第一章 A
不定期更新
初投稿の為至らない点が多々あるかと思いますがどうかよろしくお願いします
勤務歴三年ほどで、俺は仕事を辞めた。
思えば俺なりに必死にやって来たと思う。中流の大学に入学し、何社にも落とされる中めげずに就活を続けようやく内定を勝ち取った。
不動産業――それが俺の就いた仕事だった。
今思えば何故俺があの仕事をしていたか分からない。
俺は一体、何がしたかったんだ?
深夜までなど当たり前な残業。ようやく帰宅してもやることは寝るだけ。そうして翌日も朝早く出社し、モデルルームだのなんだのを売る為に必死に営業に回る。数少ない休みは不定期で、それすら潰れる日も多くあった。
最初は契約を取った時にやり甲斐を感じた。今までの苦労が報われた、と。
しかしそんな喜びはすぐに次の業務の数々に打ち消される。
そうしていくうちに心は確実に磨耗し、すり減っていった。
俺が弱い事はわかっている。
小、中、高、大学とずっと運動部でやってきた。だから精神的にも肉体的にも自分は周りより幾分かは強い自信があった。
ただ、それはちっぽけなプライドだったわけだ。
俺なんかよりキツい思いをしながら仕事をしている人だっているだろう。むしろそれが圧倒的だ。多数派だ。
そんな中、俺はこうして仕事を辞め、社会のレールから逸脱したのである。
もうやけクソだった。
気付いたら辞意を表明し、退職届を出し、それら諸々の手続きを済ませ退社していた。
それからは少しの解放感に胸を躍らせ、普段ならできない事をやっていた。
ギャンブルや酒、買い物、テレビゲーム、周辺や遠くへ旅もした。
しかしそれら全て出尽くすと、今度は不安や焦燥に駆られる。
俺はこんな事をしていていいのか? 仕事は? 未来は?
幸い前職の給料の貯金がまだ残っている。
しかしいつまでもこんな生活をするわけにはいかないことは重々わかっていたのだ。
そこで俺は地元に帰ることにした。もうこんな都会にいる理由もない。何故かここでまた別の仕事をする気には未だになれなかった。
――
「これでよし、と」
予め借り部屋の家具、荷物等は引越し屋に運搬してもらった。
部屋の解約その他諸々も済ませた所だ。
後は地元に帰るだけ。
俺は駅を乗り継ぎ、新幹線に乗車して、片道3時間程かけ帰省したのであった。
――
「帰って来たのはいいが、何もすることねぇ……」
それから数日経ち、俺は見事なまでの穀潰しと成り果てている。
実家に帰って来て、まずは両親に仕事を辞めた訳を説明した。
二人は苦い顔をしながらも、俺の身を案じていたのか何も言わなかった。てっきり怒鳴り散らされるかとばかり思っていた俺は、なんだか申し訳ない気持ちで一杯になった。
そうして――時間だけが流れる。
「暑いな……」
真夏の炎天下。
なんだか最近やけに独り言が増えた気がする。
今日は職業安定所に来ていた。
しかしどうもまだ働く気にはなれない。自分が怠け者の底辺なのはわかっている。しかし興味を惹かれる求人がなかったのだ。
選ばなければ、何かしら仕事はある。
だが本当にそれでいいのか?
またあんな仕事場だったら?
地元は中々の田舎。選ばなければあると言っても、その総体的な数は都会のものと比べれば圧倒的に少ない。
はぁ、と一つため息をつく。
両親にこの事を帰って話せば、またあの苦い顔をされそうで、それを想像するとなんともいたたまれなくなった。
「なんだか帰りたくねぇな」
高校時代に通学用に使っていたバイクにまたがる。
時刻は正午を回っていた。
「寄り道でもしてくか」
なんだかまだ帰りたくはなかったので、道草を食うことにした。
――
ここが小学。
ここが中学。高校は隣町だから……。
何故か感傷的な気分になり、俺は自分が生きてきた道を回顧するように地元を周っていた。
思い出すのは学生時代、級友達の顔、部活での思い出など。
あの頃は良かった。
世間体など気にせずに、目の前の事に取り組んでいれば良かったし、それが楽しかった。
恋愛、部活、勉強。
その全てが今となっては懐かしい。
遠く、記憶の片隅に置かれたセピア色の瞬間たち。
それは今になって俺の中で再び輝きを放っては、胸を締め付ける。
「帰るか」
やがてコンビニに着いて一服する。
煙草をふかしながら、家に帰ると一つ決心した。
そうしてバイクにまたがり、キーを回しエンジンをかけて発進する。
――
そういえば――バイクを走らせながら、俺は未だ追憶の中にいた。
「見えた」
国道を上って行くと、彼方に見える小高い丘陵地のてっぺんに洋館がチラリと顔を出す。
「どうせ帰っても暇だしな」
追憶は今、中学時代に遡っている。
心霊スポット、いわゆるどこにでもある噂だ。
あれは確か夏休み、地元の仲間達と肝試しに行った時の話。
あの彼方に見える洋館に俺達は夜中突入した。
いや、突入と言うのは語弊があるかもしれない。何故なら中には入っていないのだ。不気味に佇む洋館を前にして俺達は怖気付き、遂に引き返したのである。
(行ってみるか?)
高鳴る鼓動。冒険心がくすぐられる。どうせ帰っても暇なのだ。それにまだ十五時を回ったところで、家族に心配をかけることもない。
なんだか少年の頃に戻ったような気分で、俺は洋館へ向けバイクを走らせた。
――
「あった」
林に覆われた道を上って行くと、やがて拓けた頂上に到着する。
頂上までは舗装された道を行けばいいだけなので、簡単に来ることができた。あの頃と変わりない状態で、あの夜の記憶がフラッシュバックする。
「相変わらずデカイな」
西洋風の広大な館。
あの頃と変わらず、不気味な雰囲気を纏って鎮座している。
ホラー映画の舞台と言われても何ら違和感はない。
バイクを止め洋館の入り口前に立つ。思わず見上げると、その大きさ、異質さを改めて実感できた。
建物自体は年季が入り、とても誰かが住んでいるようには見えないし、そうであるようなことは聞いたこともない。
「廃墟、なんだよな?」
建物自体には人が住んでいなくても、誰かの管理下にあるかもしれない。
もしそのような状態だった場合、許可なく立ち入れば法を犯すことになるのだ。
しかし……。
「どうせただの廃墟だ」
俺の中の冒険心が勝り、その危惧を彼方に押しやる。
お邪魔します、と心の中で唱え、古びた重い扉のノブに手をかける。
「スゲーな……」
施錠はされていなかった。
恐る恐る扉を開いていき、遂に俺は洋館内に足を踏み入れる。
そして辺りを見渡してみた。
もしや誰か住んでいるのか? いや、そんなはずは……。
洋館の外見は寂しく、すすけて、ジメジメとして陰鬱。人がいるはずがない。
(ならば、これは何だ?)
外見とは真逆の洋館内。大理石の床は新品のようにピカピカで、誰かが数時間前にワックスでもかけたのかと思わせるくらいに、見たところチリ一つ落ちていないし、輝きを放っている。
エントランスはただっ広く、正面には階段。俺が立つ入り口から階段の最上まではいかにも高価そうなレッドカーペットが引かれている。
そしてフロアには何個かの扉。
もし誰かがいるならば、俺はただの不法侵入者だ。
しかし冒険心に煽られた俺は、自然と足を一番手前の部屋に向け進めていた。
ギギギ――重苦しい音を立てて扉が開く。
「ここは?」
自分から見て左側、一番近くにあった部屋に入る。
縦に長いテーブルが端から端までずっと続き、その前には幾つもの椅子が不気味な程にズレ一つなく整然と並べられている。
「食堂か何かか?」
まるで洋画で見たような富豪の豪邸にある食堂を連想させる。
長いテーブルには真白なテーブルクロスが敷かれていて、そこには皺や汚れは一つもない。
本当に誰かが住んでいるんじゃ。
今のところ人の気配はまるで感じない。しかし内部の様子は廃墟とは考えられないほどに整い過ぎている。
家主はただ外出していただけだったら?
遅すぎるが、ここに来て初めて後悔の念が湧く。
「さっさと出よう……」
本当は廃墟なんかじゃなくて、誰かが住んでいるか管理下にあるんだ。
通報されたらたまったもんじゃない
懺悔の念に駆られ、さっさと洋館を出ようと踵を返した。
やっちまった――その瞬間であった。
食堂らしき部屋、俺が入ってきた目の前の扉が開いたのだ。
ギギギ――軋む音を立て開かれた扉。
無職になり、加えて俺は前科者に成り果てるのか。
何度も己に叱責、罵倒を浴びせるが、それも今となっては後の祭り。
俺の馬鹿野郎。
遂に扉は全て開かれた。
そこに立っていた者は……。
「こんにちは――何か御依頼ですか?」
妖艶な美女の銀髪がサラリと揺れた。
――
「何か御依頼ですか?」
妖しげな微笑を貼り付けたまま、銀髪の美女は俺に問いかけた。
(幽霊か?)
無礼甚だしいが、思わずそう感じてしまった。
スラリと伸びた背丈、手足。
白いワンピースに薄手のカーディガンを羽織る真っ直ぐなロングヘアー、銀髪の女。
銀髪と言ってもそれは白みがかっていて、新雪のような儚さを感じさせる。
瞳は淡い朱色がかっている。
その浮世離れしたおぼろげな妖艶さに、この世ならざる何かを感じたのだ。
「あ、あ……」
開いた口が塞がらない。
声にならない声が出るのみ。
依頼って?
不法侵入した俺を咎めないのか?
「あ……あ」
開いた口を必死に動かし、言葉にしようとする。
「――ご、ごめんなさい!」
殺されるとさえ思った。
だから最初に発したのは謝罪の言葉だったのである。
「はい? 御依頼があってここに来られたのでは?」
頭を垂れる俺の頭上から、涼やかな声が降り注ぐ。
(だから、依頼って何だ!?)
ここは正直に訳を話した方がいいだろう。それ相応の罪を犯したのだから。俺が全てにおいて悪い。
ゆっくりと頭を起こし、俺は正面の女を見据える。
淡い朱色の瞳に吸い込まれそうになるが、なんとか邪念を振り切り、俺は誠心誠意で訳を話した。
――
「――なるほど。そうだったのですか」
通報されると思った。いや、そうされるのが至って自然な流れだろう。
だが、女は声を荒げるような素振り一つ見せずに、涼しい微笑を浮かべている。
「確かに、廃墟と思われても仕方ありませんね。しょうがないと思います」
そうして俺を責めないどころか、同情さえしているのである。
「本当にすみませんでした」
今となっては後悔や申し訳なさで胸が一杯だ。
二十代半ばにして、一時の激情に身を任せるのは危険だとようやく学んだ情けない自分。
「確かにそれは悪い事ですが、管理が不届きだった私共にも非はありますので、おあいこということでどうでしょうか? 許します」
そして俺の罪を赦す女。
一体何者だ?
失礼にもそんな事を思ってしまい、目の前の女に釘付けになる。
「外装もリフォームする必要がありますね……」
俺の視線を気にする様子などまるでなく、女は独り言を何かブツブツと呟く。
それから……。
「なんだか、不法侵入者の俺に茶まで出して頂いて……本当に申し訳ないです……」
どういう流れか、俺はいつの間にか長いテーブルの片隅に座り、高級そうな紅茶を啜っている。
「それはもういいのです。ここで会ったのも何かの縁ですし」
そうして女は俺の正面に同じように腰掛け、紅茶を口に含む。
女の器の大きさに度肝を抜かれた。
そして俺がもし泥棒だったらどうするのかと、逆に女の身を案じる。
「今日も暑いですね」
幾ばくかの沈黙の後、女は世間話を始める始末。
彼女の特殊な雰囲気にあてられたのか、ゆったりとしたペースに乗せられて、俺も自然と口を開いていた。
――
「そうですか。仕事をお辞めになられて、ご実家があるこの地へ帰省なされたと」
自分でも分からない。女の不思議な雰囲気やペースに導かれるように、俺はある事ない事を次々と捲し立てていた。我ながらなんと情けない事か。
「お気持ち、お察しします」
なんだか泣きたくなってきた。
なんと弱い人間だろう。
「私はここに数年前に移り住んで来たのです」
ゆっくりと、女は虚空を眺めながら語り始める。
「ここに来る前は私も仕事がなくて、途方に暮れていました」
どうやら昔からこの洋館に住んでいた訳ではないらしい。
「今は何をされているんですか?」
「それは――」
そこで女の表情に少し影が落ちたように見えた。
何か人に言えない都合でもあるのだろうか?
「あ、すみません。話せないことなら大丈夫です……厚かましくしてすみません」
「あ、いえ! 全然大丈夫です」
少し間が空いてから、やがて女は気恥ずかしそうにしながら言葉を紡ぎ出した。
「今は、小説とかエッセイとか、レポートを書いてます」
小説家なのか?
「凄いですね! どんな本を?」
「主に怖い話とか、伝承に関する個人的見解とか、そういう話を書いています……」
俯きがちにもごもごと呟く女。
ホラー小説を書いているのか?
「何て本を? 読んでみたいです」
生まれてこの方読書とは無縁な人生を送って来たが、純粋に尊敬の念が湧いて、興味も湧いた。
「それは――」
幾つか著書のタイトルを女は口にする。それを取りこぼさないよう頭の片隅にインプットさせた。
――
真っ赤な西日が窓を通して部屋に降り注ぐ。
「今日はありがとうございました。身内以外とお話しするのは久しぶりで、なんだか凄く楽しかったです」
「いえ、こちらこそ勝手に家に入り、無礼を働き本当に申し訳ありませんでした……」
あれから話が思いのほか膨らみ、盛り上がった。気づけば部屋に置いてある高そうな古時計は十八時過ぎを差している。
真夏は日も伸びて、真っ赤な西日はさんさんと燃え盛る。
二時間を過ぎる間ここで話していたのか。
時間はあっという間に過ぎたが、俺達はそんな長い間とりとめのない話をしていたのだ。
「じゃあ、本当にすみませんでした……俺はこれで失礼します」
夕餉の時間も近い。これ以上長居するのは迷惑だし、家族も心配するだろう。
「もうその事についてはいいのです。私のような者と話して下さりありがとうございました」
「いえいえ……こちらこそ」
そして俺は洋館の入り口を抜け、外に出る。
玄関まで見送ってくれた女を背にして、バイクにキーを挿す。
「あ、そういえば――」
そこで女の声が背後から押し寄せ、俺はそちらへ振り向く。
「今更ですが、お名前聞いていませんでした」
そうだった。
色々とどたばたがあって、何故か最初に交わされるであろうやり取りを俺達は忘れていたのだ。
「神山龍一です」
「龍一さんですね……」
女は俺の名前を噛みしめるように何回か小さく呟いたように見える。
そして……。
「私は、咲夜雪子です」
咲夜雪子。
それは彼女が醸し出す雰囲気にぴったりな、美しい名前だった。
「龍一さん、またいつでもここへお越し下さい。色々なお話を聞かせて下さい」
バイクのエンジンをかけて、俺は洋館を後にする。
女、雪子のその言葉は単なる社交辞令だけではなく、彼女の願望も幾らか含まれているようにも思えた。
不法侵入がもたらした奇妙な出会いは、俺をさらなる奇怪な世界へ誘うキッカケであったことにその時は気付きもしなかった。