冷製パスタ
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・体調不良や苦手なものがある場合は事前にお伝えください
以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
いつもの時間に、いつもの場所。
チリンチリンと鳴り響く扉の閉まる音を聞きながら、ハインリヒは急に襲ってきた腹の痛みに顔をしかめ、手を当てた。
「あ、いらっしゃいませ!」
「ああ」
すっかり見慣れた顔となった魔族の給仕に案内され、席に座りつつも、その顔は浮かないものだった。
(胃が痛い)
ほんの少し前、部下の騎士が半信半疑で持ってきた情報は、とびきりの凶報足りえるほどに危険で、重要なものだった。
森の奥にて大規模なモスマンの繁殖の兆しあり。
依頼を受けて薬となる薬草だか木の実だかを求めて砦の近辺にある森を探索したという流れの冒険者が、報奨金目当てで持ってきた情報。
森の奥には、強烈な毒気を放つ空飛ぶ魔物の巣ができていて、そこで翅の生えた化け物に襲われて逃げ帰ったという話。
……それは、ハインリヒにとっては何年か前に『経験済』の出来事。
モスマンの大繁殖である。
(いや、まだ決まったわけではない……だが)
砦を預かる身であるハインリヒ自身が行くのは止められ、砦に居る兵士たちから斥候隊を作り、調査に向かわせる準備をしている。
確証はない。何かの間違いか、小規模な群れであればとは思う。
(だが、ともすればあの時のようになる、か)
ハインリヒにとって決して忘れられぬ酷い戦いだった。栄光ある公国の騎士と兵士が、まだ若かったハインリヒを一人伝令に出して砦に籠り、救援を待つしか無かったのだ。
もし、あのときハインリヒが力尽き、倒れていれば砦は陥落し、公国には大きな被害が出ていただろう。
それと同じことが、再び起きようとしているのだ。
剣や槍が届かない空を飛び回り、毒をまき散らすモスマンは、非常に厄介な相手である。
まともに戦おうとすれば大量の腕の良い弓兵か、魔術師を連れてこなくてはならない。
……如何に東大陸屈指の大国である公国といえども、辺境の砦にまでは大した戦力は配置されていない。
モスマンの大軍を相手取るのは不可能であった。
(いや、あの時よりは大分マシだ……少なくとも、攻め込まれる前に準備を整える時間はある)
幸いなことといえば、完全に奇襲を受けたあの時とは違い、多少なりとも備える時間があることだ。
たとえ戦いが避けられないとしても、前回ほどひどいことにはなるまい。
歴代の公王は領土的野心が薄くよほどのことがない限り領土を欲して侵攻することはなかったが、不死者の巣窟と化した古王国と長らく戦ってきたこともあり、防衛には敏感であった。
今回の調査の結果、本当にモスマンの大発生が確認できれば、その事実を報告することで事態の重要性を理解して、軍を派遣してくれるだろう。
そういう結論になったからこそ、ハインリヒはあえてドヨウをいつも通りに過ごそうとしている。
「ご注文、お伺いします……えっと、エビフライでよろしいでしょうか?」
「ああ、たの……いや」
見慣れない、最近入った新しい黒髪の給仕にいつものどうりエビフライを注文しようとして、思い直す。
不安がまだあるせいか、あまり食欲がない。
あの、柔らかいシュライプの身とさくりと揚げられた衣に、卵の味が強いタルタルソースの組み合わせは、とても魅力的だが、少し気分じゃない。
「シュライプの入った料理で、その、軽く食べやすい料理というものはないか?」
少し胃が痛むが、スープや粥くらいしか食べられないというほどではない状況。
この店ならば、おそらくそれに対応する料理もあるのではないかという確信があった。
それに、この黒髪の給仕は、異世界の人間らしく、料理にも店主と同じくらい詳しい。
果たして給仕は少しの間考えて、求められた条件を満たす料理の名を口にした。
「それでしたら……エビと明太子の冷製パスタとかいかがですか?」
ハインリヒにとって思いもよらない料理であった。
「冷製パスタ?……冷たいのか」
冷たい食事。そう聞いただけでハインリヒは少しだけ顔をしかめる。
ハインリヒとて、ことあらば荒野を駆け、戦場にはせ参じ、戦場で魔物や敵兵と戦う騎士である。
戦場では温かい食事というのは贅沢に当たることもあることを知っているし、味など二の次でただただ腹を満たすことと保存のことしか考えぬような食事にだって慣れている。
だが、ここは異世界食堂。料理屋である。
この不思議な店では、冷たい料理を出すこともできるのは知っているが、ほとんどは飲み物か菓子の部類だったはずだ。
行軍中や作戦中は温かな料理を食えないこともあることはわかるが、わざわざ料理屋で供されるもの、という認識はない。それに。
「パスタというのは、王国でよく食べられている麺料理だろう? 冷めても旨いものなのか?」
王国では小麦をこねて乾燥させたパスタなる食料があると聞いたことがあったし、この店でそれらしいものを食べている客も見たことがある。
だが、それは普通に出来立ての、湯気が出るくらい熱い料理だったはず。
時間がたって冷めた状態になっても食べられはするだろうが、それで美味いのかと言われれば、分からない。
「冷めた、じゃなくて冷やしたパスタです。結構違いますよ。ちょうど今くらいの、夏の時期には美味しいんです」
そんなハインリヒの疑問に、黒髪の給仕は笑いながら言葉を返す。
その言葉には偽りの様子はなく、美味であることを確信しているように思う。
「なるほどな……ではそれをもらおうか」
そして、ハインリヒもまた、思い直す。
ここは異世界食堂。ハインリヒの常識が通じない不思議な料理を出す店であることは、重々承知しているし、何よりここでまずい料理を食わされたことなど一度もない。
「はい。少々お待ちください」
そう言って黒髪の給仕は奥へと引っ込んでいった。
一体、どんな料理が出てくるのかと待つことしばし。
「お待たせしました!」
金髪の魔族の給仕が、料理を運んでくる。
淡い花の色に染められた細い麺に、少し小ぶりな丸まった赤と白で彩られたシュライプが上にのせられている。
冷やしたパスタというだけあって湯気が立つ様子はない。
陶器の皿に盛られた量はあまり多いとは言えないが、食欲がない今のハインリヒにはちょうどいいと言えなくもないだろう。
果汁を混ぜた水をごくりと飲みほして、ハインリヒはフォークを手に取る。
(さて、食うとするか……メンタイコは、確か聞き覚えがあるぞ)
確か王国の方で作られる食べ物だった気がする。
魚の卵を使ったものだと聞いたことがあるが、食べたことはない。
(まあ、食ってみればわかる)
髪の毛のように細い麺を巻き取り、口へと運ぶ。
(ほう……これは、タルタルソース……いや、それに使われているというマヨネーズの風味があるのか)
初めて食べるその麺料理は、意外なほどに柔らかな味がした。
乳のような風味と、ほんのりとした酸味。これはエビフライにも使われているタルタルソースに近い味。
他の客によればそれはタルタルソースを作るときに使われるマヨネーズなる調味料の味だろう。
さらにその中には、タルタルソースにはないピリリとした辛みが含まれている。
この辛みには、別に覚えがある。
(トガランか。なるほど、意外なほどにあう)
どうやらメンタイコなるものはトガランを使うらしい。
ハインリヒはタルタルソースの風味にトガランの辛みが意外にあうことを初めて知った。
(それにこのプツプツと広がる塩気……なるほど、魚の卵か)
口の中にはプツプツとした触感がある。とても小さな、砂粒ほどの大きさのものだ。
それは歯や舌で押されると簡単にぷつりと潰れて、中に閉じ込めた味を舌の上に放り出してくる。
塩気とうま味に、海の匂い。
それらがいっぱいに広がって、喉の奥へと流れていく。
単品だったら強すぎるその味が、柔らかなタルタルソースと、それらによく絡む細い麺によって程よく食べやすくなっている。
これならば、この一皿では足りないくらい美味しく食べられるだろう。
「うむ……うまいな」
ガツンとはこないが、その分しみ込むように、美味を感じる。
美味いものは、それだけで心を軽くする。
そう感じた。
「さて、次はシュライプだ」
一口、メンタイコと麺を堪能したところで本命であるシュライプに手を伸ばした。
エビフライに使われるものと比べると少し小ぶりなシュライプは軽く火を通してあり、きれいな縞模様を描いている。
それに花の色をしたソースをしっかりとまとわせて口に運び、口の中でプツリと弾ける。
いつものエビフライと比べれば淡白だが、しっかりとうま味を閉じ込めたシュライプと、メンタイコの濃い塩気が、マヨネーズの柔らかな酸味とまじりあう。
そこまで味わえば、あとはあっという間だった。
ハインリヒはどんどんと食べ進め、この料理の問題点に気づいた。
(足りない……)
どちらかといえば濃い味付けに属する料理なせいだろうか、大分盛り方が少ない。
「注文を頼む!とりあえずお代わり!それとエビフライを頼む」
となれば、解消する方法は一つである。
(なんとかなるだろう。今回は、早く対応できたのだから)
心のうちに立ち込めていた暗雲は、空腹と共に去っていった。
今日はここまで