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カツ丼

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。

・昔からのご愛顧、ありがとうございます。


以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。

文字通りの意味で命を懸けた戦いの、最初の日。

「まあ心配するこたぁねえよ。特別に許可が出た。お前さんが今まで使ってた武器、そのまんま使って良いとよ」

しわくちゃの歯が欠けた隻眼の老人……邪神戦争時代の生き残りであろう魔族の世話役が、ライオネルに残った方の目を細めて言った。

「いやあ今の魔王様はお優しいよなあ。お前を買ったのときっかり同じ金貨1万。お前さんが払えるなら解放するってよぉ。

 しかもお前さん、期待の新人ってことで勝った場合の賞金もでかい。見事勝ったら今日1日で金貨100枚だ。

 本当にうらやましいよ」

(よく言うぜ。んなこと、微塵も思っちゃいないだろうに)

自分を見る目に、これから死にに行くものへの哀れみが宿っているのを見て取り、ライオネルはいらつく。

「じゃあ、頑張れよ。試合は昼からだ……出来るだけ、死なないようにな」

それだけ言って、老人は控え室から出て行き、ライオネルはただ1人部屋に残された。


―――何故、こんなことになったのだろう?


世話役の老人が去り、血の匂いがほのかに漂う薄暗い部屋の中で、首元に不快な金属の感触を感じながら、ライオネルは何度目になるか分からぬ自問自答を行っていた。

ほんの半月前まで、ライオネルの人生は大いに充実していた。

古き良き時代の魔族らしい暮らしを楽しんでいた。

だが今はこうして薄暗い部屋の中で、逃亡防止用の呪いの首輪をつけられ、死の運命が訪れるのをじっと待っている。


後100年、否、50年生まれるのが早ければ魔族の指導者たる『魔王』の一角にすらなれたと言われるほど強い邪神の加護を受けて、ライオネルは生まれた。

全身を覆うは鋼のごとき筋肉と、堅い剛毛、その顔は王たる風格を備えた獅子。

その咆哮は小動物くらいならば即死させるほどの威力を持ち、その怪力はライオネルより大きな岩を軽々と投げ飛ばせるほど。

ただひたすらに丈夫に作れと言って鍛冶屋に打たせた、刃もロクについていない特注の巨大ななまくらは、ライオネルが振るえば鋼鉄の鎧に身を包んだ騎士をたやすく両断した。


ライオネルは、戦うために生まれてきたような男であった。

そんな男であったからこそ、ライオネルは当然のように戦いに身を投じた。

戦があれば戦況を左右するほどに有力な傭兵として。

戦が無ければ出会ったものは必ず死ぬとまで恐れられる山賊としてひたすらに剣を振るい続けた。

幾人もの胸が大きい魔族女を侍らせ、ライオネルの強さに憧れた魔族や人間を迎え入れて一級の怪物として過ごす日々。


―――そんな日々は、ある日たやすく終わりを告げた。


「へへっ……どうだい?おいらの自慢の一撃は?動けないだろ?

 こう見えても剣には自信があるんだ。腕の剣も、股間の剣もね」

地面に倒れ伏したライオネルに、鈴を転がすような綺麗な声で、下品な言葉がかけられる。


わけが分からなかった。

確かに自分はただの一撃もかすらせることすらできず、逆に針のように細い剣で、ただ一撃、攻撃を受けた。

たったそれだけで、首から下が石になったように動かず、ライオネルは地面に倒れ伏した。

「安心しなよ。死にゃあしない。3日もすりゃあ嘘みたいに動けるようになる。あんたの手下もそうだ。

 ……そうなるようにぶっ刺したからね」

もはや動くものがそれ以外に居なくなった元戦場で、それはライオネルに延々と話しかける。

「雇い主との契約でさ。取り分はあんた等の持ち物と身体売っぱらった金の3割って約束なんだ。

 死なれたら、その分取り分が減っちまう。そういうわけだから、運が悪かったね」

何とか動く首から上を上げて、ライオネルはぺらぺらと喋るそれを見る。

……形だけはハーフエルフの、化け物を。

「でもアンタ、この時代に生まれて正解だったよ。本当に噂どおりの実力だった。

 あと50年早く生まれてたらきっと魔王になってたね。んで、ヨミの奴にぶっ殺されてた」

それは、人間離れした整った容姿を持つ、まだ男と呼ぶには若すぎる少年のようであり、まだ女として花開いていない少女のような存在だった。

そしてその瞳には、無垢で残酷な子供の目の光と老獪で冷酷な老人の目の光が混在していた。

「後で自慢すると良いよ。『おいらは昔、あのアレクサンデルと戦って生き残ったんだぞ』ってね。

 ……生きてるうちにか、死んでからかはおいらも知らないけどさ」

……己をかつて、各地で魔族を束ねていた魔王たちを殺してまわり、ついには邪神すら殺して見せた『四英雄』の1人であると名乗る化け物は目配せをして、化け物の一方的な戦いを呆然と眺めていたライオネルたちを運ぶようにつれてこられた運び屋たちを促す。

「ば、化け物が……」

ライオネルの喉から搾り出された声に宿るのは、まごう事なき恐怖。

ライオネルはその日、生まれて初めて恐怖を感じていた。

100年以上もの歳月を戦場で過ごし、剣を極めたと言う、自分より遥かに恐ろしい存在とであったがために。

「―――はは?化け物だって?」

その言葉に、化け物は軽く笑い、言う。

「おいら程度じゃ化け物だなんて言えないよ。せめてヨミくらい強くないと」

それだけ言うと、化け物は今まで溜め込んだお宝が置かれたライオネルのねぐらへと向かい、ライオネルは数人がかりで馬車に積み込まれた。


それから、ライオネルの人生は今まで歩んできたものからは大きく様変わりすることになる。

魔族の都である魔都で、手下ともども奴隷として売り払われたライオネルには金貨で1万枚と言う、とてつもない値段がついた。


ライオネルを買ったのはいまやこの世界で唯一の魔族の都を支配する魔王の一族。

力で勝ち取った地位ではなく、悪夢のような4人の英雄(あんさつしゃ)に殺される前に戦争が終わって生き延びた魔王の血を引いているというだけの、戦いの経験すらロクに無い連中。

戦争の後、若く新しい国……帝国の下につくことで魔族の暮らすための地を確保する道を選んだ帝国には数えるほどしかいない高位の貴族。


力ではなく、帝国の法と知恵で魔族を統率する道を選んだ彼等は、己が領内で悪逆非道を尽くしたライオネルを『見せしめ』に使うことにした。

かつて、魔族が力を最も尊んだ時代の名残りであり、今なお血みどろの娯楽が楽しめる闘技場に剣闘奴隷として送り込んだのだ。

無論、それだけならばライオネルにも生き延びる道はあっただろう。

ライオネルに勝てるモノなど、人間や魔族にはまずいない。

……問題はそれを向こうも分かっていたことである。

(マンティコア、か……)

相手は魔王たるに相応しい魔力を持っていた魔王が特殊な魔術を用いて服従させた戦争の頃の戦力の一端……

冒険者のパーティーや小国の騎士団程度ならば壊滅させうるほどの実力を持つ高位の魔物。

普通に考えれば如何にライオネルが強くとも単独で倒すのは不可能に近い。それに……

(……勝てんのか?あんなのに負けちまうような俺に)

こんなことになった原因……人生でただ1度の、絶対なる敗北の苦味がライオネルの口の中に蘇る。

かつて、ライオネルは信じていた。自分は強いと。魔王殺しの四英雄であろうと敵では無いと。


だが今は……信じきれない。


手を握り締める。負けること、死ぬことへの恐怖を捨て去るために。

(……っち。行くか……)

立ち上がり、処刑場へと向かう罪人の顔で愛用していた剣を持ち上げた、そのときだった。

「……なんだぁ?こりゃ」

人間の背丈ほどもあるなまくらの後ろには、扉が隠されていた。

石造りの粗末な部屋には場違いな、手入れの行き届いた、黒い、木で出来た扉。

扉に描かれた猫の絵がじっとライオネルを見つめ返していた。

「なんだってこんなとこに扉がありやがんだ?」

ライオネルは後ろを……先程老人が出て行った頑丈な鉄の扉を見る。

ライオネルのような剣闘奴隷の逃亡を防ぐために闘技場の壁はすべて石で、扉は鋼鉄だったはず。

明らかに、異常な代物だった。

「……まあいいさ。どうせ長くはねえ」

ため息を一つつき、ライオネルはやけっぱちでその扉の黄金色をした真鍮製の取っ手に手を掛ける。


チリンチリンと軽やかな音を立てて、鍵のかかっていない扉が開く。

「おう。いらっしゃい……」

パッと広がる、明るい部屋に目がくらみ、ライオネルは思わず目をつぶった。

「珍しいな。今日だけで2人も新しい客が来るなんて」

その声に目を開き、前を見る。

「おうジジイ。なんだここは? 」

前に立っていたのは、人間のジジイだった。

短く切りそろえられた髪も綺麗に整えられた髭も白いが、体つきは歳の割にしっかりしている。

「なんでえ。今度の客は随分ご挨拶だな」

ライオネルの言葉にも、ジジイは気にした様子も無く笑いながら答える。

「ここは洋食のねこやっつうメシ屋さ。お前さんから見ると、別の世界にある、な」

いつものように、ここがなんたるかを、この店の店主として。

「……メシ屋? 」

なんで闘技場にそんなもんがある、と言った顔でライオネルは店の中を見る。


店は閑散としていた。

今いるのは何か茶色い物を食いながら硝子の杯で酒を飲む魔導師らしき老人と、なにやら凄い勢いで茶色い泥のようなものが掛けられた料理を食う、中年の男がいるのみ。

「……あんま流行ってるようには見えねえな」

「だよなあ」

ライオネルの率直な物言いにも動じず、店主は笑う。

「ま、向こうに開いてる入り口がまだまだ少ないらしいからしゃあねえわな」

「入り口?……あの扉のことか」

後ろを振り返り、つい先ほど自分がくぐった扉を見る。

よくよく見てみれば黒い木の扉の上の部分に猫をかたどった鈴がつけられている。

恐らくはそれがこの自称異世界のメシ屋と闘技場をつないだのであろう。

「で、どうだい?なんか食ってかないか?金が無いならツケでもいいぜ? 」

人懐こく、店主が尋ねてくる。

「そうか……そうだな。じゃあなんか食わせてくれ。金はねえけどな」

ライオネルは店主の好意にあやかることにした。

考えてみればアレに負けてからはロクなものを食ってないことを思い出し、今更ながら腹がへっていることも一緒に思い出す。

「で、何がうまいんだ?この店には? 」

最後の食事になるかもしれないものだ。どうせならまともなものを食いたい。肉があれば完璧だ。

そんなことを考えながら、尋ねる。

「そりゃあおめえ、うちはなんでもあるし、なんでもうめえよ。

 ……ってなわけで、食いたいもんがあれば遠慮なく言ってくれ。うちの料理はアンタらに説明するのはちょいと難しくてな」

その問いかけにからからと笑いながら店主が言う。

「……なるほどな」

その言葉にライオネルは別の卓で凄い勢いで飯を食っている客を見る。

「店主、このカレーライスとやら!もう1皿くれ! 」

絶妙のタイミングで皿を空にした男が求める『カレーライス』とか言う料理。

白いなにかに茶色いなにかをぶっ掛けたそれがどんな料理なのか、ライオネルには見当もつかない。

「はいよ。ちょっとだけ待っててくれ!この人の注文聞いたらすぐに行くからよ」

魔族であり、明らかに異形である自分に対して恐れるそぶりすら見せず、店主は男に返す。

人間だが、悪い男ではなかろう。

ライオネルはそう思いながら、店主に注文を告げる。

「とりあえず、なんか肉を食いてえ……あと」

ごくりと唾を飲み、思いついた注文を告げる。

「戦いに勝てそうな……いや、なんでもねえ」

ふっと漏れ出した自分の弱気にあきれ返りながら、注文を取り消す。

「おう。任せとけ」

だが、店主はばっちりと言った様子で笑いながら頷く。

「……あんのかよ」

「こじつけ半分だけどな」

ライオネルの驚いた顔にも動じず、店主は涼しい顔で返す。

「んじゃあちょっと待っててくれ。カレー出したらすぐに作ってやっからよ」

それだけ言って意気揚々と奥にあるのであろう厨房へと引き上げていく。

「……なんなんだこの店? 」

そして後には、呆然とした顔のライオネルが残された。


それからしばし。

ようやく店主が、それを盆の上に載せて持ってくる。

「ほれ。出来たぞ」

そういいながら店主が黄色い野菜の切れ端と器に盛られたなにやら茶色いスープ共にそっとライオネルの前に置いたのは、青と白の縦縞模様の陶器の器。

上には同じ柄の蓋が被せられており中に入っている料理がなんなのかは分からない。

「……こいつは?」

「おう。カツ丼だ」

ライオネルの問いかけに返ってきたのは、聞いたことの無い食べ物の名。

「カツドン? 」

「そう、カツ丼」

店主がもう一度その名前を言うと、その意味を説明する。

「カツってのはな、俺たちの国の言葉で『勝つ』……『勝利』って意味がある。

 材料は肉と卵にメシで栄養満点だしな。戦う男のメシっつったらやっぱこれだろ」

そう言って店主がそっと蓋を取る。

「おう……」

辺りに漂う香ばしく、甘い香りにライオネルは思わず声を漏らした。

蓋を取られた器から現れるのは、鮮やかに明るい茶色と、卵の黄色と白が交じり合った食欲をそそる色合い。

ぐるぐると、奴隷になってからはロクなものを入れていない胃袋が咆哮を上げる。

「そいじゃあごゆっくり」

それだけ言って、店主は別の卓にたまった洗い物を引き上げ、奥へと引っ込む。

「……よし、食うか」

ごくりと唾を飲み、ライオネルはフォークを手にする。

「まずは……肉だな」

ライオネルの手には随分と小さいフォークでそっと肉を刺し、盛り上げる。

そうすると先程からしていた『カツドン』の匂いが鼻に更に近づいて、強くなる。

「よし……」

ごくりと唾を飲み、ライオネルは何かに包まれ、卵で閉じられたそれを口に運び……思わず、咆哮を上げそうになった。


美味かった。それまでに食べたどんなものよりも。

まず感じるのは、ほんのりと甘い、ライオネルの知らない何かで味付けされた卵と持ち上げるまで気づかなかった、下に敷かれたオラニエの味。

それが肉を包んでいる衣から染み出した汁と交じり合い、口の中に甘く広がる。

そこに間髪いれずに肉。

汁を吸いながらも少しだけさくりとした食感を残した肉は上質な豚肉を使っているらしく、噛み締めると柔らかくほどけていく。

途端にあふれ出す、肉汁と脂。

それが先程の衣と合わさると、素晴らしい味となる。


「うん?下に……」

その味に大いに促され、もう1切れ取ろうとしたライオネルはそれに気づく。

先程の素晴らしい肉の下に、何かが敷かれていると。

「こりゃなんだ? 」

それは、ライオネルの見たことが無い代物であった。

上に置かれた肉からあふれ出した汁で淡い茶色に染まった、元は白いのであろう小さな粒。

どうやらこの器の大半はそれで為されているらしく、肉の下にはそれが詰まっている。

「そういやああのジジイが言ってたな……メシってやつか」

先程の店主の言葉を思い出しながら、フォークでそれを掬い上げる。

異世界の、火を使わぬ魔法の光に照らされて、白と茶色が入り混じった姿を見せるメシ。

それを口に運ぶ。

(なるほどな……まあまあか)

それを咀嚼しながら、味を確かめる。

どうやらそれ自体はほとんど味がついていないようだ。

上の肉からこぼれた汁の味を吸ってそれはそれで美味だが……物足りない。

(ようするに水増しってことか?……まてよ)

ふと、それに気づいて、もう1人の客を見る。

先程から凄い勢いで『カレーライス』とやらをがっつく中年の男。

身なりは嵐にでもあったかのようにズタボロになっているが、元の仕立てからすると相当なお貴族様……

筋肉のつき方からして相当な腕前の騎士であろう男。

その男が食っているカレーライスにもメシが使われている。

男はそれを上に掛けられた汁と共に口に運ぶことで実に美味そうに食っている。

それを見て、ライオネルは思い付きを試してみることにする。


上に乗った肉と、下に敷かれたメシ。

それを同時に持ち上げて……一度に口の中に放り込む。


「おおおおお! 」


今度は思わず咆哮を上げた。

当たりであった。両方を同時に食べることで肉とメシが交じり合い、素晴らしい味となった。

(いや、これは元々そういう料理か!)

さっきは気づかなかったが肉だけでは味が濃い。

メシだけでは逆に薄すぎる。


そして、肉とメシを同時に食ったとき、この料理は最高の味になる。

もはやライオネルに迷いは無かった。


たとえ無作法と言われてもかまわぬとばかりに器を持ち上げて、直接口をつける。

そしてフォークで流し込むように大きく開けた口に運ぶ。

(うめえええええええ! )

口の中に怒涛の勢いで肉とメシが突っ込まれる。

咀嚼する時間すら惜しいとばかりに口に入れ、飲み込んでいく。


甘く温かいカツドンで、腹の中が満たされていく感覚。

その瞬間、ライオネルの頭の中からは、これからの戦いも己の不幸も消える。

カツドンの美味さと、その美味さを堪能する自分。

それは、非常に幸福な時間だった。


しかし、何事にも終わりは訪れる。

「……ふう」

塩辛い野菜を食いつくして、スープを飲み干し、ライオネルは一つため息を漏らす。

「全然足りねえ」

そう、カツドンはライオネルの巨躯には全く足りなかった。

目の前にはメシの粒一つ残さず平らげられ、空になった器が虚しく置かれている。

空腹は先程ほどではないが……物足りない。

「クソッ!金さえあればなあ……」

ライオネルが悔しげに呟く。

剣闘奴隷になったときに、これまで溜め込んでいたお宝はすべて没収されて今のライオネルには金が無いし、文字通りの意味で明日の命をも知れない身だ。

この素晴らしい味をもう堪能することが出来ないのだ。


……以前であれば料理人風情なら脅しつけていくらでも出させたのであろうが、ライオネルはそうする気にはなれなかった。

人間でありながら、魔族の己を恐れず、ただ客として扱うあのジジイにそんな真似をするのは、嫌だったのだ。

「しゃあねえか……」

ため息をつきながら、立ち上がろうとした、そのときだった。

「はいよ。カツ丼のおかわり、お待ち」

ことりと、先程と同じカツ丼の器が置かれる。

「……いや、お客さんの食いっぷりからして1杯じゃ足りないかと思ったんだがね。

 これ以上いらないつうなら俺の昼飯にするからいいけどよ。どうするよ? 」

「もちろん食うぜ! 」

店主の確認に一も二も無く頷き、がっしりと椅子に腰を下ろす。

「おう。もう1杯行くか?金ならある時払いの催促なしにしといてやるぜ? 」

「……もちろんだ!ありがてえ! 」

店主の好意に大いに感謝しながら、フォークを再び手に取る。


そして、ライオネルはその日、都合5杯のカツ丼を平らげることとなった。


扉を出て、再び血の匂いが漂う部屋へと戻ってくる。

「ふう……随分と世話になっちまったな」

腹をさする。腹の中には大量のカツドンが詰まっている。

久方ぶりの満足な食事。それも、今まで食べたどんなものよりも美味かった。

「さぁてと、行くとするか……カツドン代、かせがねえとな」

気楽な様子でなまくらを担ぎ、意気揚々と扉を出る。

いつしか、再び負けることへの恐れはなくなっていた。

マンティコアだろうがなんだろうがいつもどおり、叩き潰せばそれでいい。それだけの話だ。


実にシンプルな結論と共に、闘技場……戦いの場へと赴く。

その足取りには迷いは無い。もはやライオネルは自分が負けるなど、微塵も信じていなかった。


……ライオネルはまだ知らない。

この戦いこそがマンティコアをたったの3撃で屠って完勝し、金貨1万もの金をわずか1年で稼ぎ出し、以後は剣闘士として20年以上に渡って闘技場最強の戦士として君臨する『獅子王』の華々しいデビュー戦となることを。

今日はここまで。

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 カツ丼好きに悪い人いない。
[良い点] 好きな話の一つ。
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