第2想 Sランクを持つ者
「夜道は危ないからな、途中まで送るよ」
そう言った燈也の横顔は、街灯の光に縁どられていた。
放課後の空はすでに濃い紺色へと沈み、通学路は昼とは違う静けさに包まれている。
怜花は肩にかかる髪を軽く押さえながら微笑んだ。
「ありがとうございます。。……こうして歩くの、なんだか久しぶりですね」
二人が昔話に花を咲かせつつ、通学路を歩いていると少女の悲鳴が聞こえる。
「ちょっ……やめてください!」
ただの悲鳴ではない。助けを求める切迫した声だった。
「今の……」
怜花も険しい顔をし、燈也が頷く。
二人は周囲に気を配りながら、声のする路地へ慎重に近づく。
やがて視界に飛び込んできたのは、街灯の届かない薄暗い路地裏。その中央で見知らぬ少女が、十数人の男達に囲まれていた。
「あれか……?」
男達は揃いも揃っていかにも素行が悪そうな連中ばかりだ。派手な柄のシャツに金のアクセサリー、無数のピアス。
袖から覗くタトゥーは腕だけでなく身体中に入っており、夜道で遭遇したくないタイプのチンピラだ。
「へっ、いいじゃんちょっとくらい付き合えよ?」
ニヤニヤと笑いながら少女を取り囲み、行く手を塞ぐように路地に広がっている。
少女は必死に距離を取ろうと後ずさりし、肩をすくめて震えていた。制服姿から見て、同じ学校の生徒だろう。
(くそ……人数が多すぎる)
チンピラの数はざっと見ても十人ほど。怜花を連れて正面から突っ込むのは明らかに危険だ。
「あわわ…燈也さんどうしましょう?」
「少し落ち着け……」
燈也は小声で制しながら、路地の暗がりから状況を見据える
「あの人数だ。下手に突っ込んでも、こっちがやられるだけ……今はチャンスを待つんだ。」
「で、でも……!」
焦りの表情を浮かべる怜花の肩にそっと手を置き、首を横に振った。
落ち着かせようとしているその言葉は、自分自身にも向けられているようだった。
焦りは喉の奥までせり上がってくる。しかし考えなしに突っ込んで怜花を巻き込むわけにはいかない。
一方、チンピラ達は少女がなかなか首を縦に振らないことに若干の苛立ちを覚え始めている。
「あ~もう……面倒くせーなァ。無理やり連れてくかァ?」
ニワトリを思わせる赤いトサカのような髪型に、鼻ピアスを光らせた派手な男が、舌打ちしながら他の男たちをけしかけた。
「そうっスよアニキ。これ以上騒がれたら厄介ですし、さっさとヤっちまいましょうよ!」
そう合いの手を入れたのは、小柄で目つきの悪い男。手には折り畳みナイフを弄ぶように持っている。
「決まりだなァ……」
ニワトリヘッドの男は舐め回すように少女を見ると唇をいやらしく舌で舐める。
「へへへ……たっぷり可愛がってやるぜェ」
下卑びた笑みを浮かべながらニワトリヘッドの男が少女の手を乱暴に掴み上げる。
「きゃっ!離して!」
「やっぱり……待ってなんかいられません!」
怜花は堪えきれず、ぎゅっと拳を握りしめ路地へ飛び出した。
「おいっ! 待てよ!」
燈也の制止も耳に届かない。
「ったく……!」
燈也は舌打ちしながらもすぐに駆け出す。怜花を一人で危険な場所へ行かせるわけにはいかない。
策はまだ固まっていないが、それでも行くしかなかった。
「さぁ……まずはどこ行くかァ?へへへ…夜は長いからなァ……」
「誰か助けてっ!!」
「―あのっ! そういうのは……良くないと思います!」
震えを押し殺し怜花がチンピラ達に向かって声を上げた。その小さな肩は目に見えて震えている。
だがチンピラ達は、怜花の勇気など毛ほども意に介さず、舐めきった視線を向けるだけだった。
「なんだァ……お前?こっちは忙しいんだ、邪魔すんじゃねえよォ」
「おい、ちょっと待て……よく見たらコイツも結構可愛いじゃん、なんならお前も俺たちと遊んでくれや。ヒヒヒ……」
周りのチンピラは新しい獲物が来たとばかりに下卑た笑みを浮かべながら怜花を取り囲む。
まさにミイラ取りがミイラになってしまった状況だ。
スキンヘッドのチンピラの一人が怜花の手を無理やり掴む。
「ヒヒヒ……もう一人ゲットだァ!今日はツイてるぜ!上物の獲物が二人も手に入るなんてよォッ!!」
「きゃ!離してー!!」
怜花が痛みに顔を歪めたその瞬間。
「……いいかげんにしろよ。お前ら」
燈也が一歩踏み込み、怜花の手首を掴んでいるスキンヘッドの腕をがっちりと掴む。
「はぁ?誰だてめぇは?」
「嫌がってるだろ?その汚い手を離せ。」
返答を待つ気などない。
燈也はスキンヘッドの腕をひねり上げ骨がきしむ鈍い音が響いた。
「ぎッ……いでででッ!! や、やめろ!!」
腕を押さえてうずくまる隙に怜花は解放される。だが燈也は止まらない。
「っ……!」
少女の肩を掴んでいたニワトリヘッドの顔面に次の瞬間、拳が吸い込まれた。
殴られた男は目をひんむいたまま後方へ吹き飛び、少女は無事に解放される。
「ったく……!無茶しやがって!」
怜花と先程の少女を庇うような態勢で前に立つ燈也をチンピラ達が取り囲む。
「おめぇら、絶対に逃がすんじゃねぇぞ!」
まるで獲物を囲んだハイエナの群れのように、十数人の影がじわじわと距離を詰めてくる。
「てめぇ……良くもやりやがったなァ!」
さきほど殴られた男が血走った目をむき出しながら前へ出る。口元からは血を流し、怒りで顔が歪んでいた。
「悪いことは言わない。大人しく立ち去れ」
「女の前だからってカッコつけてんじゃねぇぞォ!!クソガキがァ!!!」
怒号が路地に響き渡る。チンピラ達の殺気が肌を刺すように伝わる。
怜花も少女も息を呑み、燈也の背にしがみつくようにして下がる。
(……まぁ、分かってたけどな。簡単には引き下がるわけねぇか)
「この俺の必殺の魔法で跡形もなくぶっ飛ばしてやる!!!」
男の手に魔力が集まり、紫色の光が膨れ上がっていく。
周囲のチンピラ達からも魔力の気配が立ち上り、一気に路地の空気が重くなる。
燈也は一歩前へ出て、二人を庇うように腕を広げた。
「……二人とも下がってろ」
『深淵よ、我が魂の誓約に応えよ。漆黒を凝縮し、影を纏いし断罪の槍となれ。我が敵を穿ち、闇の名のもとに滅し去れ!』
≪血塗られた魔槍!≫
中級の闇魔法であり、異空間より現れた無数の漆黒の槍が主人公達に向かって一斉に降り注ぐ。地面は割れ舞い上がった砂埃と瓦礫の破片が視界を覆い隠す。
「ハハハッ!!!!どうだァ?このBランカー、雄大様の魔法の味はよォ!?」
チンピラは自分の勝利を確信し余裕の笑みを浮かべている。だが砂埃が晴れるとそこには無傷で立つ燈也達の姿があった。
放たれた漆黒の槍は、燈也たちへと降り注ぐ寸前——
まるで初めから存在しなかったかのように、一つ残さず残さず霧散した。
砕け散る気配すらない。ただ大地に刻まれた破壊の痕跡だけが、つい先ほど確かに攻撃が放たれたことを物語っている。
それこそが、不知火燈也の魔法——
“魔法そのものを消す” という特別な力。
それは防御の概念に収まるものではない。
あらゆる魔法の因果を断ち切り、術式を根こそぎ消滅させる絶対の否定。
故にこの力は、魔法社会において最も忌避され恐れられており、魔法使いにとって“天敵”と呼ぶにふさわしい魔法なのである。
「これが……燈也さんの魔法……」
「二人とも、ケガはなさそうだな」
怜花と少女の無事を確認する燈也。
「う……嘘だろ……俺の魔法を、消しやがった……」
最初に声を漏らした男の瞳は驚愕をはるかに通り越して震えていた。
つい先ほどまで勝ち誇っていた顔は見る影もなく血の気が引き唇がひくついている。
仲間の一人が震える指先で燈也を指し示す。
「や、やべぇ……こんなことが出来るヤツ、ひ、一人しか……いねぇ……。
コイツ……“五法星”の不知火燈也だ……!」
その名を聞いた瞬間、空気が凍りついた。
別のチンピラが、喉を鳴らしながら後ずさる。
「ま、マジかよ……Sランク所持者じゃねぇか……! そんなバケモンとやり合ってたってのか、俺ら……!」
足は震え眉間に汗を浮かべながら、逃げるかどうか判断できずに視線を彷徨わせている。
先ほどまでの威勢は完全に消え、彼らはようやく悟った。
敵に回してはいけない相手を、本気で怒らせてしまったのだと。
彼らが驚くのも無理はない。
五法星とは学生の中で五人しかいないSランク所持者のことを指す通称であり学生の中では最高ランクだ。
知らぬものはなく、並の人間では到達出来ない圧倒的な魔力と実力を持つことから尊敬と畏怖を持たれているのだ。
燈也の短い一言が空気を断ち切った。
「まだやるか?」
口調は冷静だが圧倒的な強さを見せられたチンピラ達には死刑宣告と同じ。
一人が喉の奥でかすれた声を上げる。
「く、くそっ……! Sランク相手じゃ、俺たちが束になったって勝てるわけねぇよ……っ!」
足が震え、腰が抜けそうになりながら後ずさる。
仲間もすでに冷や汗で顔が濡れ、目は泳ぎ、身体は痙攣している。
「に、逃げるぞ!」
その言葉は号令というより悲鳴だった。
「ちくしょう、覚えてろよ!」
蜘蛛の子を散らすように一斉にチンピラ達は逃げていった。
(さっさと退いてくれて良かった……。)
「くっ……」
その瞬間、不意に視界がぐらりと揺れ、足元が遠ざかったような感覚が燈也を襲う。
「顔色が悪いですが大丈夫ですか?」
怜花の心配そうな声がかかる。
「なんでもない……ちょっと疲れただけだ」
燈也は慌てて呼吸を整え、普段通りの落ち着いた声を無理に作る。
「無理はしないでくださいね」
優しい声が背中越しに届く。
「ははは……よく言うぜ。無鉄砲に飛び出したくせに」
燈也は一瞬だけ言葉に詰まりかけたが、すぐにいつもの調子を装って笑ってみせた。
「そっ……それは!」
怜花が少し顔を赤くしながら言いかける
「……あの~」
遠慮がちに、先程チンピラに捕まっていた少女が話かけてくる。
「お前も無事で何よりだったな――」
言い終える前だった。
「ありがとう!!!」
少女が勢いよく飛び込み、燈也の胸に思いきり抱きついてきた。
あまりの突然さに、燈也の思考が一瞬真っ白になる。
「ちょっ……わ、わかったから落ち着けって!」
声は出しているものの、焦っているのは完全に燈也のほうだった。
腕に伝わる柔らかい感触、ふわっと香る甘い匂い、体温。
外でこんな距離の近さを経験したことなど当然なく、女子特有の刺激は、一般男子の許容量を完全に超えていた。
慌てて、燈他はなんとか少女の肩に手を置き、そっと引き離した。
「あははは!わたしは‘柊ななみ’!」
救われた嬉しさを隠す様子もなく、少女は明るい声で名乗った。
「二人は命の恩人だよ。本当にありがとうね!」
笑顔は弾けるようで、見る者を自然と惹きつける。
彼女のピンク色のふわふわした長髪は光を受けて柔らかく揺れ、ハート型の髪飾りがきらりと光る。
大きく透き通った瞳、愛嬌たっぷりのチャーミングな笑顔、
さらに制服越しでもわかる抜群のスタイル。
男子なら誰もが振り向き、声をかけたくなるタイプの女の子だ。
「俺は燈也だ。」
少し肩の力を抜いた声で名乗ると、隣の怜花も軽く会釈しながら続く。
「加ヶ瀬怜花です。ケガが無くて良かったです。」
「ともくんにれいちゃんだね。私の事はななみって呼んでね。。」
ななみはふわりと明るく笑いながら言った。
「ともくん……!?」
「れいちゃんですか……?」
予想しなかった呼び方に二人は固まる。
「良いニックネームでしょ?」
ななみは胸を張りどこか誇らしげに言った。
「え……いや」
燈也は言葉を探しながら視線を逸らす。
(……小学生じゃあるまいし、正直恥ずかしいというか……)
「ね?」
ぱちりと大きな瞳で見上げてくる。謎の圧力……いや、凄みすら感じる視線。
「お……おう」
押し負けたような返事しか出来ず、燈也は小さく頷くしかなかった。
「これからよろしくね」
ななみが元気よく手を差し出してくる。
「ああ、こっちこそ。えーと柊さん」
すると即座に、彼女の笑顔がキラリと鋭くなる。
「もう、柊さんじゃなくて、な・な・み・ね?」
またもや圧が飛んでくる。
「……ああ、よろしくな。えーと……ななみ」
「ふふっ……よろしい」
満足そうに笑うななみ。その笑顔は明るくて、どこか人懐っこい。
(ちょっと変わってるけど……悪い子じゃないな。……案外、いい友達になれるかもな)
三人が和やかに会話を交わすその頭上――
街灯の影に紛れるように、赤い瞳を光らせたコウモリ型の魔物が静かに張り付いていた。
その黒い瞳に映る景色ははるか離れた場所にいる術者へとそのまま転送されている。
「……へぇ……なるほどね~」
薄暗い室内で、ひとり映像を見つめる人物が小さく肩を揺らす。顔は夜の暗さに沈んでおり良く見えない。
「……アイツが、噂の《不知火燈也》か……」
興味、好奇心、そしてどこか愉悦を含んだ声。
映像に映る燈也の一挙手一投足を食い入るように見つめていたその人影は、やがてゆっくりと手元の魔法端末を取り出した。
「あー、もしもし~。工藤クン?……ちょっと頼みたいことがあるんだけどね~……」
低く甘い声で告げるその言葉は、まるで何かのゲームの駒を動かすように軽やかで、残酷だった。
短い通話が終わると、暗い部屋には再び静寂が戻る。
その中央で、ただひとり背もたれに身を預け、不敵な笑みをゆっくりと浮かべた。
「ふふふ……これから、ますます面白くなりそうねぇ……」
次回 『第3想 三人の刺客』
無事に少女を救出した主人公。
だが、その裏で主人公を狙う“別の存在”が密かに牙を研いでいた。
そんな主人公の前に次に立ちはだかるのは、魔法執行部を名乗る三人の刺客。
いずれもただならぬ気配を感じる。
「お前を連れてくるように命じられている。断るようなら……容赦はしない!」
三人はそれぞれ武器を構える。
「―――これより任務を執行する!!!」
果たして燈也はどう立ち向かうのか?




