揚げ出し豆腐
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますがあまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・一部料理にはご提供まで時間がかかることがありますのでご了承ください。
相も変わらず晴れた青い空に浮かぶ船の上。
ぐらぐらと揺れる甲板の上で、アリスはグッと足を踏ん張り、転ばないように立った。
その手に握られているのは古木の枝を削り出し、複雑な文様が刻まれた大振りの杖……彼女の『師匠』がアリスのために作った魔術の杖。
それを構え時々つっかえながら、師匠から教わった「じゅもん」を紡ぐ。
「いっけえー!」
最後に気合と共に魔術を撃ちだす。光り輝く魔術の矢が杖の先から飛び出し……何も無い海を叩く。
練習では生き物に向けて撃ってはいけないという教えを守りつつ、魔術そのものに慣れて魔力を使いこなせるようになるためにとアリスに課せられた課題がこの魔術の矢を撃つことであった。
師匠もアリスと同じくらい若かった頃、父親と母親から同じように魔術を教えられ、日々草木の生えてない岩に向かって同じように魔術の矢を練習したという。
それを三度繰り返し、疲れを感じて座り込み、ぽつりと言う。
「……ひま」
服が汚れるのも構わず、座り込んでぼうっと雲一つない晴れ渡った空を見る。
旅立って半月は経とうとしている、大陸間を越える船旅は、どこまでも暇だった。
「ひ~ま~」
船に乗る前、耳の尖ってない人たちからは、もっと大変なものだと聞いていた。時々酷い雨と風が来るし、海に住まう魔物にだって襲われる。
海に落ちたらまず助からないし、そもそも目的地にたどり着けずに海の底に消えた船だって沢山ある。
どんな大きな船だって大嵐や巨大な海の魔物と出会ってしまったらひとたまりもない。
そう聞いた時は本当に怖かったし、その話を聞いた後は師匠も予定を変更して町に滞在して近くの森の奥に生えた大木の枝を分けて貰い、魔術を扱いやすくする護身用の杖を作ってアリスに渡したり、色々な薬を買ったり作ったり、弓矢に魔術を掛けたりと海を渡るために色々な準備をして来たのは知っている。
アリスとてあの日森に置き去りにされて師匠に拾われてから、色々と学んだのだ。
……そのお守りのお陰なのかなんなのか、事件らしい事件は何も起こらず、ただただ船に揺られるだけの生活は、とてつもなく暇だけれど、それはきっと良いことなのだ。
―――まあ、これを持ってる人間を襲う海の信徒は居ないと思うし、嵐除けの祈りも宿してあるけど……本当に気を付けてね。
多分何も起こらないのは海の町で親しくなった「まじょのおばさん」がくれた、海の底で採れた石と貝殻で作った「おまもり」のお陰なんだろう。
初めてもらった時は師匠がすごく驚いた顔をしてたのをよく覚えているし、何となくだがアリスもお守りには強い力が宿っているのをうっすらと感じている。
かくて初めての船旅は順調だった。順調すぎてすることが無いほどに。
「……もどろっと」
しばらく甲板に座り込んだ後、アリスはため息と共に立ち上がる。
彼女の師匠……エルフの魔術師ファルダニアは今、船室に籠って紙に色々書いたり魔術を使ったりしていて、アリスの相手は殆どしてくれない。
どうせ暇ならと、兼ねてから研究していた魔術を完成させたい。そう言っていた。
「……ししょうのあたらしいまほう。そういえば今日できるって言ってたっけ」
ふと、朝、そんな話をしていたことをアリスは思い出す。なんでもどうしても今日に間に合わせたかったらしく、アリスは師匠と共に寝泊りしている部屋から離れてて欲しいと言われ、甲板に出た。
「……もう、できたのかな?」
空を見上げれば、太陽は少し傾いてきたように見える。そんな時間だ。
師匠が作っていた新しい魔術とはどんな魔術なんだろう?この暇さを何とかしてくれるものだといいけど。
そう思いながら、アリスは船底にある客室……師匠と自分に割り当てられた薄暗い部屋へと戻った。
「……よし! できた!」
アリスが船底に近い、窓一つないが師匠の魔術で照らされた小さな客室に戻るのと、彼女の魔術の師匠たるファルダニアが魔術を完成させたのはほぼ同時であった。
「ああ、アリス。ちょうど良かったわ。出来たわ。新しい魔術!」
「えっと……おめでとう?」
普段の冷静沈着な彼女からはちょっと外れた雰囲気に気おされつつ、アリスはファルダニアに祝いの言葉をかける。
「ありがとう。ほんの少し時間が掛かったけど、まあ私なら簡単に出来る魔術だったわね」
アリスの言葉にファルダニアは顔を綻ばせる。
開発に着手したのは、もう一年以上前だ。
……人間やハーフエルフの魔術師に出来るものが自分に出来ないはずが無い。そう思い研究を重ねてきた。
それがようやく完成したのだ。少しは気持ちが昂るのは当然のことであった。
「そうなんだ……どんなまほうなの?」
そんな師匠の様子に興味をそそられたアリスはどのような魔術が出来たのか尋ねる。
「召喚魔術の一種よ。魔術で魔力の流れを歪めて、遠くのもの……この世界の全く違う場所や異次元から指定した条件を満たすものを呼び寄せるの。
……まあ簡単に言うと、ここに欲しいものをここに呼び出す魔術ね」
そんな新しい魔術に興味を示すアリスに、ファルダニアは彼女にも理解できるようにかみ砕いて説明する。
「へえ……じゃあ、今からその、よびだすの?」
「もちろん。そのために徹夜までして完成させたんだし」
アリスの言葉に一つ頷くと、ファルダニアは床に……無断で船室の床に描いた魔法陣に魔力を込めつつ、詠唱を行う。
百年以上かけて学んだ知識に、短いながらも濃密な旅で得た新たな知識。その旅で上がった技術をつぎ込んだ、ファルダニア渾身の魔術。
それは波に揺れる船の上にあっても揺らがない。
(……よし!)
やがて魔法陣を通じて自らの魔術が懐かしい気配を捕らえたのを、ファルダニアは己の感覚でつかむ。
エルフとしての生の大半を過ごしてきた、懐かしい森の気配。
その森の、立ち並ぶ木々の中にそびえたつ、ファルダニアの旅の始まりとなった存在を一気に引き寄せ、召喚する。
「……来なさい!『扉』よ!」
魔術が、完成し、魔法陣の上にそれが姿を見せる。
「……これって、もしかして……ねこやの?」
ある意味では見慣れたそれの正体に気づいたアリスが息を飲む。
師匠とあったあの夜から幾度となく潜り抜けて来た、ネコの絵の描かれた扉。
「そう。扉よ。今日を逃すとまた七日後だったから、頑張ったのよ……じゃあ、行きましょうか」
己の魔術が上手く行ったことに満足しながら、ファルダニアはこくりと唾を飲み、アリスに言う。
「……うん!」
アリスもまた、満面の笑みでそれに答えた。
そして、狭い船室にチリンチリンと鈴の音が響いた。
およそ一月ぶりの揺れない地面にファルダニアとアリスはほう、と息を吐いた。
魔物に襲われることも、嵐に会うことも無い穏やかな船旅ではあるが、それでも大陸の、揺れない地面の上で生きるエルフにとっては、揺れ続ける船の上での暮らしは辛いものだったようだ。
地面が揺れないことが良いことだと改めて思い知ったファルダニアは、注文を取りに来た給仕に普段はしないような注文をするのであった。
「時間が掛かっても良いから味噌汁が食いたい?」
早希から聞かされた、初めて聞くその注文を店主は思わず聞き返した。
味噌汁は、基本的に定食系の料理には全部ついてる。肉の日に出す豚汁ならともかく、普通の味噌汁をわざわざ注文されたことは無い。
「はい。あそこの二人組のお客さんが」
「……ああ、なるほどな」
そう言われ、頼んで来た客が、最近姉妹で訪れるようになった見慣れた常連であることを確認し、何を頼みたいのかは分かった。
「なに? 何かわかったの?」
「ああ、あそこのお客さん……まああんな感じに耳が長い人らはなまぐさものがダメな人がいるんだよ。
ああ、常連のじいさんから聞いた話なんだが、そう言う種族なんだと」
前に聞いた覚えがある。耳が長くていつまでも年を取らない種族が居て、その人たちは基本動物から取れた食べ物が大嫌いらしい。
思えば自分の知る限りでは耳の長いお客さんはみんな何年も前から全然姿が変わらない人ばかりだし、あの金髪のお客さんは、初めて来たときに肉も魚も乳も卵も入ってない料理を頼んで来たからよく覚えている。
「ああ。だからうちのお味噌汁はダメなのね」
一方の早希もまた、店主の説明に納得する。
ねこやの味噌汁はかつおだしなのだ。その匂いが既にダメと言うことなのだろう。
「そういうことだな。まあどうしてもってんなら昆布だしの味噌汁も作れなくはないが……せっかくだ。料理の方も合わせるか。いつも通りお任せみたいだし」
「どうするの?」
「この前考えた新作がある。そいつを出す」
そう言うと店主は冷蔵庫をのぞき込む。少し考えて……絹ごしの豆腐を取り出した。
(木綿でも美味いが、舌触りで考えると、やっぱり絹だな)
味噌汁用に切り分ける分と分けて大きめに切り分け、布巾で覆う。
その上から皿を被せて重石替わりにする。
「さてと、今のうちに味噌汁も作っちまうか……」
水が抜けるまでには少し時間がかかる。その間、店主は他の客の料理の具合を見つつソース用の小鍋に水を張り、かつおだし抜きの味噌汁を作るのであった。
一方、ファルダニアとアリスの二人は久しぶりの店を堪能していた。
注文の内容のせいか料理が来るのはいつもより遅かったが、陸地で飲むよく冷えた果実入りの水は船の上で飲む、少し嫌な匂いが混じった古い水とは比べ物にならないほど美味だ。
長い耳に入ってくるのは、延々と続く波の音でも、船がきしむ音でも、暇を持て余した乗客のいびきでもなく、穏やかな客たちの話し声。
その客たちの中にはライスとナットウスパを卓の上に並べたファルダニアの友人や港町で知り合った、おそらく人間ではないのであろう魔女の姿も見える。
(……相変わらず元気みたいね。良かった)
それを見て、ファルダニアは安堵する。
船に乗り、海の上に出てからは時折補給による島以外陸地が見えない生活を送っていたがその間も世界は特に何も変わってないらしい。
「お待たせしました! アゲダシドーフです!」
そして、いつからか店に増えた魔族の給仕の少女が料理を持ってくる。
「……ありがとう」
美味しそうな香りを漂わる料理に、ファルダニアは思わず礼の言葉を零した。
湯気を立てる、茶色いミソのスープに、白いライス。薄く黄色いツケモノ。
それらに混じり、今日の中心となる料理が
ほんの少し甘い香りがする、黒みを帯びた茶色いソースをかけると言うより浸るほど掛けられた、黄金色をした四角い料理。
その上には濃い緑色をした野菜と、淡い黄色の何かが乗せられている。
(これは、トーフの料理、よね?)
深めの皿に盛りつけられたその料理を見て、この店の、異世界の料理を見る癖がついた料理の正体が何なのかをファルダニアは見極める。
色も見た目も違うが、料理の名前にトーフとついているのだからトーフ料理だろう。
(黄色いってことは……油で揚げたのかしら?)
帝国領でもあったファルダニアのいた港町では、色々なものを油で揚げた料理と言うものがあったし、この異世界ではよく見かける料理だ。
この料理には、ソースの甘い香りに混じって少しだけ、上質な油で揚げたような香ばしい香りがある。
その香りは、ファルダニアの食欲を刺激していた。
「ね、これ。おいしいよ! ちょっとからいけど」
一方のアリスはさっさと口をつけ、顔を綻ばせる。
師匠と共に旅に出てから何度かこの店に来たが、ここの料理はどれも美味しい。
それを知るからこそアリスは躊躇はしない。さっさと口に運んで今日の料理も美味しいことをかみしめていた。
「……そうね。じゃあいただこうかしら」
そんなアリスに苦笑しつつ、ファルダニアも料理に口をつける。
(まずは正体を確かめましょう)
慎重に、あえてソースを避けるように一口切り出す。
銀色のナイフで沈み込むように切り出していくと、黄金色の表面の皮の下から薄黄色の白い奥底が見え、ファルダニアはそれがトーフであることを確信する。
フォークで切り出した一口を運ぶ。
(うん……やっぱりトーフね?)
それはある意味では予想通りで、ある意味で予想外のトーフの味がした。
エルフ豆特有の風味を帯びた、ちょっぴり甘いその味はトーフで間違いはないし、表面の香ばしさは油を使い揚げたものだと言うのも予想通りだ。
恐らくは何か、粉のようなものをまぶして揚げたのだろう。表面の薄い部分はトーフとは違う味がする。
その香ばしさが滑らかで熱い淡い味のトーフには無い風味を与えている。
(けれど、いつもよりちょっとかたい……いえ、引き締まってる?)
舌先で転がしつつ味わって、ファルダニアはそれを感じ取る。
トーフステーキのときよりもトーフがかたい。無論、かたいと言ってもトーフなので噛み切る必要があると言うほどではないのだが、歯に触れた瞬間崩れるような柔らかさは無い。
だがその分、トーフの味が強い。エルフ豆の香りと味がしっかりと口に広がるのだ。
(一体どうやっているのかしら……)
相変わらずこの世界の料理は、材料は分かっても調理方法が時々分からない。
……そんなことを考えながらふと、顔を上げると、不思議そうな顔をしてファルダニアを見る、アリスが居た。
「……もしかして、ししょうは、おいしくなかった?」
「……そんなことないわよ」
苦笑して答える。確かに一口だけ食べて難しい顔をしていたらそう見えることもあるのかもしれない。
なので今度はしっかり大きく切り分け、ソースに浸して食べる。
「……あ、美味しいわねこれ」
改めて食べてみて、思わず声が漏れる。
白く、引き締まった濃厚なトーフの味に、ショーユと砂糖、それからお酒で味付けをした甘くてしょっぱいソース。
それがトーフを覆う揚げた表面の持つ香ばしい油の味が二つをうまく結び付けている。
上に添えられた薄黄色になった、何かの根の擦りおろしの辛味と輪切りにされた濃い緑の野菜の辛味も少量であるが味を引き立てている。
「でしょ!?」
ファルダニアの言葉にアリスは顔を輝かせて笑う。
「……さ、こっちのスープも食べましょう。ある意味こっちが本命なんだから」
そんな子供の笑顔にちょっとだけ気おされながら、ファルダニアは今度はスープに目を向ける。
普段、他の客に出しているものとはちょっとだけ違う、掌ほどの大きさの器に入れられたミソを使った茶色いスープ。
具材として浮いているのはキレイに四角く切り分けられたトーフと濃い緑色をした海の草。
横目で見る限りでは他の客に出しているものと一緒だが、匂いが違う。
スープからかすかに漂う、エルフにとって苦手な匂いが無いのだ。ただただミソの香りだけがするスープ。
匙でトーフとスープを掬い上げ、口へと運ぶ。
(……ああ)
初めて飲む異世界のミソのスープは予想通りに美味であった。
海の草の煮汁にミソを溶いたスープは程よく煮込まれ、スープそのものの熱さも相まって舌の上に染みこむ。
具材に使われた海の草はその旨みをたっぷりと吸って独特の食感があり、小さく切られたトーフはいつも通り柔らかく崩れる。
(本当に、普段からこれを出せばいいのに)
普段の、わずかに魚の異臭を含んでいる人間向けのスープではなくこちらを出せばいい。そう思うほど、美味だった。
「……あづ!?」
そんなファルダニアを見て自分も気になったのであろうアリスがスープを口に運んでその熱さに耳をびくりと震わせる。
だが、そのあとすぐに匙を器に突っ込んで食べ始めたのを見るにこちらも気に入ったのだろう。
そんなアリスに何故か満足感を覚えながら、ファルダニアは塩漬けの野菜を白いライスの上に乗せて口に運ぶ。
塩気の強い野菜と白いライスのほのかな甘みが、ミソ色に染まっていた舌を元に戻し、それから改めて、時間のたったアゲダシドーフに目を向ける。
(さて、と……)
この店に何度か来て、ファルダニアはこの店の料理が、出来たてから少し経つと、少し風味が変わる料理があることを知った。
出来たての香ばしさが失せる代わりに、味が染みこんだり、少しやわらかくなったりするのだ。
その変わった風味によりまた違う味が楽しめる料理。見た目からしてアゲダシドーフもまたそう言う料理だろう。
(……ん。やっぱりね)
その予想が当たりだったことを、一口食べてファルダニアは確認する。
浸るほどに入れられたソースが、衣に染みこんで、アゲダシドーフは先ほどとは違う味を魅せる。
脂の香ばしさが失せた代わりにたっぷりとソースを吸い込んだ衣は柔らかく甘い。
その濃い風味がトーフの味を包み込んでいる。
(これだけだと少し濃すぎね)
そう思いながら、ライスを一掬い口に運ぶ。
濃い味つけの料理はライスと共に食べると更に旨みを増すのだ。
(うん。これはこれで……)
その味に満足しながら料理を食べ進めていたファルダニアは視線に気づく。
アリスがファルダニアを羨ましそうに見ている。
アリスの前に置かれた器には、もうアゲダシドーフは無かった。
そんなアリスの様子に気づき、ファルダニアは苦笑して半分ほどをアリスの器に移してやるのだった。
今日はここまで。