モカチョコレートパフェ
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・場合により相席をお願いすることがございます。ご了承ください。
―――何なのだ? この男は。
二十年前、あの恐るべき四人の英雄ども相手に戦って生き延び、この大陸に残る最後の魔王となった『魔獣王』アルティーナは困惑していた。
「単刀直入に言おう。余に臣従し、臣下となれ。お前とて、まだ死にたくは無かろう」
戦士と魔術師、それと司祭らしきものを何人か共に連れた、まだ若い男のその言葉に。
「おいこら、てめえ、人間風情が舐めた口聞いてんじゃねえぞ!」
「魔王様! こいつらぶっ殺しましょう!」
「おい手前ら! 死ぬ覚悟は済ませて来たんだろうな!?」
余りに傲慢なその言葉に血の気の多い部下たちが一瞬にして激高し、立ち上がる。
主人がバカにされたと気づいた魔獣たちもいつでもとびかかれるように身構える。
それに反応して男を取り囲む人間たちも戦う準備を始めた。
「……やめろ」
だが、その不可思議な態度に興味を覚えたアルティーナはすぐさま殺しにかかる部下たちを咄嗟に威圧して止める。
その鋭い眼光に対峙する人間たちどころか部下の魔族や魔獣たちすら怯え、震え上がる。
……目の前の男を除いて。
「……それで、聞かせて貰おうか? 何故、私が、貴様如きに臣従せねばならんのだ?」
言葉ひとつひとつに殺気を込めつつも、思う。
何故この男は『弱い』くせにここまで強気なのかと。
目の前の男は、弱い。いや、恐らくだが人間としてみればまあ、強い部類には入るのだろう。
身体はしっかりと戦士として鍛えられているし、身のこなしからして剣もそこそこに使える。
配下に連れている戦士や魔術師たちも咄嗟に男を守るための動きを見るに、かなりの手練れだとも思う。
だが、弱い。三百年近く生き、千の騎士すら蹴散らした魔獣王アルティーナ相手に戦うには。
あのたった四人で己が飼いならした魔獣と手下の魔族たちを次々と屠り、自分に死すら覚悟させた英雄たちとは比べるまでも無い。
「うむ。まず最初に言っておくが、この都は元々余のものだ」
その弱い男はアルティーナの殺気に怯えることなく、言葉を紡ぐ。
「二十年前、お前が殺したこの都を治めていた王とその一族だが……その中に二人だけ生き残りが居た。我が母アーデルハイトと、余だ。
そして母は余が幼い頃にお亡くなりになった。つまり、王位を継ぐ権利を持つ正当な後継者は余しかいない。故に、余がこの国の王だ」
だからどうした。
余りに意味が無さそうな事実に、アルティーナは更に困惑する。
魔族に滅ぼされた国の生き残りが、王を名乗るのはアルティーナの知ったことではないが、それでせっかく手に入れた都を渡すわけがない。
「つまり、余だけがこの国の王としてお前に都を返せと、負けを認めて臣従を誓い配下となれと言えるわけだ」
「……それで? 私がはいそうですかと応じるとでも?」
それは威圧ではなく、疑問であった。それで応じるバカがどこにいると思うのは、自分だけではあるまい。
「まあ余もそう簡単に返して貰えるとは思ってないのでな、遺言を国許に残してきたのだ」
男の方も分かっていたのだろう。用意してきた切り札を切る。
「余が死んだら、仇を取ってくれ。仇を取ってくれたらこの都と国はくれてやる……そう、王国と公国、それから六大神の神殿に伝えるように頼んだ。
まあ、言われずとも準備はしているらしいから仇討ちを兼ねた征伐になるだろう。都は焼き払われるだろうし、奴らはどれだけ犠牲が出ようとも『最後の魔王』を討ち果たさんとするだろうな」
「……そういう、ことか」
アルティーナはようやくこの男の意図に気づいた。これは、脅迫だと。
もし、この男を殺せば、王国と公国の軍隊、そして魔族を未だ蛇蝎の如く嫌う神殿の司祭どもがこの都を襲うと言っているのだと。
「だが、ならば何故、私に臣従を持ちかける。その国々に泣きついて奴らにこの国を奪わせればよかろう?」
「それじゃあだめだ。それじゃあ、余が手に入れられるのは美味い汁を吸いつくされた血まみれの残骸みたいな土地だけだ」
それから、アルティーナをまっすぐに見つめ、言う。
「魔獣王アルティーナよ。世の人間たちはお前の『強さ』を恐れ称える。だが余はお前の『賢さ』をこそ評価し、誉め称えたいと思っている」
人間たちと組むより、魔王と手を組みたい。そう考えた理由を。
「お前に会う前、余はこの国を見て回って驚いた。この国の民は物の値段が高いだの犯罪の取り締まりが厳しいだの闘技場が八百長やってるに違いないだの新しく来た奴らが喧嘩っ早くて困るだのと言っていた。
……まるで人間の国の民がそれなりに上手く回ってるときの愚痴みたいな内容だ。それもかなり有能な部類の王が治めてる国のな」
なるほど、目の前の女は魔族だ。それも恐らくこの大陸でも最強の魔族の一人だろう。
だが……強いからと言ってバカとは限らないのもまた、事実なのだ。
「余に臣従するなら、この都はくれてやる。お前がこのまま治めるのが、一番上手く回るだろうしな。何なら人間の文官で良ければ何人か貸してやってもいい」
力で国を支配していただけならば、他国の人間が言うようにここが魔族に支配された地獄だったならば男とて話を持ちかけたりはしなかっただろう。
だが、力ではなく知恵によって国を治めることが出来るのであれば、殺しあうより良い方法がある。
「だが、タダではないぞ。きっちり働いて貰う。これからお前たちの国から、戦える男……ああいや魔族の場合は男も女もあんまり関係ないのか? とにかく戦えるやつを出して貰う」
ついでに言えばこの国の民は大半が魔族でもあるのだ。
「実は余は敵が多い。余が正当な王だから黙って従えと言ってるのにグダグダと言って臣従しない『逆賊』を山ほど抱えている。そいつらを征伐せにゃならん。
だが如何せん余の抱えてる兵は弱い。戦場まで食糧だの武器だのを運んだり支配した土地を守らせるくらいは出来るがそれ以上は無理だ。
農民の仕事もあるから死なせたり怪我しないように気を付けにゃならんしそもそも逆賊どもの軍勢と戦うには弱すぎる。だからこそ余は考えたわけだ。
農閑期でも関係なく戦えて更に一番強い軍勢を抱えてる『逆賊』を最初に臣従させて代わりに戦わせようとな」
「……それが、私たちだと?」
なるほど。確かに人間にとっては騎士や傭兵などの例外を除けば戦いなどごめんだと言うものが大半だろう。
「まあ、そう言うわけだ。普通の人間にとっては上が勝手に決めてきた戦争に駆り出されて戦わされるなぞ刑罰か奴隷の所業なんだが……」
「……ああ、人間相手に戦いが出来るというなら乗ってくる魔族はごまんといるだろうな。どこから奪ってくるのかといちいち面倒なメシのことを考えずに戦うだけでいいなら尚更だ」
アルティーナは思わず笑う。それは我ら魔族にとっては酷く愉快なことだろうと。
二十年前、あの英雄どもに魔族の神が負けてから魔族は弱くなったが、まだ戦う意思までは失っていない。
戦うことそのものに生きがいを見出す狂戦士なんぞ、掃いて捨てるほどいるのだ。
「……よかろう。臣従とやら、誓ってやろう」
「魔王様!?」
驚いて固まる配下を一瞥した後、再び眼に力を込めて目の前の男を……仲間を見る。
「だが、形だけだ。私は私の方で勝手にやらせて貰う。貴様は私の主君としてこの都に他国の軍勢が入ってこないように守れよ?
まあ、心配するな。ちゃんと血の気の多い戦争狂で良ければいくらでも戦場に送り込んでやるから」
下につくつもりはない。これは、同盟だ。
彼の国とて『魔王の国』にならば攻め込めても『正当な人間の王が支配する国』に攻め込むには大義名分がいるのだから。
それが分からないほど、アルティーナはバカではない。
「ああ、分かった」
ほう、と男は息を吐く。
ようやく、整ったのだ。魔族に負けた途端に裏切ったクソどもを打ち倒すための準備が。
そして仕上げとばかりに男は立ち上がり、宣言する。
「汝、アルティーナよ。このヴィルヘルムの名において汝と汝の子孫を『帝国』に仕える臣下と認め、この都とその周りを領地として与える。以後、我が帝国に忠義を尽くせ」
「……よかろう」
かくて、一つの国が始まった。およそ五十年前の出来事である。
昼下がりの魔都、豪華な調度品に囲まれた執務室で、一人の少女が今日も執務に励んでいた。
「……それでは魔王様、本日の午後の執務はここまでです。お疲れさまでした」
ひと段落つき、つい先ほど目を通して署名をした大量の書類を抱え、恭しく頭を下げて去っていく人間の文官を見送りながら、ラスティーナはどっかりと執務椅子に腰を下ろし、くつろぐ。
「魔王様、ですか……」
思わず自重する。
ラスティーナは魔王である。帝国随一の大貴族の当主にして、魔族を束ねる王である……そう言うことになっている。
ラスティーナは、魔族である。それもただの魔族ではない。
偉大なる魔王アルティーナの血を引く、ただ一人の娘である。それ故に、魔王。
「……魔王を名乗れるほどの力は無いのですけれどね」
幼いころからいつか飛べるようになるのを夢見て動かすうちに習い性になってしまった、扇替わり程度にしか能が無い羽をパタパタと動かし、更に気分を落ち込ませる。
魔族は本来、血筋と言うものを気にしない。魔族の神が魔族にもたらす加護があるために。
魔族の神が魔族にもたらす加護は非常に気まぐれで、どれだけ強い加護を持った魔族の子でも弱い加護しか得られなかったり、逆に弱い加護しか持たない魔族の子が凄まじい加護を持つこともある。
それゆえに本来、魔王と言う称号は、親から受け継ぐものではなく、自ら名乗って認めさせるものなのである。
……数多の魔族と、人間たちから魔王と呼ばれ恐れられた魔族の下には無数の散っていった『自称魔王』が居るのだ。
だが、その強大な魔力と力、そして多数の魔獣を従えたことで魔王と恐れ称えられた魔獣王アルティーナの娘……『最弱王』ラスティーナは違う。
将来、魔王となることが約束されていたラスティーナに、気まぐれな魔族の神は優しくはなかったのである。
珍しいことに加護の種類については、ラスティーナはアルティーナのそれと同じものが発現した。角と、羽と、尻尾が生えた。
だが、その強さはアルティーナとは比較にならないほど、弱い。
エルフすら遥かに凌駕し、攻撃の魔術一つがドラゴンのブレスに匹敵し、簡単な癒しの魔術が高司祭のそれに匹敵するとまで言われた魔力を誇っていたアルティーナの、
王冠のように見えていた7本の立派な角に対して、ラスティーナのそれは2本だけでおまけに前髪を上げてやらねば見えなくなるほど貧弱だった。魔力も人間の、並の魔術師よりは上程度しか授かれなかった。
一振りで鉄をも切り裂くと謳われたアルティーナの背丈を越える長大な鞭のような尻尾の一撃に対して、膝に届かない程度の長さしかないラスティーナの尻尾の一撃は、振り回しても幼子の駄々程度の威力しかない。
自由に空を駆け、戦場を見下ろすことが出来たアルティーナの巨大な翼と違い、ラスティーナのそれは蝙蝠の羽のように小さく、どれだけ必死で動かしても風を起こす扇替わりになるだけで体を浮き上がらせることすら出来ないのだ。
ラスティーナが母親から直々に武術と魔術、アルティーナが魔獣王と呼ばれる所以であった魔獣たちを手懐ける技を学び、
相応の実力を持つことを考えても、この魔都には闘技場で無敗を誇り、魔王と呼ぶに相応しい実力者とまで言われるライオネルを筆頭にラスティーナより強い魔族はごまんといる。
魔王と呼ばれていた偉大なる魔族の中では最も弱いことは明白。それ故の、最弱王ラスティーナ。
流石に面と向かって言ってくるものこそ居ないが、この魔都では知られた名前である。
「……戻りましょうか。少しくらいは、鍛えておかないと」
これ以上考えていても余計につらくなるだけと考えたラスティーナは気分を変えるために独り言をつぶやく。
彼女が魔王の名を継いで三年。執務のことはようやく分かってきたが、魔族としての強さはまるで成長していない。
それどころか、最近は執務が忙しくて鍛錬が疎かになり、実力はむしろ落ちた気すらする。
魔王を名乗るものとして『弱すぎる』のは、どうかと思う。
「ファル。一度部屋に戻ります。着替えの手伝いは不要です」
だからこそラスティーナは密かに決意していた。
魔族として、あの奇妙な存在の正体を確かめてやろうと。
「かしこまりました。魔王様」
すぐそばに控えていた、見た者の動きを止めるメドゥーサの瞳を持つために護衛を兼ねて選ばれたメイドに予定を伝え、ラスティーナは立ち上がる。
……その後に待つ、出会いと再会の予感すら感じないまま。
それは、奇妙過ぎる存在であった。
「……異世界料理のねこや。本当に、なんなのでしょうかこれは」
東大陸語の文字が書かれた看板が取り付けられた扉だ。よく手入れされた、猫らしきものが描かれた黒い扉。
それが、魔王の寝室の、衣装ダンスの中に突如現れたのは今朝がたのことである。
(……確か、古いエルフの魔法に空間転移の魔法があるとは聞いたことがありますが、その類でしょうか?)
大陸屈指の大貴族としての伝手をたどって得た情報によれば、英雄の一人であり、偉大なる魔術師アルトリウスが復活させたと言う失われた伝説の魔術の一つ。
アルトリウスとその教えを直々に受けた弟子の一部は空間転移を使いこなし、東西の大陸を一瞬で渡ることが出来るとも聞いたことがある。
(ですが何故それがこの魔都に……)
だからこそ、分からない。そんな魔法が、この魔都の宮殿に現れる理由が……料理屋の看板を下げている理由も含めて。
「……取りあえず、考えても分からないことが、分かりました」
となればやることは一つ。
ラスティーナは意を決して、扉を開く。
チリンチリンと、鈴の音を響かせて扉が開く。
そして、その先には……扉に書かれていた文字通りの場所が広がっていた。
扉をくぐった先にある妙に明るい部屋は、昼下がりの喧騒に包まれていた。
(ここは……まるで魔都の酒場ですね)
ちらりと目を走らせて、様子を伺う。
そこにいるのは、人間やエルフ、ハーフエルフにドワーフ。ハーフリングに……魔族と魔物。
まるで統一感と言うものが無い雑多な種族が集まり、見慣れぬ料理や飲み物を楽しんでいる。
中には普通に出会えば殺し合いを始めそうな組み合わせも見えるのだが、お互い争う様子はない。
その様子は、母と共に訪れた、気まぐれな加護故にどうしても雑多な外見とならざるを得ない、魔都の魔族が集まる酒場を連想させる。
(しかし、魔都にもこんな場所があるとは聞いたことがありません)
だが、魔族ではなく、魔物までいる酒場など、いくら魔都でも存在しないはずだ。
そんな場所があれば仮にも魔王である自分の耳に入らないはずが無い。
そうして、更に探ろうとしたときだった。
「……もしかして、ラスティイナさまですか?」
耳に入ってきた、聞き覚えのある声に特徴的な喋り方に思わず息を飲む。
「アーデルハイド……殿下? 何故ここに!?」
そこには、一応は自分の仕える主君……皇帝陛下の愛娘であるアーデルハイドその人がいた。
あったのは幼い頃に皇帝陛下の即位式の折に挨拶し、共に遊んだ時と、ラスティーナの魔王就任を帝都に報告に行った時の2回だけだが、その姿は見間違いようが無い。
記憶にある姿よりも育って美しくなったように思うが、その驚いた表情には確かに見覚えがあった。
「私がまお……当家を継いだ後、ご病気で療養されていると伺いましたが……何故、ここに」
確か、自分が魔王になってすぐに、貧民殺しに掛かって離宮へと療養に向かったと聞いた覚えがある。
それが何故、あの怪しげな扉の向こうにあったこの場所にいるのか、ラスティーナには理解できなかった。
「もちろん、ここでパフェを頂くため……おじい様のお導きですわ」
そうして返されたアーデルハイドの言葉に、ラスティーナは思わず吹き出す。
(ああ、そう言えば殿下はこういう方だった)
そうだった。今までに2回会ったことがあるこの人はどこか抜けていて、世俗に疎くて……魔族がどうとか言う細かいことをあまり気にしない。
それは魔族と共存する帝国にあってなお、人間から、そして同じ魔族からも少しだけ距離を置かれる立場にあったラスティーナに取ってとても好ましく思えたことを思い出した。
「よろしければ、ご一緒しません? 今日はシャリイフ様もラナア様もいらっしゃらなくて寂しいと思っていたんです」
(シャリーフに、ラナー……もしや西の大陸の王子と王女?)
確か、最近帝国との交流を増やしている西の大陸の砂漠とかいう砂しかない地にある国の王族が同名だったはずだと思いながら、ラスティーナはアーデルハイドに勧められるままに柔らかな椅子に腰掛ける。
「あの、いらっしゃいませ! 初めてのお客さん、ですよね? アーデルハイド様のお知り合いですか?」
椅子に座ってすぐ、他の客に料理を運んでいた給仕らしき少女がラスティーナに話しかけて来る。
その少女は魔族らしく、山羊のものらしき角が生えているのが見えた。
「はい……あの、ここはどういう?」
この不可思議な店で見かけた同胞に少しだけホッとしながら、ラスティーナは少女に尋ねる。
加護も力も弱そうに見える魔族なのに身ぎれいにしていることから、恐らくは帝国の裕福な家に生まれた子女なのだろう。
こんな不思議な場所で給仕を務められるなら、詳しい事情も知っているはずだと当たりを付けたのである。
「はい、ここは異世界にあるお料理のお店です。いろんなお料理があるんですが、どれも美味しいですよ!」
果たして少女はこの店のことをどこか誇らしげに答える。
「りょ、料理……? いや、確かに扉にはそう書いてありましたね……」
そういえばあの扉には『異世界料理のねこや』と書かれていた。つまりはここは確かに料理の店、それも異世界の料理を出す店なのだろう。
「それで、せっかくですので何か食べて行かれていませんか? 初めてのお客様はお金を持ってきていないことも多いのでお代はツケでも大丈夫ですよ?」
「ええ。せっかく異世界食堂に来たのですから、ラスティイナ様もパフェなどいかがですか?」
そう納得したところで、にこやかに言う給仕の少女の言葉に合わせるようにアーデルハイドも勧めて来る。
「はあ。では、せっかくですので……いただきます」
ここで断るのも失礼だろう。そう考えてラスティーナは頷く。
「そうですか。でしたら……確かラスティイナ様は果物は苦手、なんでしたよね?」
話がまとまったところで、遠い記憶を思いを馳せ、子どもの頃ひと月ほど共に遊んだ目の前の友人ことを思い出す。
確か、ラスティーナは野菜や果物の類はあまり好きじゃなかったはずだ。
母娘を招いた晩餐の場でも肉料理を多く食べ、帝国各地から取り寄せた野菜や果物を使った料理は殆ど手を付けて居なかった。
ラスティーナに似た顔立ちに、ラスティーナより大きい角と羽と尻尾がある母親は逆に、食卓を囲む晩餐の場でも肉の類はほとんど手を付けず、野菜や果物ばかり食べる人であって正反対だったのをよく覚えている。
「ええ……甘いものは好きなのですが、果物は少し」
そうして、心なしか恥ずかし気に応えるラスティーナは今も果物の類はあまり好まない。
大人になり、必要とあらば食べることも出来るが、好き好んで食べたいとは思わないのだ。
……幼いころ、気まぐれに執務を放り出して宮殿を飛び出し、どこからか手に入れて来た熟れた果物を食べさせようとする母親に正直辟易したことも、今となっては懐かしい思い出でもあるのだが。
「それならば……カッファはいかがでしたか? 確か今代の魔王たるラスティイナ様にも献上し、たいそう気に入られたとシャリイフ様が仰っていましたが」
「カッファ……ええ。美味しくいただいております。中々出回らないのが難ですが、都に住む者たちにも私を含めカッファを好むものを最近は多いですよ」
今度は、頷きつつ答える。
少し前から帝国に運び込まれたあの真っ黒な西の大陸の茶は、一年ほど前から魔都でも出回りだした。
煮出すようにして飛び切り濃く入れたものに高価な白砂糖をたっぷりと入れ、甘みを強めて飲むと執務をこなして疲れた身体によく染みこむ。
疲れが取れて、頭が冴える気がするのだ。今では定期的に買い上げて切らさないようにしているほどである。
「……ならば、あれが良さそうですね」
ラスティーナの答えを聞き、アーデルハイドはお勧めするお菓子を何にするか決める。
―――この異世界のお菓子は豊富だからこそ、何を勧めるかはよく考えねばならない。
時折共に卓を囲む、公国のちょっと耳の長い魔術師貴族から教わった作法である。
「アレッタさん。こちらにモカチョコレイトパフェを一つ、お願いいたします。私が先ほど頼んだチョコレイトパフェと一緒に持ってきてくださいませ」
「はい! それでは両方お出しするのに少々お時間頂きますが、よろしいですか?」
「ええ。お願いいたしますね。さて、後は待つだけですね……そう言えば、ラスティイナ様はどうやってここに?」
ちょうど通りがかったアレッタを呼び止め、にこやかに追加注文をして、それからようやくそのことに気づいた。
「え? あの、実は宮殿に怪しげな扉が現れまして」
「まあ! それは運が良かったですね!」
「……えっと?」
相変わらずマイペースなアーデルハイドの反応に目を白黒させながら、アーデルハイドの次の言葉を待つ。
「ここの扉は気まぐれで、どこに新しく現れるかは誰にも分からない。そう聞いております。おじい様のように、一度現れた扉の上に離宮を建てれば必ず同じ場所に現れるのですけれど……」
「そうだったのですか……」
そう言えば帝都から少し離れた辺鄙な場所にヴィルヘルム様が晩年を過ごした離宮があったことを思い出し、ついでにどうやらあの扉がさして悪いものでもないと確信する。
少なくとも、ここによく訪れているらしいアーデルハイドの様子を見るに、ここには危険らしい危険はないのだろう。
そう気づいて、ラスティーナは少しだけ、肩の力を抜く。
「まあ、それなら特に対処する必要は無さそうですね」
「ええ。私も久しぶりにラスティイナ様とお会いできましたし、良かったと思います」
「……私もです」
そう言って朗らかに笑うアーデルハイドに、ラスティーナもつられて微笑む。
「……ラスティイナ様も笑顔になられましたね、良かったです」
「え?」
「こちらに来てから、この場所を警戒してたの以外に、何か張り詰めたものが感じられましたので。何かあったのですか? ラスティイナ様。
よければ、パフェが来るのを待つ間にでも、お話してくださいませんか? 離宮での暮らしは、そう言う普通のお喋りが不足するのです」
それだけ言うと、すっとアーデルハイドは口を閉じ、じっとラスティーナを見つめる。
「……実は、最近悩んでいるのです。私がこのまま魔王で良いのかと。もっと実力ある別の魔族に魔王の地位を明け渡すべきなのではないかと」
その視線に促されるように、ぽつり、ぽつりとラスティーナは魔都の宮殿では絶対に口に出来ない悩みを打ち明ける。
自分だけではない、きっと他の魔族たちも思っているであろう悩みを。
「そうなのですか? 以前、お父様がラスティイナ様が新たな魔王となられたことを心強く思うと仰っていましたよ?」
「皇帝陛下が?」
だが、それに対するアーデルハイドの反応は余りにも予想外で、目を見張る。
皇帝陛下……偉大すぎる親を持った者同士であり、年こそ離れてはいるが親近感を覚えていた方が、自らを誉めていたということ。
そして自分に、心当たりが全くなかったことに。
「ええ。ラスティイナ様が謁見してすぐの頃です。アルティイナ様が連れて来た時も思ったが、ラスティイナ様はとても頭が良い。賢いと。これならば魔都を治める領主も立派に務まるだろうと」
「……頭が良い、ですか」
ああ、と思わずため息とついて言う。
確かにラスティーナは普通より頭が良い。物覚えも良く、執務なども滞りなくこなせ、交渉も上手い。
もっと幼いころから次の魔王としてアルティーナの侵攻作戦の立案と治世を助けて来たし、ラスティーナが魔王となってからは人間相手の交易にも力を入れて領地の税収や人口も若干ながら増えたほどだ。
お前になら私が死んだあとにこの魔都を任せても上手く回せるだろうと、逃れ得ぬ寿命が迫り、病床に臥せった母から言われたこともある。
「ですが私は生憎と魔王としては、その……余りにも……弱いと言われていますが」
だがそれは、ラスティーナが生来持つ魔族として致命的である弱点を補うには至らない。
神から、役立たずの弱い加護しか与えられなかった魔族に、魔王を名乗る資格があるのかとどうしても考えてしまう。
「あら? 弱いと何か問題があるのですか?」
「はい?」
だからこそ、アーデルハイドの言葉にラスティーナは驚く。
何を言っているのだ。そう思った。
そんなラスティーナの驚愕を知ってか知らずか、アーデルハイドは言葉をつづける。
「私は戦いの技は殆ど知りません。剣どころか短剣すらまともに使えませんし、魔術も使えません。それでも皇女は務まっておりますし、お父様も剣は嗜み程度にしか使えないそうですが、皇帝陛下です。
シャリイフ様のように王族であっても強くあることは良いことだと思いますが、強くある必要があるのかと言われるとよく分かりません」
「……それでいいのですか?」
あまりにと言えばあまりに割り切った言葉だ。
だが、理屈は分からないでもない。
ラスティーナとて統治者として、人間の世界のことはそれなりに知っている。
人間の場合、国を率いる王であっても基本的には大して強くないのは、むしろ常識と言ってもいい。
だが、自分は魔族であり、魔王なのだ。それが自分にも許されるのかは、よく分からなかった。
「分かりません。ですが、弱いのならば戦場に出なければ良いだけでしょう? おじい様も仰ってましたわ。戦いは強いものに任せておけ。
彼らが上手に戦えるように準備を整えるのが上に立ち、戦場に赴くよう命令を出すものの仕事だ。大将が直々に戦う羽目になってる時点で負け戦だと」
それは、アーデルハイドにも分からない。だが少なくともおじい様……帝国で一番偉かった祖父は、強さにはあまり価値を見出して居なかった。
戦場では、弱くても兵士たちを上手く動かせる方が勝つとも言っていたような気がする。
「それに、こうも言っていましたわ。国を栄えさせることは戦いに勝つよりはるかに難しい。そして、国を栄えさせることが出来る王はとても貴重だから、大事にせよと」
「……そう、ですか」
アーデルハイドの言葉が沁みる。
それは、強さを至上の価値と見ない人間だからこその言葉なのかもしれない。
だが、その言葉を飲み込むのは自分には生まれついての加護が無い、弱いと嘆くよりは、よっぽどマシに思えた。
「……そうですね」
だからこそ、ラスティーナは笑って頷いて見せる。
「……良かった。ようやく笑ってくれましたね」
対するアーデルハイドも又、笑顔を深める。
ここは異世界食堂、美味しいパフェを食べるならば、やはり笑顔が一番いい。
ここに通いだして、学んだことである。
「おまたせしました! パフェお持ちしました」
二人が笑顔で微笑みあったところで、注文したパフェが届く。
かくて、少女二人の細やかなお茶会が始まったのであった。
(さて、これは……黒くて、茶色いですね)
ことりと自分の前に置かれたパフェなるお菓子を生まれて初めて見た感想が、それだった。
(整っては居るし、盛り付け方も凝ってますけど……これ、焦げているんじゃ?)
怪訝そうに眉を顰める。
美しくて形の整った硝子の杯から溢れださんばかりに盛られた、正体不明の菓子の数々。
幾重にも層を為したそれは、確かに専門の職人が盛り付けたもののように見えるし、見栄えはいい。
目の前のアーデルハイドの前に置かれたもののように、白い何かを中心に色とりどりの果物で飾り付けられていれば、味はともかくとして見た目は美術品のようにすら見えただろう。
だが、アーデルハイドの物と比べると、ラスティーナのものは、白と黒、茶色だらけで一見すると美味しそうに見えない。
硝子の杯の底に敷き詰められた黒いスライムのような何かの上に、砂色をした何かがかぶせられ、その上には湿った黒いものが乗せられ、その上から茶色い小さな何かが敷き詰められている。
その上には白いと茶色が混ざり合ったものに、アーデルハイドのものと同じ白いものが盛り付けられているが、こちらにはその上から黒いものが多めにかけられている。
その上に飾られた丸い菓子も、淡い小麦色ではなく、かなり焦げた茶色に近い色合いをしていて、美味しそうとは思えない。
その脇にはちゃんとした焼き色で表面に透き通った砂糖が散らされた焼き菓子が見える辺り、恐らくは失敗作などではなく、正しい菓子なのだろうが、正直食べるのには少々勇気がいるものであった。
「さあ、どうぞ。私はこちらのパフェの方が好みですが、そちらのパフェも美味しいのですよ。きっとラスティイナ様も気に居ると思います」
だが、アーデルハイドはその菓子を確かに美味だと称した。
(……まあ、異世界なのですから、これが美味しいということもあるのでしょうか)
そう思い、意を決してラスティーナは菓子を口にすることにする。
側に添えられた、まずはごく普通の菓子に見える部分を指でつまみ、食べる。
(ほう……これは、美味しいですね。甘さは弱いですが、口当たりが軽い)
表面に砂糖を散らしている割に、使ってる砂糖の量がさほど多くないのか、意外なほど甘みが弱いそれは薄い焼き菓子を何枚も重ねたような感触でさくりと口の中で砕ける。
小麦の味に、バターの風味を持ったそれは口の中で砕けたあと、あっという間に溶けて口の中から消える。
(……さて、次は)
最初の焼き菓子の完成度の高さに、自然と期待を覚えながら、今度は同じく添えられた茶色い塊に目を向ける。
白くて柔らかそうな何かの上に綺麗に並べられた、艶々とした茶色い塊。
ラスティーナの知識に無い代物だが、恐らくはこれも菓子なのだろう。
銀色の匙で周囲の白い何かと共に掬い上げ、口に運ぶ。
(ん。この白いのは、乳菓子でしょうか。ほんのりと甘くて……ん!?)
美味しいと思ったところで口の中で茶色い何かが溶けて、混乱する。
(苦味!? いやでも……甘い!?)
その菓子は、苦く、そして甘かった。
ラスティーナの知る限り、菓子に苦みなど、普通混じらない。しっかりと甘いだけのはずだ。
だが、舌の熱で柔らかく溶ける菓子には、控えめな甘さと混じりあう苦みが確かに感じ取れた。
(甘さと苦み……なるほど、殿下がカッファについて聞いたのはこのためでしたか)
カッファもそれ自体は苦くて酸味もあるが、それに溶け残るほど砂糖を入れてから飲むと、甘くて苦い、とても美味な飲み物となる。
あの風味を少しだけ思い出す菓子であり……見た目からは想像できないほど、美味だった。
思わず残った二つの菓子を立て続けに匙で掬って、食べる。
(……どうやらこの白い乳菓子に掛けられた黒いものは、溶かした先ほどの菓子と同じもののようですね)
それから、白い乳菓子を覆う黒いものが、その先ほど食べた茶色い塊と同じ色合いの濃い茶色に近いものと気づき、それが何であるかに気づく。
白くて、柔らかくて、ほんのりと甘い乳菓子に、強い甘さと苦みを持つ、黒くてとろりと溶けた菓子。
それを同時に食べることにまい進する。
(……おや、今度は茶色いものが……?)
そうして掘り進めるように食べていくと、風味が変わる。
先ほどまでの乳菓子より少し固く、とても冷たい茶色の乳菓子。
風味などからは上に乗っていた白いものに似たものを感じるが……
(甘くて苦いですが、先ほどの黒いものとは何か、別の……うん?これはどこかで味わったことがある?)
乳の風味に混ぜ込まれた、甘さの中に混じったほんの少しの苦みが甘さを引き立ててるのを感じるが、その苦みは先ほど味わった黒いものとはまた別のものであった。
そのもう一つの味にラスティーナはどこかで味わったことがある風味を感じ、ラスティーナはそれが何であったかと考える。
(この店に来る前、しかし最近……?)
考えながらも匙は止まらず食べ勧めるうちに、今度は焼いた破片のようなものに行きあたる。
こちらは甘みも弱く、単独で食べても美味とは思えぬ代物だったが……食べるうちに溶けた乳菓子に浸ると、意外と悪くない味がする。
サクサクと砕ける香ばしさは、最初の葉っぱを模した焼き菓子を除けば、上に乗っていた様々な菓子には無い食感だ。
その食感を楽しんで居るうちに、次の菓子が見えて来る。
湿り気が強くて、黒に近い焦げた茶色をした、何か。
一見すると美味そうに見えないが、この菓子がどれも美味なお菓子で出来ていることを知ったラスティーナはもはや躊躇無く口に運ぶ。
驚くほど柔らかな生地に、じゅわりと何かを染みこませた菓子。
それを口にした瞬間、ラスティーナは先ほど感じ取ったものが何であったのかを悟る。
(そうか……これはカッファですか!)
飛び切り濃く入れて、砂糖を限界まで溶かしたカッファの味。
まるで水を含ませた布のようにそれが染みだす菓子は舌でも切れそうなほどに柔らかく、下に満遍なくカッファの味を行きわたらせる。
(となればこの下のものは、乳を混ぜたカッファのお菓子ですね!)
そう思い、砂色をした菓子を食べれば、ラスティーナの予想通りの味がする。
カッファと乳を混ぜ合わせた、乳の味が強いカッファ。
どうやったのかつぷつぷと弾けて溶け行くように固められたそれは、濃いカッファの風味を含む上の生地とはまた違う優しい味わいがする。
黒い生地と砂色の菓子を含む割合を変えれば、僅かながら違う味わいも楽しめて、あっという間に両方がラスティーナの胃袋に消える。
(最後のこれは……ああ、カッファを固めたもの、ですね)
そして一番下に残った黒いスライムのようなものは文字通りの意味でカッファを冷やし固めたものの味。
上の生地のように、限界まで甘みを足したわけではないのであろう固めたカッファの甘みは弱く、それ単体ではさほど美味しいとは思わない。
だが、ここまで食べ進めるうちに溶けだした様々な乳菓子の残りが、漆黒のカッファにしみこみ、甘みを足す。
つるつるとした不思議な食感に、乳の味が加わると、それはまた違う美味になっていた。
かくてラスティーナは最後の硝子の杯に残った一滴までモカチョコレートパフェを堪能し、ため息と共に匙を置く。
見ればちょうどアーデルハイドも堪能し終えたらしく、匙を置くところであった。
目が合い、お互いに微笑む。
お互いの顔を見れば、このパフェに満足していることはよく分かった。
「また、ご一緒してもいいですか?」
だからラスティーナは、端的にそれだけ言う。
「ええ、もちろん。お待ちしておりますわ。今度はヴィクトリア様やラナア様、それにシャリイフ様にもご紹介いたしますね」
アーデルハイドもまた、それが当然だと言うように頷いて見せる。
「……本当に、来れてよかった」
食後の、熱いカッファを二人分注文するアーデルハイドを見ながら、知らず知らずのうちに翼と尻尾を振りながらラスティーナは思わずつぶやく。
素敵な語らいと、素敵なお菓子。
この出来事を自分はきっと一生忘れないだろうと思う。
最弱王ラスティーナ……この名を彼女自身が堂々と自称するようになるのは、もう少し先の話である。
今日はここまで。