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カルボナーラ

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますがあまり活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。

・注文は紙に書いて間違えないようにすること。

面倒なことになった。

王国に仕え初めて三十年の月日を数えるエドモンは王宮の一室で、密偵から情報を聞いてため息をついた。

「そうか。皇女殿下は砂の国に嫁ぐ線が濃厚か」

「は。既に帝都では砂の国の王太子陛下を中心とした大規模な使節団が訪れて噂となっております。間違いないかと」

エドモンの言葉に、彼に長く仕えてきた忠実な密偵は一つ頷きを返して、言葉を続ける。

「相分かった。大儀であった。下がって良いぞ」

一通り情報を聴き終えた後はエドモンは密偵を下がらせる。

「……帝国め。一体何を考えている?」

そう呟くエドモンの顔には、強い警戒の相が浮かぶ。

王を含めた王国の上層部はヴィルヘイム無き帝国など取るに足らずと言ってはいるが、王国内部において長く諜報を担当してきたエドモンは帝国という異質な国の強さを誰よりも知っていた。


王国にとって帝国とは、偉大と認めざるを得ない皇帝ヴィルヘイムの国である。

故にそのヴィルヘイムが老いて冥府へと旅立ち、王としては凡庸な器しか示していない今の皇帝が治める帝国など恐るるに足らず。

所詮は王を除けば野蛮な魔族と平民しかいない烏合の衆の国。長くこの東大陸の秩序を担ってきた王国の敵にあらず。


その、王国ではごく当たり前に言われている言葉こそ甘いとエドモンは考えている。

確かに今の帝国には、かつての餓狼のごとき勢いは感じられない。

現皇帝の取り仕切った戦は十数年前に一度起こっただけであり、それはあのヴィルヘイムが崩御する直前であった。

それ以降、帝国は膨大な兵を国境の警備に使うばかりで、戦いらしい戦いは行わず、国の荒地にダンシャクの実を植えてばかりである。

(だが、それは断じて偉大なる皇帝ヴィルヘイムを失い、導くものがいなくなったからなどではない)

エドモンはそう感じている……むしろ、あのままあちこちに噛み付く餓狼の国であったならもっと容易い相手であったとすら思う。

ダンシャクの実という神の作物(地の神の神殿が吹聴する眉唾ものの話にしか過ぎぬが、なるほどそう言いたくなるだけの素晴らしさは有していた)を得て、帝国はその方針を大きく転換した。既に切り開かれた麦畑を奪うのではなく何も実らぬはずの荒地を民草を育み育てるダンシャク畑に変える方向へ、というのがエドモンが得た結論であった。

(恐らくはヴィルヘイム様の最後の策略と言うべきか……恐るべき人だ)

今にして思えば帝国が少し無理をして起こした、港を得るための最後の戦いが、ヴィルヘイムが崩御する直前であったことこそがヴィルヘイムの残した最後の遺産であったのだろう。

これにより、急に戦を起こさなくなった帝国のことを誰も疑わなかった。

ヴィルヘイムから教えを得たとはいえ新たな皇帝では膨大な数の軍をまとめあげる必要がある戦の取り仕切りが出来なくなったため、守りに入らざるを得なくなったのだと。

(だが、違う。帝国はダンシャクの実を育てて国を富ませ、力を蓄えているだけだ)

軍とは、常に必要なものである。

たとえ戦なき平時であっても、本能のままに暴れる魔物たちは必ずいる。

それを倒すのは、軍や騎士団の仕事だ。冒険者や傭兵など、一介の村人や商人ならともかく国はあてにしてはならないのだ。

故に今の広い領土を持つ帝国が今なお膨大な軍を養い、保っているのも一見すればおかしくはない。

だがそれは裏を返せば、いざ何かあればまたかつての餓狼の如き戦をいつでも起こせるということでもあるのだ。

(王も貴族たちも、その危険が分かっておられぬ)

あるいは今の王国こそが烏合の衆とでも言うべき存在なのかも知れない。

そんな故国の現状を憂いて、エドモンは再度ため息をつく。


王国は、かつて牙を剥いた古王国の中央……恐るべきリッチと化した王の支配下にある死霊の群れや無軌道に暴れまわる魔族に抗うために、当時は辺境と呼ばれていた地を治めていたいくつかの有力諸侯が同盟を結んだのが始まりであるとされる。

元々が妥協の産物であるがために国力はあれどまとまりがない。

古王国の正当な血筋を有するために公王の言葉が何よりも優先されると臣下がわきまえている公国や、先帝がその才覚一つで国を育て上げたがために皇帝の言葉に従うことに誰も疑いを持たない帝国とは違い、王国の王は最も有力な貴族の当主とでも言うべき存在で、何か一つ事を起こそうと思えば王であっても根回しと調整が必要とされる。

それ故に王国では帝国の素早い動きに対応しきれずに煮え湯を飲まされたことも少なくないのだ。

(此度のことも……王国からは何も出来ぬのであろうな)

その歴史の無さ故に魔術の研究には疎い帝国が、魔術の研究においては王国や公国にも匹敵すると言われる砂の国と繋がるのは、王国にとってはあまりよろしくない。

だが、王国ではヴィルヘイム亡き後の帝国を侮る重鎮は多く、何より互いに足を引っ張り合うことしか頭にない彼らでは帝国を相手に何か事を為す前に全て終わってしまうであろう。

(王国はこの先、どうなるというのだ……頭が痛いな)

焦燥を感じながら、エドモンは『情報収集』に出ることとする。

王国開闢以来、あちこちから集められた歴史ある資料に囲まれた己の定位置である黴臭い資料室。

その奥に、エドモンしか知らぬ秘密の扉がある。

七日に一度、ドヨウの日にしか現れぬ猫の絵が書かれた黒い扉。

エドモンはひっそりとそこをくぐり客となる。


薄暗い資料室の奥で、チリンチリンと鈴の音が響いた。


一転して明るい店内をゆっくりと見渡し、見知った顔である大賢者アルトリウスと目だけで挨拶をするとエドモンは座る席を決める。

ひっそりとした、目立たない席がエドモンの定位置である。

「いらっしゃいませ」

そうして席に着くと、給仕がゆっくりと近づいてくる。

「……ふむ。新顔か。君、名前は?」

それがいつもの魔族の娘であるアレッタではなく、山国風の顔立ちをした人間の娘であることに気づき、軽く話しかける。

給仕服をあまり着慣れているようには見えぬその娘は、少しぎこちない笑顔を浮かべて言葉を返した。

「ええ。先週から厨房と兼任で働かせてもらうことになった、山方早希と言います。よろしくお願いしますね」

「そうか。ヤマガタと言うのか。さて、注文しても良いかね?」

言葉遣いや物腰から察するに、アレッタより給仕の仕事には慣れていないようだがそれなりに教養はあるのだろう。

そんな観察をしながら、エドモンはいつもの料理を注文する。

「カルボナーラを頼む」

アルフェイドでも出していない、その麺料理を最初に食べる。それがエドモンの流儀である。

「はい。カルボナーラ……ですね。少々お待ちください」

注文を聞くとヤマガタは腰元から見慣れぬ棒と板のようなものを取り出してサラサラと書き付ける。

(ほう、字が書けるのか。やはり教養はあるようだな)

アレッタはいつも注文を聞いて伝えに行くだけなのと比べれば字が書けるというだけでも相当に教養に差があることが伺える。

そんな観察を受けてることを気にした様子も無く、ヤマガタは厨房へと戻り、注文を伝えに行く。

(さて、今のうちに客を見ておこうか)

注文を終え、エドモンはゆっくりと店内を観察する。

いつもの無表情でオムライスというらしい料理を食べるリザードマンや、蜂か何かの群れのようにテーブルに置かれた何かの菓子に群がるフェアリーの群れ。

床にどっしりと腰を下ろし、肉を貪り食いながら酒を飲む夫婦らしき番のオウガに、褐色の肌をした少年と楽しげに語らう、物腰にどこか気品と教養を感じさせるラミア。

いつものように席を隣り合わせ、料理を食う公国の騎士と、ゴールド商会のご令嬢。

厨房が見える唯一の席を占拠するアルフェイド商会の料理人。

朗らかに料理を貪る姉といつもどこか気難しげに見えつつも手早く優雅に料理を食べる妹の組み合わせであろうエルフの姉妹。


そして、我関せずと言った様子で、黄金色の麦酒をゆっくりと楽しむ大賢者。

この店で、それぞれに料理を楽しみ食べる、様々な客たち。

エドモンの常識では考えられぬような状況だが、いつしか慣れ、そして気づいた。

こうして見ているだけでも、この店からは様々な情報が得られると。


エドモンは情報を集めることを好む。それを使うことで一介の貴族文官から大臣にまで上り詰めた。

その観察眼は鋭く、この店で様々な情報を得てきた。

「お待たせしました。カルボナーラです」

「おお、来たか。では、さっそくいただくとしよう」

だが、それもこうして異世界の店で一人カルボナーラを食べる時だけは別だ。

普段中々得ることができぬ、誰に邪魔されることも、煩わしい駆け引きも無い、一人だけの食事。

これを食べる時だけは、エドモンは仕事を忘れることにしていた。


温かな湯気からはチーズの香りが漂ってくる。

とろりと溶け切った、卵が混ぜ込まれた淡い黄色のチーズがたっぷりと絡められた麺にちらりと覗く、ピンク色の燻製肉とその上に散らされた黒い胡椒の粒。

(うむ、やはりカルボナーラはこうで無くてはな)

王国に生まれ育ったエドモンは、麺料理には特に思い入れがある。

まだ成人したばかりの頃、アルフェイド商会が次々に生み出した革新的な料理が麺料理だった。

あの頃は宮中でもアルフェイドが次にどんな料理を生み出すのかと話題になったものだ。

(もっとも、そのアルフェイド商会の原点はどうやらこの店らしいがな)

そんな懐かしい記憶をたぐりながら、フォークで麺を巻き取る。

銀色のフォークに一口サイズで巻き取られた、麺を口元に寄せ、チーズの香りを一つ吸い込んでから、口に入れる。

出来たての熱さを持つ麺がチーズを溶かし、溶けたチーズが口の中に広がっていく感覚に、エドモンは思わず笑みを浮かべる。

濃厚なチーズの風味と、それに負けぬ程に濃厚な卵の味。その二つを彩るのは適度な塩気に燻製肉から溶け出した脂と、味を引き締めている黒胡椒の辛さ。

それらがチーズの中に溶け込み、そのチーズをまとった麺のしっかりとした食感と共に美味さを伝えてくる。

(うむ。やはりこの風味がたまらんな)

初めて食べたときは卵とチーズがこれほど合うとは思わなかった。

また、麺も普通のものよりやや太い麺を使うことでチーズの味に負けていない。

たっぷりとチーズを纏いつつも、麺の小麦の味がしっかりと残っていた。

(さて、次は……)

フォークにて燻製肉を刺して口へと運ぶ。

肉厚の角切りにされた燻製肉の程よく脂が抜けて肉の風味をしっかりと感じさせる味は、濃厚なチーズの風味に慣れた舌にまた違う旨味を感じさせ、更にカルボナーラを楽しませる味となっていた。

麺を食べ、燻製肉を食べ、そしてまた麺を食べる。

ひと皿のカルボナーラは瞬く間に空となった。

「ふぅ……すまない。追加でコーヒーを頂きたい」

食べ終えた後、エドモンはそっと苦いコーヒーなる異世界の茶を飲んで舌を休ませる。

(さて、仕事に戻るとしようか……)

ひと皿のカルボナーラで満足したエドモンは、これからの仕事に思いを馳せるのであった。

今日はここまで。

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