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からっぽな騎士と砂浜の踊り子 ――たった一つの記憶を失った英雄  作者: 亜麻野


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11話

朝の市場。


露店の呼び声と荷車の軋む音が入り混じり、通りには人が溢れている。

干した魚の匂い、果物の甘さ、土と汗の混じった空気。

俺は布袋を片手に、必要なものだけを拾うように歩いていた。


「ロアン?」


聞き覚えのある声に、足が止まる。

振り向くと、籠を持ったゲラルトがいた。

少し驚いたような顔をしてから、すぐに親しげな笑みに変わる。


「ロアン!最近酒場に来ないけど、どうしたの?」


何気ない問いかけ。


「最近、少し立て込んでてな」


俺は嘘をついた。


あの後から、エリシアと顔を合わせるのが気まずくて、

俺は酒場から足が遠のいていた。


今の買い物も、そのせいだ。

朝のうちに食料を買い込み、夜は家で一人、簡単に済ませるため。


「ふうん」


ゲラルトは納得したのかしていないのか分からない返事をし、俺の手元をちらりと見た。


「随分、質素じゃない?」

「一人なら、こんなものだ」


そう答えながら、俺は袋の口を握り直した。

人の流れに押され、俺たちは通りの端へと移動する。


「夜、何か食うなら、うちに寄ってよ」


ゲラルトは軽い調子で言った。


「エリシアも、最近元気ないんだ」


その名前が、不意に頭を揺らした。

俺は籠を抱えたゲラルトを見て言った。


「……なぜ、俺に言うんだ」


驚くほど、声が硬くなった。


「酒場の踊り子が元気ないのと、俺は関係ないんじゃないか」


市場の喧騒が、ほんの一瞬だけ聞こえなくなった。

ゲラルトは目を瞬かせ、慌てたように首を振る。


「えっ、そう、かも。あはは」


乾いた笑いだった。

籠を抱え直し、言葉を探すように視線を泳がせる。


「でも、いつも来てた常連さんが居なくなったら、誰だって寂しいだろ?」

「手伝いじゃなくてもいいから、また来てよ」


分かったようなことを言い、ゲラルトは笑顔のまま一歩下がった。


「それじゃ」


すぐに人の流れに紛れ、背中が見えなくなった。

残された俺は、その場に立ち尽くしていた。





朝の鍛錬が終わった後、俺は家に帰らなかった。


そのまま町へ足を向ける。

目的はなかった。

ただ、じっとしているのが耐えられなかった。


石畳を踏む音が、自分の中だけで大きく鳴る。


俺のせい、なのか。


昼前の市場で聞いた言葉が、留まっていた。


『エリシアも、最近元気ないんだ』


事実なのか、世間話なのかすら知らないが。

思考だけが堂々巡りを続ける。


昼下がりの通りには、まばらに露店が並んでいた。


朝の喧騒はもうなく、商人たちは椅子に腰掛けて客を待っている。

布の影が揺れ、乾いた風が通り抜けた。


エリシアと並んで歩いた通りだ。

他愛ない雰囲気で、一緒に歩いた場所。


自分から距離を取ったはずなのに、

どうしてこんなことを思い出すのだろう。


「……っ」


突然、こめかみが脈打った。

ズキズキとした痛みが、頭の奥に広がる。


俺は思わず壁に手をついた。

視界がわずかに歪む。

記憶の隣に居たエリシアの形が、歪むような錯覚を感じた。


誰かへ。

背丈も、輪郭も、定まらない。


そこに立っている感覚だけが、妙に生々しい。


その影は、少しずつ形を変え、 今度こそ掴めるかと思った瞬間――


霧のように、崩れた。


何も残らない。

痛みだけが、置き去りにされる。


俺は深く息を吸い、吐いた。


唯一残ったものがあった。

孤児院で感じたものと同じたぐいの違和感。


何かが、抜け落ちている。

考えようとすると、底のない穴に足を入れるようだった。


これは、探し物と関係があるのだろうか。

理由も根拠もないまま、その言葉だけが浮かぶ。


次の瞬間、背中を撫でるような寒気が走った。

体の内側から、急に温度が引いていく。


俺はそれ以上考えるのをやめ、足早に通りを抜けた。

人の声が遠ざかり、石畳の音だけが規則的に続く。


気づけば、自分の家の扉を押し開けていた。


中は静かで、当然誰もいない部屋。

荷物を置いても、腰を下ろす気になれない。


窓を開け、すぐに閉める。

椅子に触れて、離す。

部屋の中を一周して、何をするでもなく足を止めたときだった。


床の一点が、妙に目に留まった。

板の色も、木目も、周囲と変わらない。


――ここは。


記憶の底から、遅れて言葉が浮かぶ。


隠し戸だ。


壁際、棚の影になる場所。

他の床板と違和感が出ないよう、丁寧な造りの。


昔は、遺産として残された鎧や剣などをしまっていた。

戦争に出る前、中のものはすべて整理したはずだ。

売り払い、手放し、空にした。


中には、もう何もない。


俺は膝をつき、指を板の縁に掛けた。


「……」


力を込めると、板がわずかに動く。


ギ、ギギ、と。

大きな音が、静かな部屋に響いた。


心臓が一拍、跳ねる。


中を覗き込む。

暗い。


一見すると、何もないように見えた。

だが、目が慣れるにつれて、奥の隅に影があるのに気づく。


箱だ。


小さく、飾り気のない木箱が、一つだけ置かれている。

こんなもの、覚えがない。


俺は箱を引き寄せ、蓋に手を掛けた。

軋みながら、ゆっくりと開いた。


「……肩掛け?」


思わず、声が漏れた。


中に畳まれていたのは、綺麗で柔らかそうな布。

淡い紫で、女物のようだ。


なぜ、こんなものがここに。


答えは家のどこにもない。

俺の胸の奥まで、嫌な音を立てて軋んだ気がした。



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