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セレスティア国立魔法学院

 王都にそびえ立つセレスティア国立魔法学院。その重厚な鉄門を、一台の豪奢な馬車がくぐり抜けた。


「じゃあ、また講堂で。姉様、変な男に捕まっちゃだめだよ」


 馬車から降り立ったルカが、リリアの薄紫の髪に付いた糸屑を甲斐甲斐しく取ってやる。

 十二歳になったルカの瞳は、以前にも増して澄み渡った翡翠の色を湛えていた。背も伸びてリリアよりも少し背が高い。同じ髪色の姉弟が並ぶ姿は、道行く生徒たちが思わず振り返るほどに幻想的で美しい。


「もう、ルカったら。あなたこそ、中等部で迷子にならないようにね」

 

 リリアが微笑んでルカの背中を見送ると、彼はひらひらと手を振りながら、慣れた足取りで中等部の校舎へと消えていった。

 

  一人になったリリアが深呼吸をしてクラスの書かれた掲示板へ向かおうとした時、背後から華やかな香りが漂ってきた。


「ようやく来たわね、リリア! 待ちくたびれたわ」


 扇子を鮮やかに広げ、眩いばかりの笑みを浮かべたサリーナだ。彼女は迷うことなくリリアの腕に自分の腕を絡めると、親友としての親愛を隠そうともせずに歩き出す。


「サリーナ様、お久しぶりですわ。お元気そうで……」


「ええ、もちろんよ! さあ、行きましょう。まずはクラスを確認しなくてはね。リリア、貴女と同じクラスでありますようにって、私、毎日女神様に祈っていたのよ?」


 サリーナは再会を喜ぶ間も惜しいとばかりに、リリアの手を引いて歩き出した。目指すは、講堂の前庭に設置された巨大な掲示板だ。


 新入生や在校生でごった返す人混みを、サリーナが優雅な、しかし強引な動きでかき分けていく。最前列に辿り着いた彼女が、張り出された羊皮紙の上を指先でなぞり――そして、弾かれたように声を上げた。


「見て、リリア! あったわ、最上級Aクラス! 私たち一緒よ!」


 興奮気味に指し示された場所を、リリアも目で追う。そこには確かに、リリアとサリーナの名前が並んでいた。そして、そのすぐ近くには、見知った二人の名前――ノルンとエリオットの文字も、当然のように刻まれていた。


「まあ、あの二人も一緒なのね。……ふふ、賑やかになりそう」


 サリーナが嬉しそうに笑う。その屈託のない笑顔の向こう側で、一瞬、何かがキラリと光った気がした。

 春の陽気とは不釣り合いな、冷たく鋭い、ルビーのような赤の輝き。


「……?」


 リリアはふと首筋に寒気を感じて振り返った。だが、そこにはクラス発表に一喜一憂する生徒たちの喧騒があるだけで、特に変わった様子はない。


 人混みの奥で、一人の少女が静かに踵を返したことに気づく者は、まだ誰もいなかった。


「どうしたの、リリア? 早く行かないと、良い席が埋まってしまうわ」


「あ、ええ、ごめんなさい。今行きます」


 気のせいかしら、とリリアは小さな違和感を胸の奥に仕舞い込む。サリーナに促され、二人は講堂へと足を向けた。

 中等部と高等部が合同で行われ、多くの保護者も参列するセレスティア国立魔法学院の入学式は、国の重要行事でもある壮大な儀式だ。その開始を告げる鐘の音が、王都の空に高らかに鳴り響き始めていた。

 

 式典が始まると、講堂内の空気が一変した。


「新入生代表、ミラ・フェンディ」


 壇上に上がったのは、ブラウンの髪をふわりとなびかせ、燃えるようなルビー色の瞳を持つ少女だった。彼女が口を開き、その鈴を転がすような声が響き渡った瞬間、講堂にいた男子生徒たちの背筋が不自然に伸び、視線が吸い寄せられるように固定された。


 リリアや最前列に座っていたエリオットとノルンも、その毒気を感じ取ったのか、微かに表情を強張らせた。エリオットは蒼い瞳を険しく細め、ノルンは忌々しげに顔を背ける。


「……何だ、あの女は。吐き気がする」


 リリアは異様な光景に首を傾げた。壇上のミラと目が合った瞬間、ミラがわずかに口角を上げたのをリリアは見逃さなかった。ミラの視線は、リリアを通り越し、背後の男子生徒たちを支配していくことに愉悦を感じているようだった。


(……あのミラ様という方、とても綺麗だけれど、なんだか空気が重たいわ……)


 リリアが無意識に手首のブレスレットを握りしめると、銀の紋様が微かに熱を帯びた。彼女の「無効化」の力が、周囲に広がるミラの魅了の波動を、リリアの周りだけ静かに打ち消していく。

 式典が進むにつれ、講堂内はミラの魔力によって、熱狂を孕んだ奇妙な熱気に包まれていった。


 中等部の列にいるルカだけは、その熱気から完全に隔離された冷徹な瞳で、壇上のミラを見つめる。



 式典が閉会を告げ、講堂内にざわめきが戻った。しかし、そのざわめきは通常のそれとは異なり、ミラ・フェンディという熱源に浮かされた男子生徒たちの熱狂を含んでいた。

 席を立ったミラは、吸い寄せられるように群がる男子生徒たちを「いつものこと」とばかりに軽くあしらいながら、一直線にリリアの元へと歩み寄ってきた。


「ようやく、本当にお会いできましたわ。……リリア・ロゼッタ様」


 ミラの鈴の音のような声が、静かに、けれどはっきりと周囲に響き渡った。

 その瞬間、ざわついていた講堂が水を打ったように静まり返る。


「……え、リリア・ロゼッタ?」


「まさか、数年前に姿を消した、あの公爵令嬢か?」


「『冬の薔薇』と言われた、ロゼッタ家の……?」


 周囲の生徒たちの視線が一斉にリリアに注がれる。王都を数年離れ、ポルトの穏やかな陽光の中で過ごしていた彼女を、かつての令嬢だと気づく者は少なかった。

 しかし、ミラはその名を確かに口にした。ミラにとってリリアは、幼い頃からその神秘的な佇まいに密かに憧れ続けてきた、特別な対象だったからだ。


「まあ、ミラ様。私の名前をご存知でしたの?」


 リリアが不思議そうに小首を傾げると、ミラは恍惚とした表情で一歩距離を詰めた。ミラの背後にいた男子生徒たちが、あるじの関心を奪ったリリアを疎ましげに睨みつける。


「もちろんですわ。貴女がいなくなった後の王都は、あまりに退屈でしたもの。……でも、今の貴女は以前よりもずっと……美味しそうな光を纏っていらっしゃる」


 ミラのルビー色の瞳が怪しく光る。彼女自身は無自覚だが、その「願えば叶う」という強い想いが魔力となって波打ち、リリアの周囲にあるエリオットやノルンの保護さえも突き破ろうと激しく押し寄せた。


「……フェンディ様。少々、馴れ馴れしくしすぎではないかしら?」


 サリーナがリリアの前に割って入り、ミラの視線を遮るように立ちはだかった。扇子をピシャリと閉じ、親友を守る盾となる。


 「ふふ。そんなに怖がらなくても、取って食いやしませんわ。……今は、ね」


 ミラは不敵に微笑むと、リリアの背後に立つルカの視線に気づいた。ルカの翡翠の瞳は、ミラの魔力の正体を完全に見抜き、今にもその「毒」を叩き潰さんばかりの冷徹さを湛えている。


「あら、素敵な弟君ですわね。……リリア様、また教室でお会いしましょう。皆様も」


 ミラが取り巻きを引き連れて去っていくと、ようやく周囲の生徒たちの金縛りが解けた。だが、リリアの正体が「冬の薔薇」であると知れ渡たり入学式早々には今、静かな学園生活はもう望めそうにない。


「……姉様、あの女には近づいちゃだめだ」


 中等部の列から駆け寄ってきたルカが、リリアの手をギュッと握りしめる。同じ薄紫の髪を揺らし、姉を案じるその瞳には、すでに姉を守る男としての覚悟が宿っていた。


「ええ、なんだか不思議な方でしたわね……」


 リリアは困ったように笑いながらも、手首のブレスレットが微かに震えているのを感じていた。ポルトでの解放された心と、王都の複雑な思惑が混ざり合い、リリアの心は複雑にきしみを上げていた。


 講堂を出て、ルカと別れたリリアは、サリーナに導かれるようにして最上級Aクラスの教室へと足を踏み入れた。

 そこは、選ばれた者だけが座ることを許される、階段状の講義室だった。磨き上げられたオーク材の机が並び、大きな窓からは王都の街並みが一望できる。


「私たちはあそこの席にしましょう」


 サリーナが選んだのは、教室の中央付近、全体を見渡せる良席だった。リリアが腰を下ろしてふと息をつくと、教室の前方の席に座る二人の背中が目に入った。


 エリオットとノルンだ。

 つい一ヶ月前、ポルトの海辺で共に笑い、同じ食卓を囲んだ友人たち。リリアは自然と彼らに声をかけようとした。しかし――その言葉は、喉の奥で止まった。

 彼らの周囲には、すでに見えない「壁」が築かれていたからだ。

 エリオットの周りには、挨拶をしようとする令嬢や貴族の子息たちが何重にも輪を作っていた。彼はその一人ひとりに対して、完璧な角度の微笑みを浮かべ、優雅に、しかし決して誰も寄せ付けない絶妙な距離感で応対している。

 そこにあるのは、リリアに無邪気に花束を渡した青年の顔ではない。「セレスティア王国の第一王子」としての、隙のない仮面だった。


 一方、ノルンはその少し離れた席で、頬杖をついて窓の外を眺めていた。

 話しかけるな、という鋭い拒絶のオーラを全身から放ち、近寄ろうとする者を氷のような視線だけで退けている。ポルトで見せた、不器用だが情熱的な素顔はどこにもない。冷徹で傲慢な「公爵家の嫡男」そのものだった。


「……まるで、別人みたい」


 リリアは思わず小さな声で呟いた。

 

「驚いた? でも、これが本来の彼らの姿よ」


 隣で頬杖をついたサリーナが、扇子で口元を隠しながら小声で囁く。


「ポルトはあくまで休暇。ここは『戦場』だもの。王子殿下と公爵子息が、特定のご令嬢とばかり親しくしていれば、無用な派閥争いや嫉妬を生むわ」


 サリーナの言葉に、リリアは前方の煌びやかな二人の背中を見つめ、納得したように小さく頷いた。


「そうね。お二人はまだ婚約者もいらっしゃらないし……そのお隣に立ちたいと願うご令嬢は、沢山いるわね」


 どこか他人事のように、大変そうね、と呟くリリア。そんな親友の横顔を、サリーナは呆れたような、それでいて面白がるような目で見つめ返した。


「あら、他人事みたいに。……それは、リリア。貴女も同じよ?」


「え……私が?」


「ええ。『冬の薔薇』が蕾を開いて戻ってきたとなれば、悪い虫たちが放っておくはずがないもの」


 リリアが困って眉を下げると、サリーナは安心させるように優しくその手を握った。

 

 その時、予鈴のチャイムが鳴り響き、教室の扉が開いた。

 コツ、コツ、とヒールの音を響かせて担任教師が入ってきたことで、教室の華やかなざわめきが波が引くように鎮まった。


「席につきなさい。これよりオリエンテーションを始める」


 現れたのは、神経質そうな中年の女性教師だった。

 授業の選択方法、学院の規則、そして魔法実技における注意事項。淡々と進められる説明の間も、前方のエリオットとノルンが振り返ることは一度もなかった。

 ただ、リリアの背中には、時折チリチリとした視線が突き刺さるのを感じていた。

 斜め後方の席。そこに座るミラ・フェンディが、教師の話など上の空で、楽しげにリリアのうなじを見つめている気配がするのだ。


 (本当に学院生活が始まったのね……)


 リリアは姿勢を正し、前を見据えた。

 穏やかな思い出を胸に秘め、リリアは新しい日常への第一歩を踏み出した。


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