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第一章 C

第一章のラストパートです


(まだアイツは現れないな)


 そもそも本当に化狸なんているのか?

 やはり単なる幻覚だったのでは?


 雪子立案による真夏の遊撃作戦は、あれから翌日である今日の夕刻に実行された。

 暮れなずむ夕時、俺は数日前倒れた神社にいる。

 俺以外には誰もいない境内。

 寂しさとわずかな恐怖、緊張を感じる。

 何もすることがない。境内に置かれた錆だらけのベンチに腰を掛ける。

 ふと、昨日雪子と打ち合わせをした瞬間が脳裏をよぎった。


(それでは龍一さん、龍一さんはまず先日の神社で待機していて下さい。そうです、待機です。化狸が現れるまで待機して頂きます。はい……恐らく化狸はあの神社をねぐらにしていると考えられます。だからまたあの場所に現れるはずです。化狸による被害は龍一さんの件を除くとほぼ日が暮れかかる夕時に起こっていますので、その時間の少し前からあの場所で待機……です)


 とりあえず「奴が現れるまで待機しておけ」ということらしい。

 しかし本当に現れるのだろうか?

 これじゃまるでUFOを信じて現れるのを待つ子供みたいだ。

 彼方の上空には夜の訪れを前に山に帰るカラスの群れが。

 その鳴き声がここにも届き、物寂しさは加速される。

 それを聞いていると次第に感傷的な気分になり、恐怖や緊張は和らぐのであった。





――





「もう帰っていいかな?」


 誰も、誰もいない境内。

 もう夜はすぐ目の前に迫っている。

 オレンジの空には次第に夜の帳が下り、段々と全体を食い尽くす。

 一人呟いたところで、孤独は増すばかりだ。

 雪子からの連絡は未だにない。

 こちらから入れてみてもいいだろう。

 重い腰を上げ、ズボンのポケットから携帯を取り出す。アドレスの項目から雪子の電話番号を選択し、発信した。


「もしもし――俺です」


 二回呼び出した辺りで雪子は出た。


「全然現れないです、どうします? もう時間も時間ですし」


 長く退屈な時間のおかげで、もうやる気もなにもかも完全に失っていた。


「はい、今日のところは引き上げる……といったところでしょうか」


 電話の向こうの雪子から、そんな「今日のところは解散しましょう」という提案が出された。

 助かった、これ以上こんな退屈な場所にいるのはごめんだ。


「分かりました、それじゃ今日はここで解散ということで。はい、それではまた明日――」


 今日は疲れたな。 明日もこんなことをしなくちゃいけないのか?


「――あなたまた来たの? 懲りないお方ね」

「雪子さん、ちょっと待って下さい」


 何かがおかしい。

 通話終了、帰宅――そういう流れのはずだ。


「――聞いてる? 無視は駄目よ?」


 孤独な状態にいたせいで遂に俺は精神に異常でもきたしたか?

 真後ろ、すぐ後ろから声が聞こえる。

 ゾワッとした寒気が全身を襲い、ピクリと身体が振動する。

 するとそれからは石のように身体が硬直して動かない。

 どうしました――? と電話から響く雪子の声。


「――ほら、何か言ってるわよ? 出ないの?」


 まるで今の俺はメデューサに石化された人間だ。

 振り返れ。

 いや、怖い……嫌だ。

 その間で揺れる心。

 ギ、ギ、ギ……と、まるでそんな効果音が聞こえてきそうな挙動で俺は恐る恐る振り向いていく。


「――出ないなら私が代わりに出てあげる?」

「いえ、お構いなく。失礼しました」


 俺は一体何を言っているんだ。

 カオス――一言で表すならばそんな状況。

 振り向いた俺の眼前、息がかかりそうなほど目の前。

 先日俺が気絶する前に見たような巫女服姿の女が。

 頭に耳、そして縞模様のないデカいふさふさな尻尾。間違いない、こいつは……。


「雪子さん、た、狸が現れました!」

「え? 私に何か御用かしら?」





――





「離れろ、お願いだから……いや、お願いします」

「まあそう言わないの、照れちゃって! かわいいお方」


 どうしてこうなった。

 何度もその言葉が頭の中で点滅している。

 いや、形的には作戦は上手くいっている。

 いっているのだが。


「あんた、ホントに化狸ってやつでいいんだな?」

「まあそうだけど、狸って呼ばないで。私にも名前があるんだから」

「分かった、だからまずはその組んだ腕を解け。そして離れろ」


 なんてことだ、化狸ってやつが本当に現れた。どうやらこの女がそれで間違いない。

 そして何故か俺はこいつに、どういう訳か一方的に好かれている……?

 再び俺が会いに来た――俺はこいつに興味、好意があると勝手に解釈した模様で、今に至る。

 どうしてこうなった。

 俺の報告を聞くと、雪子は電話が音割れするほどの声を上げた。

 そして作戦再開ということになったのだ。


(待機してこいつが現れた。次のステップは――)


 今一度作戦の内容を胸の内で復唱する。


(俺はこいつを雪子と桜子がいる別の神社までおびき寄せる)


 この様子ならそれも難なく達成できそうだ。俺が帰ると言うと、こいつはこうして付いてきた。

 離れろと言っているのに、未だ腕を組んで俺に密着する化狸。

 おびき寄せるというと、モンスターに追われる人間の姿をイメージして戦々恐々としていたが、それはあっさり覆された。


 どうしてこうなった。

 俺は化狸を連れて、二人が待つ神社へ向かう。


「――てか、あんた化狸なんだろ? 何で人の姿をしてるんだ?」

「面白いからよ」

「は!?」

「私は人を驚かす事が好きなの、だからこうして化けて出ているのよ」


 まるでそれが当たり前とでも言うかのように、化狸は屈託無く笑う。


「あんた、男の生気を吸い上げて悪さしようとしてるんじゃ……」

「なるほど、何やら電話とやらで話していたようだけど……私の事を知っているのね。でもそれは間違っているわ」


 どういうことだ? 話が違うじゃないか……。


「まあ、あなた達が何を企んでいるのか話してくれたら、私も教えてあげる」


 悪戯を企む子供のように「ニヤリ」と笑う化狸。

 まずい、作戦をばらすわけには――どうすれば。


「とにかく、人に見られるから離れろ。そして化けられるならその耳と尻尾、服装をどうにかしろ」


 とりあえず時間を稼げ……!

 二人が待つ神社までは確かもう十分弱くらいで着くはず!


「もう、話を逸らしたわね? 分かったわ」


 そう言うと化狸は「ボン!」と煙を立てて姿を変える。


「どう? 似合ってる?」


 煙が瞬時に晴れると、そこには現代風の格好をした女の姿が。

 耳と尾も無くなっている。


「どう? どう?」

「分かった分かった、似合ってるよ。あと変なポーズやめろ」

「てへっ」

「てへっ――じゃねぇ」


 俺の反応が見たいのか、化狸は逐一煽ってくる。

 そうしてまた密着して来た。


 帰省してから何もかもおかしい。

 雪子に出会ったと思いきや、今度は超自然現象だの超常現象だのに見舞われ、今こうして幽霊だか妖怪と言われる存在といる。

 夢、じゃないんだよな……。

 化狸は俺達の企みをそれ以上追求せず、それからは無言でひたすら歩いた。気付けば二人が待つ神社まではあと少し……。





――





 下坂しもさか神社。

 俺がいた神社から歩いて十分弱の場所に位置する、雪子と桜子が待つ神社。

 下坂神社は小さな山のてっぺんに居を構える、比較的大きな神社だ。

 境内までは山肌に築かれた石段をずっと上っていく必要がある。

 その階段の前で。


「分かったわ」


 そう言って、俺に密着していた化狸は絡ませた腕を解いた。

 その表情はどこか悟っているかのよう。


「あなた達、私を封印か――消そうとしてるでしょ?」


 サーッ、と微風が吹き抜けた。

 真夏だというのにそれは嫌に冷たい。

 化狸の長い黒髪が絹糸のように流れる。

 夜の闇と、わずかばかりの暮れる夕陽、そのオレンジ。

 そして妖艶な女に化けるこの世ならざる何か。

 不思議なコントラストはまるで絵画を眺めている気分だ。


「そんな……」

「嘘はつけないのね、顔に出ているわ。優しいお方」


 俺達の作戦は悟られた。

 どうしてだ、どうすれば……。


「ここはね、私が封じ込まれた場所だから」

「そんな、あんたはあの神社に封印されたんじゃ……!」


 どういうことだ、事前情報は誤っていたということか?


「違うわ――そうね、あなたには教えてあげる。私のことを」


 化狸はそう言うと酷く寂しそうな顔をして、そして笑った。


「あなたは、あの人に似ている」


 化狸は俺に近づき、片方の手を俺の頭部にかざす。


「これは!?」


 彼女の手が俺にかざされたその時。

 目の前に突如暗幕が引かれ、まるで走馬灯のように様々な瞬間が暗闇の中を駆け巡る。


 そして俺は彼女の全てを知った。


「誰が壊したか知らないけど、あの神社の御神体が壊されたことで私を封じ込める力が弱まり、結果私はこの場所で再び目を覚ましたって訳よ」


 俺は彼女の全てを知った。

 かざされた手がゆっくりと離されると、目の前を覆った暗闇も消滅する。


「そんな……そんなことって」

「さて、それじゃ行きましょう?」


 化狸は俺に全てを伝え、まるでもう心残りはないとでも言うかの様なすっきりとした表情で石段を上って行く。


「あんた、それでいいのか!?」

「いいのよ、私がいたら困るでしょ? ふふっ、短い間だったけど楽しかったわ」


 どうしてそんな顔ができるんだ……。

 お前は人々に災厄をもたらす様な邪悪な存在じゃない!

 なのにどうして……。


 化狸は石段を上る。

 まるでそれは絞首刑者が上る13階段。

 頂上で待つのは彼女にとっての全ての終わりだ。

 唖然――固まった体を必死に動かし、俺は次第に遠くなる彼女の背を追う。





――





「龍一さん、ありがとうございます! 後は私達に任せて下さい」


 やがて俺は石段を上りきり、広い境内に入った。

 目の前には化狸の背と、彼女と対峙する雪子と桜子。


「待ってくれ、こいつは!」


 人間に災いをもたらす様な存在ではない――そう叫ぼうとした、しかし。


「いいの、ありがとう。さあ、私を消して!」


 化狸は自ら終わりを望んだのだ。

 彼女の意外なる懇願の言葉に、二人は少し呆気に取られた様にも見える。


 そして一つ風が吹き抜けて。


「分かりました。桜子、お願い」

「分かった、お姉……行くよ」


 雪子の手に掲げられるのは、いつか見た赤いカバーの本。

 桜子の手には、呪符のような紙札。


「――狗神憑きね」


 微かな化狸の呟きが風に乗り俺の耳へ届く。

 そして桜子が待つ札が光を放ち……


「狼、か?」


 光の中から神々しい狼の様な獣が姿を現わす。

 そいつは「グルルル」と猛々しい唸りを放ち、化狸に牙を剥いた――そして。


「さあ、全ての罪を祓いなさい!」


 桜子の叫びを合図に狼は解き放たれ、一直線に化狸に飛びかかる。


(お前はそれでいいのかよ)


 俺が見たあいつの全て。

 あれが真実ならば。


「駄目だ、止めろ!」


 もうどうにでもなれ。

 仕事を辞めた時点で俺の人生なんて真っ当な道から外れているんだ。

 やりたいことはやった。

 飽きるまで遊んだ、心残りはない。

 自分でも分からない。

 自然と動いた俺の体は、化狸の前に飛び込んでいた。

 目の前には猛獣。

 俺は一体、何がしたかったんだ。

 遠くで聞こえる雪子の悲鳴を最後に、俺の意識は途切れた。





――





「キヨマサ様!」

「ああ、ヤエか……すまない、俺は」

「話さないで、なんて酷い事を!」


 この光景は――俺はどこかで見た様な映像を見ている。


「俺はもう駄目だ……お前を助けられなかった、本当にすまない」

「やめて……やめて」


 流血し倒れる男と、それを介抱する女。

 流れる鮮血は止まらない。

 そして遠くからけたたましい怒号が押し寄せる。


「ヤエ、逃げろ――お前だけでも」

「そんな、あなたを置いて行けません!」


 群衆の声は地響きとなり、空気を震わせる。

 そして。


「いたぞ、化狸め! 殺せ!」


 目をぎらぎらと光らせ、手に武器を持った群衆。

 一体どちらが妖怪か、怪異か。

 群衆は暴徒と化し襲いかかる。


 悲劇の恋物語はそうして幕を閉じた。





――





「ヤエ――それがあんたの名前か」

「あなた、どうして……」


 俺は死んだ……そう思った。

 だが、どうやら変なところで運はいいらしい。

 重い瞼を開ければ、そこには倒れたらしい俺を覗く三人の顔。


「龍一さん、大丈夫ですか……!」

「馬鹿、あんた死にたいの!?」


 悲鳴にも似た二人の声。

 ギシギシと痛む上体を無理やり起こす。


「すまん」


 クラクラとする頭。


「こいつは、俺達に危害を加えたりなんかしない。あのファイルの情報は誤りだ」

「そんな、それでは龍一さんが遭遇したことは一体……」


 そうだな、あれは――何故か笑えてきて、顔が綻ぶ。


「ふっ……いや、確かにこいつは危害を加えたかもしれない。だが、人を殺めたり災厄を起こしたり、そういう意味の危害は決して加えないさ」

「意味が分からない……どうしてそんな事が言えるの!?」


 真意が分からないであろう俺の釈明を追求する桜子。


「こいつは」


 駄目だ、意外とダメージが大きかったのかもしれない。

 出血などは見られないが……朦朧とする意識。


「ただ寂しくていたずらしてただけなのさ」


 本日二度目、俺の意識は彼方へ――ブラックアウトした。





――





「それでは、化狸はその寂しさを紛らわす為に人の前に化けて出て、彼女の気にあてられた方々が気絶した――という事なんですね?」


 気付けば朝、俺は見知らぬ部屋で目を覚ます。

 見知らぬベッド、見知らぬ天井……。


「そうですね……迷惑かけてすみませんでした」


 昨晩二度目の気絶をした俺はここ――咲夜家の洋館の一室に運ばれて目を覚ましたのであった。

 そうして俺が見せられた化狸の記憶の一部始終を説明し今に至る。

 俺は今一度、あの記憶を呼び覚ます。


 昔、ある時代にあった話、よくある昔話。

 傷付いた化狸を助けた若者がいた。

 若者から助けられた化狸はみるみる内に回復し、再び野に放たれる。

 それから幾つか時が流れ、男の前に美しい女が現れる。

 断る男をよそに、女は一方的に男の畑仕事、身の回りの世話を手伝い始めた。

 最初こそ不審がった男だが、いつしか二人は共に助け合って暮らしていった。

 男は……女が助けた化狸ということに気付いていた。

 ふとした瞬間に、女が耳と尻尾を生やしている場面を盗み見てしまったのだ。

 しかし男は何も言わず、平和な時を過ごした。


 しかし束の間の平和は崩れ去る。

 ある朝、男はまるで人が変わったかのように激怒し、女を追い出した。女は男の住む村の外れまで追い立てられ、男から捨て台詞を吐かれた後、遂に村を追い出された。


 それは女を無事に村から逃がす為の男の演技だったのだ。


 化狸が未だ生き永らえ男の元に匿われているという話がどこかから漏れ出し、それは瞬く間に周辺の村中に広まったのだ。

 結果、男は化狸を匿った罰として村八分を受け、遂には激しい暴力を受けた後に命を落とす。

 男の異変を不審に思った女、化狸は再び男の元を訪れると、そこには息も絶え絶えで倒れ伏す男の姿が。

 そして近づく群衆の姿。

 やがて男は息を引き取り、女、化狸は群衆に追い回される。

 攻撃を受け弱った化狸は遂に捕まり、遠方から呼び寄せられた僧によって封印された。


「下坂神社に封印されて、念の為その神社を中心として四方に新たに神社を建てることによって封印の力を強めた――」

「その一つ、龍一さんが倒れたあの神社の御神体が壊された事によって、化狸の封印が解けたということですね?」


 封印が解かれた化狸は、男を死なせてしまった己を責めた。

 そうしてふらふらと彷徨い、寂しさを紛らわす為に人の前に化けて出て驚かせ、気絶させていたという。


「そう言えばあの化狸、その男と俺が似ているとか言ってたような……」

「容姿的なことですかね?」

「どうでしょう――あ、そうだ!」


 あの化狸はどうしたんだ?

 ここにいないあの女はあの後どうなったのか。


「お姉、学校行ってくる……って、あんた目を覚ましたんだ」


 化狸のその後を聞こうとしたが、その瞬間桜子が姿を見せる。


「うん、行ってらっしゃい」

「あんた……お姉ずっとあんたの事看てたんだから感謝しなさいよ? それじゃ」


 言うだけ言って桜子はさっさと退室して行った。

 嵐が過ぎ去り、部屋には静寂が訪れる。


「その、本当にすみません」

「いいんです、それより……」


 すると雪子は気まずそうに顔を歪ませた。


「被害者である龍一さんに無理を言ってお願いして、挙句危険な目に遭わせてしまって……本当に、私こそ本当にごめんなさい。謝って済まされることではありませんが、本当にごめんなさい。私の未熟さ、甘さ、無責任さのせいで……私の浅はかな考えで」


 ブツブツブツ……と呪詛を唱えるように延々と自分を責めたり謝罪したり繰り返す雪子。

 いけない。これは止めないと。


「雪子さんのせいじゃありません。俺の責任です。断る事だって俺はできたんです」

「でも……! 私が頭を下げて強くお願いしたせいで、断りづらくしてしまって!」

「いや、雪子さんはちゃんと言ってくれました。万が一の事があるかもしれない、そして今回の事件は他に頼りがなくて……解決の為、化狸を見つけ出して封印するにはそれしか方法がないって。その上で俺が選択した事です。雪子さんは悪くありませんよ」

「でも……本当にごめんなさい」


 まずい、これはどこかで断ち切らないと更に延々と続くやつだ。


「それじゃ……それと俺を看病して下さった事でおあいこっていうのはどうですか? これで『まーるくおさめまっせー』みたいな」

「ごめんなさい……」

「あー、そう言えば化狸はあの後どうしました?」


 話題を切り替えて雰囲気を立て直さないと。


「化狸は……逃げられちゃいました」

「そうですか」


 なんだか悪い事をしてしまった気になる。いや、実際そうしてしまったのか。


「ところであと一つ。雪子さんが持っている赤いカバーの本、あれは?」


 桜子が持っていた呪符のような紙切れ、それに雪子の赤い本……。


「あれは私の商売道具と言ったところでしょうか。あそこに現象、怪異を封じ込めるんです……封入された現象はあの中に文字となり記号となり情報化され、二度と外に出ることはできないでしょう」

「つまりあの本に現象を封印すると……妹さんが持っていたお札は?」

「あれは呪符というお守りの一つで、私達狗神憑きの咲夜家に伝わる道具です……いわゆる、妖怪などと呼ばれる現象の類にはあの札を使い、対象を弱らせ、そしてあの本に封印するんです」


 そうだったのか。


「それじゃ、雪子さんと妹さんはそれを仕事にしていると……確か超自然現象対策室、でしたっけ?」

「そうです、本部があってその下に地域ごとに支部があるんです」

「そんなに規模が大きかったんですか……ということはこの館はその支部の一つという訳ですね」


 そんな規模が大きい組織だったとは。聞いたこともないし、何か裏めいた事情があるのだろうか。

 そして狗神憑きという言葉。

 謎は深まるばかりだ。


「私達は、災いを成す全ての現象をこの世界からなくす為に活動しているんです」


 雪子は遠い目をして、複雑そうな、悲しそうな顔をして綺麗な顔を歪ませた。


「そうだったんですね……」


 掛けるべき言葉が何かあるはずだが、非力な俺にはこの場面においてそれらを思い浮かぶに至らなかった。





――





(一難あってなんか燃え尽きたよ……真っ白に)


 自室のベッドに腰掛けて、項垂れながらそんな言葉を内で呟く。


 あれから数日経った。

 咲夜家で雪子に看病してもらい、体調を持ち直した俺。

 あの時別れて以来、彼女達とは会っていない。

 二人は今頃、新たな現象とやらを解決するのに動き回っているのだろうか。

 対する俺は未だ無職のプータローで……。

 体はなんだか重い。


「仕事、探さないと」


 ふと、化狸の顔が思い出された。

 長く艶やかな黒髪、まつ毛、くっきりとした目鼻立ち。そんな容姿から時折見せる子供の様ないたずらな微笑み。


(まあ、化狸って言うくらいだから本当は禍々しく邪悪で凶暴な姿なんだろうが)


 時刻は午前11時過ぎ。寝すぎたようだ。飯を食おう。

 重い体をなんとか起こす。


「良い仕事ねぇかな」

「――その願い、叶えてあげましょうか?」


 いつの間に窓が開いていた。

 そこから生暖かい風が吹き抜け、カーテンを揺らす。

 風に揺れる長い黒髪。


「お前っ!?」

「あら、ちゃんとヤエって呼んで下さいな。キヨマサ様……ではなくて」

「龍一だ――それよりあんた、いや、ヤエ。お前」

「私は大丈夫よ、助けてくれてありがとうございます……龍一様」

「様はやめろ、俺が勝手に自己満足でしたことだ。これからどうするんだ?」


 どこからともなく現れたのは、あれ以来姿を見なかった化狸ヤエだった。初めて見た時のように、巫女服姿で頭には耳、臀部には尻尾を生やしている。


 もしや今度こそ封印されに行くのでは。


「あなたに助けてもらって、あれから私は考えた。私はキヨマサ様を失って、もうこうしてこの世界に留まっている意味も失った。だから今度こそ二度と解けないよう完全に封印されて消えたいと思ったけれど」


 外の風景に注がれたヤエの視線は、やがて俺を真っ直ぐ捉える。


「あなたがいるから、私はまだこの世界にいたいと思う。龍一様、私はこの世界に存在してもいいのかしら――?」


 期待、不安が入り混じった様な複雑な表情。


「そんなの俺は知らん」

「えっ――酷い」


 存在という事実そのものは誰にも否定なんてできない。

 どのような経緯があろうと、人であろうがそうでなかろうが、この世に生まれ落ちたその時点でそれは運命なんだ。生きることを他の誰でもない運命から既に、存在の許可を得ているのだと思う。

 だから……後はどうしようとそいつの自由だ。生きようが死のうが。


「あんたがこの世界にいたいなら、そうすればいい。生まれてきた以上はその命を無駄にするなよ。それに無駄死にしたらあんたが慕っていた男も悲しむんじゃないか? きっと」


 人に説教できる立場ではないことは分かっているし、我ながらなんてクサいことを言っているんだろう……。

 だけど――それは自分自身に言い聞かせているようにも思えた。


「ふふっ……やっぱり姿も性格もキヨマサ様にそっくり。ありがとう、大好きよ龍一様」

「やめろ、俺は妖怪みたいな奴なんかには好かれたくねぇ」

「そんな照れなくたっていいじゃない! 龍一さんっ、ヤエはいつでもお側にいますよ、ほら!」

「止めろくっつくな離れろ! 俺はキヨマサだかなんかじゃない!」

「わかってるわ――私はキヨマサ様も、龍一様もお慕いしています!」

「意味が分からん、やめろ化狸!」

「狸じゃない、ヒト科タヌキ系女子よ!」

「訳がわからん!」


 その後不審に思ったであろう母が登場した事で、ヤエは刹那の内に気付かれることなく退散した。

 母は一人で騒ぐ俺の頭を心配し「ごめんね……龍一の辛さに気付いてあげられなくて」と悲痛な面持ちで退室して行った。

 違う、誤解だ……聞いてくれ。

 帰って来てから何もかもがおかしい。





――





「もしかして、この求人って」


 そんなこんなで色々と目まぐるしいこの頃。

 俺は以前求人誌で見つけた使用人だかお手伝いのバイトに目をつけ、電話で募集し、今日現地での面接となったのだが……。


「何故気付かなかったんだ……いや、もしやとは思ったけどさ」


 求人誌に記載された住所を基に、俺は面接会場にたどり着いた。

 そう――咲夜家兼、超自然現象対策室支部となっている洋館の前に俺はいる。


「何故気付かなかった」


 何故電話で募集した時気付かなかったんだ俺!

 いや、確かにどこかで聞いた様な声だとは思ったけどさ……

 どんだけ鈍感なんだ俺は。


「何か嫌な予感がしてきた……バックレたい」


 仕事内容は炊事、洗濯、清掃とあった。そうか、こんなデカい洋館に住んでいるのは二人だけ。炊事洗濯はともかく清掃は大変だもんな、求人も出したくなるわ……どうやって許可されたのか知らないけど。

 約束を取り付けた以上破棄するわけにはいかないだろう。

 重い足取りで洋館の玄関へ向かう。

 そこには初めて浸入した時の緊張はない。代わりにあるのはまた別の方向の緊張である。

 呼び鈴らしきものは見当たらないので、ノックし、ドアノブに手をかける。


「あ、龍一さんですか? お久しぶりです、今日はどうされました?」


 あれー……この人スーツ姿の俺を面接に来た人だと思ってないよこの反応は。


 ふいに背後から声をかけられ振り向いた先には、外出から戻って来たのか白い半袖ワイシャツ、スキニータイプのジーンズ、オシャレな黒いサンダル……といった出で立ちの雪子が。


「あの、今日アルバイトの面接に応募させて頂いた神山と申します……すみません、予定の時間より早く着いてしまって」


 そういえば電話した時名字だけだけど名乗ったよ俺……名字知ってる筈だろ!

 いや、フルネーム伝えるのが常識だよな……俺とした事が!


「え、神山さんって――あーっ!」


 この人本当に気付いてなかったわ。

 俺並みの鈍感だな。


「ごめんなさい! まさか龍一さんだとは……中へどうぞ!」






――





 かくして面接は始まったのだが。


「気付けなくてごめんなさい!」


 雪子は俺に頭を下げる。

 そして頭が勢い良くそのまま机にゴチンと衝突した。


「いえ……俺も気付けなくてなんと言うか、すみません」

「あの――龍一さん!」

「はい!?」


 ぶつけたままだった頭を起こし急に声を張り上げたので、意表を突かれ驚いてしまった。

 驚いた俺に対する雪子は、至って真剣そのものだ。

 ゴクリ、と生唾を呑む。

 彼女の口からどんな言葉が発せられるのか、鼓動は高鳴り……ドクドクと今にも破裂しそうだ。


「龍一さん、もし良かったらその……危険な目に合わせてしまった私が何か言える権利はないですけど」


 またその話か。


「それはおあいこで完結した話じゃないですか……気にしないで大丈夫ですよ雪子さん」

「あ、あの――!」

「あ、はいっ!」


 数秒間か、それとも数分間か。

 何か言い淀む雪子、流れる沈黙。

 ハッ、と彼女は息を吸い込んで、そして。


「あの、もし良かったら――私の助手になって下さい!」


 ジョシュ? 外国人か――いや待てよ、何故お願いされる? 雇って下さいとお願いするのは俺の方だろうが!


「一体どういうことですか!?」

「今まで桜子となんとか二人で全てやってきたのですが……最近やけに依頼が多くて、本部も人手不足って言って補強もしてくれないんです! 龍一さんしかいないのです!」

「いや、急にそんなこと言われても」

「お願いします!」


 俺、この人に頭下げられてばっかりな気が……。

 半ば泣き顔を浮かべる雪子。


(俺は一体何がしたかったんだ?)


 何度も、何度繰り返しても答えが見つからないその問い。

 誰かの役に立てるならば……。

 俺がもしここで嫌だと断ったらどうなるだろう?


(私達は、災いを成す全ての現象をこの世界からなくす為に活動しているんです)


 そう言った際の雪子の辛そうな、苦痛を裏に秘めたような面持ち。


(俺は――俺は)


 お人好し、流されやすい、イエスマン――何とでも言え。

 俺は彼女と出会ったその時から、何か引き寄せられた、惹かれたのかもしれない。

 目の前の綺麗な顔が、苦痛や絶望で歪んで欲しくない。


「こちらこそ、その、俺なんかで良ければ……お願いします」


 ああ、言ってしまった。もう後戻りできないぞ。


 パァーッと、目の前の美女の顔が晴れていくのがわかる。

 その表情が一番似合ってるぜ――なんて大馬鹿野郎みたいなクサいセリフは言うつもりはない。


「龍一さぁぁぁん! ありがとうございますっ! ありがとうございますっ! そんな、本当ですよね、本当ですよね――!?」


 瞬間、俺の傍に来て屈み込み、両手で俺の片手を握りブンブンと振ってみせる雪子。

 散歩に行くのを察知した飼犬――と形容できるような、それ程の喜び様であった。

 自然と俺の顔も綻んでいくのが分かる。


 ああ、生きてるってこういうことだったのか……。

 今感じているこの気持ちは、仕事に追われ心をすり減らし、そしてリタイアした俺がすっかり忘れていたものだった。

 大事な物は、きっとすぐ側にだってある。

 それは遠い未来でもなく、遥か昔でもない。

 今ここに、きっとある。





――





 そうして。

 俺、神山龍一はどういう訳か超自然現象対策室の支部である咲夜組、その助手となり晴れて再就職を果たした。

 待てよ――これ、周りになんて説明すれば。


「――何ボーッとしてるのよ。お腹減ってるんだから早くお昼作ってよ、使用人神山さん」

「黙れ桜子、高二にもなって自分で飯も作れない奴が偉そうに。嫁に行けねえぞ? 男ってのは疲れて帰って来て美味い飯がある、それだけで相手が何倍も愛おしくなる。それが何だ? 日曜で休みだからってダラダラしやがって。だいたい――」

「うっさい、自分で作れるわよ! それに学校は休みだけどちゃんともう一つの仕事してるし! あんたは使用人なんだから、仕事してる私のご飯を作るのは当たり前よ!」

「使用人じゃない、助手だ」

「でも結局家事もしてるじゃない、使用人と変わりないわよ」

「うるせえ。ほら、カルボナーラだとっとと食えそして早く仕事に行け」

「やった……! 私の好物じゃないありがと大好き!」

「そのあからさまな態度は虫酸が走る」


 助手として咲夜家に仕え始めて、こうして桜子と口撃の応酬を繰り広げるくらいには慣れてきた。

 炊事、溜まった衣類等の洗濯、無駄に、本当に無駄に広い屋敷の清掃。

 俺は主夫か。

 しかし、なんだかんだやりがいを感じていなくもない。

 女子力だか主婦力がどんどん高まっていくのが最近の悩みでもある。

 やがて――一通りのルーティーンを終えて。


「雪子さん、いつもの一通り終わりました。何か手伝えることは?」

「お疲れ様です龍一さん。いえ、私の方は特にありません。ありがとうございます。桜子も丁度仕事に区切りがついて帰って来るので、夕飯にしましょうか?」

「そうですね、それでは準備します」


 対策室というのは主に個人や団体から現象、怪異の報告が入った際に、それを調査、解決するのが仕事らしい。

 現象には妖怪だの幽霊だの、はたまた都市伝説の類だとか呪いだとかその種類は様々で、解決法も違うらしい。

 だから調査から解決まで時間がかかるらしく、日によっては調査のために何時間も何日も潰すのはザラなようだ。

 助手である俺は家事の他にも、こういった対策室の仕事の手伝いを頼まれることもある。

 大変だが、前の仕事よりは心身ともに充実していると思う。


「――さん、龍一さん?」

「あ、すみません! ボーッとしてました」

「慣れない仕事でお疲れでしょう……いつもありがとうございます」

「あ、いえいえこちらこそ。再就職できて助かりました」

「あの、龍一さん」

「何でしょう?」


 雪子はちょうど本部に提出する現象の報告書を作成し終えたところだったようだ。

 紅茶を一口入れて、そして俺に尋ねる。


「一緒に夕食の準備しませんか?」

「えっ? いや、食事の準備は俺の仕事ですので」

「確かにそういう約束ですが、でも……私達に対策室の仕事があると言っても、何から何まで任せるわけにはいきません! 龍一さんが大変で申し訳ありませんし、それに手が空いてる時は自分でやらないとっ!」


 グッと、そう言って力強く拳を握る雪子。


「妹にも見習って欲しいよ。爪の垢を煎じて飲ませ――」

「はい?」

「あああ、何でもないです――本当ですか? ありがとうございます助かります」

「いえ、いつもお世話になりっ放しですから!」


 そして雪子はすっくと立ち上がり、机に置かれたシュシュを手にして、それで髪を後ろで束ね一つに結う。

 長く白みがかった、生糸のように滑らかな銀髪が一つに結わえられ、ポニーテールになる。

 露わになる珠のような白い肌、そのうなじを垣間見てピクリと鼓動が脈打つ。


「それでは私の仕事も一段落着きましたから、早速夕食の準備に取り掛かりましょう!」

「あ、は、はい!」


 雪子はやる気満々の様子で仕事部屋を出ようとした――が、いきなりくるりと踵を返した。

 顔は何故か幾分か赤いように見えて、視線もどこかおぼつかない様子だ。


「そういえば龍一さんって、桜子は名前で呼びますよね?」

「そうですね」


 桜子に「桜子ちゃん」とでも言った日には、恐らく一言「キモい、死ね」とでも罵声を浴びせてきそうで、とてもじゃないが呼び捨て以外に今のところ選択肢はない。

 咲夜じゃ雪子もそうだしな。


「だから、あの……私も名前で呼んで欲しいのです」


 いや、呼んでいるはずだ。


「あっ、その、『さん』は付けないでって意味で」


 つまり、桜子同様呼び捨てってことか。

 だけどな……なんか雪子を呼び捨てで呼ぶのは抵抗があるというか。

 あ、ここでは呼び捨てにしてるけど、心の中で言ってる言葉だからここでの呼び捨てはノーカウント――って誰に言ってんだか。


 とりあえず。


「でも、雪子さんは何か雪子さんって感じなんですよね」

「駄目です」

「え?」


 駄目って……。

 フグみたいに頬膨らませてあざとい、だがそこがかわいい。あざとかわいい――じゃなくて、何言ってるんだ俺は。

 だけどこの人の場合は絶対腹黒いとかじゃなくて素でやってるよ。

 俺の声も名字も忘れる人だからな、人の事言えないけど。


「どうしても駄目ですか?」

「駄目です、怒ります」

「それじゃー『ユキ』とかそーゆーあだ名は?」

「それも良いですけど……やっぱり名前でお願いします。それから龍一さんは私より何歳か歳上なんですから、敬語も駄目です」


 注文が増えた……これはどんどん増える前に腹をくくるしかないな。

 覚悟を決めろ。


「それじゃ……ゆき、こ」

「もう一度お願いします!」

「う……ゆきこ」

「もう一回」

「雪子!」

「はい、龍一さん!」


 何これ罰ゲーム?


「雪子、早く夕食の準備しようぜ?」

「はい、今日は何にしましょうか――!」


 雪子は凄くご機嫌良さげだ。

 尻尾が生えていたらきっとはち切れんばかり振っているだろう。





――





「はぁ……疲れた」


 帰宅一番、自室のベッドに倒れこむ。

 疲れた。しかしその疲れは身体が解れるような、軽く運動した後のような心地よいもの。

 前の仕事とはえらく違う。

 雪子から「部屋はいらないほど余っているから好きに使って、なんなら住んでも構わない」とまで言われているが、今のところはなんとなく勤務終了後は帰宅している。


「俺、これでいいんだよな?」


 問いの答えは返って来ることはない。


「――良かったわね、願いが叶って」


 返って来ることはない、返って来ることは――


「化狸、帰れ」

「もう龍一様ったら、照れなくてもいいのに」

「俺はもう疲れてるんだ、かまってる余裕はない」


 どうやって浸入したのか、ベッドの端にちゃっかり腰掛ける化狸ヤエ。


「夜はこれからよ?」

「うるさい」

「そうだ、今日面白い事があってね――」

「うるはい」


 心地よい疲れが心地よい睡魔を呼び、そして俺を眠りへと誘う。


「うるはぁい」

「私まだ何も言ってないけれど」

「そうだ……ヤエ」

「どうしたの、龍一様」

「雪子達……お前が悪さしないなら見逃してやるってよ」

「ふふっ、やっぱり龍一様が大好きです」

「うるさ――」


 今日の睡魔はやけにいつもより心地よく、快適で、それでいて温かい。

 遠くなる意識の中、ヤエが静かに歌を口ずさんでいるのがわかる。

 それは俺を更に夢の世界へと誘い――って、何で今時のバラード曲知ってんのお前。


 この世界は、どうやらまだまだ捨てたものではないらしい。

 一時はレールから外れた。

 しかしそれは永遠に続く脱線ではなく、別の道に移る為の新たなレールに乗り換えただけなのである。

 焦っていては気付かないものもある。

 大事な事は、遠くにもあり、近くにもある。

 まだまだ未来も何もかも分かったもんじゃないが、希望を捨てるには早すぎるだろう。

 なら、焦らず行く事にする。

 そうすれば、何かが変わるきっかけは案外近くにあることに気づくのかもしれない。


 もしかしたら、ヤエが俺の願いを叶えてくれたのか?

 今となって、そんな風にも思えたのであった。





――





「おはよ、使用人龍一」

「おはようございます、龍一さん!」

「おはよう、桜子に雪子。朝食出来てるぞ」


 超自然現象対策室、咲夜組、助手神山龍一の朝は早い。

 外見はまるで廃墟そのものな洋館の施錠を合鍵で解き、キッチンへ向かい、そして雪子と桜子に朝食を作り一日が始まる。


「そういえば、龍一さんがここに来て下さって今日で一ヶ月ですね!」

「お、そんな経ったのか……早いなー」

「これからも益々精進しなさい? 下僕」

「下僕とは何だ小娘。あー、今日給料日だし夕飯は奮発しようかなと思ってたのになー、誠に残念だ」

「嘘よっ、龍一お兄ちゃん大好き!」

「キモッ」

「お、お兄さん――? お兄様!」

「雪子まで!?」


 一体俺は何がしたかったんだ?

 その問いの答えは未だに見つからないけれど、まあそれでもいいかとさえ今は思っている。

 何がしたいのか、何をするのか――そんなもん分からないが、だけどそれを探すことが、今はとても楽しい。





 

 第一章 終






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