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友達


 ポルトの港は、抜けるような快晴に恵まれた。潮風に乗って届く汽笛の音が、静かな別邸に「その時」が来たことを告げる。

 石畳が続く広場に、王都の紋章を冠した豪奢な馬車が滑り込むと、行き交う人々はその圧倒的な気品に思わず足を止めた。


 最初に降り立ったのは、燃えるような紅いドレスを纏ったサリーナだ。

 黒髪のふわりとした縦ロールを揺らし、ガーネット・レッドの瞳で周囲を見渡す彼女は、まさに王都社交界の「宝石」そのものの輝きを放っていた。


 続いて、騎士たちが一斉に膝を突く中、太陽の光を吸い込んだような鮮やかな黄金の髪をなびかせてエリオットが姿を現す。かつての少年の面影は消え、第一王子としての揺るぎない威厳と、澄んだ蒼い瞳が湛える静謐な知性が、彼をより一層高貴に仕立て上げていた。


「……変わらないな、ここは」


 エリオットの独り言に答えるように、隣の馬車からノルンが降り立つ。プラチナブロンドに、鋭い琥珀の瞳は相変わらず不機嫌そうだが、伸びた背丈と溢れ出る存在感は、以前にも増して刺々しく、そして美しかった。


「皆様、お待ちしておりましたわ!」


人だかりを割って駆け寄ってきたリリアを見て、三人は息を呑んだ。

 薄紫の髪をなびかせ、翡翠の瞳を輝かせる彼女からは、かつての「人形」のような危うさは消えていた。

凛とした気品と、ハクから贈られた銀のブレスレットが放つ神秘的な守護の光。


「サリーナ様、エリオット様、ノルン様! ようこそポルトへ」


 リリアが完璧な淑女の礼を捧げると、エリオットは穏やかに目を細め、ノルンはそっけなく、けれどその手首のブレスレットを射抜くような視線で見つめた。


 ちょうど今日は、セレスティア王国の年に一度の「春の女神祭」だ。ポルトも賑やかに彩られている。市場に溢れる色鮮やかな花々、軽快な音楽。リリアは軽やかに足を弾ませ、花びらが舞う中を振り返る。


「見てくださいませ、あの屋台。あちらの刺繍糸も素敵ですわ!」


 その笑顔は、かつて王宮図書館で表情を変えずに淡々と話していた頃とは別人のように眩しい。


「おい、あまり先に行くな。見失いそうだ」


 呆れたような声を出すノルンだったが、その視線は満開の花のようなリリアから片時も離せない。エリオットも、サリーナも、リリアの自然体の姿に、驚きと喜びを抱いていた。



 夕暮れに染まる港町ポルト。

 祭りの喧騒が遠のき、潮騒が心地よく響く海辺には、リリアとノルンの二人の影があった。


 ノルンは立ち止まり、ぶっきらぼうに何かを呟くと、背に隠していた花束をリリアに押し付けるように差し出した。それは小ぶりだが、摘みたてのように瑞々しい、野性味のある愛らしい花束だった。


「……これ、やるよ。……『入学祝い』だ」


 ノルンは顔を背けたまま、早口で言葉を継ぐ。


「これから王都に戻れば、嫌でも厳しい毎日になる。……その前の、景気付けだ。変に勘ぐらなくていい」


 セレスティアにおいて、女神祭の夜に花束を贈ることは、生涯の愛を誓う「告白」を意味する。

 それを知りながら、彼は「入学祝い」というもっともらしい名目を盾にし、己の動揺と本音を覆い隠していた。


 ノルンの母は、公爵家の未来のために、強大な魔力を持つロゼッタ家との結びつきを強く望んでいる。

 母の思惑通りに動くのは癪だったが、これは彼なりの歪んだ抵抗でもあった。

 家のための政略としてではなく、自分の意志で選んだ贈り物だ。しかし、それすらも言い訳に過ぎない気がして、ノルンは唇を噛む。


(……こんな気持ちで、渡すもんじゃない)


 本来ならば、この花束は溢れんばかりの愛を込めて渡されるべきものだ。

 だが今の彼にあるのは、リリアへの友人としての好意だけ。愛だの恋だのという明確な熱を持たぬまま、その重い意味を持つ花を渡すことは、誠実な彼女に対する裏切りのようにも思えた。


 リリアは驚きに目を見開いたあと、その花束をそっと胸に抱いた。花々からは、不器用な彼を象徴するような、飾らない爽やかな香りが漂ってくる。


「嬉しいです! ……ありがとうございます、ノルン様」


 リリアはこれまでで一番眩しい笑顔を見せた。

 その一切の曇りがない純粋な喜びは、ノルンにとっての救いであり――同時に、嘘をついたような微かな罪悪感となって、彼の胸に棘のように残った。




 屋敷へと戻った二人を待っていたのは、玄関先で優雅に佇むエリオットだった。

 その腕には、ノルンのものとは比較にならないほど豪華で、大輪の深紅の薔薇を贅沢にあしらった見事な花束が抱えられている。


「おかえり、二人とも。随分と長い散歩だったね」

 

 エリオットは完璧な王子としての笑みを浮かべ、リリアの前に歩み寄った。そして、ノルンの存在など最初からいないかのように、その圧倒的な存在感を放つ花束をリリアに差し出す。


「リリア、このセレスティアの春を君に。……意味は、分かっているだろう?」


 エリオットの蒼い瞳が、熱を帯びてリリアを捕らえる。だが、リリアはその豪華な花束を嬉しそうに受け取ると、パッと顔を輝かせた。


「まぁ! エリオット様も私の入学をお祝いしてくださるのね! ありがとうございます」


「…………え?」


 エリオットの完璧な微笑みが一瞬凍りついた。

 彼は鋭い視線を横のノルンへと滑らせる。「リリアに余計な吹き込み(入学祝いという言い訳)をしたな?」と言わんばかりの冷ややかな眼差しだ。


 ノルンは気まずそうに、しかしどこか「ざまあみろ」といわんばかりにふいと目を逸らす。

 エリオットは深く息を吐き、少し諦めたような、それでいて愛おしそうに眉を下げて、リリアの頭を軽く撫でた。


「……そうだね。お祝いだ。君が喜んでくれるなら、今はそれでいい」


「ふふ。今日は、素敵なお花に囲まれる日なのですわね」


 困惑しながらも、右手にノルンの瑞々しい花束、左手にエリオットの豪華な薔薇を抱え、リリアは幸せそうに微笑んだ。

 その無垢な姿を挟んで、二人の男は「前途多難だ」とでも言いたげな、複雑な顔を見合わせていた。



 その日の夕食。


 「せっかくだから」と、エリオットとノルンから贈られた二つの豪奢な花束は、食卓の中央に飾られることになった。


  家族と友人たちが一堂に会した食卓で、リリアは一人、浮き足立つように上機嫌だった。


「ねえ、お姉様」


 スープを飲み終えたルカは、ナプキンで口元を拭うとテーブルの真ん中を指差し、無邪気に――しかし確信犯的に問いかけた。


「……結局、お姉様はどっちの花がいいの?」


 カラン、と。

 乾いた金属音がダイニングに響き渡り、床へと落ちた。

 音の主は、リリアの父だ。彼の手からはナイフとフォークが滑り落ちていたが、本人はそれに気づく様子もなく、ただ呆然と口を開けて固まっている。


 娘に向けられた二人の貴公子の視線の熱量に、今更ながら気づいてしまったのだ。


「お、お父様? いかがなされました? 手が滑ったのですか?」


 リリアが心配そうに覗き込むが、父の魂はどこかへ飛んでしまっている。その様子を見て、母とルカは「あらあら」と顔を見合わせ、クスリと笑った。


 十二歳になり、魔力測定も終えたルカの「視る」力は、以前にも増して鋭さを増している。

 いや、そんな異能がなくとも分かった。どちらの花が、どれほど重く、逃れられないほどの「執着」と「愛」を込めて、この鈍感な姉へと贈られたものなのか。 


 リリアは困ったように眉を下げ、呑気な声を上げた。


「まあ、ルカ。どちらも大切なお友達からいただいた素敵な贈り物ですもの。どちらか一つなんて、選べませんわ」


 本気でそう思っているリリアの曇りなき瞳に、ノルンはぐうの音も出ず、エリオットは口元をナプキンで押さえて溜息をつく。


「お姉様がそう言うなら、今はいいけど。……でも、セレスティアの春は短いよ。お姉様が選ばないうちに、花が枯れちゃうかもね」


 ルカの予言めいた一言に、ノルンの肩が揺れ、エリオットの瞳が冷たく細められた。

 何も知らないリリアは、「魔法で長持ちさせればいいのよ」と微笑みながらデザートを頬張り、サリーナはその光景を面白そうに眺めていた。


 それから一週間、彼らはポルトに滞在した。

 

 穏やかな潮風の中、共に過ごした時間は、かつての図書館での日々を呼び覚ますようでありながら、決定的に何かが変わってしまったことを予感させた。

 

 旅立ちの朝。港の広場で、馬車に乗り込む三人がリリアを振り返る。


「……また、学院で」


ノルンがぶっきらぼうに告げれば、エリオットは優雅にその手を取り、指先に軽く唇を寄せた。


「王都で待っているよ、リリア。君の居場所は、あちらにあるのだから」


「ええ、また学院で!」


 元気よく手を振るリリア。その背後で、ルカが少しだけ寂しげに、けれど確かな意志を持って男たちの背中を見送っていた。



* * *



 そして、ついにその日が来た。リリアの手元には、格式高い紋章が押された魔法学院への入学許可証が届いていた。


「準備はいいかい、リリア」

 

 父の声に、リリアは静かに頷き、住み慣れたポルトの別邸を後にする。

 馬車に乗り込もうとしたリリアの袖を、誰かがそっと引いた。振り返ると、そこには旅装を整えたルカが立っていた。


 「お姉様。僕も一緒に行くよ。お姉様一人だけだと、何をしでかすか心配だからね」


 ルカはいたずらっぽく笑ったが、その瞳には強い決意が宿っていた。

 彼は十二歳という若さですでに、その稀稀なる才能を認められていた。

 慣れ親しんだ家庭教師との日々を終え、彼はリリアと同じ魔法学院の、中等部へ入学することを決めたのだ。すべては、大切な姉を側で守るために。


「頼んだぞ、ルカ。リリアのことを、よろしく頼む」


 父が、誇らしげに、そしてどこか安堵したように息子の肩を叩く。王都という激流へ向かう娘に、これほど心強い味方はいないだろう。


「はい、お父様。任せておいて」


ルカの頼もしい言葉に、リリアも「ありがとう、ルカ」と微笑み、二人は馬車へと乗り込んだ。


 馬車が石畳を鳴らして走り去った、その直後だった。

 沿道の枯れかけていた花々が、馬車の残した風に触れた瞬間――。

 猛烈な勢いで一斉に芽吹き、季節を無視した鮮やかな大輪の花を咲かせたのだ。

 その異様なまでの生命力の爆発、そしてリリアの放つ力がかつてないほど高まっていることに、馬車の中のリリアはおろか、見送る父さえもまだ気づいていなかった。

 

 ただ一人、馬車の窓から遠ざかるポルトの景色を眺めていたルカだけが、その花の群れを見て静かに目を細めた。


「……やっぱり、お姉様は僕がついていないと駄目だね」


 馬車は、ノルンやエリオットが待ち構える王都へとひた走る。

 そこは、少女が一人の女性へと花開く場所であり、同時に世界を揺るがす「力」の覚醒の地でもあった。

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