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力の発現

 観測会から、一年。

 それは、嵐の前の静けさのような、けれど確かに幸

福な日々だった。


 王宮図書館の最奥にある、忘れられたような一角。高い書架に囲まれ、埃とインクの匂いが漂うその場所が、いつしか三人だけの秘密基地になっていた。


「……またその本か? エリオット、お前は本当に堅苦しいな」


 窓辺の席で、ノルンが頬杖をつきながら呆れたように言った。手元には、彼が好む実戦的な魔導書が乱雑に広げられている。


「基本は大事だよ、ノルン。この『魔力循環の基礎』には、感覚でやっていることの理屈が全て書いてあるんだ」


 エリオットは分厚い古書から顔を上げ、蒼い瞳で少し厳格な光を放った。


「そんなもん、とうの昔に理解してる。俺は『魔法応用による展開式』の方が性に合ってるんだ。なぁ、リリアもそう思うだろ?」


「まあまあ、お二人とも」


 リリアは、そんな二人を眩しく見つめた。

 かつては触れれば切れるような鋭さを持っていたノルンも、今ではリリアやエリオットの前でだけは、年相応の少年らしい顔を見せるようになっている。真面目すぎるエリオットとの言い合いも、今では一種の信頼の証のように聞こえた。


 時折、魔法議論が白熱することもあった。 

 エリオットの構築する緻密で美しい理論と、ノルンの野生的で独創的な応用。正反対の二人がぶつかり合い、議論が平行線を辿る時、リリアがふと口にする「……でも、こう組み合わせたらどうでしょう?」という何気ない一言が、パズルの最後のピースのように二人を納得させることが何度もあった。


「お前……たまに恐ろしく核心を突くよな」


 ノルンが感心したように、あるいは少し悔しそうにリリアを見る。


「リリアの視点は、僕たちにはない柔らかさと広がりがある。いつも驚かされるよ」


 エリオットが嬉しそうに微笑む。

 夕日が差し込み、書架の影が床に長く伸びるまで、他愛のない話で笑い合う。リリアにとって、ここは公爵令嬢という重責を忘れられる、唯一の息抜きの場所になっていた。



 そんなある日の午後。三人の様子を遠巻きに眺めていた一人の令嬢が、ふわりと華やかな足取りで近づいてきた。


「あらあら。相変わらず、お三方で難解な魔法のお話? 本当に熱心なことですわね」


 艶やかな漆黒の髪をゆるやかな縦ロールに巻き、自信に満ちた強い眼差しを向ける少女――サリーナ・ランドル公爵令嬢だ。

 彼女の家門は、領地の広大な山々から国中の富を支える魔宝石や金が採掘されることで知られている。その豊かさを象徴するように、彼女の纏う深紅のドレスには、歩くたびに微かな音を立てるほどの繊細な金細工が散りばめられていた。


「サリーナ様、ごきげんよう。ふふ、貴女が来ると周りがぱっと明るくなりますわね」


 リリアが静かに微笑み、挨拶を返す。

 ストレートの薄紫の髪に、深い翡翠の瞳を持つ、どこか神秘的なリリア。

 対して、黒髪にガーネット・レッドの瞳を輝かせ、太陽のような華やかさを放つサリーナ。

 二人の最高位の令嬢が並んで立つ姿は、まるで王宮の庭園で「月」と「太陽」の花が寄り添って踊っているかのようだと、周囲からは羨望の眼差しを向けられていた。


 性格は違えど、二人は同じ立場から本音を語り合える、かけがえのない親友同士だった。

 サリーナは繊細な刺繍の施された扇子をぱさりと開き、口元を隠しながら、先に歩き出したノルンとエリオットの背中を見て、小さく肩をすくめた。


「……それにしても。あのお二人と、これほど対等に、しかも自然体で渡り合えるのは、世界中でリリア様くらいですわね」


 サリーナは、ガーネット色の瞳に感嘆を滲ませて呟いた。


「そんな、買い被りすぎですわ。私なんて必死についていっているだけですもの」


「いいえ。特に、あのノルン様を見てごらんなさいな。あんなに刺々しくて接しにくい方なのに、貴女の隣にいる時だけは別の生き物のよう。……不思議でなりませんのよ。あんな猛獣のような方が、リリア様の前でだけ、まるで喉を鳴らす猫のように穏やかになるんですもの」


 サリーナは一度言葉を切り、領地から掘り出される宝石の価値を見極める鑑定士のような鋭い瞳で、リリアをじっと見つめた。


「……ねえ、本当に魔法でもかけていないの? 私、宝石の真偽は見分けられますけれど、あの方のあんなに骨抜きにされたような顔、貴女の前以外では一度も見たことがありませんわ」


 茶目っ気を含んだ追及に、リリアは困ったように翡翠の瞳を揺らした。

 

「そんな魔法、使えませんわ。ただ、趣味が合うだけです」


「ふふ、そういうことにしておきましょう。でも、気をつけなさいな? 貴女があの方々にとっての『特別な居場所』になればなるほど、独占欲という火は激しく燃えるものですから」


 親友同士の、そんな穏やかで楽しい時間。

 しかし、それが一瞬で崩れ去る時が、すぐそこまで迫っていた。


 夕暮れ。父・ロゼッタ公爵がこれまでにない険しい顔でリリアを書斎へ呼び出した。


「リリア。お前には明日から、南の港町・ポルトへと向かってもらう。母と弟も一緒だ」


 あまりに唐突な沙汰だった。ポルトは王都から遠く離れた、商人と活気に満ちた賑やかな港町だ。貴族の社交界からは隔絶された場所と言っていい。


「……お父様、それは、あの二人と離れろということですか?」


「そうだ。最近、急速に派閥の均衡が崩れ始めている。私に止められないほどにだ。これ以上は、ロゼッタ家も、そしてあの二人も……お前自身も、ただでは済まなくなる」


 父の瞳には、かつてない険しさと、それ以上の「娘を失いたくない」という切実な守護の念が宿っていた。

 最近、登城するたびに肌に刺さるような視線を感じていたのは、それだったのかと腑に落ちた。


 リリアは深く息を吐き、静かに頷く。父が自分を遠ざけるのは、政治的な判断以上に、リリアという存在をこの濁った争いから守り抜くための、親としての苦渋の決断だと理解したからだ。


「わかりました。……ですが、ポルトへ行くのは、私を避難させるためだけではありませんね?」


 リリアが視線を向けたのは、父の横に控えていた九歳の弟・ルカの部屋へと続く扉だった。

 父は沈痛な面持ちで頷いた。


「……あの子の『瞳』が限界だ」


 ルカは、「える」子だった。

 魔力の本質や人の感情の色、そして時には視えてはいけない「澱み」までをも視てしまう。

 強すぎる力がゆえに、幼いルカにはこの世界は厳しすぎた。


「王都の澱んだ魔力と人々の邪念が入り混じる空気は、あの子の瞳を疲れさせ、身体を蝕んでいる。魔力を持たぬ一般人が多く、空気が澄んだポルトでなければ、あの子の命は保たん」


 父の声が震えていた。

 リリアは、背筋を伸ばして答えた。


「ルカを守るためにも……参ります」


 こうして、数日後リリアは静かに王都を去った。

 友人の三人――エリオット、ノルン、そしてサリーナに、そっと手紙と、それぞれのイニシャルを丁寧に刺繍したハンカチを残して。

 それが、今の彼女にできる精一杯の「また会う日まで」の約束だった。



 * * *



 それから、南の港町・ポルトでの生活が始まった。

 潮の香りが心地よく漂い、カモメの声と活気に満ちた市場の売り声が響き渡る街。ここは、王都のあの重苦しく、どこか澱んだ空気が嘘のように明るく、開放的だった。


 リリアは、九歳の弟・ルカと、二人を優しく見守る母と共に穏やかな日々を過ごした。

 忙しい公務の合間を縫って、父も時折ポルトへ駆けつけ、家族の時間を慈しんだ。リリアはそのたびに、父が自分たち家族をどれほど大切に思い、この平和な時間の中に繋ぎ止めようと必死になっているか、その背中から静かな決意を感じ取っていた。


 王都との繋がりは、定期的に届く手紙だけになった。

 親友のサリーナからは半月に一度。彼女らしい、社交界の噂話とリリアを案ずる言葉が綴られた賑やかな手紙。

 そして、エリオットとノルンからは半年に一度。立場上、頻繁には出せないのだろう。それでも届く彼らの近況報告は、リリアにとって王都のあの図書館を思い出すための、かけがえのない道標となっていた。


 そして、移住して半年が過ぎた頃。

 運命の時は、唐突に訪れた。

 その日は珍しく風が強く、海が荒れていた。白波が岩に砕け散る。

 リリアはルカの手を引き、人気のない海岸沿いを散歩していた。


「お姉様、海が……怒ってるみたい」


 ルカが不安げに眉を寄せる。

 リリアと同じ深い翡色のは、沖の方をじっと見つめていた。その「視る力」が、荒れ狂う波の向こうにある何かを捉えている。


「大丈夫よ、ルカ。ただ風が強いだけ……」


 言いかけたその時だった。


「うっ、ああぁっ……!」


 ルカが突然、悲鳴を上げてその場にうずくまった。

 小さな手で必死に両目を覆い、全身がガタガタと震えだす。


「ルカ!? どうしたの!」


「痛い、痛いよお姉様! 黒いのが、黒い波がこっちに来る……! 視ちゃダメなのに、入ってくる……!」


 ルカの小さな体から、制御できない魔力が青白い火花となってバチバチと溢れ出した。

 ポルトの澄んだ空気の中で落ち着いていたはずの『瞳』が、嵐によって沖合から運ばれてきた不浄な魔力——海の底に澱む古い記憶や負の感情に共鳴してしまったのだ。暴走した魔力が、ルカ自身の身体を内側から蝕もうとしている。


「いやっ……止まって、ルカ!」


 リリアは咄嗟に弟を抱きしめた。

 火花散る魔力がリリアの肌を刺し、衝撃が走る。けれど、決して離すわけにはいかない。


(お願い、止まって! ルカを傷つけないで!)


 心臓を掴まれるような切実さで、強く、強く念じた。

 その瞬間——リリアの胸の奥から、冷たく澄んだ、底の見えない水のような感覚が溢れ出した。それは掌を通じて、奔流となってルカへと流れ込んでいく。


 ――キィン。


 世界からすべての音が消えたような、奇妙な静寂が訪れた。

 次の瞬間、ルカを苦しめていた青白い火花も、彼が怯えていた「黒い気配」も、まるで最初から存在しなかったかのように、ふっと掻き消えた。


「……え?」


 ルカが呆然と目を開ける。

 あんなに激しかった痛みも、恐怖も、きれいさっぱりなくなっていた。

 リリアは自分の掌を、震える目で見つめた。

 今、確かに感じた。暴れ狂うエネルギーに触れた瞬間、それを根こそぎ「無」へと帰した、あの圧倒的な感覚。


(私が……消したの?)


 それは魔力を抑え込んだのではない。因果そのものを断ち切るような感覚だ。


「お姉様……? すごい、痛くないよ……」


 ルカが安堵してリリアにしがみつく。

 だが、リリアは気づいていなかった。彼女がルカを抱きしめた背後で、天を突くほどに荒れ狂っていたはずの海面が、一瞬だけ不自然なほど鏡のように静まり返り——。

 その直後、遥か沖合で、信じられないほど巨大な水柱が音もなく、高く高く立ち上がっていたことに。

 

 リリアはただ、自分の掌に残る、すべてを白紙に戻す「消し去る力」の余韻に、恐怖を覚えながらも確かな手応えを感じていた。


(これが、私の力なの……?)


 それは、愛する者を守るための盾。

 そしていつか、あの王都で待つ二人を守るための剣になるかもしれない――。

 海鳴りの中で、リリアは自らの内側に眠る「底知れぬ何か」を、初めて自覚したのだった。




 

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