ホットドッグ
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・久しぶりのご来店も歓迎いたします。
以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
幼い頃遊び場にしていた巨木は、8年前と何も変わらない姿のままそこに屹立していた。
「……おお!今日がドヨウの日であったか! 」
数日前から足しげくそこに通っていたトウイチロウは、その巨木の上の方に見覚えのある黒い扉を見つけて歓喜の声を上げた。
アヤと共に前にこの扉を使ったのは8年前……もはや『ドヨウの日』がいつだったかなど忘れていただけにこうして毎日ここを訪れた。
そして今日、その甲斐あってトウイチロウは扉に『再会』を果たした。
「よしよし、では向かうとしよう。行くぞ、ア……」
いつもの癖でアヤに手を伸ばそうとして……隣に誰もいないことを思い出す。
「……ああ、今は拙者1人であったか……」
寂しげに呟き、木を登る。
子供の頃は毎度苦労しながら登っていた巨木を瞬く間に登りきり、頂上の大人が数人が乗っても折れぬほど太い枝にたどり着く。
「ここの眺めは、変わらぬな……」
巨木を登りきったトウイチロウは巨木から山々のほうに振り返る。
巨木の上から見えるは、どこまでも続く緑の山々と、白雲が浮かぶ青い空。
トウイチロウの記憶に残った景色そのままの光景をしばし目に焼きつける。
「……さて、いくか」
この変わらぬ景色をアヤと共に見られなかったことを残念に思いながら、トウイチロウは本来の目的を果たす。
巨木の幹にくっつくように現れた、猫の絵が描かれた黒い扉。
その金色の取っ手に手を掛けて、まわす。
響き渡るのは、聞きなれたチリンチリンという鈴の音。
「やあ、いらっしゃい……おや、もしかしてトウイチロウさんですか? 」
出迎えるのは、トウイチロウの記憶にあるより少しふけた、中年の男。
「久しぶりだな。早速で済まないが、ほっとどっぐとこーらを頂きたい」
記憶にある顔に安堵しつつもトウイチロウは注文する。
「はいよ……お1人分ですか? 」
「ああ、今日は拙者1人で来た。故にほっとどっぐは1人分で頼む。それと、土産用を3つばかし用意してくれ」
店主の確認にトウイチロウは頷く。
そう、今日はトウイチロウ1人で来た……いつも一緒であったアヤと共にではなく。
「……分かりました。少々お待ちを」
店主はそれ以上詳しく聞こうとはせず、厨房へと引っ込む。
「ふむ……ここも変わらぬな」
どっかと腰を下ろし、辺りをうかがう。
トウイチロウの目に映るのは、見慣れぬ新しい客たちとかつてと変わらぬ古い常連たちの姿。
客筋は相変わらずの……混沌。
男も女も、人であるかすら関係なく、彼等はこの店を訪れ……料理を堪能する。
(思えばこの世の不思議さを学んだのもこの店であったか)
そう、この店に通い、異世界を通じて己が世界の不思議さを感じたからこそ、故郷の小さな町しか知らなかったトウイチロウは『外』に憧れ、武者修行の旅に出たのだ。
……大地の神を奉ずる禰宜の娘であり、自身も巫女であったアヤと共に。
(思えば色々なことがあったものだ……)
武者修行としてアヤと共に町を出て東大陸に渡り、随分と色々な目にあった。
危険な魔物と戦い、死に掛けたこともある。
素晴らしい財宝を手にして、仲間たちと喜びあったこともある。
その仲間が死に、己の不甲斐なさに涙したこともある。
それらすべてがトウイチロウを一流の武者へと仕立て上げた。
(だが、それももう終わりか……)
旅に出る前のトウイチロウとアヤと同じくらいの、東大陸人であろう少年3人を見ながら思う。
まだ少年だったころ故郷を飛び出し、武者修行の旅を続けていたトウイチロウが、旅を続けられる身ではなくなったがために故郷に戻ってきたのはつい数ヶ月前である。
久方ぶりの故郷は家出同然に飛び出したトウイチロウを暖かく迎え入れ、親子の縁を切られた実家も父が鬼籍に入り、家督を継いだ弟はトウイチロウの無事を喜んでくれた。
今までの冒険の日々が嘘のような、平穏な日々。
それを退屈に思う一方で、明日死ぬかも知れぬ恐怖と戦わずともよくなったことに安堵する想いもある。
今はまだそれに慣れぬが、いずれ慣れるだろう。旅に出る前はこれが当たり前だったのだ。
「お待たせしました!ホットドッグとコーラです! 」
そんなことを考えていると、魔族の給仕がそれを運んでくる。
トウイチロウには見覚えの無い、異世界風の装束に身を包んだ、若い娘。
トウイチロウが旅立った頃はこの店は店主が1人で切り盛りしていたので、恐らくはトウイチロウが旅立った後に雇われたのだろう。
(なるほど、変わらぬものなどそうそうない、か)
「すまんな娘」
内心そんなことを考えながら、それを受け取る。
「お持ち帰りの分は、後でお持ちしますね!それではごゆっくりどうぞ」
その娘は中々に堂の入った動きでトウイチロウの前に注文した料理を置き、また別の客のところに注文を取りに行く。
「では……頂くとするか」
それをなんとなく見送った後、トウイチロウは目の前の料理に目を向ける。
この店で頼むのは、ホットドッグ。
若き日のトウイチロウとアヤが愛してやまなかった、異世界の料理である。
目の前の白い皿の上に置かれたホットドッグは、できたてらしくまだ熱い熱気を放っている。
豚肉の腸詰を小麦を練って焼いたパンに挟み、赤くて酸味のあるソースと、黄色くて辛いソースで味付けされた、簡素な料理。
……だが、これは未だ異世界でしか食べられぬ料理である。
トウイチロウはまず、ホットドッグを素手で掴み上げる。
この料理は、握り飯と同じく、素手で食わねばならない。
箸や、東大陸風の食器を用いて食っては興ざめなのだ。
(まずは……)
持ち上げて、口元へ運び……一息にかぶりつく。
その瞬間、一息にホットドッグが持つ、素晴らしい味が一気にはじける。
まず感じるのは、焼いたパンの風味。
外の皮は焼かれてパリパリとしていて香ばしく、中の白い身の部分はふんわりと柔らかく、甘い。
(思えば昔はこれが当たり前だと思っていたのだな)
米を食うのが当然である山国では馴染みが薄かったパンは、米を食わぬ東大陸では逆に普段から食べられるものだった。
……もっとも、この店の焼きたてのパンに及ばぬ味で、アヤともども随分とがっかりさせられたが。
続いて弾けるのは、中に挟まれた豚の腸詰。
しっかりと焼かれた皮がトウイチロウの歯によって押され……小気味良い食感と共に弾ける。
その瞬間に広がるのは、黄色いソースのほのかな辛さと赤いソースの酸味により絶妙の味付けが施された腸詰の、肉と脂の味。
大量の肉汁が噛み締めるたびにあふれ出し、トウイチロウの舌を染める。
抜群の旨みを持つ腸詰と、それを包み込むパンの風味。
だが、ホットドッグの味の真髄はここからである。
(むう……やはり、このおらにえとたまなが良いな)
咀嚼するうちに腸詰の下に敷かれたそれが良い仕事を始める。
辛味が消え、たっぷりと甘みを出すまで炒められた細切りのオラニエと、腸詰ともパンとも違う食感を与える新鮮な生のままの刻んだたまな。
腸詰の下に隠れ、表からはうかがえぬそれは、主君を影から支える忍びの如く、ホットドッグの味を膨らませ、豊かな味へと引き上げる。
(うむ、うむ……やはりこれが一番美味いな)
長らく食べていなかったホットドッグの味にトウイチロウは大いに満足する。
あれから随分と冒険を重ね、様々な土地へと赴き、色々なものを食べてきたが、それを経てもなお、ホットドッグは色あせぬ美味であった。
(アヤにも出来立てを食わせてやりたかったな……)
その味に、今は隣におらぬアヤを……最愛の人を思う。
もっともそれは、今は適わぬ夢となってしまったが。
それから、最後に冷たくて甘く、口の中で弾けるコーラを一息に煽り、トウイチロウは席を立つ。
「店主。馳走になった。すまないが会計を頼む」
「はいよ。それと持ち帰り用も用意できてますよ」
「うむ。何から何まですまないな」
店主にホットドッグの代金を渡し、変わりに不思議な素材で出来た袋を受け取る。
中からほんのり香ばしい香りを漂わせているホットドッグの香に、先程食べた分ではまるで足りないと腹の虫が騒ぐが、我慢する。
「では……また来る」
「はい。お待ちしております」
挨拶を返し、トウイチロウは外へと出る。
「さて、急ぐとしようか」
木を慎重に滑り降り、トウイチロウは町へと急ぐ。
トウイチロウは急がねばならなかった。手に入れた土産が冷めるまでにたどり着かねばならない。
「待っていろよ、アヤ。ホットドッグをたらふく食わせてやるからな」
……生まれたばかりのトウイチロウの子を世話して家から出られぬ、最愛の妻に美味いホットドッグを食わせてやらねばならないのだ。
今日はここまで。