表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/15

12話

俺はある日の昼、孤児院を訪れていた。


前にここへ来たのは、エリシアと一緒だった。

神父が留守で、話は聞けなかった。

今日は一人で神父に会うため、ここまで来た。


――同時に、ここで感じた違和感の正体を確かめたかった。


玄関口で立ち止まり、建物の中へ視線を巡らせる。

裏庭の方から鍋を叩く金属音と、低く抑えた話し声が聞こえた。


ミレディだ。


裏庭へ回ると、かまどの前で彼女が鍋をかき混ぜていた。

慣れた手つきで器に中身をよそい、並んだ子供たちへ次々と手渡している。


「ほら、こぼすんじゃないよ」


声も動きも、迷いがない。

ミレディは、俺が子供のときから炊き出しをしていたことを思い出した。


ズキリと、頭の奥を針で突かれたような痛みが走る。

思わず眉をひそめ、こめかみに指を当てた。


――またか。


前回と同じ類いの記憶が流れ込んできて、顔をしかめた。


「おや、ロアンじゃないか」


ミレディがこちらに気づき、声を上げた。

その一言で、周囲が一変する。


「あっ、ロアンだ!」 「騎士さまだ!」 「今日はエリシアいないの?」


近くにいた子供たちが、一斉にこちらへ駆け寄ってくる。

袖を引かれ、腰にしがみつかれる。


「こらこら」


苦笑しながら、俺は一人ずつ丁寧に手を外した。

無理に振り払わないよう、距離を取る。


「すまない。今日は、用事があるんだ」


「えー」と、納得したようなしないような顔を残し、子供たちは渋々と列に戻っていく。


「なんだ、ずいぶんと懐かれてるじゃないか」


ミレディが、からかうように口元を緩めた。


「前からこんなだったかい?」

「さあな」


俺は曖昧に返した。

頭の痛みは、完全には引いていない。


「それで今日は、どうしたんだ」


ミレディは声を落としてこちらを見る。

俺は一度、深く息を吸った。


「ここの神父に、話が聞きたくてな」

「……そうかい」


ミレディの表情が、わずかに引き締まった。


「神父さまなら、院の中にいるよ」


そう言い残すと、鍋の中身に向き直った。

俺は短く礼を言い、建物の中へ足を踏み入れた。


「色よい話は、聞けないだろうけどね」


呟きは、俺には届かなかった。


孤児院の内部では木床が靴音を吸い込み、壁際に並んだ小さな椅子や机が日常を語っている。


奥へ進むと、白髪の混じった頭に、丸みを帯びた体躯。


すぐに分かった。

記憶のままの姿をした神父。

書き物をしていた手を止め、ゆっくりと顔を上げる。


「おや……騎士殿、ですかな」


こちらを見て、目を細めた。

柔らかく、年相応の物腰。


「何か、御用でしょうか」


俺は一歩だけ前へ進み、姿勢を正えた。


「少し、お話を伺いたくて来ました」

「ええ。どうぞ、よろしければお座りください」


俺は神父に示された椅子に腰を下ろした。

神父は向かいの椅子に座り、卓の端に手を添えて眼差しを向けている。


「私はロアンと言います。幼い頃、ここには世話になりました」


神父の目尻がゆるんだ。


「ああ、そうだったのですね。ご壮健のようで、嬉しく思います」


社交辞令のようで、しかし嘘っぽくはない温度。


「昔のことを聞きたいのですが」

「ええ、よろしいですよ」


柔らかな返事。

神父は一瞬だけ視線を落とし、すぐに戻した。


「いつ頃この院へいらっしゃいましたか」


問いかけられた瞬間、こめかみの奥がきしんだ気がした。


「十年ほど前です」

「では、記録を探してみましょうか」


神父は立ち上がり、壁際の本棚へ向かう。

背中を目で追いながら、俺は続けた。


「いえ、ここで引き取られたわけではないんです」

「当時の話を聞かせて頂けたらと」


神父の手が棚の一角で止まった。 厚い帳簿の背をなぞり、一本、ゆっくり引き抜く。


「ふうむ、十年前、ですか……」


振り向いた神父の顔は、眉間に皺が寄っていた。


「どなたか、お知り合いはいましたかな」

「それが聞きたかったんです」


神父は帳簿を胸に抱えたまま、少しだけ首を傾げた。

俺は唾を飲み、椅子の背に預けていた背中を起こした。


「俺がここに出入りしていた頃のことを、何か覚えていませんか」


神父の眉がもう一度、わかりやすく寄る。


「そうですか……」


神父は喉の奥で押しとどめるように、言いよどんだ。


「申し訳ないのですが、私の記憶からは……」


言葉が途切れた。

俺はその沈黙の長さで、先に答えを察してしまう。


本当に何も覚えていないのかもしれない、と。

沢山の子供たちを相手にする神父であれば、想像に易いことだった。


「では」


俺は言葉を選びながら続けた。


「名簿などを、見せてもらうことはできませんか」


神父の瞳が、ほんのわずかに揺れた。

戸惑いと、警戒か。


「それも、……申し訳ございません」


神父は帳簿を本棚に戻した。


「騎士様といえど、昔の記録をお見せするわけには……」


語尾が小さくなった。

俺は立ち上がって息を吐き、頭を下げた。


「いえ、無理を言ってすみません。聞いてくださりありがとうございます」


神父は両手を胸の前で軽く振り、笑みを作った。


「いえいえ、また何かございましたら、いつでもいらしてください」


終わると同時に、神父の肩から力が抜けたのが分かった。


俺はそれ以上何も言えず、踵を返して孤児院を出た。

乾いた風が頬を撫でる。


――空振りだったか。


思わず唇の内側を噛む。

理由のない焦りが、小さく暴れた。


だが。


裏庭の方から、鍋を叩く金属音がまだ聞こえた。


炊き出し。


思い出したことがある。


過去の俺の隣には、誰かがいつもいたはずだ。


肩が触れそうな距離。

同じ方向を見ていた。


頭痛と引き換えに、違和感の正体だけは、はっきりと見えた。


俺は”誰かを忘れている”。

初めて、自覚した。


顔も声も年齢もわからない。

取るに足らぬ存在か、大切な存在かすら。


頭痛の残る頭で、俺は帰路についた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ