の足元に無造作に転がっていた。
「……あん? なんだこりゃ。メモリ媒体じゃん」
青年は足元に落ちていたメモリ媒体を拾うと、不思議そうにそれを見つめる。
メモリ媒体とは青年がプレイしているゲーム機の周辺機器の一つであり、ゲームの進行状況を保存するためのものだ。
対戦型のゲームではメモリ媒体を持ち寄る場合も多々あるため、道に落ちていることはさほど不思議ではない。ただ不思議なのは、その色だった。
「真っ白のメモリ媒体……こんなカラー発売されてたか?」
青年はメモリ媒体を見つめながら、不思議そうに首を傾げる。
本来ならそのまま交番に行き、届け出るところなのだが―――
「ふむ。せっかくだ。この持ち主がどの程度ゲームをプレイしているか、見てやろう」
青年は意味不明な自信を胸に、メモリ媒体をポケットに入れる。
青年のプレイするゲームは主にRPGだが、それ以外のジャンルのゲームもほぼ制覇している。
新作が発表されれば当然予約して購入するし、売るようなこともしない。古いゲームも一通りプレイしたし、筺体も揃っている。つまり―――青年にとって正体不明のメモリ媒体は、中の見えない宝箱のようなものなのだ。
もっとも、宝箱にいつも宝が入っているとは限らないのだが。
「そうと決まれば早速帰宅だ! くぅぅ、楽しみが増えたぜ!」
青年はポケットの中のメモリ媒体と共に、自宅へとダッシュする。
運動不足がたたって数秒で息を切らせることになるのだが、それはもはや書くまでもないだろう。
「さーってと。果たしてこの俺のプレイ時間を超えているのかいないのか、楽しみだぜ」
青年は鞄をベッドに放り投げると、早速拾ったメモリ媒体を差し込み口2にセットし、ゲーム機の電源を入れる。ちなみに差込口1には、普段青年が愛用しているメモリ媒体が接続されていた。
「えーなになに……“GATE”? こんなゲームあったっけ?」
白いメモリ媒体には一つしかデータが入っておらず、ゲーム名にはGATEと記されているが、青年の記憶上そんなゲームがこのゲーム機で発売された記憶はない。
「まあとにかく、開いてみるか。何時間プレイしたかくらいは見れるだろ」
青年はカチャカチャと手慣れた操作で、メモリ媒体の中身を開く。
しかしGATEのプレイ時間には、00:00:00としか記されていなかった。
「は!? 0秒って、ありえねーだろ。バグか?」
青年が不思議そうに首を傾げていると、突然画面が暗転し、白い文字が走り始める。
それはPCの起動時によく似ており、何かのプログラムが作動しているのは明らかだった。
「!? やべ、まさか、ウィルス!? 俺の大事なメモリ媒体ちゃんが!」
青年は咄嗟に自分のセーブデータを守ろうと、差込口1へと手を伸ばす。
しかしその瞬間、白いメモリ媒体はまばゆい光を放ち、青年の目を眩ませた。
「まぶっ!? なんだぁ!?」
思わず両目を瞑る青年の耳に、電子的な声が響く。
その声は無感情に、青年へと問いかけた。
『ゲームヲハジメマス。モードヲセンタクシテクダサイ』
「は? モードを選択? なんだそりゃ?」
青年は眩い光の中で薄目を開き、画面を見つめるが、そこには見慣れた“グラディス”のゲーム画面が表示されていた。
『1.はじめから 2.つづきから 3.つよくてはじめから』
「いやいやいや、意味わかんねーから。つーか3なんてあったっけ?」
青年は白いメモリ媒体を両手で包み、少しでも光を緩めると、今度はじっくり画面を見つめる。
しかし画面には相変わらず、三つの選択肢が表示されているだけだ。
「もしかして、スタッフがふざけて作ったバグ……とか? だとしたら、こんなうまい話ねえな!」
青年は呑気にも満面の笑みを浮かべ、白いメモリ媒体から手を離すと、再びコントローラを握る。
現在選択肢は1を選択していた。
「ふっ。何が何だかわからねーが、攻略本にも載っていないバグなんて最高だぜ! プレイしてやらあ!」
青年はカチャカチャとコントローラを操作し、選択肢3を選ぶ。
すると再び、無機質な声が響いてきた。
『メモリ媒体1ノデータヲロードシマス…………ロードカンリョウシマシタ』
「おう! 俺様の最強セーブをロードするとはバグの癖にやるじゃねーか! さっさと始めようぜ!」
『ゲーム、スタートシマス……』
「おわっ!? なんだ、風!?」
突然画面の中から吸い込むような風が発生し、部屋の中の物を取り込んでいく。
最初は小さな本、小物、段々と大きな物まで吸い込まれていった。
「ちょちょちょちょちょ! まて! は!? なにこれ!?」
青年は慌てふためき、咄嗟に一番重いベッドにしがみ付くが、元々握力が無いせいで、すぐに風に捕まってしまう。
「なんだああああああああああああああああああ!?」
青年は断末魔の悲鳴と共に、画面へと吸い込まれていく。
青年を吸い込んだ画面は一変して静けさを取り戻し、暗転する。
最後には、乱雑に散らかった部屋だけが残った……