番外編 ある日の対策室 その1
本編のストーリーとは関係ない? 日常話になります。
この世には科学の力では未だ解明できていない摩訶不思議な出来事が存在する。
人はそれを運命だの奇跡だの、はたまた超常現象や超自然現象と名付け畏怖の対象とした。
考えてみれば人類は科学の発展と共に歩んで来た。
しかしそれが目まぐるしく進歩している昨今でさえも、この世界の「真理」に到達できたものは一体幾つあるだろうか?
この世にはわからないことだらけだ。
宇宙、それから地球の誕生。深海の世界……例を挙げたらキリがない。
俺達は推測の域から脱出できない。謎を追ったその先には更なる謎があり、いわば無限連鎖の様な形を成しているのだ。
まあ……それを追求するのが人間に与えられた使命であり、生きる糧とも言えるのだが。
考えてもキリがない、いらない心配は抱えない方が身の為だ。
だからこうして俺も深く考える事をやめたわけで――
「あのな……ここは俺の家だ、ヤエ」
「存じております、龍一様」
「いや……存じているならその態度は一体」
超自然現象。
というものに俺は遭遇した。
そして色々あって「超自然現象対策室」の支部、咲夜家の手伝いになった。
無職を脱出できたので喜ばしいことではあるのだが……。
「ところで龍一様、最近のゴールデンタイムのバラエティはどれもつまらないものばかりね」
「お前本当に化狸――妖怪なのか?」
「狸じゃなくてヒト科タヌキ系女子よ……もう、龍一様ったら!」
妖怪化狸という「超自然現象」らしいこの女、ヤエ。
俺は現在進行形で超自然現象に悩まされている。
俺の部屋で正座して、どこから調達してきたのかスナック菓子を口に運びながらテレビを見る妖怪化狸、ヤエ。
俺がこいつに懐かれて? からというもの、俺が咲夜家での仕事を終え帰宅し部屋に戻ると大抵コイツがいる……。
まるで自分の部屋と言わんばかりのくつろぎ様に俺はもうつっこむ気も失せ――そう、だから深く考える事をやめたのだ。
オカルトな方向の話は信じる方ではないが、だとすると目の前の女は何なのか。
考えるとキリがない、遭ってしまった事はどうしようもない……時には流れに身を任せるのも一つの手段。そう思って思考停止したらこのざまだ。
「このブラックペッパー味のポテチ美味しいわ! 龍一様もどう?」
「菓子ばっか食ってると太るぞ?」
「もう……! 乙女に体重の話は厳禁よ?」
「乙女ではないと思うが」
こんな状態がここのところずっと続き、なんだかんだで慣れてしまい――そしてちょっと楽しいとか思ってしまう自分が情けなくも感じる。
(俺ってつくづく流されやすいのな……)
巫女服姿で頭部には耳を、臀部辺りからはふさふさな尻尾を生やすヤエ。
まっすぐ伸びる綺麗な黒髪、ツンと上を向く長い睫毛、妖艶な美貌と身体、白く滑らかな肌――そんな彼女だが、その正体は謎に包まれている。
妖怪でずっと封印されていたのにも関わらず、現代への適応ぶりが半端ないし。
化狸と言うからには、その本性を現したら禍々しく凶暴な姿をしているのか……気になる。一度彼女の過去を見せられた事があるが、その時見たのはなんか普通の狸だったし。
それから彼女はある程度俺の部屋でくつろぐとどこかへ帰って行くようで、もちろんずっと居られると困るからそれはそれでいいのだが……。一体どこへ帰って行くのか、それも気になる。
あとはその身なり――何で巫女服姿なのか、何で耳と尾を隠さずにわざわざ出しているのか、狸の姿には戻らないのか。
これも考え出したらキリがない。だけど――
(謎を暴いてやる)
そうだ、それが超自然現象対策室というものだろう。俺はただの手伝いだけど。
真実を追い求めることは人間に与えられた特権だ。
「なあ、ヤエ――ちょっとお願いがあるんだけど」
「何かしら?」
「狸の姿に戻れ」
「エッチ」
「は?」
元の身体に戻ることは卑猥な行為らしい……。いや、そんなわけないだろ。
「急にどうしたの?」
「いや……別にどうしたってわけじゃないけど」
「あら……あらら。もしかして私に気があるの?」
「ない」
「随分反応が早いわね」
別に知っておかなければならない事でもないし。
だけど気になる。何だか今日の俺は変だ。
「そういえば……何でお前は俺の部屋に来るんだ」
「何でって……龍一様がいてもいいって言ってくれたんじゃない。もしかして嫌?」
「嫌ではないけどよ」
俺の部屋にいてもいいって意味で言ったわけではないんだけどな……。その上目遣いはやめろ。嫌ってわけではないけどさ。
いや、待てよ――そうだ。
「決めたぞ、ヤエ」
「何? 婚姻届ならここにあるわよ?」
「違う――てか何でそんなもん持ってるんだ」
「乙女の秘密よ」
コイツは手強い……しかし好奇心に点いた火を今更消すわけにもいくまい。
それなら秘密を暴く為にはこの手段を用いるしかない……。一言「教えて」と言えばいい話しだが、なんか恥ずかしいというか。
「タダでこの部屋にいさせるわけにはいかない」
「どうして?」
「どうして……そうだな。ほら、この部屋もタダじゃない」
「どういうこと?」
「俺がいない間にお前が見ていたテレビ、それから部屋の照明、その電気代ってもんがある」
「あら、それじゃ一万円ほどあればいいかしら?」
「おう、サンキュー……って違うわ」
変身した時の様に「ボン」と音を立てて煙が上がり、ヤエの手から現れたのは一枚の紙幣。
何それずるくない?
「お前一万円札をどうやって……」
「乙女は魔法を使えるのよ」
乙女を極めると魔法が使えるのか――いや、違うだろ。
一般的に妖怪などは不思議な力を持つ存在として認識されているが、いざ目の前で見せられると「これは現実ではなく夢の世界の出来事ではないのか――?」という錯覚に陥る。今更だけど。
超自然現象……本当に存在するのか。
「とにかく……タダでここに居させるわけにはいかない」
「どうして? お金ならあるけど」
「それは偽物だろ……。ってか何でも金で解決できると思うなよ」
「それじゃどうすればいいのかしら」
よし、ようやくこの展開に持ってこれたぞ。
「俺の質問に答えてもらおう」
「質問? それだけでいいの?」
「ああ、質問にちゃんと答えればここにいさせてやる」
「龍一様ったら物好きね……私の事がそんなに気になるの?」
「いや……そういうわけじゃない」
「あら、それじゃ別に答えなくてもいいわね」
「そ、それじゃここにいさせないぞ!」
「実力行使に出るとしたら……どうする? 私は化狸なのよ?」
「く……お前ってやつは」
フフフッ……と巫女服の袖で口元を隠し妖しく微笑むヤエ。こういう時だけ本来の姿をチラつかせるなんて卑怯な。
「素直に言って下されば、ヤエはお願いを聞いてあげますよ?」
「クソ……」
「いいの? せっかく答えてあげようと思っていたのだけど」
「――えて下さい」
「あら、もっとはっきり言って下さらないと」
「どうかあなたの秘密を教えて下さい!」
「私の事が気になるの?」
「そういうわけでは――」
「それじゃー教えないっ」
「気になります、ヤエさんの事が気になり過ぎて眠れません!」
「あらー、やっぱり。素直に言えるじゃない龍一様」
「すげー悔しい」
人は自然の、超自然の力の前では無力も同然なのか。
ヤエは依然として口元を袖で隠し、クックッと笑う。
そして生やした尻尾をブンブンと振り乱す。
感情がダダ漏れだぞ……。
「分かりました、それでは私の事が気になる龍一様の質問に答えて差し上げましょう」
最終的に目的は果たせたが……それまでの行程が納得いかない。
こうして「質問コーナー」が始まった。
「お前は妖怪ってことでいいんだな?」
「妖怪ね――まあ、そういう事でいいんじゃない?」
遂に始まった謎を暴く為の質問タイムであるが。
「それより、もっとスリーサイズとかそういうことが気になるんじゃないの?」
「それはいい」
空回りとはこのことか。
「お前の他に、お前みたいな存在はいるのか?」
「わからないわ」
「なんだそれ」
俺が怒涛の如く発する質問にヤエはのらりくらりとかわしてみせる。
これじゃ恥をかいてお願いした意味がないじゃないか。
「それじゃ、お前が使っている魔法みたいな力は何だ?」
「さあ……? 気付いたら使えるようになっていたわ」
「どういうことだよ」
謎を突きつめた先には更なる謎が広がる。
「だったら……何でその姿をしてるんだ?」
「これのこと?」
「ああ、あと耳と尻尾もだ」
「気分よ」
「あのな」
「これが私の正装なの。オフィスワーカーがスーツを着るように、学生が制服を着るように――これが私の普段の姿ってことよ。それに耳と尻尾をずっと隠しておくのも疲れるし」
完全に気分ってことなのか?
「だったらわざわざ人間の姿形にならなくても……。元の狸の姿でいればいいんじゃないのか?」
魔法みたいな力を使って人間の姿に変身する行為が労力を伴うなら、わざわざそんなことする必要はないんじゃ……。
するとヤエはどこか呆気に取られた様に言い放った。
「あら、私は生まれてこの方ずっとこの姿よ?」
「は?」
いや待て、それはおかしい。
それじゃ俺がヤエに見させられた彼女の過去――あれはどういうことだ?
「おいおい……お前は元は狸の姿なんじゃ」
「元からこの姿よ?」
もう訳が分からない。元の姿は化狸と呼ばれる妖怪で、魔法の様な力を使って人間の姿に化けて出ているんじゃないのか?
「だったらお前が見せてくれたあれは一体……」
「フフッ、龍一様ったらかわいい」
「いやいや……ちゃんと質問に答えろ」
「答えてるわよ?」
これじゃ真実の欠片も掴めていない……。
「そうね……それじゃ、龍一様にだけ教えてあげる」
やがて真っ白になり脳内はクラッシュする。
何も答えられず沈黙が降りると、ヤエは静かな声で呟いた。
「龍一様に見せた私の過去は真実よ」
「それじゃ一体」
「実は私も、私についてはよくわからないの――」
きっぱり、そう言い放つとやがて朗らかに笑うヤエ。
その笑みは今までに見せたものより、より一層子供の様に無邪気で純粋なものだった。
「龍一様は、自分のことを隅から隅まで漏れなく知り尽くしている?」
「いや……そう言われると確かに」
自分のこと――か。
確かに俺は自分の事をどれくらい知っているだろうか。
自分のことくらい知っている……なんて思うかもしれないが、それは本当だろうか?
予想外の出来事が起こった時、人は自分でも考えられない様な行動を取る事がある。
もしかしたら、自分の事を全て知っている人なんていないのではないか。
人は「自分でも知らない自分」を持っている。
「だけど自分の生い立ちくらいはわかっているもんだろ? それにお前は自分の意志でその姿に化けているんじゃないのか?」
「そうね、確かに私はこの不思議な力を自分の意志で使っているわ――今はね」
「今?」
今とはどういうことだ? それじゃ以前は自分の制御のうちではなかったということか?
「もし、もしもの話だけど、あなた達人間は私のことを妖怪だとか化狸と呼ぶけれど――私がその『化狸』とされてしまったのだとしたら、どうする?」
されてしまった――ヤエははじめから妖怪と呼ばれる存在だったわけではないのか?
ヤエは妖しく微笑みながら、試すような視線で俺を見据えている。
「それじゃお前は何者かによって妖怪にされてしまったのか? だったらあの過去の記憶は一体」
「私はね――気付いたらこの姿になっていたの」
「その姿にか?」
「そう、この耳と尻尾それから不思議な力が使えるから、どうやら私は『化狸』のような存在だったらしいという事は分かるわ」
「もしかして……お前は以前の記憶がないのか? 俺が見せられたあの記憶には男に助けられる狸の姿のお前がいたが」
「その時の記憶だけはあるの。そして『助けてくれた愛しい人の為に生きたい――』という想いがあったこともね。そして気付いたら人の姿に変わっていて、キヨマサ様のもとにいた。だから私は私が元々はどんな存在だったかは明確には分からないの。そういう想いだけが強く残っていた。自分はどうやら『人間とは少し違う存在』ということはこの姿に変わってからもなんとなく分かっていたけど」
元の自分がどんな存在だったかはっきりとは分からない。そしてその時の記憶がない。
何らかの力が働いて今の姿に変わってしまったということ……。
つまり今の姿――人間のそれに初めてなった時は、何故そうなったのか自分でも分からないということか。
だったら、ヤエも。
「不思議ね、助けられたあの時以外、以前の記憶は全くないのよ。だからこれが私の本来の姿とも言える……。そうでしょ?」
「そうとも言えるが――」
「不思議な力が働いて、人じゃない存在から人に似た存在に変わってしまった。そうなって結果的に私は『化狸』になってしまったということね。それを見た人間は私を妖怪として封じ込めた――そうとも考えられるかしら?」
ヤエは超自然現象そのものではなく……ヤエもそれに翻弄された「被害者」ということなのか?
「だから本来の姿に……狸の姿に戻れって言われてもそれはできないわ。この力を使って変身することができても、それが私の以前の姿なのかは分からない。その記憶がほとんどないんだもの」
ヤエはそう言ってわざとらしくウインクしてみせる。
「元の姿に戻りたい――とは思わないのか?」
「ええ、キヨマサ様と龍一様と出会えたわけだし。悲しい事はあったけど――もちろん私は彼らを到底許すことはできない。そして非力な私自身も許すことはできないでしょう」
「ヤエ……」
「だけど、もう憎む相手はみんなこの世にいないわ。それに憎むのも疲れた――だから消えたいと思ったけど龍一様、あなたが私に希望をくれたの。キヨマサ様と、そしてあなたが教えてくれたのよ?」
「俺が?」
「そう――ラブパワーをね」
「おい、真面目な雰囲気でふざけるな」
「ひどーい龍一様、私は大真面目よ? この姿に変われたこと、それによってキヨマサ様と過ごせたこと、龍一様と出会えたこと――全部愛の力によるものって、私は大真面目に信じているわ。分からないことがあってもいいの、今こうしていられるんだから。人間は何かにつけて『こうであるべき』、『こうであるはずだ』と決めつけて一緒にしたがるけど、別に違いがあっていいじゃない。自分の見ている世界が、価値観が全てというわけじゃないわ。違いがあるから、分からないことがあるから面白いんじゃない? そして分かった時、違いを知れた時、その時に新たな自分も見つけることができるのよ」
なんだか話がそれちゃったような気もするけどね――とヤエは付け加えた。
「私はこれからも、キヨマサ様を一番に愛している」
「お、おう」
「そして二番目は龍一様よ」
「いや、俺は別にいいんじゃないか?」
「一番じゃなくて悔しい?」
「悔しくない」
勝気な笑みを見せられて、どこか説き伏せられた……うまくかわされた気がしてくるが、不思議と負の感情は微塵もなかった。
「ねえ、人間が虎に変わってしまった話があったわよね? 龍一様は知ってる?」
「ああ……学生の時に国語で習ったような習ってないような」
「つまり私はそれの逆バージョン……みたいな感じでいいんじゃない? 形式的にはね」
「おいおい、そんな適当でいいのか?」
「ふふ、いいのよ――私がいなければキヨマサ様も亡くならずに済んだ。でも、キヨマサ様はそんな私を愛してくれた。ここにいてもいいと言ってくれた。私と過ごせて幸せだったと言ってくれた。そして龍一様も」
刹那――頬を伝って落ちる雫がきらめいた。
突如のことで、それはどうやら彼女自身でさえも予期できないものであったらしい。
優しく、優しくそれを拭う真白な手。その動きはまるで舞踊の様に繊細で優雅に見えた。
確かに彼女は人間とは少し違う存在なのかもしれない。
だが、それが何だというのか。
この光る雫は、今ここに彼女が精一杯存在している証拠なのだ。
姿、形、声……違いがあるからいいんだ。
俺達は、俺達の物差しだけで全てを測ってはいけない。
それは他人の存在を、世界を否定しているも同然の行為だ。
分からないこと、知らないことがあっていい。
それを知れた時に、俺達は新たな喜びを得ることができる。
その喜びはやがて自分だけのものではなく、全員で共有できる物差しに……財産になる。
だから――謎は謎のままでいてくれ。
いつかその謎は俺達の世界を広げてくれるだろう。
嬉しくて流した涙なのか、それとも悲しくて流したものなのかは分からない。
分からなくていいのかもしれない。
ヤエは流麗な雫を落としながら、頬をやや赤く染めながら、そして笑う。
俺はそんな彼女をただただ見守り、やがて数秒間か数分間かしばらくの間見つめ合っていた――そうして。
「――何だと」
一体何が起こったというのか。
(確か俺はヤエと話していたはずだ)
俺はベッドの上で一人目を覚ました。
朝、気付くと朝になっていて――ヤエはいない。
(朝の五時半――)
まさか夢オチ?
昨日のヤエとのやりとりは全て夢か白昼夢か、そんなことだったとでも言うのか?
いや、ありえない。確かに昨晩俺はいつもの如くヤエとここで話していた……。
「だったら一体」
何が起こったのか――部屋中を見渡してみる。
「これは?」
そこで、机の上にA4サイズくらいの紙切れが妙な存在感を纏って置かれていることに気付いた。
昨日はこんなもんなかったはずだ。
さっそくベッドから出てそれを確認してみる――
「Dear 龍一様へ 化狸から愛を込めて」
その紙には、それだけ書かれていた。
「手紙調にするなら本文も書けや」
この世にはわからないことだらけだ――だが、それでいい。
どうやら俺は「狐」ならぬ「狸」につままれたようだった。
番外編 ある日の対策室 その1 終