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第二章 B

第二章のBパートです


「ああ、あの噂ね。いや、俺は三組のそいつから聞いたんだ。それより咲夜さん、今度の休み――」


 もう、うんざり。

 昨日とりあえずの方針は決まって「やってやる!」となった訳だけど、もう心が折れそう。

 休み時間、移動教室の合間、授業中、昼休み……。

 そして現在は放課後。

 一日中、こうして噂のDVDについて聞き回った。

 これじゃまるで記者みたい。

 しかし「誰々から聞いた」というパターンが全てで、根元に辿り着けない。


(いたちごっことは正にこの事ね……)


 加えて欠席者も、担任からなんとかして聞き出したけど誰もいなかった。なんという健康優良生徒達。

 まあ、被害も出てないって事だからいいんだけど……。


「それじゃ、桜子じゃあねー!」

「うん、じゃあね」


 友人達も同様で「誰々から聞いた」という事らしい。

 そうして今日は何も実りを得られず、こうして下校となった。

 上級生、下級生、同級生、挙句は教師達にも聞き回った。

 残りの候補は……。


「オカルト研究会、か……」


 ここで駄目だったら、もう今日はお手上げだ。

 もしDVDが本当に存在して、現象が解決した暁には絶対本部にケチつけて依頼解決料、給料をプラスでふんだくってやろう。




――




「そう……。お疲れ様、桜子」

「そうか。ちなみに俺達もからきし駄目だった。すまん……お疲れさん」


 結局最後の頼みも空振りとなり、私は虚しく帰宅した。

 お姉も龍一も同様らしい。


「他に何か有効な策もあるとは思えないしな……まさかレンタルショップに置いてあるなんてオチがあるわけもないだろうし」

「そうですね。しかしまだ初日ですから、めげずに明日も引き続き調査していきましょう。桜子、ごめんね……明日もお願い」


 確かにこればかりは他に良い策があるとも思えないし。

 はぁ、明日からも途方も無いいたちごっこを……。

 いや、待って――明日って。


「お姉、ごめん……」

「どうしたの?」

「明日は土曜だから学校休み――」




――




「うん、駄目だった――迎え? ありがと」


 本日は土曜。学校には部活動の生徒しかいない。

 それでも私は部活に励む生徒達をターゲットに、こうして聞き込みに来た訳だけど。


「咲夜じゃん。どうした? 部活には入ってなかったよな?」


 龍一が運転する車でここへ送り届けてもらった私は、調査が終わって彼の迎えを待っていた。

 正午を少し過ぎ、昇降口外。


(はあ……面倒くさい)


 迎えを待っていると、ふと横から声をかけられる。


「斎藤君は部活?」

「おう、咲夜はどうして学校に来てるんだ? 確かあの噂がどうとか聞き回ってるらしいな?」

「そう、ちょっとそういう話に興味があって」

「咲夜ってそういうキャラだったっけ?」


 私に声をかけたのは、同じクラスでサッカー部の斎藤。

 恐らく部活が終わったのだろう。

 制服をある程度着崩して、なんとも気だるそうに自転車にまたがる男。

 若干茶色がかった短髪、その頭をワシワシと掻いてみせる。


「へぇ、変わってんな。ギャップ萌えとかいうやつ?」

「ごめんなさい。何を言っているのかわからない」

「ハハッ、すまんすまん」


 私はこの手の人間はあまり好きじゃない。

 どうしてそんなに騒がしいのかと、不思議にさえ思う。


「そういえば、その噂先輩から聞いたな。なんかヤバいDVD回って来たとか――」


 ん? それって……!


「その話、聞かせて!」

「お、おう。食いつきパネー……。それじゃ、ほら」

「どういうこと?」


 斎藤は自転車の荷台を指差す。


「俺腹減ったからこれから飯行くんだけど。詳しくはそこでどう?」

「嫌、ここで話して」

「これストレートにフラれたパターン? いや、すぐそこだからさ」

「私もう迎え呼んじゃったの。だからここで話して」

「いやーそう言わずにさ! ほら、咲夜も腹減ってるだろ?」

「減ってない。ほら、早く話して」

「奢るからさ!」


 あー、もう。だからこういう人は嫌。

 これじゃ埒が明かない。


「だから、私はお腹は空いてな――」

「――桜子、何してんだ?」


 斎藤と言い合いしていると、後ろから聞き覚えのある声。

 助かった。


「龍一、この人が噂について知ってるって」

「おー、マジか! 悪い、聞かせてくれ」


 昇降口、入り口前のロータリーには龍一が家族から借りたらしい車が止まっていた。

 救世主、と言いたくはないけれど。


「え、この人って――咲夜?」

「私の彼氏よ」

「はっ!? んなわけ――」


 正直、斎藤からのアプローチには日々ウンザリしていたので、さっさと済ませたかった。

 それ以外に他意はない。龍一に話を合わせてもらう事にする。


(この男、前から私にちょっかい出してくるの! お願い、話しを合わせて!)

(はっ!? お前、いいのかよ……)

「ああ、桜子の友達か。初めまして! いつも桜子が世話になってるな……。改めて話を聞かせてくれ」

「あ、彼氏さん……ですか。どーもっす」

(おい! 桜子こいつメチャクチャ落ち込んでるぞ! 男子高校生の純情を踏みにじっちまった!? いいのかよこんな事して!)

(いいの……! 私はこんな男眼中にないから)

(女って怖ぇ)


 そんな風にやり取りしていると、斎藤は唇をわなわなと震わせて。


「あ、ごめん! DVD回って来たってのは確か先輩の冗談で嘘だったわじゃあなー!」

「あ、おい待ってくれ!」


 そう叫んで自転車を猛スピードで漕ぎ、さっさと帰ってしまった。


「おい……あいつ重要なこと知ってるんじゃないのかよ?」

「嘘って言ってたでしょ? どうせ私と一緒にお昼食べたかっただけよ。最初から噂の事なんて知らなかったの。誘う為の口実に使っただけでしょ……いい気味よ」


 結局、今日も駄目だったか――

 女って怖い……などと呟く龍一を放っておいて、私はさっさと車に乗った。




――




「それにしても、これじゃまるで埒が明かないな。俺もネットの掲示板やら何やら調べたが、全くかすりもしない。ほらよ――」


 国道沿いのコンビニで私達は昼食を買い、エアコンが効いた車内で食べている。

 龍一から私の分のサンドイッチを受け取る。


「ありがと。そうね……噂だけで、本当にこの地域へ回って来てるって保証もないし」


 この手の現象はたちが悪い。

 噂というのは、伝わるスピードが恐ろしく早い。

 都市から都市へ、地方から地方へ、町から村へ。

 そうして一つの都市伝説は様々な尾ひれが付いて形成されていく。


 人の噂も同様だ。

 それらは伝える人の悪意や善意などの意思によっても変わり、遠くなる程、伝わるほどに原型からは程遠くなる。

 そうして根源は消え失せ、偽りの物が真実となる。


「ねえ、もしかして最初からDVDなんてないんじゃない?」


 実態はなく、見えないものが回っているだけ――


「いや、実際に被害が出てるんだろ? それに本部から依頼が入ったんだし」

「確かにそうだけど……もうここにはないのかもしれない」

「確かに噂だけが先行してここにまだ回って来ていないか、それかもうどっか遠い、違う奴のとこに行っちまったのかもな……」


 謎は深まり、真実は姿をくらます……。


「――そういえば、お姉は?」

「雪子は家で色々調べてる。俺達も一度戻るか――あ、すまん。タバコいいか?」

「うん、いいよ。吸って来て」


 龍一はそう言って車を出て、コンビニの喫煙所に向かう。


 エアコンの排気音が車内に響く――


 ヴヴヴ。


「――誰からだろう」


 ぼーっと、車内からタバコを吸う龍一を見ていると、携帯のバイブ音がメールの着信を知らせた。


「リョウコか」


 友人の一人、リョウコからのメッセージだった。

 いつもらしからぬ、やけに長文のメッセージ。

 文頭からブツブツと読み上げて内容を確認する。


――やっほー。桜子明日バイトだっけ? もしなかったら、アミと三人でどっか行かない? あ、それと例のDVDだけど……なんと、ホントにあったよ! わら

 昨日他校の友達と放課後会った時に渡されて、その夜私ん家でアミと観ちゃった! わら

 確かに怖かったけど、噂みたいなのは何も起きなかったよ。つまんない……桜子に貸そうか?

 そんじゃ明日良かったらいこーね――


 これって……!

 車のドアを勢い良く開け放つ。


「龍一! DVDあったって!」




――




「それで、これが噂のDVD……ですか」

「そうみたいだ。桜子の友人が他校の奴から受け取ったらしい」


 リョウコからのメールがあって、私は急遽龍一にリョウコの家へ車を走らせてもらった。

 以前何度かお邪魔した事があるので、隣町だけど道は分かっている。

 リョウコに連絡を入れて、DVDを受け取って、そうして戻って来たのだった。


(私も明日遊びたかったけど――しょうがない)


 ブルーレイレコーダーがあるお姉の部屋でDVDを再生する。


「そういえば、雪子のその本って何て言うんだ?」

「はい、これは『マグナカルタ』だとか『万物の聖典』とか……色々呼び名があるんです。私達は単に聖典と呼んでいますが」


 念の為お姉は聖典を持ち、私は呪符を持つ。


「呼び名、統一されてないのか」

「そうなんです……本部から授かった道具の一つです」

「そうか……あ、始まった」


 テレビの大画面を覗いたままの私達。

 やがて――いきなり映像が映し出される。


「ただのバラエティ番組だなこりゃ。問題のシーンまで飛ばすか?」


 テレビの前に立ち、無言でその行方を見つめる。

 確かに噂の通り、無名の芸能人がわざとらしく怖がって恐怖を演出、煽っている。場所も「某病院跡地」と謳っていた。

 しかしただのバラエティ番組の企画。例の軍服姿の男など現れない。


「――問題のシーンの前まで飛ばすぞ?」


 結末が気になる龍一は、レコーダーのリモコンで映像を倍速で早送りにする。


「ここら辺か?」


 やがて適当な場所で止めてから、再生した。


「多分、ちょうどここら辺みたいね」


 テロップにはそれらしい文字が並ぶ。

 どうやらクライマックスまで目の前のようだ。

 私達は画面を注視する。

 食い入るように、瞬きさえ忘れそうだ。

 着々とクライマックスに近づき、一同がとある部屋に入って行く。

 霊安室だの、手術室だのと呼ばれるその場所。


 鼓動が早鐘を打つ。

 ドクン、ドクン、と今にも破裂しそうな程に。

 誰も、何も喋らない。

 刹那の間、一分一秒、端から端まで……この目に捉えていく。

 そして――


「何も映らなかったな」

「そうですね……このDVDではなかったのでしょうか?」


 二人は落胆し、ため息を漏す。

 真っ暗になる画面。

 そう――クライマックスに到達した番組はそのままエンディングとなり終わってしまったのだ。

 流れるスタッフロール。


「これじゃないとしたら……もうお手上げだ」

「そうですね……本部に報告を入れてきます」


 はぁ……今までの苦労が報われて「これで現象解決、給料アップ!」などと考えていたけれど、水の泡ってわけか。

 お姉は部屋を出て行く。龍一も肩を落としてしばらく固まったままだ。


「――さて、しょうがないわ。次の策を講じましょう?」


 ようやく真実に辿り着いたと思ったけれど、これも偽りだった……。


(よっぽど落ち込んでいるのね)


 私の呼びかけにも反応せず、石のように固まる龍一。


「ねえ、どうしたのあんた――」


 見かねて、私は彼の肩を叩く。


「ちょっと……どうしたの!」


 私をからかっているの?


「ねえ、いい加減にして!」


 龍一は前を向いたまま、その双眸は瞬き一つせず開かれ、瞳孔も広がったまま。


「ねえ! ふざけないで!」


 その時。


(何かがおかしい!)


 それはまるで、私一人だけ取残された世界。

 灰色で、白黒で、私以外の時は止まった世界。

 異変に気付いた時は既に遅かった。


「――俺の、俺の勿忘草を盗ったのは貴様か?」


 しまった!

 私以外の時が止まった世界。

 テレビの画面から這い出て姿を現したのは、軍服姿の男。


(悪霊化してる!?)


 ふらふらと立つ男。

 旧軍の軍服らしきものを上下に着込み、頭には略帽。

 しかしその身体……左半分はこの世ならざる禍々しい姿に変わり果てている。

 それはまるで恐ろしい獣。顔も左半分はそんな恐ろしいものへと変わっている。

 このまま放っておけば、悪霊から邪神にまで成り果ててしまうのでは……。そんな状態だった。


 絶対封じなければ。


 だけどどうする? 現象による結界かどうかは分からないけど、それのせいで私以外の時間は止まったまま……。


「貴様か……貴様か!」


 ブツブツと呟いた後、声を張り上げる男。

 呪符を構え、掲げる。


「――あなたを封印するわ」


 呪符に念を込め、式神を呼び寄せる――が。


「どういうことっ!?」


 私の力が使えない……!


「貴様のせいで……返せええええ!」


 何でっ!? 嫌っ!!

 死にたくないっ……!!


 すぐそこまで男は来ていた。

 私の目はありありとそれを捉えるけれど、体はまるで動かない。

 もう目の前に…….

 私、死ぬの?

 嫌だ……誰か。

 助けて。




――





 気付けば、目の前には恐ろしい顔がある。

 いつの間にか私は男に押し飛ばされ、倒され、覆い被さられた。

 不思議と痛みは感じない。

 両腕は男によって抑えられ、封じられている。


 私の手には呪符がない。

 勢いでどこかに落としてしまったのだろう。

 私、死ぬのかな……。


 キーン、と甲高い音が頭に響いて、何か言っているらしい男の言葉が聞こえない。

 しかし、次第に両耳がもとのクリアな状態へ戻っていくと……。


「――返せ! 俺の全てを!」


 息がかかりそうなほど近く、男は私に怒号を飛ばす。


「家族、親友、愛人、貴様らのせいで……! 返せ、早く!」


 どういう事だろう……。


「さあ、早く! 俺を、俺を……救ってくれ!」


 何で泣いてるの……?

 現象のくせに。

 辛うじて人間のものを残した右半分の顔、その瞳から流れ落ちた涙は、顔を伝って私の頬へ落ちてくる。


「――あなたのことは忘れません。勿忘草はいずこへ」


 あの言葉が、自然と口からこぼれた。


「何だとっ!? 貴様もか! 嘘を……嘘をつくなっ!」


 これで見逃してくれるんじゃないの?


「どいつもこいつも知らないと言う……! 俺は……俺はもう駄目だ!」


 半狂乱の男は、そうして私の両腕を抑える手を、今度は私の首へと添えて。


「俺を助けてくれ……! 苦しい!」


 尋常ではない力で私の首を絞め上げる男。


「――あっ! ングッ!」


 息が出来ない!!

 嫌……! 私……。


 おぼろげになる意識。

 目は苦しむ男を捕らえたまま、しかし彼の叫びはもう聞こえない。

 耳もやがて遠くなり、無音の世界になる。


 お姉、龍一、ごめんなさい。私は何も出来なかった。

 龍一に……まだ謝ってないや。

 ごめんね。あんたの料理、また食べたかった。

 ごめんなさい……馬鹿みたいな私で。

 ああ、もう目の前が暗く――


「――!」


 何か、微かな意識の中で……音がした気がする。

 シャン、と響く綺麗な鈴の音。

 あの世からの合図……?

 

 それを聞いた後、遂に完全なる闇が訪れた。




――





「――は、俺は、あの花だけが希望だった」


 何だろう……?

 真っ暗な世界で、子守唄のように心地よい音色の声が聞こえる。


「あなたは、兵隊さんね?」


 私じゃない誰か、女の人の艶やかな声。


「ああ。南方で負傷し、後送された。そこで訳が分からなくなって、気を病んだ。気付いたらこの病院にいた」

「そしてあなたは、ここで命を落とした――」


 私、死んだんじゃないの?

 それともここが「死後の世界」ってやつ?


「あいつが……あいつが勿忘草を摘んできてくれたんだ」

「あいつ――恋人?」


 あれ……段々暗闇が。

 私を覆う闇が消えていく……。


「ところが……いつも見に来てくれるあいつが急に来なくなった」


 闇が消え、代わりに目の前に現れたのは病室らしき部屋。

 体を起こす。


「あいつは……敵の空襲で死んだと、後から聞いた」

「それは……」


 部屋の隅の方で声がする。

 そちらへ視線を移す。


「化狸――どうして」


 こちらに背を向ける、巫女服姿で耳と尾を生やした化狸がそこにはいた。

 男はというと、隅に倒れ伏し、その腹部には――日本刀が刺さっている。


「――あらお嬢さん、ご機嫌よう。それと私はヤエよ」


 私の声に反応して振り向く化狸、ヤエ。


「どうしてあなたが……」

「桜子ちゃん……で良かったかしら? あなたがいなくなってしまうと、龍一様が悲しむ……。もちろん私もね。だからよ」


 そう言って、ヤエは男に刺さった日本刀を引き抜いた。


「愛する者を失う悲しみ、私も分かるわ……私もそうであったから」


 そして、再び男へ向き直るヤエ。


「ふん、化物が偉そうに」

「あら。あなたもそうなる寸前だったのよ?」


 ふっ、と男は自嘲気味に笑う。


「戦争、それから空襲で俺は全てを失った。家族、友人、恋人……あの勿忘草だけが、俺の全てだった。何もかも無くした俺の希望だった……そこの君」


 男は私へ呼びかける。


「すまなかった。俺はもう自我を保てないだろう……。だから息の根を止めてくれ……俺を、救ってくれ……」


 やがてヤエが私の所へ来て、立たせてくれる。

 そうして男の前まで導かれ、日本刀を渡された。


「ここでの俺は、本当の俺じゃない……。本当の俺は『――』にいる。そこで本当のとどめを……俺を、どうか助けてくれ」

「分かったわ」


 私は日本刀を振りかざし、そして。


「ありがとう、待っているぞ」


 男の腹部へ突き刺した。


「何で、泣いてるのよ……」


 光の飛沫をわずかに上げて「この世界」に閉じ込められた男は霧散していった。


「桜子ちゃん……大丈夫!?」


 全てを見届けて、私の体から力という力が抜けていく。




――




「お願い……私も行かせて」

「桜子、だめよ……。そんな熱でどうするの……」


 三十七度後半。

 熱にうなされ、目を覚ました私。

 自室のベッドに寝かされていて――傍に座るお姉と、立ちすくんでこちらを窺う龍一。そしてヤエ。


「お願い、お願いだから」

「何もできなくてごめんね……桜子」

「ヤエがいなかったらどうなっていたか……。本当にすまない、桜子」


 どうやらヤエが私に代わって事情を説明してくれたようだった。


「桜子、あなたが頑張ってくれた。だから後は私達に任せて」

「――ダメッ!」


 何故か意固地になって、声を張り上げてしまい……咳込む。


「桜子っ! 無理しないで」

「無理してない……。お願い、明日までに熱下げるから。だから」

「桜子は休んでいて……!」


 今にも泣きそうな私とお姉。

 何でこんなに意地張ってるのかな? 私は。


(ありがとう……。待っているぞ)


 あの男の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。

 私が最後まで見届けないと――そんな意志が生まれ、私を駆り立てている。


「――分かった」


 龍一の声が響く。


「明日までに熱が引いたら、一緒に行こう――桜子」

「龍一さん!?」

「だから今日は何が何でも絶対安静だ! 俺が看病してやる」

「ふん……。何よ、何も出来なかったくせに」

「桜子……本当にごめんね、私」

「いや、お姉じゃないって! この男、この男のこと!」


 私達のやり取りがおかしかったのか、ヤエはくすりと笑っている。


「まあ、そうだ……。何も出来なかったから、お詫びとして看病する」

「好きにしなさいよ……」


 火照って、重苦しい体。

 なんだかドッと疲れが押し寄せて来た……。眠い。


「ごめん、眠いから――寝るね」


 睡魔に負けて、私は再び目を閉じた。




――




「私は現象を憎む、絶対に許さない。それは変わらないわ」


 目が覚めると、傍に座っているヤエが目に入った。

 窓際、憂い顔のヤエ。

 目を覚まして開口一番私がそう言うと、ヤエはフッと笑ってみせる。

 西日が差す窓際、慈愛に満ちたような笑みを浮かべるヤエ。

 長く綺麗な黒髪、まつ毛、白く艶やかな肌、妖艶な造りの顔……

 そしてヤエは私の頬にそっと、優しく手を添えてなぞる。


「だけど、助けてくれてありがとう。ヤエ……いや、ヤエ……さん」

「ヤエでいいわ。ふふっ……素直な方がかわいいわよ?」

「うるさい……。龍一は? あの男看病するとか言ったくせに」


 恥ずかしくなって、私は話題を逸らす。


「龍一様は夕飯の買い出しに行っているわ……。もうそろそろ帰ってくるはずよ」

「そう……」


 ヤエ……さんの細く綺麗な指が、私の髪を梳く。


「お姉さんと同じ、綺麗な髪」

「何よ、急に……」

「お顔も綺麗……お人形さんみたいね。男を虜にする顔だわ」

「やめてよ気持ち悪い」


 ヤエさんの呟き、その音色はどこか不思議と心地よい。

 何もかも包み込んでくれるような……そんな母性みたいな響き。


「あなたにも、辛い過去がある事はなんとなく分かるわ。でも……私達も、あなた達人間も、何も変わらないわ」

「何よ……」

「あなたが私達を憎むのも分かる。だけど、あなた達も同じじゃない。戦争、紛争、迫害、喧嘩だって……私達がしている事と同じよ」


 諭すように、ヤエさんは私に語りかける。


「だからって、私は被害に遭う人を放っておけない」

「だから――どうか覚えていて」


 すっと、そう言って手を離す。


「あなた達人間と同じ。良き者がいれば、悪い者もいる。だから……憎むなら、それを踏まえて憎んで。まあ、私は良き者とは言わないけどね」


 そう言ってヤエさんは肩をすくめた。


「――桜子、俺特製のお粥だ。食わなきゃ熱も引かないぞ?」

「それじゃあね、お嬢さん」


 やがて現れた龍一と代わるようにして、ヤエさんは部屋を出て行った。








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