天津飯
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますがあまり活躍はしません
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・世界は平和です。具体的に大規模な感染症とかは起きてません
以上のことに注意してお楽しみください。
ねこやビルの三階は、店主の居む家を兼ねた作りになっている。
昔……先代が生きていた頃はまだ別に家もあったのだが、店を継いでからは帰るのが面倒だったこともあり、店をそのまま家にした。
寝るための寝室と、物置になってた、今はアレッタが泊っていく部屋。
色々と試してみるための小さめのキッチンに、トイレ。風呂は店にあるシャワー室を使っている。
元々が帰るのが面倒な時などに一晩仮眠するような場所で、ずっと暮らすのを想定していない作りではあるが、料理以外に趣味らしい趣味もない店主にはさほど問題になっていない。
そして、ことの始まりは日曜日。一週間のうちで唯一店を開かない休日のことであった。
その日曜日、アレッタを朝飯を食べて送り返した後、店主は部屋の掃除をすることにした。
(しばらく、掃除も片付けもしてなかったからな)
姪っ子の指摘で気づいてからアレッタを泊めている部屋は、元は先代や自分の仮眠室だった場所である。
そこを明け渡したので、別の部屋を用意する必要があった。
店主が新しい自分の寝室に選んだのは、先代が書斎代わりに使っていた部屋だ。
日焼けで黄色くなった古い本や、あとは若いころの婆さんや二人の子供……つまりは店主の親が写っている写真が少々。
なんだか自分が弄繰り回すのも悪い気がして、先代が死んでからは、適当に物を入れておく物置部屋になっていた部屋である。
うっすらと埃を被ったそれらを片付けて、掃除をしていく。
……そうして掃除をしていくうちに、それを見つけた。
「……なんでこんなもんが?」
買った覚えのない缶詰を見つけ、店主は首を傾げる。
紙のラベルが巻かれた金色の、大き目の缶に入った缶詰。
恐らくは、お高いもので、つまりは店の仕入れで買うようなものではないし、一人で食うには少し多く、店で出すには少なすぎる。
だから多分、自分で買ったものではない。
「こりゃあ……蟹かあ」
缶詰のラベルを見て、それが何かを確認する。
店では殆ど使わない食材の缶詰であった。それもかなり高級な類のものだ。
出されるとしたら、ねこやよりも高級な店の料理か、あるいは何かのもらい物か。
「確か……レオンハートのマスターから貰った奴だったか」
それらのヒントをもとにしばらく考えて思い出す。
確か二年ほど前に、お中元だかお歳暮だかで沢山もらったとかで、そのおすそ分けと言われて渡されたものだ。
その後、そのうち食べようと思ってしまいこんで、忘れていたものだろう。
そう思いながら見てみればなるほど、製造日が二年と少し前になっている。
「……早めに食べたほうがいいな」
缶詰に記載されている賞味期限は、この二年で大分近づいていた。
さてどう食べるかが一番いいかと考えて……店主は結論を出す。
「来週の土曜の賄い、だな」
店で働く二人の顔が頭をよぎる。作るメニューは、メインの素材が蟹ならば……
「天津飯、だな」
かつて修行した店の名物料理の一つが頭をよぎり、思わず口に出す。
かくして、次の土曜日の賄いが決まった。
*
翌週の土曜日。
午後九時の閉店時間を終えて、最後の客を送り出し、掃除を終えれば、賄いが出来上がるまでは自由時間になる。
早希とアレッタの二人は店主が賄いを作っている間、しばしのおしゃべりの時間となる。
「おつかれさん、今日も忙しかったね」
店主が料理する音を背景に聞きながらまずはねぎらいの言葉を交わす。
ここ数か月で、大分アレッタにも打ち解けてきた。お互いに敬語は無しなくらいには。
「おつかれさま。本当に、今日も大変だったね」
ここ数年、この異世界食堂で働いてきた。相変わらず土曜日は毎回忙しい。
朝、店を開いてからすぐはまだ余裕があるが、昼時に来る多種多様な客に、主にお茶やお菓子目当ての昼下がりの客。
夕刻が近づけば一日の仕事を終えた客が酒付きで料理を頼み、完全に夜になる辺りではがっつり酒や飯を楽しむ客。
一日の最後にビーフシチューの大なべを丸ごと一つ抱えて持ち帰る客が帰るまで、気の抜ける時間は休憩時間くらいだ。
だからこそ、こうして一通り仕事が終わった後の解放感は、達成感と疲れが入り混じり、気を抜ける貴重な時間だ。
「平日はお昼以外はそこまで忙しくないのに、土曜日は本当に別物って感じ」
「え。そうなの?」
だから漏らされた早希の言葉にアレッタは驚いて声を上げる。
ヘージツ、というのが異世界食堂がやっていない日、ドヨウとその翌日の休日以外の日のことを指すことは知っている。
着替えをする更衣室にも、アレッタが貸してもらっている物入れと全く同じものがたくさん並んでいるのだから、
異世界人がここで働いているということも知っている。
だが、アレッタの知り合いと言ってもいい異世界人は店主をはじめとして数人程度。
ヘージツに具体的にどういう風なことになっているのか……アレッタは知らない。
「まあね。って言っても平日はキッチンもホールも人の数が違うし、ここまで色々料理出さないから……まあ、お昼時はすごい数来るけど」
「……ドヨウの日よりすごいの?」
お昼時の異世界食堂の込み具合を思い出しながらアレッタは驚いて聞き返す。
あれよりすごい……店の椅子が全部埋まるほどの数になるだろう。
「うん。うちって近くの会社のサラリーマン相手だから、お昼休みは本当にたくさん来るんだよ。
相席お願いして、それでもちょっと待ってもらうくらいかな。
わたしは平日の昼は講義無い曜日に手伝うくらいだけど、それでもきついもん」
「そうなんだ」
店主と同じ異世界人であり、普段は『外の世界』で暮らす早希から聞かされる話は、本当に驚くことばかりだ。
本当にいろんなことを知っているし、見ていることを羨ましいと思う。
「……そう考えると、おじさんは本当にすごいね。土曜日もわたしが手伝うくらいでずっと一人で回してるし」
そうして話しているうちにふと、店主の話になった。
最近は下処理などの簡単なところは早希に任せて貰えるようになったが、仕上げはすべて店主がやっている。
その手際は鮮やかで……はやい。
「うん。本当にマスターはすごいと思う」
そのことは料理は文字通りの意味で素人であるアレッタにもわかっていた。
単に煮たり焼いたり切ったり以上の料理なんてお貴族様のお抱えになれるようなすごい人じゃないと出来ないのだ。
だからこそ、毎回の賄いでもどの料理も美味しいわけで……
「今日は何が出るのかな……」
「中華鍋使ってるし、朝、もらい物のお高いカニ缶見つけたから晩飯期待しとけって言ってたじゃん?
だから、かに玉とかその辺かな」
思わず、といった感じで漏れたアレッタの呟きにガシャガシャと鼻歌交じりで料理を作っていく店主の方を見ながら、早希は答える。
「そういえば言ってたね……カニもカンヅメもよくわからないけど」
「あ、カニはなんていうか……こう、大きなハサミがある、海の生き物というか、えっとお店でいうと、エビの親戚?みたいなやつ。
んで缶詰はほら、金属のカンカンに、食べ物入れて腐らなくしたやつだよ」
そういえばアレッタは異世界の人なので、こっちのことにあんまり詳しくないことを思い出しながら、一応説明する。
我ながらあやふやで怪しげな説明で、伝わってるかはいまいちわからない。
(なんていうか、考え方とか全然違うから説明難しいんだよね)
アレッタは海を見たことがないらしいし、話を聞く限りこっちとは事情が色々と違う。
学校にも行ったことが無い、というよりアレッタみたいな子が行く学校がそもそも無かったようだ。
だから、彼女の知識にないものを説明しようとすると、結構難しい。
それは早希本人が教えられるほどに色々なことに詳しくないから、というのもあるが。
「そっか。カニ、はエビと同じ海の生き物で、カンヅメは腐らない保存食なんだ……教えてくれて、ありがとう」
だから、はにかみながらお礼を言われると、むず痒い。
そもそも早希自身、あまり詳しいことは知らない。
色々食べた経験から、異世界のお客さんにおススメ料理を教えることは出来ても、それ以外の知識となると、あやふやなものも多い。
(勉強、しないとなー)
こういうところで知識の大事さを考えていると、店主から声がかかる。
「賄い、できたぞ。席についてくれ」
その声に二人はおしゃべりを中断して、いそいそと席に着くのだった。
*
大き目の白い皿にこんもりと広がった、ところどころに白や赤、緑に、黒。
様々な色合いが混じっているのが見える黄色い山。それが今日の賄いだった。
「これ……オムライスですか?」
その料理の見た目から、アレッタは似た料理を思い浮かべる。
あの、蜥蜴の顔をした人……もう一人の雇い主であるサラによればリザードマンという魔物らしい、が好んで食べている料理だ。
先ほどのサキとの話からすると多分、カニという食材を使った料理なんだろう。
「まあ似てるが、ちょっと違う」
そう言いながら、小鍋を抱えてきた店主が最後の仕上げとして、鍋の中で作ったソースをかける。
ほんの少し赤みを帯びた、とろりとしたソースが黄色い卵を包む。
ふわりと、いつもの料理とは違う香りが漂ってきて、お腹がきゅう、となる。
「天津飯だ。作るのは久しぶりだが、美味いぞ」
昔、バイトしていた店の人気料理の一つだった料理の名前を、少しだけ懐かしそうに店主が言う。
「へえ。天津飯か……あんまり食べたことないから楽しみ」
早希も目の前の料理に思わず笑みをこぼれさせる。
それから、三人がそろったところで。
「「「いただきます」」」
三人で、声をそろえて食事の開始した。
アレッタはいつもの銀の匙ではない、白い陶器で出来た大ぶりの匙を手に取り、目の前の料理を見る。
(やっぱりオムライスみたい)
ここで働いてはや数年。色々な料理を客に運んできたし、賄いとして食べてきた。
その経験から、目の前の料理がライスに卵を使った料理だと思わせる。
だが、オムライスの味付けに使うケチャップはこんなに透き通ってなかったし、色ももっと鮮やかな赤だ。
(どんな味なんだろう)
とりあえずひとしきり天津飯を見てから、アレッタは黄色い卵に、匙を沈める。
外は完全に固まらない程度に焼かれた柔らかな卵が匙を沈めたことで裂け、完全に固まり切らない、いかにも柔らかそうな卵が掬い上げられる。
とろみを帯びたソースにどっぷりと浸されたそれを口元に運び……食べる。
(あ、これいろんなものが入ってる)
その一口で、アレッタはオムライスとテンシンハンの違いに気づいた。
卵には様々なものが混ぜてあるのだ。
ぷりぷりとした食感のキノコに、しゃくしゃくとした縦に細かく刻まれたタケノコ。
しゃりしゃりしたネギが、卵に強い風味を与えている。
普段ねこやで使っているソースよりも大分柔らかな味付けの、ショーユの味と少しの胡椒の辛み、そして甘酸っぱい風味を持ったソースが、淡い味付けの卵によくあう。
そして……
(なんだか、甘い……?)
その卵の中でひときわ存在感を放つ、柔らかな、甘味を含んだ肉の味。
それをアレッタは食べたことが無かった。
肉とも、魚とも、そしてもちろんシュライプとも違う。
どこまでも柔らかく、噛むたびに美味しい味を出してほぐれていく美味。
(あ、そうかこれが……)
「うん……なんか蟹とかすごく久しぶりに食べた気がする」
隣で同じように食べていた早希が感想を漏らす。
「オレもだ。うん、我ながら上手く出来た」
店主の方も自分で作ったテンシンハンを食べながら満足そうに頷いている。
そんな二人を見ながら、アレッタはさらに匙を進める。
美味しい卵焼き、黄色いそれを突き抜ければ、現れるのは、白いご飯。
炒飯などとは違い、味付けなどはされていないご飯。
それだけだとアレッタには少々味気なく感じられたが、その上にとろりとしたソースをかけられた卵焼きが乗せられているのならば話は別である。
浸されたソースの染み込んだご飯を卵焼き部分と共に食べれば、それは十分にごちそうだった。
ほふほふと、まだ熱い天津飯を食べ進めていく。全員無言だ。
それは、深夜の異世界食堂のよくある光景であり、同時に幸せな時間であった。
今日はここまで