番外編 ある日の対策室 その2
本編のストーリーから外れた日常話になります。
生暖かい風が建物の隙間から吹き抜けて来る。
七月某日。午後の三時を過ぎて。
日が伸びる暑い夏。陽光は夕時に入ってもギラギラと地上を照らし続ける。
私達はとある県にあるアウトレットモールにいた。
現象が無事に解決して、熱も不思議と引いて体調を持ち直した私。
龍一の計らいによって、帰り道に存在するここへ来た。
どうやら高速道路のインターが近くにあるらしく、日曜ということもあり駐車場はほぼ埋め尽くされている。
規模も大きく、広大な敷地には様々なブランドショップやチェーンストアが軒を連ねていた。
駐車場の端から歩いて来て、ようやくのところでそれらが収容された建物へ到達した。
奇跡的に体調を持ち直したとはいえ、病み上がりの体には少々響く。
(でも、いっか)
ちょうど気持ちを切り替えたい気分だった。
私の脳裏には無名の戦士が最後に見せたあの笑顔が焼き付いている。
現象とは凶悪で、凶暴で、封印されなければならない存在だ。
けれど……一方的にそれを憎悪、敵対する気持ちが今は和らいでいるような気もする。
確かに……私は現象を憎んでいる、許せはしない。
(そうよ、そう)
でも。
(――あなた達人間と同じ)
良き者がいれば。
「悪い者もいる……」
現象であるヤエさんはそう言っていた。
私の髪と頬を撫でた滑らかな手、西日に照らされた妖艶な美貌。
あの瞬間の彼女が私にそう言ったのだ。
けれど私は憎しみを拭いきれない……。
これは愚かな行為なのだろうか。
「――桜子、大丈夫?」
「病み上がりだからな……。やっぱ帰るか?」
しまった。
一人考え込んでしまって二人を心配させてしまった。
気持ちを切り替えに来たのに、これじゃまるで意味がない。
今は何もかも忘れよう。忘れられなくても一旦片隅へ追いやろう。
「ごめんね! 私は大丈夫だから……行こ?」
「しんどくなったらすぐに言えよ?」
特に欲しい物はなかったけれど、目的もなく私達はぶらりぶらりとショップを巡って行った。
――
広い敷地の一画。自販機前に設けられた屋外の休憩スペース。
私とお姉は詰めれば四人くらい座れそうなベンチに並んで腰を掛ける。
視界の彼方には喫煙所で一服する龍一。
自販機でそれぞれジュースを買って「プシュッ!」とプルタブを開ける。
キンキンに冷やされた缶ジュースは冷気を纏い、やがて結露を浮かべた。
喉を鳴らすように勢いよく飲み込んでいくと、体の下の方へ液体は落ちていき、渇いた体を癒す。
わずかばかりではあるけれど、汗が滲んで火照り上がった体温は徐々に下降していく。
「もう、龍一はこんな時もタバコ……。百害あって一利もないのに」
「まあまあ、嗜好品だから」
「嗜好品というか……中毒だよ中毒」
ふと彼が視界に入って、感じたことをそのままこぼして話題にする。
買い物をするわけでもなく、私達は目的なくぶらぶらとウィンドウショッピングをして歩いた。
そしてこのベンチへ辿り着き休憩を入れたのだった。
全身に疲労を感じるけれど、どこかそれが心地よくも感じる。
脱力してベンチに体を委ねると、周囲の音が鮮明に耳に入ってきた。
目を閉じてみる。
夏の間は鬱陶しいアブラゼミの鳴き声。
遠くの雑木林から届いて来る生きた叫びは、何故か今は私の心を落ち着かせている。
そして、その中にはまた別の音色を奏でる存在があることにも気付いた。
(ヒグラシの声……)
もう少し経てば、きっと彼らの儚げな歌声が響き渡ることだろう。
ヒグラシが奏でる音色は私を過去の瞬間へと誘っていく……。
刹那の内に記憶は巡って、それからは現在のものへ変わっていった。
瞬間的なスライドショーが暗闇の中で放映されて、やがて泡のように消えてしまうと、私はゆっくり目を開ける。
隣に座るお姉の横顔。温かな視線は龍一へ注がれているようにも見えた。
「――お姉ってさ、龍一のことが好きなの?」
「さ、桜子っ!?」
不意に声を掛けると、お姉は口に含ませたジュースを噴き出しそうになる。
ようやくのところで飲み込んで、それから裏返りそうな声を上げた。
「きゅ、急にどうしたの桜子!?」
「あはは……! お姉ビックリしすぎ!」
「もう……! お姉ちゃんをからかっちゃだめ……!」
頬をぷくりと膨らませて赤面するお姉。なんだかそれが幼く見えてかわいらしい。
(なんだかこうやって笑い合ったの久しぶりかも……)
私とお姉は別に仲が悪いというわけではない。お姉がどう思っているかは分からないけど、私はお姉が好き。
こんな私を支えてくれている大切な、大切な存在。
尊敬しているし、こうなりたいと思う。
迷惑も掛けていると思う。
だからお姉に心配させないようにしなくちゃいけない……。
最近は依頼の数が以前と比べると増えてきて、私達は疲れていた。いつしか笑顔も減っていたのだと思う。
だから何気ない平和な時間がとても愛おしく思える。
そして――私を支えてくれているもう一人の存在。
「そんなこと言って……桜子の方はどうなのっ!?」
「え……!? わ、私は」
お姉がそう言ったのと同時に龍一の顔が浮かんだ。
汗が一筋、頬を伝って落ちる……。
夏のせいなのか、それともまた別のものが原因か……急激に私の体温は上がり、鼓動が一つドクンと跳ねた。
何故だかは分からない。
「お、お姉……! からかわないでよ!」
「ふふふ……。お姉ちゃんからの仕返しだよ」
やっぱりお姉にはかなわないや……。
私達は笑い合う。
夏の暑さとはまた違う、ほんのり暖かな流れが私を満たしていた――
――
「さてと……それじゃーどうする?」
やがて一服を終えた龍一が私たちのもとへ来て、そう切り出した。
「そうですね、桜子は何か見たいものとかある?」
「いやー、特にないかな」
「んじゃ帰るか?」
「そうだね。帰ろ?」
用がなくても私の心は充分満たされた。もう帰ってもいいだろう。
建物の壁に掛けられた時計を見ると、十七時を少し過ぎていた。
「あ……ここで夕飯食ってくか? 少し早いけど」
「龍一の心が読めた。当ててあげる?」
「なんだよ急に」
「家に帰ってご飯作るの面倒くさいんでしょ?」
「ち……ちげーから」
「動揺してる! 当たりー!」
「断じて違う! それに今日は日曜だし、俺が作る必要はねーだろうが」
「まあまあ……。そうですね、たまには外食もいいかもしれませんね」
そんなこんなで次の行動へ移ろうと腰を上げた時に。
「――よっこいしょ、今日も暑いねぇ」
私とお姉が座るベンチ……私の隣におばあさんが腰を下ろして来た。
「そ、そうですね……。これからもっと暑くなるみたいです」
急に話しかけられてドキッとしたけど、おばあさんが纏う優しい雰囲気で瞬時のうちに緊張は消え去った。
「三人は兄妹なの?」
「いえ……ええと、お姉ちゃんと私が姉妹で、この人は赤の他人です」
「おい、赤の他人はないだろうが……。私は彼女と働いている……そう、使用人みたいなもんです」
「今時珍しいねぇ……。いい男だ」
「あ、ありがとうございます」
おばあさんからのお世辞を正直に捉えて調子に乗った龍一。
「天狗になってるよ」
「俺、イケメンらしいぜ」
「単純すぎ」
「龍一さん……」
「雪子……頼むから憐れんだ目で見るな。冗談だ冗談」
そして龍一をどうイジリ倒してやろうか考えを巡らせていたら。
「私も昔、お手伝いさんだったんだよ」
おばあさんは大切な宝物を眺めるように……そんな表情で呟いた。
――
「――私はねぇ、尋常小学校を出た後に手伝いに出されてね」
気付くと私達はおばあさんの穏やかで優しいペースの中にいた。
「尋常小学校……尋常高等小学校とか、そのことですよね?」
「お姉ちゃんよく知ってるねぇ。そうそう」
聞きなれない単語がおばあさんとお姉の口から出る。
昔、確か戦前辺りの学校制度についての言葉ということは分かるけど。
「おばあちゃん、失礼だけどお歳はいくつになるんですか?」
龍一が食い入るように横から発言した。
「えーと……忘れちゃったよ! アハハ!」
おばあさんはそう言って豪快に笑った。
ちょこんとベンチに座る小さな体から、豪快なエネルギーが溢れ出ているように見える。
さっき言っていた単語から察して、戦争を経験した世代だと思う。
きっと八十から九十歳の間かそれ以上……。
だけどおばあさんの子供みたいな純粋な笑顔、溢れる元気、若々しくてとてもそんな歳には見えない。
失礼かもしれないけど、足腰もちゃんとしているし、耳も遠くはないようだし……。
「それでねぇ……手伝いに出された先がお偉いさんのお屋敷でねぇ」
「お偉いさん……?」
「そうそう。お役人さんを出してるお屋敷でねぇ……。色々と大変だったけど、楽しかったよ」
「す、すげぇ……」
龍一は珍しく、真剣におばあさんの話に耳を傾けている。
お姉もその様子を微笑みながら見守っていた。
私も……正直言って驚いた。そしておばあさんの口からどんな話が聞けるのか、その先が凄く気になる。
人の巡り会わせって不思議だな……。
「色んな人と会えて良かったよ。ずいぶん経っても旦那さんの息子さんや娘さん、それにお孫さんまで……それから旦那さんと仲が良かった元の役人さんがわざわざ手紙をくれたりして。奥さんも凄く綺麗な人でねぇ、良くしてもらって――」
気付くとヒグラシの合唱が始まっていた。
おばあさんは彼方を見つめながら、語り部のようにストーリーを紡いでいく。
ヒグラシの歌声は物語を色付けるBGMみたいで、まるで違う世界にいるかのような不思議な気分になった。
「旦那さんも奥さんも立派な方で……。それから戦争が始まって、色んなところを回ったよ。戦争は嫌だねぇ」
やがて優しいおばあさんの表情に影が落ちる。
「戦争……ですか」
自然と私はそう呟いていた。
私の中で、あの現象の男――その姿が蘇った。
(ありがとう。わざわざ来てくれて)
愛おしそうに勿忘草を抱いて消えていった男……。戦争で全てを亡くした男。
「そう……私はまだ幸せな方だったんだね。旦那さんの別荘をあちこち回って、なんとか生きてこれた」
おばあさんの視線は足元へ落ちていた。
別荘をあちこち回った――疎開していたということだろうか。
「鎌倉のお屋敷にいた時があったんだけどね、あの時は凄かったよ……。B29がこんな低く飛んできて。豆鉄砲みたいに、機関銃の弾が雨みたいに降ってくるのも見たよ……。それで日本の兵隊さんの飛行機が撃ち落とされて、海へ落ちていくんだよ。それを漁師さんが助けに行ったりして」
あばあさんの悲痛な面持ち……どう声を掛ければいいのか、反応すればいいのか私には分からなかった。
「大変な時代でしたね……」
失礼にあたるかもしれない。だけど私には、戦争を経験していない私達には当時のことは分からない……。そう相槌をうつことしか私にはできなかった。
「そうだねぇ……でもなんとか生きてこれて、おじいさんと出会って。ここまでやってきたよ」
重く苦しい表情はそう言った次の瞬間にはパッと切り替わり、私を正面から見つめるおばあさんの顔は華やかな笑顔になった。
皺だらけのクシャクシャな笑顔……凄く魅力的な笑顔。
今までの人生、経験……その全てがそこに詰まっているように思えた。
素敵な笑顔だな。
それは嘘偽りのない、なんの混じり気もない純粋な色だった。
こんな綺麗な色、もしかしたら初めて見たかもしれない。
どうやったらこんな色を浮かべられるのだろう。
「おばあちゃんいこー!!」
その笑顔に見とれて……私達は何も言えずにいた。
すると――突如幼い声がやって来る。
「おやおや……。こんな年寄りの長話を聞いてくれてありがとう。それじゃ、よっこいしょ」
「お孫さんですか?」
「そうそう……それじゃ、さようなら。ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
お孫さんに迎えられ、おばあさんはしっかりとした足取りで立ち去って行く。
向かって行く先にはお孫さんの両親が笑顔で立っていて、ふと目が合うと会釈をしてくれた……。思わず私はそれを返す。
温かな光景。何気ないけれど、それが一番幸せなのかもしれない。
私達はその光景をただただ呆然と見送った。
――
「なんだか……なんというか、不思議なこともあるもんだな」
アウトレットモール、レストラン等が集まったフードコート内。
広い飲食スペースではあるけれど、既にそこは利用客で賑わっていた。
私達はなんとか隅の空きスペースを確保し、それぞれ好みのブースでオーダーを済ませて、夕食を調達し着席する。
一つ間を置いてから、龍一はふとそんなことを溢した。
きっと先刻のおばあさんのことだろう。
ああだこうだ雑談を交えながら、私達はさっそく夕食に口を付けた。
――
やがて、私は思い至る。
あの男の顔とさっきのおばあさんのそれが重なったような、そんな気がする。
その中で私はある考えに行き着いた。
(私はなんとつまらないことをしていたのだろう)
苦しみから解放され消えていった男。
苦しみを乗り越え笑顔の花を咲かせたおばあさん。
あの瞬間、そこに憎しみや苦しみは微塵も存在しなかった。
それに比べ、私は。
私は現象を許せはしないだろう。
それはこれからも変わらない。そう、変わらないんだ。
けれど今、私はこの憎しみにも似た感情に心底嫌気が差している。
こんな感情を持ち続けても何も変わりはしない。未来は変わらない。
このままでは私は過去に縛られ続け、そこに閉じ込められるだろう。
そんなのは嫌だ。
だったら。
「どうした桜子? 病み上がりだからやっぱり食欲が――」
「あ、いや……ちょっと考え事してただけ。大丈夫」
気付けば口を動かすことを忘れていた。
二人の夕食はもうあとわずかなのに対して、私のそれは未だ半分は残っている。
それを確認してから、急いで食事を再開した。
――
時刻はいつの間にか十九時を過ぎていた。フードコートから外へ出ると、すっかりと夜の闇に地上は支配されて、薄暗い。
生暖かい気温、夜空に浮かぶ満月。
夕食を済ませた私達は駐車場へ。龍一の車のもとへ向かっていた。
やるべきことは済ませ、あとはもう帰るだけ。
そうやって歩いていた。
「お姉、龍一……プリクラあるよ? 撮っていかない?」
駐車場へ向かう途中、小規模なゲームセンターらしきフロアが目に入る。
ゲームセンターにはお馴染みのプリクラもそこには設置されているようだ。
「プリクラ……私撮ったことないや。それ賛成! 行きましょう龍一さん!」
「ちょっ……! マジ?」
突然な私の提案にお姉は乗り気になって、戸惑い気味の龍一の手を引っ張って行く。
対する龍一は「学生時代に先輩命令で、一人でプリクラを撮りに行かされたトラウマが……」などとぼやきながらもそれに応じていた。
二人は自動ドアをくぐり、ゲームセンターへ入って行く。
私は何故自分でもこんな提案をしたのか、それが分からなかった。
苦い顔をする龍一と、満面の笑みではしゃぎまわるお姉。
そんな二人はどこか幸せそうだった。
きっと私は、ずっと前から気付いていたのかもしれない。
憎しみとはなんとつまらない感情なのか、と。
憎しみは人を縛り付ける。
そして過去の中に置き去りにさせ、自分だけでなくその他大勢の人をも悲劇の渦に巻き込んでしまう。
それをあの男、そしておばあさんの話や表情から悟って、やがて確信的なものとなった。
きっと私は気付いていた。
だけど気付かないふりをしていたのかもしれない。
憎しみなんて、恨みなんていらない。つまらない。
それが一部で強く働いてしまったせいで、きっと戦争のような人災も起こってしまうんだ。
そうしてそれに飲み込まれてしまい、現象の男やおばあさんのような何の罪もない人が被害者になってしまう。
憎しみは憎しみを生む。憎しみは憎しみしか生まない。その連鎖はどこかで断ち切らない限り永遠と続くのだろう。
綺麗ごとを言っているのは分かっている。
でも、現に自分でさえそういう境遇にいるのだ。
だったら私は。
「――桜子、もっとこっち寄れ! カメラに入んないぞ」
一人考え込む私の手を龍一が引き寄せる。
シャッターのカウントダウンが十秒前から始まった。
(もう憎しみは捨てていこう)
九秒前、お姉と龍一は居住まいを正す。
カウントダウンの最中、今一度ありありとあの男とおばあさんの顔が鮮明に蘇る。
気付くと五秒前。私達はより一層体を寄せ合う。
今この瞬間が何よりの幸せだった。
それでいい。生きていれば……生きていればこそ。
生きていればこその喜び、絶望、怒り、憎しみ。
戦争があった。
大勢の者が亡くなった。
私達には何も分からない。
分からない、推測することしかできない。
だけど……きっと誰もが戦争の被害者であった。
そして、それと同時にみんな等しく罪を背負っていたのかもしれない。
怒り、憎しみ、傲慢さ……。誰もがそれらに飲み込まれていた。
負の感情はやがて戦を呼んだ。
誰が悪いのではない。
誰もが……世界中の誰もが罪を背負っていた。
三秒前。やがて来る一瞬に備えて、私達は改めて身構える。
人間でいる限り、きっと負の感情と一生かけて向き合うことだろう。
どんな位の高い人でも、牧師だろうとシスターだろうと高僧であろうと。
きっとそれからは逃れられない。
二秒前。そっと二人を一瞥すると、そこには綺麗な花が咲いていた。
だったら、災いが起きないよう私達には何ができるのだろう。
こんなつまらない、憎しみという負の重荷をどうやって軽くできるだろう。
脳裏で陽炎のように笑顔がゆらめく。
私は、私にとって大切な人たちともっと……もっと深く繋がりたい。
もっと知りたい。
だから私は大切な人たちをもっともっと、もっと大切にしていこう。
全てを許し、愛せ。
そんな大それたことはできなくても。
今ある大切な時間、愛する人たちをもっと愛していこう。
私達は今ある関係を当たり前だと思っている。
そして亡くしたときに初めて、それが誤りだったとようやく気付く。
無愛想な、無関心な、そっけない関係になってはいないだろうか。
自分の世界に逃げてはいないだろうか。
それが駄目というわけではないんだと思う。
人間は完璧ではない。私だって完璧ではない。
だから、だからこそ……私はこう思う。私はようやくこのことに気付く。
一秒前。やがてストロボが閃光を放ちシャッターが切られた。
「――お絵かき? こういうのは現役JKに任せるしかないな」
「そうですね……。桜子お願い!」
「もう……じゃー適当にやるからね」
そうして何回かシャッターが切られた。やがてプリントされる画像に、私はあれこれ文字やスタンプを入れて編集した。
「それじゃ、携帯に画像送るねー」
「サンキュー」
「ありがとう!」
編集が終わり、写真が現像された。
プリクラのサイトにアクセスすると、撮影した画像を取得できるようで……私はさっそくそこへ繋いでから、画像を取得し二人の携帯へメールで送る。
「そういえば……龍一のメルアド知らなかった」
「お、そうだったな。よし、それじゃー俺のは――」
やがて私のアドレス帳に、龍一のものが新たに加わる。
電話番号は聞いていたので知ってたけど、メールアドレスは知らなかった。
何故だか気分は高揚している。
ふとお姉を見ると、現像された写真を一枚剥がして、さっそく携帯の裏面に貼っていた。
ウキウキなお姉を見るとこっちも嬉しくなった。
「それじゃ、さっそく待ち受けにするか!」
「そうですね! ありがとね、桜子」
そして撮影した画像を携帯の待ち受け画面に設定して、お姉はそれを誇らしげに掲げてみせる。
「ありがとな、桜子」
「ちょっと……子供扱いしないでよ」
龍一は爽やかに微笑みながら、私の頭を二度「ポン、ポン」と撫でた。
なんともいえない、羞恥や喜びが入り混じった複雑な感情。
お姉は笑う。龍一も笑う。
そして私もつられて笑う。
この時間がもの凄く幸せだった。
生きていれば、私達は深く繋がっていける。
生きているからこそ、私は生かされているこの時間をもっともっと大切にできる。
――
ある夏の日。
テレビでは白球を追う球児の姿が連日テレビの画面に映っている。
真夏の昼下がり。
高く青々とした空には大きな入道雲。
そしてそこを横切る一筋の飛行機雲。
降り注ぐ蝉時雨。
短い夏の間に燃やされる、彼らの生命。
その命の叫びの下で。
「それじゃ、行くか」
私はお姉と龍一と共に、地元の神社へお参りに来ていた。
この神社には戦没者を供養する為の慰霊碑が設置されている。
そうして銘々で祈りを済ませた後、駐車場へ向かう。
「もう一回、歴史を見直してみた方がいいのかもしれないな」
道中で龍一がポツリと呟いた。
「そうですね」
「――だね」
なぜそう呟いたのか。
きっと私も、そしてお姉も分かっているだろう。
昔、戦争があった。
一体どれほどの人が愛する者を失ったのか。
身を引き裂かれ、散華していったのか。
消える前のあの男のように、世界のどこかでは身が朽ちてなお、未だに戦争を続けている魂がある。
それは名も知らぬ海で、海底で、島で、ジャングルで、仄暗い洞窟の中で。
今もどこかで終戦を待っている。
私はその事実を知らなかった。
この国の人間として改めて見直す必要がある。自分の国の歴史を。
そして少しでも早く彼らに安らぎが訪れるようにと、深く祈りを捧げる。
なぜ戦わなければならなかったのか。
否定するだけで、思考停止してはいけない……。きっとその原因をそれぞれが考える必要があるのかもしれない。
――
「大丈夫か? 桜子」
「――何が?」
そして、神社から戻ってきて。
休日。洋館の応接間だったらしい部屋……。今はリビングルームとなっている一室で、予定も特にない私は一人だらだらとソファーに横になり、高校野球の試合を流し見していた。
そんなところで……仕事部屋にお姉といたはずの龍一が現れる。
「いや、なんかお前ずっと難しい顔してたからさ」
「ああ……いや、もう大丈夫」
「ほんとかよ」
「うん、ほんとだよ」
「何を思い悩んでたんだ? 恋煩いか?」
「違うし……。秘密だよ」
「なんだそれ……まあ、それならいいんだ」
そう言って龍一は何度か頷き、退室しようと踵を返した。
生きているからこそ、生かされているこの時間を……。
「ねえ、龍一」
ドアノブに手をかける龍一は、私の言葉でその手を止めた。
「いつもありがと――」
綺麗に笑えてるかな。
恥ずかしいけど、思わず沸騰しそうなほどに。
だけど――生きているこの時間、もし、いつか苦しい未来が来てもその時に後悔しないように。
「お……おう。こっちこそ、ありがとう」
大切な人達と大切な時間を。
「――そうだ、夕方から隣町で花火大会があるらしい」
「そうだった……! 行こうよ! お姉も呼んでこなきゃ」
「雪子が言いだしっぺだ。本人は行く気満々だぞ? 浴衣出してくるって」
「私も行ってくる!」
「はは……まだまだ子供だな」
「テレビ消しといて!」
大切な人達をもっと大切に。
そうやっていけば、きっといつか憎しみからさよならできるのかもしれない。
部屋を出て行こうとしたその時に、ちょうどサイレンが流れた――さようなら。
――
人々の歓声と共に花火が高々と夜空に鮮やかな華を咲かせる。
爆発する赤、青、黄の色は私達の感情のようにも思えた。
行き交う浴衣姿……恋人、家族、友人。
どの人の顔にも喜びの色が浮かんでいる。
花火が打ち上がり、祭りはピークを迎えていた。
立ち並ぶ出店を回ったり、そこで買った物を座って食べたり、くだらないことを話したり。
途中、私に「抜け駆けするな」と言っていたはずの友人が男子と二人きりで歩いているのを見たり……。道理で誘いの連絡がなかったわけだ。私は見なかったことにした。後で制裁を加えないと――というのは冗談だけど、そんなこんなで微笑ましい時間。
「龍一様! ほら、あーん」
「俺はもう腹一杯だ……。やめろ恥ずかしい」
そして、私達三人の輪の中には……龍一が誘ったらしい、浴衣姿のヤエさんが。
「ヤエさん、ちょっとくっつき過ぎ」
「あら桜子ちゃん、嫉妬なんてかわいらしい」
「ち、違うわよ!!」
その瞬間、漆黒の空に何度も激しく華が咲く。
「これで最後か……。ああ、ビール飲みたかった」
「私が運転していきますよ?」
「すまん雪子、大丈夫だ。この余韻に浸りながら帰って飲む」
「龍一様、お供します!」
「ちょっとヤエさん! お姉からもなんか言ってやってよ!」
「私もお供します」
「ちょっと! お姉まで――」
時は流れる。短い夏は終わっていく。
打ち上がった最後の花火は、人々の拍手と共に、余韻を生んで消えていく。
けれど私の心には、この花火と、それからお姉と龍一とヤエさんの笑顔が新たに焼き付いて、そうして記憶の「再生リスト」にも加わる。
そして、あの男とあのおばあさんのそれも。
「――そうだ。龍一様がお二人様に言いたいことがあるって」
帰り道。家へと戻る最中、混み合って中々進まない道路。
車内、後部座席で私の隣に座るヤエさんが突然そう言い出した。
「言いたいこと……ですか?」
「急にどうしたの?」
私とお姉は運転席の龍一へ視線を向ける。
当の本人はしらばくれたような態度で、どこか気恥ずかしそうにしていた。
「ほら、龍一様」
「分かった、あのな――」
なにやらヤエさんに急かされる龍一。
車は信号待ちで一時停止した。
「雪子」
「――はい?」
「その、浴衣似合ってるぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
そういうことか。これはお姉、凄く嬉しいだろうな。
「桜子」
「――え!?」
ちょっと間を置いて、今度は私に。
突然呼ばれてドキリとする。
信号は未だ赤。龍一が左斜め後ろの私の方へ振り向いた。
「お前も、浴衣似合ってるぞ」
「え……あ、ありがと」
その瞬間、信号が青に変わった。車は発進する。
一人呆然とする私をよそに「ねえねえ龍一様、私は? 私は?」とか「うるさい」とか「酷いわ!」とか「お前も似合ってるよ!」とか「おまけみたいで釈然としないわ」とか……そういう応酬が繰り広げられていた。
でも、良かった。もし沈黙が流れていたら、私は……。
心臓がバクバクして、顔は凄く熱い。
なんだか龍一とヤエさんが揉めて、お姉がそれを宥めているけど、そんなやり取りは私の耳には入ってこなかった。
「良かったわね」
そうして、あと数分で家に着くという場面で、ヤエさんが小声で囁いてきた。
お姉はどうやらうつらうつらと舟を漕いで……眠りの中にいるようだ。
龍一はただ黙々と車を運転している。
「それから……そうね、やっぱり素直な方がかわいいわよ?」
「うるさい……」
「そういうところもかわいいけどね、お嬢さん」
ぼーっとスマートフォンを眺めていた私。ヤエさんはそんな私を覗き込んできて、画面を指差しながら、そう言った。
「ヤエさん」
「どうしたの?」
「あ、ありがとう……」
「桜子ちゃん……! 大好きよ!」
「ちょっと! やめて、くすぐったい!」
「――何だ!? どうした!?」
「「なんでもなーい」」
いつの間にか私とヤエさんの息が合って、何事かと窺って来た龍一に対して、おどけてみせた。
お姉、龍一、ヤエさん……私の傍にいてくれる人みんな。
大好きだよ。
そしてさようなら――憎しみを持った過去の私。
もう一度スマートフォンの待ち受け画面を見てみる。
そこにはいつか撮ったプリクラの画像。
自分でも不思議なくらい純粋に……笑っている私の姿があった。
番外編 ある日の対策室 その2 終