特攻帰り
一、ボクサー
赤コーナー、勝間忠と名前が呼ばれると、忠はリング中央に出てグローブをつけた両手を差し上げた。それからコーナーに戻ると、セコンドについている野見山ジム長の顔を見たが、忠の顔はデビュー戦に臨む緊張からか少し強張っているようであり、自分でもそれが分るのだった。その表情を見た野見山が言った。
「どうした、忠。緊張してんのか。お前らしくもねえ」
忠は無言でうんうんと頷いた。
「心配するこたねえよ。相手は場数はお前より踏んでるようだが、お前よりいくつも年下だ。特攻帰りの男っぷりを見せてやれ」
時は昭和二八年(一九五三年)、朝鮮戦争が終結してまだ間もない頃のことだった。軍需景気により漸く国の経済は上昇機運に向いてきていたが、日本の社会はいまだに太平洋戦争による深い傷痕から立ち直れていなかった。戦後の娯楽の少ない時代、ここ浅草公園裏の特設リングで行われているボクシングの試合を見に来ている客も、社会全体をなおも覆っている殺伐とした気風を反映してか、試合開始前から双方の選手に対し、荒々しい怒号とも思えるような応援の声を上げていた。
忠は青コーナーにもたれながら鋭い視線でこちらを見ている対戦相手の功刀貞一郎と目を合わせた。トレーナーらしき様子の男の他に、一見その筋の男と分る、角刈り着流しの男がセコンドにいて、こちらの様子を窺いながら、何やら話しかけ、選手は頷いていた。相手は現在十六歳のサウスポーで、昨年十五歳でデビュー戦を勝利で飾ってから、順調に勝利を積み重ねてきているということだった。顔立ちはまだ少年らしさを残していたが、鋭い目つきには客気を感じさせ、よくしまった筋肉質の体つきは厳しいトレーニングに耐えて、試合という頂点に向けて心も体も十分に仕上げてきたという印象を与えた。まだ背丈が伸び盛りといった体つきで、減量のせいか痛々しいくらい細く、蒲柳の質のように見えなくもない。しかし決して侮れる相手ではないと、忠の修羅場をくぐってきた男の直感が言っていた。お互い食うか食われるかなんだと忠は思い、武者震いをすると、向き直って双のグラブを胸の前で合わせた。
十五歳でデビューかと、そう思って敵の顔を見ながら、忠は自分が同じ年齢だった頃のことを考えた。十五歳といえば、彼が農家を営む実家から土浦の予科練に入隊した歳だった。その頃、自分は特別攻撃隊員として見事お国のために散華するのだと忠は思っていた。自分と生まれ年が数年違うだけで、十五歳の境遇はこんなに違うものかと思うのだった。
忠は埼玉県美女木の農家の長男として生まれた。戦争に育った世代の宿命で生粋の軍国少年だった彼は、太平洋戦争の昭和十九年、十五歳で霞ヶ浦に臨む予科練、すなわち、海軍予科飛行連隊に入隊した。この時期の予科練習生たちは、飛行訓練を受けて特別攻撃隊員となるのが目標だった。忠より一つ二つ年上の先輩たちは、最低限の飛行機操縦技術を身につけると、屋久島の神風特別機動隊の飛行訓練所に配属されてゆく。しばらくすると見事御国のために散華されましたという知らせが入った。そういうときは、訓練を受ける忠も何か敬虔な思いに打たれ、いずれはやってくる自分の順番に向けて気合を入れるのだった。零式戦闘機といえば世界にその名を知られた戦闘機だったが、戦争もすでに負け戦が濃厚のその頃の零戦は材料不足で翼のバランスの悪かったりし、命をかけて出撃する者が乗るには可哀想な代物だった。敵のグラマンや、反り返った逆カモメ翼が特徴的なポートスコルスキーなどの戦闘機の格好よさが恨めしかった。しかし先輩特攻兵たちは文句も言わず、よれよれの零戦に乗って従々として任務に付き、あたら命を散らして行った。
忠も入隊した翌年、十六歳のとき、いよいよ出撃に向けて知覧基地に配属されようかというところだったが、急遽変更になり、ラバウル諸島に出征することになった。結局、神風特攻隊として出撃こそしなかったが、忠の心意気はれっきとした特攻隊員であった。南方諸島の戦場で三ヶ月戦ったが、ラバウル戦線は本国に全滅と伝えられた激戦で、忠の連隊は三人残して全員戦死した。彼自身、ここが自分の散華の場所と思い決めたが、奇跡的に生き残った。太平洋戦争は無条件降伏で終わりを告げ、ラバウルの戦友三人一緒に日本に帰ってきたが、東京が焼け野原になったのを見たときは呆然とした。出征していた忠たちは東京大空襲を知らなかったが、帰ってみたらニコライ堂以外何も残っていないのだった。護国のために出征したのに、何のために戦ったのかと流石の忠も首を捻らないではいられなかった。おまけに内地ではラバウル全滅と伝わっており、故郷に帰ってみると忠たちには三人とも墓ができている有様だった。
何とか生きながらえたものの、焼け野原となって荒廃した東京で生きていく道を見出すことは難しかった。生きていくために誰もがどんな仕事にでもついた時代だったが、忠はしばらくの間、埼玉の実家で農業を手伝うことにした。そうして数年がたったある日、ラバウルの戦友だった男がひょっこり忠の実家にやってきた。ボクシング・ジムが選手を募集しているが、腕がくすぶってるだろうから、やってみる気はないかというのである。農家の長男である忠はこのまま実家を継いで農業をやっていくつもりになっていたが、考えてみると、自分は子供の頃から自慢の腕っ節と、予科練仕込み、特攻隊志願の大和魂の他、恃むものは何もない。そこで彼は、ボクサーとして自分の運だめしをしてみるのもいいかと思い、ジムの門を叩いた。
忠が所属することになった野見山ボクシング・ジムは、最近立ち上がったばかりの新しいジムで、東京足立区の元宿場町のはずれにあった。まだ選手を集め始めたところであり、ボクシングで食って行く気がある若い者なら誰でも歓迎で、伝を頼って入門を希望してきた彼をジム長の野見山は快く迎え入れた。もう二三歳になっていた忠はボクサーにデビューするにはやや年齢が行き過ぎていたが、野見山は忠の骨太の体つきと、ブルドッグを思わせる風貌を一目見て気に入った。
「お前は生まれながらの闘犬だ」
忠が入門してから、野見山はことあるごとにそう言った。確かに、忠は子供時代から腕っ節が自慢で、正義感の強いガキ大将であり、野球でも、格闘技でも、スポーツは何でもござれだった。忠のボクサーとしての資質に惚れた野見山は、自らトレーナー役を買って出た。努力の甲斐あって、忠は強打のファイタータイプとしてジムの期待を背負う選手になって行った。野見山と忠は、デビュー戦であるこの試合に向けて二人三脚で調整をし、試合当日はジム長自らセコンドについていた。
野見山は青コーナーに陣取る対戦相手を見透かすようにしながら、相手の特徴、警戒すべきところ、忠が取るべき作戦のポイントを手短に語っていた。相手はフットワークが身上だが、お前のハードパンチなら、一発当たればそれだけで相手を沈めることができる、向こうはまだ海の物とも山の物とも知れないお前について情報がない筈だ、落ち着いて敵の顔面を捕らえれば、お前にとって難しい敵ではない、とにかく敵の動きに惑わされるなというのが主な指示だった。
功刀貞一郎は、青コーナーにもたれて反対側のコーナーにいる対戦相手のいかつい顔を見ながら、セコンドについている養父の功刀政芳の指示を聞いていた。政芳はいつも浅草の町を闊歩している姿そのままの着流しである。貞一郎をここまでボクサーとして育て上げたのは、吉原の芸者置屋の福吉楼を営むこの養父だった。
貞一郎は吉原福吉楼の芸者の不義の子として生まれた。母の源氏名は高城といい、本名は高橋美千代といった。実の父親のことはこの歳までとうとう知らない。美千代はそのことについて息子に何も言おうとしないし、今後も知ることはないだろう。子供の頃、母が仕事に行くときは、北浅草辺に住む親戚の家に預けられて飯を食わしてもらっていた。しかし、いつも小さな器に一杯盛りと味噌汁と沢庵だけであり、育ち盛りがそれぱかりでは腹が減って仕方がないので、始終母の勤める伎楼へ行っては裏口から入り、賄いで食わせてもらったものだった。美千代に惚れていたのか、はたまた貞一郎を哀れに思ったか、子供がいない政芳は彼を籍に入れてくれ、父親代わりになってくれた。だから貞一郎は実の父親を知らないことを寂しく思うことはなかったし、政芳を父親として尊敬していた。政芳は角刈り着流しで背中一面倶梨伽羅紋々のいなせな男ぶりで、一方の美千代は、福吉楼の高城と言ったら、吉原から竜泉界隈で知らぬものはない売れっ子ぶりだった。政芳と美千代を知る人は、彼らを歌舞伎の助六と花魁の揚巻になぞらえたものだった。そんな一世を風靡した売れっ子芸者の美千代だったが、芸者の歌や踊りは知れたもので、この世界の常で器量が良くてちょっと頭が働けばたちまち出世で、二八歳のときに「上がり」となって、番台で客をあしらう遣り手婆に様子替えしていた。
貞一郎は子供の頃からすばしこい性質で、駆けっこはいつも一番だった。まだ戦争が終わって何年も経ってない頃、貞一郎の九歳の誕生日の日に、ボクシングの熱狂的なファンだった養父政芳は、誕生日プレゼントだと言って、どこで手に入れたのか、まっさらのサンドバッグを買ってきた。十六キログラムの立派な革製のもので、それからというもの、貞一郎はこのサンドバッグを家の鴨居に吊るし、毎日のようにこれをぶったたいたり蹴ったりするのが日課になった。さらに政芳はボクシングの本を買ってきて貞一郎に与えた。左ストレートの打ち方が一番最初の章に書いてあり、まず右のジャブを打っておいて、それからどんな風にパンチに体重を乗せて左ストレートを打つか、どんな風に左腕を回転させるかが具体的に解説してあった。政芳は、貞一郎がパンチの練習をするのを見ながら、空手と同じで当たる直前に拳を回転させるんだと言って、自ら実演して見せた。
後から考えると、ボクシング狂の政芳は、ボクサーにするために貞一郎を養子にしたのだろうと思えた。貞一郎は、中学校の頃から政芳の伝で浅草にあるボクシング・ジムに出入りするようになり、中学校を卒業した十五歳のとき、ついにデビュー戦を戦うことになった。浅草公園裏の特設リングの試合で、養父政芳は勿論、母美千代も応援に来た。政芳は、今日がおめえの人生のお披露目、伸るか反るか天下分け目の決戦だと貞一郎に喝を入れた。政芳は恐い顔をしていたが、その目は貞一郎には心なしかとても優しく見えた。そんな政芳の顔を見た貞一郎は、親爺のためにも勝とうと闘志をかきたてた。その頃、デビューから数戦のボクサーは、試合が三ラウンドまでしかないので、三回戦ボーイと呼ばれたが、貞一郎は練習を重ねた左ストレートを相手の右あごに炸裂させて、無事デビュー戦をKO勝ちで飾った。レフェリーに高々と右腕を差し上げられたとき、貞一郎は人生で初めて自分を誇る気持ちになった。何しろ幼少時から味噌滓扱いでひもじい思いばかりしてきたから、これで皆を見返してやれると思えたのである。続く二回戦も、鍛え抜いた左ストレートで相手をノックアウトして順調に勝ち進んだ。二戦とも両親は大喜びし、貞一郎がKO勝ちを決めた瞬間、政芳はリングサイドで雄叫びの声を上げ、和服姿の美千代もリング下の席で目頭を拭った。普段は鷹揚おっとり刀で親分らしい政芳だが、貞一郎のボクシングとなると気が気でない様子で、早くも世界戦だと叫ぶのだった。
レフェリーがリング中央に出ると、功刀貞一郎と勝間忠それぞれのコーナーから呼び寄せた。お互いのグラブを軽く合わせるとともに、試合開始のゴングが鳴った。
第一ラウンドはお互いジャブの打ち合いで出方を窺った。貞一朗は軽いフットワークで左回りに旋回しながら間合いを測ろうとし、勇はあえて動かず、中央に陣取って相手の動きを見極めようとした。手数は貞一朗の方が圧倒的に多く、動き回ってはときどき忠の頬にジャブやストレートをヒットさせた。それに較べてデビュー戦である忠は動きが硬く、相手の顎を狙って大振りしては貞一郎にスウェイしてかわされ、逆に貞一郎のスピードに幻惑されてしばしばパンチを食らった。パンチがヒットするたびに、赤コーナーの政芳は、いいぞ、その調子だ、行け行けと叫び、リング下の席に座った美千代は胸の前で祈るように手を合わせた。青コーナーの野見山は苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
第一ラウンドが終わって赤コーナーに戻ってきた忠は、興奮と焦燥の入り混じった表情をしていた。タオルで流れる汗を拭いてやりながら、野見山はボディーを狙えと言った。顎を狙って大振りしてはパンチが空を切る忠の様子を見て、少しでもパンチを当てるために作戦を変更したのだった。
第二ラウンドに入っても、貞一郎はスピード溢れるボクシングで忠を幻惑し、そのパンチはしばしば忠の顔面を捕らえた。忠は唇の右側を切り、右頬は腫れあがってきた。一方の忠は貞一郎を捕らえることができず、相変わらずパンチは空を切っていた。しかし、典型的軽量級タイプでスピード身上の貞一郎のパンチはそれほど重くなく、顔がはれ上がっても打たれ強い忠をノックアウトするには至らなかった。忠はパンチを食らいながらも徐々に貞一郎のスピードに慣れ、第二ラウンドの終わりごろには、忠の重いパンチが貞一郎の胸を捕らえ、貞一郎が後退するシーンがでてきた。
第二ラウンドが終わって青コーナーに戻った貞一郎は、手応えを感じているようだったが、それでもなお緊張感溢れる強張った表情をしていた。それはこれまでの二戦になかったことだった。
「いいぞ、貞。この調子で行けば、ノックアウトできなくとも、判定で間違いなく勝てる。あと一ラウンドだ。頑張れ」
政芳は励ますように言うと、それに対して貞一郎はぼそっと答えた。
「あいつ、強いね」
貞一郎の忠に対する警戒心は消えるどころか強まる一方だった。忠のパンチがシャッと風を切る音は、空振りだからいいようなものの、もしこれが当たったら一発で沈められる危険性に満ちていたからである。
第三ラウンド開始のゴングが鳴ると、貞一郎は自分を鼓舞するように両手のグローブを打ち合わせ、セコンドに掛け声をかけられてリング中央に出て行った。開始早々、貞一郎はフック気味の左ストレートを忠の右顎に炸裂させ、忠は一瞬ひるんだようだった。チャンスだ、そう思った貞一郎は、パンチを畳みかけるためにラッシュしようと飛び込んだ。すると、忠は貞一郎のパンチをガードでブロックし、逆に強烈な右のボディ・ブローを貞一郎の左脇腹に叩きこんだ。貞一郎は顔を歪め、しまったという表情をして後退りした。逆にこれで勢いを得た忠は、腫れ上がった顔のまま、貞一郎に向かって行った。忠に追われた貞一郎はクリンチで逃れるのが精一杯で、回ろうと思っても、重いボディ・ブローが体全体を痺れさせていて足がついて行かない。体を屈めると今度は忠の左アッパーが入ってくる。まともに食わなくてもパンチが重いのでガード越しに脳天まで響いてくる。それで体が起きたとき、忠の強烈な右のボディ・ブローが左脇腹に突き刺さった。めりっと不気味な音がして、右脇腹に焼けるような感覚が走り、貞一郎は最早立っていられずリングに崩れ落ちた。
カウントテンが数えられ、一巻の終わりであった。
それはあっという間の出来事で、政芳は茫然とし、リング下の美千代は泣き出した。
一方の忠は、レフェリーに右腕を高く差し上げられ、相手を倒したときは分らなかったが、漸く自分が勝ったことを実感していた。野見山ジム長が顔面をくしゃくしゃにして駆け寄ってきて、忠は腫れあがった顔に笑みを浮かべた。しかし、対戦相手と互いの健闘を讃えあおうと思った忠の顔から笑顔が消えた。貞一郎の様子がおかしかったからである。
倒れたまま立ち上がれない貞一郎のところへ介抱に行ったトレーナーは、おい、拙いぞと声を上げた。貞一郎はリングに崩れ落ちたまま、体を海老のように曲げて動けず、顔面は蒼白で体がガクガクと震え、口を開いたまま唾液が流れっ放しだった。トレーナーがマウスピースを外し頭に水をかけたが、肩を抱いて立たせることもできないので、貞一郎は担架で運び出され、医務室へ直行した。横には両親がついていたが、香具師稼業で性根の座った政芳も美千代もずっと息子の横についたまま気が気ではない様子である。医務室の医者は、腎臓破裂の疑いが強いと言い、貞一郎はすぐに救急車で三ノ輪にある病院に送られることになった。それは開業間もない鷲病院という病床数が百床ほどの小さな外科病院だった。
その日、鷲病院の院長犬養武彦は、ボクシングの試合で左脇腹に強打を受け、腎臓破裂が疑われるという患者を診ることはできますかという三ノ輪救急隊長の打診に対し、すぐ運んでくるようにと答えた。武彦は大学医学部を卒業して十五年目の外科医師で、太平洋戦争が終わって三年目に鷲病院を開院し、外科手術の症例を増やすことに力を入れていた。脳や心臓といった自分の手の及ばない分野の患者でない限り、外科症例の救急要請は基本的に受け入れていた。鷲病院は三階建てで、一階が外来、二、三階が病棟になっていた。院長は東京下町の貧民医療の中核を担って行こうという気概に満ち、看護婦、事務長、放射線技師、検査技師、福祉事務のいずれも自分で大学病院や旧知の病院からスカウトし、自前のチームでこの土地の医療をやるぞと音頭を取っていた。患者について説明を受けた武彦は、おそらく左の腎臓破裂で間違いなかろうと話し、手術の用意をしておくから可及的早急に運ぶように言った。
十分後に救急車がまだ真新しい鷲病院の駐車場に入ってきた。武彦と看護師長の和泉貴美子が迎えに出ると、直ちに救急隊員が患者をストレッチャーで下ろし、付き添いの角刈り、着流しの男と、和服をきちんと着込んだ美しい女が降りてきた。男は人目で香具師と分るいでたちであり、女は水商売らしい雰囲気に見えた。男は五十前、女は三十代半ばか。
武彦が患者の功刀貞一郎を診察すると、一目で酷い貧血に陥っているのがわかった。血圧も低下しており、状況から考えて左の腎臓破裂で間違いなく、検査をしている余裕はないので、即座に輸血の準備を始め、そのまま患者は手術室に運び込まれた。若手外科医師の藤木勧と山下勲が看護師と手術の準備をしている間に、武彦は付き添ってきた中年の男女に予想される診断名として左腎臓破裂、緊急手術の必要性、そして、腎臓破裂である場合、その腎臓を切除する必要があることなどを話した。養父だという父親の功刀政芳は何とか腎臓を取らないで済ませるわけにはいかないのかと訊いたが、武彦は裂けている腎臓の出血を治めることは難しく、すぐ切除しないと命が危険であると話した。母親の高橋美千代は気丈な表情で話を聞き、一刻を争うと聞いて二人は手術に納得した。
山下勲が気管内挿管を行って全身麻酔がかけられ、師長の和泉貴美子が器械出し、新人看護師の西堀聖子が外回りを受け持ち、藤木勧が手術助手を務め、武彦を執刀医として手術が始まった。
武彦は左脇腹の外側上方から内側下方にかけて皮膚切開したが、左の肋骨下端が受けたパンチで折れていることが分った。折れた肋骨が腎臓に刺さったのだろうか、だとすると空恐ろしいパンチ力だと思いながら武彦が開腹すると、左側の腹腔内が赤黒い血の海になっているのが見えた。武彦と藤木勧は凝固した血液を除き、新たに腎臓から噴出してくるらしい鮮血を吸引しながら、腸管を右方によけて左の腎臓を目指した。漸くそれが血の固まりの下から姿を現したが、流入流出血管が集まる腎門部で腎実質が裂けているのが分った。その部分を被っていた凝固した血液の固まりが外れると、勢いよく鮮血が噴出した。武彦は出血部を上からタオルで押さえ込み、勧に抑える手を代わってもらうと、自分は左側の後腹膜を切開して腎臓の裏側を剥離した、腎臓は後腹膜に埋もれている形に位置しており、その裏側の層には重要な欠陥や神経はほとんど走っておらず、容易に剥離できる。武彦が丁寧にこの部分を剥離すると、左手の指には腎臓後面のつるっとした感触が感じられた。間もなく左の腎臓は術者の左手の中に入り、ここで武彦は一息ついた。心臓から出る血液の二七%は肝臓に、二四%は両側の腎臓に流れ込む。腎臓や肝臓のような血流の非常に多い臓器から大出血している場合の鉄則は、周囲から臓器の裏側に剥離を進めて、術者の手が臓器の裏側に入るようにすることである。どんな大血管でも手がその下に入ってしまえば、血管の裂けている場所を下から指で持ち上げるだけで出血は止まる。そしてその状態で裂けた個所を縫い閉じることができるのだ。逆に激しい出血を上から押え込もうとしても、当座血が噴出しなくなるだけで、その状態では縫えないから、手を外せば再び出血が始まる。今、貞一郎の裂けた左の腎臓は武彦の左手の中にあり、人差し指と中指を微妙に持ち上げることによって腎臓からの出血は止まった。あとは腎臓に流入する腎動脈、流出する腎静脈を縫い糸で縛ってからその腎臓側で血管を切離し、尿管をも切離して、裂けた腎臓を切除することである。
それから三〇分の後に、武彦と勧は無事この作業を終えて貞一郎の左腎臓を切除し、腹腔内を適温に温めた生理食塩水で洗浄していた。赤十字の血液センターから送られてきた全血の輸血も始まり、あとはドレーンという浸出液を体外へ排出するためのビニール・チューブを体内に留置して、腹膜、筋創、皮膚を縫い閉じて手術終了である。折れた肋骨は元通り整復し、太い絹糸で断端同士を縫合することにした。武彦と勧は自然朗らかな表情になり、麻酔役の山下勲も、看護師たちも含めて手術室は明るい雰囲気になっていた。
手術が終わってから、武彦は政芳と美千代に貞一郎の確定診断とそれに対して行った手術の内容を説明し、裂けた腎臓の実物を見せて、救命のために切除せざるを得なかったことを話した。政芳は、貞一郎の今後の生活はどうなるかと武彦に訊いた。
「腎臓は神様が二つ造ってくれたもので、一つだけでも今後の人生に支障はない筈です。実際、片方の腎臓が何らかの理由で機能しなくなって、もう片方だけで生きている人は世の中にたくさんいます。ただ、残るもう一つがやられたら、生きて行けません。もし両腎を失った場合、二週間ほどで命は失われます」
後に腎不全の画期的治療法となった血液透析は、朝鮮戦争時にコルフという医学者によって開発の途についたばかりで、一般の実用に供されるのは十年以上先だった。
武彦の説明を聞くと、政芳と美千代は顔を見合わせ、政芳は何かききたげな表情で武彦の顔を見た。
「てえことは、先生、こうきいちゃ何ですが、貞一郎はもうボクシングはやれねえでしょうかね」
「お話したとおりで、もう片方をやられたら、生きて行けません。貞一郎さんがボクサーとして今後もリングに立たれるのは、危険すぎます。諦めるべきだと思います」
それを聞いた政芳は、両膝についた手を固く握りしめ、両の肩に力をこめたまま俯いてしまった。美千代はそんな政芳の肩に手をかけ、失礼しますと言って、政芳の肩を抱くようにして二人で手術室を退出した。
しばらくすると、手術室の外の廊下から、男泣きに泣く声が聞こえ、武彦は手術室のスタッフたちと顔を見合わせた。手術が終わってから外回りの看護婦の西堀聖子が手術室を出入りする間、養父は手術室の外の廊下のベンチに座って頭を抱えていたり、放心したように宙を見つめていたりした。すぐ横に凛とした和服姿の美千代が腕を取って座り、寄り添っていた。
忠は勝利の余韻に浸る一方で、病院送りにしてしまった弱冠十六歳の対戦相手のことが気になって仕方がなかった。貞一郎が病院に運ばれて手術になったと聞いた忠は、野見山がジム総出で開いた祝勝会に最初だけ顔を出し、皆に感謝すると挨拶だけして鷲病院へ向かった。忠が病院に着くと、すでに手術は終わっており、貞一郎が一階にある手術室からストレッチャーに乗ってまさに運び出されて病室に向かうところだった。手術着を着た若い医者らしき人間と、看護師がストレッチャーを押し、試合場で見た貞一郎の両親らしき夫婦がそのすぐ後に付き添っていた。忠はその一行がエレベーターの中へ消えて行くのを見送るばかりだった。すると、あとから手術室を出てきた年配の医者が忠を認め、その腫れ上がった顔を見て、何者であるかピンと来たらしく、近づいてきた。忠が挨拶すると、院長の犬養ですと自己紹介した。忠が、私が対戦相手なのですが、どうでしょうかと尋ねると、院長は手術は無事成功し、命は取り留めたと答えた。忠は詳しく聞きたがったが、武彦は、自分は対戦相手だった者に内容を話す立場にないので、後日見舞いに来て直接本人か付き添っている御両親から機会を改めて訊いたらどうかと言うので、それももっともだと思い、すごすごと病院を後にした。
二、ボディガード
それから二年後、忠はボクサーを辞め、女性代議士のガードマンに雇われていた。
功刀貞一郎との対戦は、忠にとってはデビュー戦を華々しくKO勝ちで飾ったわけだったが、闘う男としての自分に自信を持つ一方で、十六歳の少年を病院送りにし、あまつさえ片方の腎臓を破裂させてボクサーとしての道を断念させてしまったことに忠は心を痛めていた。野見山は、そういう商売なんだから仕方がねえ、闘犬や拳闘士は敵を葬ってなんぼだ、お客さんだってそれを期待して観に来るんだと言い、他の周囲の人間も、むしろ忠の破壊的な強さに舌を巻き、羨んでいる様子だった。忠も、確かにそうだ、気にせずボクサーとして今後も精進するまでだと思うのだが、自分が特攻に志願し、ラバウル戦線で戦った歳に貞一郎が一致するだけに、修羅場を生き抜いた自分と対照的に、望む道から外れて行く貞一郎を哀れに思うのだった。切り替えの早い筈の忠だったが、貞一郎のことについては妙に後味が悪く、いつまでも吹っ切れないでいた。それは、試合当日、試合場と病院で見た、貞一郎の両親の印象的な姿のせいかもしれなかった。セコンドについた角刈り着流しの香具師の親分のいなせな風情、リング下から見守る凛とした和服の母親の美しい容姿が思い出され、その秘蔵っ子の将来を断念させ、人生を変えてしまったたことに、何かとても悪いことをしたような気がしていたのである。
そんなとき、忠の試合を見たという男が試合後しばらくしてジムに訪ねてきた。その男は代議士の身辺警護の仕事をしている権藤だと名乗り、ボクサーとして輝かしい将来が待っているだろうが、よかったら発足して三年の衆議院で議長を務める原田さんのガードマンになる気はないかと忠に打診したのだった。忠は狐に抓まれた様な気がしたが、半信半疑で話を聞くうちに、具体的な転向話はとんとん拍子で進んで行った。もしボクサーとして精進を続ければ、あるいはチャンピオン・ベルトを締められるかもしれないとも思ったが、何といっても、提示された月給が目の飛び出るようなもので、新米ボクサーが得られる金とは桁が違っていた。この時代、高給を得られるという話は何より魅力的であり、忠は野見山のところへ行って、これからは国の政治を守る仕事をしてジム長の今日までの愛顧と教育に報いるつもりだと言い、農家でくすぶっているところを拾ってもらい、ボクサーとして育ててくれたのに、その恩義を貫けないことを土下座して謝った。
こうして忠はガードマン稼業に転向した。まず彼は権藤の伝で警察学校へ通い、各種格闘技、護身術を学んだ。柔道は子供時代からやっていて、予科練でも鍛えられ、すでに五段黒帯の腕だったが、剣道や空手にも磨きをかけた。一方で警察犬の調教について学び、足立区に借りた借家に警察学校でよく調教されたシェパードを二頭飼うようになり、太郎、次郎と名付けた。衆議院議長の原田が外出する時、その周囲には、がっちりした体つきの忠が、サングラスをかけ、シェパードの手綱を握っている姿が必ず見られるようになった。太郎は忠が初めて仕込んだ警察犬で、ちょっとどじでお調子乗りだが、一途で可愛い奴で、自分に似ているようだと忠は思うのだった。次郎は対照的に落ち着いていて、軽はずみな攻撃はしないが、いざという時は一度噛みつくとブルドッグのように離さない。警察犬にもいろいろ種類があるが、自分はやはりシェパードが好きだ、他の犬より愛情が多くてなつっこいと忠は思い、二頭の犬を仕込むことに情熱を傾けていた。犬たちは、主人を守り、身代わりになって死ぬ場合もある彼の最も信頼に足る同志だった。
そのようにして意気込んで始めた仕事だったが、忠が原田のガードマンに付いたのは、比較的短い間だった。ガードマンを募集している新進女性代議士の荻原みち子に請われて、彼女の警護につくことになったからである。忠は二六歳になっていた。
みち子の護衛をするようになってから数日後の休みの日、忠は柳町の赤線街にでかけた。そこは忠が所属していた野見山ジムからそれほど遠くないところにあり、忠の借家からも歩いて行ける距離だった。ボクサー時代に野見山ジム長に連れて行かれて以来、忠はときどき通っていたのだった。
夕方以降の賑やかな時間帯になると知った顔に会いそうなので、勇は比較的早い時間に柳町に出かけた。吉原同様に赤線街の中央に大門があり、忠は大門近くの福嘉楼という店に入った。玄関を入ると帳場があって、そこで希望を言って娼妓を紹介してもらい、妓夫によって隣にある建物の中にある娼妓の部屋に案内される寸法になっていた。
その日、その店の観音開きのドアを押して入り、帳場にいる遣り手婆を見た忠ははっとした。三十代後半と思われるその遣り手の特徴的な顔に忠は見覚えがあった。
「どうしました、お客さん。あたしの顔に何かついてるかしら」
芸妓上りと思われるその遣り手の顔をまじまじと見ながら、忠は黙っていた。遣り手は訝しげな顔をしたが、目をそらすと、言った。
「女の子がいるのはお隣の妓楼なのよ。女の子のご希望は」
忠はしばらく黙っていたが、意を決したように、その遣り手を指差して言った。
「あんたがいい」
「あたしかい。お客さん、お目が高いのね」
じゃあまずここで手付けにというので、言われた金を忠は払った。
「若いのに女を見る目があるんだね、と言いたいところだけど、何もあたしみたいなお婆さんじゃなくたって、もっと若い子がいるよ」
「あんたがいいよ、姐さん」
遣り手は大きな目を見開き、笑顔で言った。
「どうしましょう。やり方なんか、どうするんだかとっくに忘れちまったわ。昔は鳴らしたものなのよ、これでも」
「わかってるさ」
「おかしなこと言うわね。まあ時間も早いし、おいでなすって」
遣り手は一度店を閉めると、隣の妓楼に忠を招いた。中に入ると、真ん中に廊下が通っていて、両側に娼妓の部屋らしき襖がいくつも並んでいる。中央の廊下は鰻の寝床のようなくねくね道にタイルをあしらっており、玄関を入って幾つか目の部屋をノックして襖を開けると若い女がいて、遣り手は忠をその女の子に引き合わせ、笑顔で流し目を使いながら忠を見て言った。
「この子なんかどう」
「いいや、姐さんがいいんだ」
随分惚れられたものねとおどけながらも、諦めて度胸を決めたらしく、遣り手はその若い女にぼそぼそと何やら話している。遣り手にうんうんと頷きながら、女は鍵を受け取って部屋を出ると、隣の帳場の建物に行ったようだった。留守を任されたものと見える。
一番奥の部屋に忠を導くと、遣り手は鍵をかけて部屋に上がった。忠と二人きりになると、お仕事はもう終わりなどとききながら、彼女は布団を広げ、鏡の前でもろ肌脱いだ。三十半ば過ぎと思ったが、そうとは思えない若々しい肢体だった。忠の若い肉体は、彼女の姿を見てたちまち興奮してしまい、我慢できずに挑みかかると彼女と交わった。あっという間に果てると、随分せっかちねえと女にからかわれた。
彼女は裸で床に寝そべりながら、あれこれと世間話をしていた。最近ここの店に移ってきたばかりだけれど、これからも御贔屓よろしくなどと言っている。忠も裸のまま床の上で胡坐をかいていたが、落ち着いてくると、おもむろに女にきいた。
「いきなりこんなこときいて申し訳ねえが、もう一渡りの関係じゃねえと思ってきく。姐さん、ひょっとすると息子がいやしないか」
遣り手は寝転んだまま顔を上げて勇を見た。
「どうしてそんなこときくんだい」
勇は重ねてきいた。
「いや、答えたくなければ構わねえが、ボクサーの息子がいやしないか」
彼女は床の上に起き直り、浴衣を羽織ると、訝しげな表情で勇をじっと見つめた。
「俺の顔に覚えはねえか」
しばらく彼女は勇の顔を見つめていたが、ははあと思い当たったようだった。
「あんた、なんていったけね、もしかするとあのハードパンチャーかい」
「勝間忠だ」
彼女は何度も頷くようにして忠を睨みつけた。
「貞一郎と戦った男だね」
忠は頷いた。彼女はなおも勇を睨みつけながら言った。
「あの子の人生粉々にしておいて、その母親まで抱きに来るとはあきれたね。人でなし」
「待ってくれ、姐さん。悪かった。まず話そうと思ったんだが、つい盛っちまって申し訳ねえ。帳場で顔を見てはっと思ったんだ、まさかとは思ったが。姐さんみたいないい女にもろ肌脱がれると、俺も若気の至りで、歯止めが効かなくなっちまう。全くかたじけねえ、いや違った、面目ねえ」
「何言ってるんだよ、あきれた男だね」
忠は改まった口調で女の名前を尋ね、女は美千代と答えた。
「俺はあの一戦でボクサーを辞めたんだ。いろいろ思う所があったから。息子さんには。本当に悪いことをした。貞一郎さんっていったよな。今どうしてる」
「人様に言えるようなこたしてないよ。用心棒風情さ」
忠は笑顔になって言った。
「俺も同じようなもんだよ。議員の用心棒をしてる」
「家の子はそんな大したもんじゃないよ。妓楼の用心棒さ」
「ここの柳町のか」
「いいえ。ずっと南の方さ」
忠は少しほっとした気持ちになった。
「あの試合の後、俺はあの鷲病院にかけつけたんだ。丁度手術が終わったところで、姐さんと旦那さんが、運ばれて行く貞一郎さんに付き添ってるところだった」
美千代は忠の顔をじっと見た。
「あれを見て、倒した俺があの場に現れたんじゃ拙いかと思い直して病院を出たんだ。それから貞一郎さんとご両親を思って、ちょっと鬱々になっちまってさ。結局あの後一戦もせずに引退したんだ。姐さんは、元々こういう仕事かい」
「さあね。前は吉原にいたのさ。内縁の旦那がやっていた福吉楼ってお店。政芳っていったけど、でもその旦那がしばらく前に亡くなっちまってね」
「旦那って、試合や病院で付き添っていた筋もんのお方かい」
「そうよ、覚えておいでかい。香具師渡世のお決まりで倶梨伽羅紋々の分身だったけれど、墨入れたせいで肝臓悪くしてたのね。目が黄色くなって、ある日吉原大門の蕎麦屋で大量に血を吐いて死んじまったわ」
「旦那さんのことは覚えてるよ。いなせな感じのお方だった」
美千代は少し笑顔になって思い出すような表情をした。
「あたしはそのときもそばにいて、介抱しようとしたよ。あの人は、死ぬのは恐ええ、死にたくねえって、虫の息で言っていたけれど、そのままあたしの手を握りながら行っちまった。まだ五十前だったのよ。葬式には浅草や吉原から弔問客が千人も来たかしらね。この世界は義理堅いから葬式は大仕事よ」
「貞一郎さんもさぞ悲しんだろうね」
「ええ。あの子は旦那の実の子じゃないんだけどね。でもあの子をボクサーに仕立て上げたのが旦那だったから、実の親のように慕ってたのよ。あたしたち親子、あの人がいなくなってから腑抜けたようになっちまったわ」
「じゃあ姐さんはそれからこっちへ移ったわけか」
「悪いことは重なるものね。旦那が死んだ途端に態のいいこと言って福吉楼のお店に入り込む奴がいて、これが乗っ取り屋の一味だった。あたしも旦那を喪って寂しかったこともあって、情にほだされて信用してたら、実は数ヶ月前から色々調べを入れて乗っ取り計画立ててたらしいわ。結局店はなすすべもなく乗っ取られて、あたしと貞一郎は態よく追い出されちゃったのよ。人生なんて一度疫病神に取りつかれるとなかなか離しちゃもらえないようよ」
忠は親子の気の毒な運命を思って溜息をついた。
「また来てもいいかい」
「ご贔屓よろしくね。でも女の子ならもっと若くていい子がいるわよ」
「姐さんと話してると、何だかほっとするんだよ。今日みてえな無礼はしねえ。顔を見に来てもいいかな」
美千代はにっこりと笑った。
「あんた、いいところがあるんだね。いつでも歓迎するわ」
それから忠の柳町の福嘉楼通いが始まった。その次の時、美千代は忠に彼女が妹分として可愛がっている静という芸妓を紹介した。忠より一つ年上だったが、美千代はあんたのようなタイプは、暴れん坊のように見えるけれど、甘えん坊だから、年上の方がいいのよと言って、忠を静に馴れ初めさせたのだった。優しげな美貌の女郎で、その夜から、一途な忠は夜な夜な静のもとへ通うようになった。静の方でも忠に情が移って姉のように癒した。忠は命知らずのガードマンの仕事で得た金を全て赤線で使い切ってしまう日々を送っていた。忠に語ったところによると、静は東京下町の石屋の家に生まれたが、戦後の混乱の中で困窮極まった実家を支えるため、美形を買われて柳町の赤線に勤め始めたという。静はいつか彼が自分をこの苦界から救い出してくれるのではないかと夢見ているようであり、忠もそれも満更悪くはないと思っていた。
寝物語に静は言った。
「ねえ、あたしのことを女将さんにしておくれな」
「おうとも」
「本当」
「おう。男に二言はねえ。いつか身請けしてやろうじゃねえか」
「期待しないで待ってるわ」
「大いに期待してくれ」
「いつも調子のいいことばかり。明日、また来てくださる」
「明日は俺が護衛してる姉さんの演説会なんだ。ちょっと難しいかな」
「そう。女なのに、政治家なんてすごいのね」
「いいもんじゃねえよ。女だてら、出過ぎたことはしねえに越したこたねえんだ」
「どんな演説をするの」
「ここを潰す相談さ」
静は眉をひそめた。その顔を忠は美しいと思った。
「どうしてここを潰すの」
「つまり、赤線防止法案を通そうとしてるのさ」
「ふうん」
静は考え込んだ。
「ここが潰れたら、あたしたち、会えなくなるの」
「そんなわけねえよ。俺がどこぞへでも連れてゆく」
静はにっこりほほ笑んだ。その顔を診た忠は、さっきまぐわったばかりなのに、また欲情がむくむくと鎌首をもたげるのを感じ、再び静の上に覆いかぶさった。
翌日、浅草寺境内の伝法院のすぐ南、六区の繁華街との間に位置する浅草公会堂の壇上には女性代議士荻原みち子が立って、大演説をぶっていた。
「皆様もご存知の通り、大正末期の一九二五年、わが国で初めて普通選挙が実現致しました折、参政権が与えられたのは男性のみでありました。かつて行われていた治安警察法では、女性の集会の自由は大きく制限されており、今ここにこうして多くの女性の聴衆者の方々にお集まり頂いたようなことは、その時代であればありえなかったことでございます。ごく秘密に行うか、さもなければ手入れが入って監獄に送られたのでございました。しかるに、戦争が終わった直後の一九四五年十月十日、幣原喜重郎内閣において婦人参政権が閣議決定され、翌年四月の衆議院選挙により、私も含めまして、はじめて三九人の女性議員が誕生いたしました。青鞜者を結成して婦人参政権獲得を目指して戦われた、かの平塚らいてう先生は、『原始、女性は実に太陽であった』と謳われました。その言葉の通り、市川房江先生をはじめとする先駆者の先生方の御尽力により、婦人参政権、もしくは女性参政権という大きな実りが今ここにもたらされたのでございます」
大きな拍手が沸き起こった。浅草公会堂に集まった聴衆者は男性が三割くらいで、残りは女性によって占められていた。
荻原みち子が立つ演壇の両袖の演壇への上がり口には、サングラスをかけた、いかつい体つきの男たちが、それぞれ護衛犬を連れて立っている。一目でそれとわかる強面のガードマンたちで、にこりともせず周囲に目を光らせている。その一人である勝間忠は、愛犬の二頭のシェパード、太郎と次郎の引き手を持って、演壇右脇の上がり口に控えていた。その世代の日本人男性としては、背丈はまあ大きい方というくらいだが、がっちりした体つきで、いかつい顔つきの忠は、いかにも強面のガードマンが演説者を守っているという印象を周囲に与えた。
「わが国の民主主義は、戦前の大日本帝国憲法に代わり米国占領下に定められた日本国憲法の下に、米国主導で始められたものです。かつての敵国であった米国によって与えられたものではありますが、主権在民の民主主義こそは、女性参政権の基盤となる理念です。わが国の民主主義はまだよちよち歩きの赤ん坊であります。これを私たちが全員で守り育てて行かなければならないことは言うまでもありません」
また一頻り拍手が沸いた。
新たな民主主義政治の幕開けと展開を目指す代議士たちは、なお殺伐とした風潮の中で自らの身の安全を守るために、いずれも屈強のガードマンを雇って身辺の警護に当たらせていた。当時は政治家に対するテロ事件が起こるのは珍しいことではなく、一九六〇年には、右翼少年山口乙矢が社会党の浅沼稲次郎書記長を日比谷公会堂の壇上で演説中に匕首で襲って刺殺した事件が世間の耳目をにぎわせることになる。
婦人参政権獲得の成果について語って大きな拍手を浴びた荻原みち子代議士は、いよいよ本日の主題目である売春防止法案について語り始めた。
「わが国には遥か昔から公娼制度というものが存在してまいりました。古くは日本橋人形町の元吉原、また、長崎の丸山遊郭や京都の島原遊郭、大阪の新町遊郭などという場所は、江戸文学に馴染みの深い方であれば井原西鶴や近松門左衛門の作品でご存じの方もいらっしゃるかもしれません。東京では明暦の大火の後、浅草日本堤に移転してできた新吉原、深川の州崎に向島の玉の井といったところは、永井荷風や谷崎潤一郎の小説にも描かれましたし、そんな言葉を聞くだけで気もそぞろになる殿方たちもおられることでしょう」
そこで言葉を切ると、女代議士はぐるっと聴衆を見回した。
「でも皆さん、文学の世界で耽美的に描かれたようなこうした世界は、現実には日本女性の悲惨な犠牲の上に成り立ってきた、決して存在を許されざるべき世界でありました。売春は人として、女性としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の良俗を乱すものです。日本女性の、いや、世界の女性の長年にわたる被差別や屈従の歴史は、この人類史からなかなか消すことのできない売春という悪習に基づいていることに異論はないところです。それを描いて人心を惑わす文士ごときは社会から排除されるべき傾城の輩と言えましょう」
聴衆席の女性から拍手が沸き起こった。
「皆さん、かつて明治政府は、明治五年の芸娼妓開放令により公娼制度を廃止しようとしました。しかし実効性に乏しかったため、その後も公娼制度を認める前提で一定の規制を行うことになりました。戦後、GHQによる要求により、名目上は公娼制度は廃止されましたが、赤線地帯が取締りから外されたため、これは何の意味もありませんでした」
忠は周囲に目を光らせながらも、どうも聞き心地が悪いといった風で、少し横を向きながら、護衛犬の引き手を持っていない方の手で頭をぼりぼり掻いていた。
『やれやれ、いつも柳町の赤線にお世話になってる俺としちゃ、あんまり有難かねえ話だよな。姉さん、お手柔らかに頼むぜ。あんまり手厳しいと、テロリストが襲ってきたら、姉さんじゃなくてテロリストの方を助けちまうかもしれねえぞ』
忠は雇い主の荻原みち子を公には先生、内々では姉さんと呼んでいるのだった。
「一九四八年の第二回国会においては売春等処罰法案が提出されました。しかるに、この法案は、こともあろうに厳格すぎるとして審議未了、廃案となってしまったのです。その後、かの有名な神近市子先生らのご尽力により、一昨年から今年にかけて計四回の国会にわたってこの赤線防止法案が議員立法として繰り返し提出されました。皆さん、神近先生につきましては、かつては青踏社に所属され、御年配の方には大杉栄事件で勇名を馳せたことをご記憶の方もいらっしゃるかと存じます。先だっては作家谷崎潤一郎の『鍵』という作品を猥褻文書ではないかとして国会で問題にするなど、ご活躍は向かうところ敵なし、とどまるところを知りません。私も公私に渡って私淑させていただいております」
忠は顔をしかめた。
『あの神近市子ってのは、伊藤野枝と大杉栄を取り合った挙句、大杉を刺して二年間お勤めしてやがったろくでもねえ女なんだ。昔は自由恋愛なんてものの代表選手だったくせに、自分が上がっちまったら今度は売春防止ってか。姉さん、あんなものを崇拝しないでくれよな。まあ大杉だって好き放題してやがって、挙句の果ては甘粕憲兵大尉に絞め殺されたんだが、それもしかたあるめえ。あれはあれであの当時の大義だったのさ』
「しかしながら、これまたどうしたことでしょうか、神近先生の御尽力にも拘らず、遺憾ながら四回にもわたって提出された法案はいずれも廃案となってしまいました」
『まあそんなところだ。原始女性は太陽であったかなんだか知らねえが、原始から女性最古の職業はあったんだ。それを奪おうなんて法はお天道様だってご容赦すめえ』
そう思いながら忠は静の顔を思い浮かべた。一つ年上の美貌の女郎に忠はぞっこん惚れており、今日は会えないと昨日は言ったが、仕事が引けたら、今日も会いに行くかと考えていた。みち子の演説はなおも続いていた。
「でもお聞きの皆さん、もう少しです。このたびの国会では連立与党の日本民主党が反対派から賛成派に回り、もう一歩で法案が可決されるところでした。最終的には否決されましたが、与党は選挙に向けて女性票を獲得維持しようとの狙いから、今後の国会においては売春防止法の成立に賛同するものと思われます。皆さん、決して諦めず、女性の自由解放に向けての戦い、男性への隷属から開放する戦いを勝ち取ろうではありませんか」
聴衆からは大きな拍手が湧き起こったが、忠はやれやれという気持ちだった。
『上がっちまった婆あ共、寄ってたかって人の生きがいを奪おうってのか、これを守ってやるなんざとんでもねえ仕事を引き受けちまったもんだ。同じ婆なら置屋の遣り手婆のほうがよっぽどましだ』
忠は心の中で舌打ちした。
そんな風にして静や美千代のこと考えていたところ、突然反対側の階段のところでどよめきが起こり、忠は我に帰った。見ると壮士風の男数人がガードマンともみ合っており、そばに座っていた聴衆から悲鳴が上がった。一人の男が匕首を抜いて壇上に上がろうとするのを目ざとく見つけると、忠の心はたちまち激戦地ラバウルで戦っている気持ちに切り替わった。
「太郎、次郎、行け」
二頭の犬を引き手から解き放つと、忠は自らも壇上に飛び上がった。匕首を持った先頭の男が女性代議士に向かって来るのに対し、太郎は先頭を切って真っ直ぐに走って行き、素晴らしい跳躍力で飛んで、男の頭上から襲いかかった。それについで次郎が男の背後から下腿背側に食らいついた。二頭ともグルルと獰猛な唸り声を上げ、飼いならされたおとなしい警護役から野獣に変貌していた。
「ねえさん、逃げろ」
演壇に飛んでいった忠は、そう叫んでみち子を自分の後方に突き飛ばすと、犬に絡まれて匕首を振り回している男の右腕を正確に蹴り上げてから、その腕を抱え込んだ。その体勢のまま寝技にもちこみ、倒れこんだ勢いを利用して相手の右肩を捻って脱臼させた。男は激痛に叫び声を上げ、効かなくなった右手から匕首が転がり、忠はそれを壇上の外まで蹴飛ばした。
忠はどんな状況でも敵の一人の足なり腕なりを骨折もしくは最低でも脱臼させる格闘技術を持っていた。たとえ数人に袋叩きにあっても、そういった重傷を負わせておけば、逃げられた場合でも敵は病院を受診せざるを得ないので、そこから足がついて一味の逮捕に至るのである。
会場は悲鳴に包まれ、聴衆は我先に逃げ出し、野次馬は遠巻きにして見守っている。敵は数人おり、暴漢が壇上と客席でガードマンたちともみ合っている。忠が刺客を抑え込んでいると、新手の襲撃者に顔を激しく蹴り上げられた。手負いの脱臼男が右腕を押えてその場に倒れている横で、忠は二人の男に袋叩きにされていた。そこへグルルルと吠えながら次郎が飛び込んで来ると、一人の男は叫び声を上げてのけぞった。よく調教された警察犬は真っ先に男のアキレス腱にかぶり付き、それを噛み砕いたのだ。みち子はすでに他のガードマンたちに守られて反対側の階段を駆け下り、事なきを得たようだった。
暴漢が全員取り押さえられたとき、忠は血まみれで横たわり、顔は大きく膨れ上がっていた。忠のところへ太郎と次郎がくうんくうんと鳴きながら寄ってきて、その顔をぺろぺろとなめた。敵に襲い掛かるときの獰猛な吠え声とは全く違う、高く不安げな鳴き声だ。忠は倒れたまま辛うじて使える左腕で大丈夫だよというように二頭をなで、よくやったぞとほめるのだった。
後から忠が知らされたところによると、女性代議士を襲ったのは赤線業者が放った刺客だった。彼らにすれば、売春の業を営む者に対して刑事処分が課せられる売春防止法などという法律の成立を黙って見ている訳には行かず、与党の国会議員に接近して同法案を撤回すべしとの説得を試みていた。さらには、全国の複数の市町村長、自治体議会長、与党支部長、商工会議所も反対に回っており、みち子にとっては、赤線業界全体とこれに癒着する行政の暗部がこの戦いの敵なのであった。この法律を通すことは、まさに命がけの戦いだったのである。
三、赤線
「先生、救急隊からです。浅草で女性代議士の演説中にテロ事件が起こり、ガードマンが数人の暴漢に襲われて重症を負ったそうです。患者の受け入れを要請していますが」
三ノ輪にある鷲病院で、外来の診察についていた看護師長の和泉貴美子が、電話を院長の犬養武彦に回した。院長は電話を取ると、ふんふんと患者の状態を聞いてから、すぐ来てくださいと答えた。
間もなくピーポーと救急車の聞きなれたサイレンの音が近づいてきて、武彦が救急外来に向かうと、顔が血まみれの患者がストレッチャーで運びこまれてきた。患者の勝間忠は、暴漢に袋叩きにされたことにより、全身打撲による血腫だらけで、左頬から鼻にかけて、長さ数センチ、深さ二センチの大きな裂傷があり、上唇から口腔内にかけて、そして舌にも裂傷が認められた。暴行を受けた時に自分の歯で舌を切ったらしい。救急隊により圧迫止血が試みられていたが、傷が大きく深いために出血を止めきれておらず、顔半分が血まみれで反対側の二倍に膨れ上がっている。勝間さん、勝間さんと大きな声で声をかけると、忠ははっきりした大きな太い声であいと元気よく返事をしたので、意識状態がしっかりしているようで、武彦は安心した。体の他の部分を診ると、蹴られたことにより、胸、腹、腰、背中は痣だらけだったが、幸いなことに刺創は受けていなかった。
顔面の傷が大きいため、外来で治療することは無理なので、武彦は早速忠を手術室に運び込み、患者を安心させるために言った。
「勝間さん、もし痛くて我慢できなかったら遠慮なく言ってくださいよ。そのときは気管にチューブを入れて全身麻酔にするから」
すると、忠は回らない口で答えた。
「俺は特攻帰りだから大抵の痛みはへっちゃらです。先生、遠慮なくやってください」
そこで武彦は局所麻酔で手術を進めることにして、まず出血が止まらない左頬の裂傷をオキシドールで十分に消毒し、深いところまで傷を調べた。すると傷は口腔内に貫通していて、長さ三センチほどの窓のようになっており、拍動性に血管から出血していたので、これを縫合糸で縛って止血した。さらに強面のガードマンとはいえ顔の傷であるから、皮下縫合と皮膚縫合に分けて丁寧に縫い合わせた。それから口腔内、舌の裂傷に対してヨード消毒剤で消毒を行ってから、内側から粘膜と筋層を一層に縫い合わせた。
X線検査で鎖骨と肋骨三本の骨折が確認されていたが、四肢の骨折はなく、胸、腸管や実質臓器の破裂もないようだった。縫合処置が終わると、武彦は鎖骨と肋骨を整復し、忠の上半身は包帯でぐるぐる巻きにされた。意識は清明で神経症状の異常は認めず、頭蓋骨内部の重大な血腫もないようだ。場合によっては脳外科の三次救急がある病院に搬送しなければならないが、当面その必要はなさそうで、入院させて経過を見ることにした。
忠はストレッチャーで二階病棟に運ばれて、看護ステーションの目の前のリカバリールームに収容された。この病院は患者ごとに受け持ち看護師をつけていたが、忠の受け持ちになったのは、西堀聖子という四年目の看護師だった。
「勝間さん、受け持ち看護婦の西堀聖子と言います。宜しくお願いします」
忠が回らない舌でよろしくと痛そうな表情で答えたので、聖子はその日は問診を行うのをやめた。一通り治療を受けて安心し、疲れが出たのか、忠はすぐに寝入ってしまった。
それから翌日まで忠は昏々と眠り続けたので、その夜、看護当直だった聖子はときどき忠の寝顔を観察しながらも意識が戻るかどうか心配だった。後に反跳脳挫傷という症状がでてくることがあり、一両日中は警戒を怠ることはできないからだ。
翌朝、看護詰所に勤務看護師が集まってきた。中央の丸テーブルの周囲は人一人がやっと通れる程度にひどく狭い詰所だった。当直看護婦の聖子は申し送りを始め、新入院の勝間忠について、昨日の事件と受傷の経緯、受診時の状況と治療、入院後の今朝までの経過を報告した。当時まだ看護一交代制だった二四時間勤務を終わり、三ノ輪の商店街沿いの一間長屋の中にある自分の部屋に帰る前、聖子はもう一度忠の状態を見に行った。すると、忠は目を覚ましていて、聖子の方を見て目で微笑んだようだ。おはようございますと言うと、左手を軽く上げて応じた。ご気分いかがですかときくと、頷く。まだ会話はしんどいのであろうと聖子は思った。
「今日はもう帰ります。明日また来ますね」
ありがとうのつもりか、忠はもう一度左手を挙げた。
鷲病院のスタッフの尽力と本人の回復力もあって、半死半生に見えた忠はめきめき回復し、二週間後には傷の腫れも引いて、縫合部の抜糸も順調に進み、滑らかに口が聞けるようになった。荻原みち子が真っ先に忠の見舞いに来たが、忠の旧友らも噂を聞いて見舞いに来るようになった。級友たちの話を小耳に挟むうち、受け持ち看護師の聖子は、忠が特攻隊を志願した予科練兵で、激戦地ラバウルに出征していたことを知った。そのことを忠に訊くと、忠は自分の来歴の話をするようになった。自分の軍歴の中でも、十五歳のとき土浦の海軍予科飛行連隊に入隊し、特別攻撃隊としての飛行訓練を受けたことは忠の心の勲章であった。命を懸けて国を守ったこの俺だ、女代議士一人くらい守れないと思うか。それが、彼が日々ガードマンの仕事をやって行く上での心の支えであり、自分を叱咤激励する言葉なのだった。
忠は一ヵ月後には無事退院し、当時サラリーマンの月給が七千円だった時代に、特別報奨金としてみち子から五万円をもらった。女性代議士からの信頼はいよいよ厚く、勝間忠の名はじきにこうした政治家やガードマン稼業の人間たちの間で評判になり、さらには極左極右の政治団体からも一目置かれるようになった。忠は元々アンパンを思わせるような愛嬌のある顔立ちだが、数々の修羅場を潜ってきた経験は彼に意志的な表情を与えていた。そんな忠の男っぷりのよさに徐々に惚れていた聖子は、退院したら一緒に酒でも飲みに行くかと誘われ、二つ返事で承知した。
二人は聖子の提案で、三ノ輪交差点に程近い商店街の中の蕎麦屋に出かけた。天麩羅蕎麦と月見とろろを注文し、早速ビールで忠の退院祝いの乾杯をした。
「こんなにビールが美味いと思ったのは久しぶりだ。ときに西堀さんは、どこの出身だい」
「群馬県。伊香保温泉です」
「そりゃあいいところだ。かかあ天下と空っ風だな」
「私は尽くすタイプだから、そんなことないですよ」
西堀聖子は群馬県の伊香保温泉の生まれで、上京して看護学校を卒業し、東京下町の医療に携わりたいと思って鷲病院に就職した。犬のこと、ガードマンの仕事のこと、出征のときの体験談などを話しているうちに、忠は盛んに気炎を上げた。
冷酒をあおっていると、回りの早い忠は早くも真っ赤な顔をしている。酒が進みすぎた忠は帰る頃には千鳥足でふらふらしていた。それで聖子は忠に肩を貸して三ノ輪にある自分のアパートに連れて行った。
「どうも女と酒飲んでこれじゃだらしねえようだな。特攻隊員の名が廃るよ。おめえは女のくせして滅法酒に強いな」
「あたし伊香保の実家でお父さんも叔父さんたちも皆、水の代わりに焼酎って環境で育ってるから」
「本当はよ、負け惜しみ言うようだがな、男ってもんは好きな女といるとどんなに酒に強い奴でも他愛なく酔っ払っちまうもんだ。いい女を前にすると酒に弱くなるんだよ。つまり柄にもなく上がっちまってるってことだな」
忠が聖子を抱いた肩を強く引き寄せて顔を近づけて話すと、聖子は身を硬くして微笑んでいる。都電の終点の三ノ輪駅には最終電車が運転を終え、電気を消して止まっていた。
「いい時代になったもんだよなあ。十年前なら恋だの愛だのなんて言ったらぶっ飛ばされんぞ。男と女が手をつないで歩いたりしたら千住新橋のところにずらっと青竹引かれてその上で女の代わりに石抱かされんだ。こんな風に肩組んだりしてたら命がいくつあっても足りねえ」
そんなことを言いつつも、忠は聖子の言うままに彼女の住む一間長屋に連れて行かれた。彼女の部屋は一階で、六畳間と四畳半に台所が付いている。
「いいとこ住んでるなあ」
感心したように言った忠は、座布団に腰を下ろし、酔いのために壁にもたれかかった。すると、そこへ聖子がやってきて寄り添って座った。忠は柳町の静のことを考え、その美貌と柳腰を思った。いずれは身請けしようとさえ思っている昵懇の間柄だ。この看護婦はどうも田舎っぽくて美貌の静のようなわけには行かねえ。でも情が厚くて磨きゃいい玉になるタイプだと彼女の顔を見ながら思った。
「私の気持ち、わかってるでしょう」
聖子はそう言って忠を見つめた。忠が肩に手を回すと聖子はもたれかかってきた。忠は心を決めた。不器用に唇を重ねた忠は彼女の服を脱がしにかかり、彼女ははにかみながらも抗わなかった。三ノ輪の夜は更けていき、南千住駅を出て三河島に向かう国電の走る音が遠くに聞こえた。
千住柳町の置屋福寿楼の芸者の静はこのところしばらく塞いでおり、その美貌も憂鬱な影に覆われていた。遣り手婆の美千代も訳を察して気をもんでいる。
「特攻の旦那、どうしたんだろうねえ。随分ご無沙汰だよ」
静がいつか自分をこの苦界から救い出してくれるのではないかと夢を託した男は急に通って来なくなった。そして間もなく美千代がその訳を人づてに聞きだした。
「特攻の旦那、ガードマンの仕事で重傷を負って入院したんだよ」
「えっ」
絶句したが、根掘り葉掘り聞こうとする静を宥めながら、美千代は言った。
「大丈夫、旦那は五体満足でぴんしゃんしてるってよ。あんな男がちっとやそっとじゃやられることはないさ」
見舞いに行きたかったが、自分のようなものが行っては迷惑かと憚られ、美千代も行かない方がいいと説いた。
「あたしらのすることじゃないよ。懸想も嫉妬もならず、いつも客には笑顔で接し、人知れず秘かに涙を絞る。それが女郎の身上ってもんさ」
このようなときに心の平静を保つ術を静は身につけていた。退院したら戻ってきてくれるだろうと望みをかけ、待つのが唯一彼女のできることだった。
しかし、忠を思い切らなければならないときは突然にやってきた。忠が退院したと聞いた後も、なかなか静のところへ来なかったが、二月ほど経って、久々に福嘉楼の門を潜って姿を現したのである。その忠はいつもの陽気な忠とは違っていた。
「今日は客として来たつもりはねえんだ。つまり、お別れを言いに来たんだよ」
忠は静と二人きりになるとそう切り出した。そして、入院していた先の病院の看護婦と結婚するつもりだと話した。
「こんなときがいつか来るんだろうって思ってたわ」
彼女はうつむいて答え、口を押さえた。
「女将さんにしてもらえるなんて夢見たあたしが馬鹿だった」
それから忠と静は睦み合った。これで最後だと思うと忠は愛おしくなり、いつも以上に燃えた。そして静は忠に抱かれながら泣いているようだった。
それが終わって身繕いを整えると、静は笑顔を作り、寂しい笑顔に見えないように勤めた。忠はいつも以上に美しい女だと思うのだった。
静はあたしみたいな女にゃ、結婚したって逢いに来たっていいんだよと言おうかと思ったが、彼女には言えなかった。却って辛くなるのは目に見えていた。
その夜、忠を見送って送り出した静は、柳町大門を出ると隅田川の橋まで行き、欄干から川の暗い流れを見つめていた。松尾芭蕉の奥の細道の碑が立つ辺りであり、江戸川乱歩の小説で死体がよく流れてくる場所でもあった。江戸時代の黄表紙の題材にありそうな女郎の身投げの話の主役の気持ちが静は少しは分かる気がした。川はコンクリートの堤に囲まれており、そのこちらにも向こうにも工場の煙突が見える。黄表紙なら趣もあろうが、その無機質な、人間を拒むような産業の力の塊を見ると、静はこんなところで死んでたまるかと思うのだった。
「てやんでえ、特攻くずれが。いいことばっかり言ってなにさ」
涙があふれてきた。
「身請けしてくれるって言ったじゃないか」
水面に向かって大声で叫んだ静は欄干に凭れて泣き崩れた。彼女が涙を拭いたのは、怪しんだ通行人にもしと声をかけられてだった。身住まいを直して歩き出し、橋から日光街道を北に戻り、墨堤通りから森鴎外の旧居の碑が立つT字路を右に曲がり、彼女は大門を潜って赤線街に戻って行った。三日三晩何かと忠のことばかりを考えたが、その後は女郎の切り替えの早さで静は立ち直った。
昭和三十一年春に浅草神社で祝儀を挙げ、三ノ輪の商店街のはずれにある聖子の長屋がそのまま新婚の二人の新居になった。二人の前途は洋々に見えた。世の中は戦後の荒廃から立ち直り、高度成長経済に向けて経済発展が始まろうとしていた。
聖子は元々仕事に情熱を燃やすタイプで、料理はどちらか言えば苦手で、むしろ忠がいろいろと教えるのだった。
「俺は海軍の料理番もしたからな。乏しい材料で美味いものを作ることに知恵絞ったもんさ。へぼをやると、皆が寝てから上等兵にこっち来いって言われて甲板に立たされ、櫂の棍棒を削って根性棒って書いてある奴で尻っぺたをバシってやられたもんさ」
そんなことを言いながら、忠は楽しげに料理をした。
給料が出ると忠はステーキ肉をお土産に買って帰るのだった。
「浅草の老舗のステーキ屋と同じ牧場から肉を仕入れている店がこの先にあるんだよ。場所代がかからない分浅草よりずっと安いのさ。ステーキなんて料理人の腕じゃなくて牛の育て方だから、いい肉買って自分で焼くのが一番美味いんだ」
忠は塩胡椒をして自分でステーキを焼いた。
「地の滴るステーキって言うくらいで、肉はレアで食うに限る。あとは蒸かしたじゃが芋だ、お前作ってくれよ」
間もなく聖子は妊娠し、病院を休職し、翌年の正月には娘が生まれた。大きな赤ん坊で、大きな声で泣く、父親そっくりの娘だった。忠は娘を薫と名付け、子煩悩ぶりを発揮して聖子以上に赤ん坊の面倒を見た。
ところが新婚生活の幸せはいつまでもうまくは続かなかった。聖子は子供好きで沢山の子供を産み育てたいと思っていたが、料理以上に整理整頓は大の苦手で、物を片付けることもできなければ捨てることはもっと苦手だった。一方、忠は剛毅な性格と裏腹に大変な清潔好きで身の回りがきちんとしてないのは耐えられない性質だった。二人はしばしば喧嘩するようになったが、ある日ガードマンの仕事で疲れて帰ってきた忠は、狭い部屋が物であふれ返っているのを見て居所がないと言って出て行き、とうとうその日は帰ってこなかった。
忠のことはきれいさっぱりあきらめたつもりでいた静のもとへ忠が再びやってきたのはその夜のことである。指名を受けて出てきた静は、忠の顔を見て驚いた。
「あらまあ、どなたかと思ったら」
静はおどけてみせ、部屋に忠を招いて二人きりになった。
「随分ご無沙汰ね。新婚気分は如何ですか」
「まあな。大したもんじゃねえよ」
恨み辛み言うでもなく相対した静に、忠はぼそっと答え、それきり黙っている。
「お幸せで結構なことだと思っておりました」
「お前を忘れようと思ったがやっぱり忘れられねえ」
「あら今さら御大層なことね」
女郎の身の上は再び相睦み、縁りを戻すことになった。
翌日忠が三ノ輪の家へ帰ってくると、聖子は忠を抱き、壁に押し付けた。目に涙をいっぱいに浮かべて、どこに泊まったのと聞く声には凄みがあった。独身時代から忠が柳町の赤線街に出入りしていたことは本人から直接聞いて知っていた。結婚するので岡場所通いを終わらせたことも聞いた。でも忠がそこへまた行ったことは間違いないと思った。
「薫が可哀相だと思わないんですか」
「じゃかあしい。そんな御託は聞きたかねえ。身の周りの片づけくらいきちんとせんかい。さもねえとまた泊まっちまって帰って来ねえぞ」
それで聖子は一時的にせっせと家の片づけをするようになった。しかし、ちらかさないじゃいられない性分で、じきにまた荷物だらけになってしまう。するとまた夫婦喧嘩になり、忠は家を飛び出して柳町に泊まりに行ってしまい、静と逢引を続けた。
この繰り返しに業を煮やした聖子は、ある日ヤッパをもって忠を追いかけた。あんたを殺してあたしも死ぬと言うのだった。戦場やガードマンの仕事で数ある修羅場を潜ってきて、根性が座っていることにかけては人後に落ちないと自他共に認める忠だったが、女房を怪我でもさせちゃ男子一生の恥だと思い、このときだけは家から逃げ出した。
「おっかねえ女だ。国定忠治のお膝元、かかあ天下と空っ風の上州の出だからな。こんな危ねえ女とはもうごめんだ」
そうつぶやくと、さて、どうしたものかと忠は考えた。
「何、構うこたねえ。行っちまえ」
忠はいつものように、三ノ輪から隅田川の橋を越えて柳町へ行ってしまった。
忠を長屋から追い出した聖子は畳に突っ伏して泣いた。とうとう終わりなのだと思った。しかし、一泣きすると聖子は気持ちを入れ替えて考えた。
あの人は男伊達だがまっとうな人間じゃない。これからもあの人の性根は変わらない。一緒にいたら私はこれからも泣かされるばかりだろう。私はまだ二五歳で若い。やり直しは十分にできる。赤ん坊を抱えながらだってお仕事はできる。看護婦のお給料とあの人から慰謝料をもらえば娘を育てることもできるだろう。よしんばあの人の稼ぎが少なくたって私一人でやってみせる。
聖子は人生に対するあくなき希望を捨てず、固い決意を胸に、前を向くのだった。
一月ほど経って忠が福嘉楼にやってきた。それは静が秘かに希った日となった。
忠は静を前にして言った。
「おめえを水揚げしたい。異存はあるめえな」
「何をお言いよ」
「水揚げするったらするんだよ。文句はあるめえ」
「そんなうまいこと言ってまた人を騙くらかそうってんじゃないんだろうね。もうあたしはこりごりだよ」
一年以上前、橋の袂で涙に暮れたことを思い出して口を押さえようとする静の前に、忠は離婚届を出して見せた。
「今の女房とはもう終わりなんだ」
静はまじまじとその書類を見つめた。人に不幸を齎して自分が幸せをつかむなんて女郎の分際で許されることではない。世の不幸は自分たちのような人間が負えばいいのだといつも自分に言い聞かせてきた。でもやっぱり自分だって幸せになりたい。一度は諦めたけど、忠はやっぱり私を苦界から救い出してくれる騎士なのだろうか。
「でも水揚げっていうけれど、手切れ金はどうするの」
「なんでえ、女郎のくせして知らねえのかよ。もうここらの店は全部廃業になるんだよ。だから手切れ金どころじゃねえ、お前たちの始末をどうつけるかで楼主も遣り手の婆さんも頭が痛いと思うぜ」
「そりゃ噂は知ってるけどさ。稼げるうちはただでは手放してくれないかもしれないよ」
「お前たちはもう稼げないよ。とうとう例の赤線防止法が通っちまったんだから。来年春から施行だそうだ。ここも終わりってことよ」
静は俯いて、物思う風情になった。
「どっか別の岡場所に流れるかい。玉野井なんかはここと同じで潰れるけど吉原だけは残るそうだから」
静は強く首を振った。
忠が以前から昵懇だった女郎を水揚げして嫁に迎えたと聖子が聞いたのは、その半年後だった。慰謝料を巡ってときどき忠に連絡することがあって、住所が荒川土手下の町になっていたので、新居を持ったと知ったのだった。しかし、忠の再婚を知ったときにはおめでとうとも言わなかった。あたしはお女郎さんじゃない、心にもないお追従なんか言おうと思わない。実のところを言えば、それまで聖子はなかなか忠を思い切れず、新しく結婚相手を見つけようとは思わなかった。まだ娘の薫も小さく、子煩悩の忠と縁りを戻せば娘は幸せだろうとも思えた。
だが時は心の傷を癒し、聖子は新たな結婚をした。浅草は花川戸二丁目の鞄屋の息子で駐車場管理業をして暮らしているいい身分の男だった。そして彼女にとっては二番目となる娘を産んだ。
昭和三十年に結成された自由民主党は、翌年の第二四回国会において売春対策審議会の答申を容れ、それまでと一転して売春防止法の成立に賛同した。売春防止法案は国会へ提出され、可決されて一九五七年四月に成立し、一年間の刑事処分猶予期間の後に適用されることになった。一九五八年四月一日、売春防止法は施行における猶予期間を経過し、以降も売春の業を営む者に対しては刑事処分が課せられることになった。
柳町の赤線街は解体され、全ては夢の跡となった。