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からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野
からっぽな騎士

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24/32

24話

気づけば、日が落ちるまで踊り続けていた。


浜辺の赤は消え、濃紺へと沈み、海と空の境目が曖昧になる。

今日の月の光は弱く、足元を照らすには心許ない。


今宵は、これ以上踊れなくなるまで踊り続けた。

身体の感覚が鈍り、思考が追いつかなくなるまで。


俺たちは、町への道を歩いていた。


エリシアと、二人で。


会話はなかった。

ただ、並んで歩いた。

足音だけが重なり、夜気が肌を撫でる。


足は酒場の方角へ向かっていた。

建物が見えたとき、エリシアは俺の手を引いた。

そして、短く。


「来て」と。


酒場の裏手を抜ける途中、ミレディとすれ違った。

目が合ったが、彼女は何も言わなかった。


今日も仕事があるはずなのに。

何も問われず、止められない。


現実味を失わせた。


案内されたのは、宿舎の一室だった。

扉を閉めると、外の音が遠のく。


「ここは、私の部屋」


彼女は手を離し、ゆっくりと振り返る。

蝋燭の炎に照らされた顔を見たとき、胸が大きく軋んだ。


部屋は簡素だった。

壁際に小さな棚、窓際に置かれた小さな灯り。

必要最低限の調度だけが置かれている。


炎は弱く、揺れも少ない。

その分、影が柔らかく広がっていた。


漂っているのは、煙と、酒と、花のような匂い。

甘さの奥に、苦みを含んだ香り。


懐かしい。

そう感じて、俺は眉をひそめた。


「どうしたの、呆けた顔してる」


エリシアの声で我に返った。

俺は、何も言わずに突っ立ってしまっていた。


ある物思いに沈んでいた。


今ここにいる彼女に対して、ひどく失礼なことを。


「……すまない」


咳ばらいをして、続ける。


「少し、緊張してるのかもしれないな」


言い訳のような言葉だったが、

エリシアは、ふふ、と小さく笑ってくれた。


「ねえ」


一歩、距離を詰めてから、彼女は言った。


「私の告白、聞いてくれる?」


心臓が、勢いよく跳ねた。


はっきりと、自分の身体に走る緊張が分かる。

呼吸が浅くなり、指先に力が入る。


俺は「ああ」と、ただ頷いた。


エリシアは、いったん視線を落とした。


胸に手を当て、静かに呼吸を整える。

その仕草は、踊りの前とよく似ていた。


「私は、ロアンが好き」


言葉が落ちた瞬間、心臓がもう一度跳ねた。

鼓動が耳の奥で鳴り、視界の端だけ揺れる。


俺の反応を確かめようともせず、続ける。


「はじめは、同情があった」

「寂しそうなあなたに、関わりたかった」


「でも、繰り返し会うたび、あなたは毎回、違う顔を見せてくれた」


俺は黙って聞く。

動きも、相槌もいらない。


「寂しそうな顔」

「子供と遊ぶ、楽しそうな顔」

「私の踊りを見て、感激する顔」

「……私に、怒る顔」


「どれも素敵で、目が離せなくなった」


一つ挙げるごとに、俺の胸が熱を持つ。

その時の感情まで蘇るようだった。


エリシアは瞳を落とし、最後だけ目を合わせた。


「私は、ロアンが好き」


改めて言い切る。

柔らかく、強い。


「あなたも、私を好きになってくれたら……」


一瞬だけ、間があった。


「もっと、嬉しい」


エリシアは、最後まで笑顔だった。


嬉しかった。

胸がいっぱいになった。


彼女が見ていたのは、欠けた状態の俺自身だった。

迷って、揺れていただけの俺を、素敵だとさえ言ってくれた。


言葉が、すぐには出てこない。


いくつもの疑問は、まだ頭を巡る。


ゲラルトの言葉は、本当だったのか。

エリシアが、何かを隠しているのか。

なぜ、黙ることが選ばれたのか。


それでも——


俺は、今ここにある感情を無視できなかった。


浜辺で踊っていたときの、温かな感覚。

彼女の手を取り、動きを合わせていた時間。


胸を満たしていたものは、もう混乱じゃない。


安心と、喜びと、確かな引力。


俺は一度、深く息を吸った。

エリシアがさっきしたのと同じように。

呼吸を整え、言葉を探す。


後先を考えず、口を開いた。


「……俺も」


声が震えないように、努力した。


「エリシアのことが、好きだ」


言い切った瞬間、心がすっと落ち着いた。

ずっとかかっていた霧が晴れたように、すっきりした。


言葉を受け取った瞬間、エリシアの表情が変わった。


微笑みが、ふっと消える。

目を見開き、俺のほうを見つめたかと思うと、

次の瞬間、膝から力が抜けた。


「……っ」


身体が傾き、すとんと腰が落ちた。

俺は慌てて一歩踏み出し、彼女の身体を支える。

腕の中で、細い体が小さく揺れている。


「ご、ごめんなさい……」


エリシアは、今度は気まずそうに笑った。


「……腰が、抜けちゃったみたい」


愛らしく、そう言う。


支えた拍子に、自然と距離が縮まっていた。


顔が近い。

呼吸が重なり、花のような香りだけが一気に濃くなる。


長いまつげが、俺の顔に触れた。

瞬きのたびに、くすぐったい。


示し合わせたように、鼻が触れた。

鼻先に、横に、かすかな力で。


唇と、唇が触れた。


少しだけの時間。


短い、キスだった。


それなのに、胸の奥で心臓がうるさいほど鳴り出す。

自分の鼓動が、耳の内側に響く。


俺は我に返り、そっと顔を離した。


エリシアは、少し驚いたような目をしたあと、微笑んでくれた。

照れも、ためらいも含んだ笑み。


俺も、つられるように口角を上げる。

ぎこちないが、確かな微笑みを返した。


戦争から帰ってきて――


一番、幸せを感じた瞬間だった。

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