6話
「明日、少し町を歩いてみませんか」
夕食のため次の日も酒場に来た俺に、切り出したのはエリシアだった。
「探し物のためか」
「ええ、そうよ」
「もう、ひと通りは歩いた」
「それでも」
エリシアは、言葉を選ぶように一拍置く。
「誰かと一緒に歩けば、見えるものも変わるかもしれませんわ」
理屈としては曖昧だった。
とは言え昨日の手前、拒む必要もないと思った。
かくして俺は今日、町の広場へ向かっていた。
訓練を終えたあとの昼下がり。
昼のこの時間帯は露店もまばらで、人の流れも落ち着く。
周囲を見回す。
彼女の姿は、すぐに見つかった。
酒場の従業員服でも、踊り子の衣装でもない。
淡い色の外套に、動きやすそうな靴。
町のどこにでもいそうな格好だが、俺は目を引かれた。
俺が近づくと彼女も気配に気づいたのか、向き返る。
「待たせたか」
自然に、そう声が出た。
エリシアは小さく首を振る。
「いいえ。今来たところです」
そう答えながら、ほんのわずかに微笑んだ。
偶然でも、成り行きでもない。
これは、自分で選んで来た場所なのだろうか。
「それで、どこから歩く」
俺は広場を見渡しながら言った。
エリシアは少し考え、道の向こうを指さす。
「まずはあちらへ行きましょうか。まだ露店が開いていますわ」
歩き出す足取りが、どこか軽く見える。
並んで広場を抜ける。
露店は数こそ少ないが、商人たちは呼び込みを続け、果物や小物を並べている。
エリシアは、ひとつひとつを眺めていた。
香草の束に足を止め、干した魚を覗き込み、飾り紐を手に取っては首を傾げる。
一昨日のような、静かで距離を測るような佇まいとは少し違う。
「こういうの、好きなのか」
俺がそう言うと、エリシアはきょとんとした顔をしてから、すぐに微笑む。
「嫌いじゃありません」
曖昧な答えなのに、その声は弾んでいる。
露店の男に勧められ、焼いた菓子を買った。
エリシアは遠慮なく受け取り、小さく齧った。
「……甘い」
感想を口にする様子が、妙に子どもっぽい。
「ほら、ロアンもいかが?」
そう言って、かじった逆側をちぎって渡される。
俺は横顔を見ながら、感覚をそのまま飲み込めずにいた。
――この女、ただ楽しんでいないか。
そんな不安が、頭をよぎる。
歩幅が揃い、会話が途切れない。
見知った町だが、今日は彼女の後ろを追っているだけ。
「……遊んでないか、これ」
思わず、独り言のように漏れる。
記憶を探すために歩いているのではないのか。
これでは、露店を冷やかす散歩のようじゃないか。
エリシアは足を止め、こちらを見た。
「そう見えますか」
咎めるでもなく、からかうでもない。
静かに問い返してくる。
「違うのか」
「んー……、いいえ」
「少し、楽しいかも」
そう言ってから、ほんのわずかに視線を逸らす。
「……いけませんか」
問いかけは軽いのに、表情が硬い。
俺は息を吐く。
「悪いとは、言ってない」
それだけ言うと、再び歩き出した。
エリシアも、何事もなかったように隣に並ぶ。
露店のざわめきの中で、彼女の足取りは先ほどより遅くなった。
しばらく歩くと露店の並びは途切れ、人の声もまばらになる。
石畳の先がゆるやかに下り、潮の匂いが混じり始めた。
エリシアが足を止める。
「次は……海のほうへ行ってみましょうか」
振り返りもせず、そう言った。
「この町は、海と切り離せない場所ですから」
港がなければ、この町は成り立たない。
物も、人も、噂話も、すべて波に合わせて流れ込む。
俺は頷き、彼女の隣に並んだまま歩き出す。
道の先で、視界が開けた。
防波堤の向こうに、鈍く光る水面が広がっている。
波は穏やかで、空の色を映し込みながら、静かに寄せては返していた。
「……変わらないな」
思わず、そんな言葉が漏れる。
「ええ」
エリシアは短く応じる。
「変わらないものほど、記憶に残りやすいかも」
彼女の経験なのだろうか。
潮の音を聞いていると、頭の奥で波と一緒にかすかに揺れた。
隣に視線を向ける。
エリシアは、海を見つめていた。
その横顔は、とても静かだ。
日が傾き始め、潮の色が少しずつ濃くなる。
「今日は、このくらいにしておきましょうか」
エリシアは海を眺めるのをやめ、ゆっくりと踵を返した。
名残惜しさも、止まる気配もない。
「酒場が、そろそろ始まりますから」
現実的な理由だった。
「酒場で、夕飯食べていきますか」
「……そうだな」
俺は頷き、並んで来た道を戻る。
言葉は少なく、靴音だけが石畳に残った。
「ロアン」
呼ばれて、振り向いた。
エリシアは迷うように視線を泳がせてから、静かに言った。
「……また、一緒に歩きましょう」
俺は一瞬、返事を考える。
「都合が合えばな」
「ええ。それで」
エリシアはそれで十分だと言うように、微笑んだ。
何も思い出していない。
手掛かりもない。
この時間が意味するものは、一体なんだったのだろう。




