王城へ1
王城へ向かう馬車の揺れに合わせて、リリアは膝の上に置いた手紙をそっと封筒の中へ戻した。
宛名は「リリア・ロゼッタ」と丁寧に書かれ、封には王室の紋章――女神の横顔――の封蝋が重く押されている。
手紙の重みが、祝福の儀から数日経った今も、リリアの胸に小さな緊張を呼び起こした。
「王室からの招待状」──その文字を目にしたときの、両親の表情は明らかに複雑だった。
父は招待状を手に取り、静かに息を吐く。
「……やはり来たか」
その声音には驚きよりも、覚悟していたかのような、静かな納得が混じっていた。
母はすくに気持ちを切り替え、ふわりと微笑む。
「王妃様にまた会えるなんて……あの方とは幼馴染なのよ。あなたのこと、たくさん話せるのも楽しみだわ」
父はその様子を見て、少し毒気を抜かれたように肩を落としている。良くも悪くも、母のマイペースな明るさは、父にとって日々の癒しなのだろう。
馬車の揺れに身を任せ、リリアは静かに胸の中でつぶやく。
(私よりあのノルンという少年の方がすごかった……)
祝福の儀で目の当たりにした、鋭く澄んだ火と風の魔力。
貴族の子らしい洗練はまだ足りなくとも、あの少年の力は確かに只者ではなかった。幼いリリアの直感が、はっきりとそれを告げていた。
考え込むリリアを見て、父が優しい声で口を開く。
「祝福の儀を公で行う理由を覚えているか?」
「……“偽りのないことを示すため”……ですよね?」
「そうだ。どの家の子も等しく神前に立つことで、その子の持つ“まこと”を王室が正式に確認できる。記録にも残る。昔から変わらぬ慣習だ」
リリアは小さく頷いた。
以前読んだ本にもあった――儀式で示された力は、王室が見守り、健やかに育まねばならない、と。
胸の奥にわずかな覚悟を抱き、手紙をそっと握る。視線を外に向けると、遠くに王城の塔が見えてきた。
馬車は王都の石畳を進み、中心部へ近づいていく。通りに並ぶ建物や行き交う人々の気配に目を向けながらも、祝福の儀の光景がふと胸をよぎった。
やがて、壮麗な城門が視界に入り、金色の装飾が太陽の光を受けて淡く輝く。その堂々たる姿に、リリアは息をのんだ。胸の奥で小さな高鳴りが膨らむ。
(私は、何を求められるのだろう……でも、目の前のことだけは、やらねば)
小さく深呼吸をして、決意を自分に言い聞かせるように目を閉じた。再び開いた瞳には、凛とした光が宿っている。
馬車はゆっくりと城門へ向かい、王城の重厚な扉の前に到着する。遠くにそびえる塔の威厳と、間近に迫る城の威圧感。二つの光景に囲まれ、リリアは自分の小ささを知りながらも、確かな覚悟を胸に抱いた。
* * *
王城に到着すると、広間ではすでに王と王妃が迎えの席に座していた。
リリアは父と母とともに近づき、深く礼を取る。
「よく、来てくれた。ロゼッタ公爵よ。貴殿の令嬢は、とても優秀だそうだな」
リリアの父は、家では何度も娘の才能を褒めていたが、王の前での称賛に少し戸惑いを見せていた。
その様子が、リリアには不思議に思えた。
王がゆっくり手を挙げると、白く透き通る水晶が運ばれてきた。
それは「リュミエルの瞳」。光を帯び、祭壇の上で静かに息をしているように見える。
「リリアよ、君の才ある力を見せてもらいたい」
王の声は穏やかで、柔らかく響く。だがその奥には、期待と好奇心が確かに込められていた。
リリアは深く息を吸い、静かに手を水晶にかざす。
瞬間、眩い光が水晶の中で弾けた。青、金、緑、白――幾重にも重なる属性の光が揺らめき、部屋全体をやさしくも力強く照らしている。
「……美しいわ」
王妃が思わず息を漏らす。目の前に広がる光の揺らめきに、自然と視線が吸い寄せられるのだ。
リリアも、その光に目を奪われ、指先に伝わる温かさと力の感覚に静かに心を集中させる。
水晶の微かな振動が、彼女の感覚を静かに満たし、心は不思議な落ち着きに包まれた。
父と王は水晶の前で言葉を交わし、しばらく話が長引く様子だった。
それを察した王妃は、微笑みながらリリアと母に提案した。
「リリア、午後のひとときを、庭園でお茶と共に過ごしてはいかがかしら」
母も頷き、リリアの手を軽く取る。
「お誘いありがとうございます。休息を兼ねて、庭園の空気に触れましょう」
父は腕を組み、少し離れたところから娘を見守る。
リリアは静かに微笑みながら、母と並んで庭園の方へ足を進めた。
午後の光は柔らかく、花々の香りがそよぐ風に混じって漂い、気持ちを穏やかにしてくれる。
王妃は穏やかに微笑み、母を見ると、さらに柔らかな表情を浮かべた。
「久しぶりですわね。お元気そうで何よりです」
母は少し照れたように微笑み返す。旧知の友に会ったときの、温かく柔らかい空気が庭園に広がった。
王妃は時折小さく笑い、母の話に穏やかに頷きながら、用意されたお茶の香りを楽しんでいる。
しばしの静かな時間。花と光に囲まれ、リリアもまた、胸の奥に静かな安心感と穏やかさを感じていた。
やがて王妃が、「せっかくですものね」と勧めると、庭園のテーブルに美しく盛られたお菓子が運ばれてきた。
宝石のように色鮮やかな焼き菓子、花弁を模した薄いパイ、小さな蜜漬けフルーツ──
リリアはそっと手を伸ばし、一つを丁寧に皿に取り、口元へ運ぶ。
口に入れた瞬間、甘さと香りが心地よく広がる。香ばしさの中に、ほのかな果実の酸味が混ざり、自然と目を閉じて味わいたくなる。
「リリアさん、お口に合いますか?」
王妃が穏やかに微笑むと、リリアは頷きながら答える。
「ええ、とても美味しいですわ」
母はくすりと笑い、王妃もまた嬉しそうに微笑んだ。
庭園に流れる静かな時間の中で、三人は互いの存在を確かめ合うように穏やかに会話を続けた。
リリアはふと、王の前で見せた自分の光と、この静かな庭園の時間があまりにも対照的に感じられ、心の奥で少し笑みをこぼす。
「……本当にとても美味しいですわ。この黄色は……果実のものでしょうか?」
「ええ、南方の果実“ルベナ”から取れる色よ。香りも甘さも強いの」
王妃は目元をほころばせる。
「色の由来まで気づくなんて、本当に偉いわ」
褒められてリリアは背筋を伸ばし、母も誇らしげに微笑む。
王と父は遠くからその様子を見守っていた。
「リリアさんは、図書はお好きかしら?」
王妃が問いかける。
「はい。読み物も魔法書も歴史書も、どれも好きですわ」
「それならぜひ、城の図書館をご覧になって。滅多に見られない貴重な本がたくさんあるのよ」
その言葉に、リリアの胸が高鳴る。王妃がくすりと笑った。
「案内をつけますから、ゆっくり見ていらっしゃい」
* * *
「どうぞ、ごゆっくり」
案内役の従者が一礼をして去ると、図書館は静寂に包まれた。
高い天井、ぎっしり並ぶ書架、午後の光に照らされた古書の背。
リリアは胸を高鳴らせながら、ゆっくりと通路を歩いた。
ふと、金糸の縁取りが施された分厚い魔法書が目に止まる。
高い位置にあり、指先を伸ばしてもあと少し届かない。
「……もう少し……っ」
つま先立ちになったその瞬間——
すっと伸びた手が、リリアの目の前で魔法書を抜き取った。
「危なかったな。頭にでも落ちたらどうする」
聞き覚えのある声に振り向くと、金の髪と琥珀の瞳の少年だ。
「……ノエル・ヴァルディアン様。ごきげんよう」
丁寧に礼をすると、ノエルは鼻で笑った。だが視線には、どこか満足げな光があった。
「お前、小さいな。ちゃんと食べているのか?」
「失礼ですね。成長期ですもの。すぐに大きくなります」
「ふん」
彼は魔法書を押しつけるように渡してきた。
「それは初版だ。大事に扱え」
「知っています。読みたかったのですから」
渋い返しに、ノエルの眉がわずかに動いた。
想定外だったのだろう。
「……本当に変わっているな、お前は」
「変じゃありませんし、それに、先程から“お前”呼ばわりは失礼では?」
リリアが負けじと返すと、静かな足音が近づいた。
司書の格好をした男性が、息を整えながら現れる。
「ノエル様、お探しの書物をお持ちいたしました」
頬をわずかに染め、熱のこもった視線でノエルを見上げている。
「そこに置け」
ノエルは冷たく指示し、従者は震える手でテーブルに置くと、顔を上げて小さく頭を下げた。
「他にお手伝いできることは……?」
リリアは息をのむ。
従者は明らかに通常の状態ではなく、ノエルが軽く視線を向けるだけで頬を染め、夢見るような表情を浮かべている。
「もう、下がれ」
「はい……!」
従者が後退すると、リリアはそっと呟いた。
「慕われているのですね」
ノエルは吐き捨てるように答えた。
「違う。あれは俺の顔と名前だけを見てる。俺自身を見ているわけじゃない」
傲慢な声の奥に、孤独の色が混ざる。
「……普通に話しかけてくる者はほとんどいない。近づけば皆、媚びて、取り入れようとして……」
リリアは息を飲む。しかし、何も言わなかった。
不用意に共感を示すことは、彼を傷つけるかもしれないと思ったからだ。
彼はリリアと同じ公爵家に生まれた。だが、家系の事情は複雑である。
ノエルの父——王弟には息子のノエルと娘が。
現王には王妃との間に二人の息子がいるため、ノエルにも王位継承権があるのだ。
政治的な立場や期待、周囲の眼差しが、彼の孤独の背景にあるのだろうと、リリアは静かに推察した。
「……まあ、どうでもいい」
期待を振り払うように肩をすくめるノエル。
その横顔を見て、胸の奥がわずかに沈む。
けれど本人がそう言うのなら、リリアも余計な言葉は挟まなかった。
せっかく魔法書に触れられる時間だ。
リリアは軽く礼をして席に座り、そっと本を抱え込む。
古い羊皮紙が触れ合うわずかな音さえ、心を躍らせた。
ページを開くと、細密な魔法陣や古代呪文の注釈が並んでいる。
「……あら。元素の結びつきまで詳細に書かれているなんて」
思わずこぼれた独り言に、背後から気配が寄ってくる。
「そこが気になったのか?」
振り向くと、ノエルが覗き込むように立っていた。
近すぎて、リリアは少し肩をすくめる。
「はい。この呪文は構築式の形が特殊で——」
「……へぇ。よく読んでるな」
ノエルはページの一点に指を置く。
「この解釈は俺も好きだ。余計な装飾を削いで、核だけを残そうとしてる」
「わかります。無駄がないから、理解しやすいんです」
二人は夢中になって、自然と意見を交わし始めた。
魔法陣の線の意味、術式の省略方法、古代語の語源……
気づけば、先ほどまでの張りつめた空気はどこにもない。
ノエルはふと口元を緩めた。
「お前と話すと楽だな。媚びてこないし、変に気を遣ってこない」
「普通に話しているだけですわ」
「……だからいいんだよ」
小さくつぶやかれたその一言に、リリアの胸が温かくなる。
案内役の従者がニ人静かに近付いてきて、リリアはそろそろ戻る時間だと気付いた。
もう一人はノエルの従者で、彼もゆっくりと立ち上がる。
軽く本の埃を払っている姿は、先ほどまでの刺々しさが嘘のように穏やかだ。
「今日は……悪くなかった。また——」
一度口をつぐみ、言葉を選ぶような仕草を見せる。
「またな、リリア」
不器用な響きをまとった呼びかけに、リリアは自然と微笑んだ。
彼はリリアの反応に少しだけ満足したように目を細め、踵を返す。
去っていく背中には、ほんの一瞬、少年らしいあどけなさが滲む。
──けれど。
三歩ほど進んだところで、彼はふいに振り返らず、風に乗せたように言葉を落とした。
「……ああ、それと。背伸びしすぎて転ぶなよ?」
「……っ」
リリアの笑みは一瞬で固まった。
たった今まで胸の奥で芽生えかけていた“良い人なのかもしれない”という淡い感情が、
砂の城のようにさらりと崩れ落ちていく。
(……やっぱり嫌な人かもしれないわ)
胸の中でそっとため息をつきつつ、リリアは本を抱えなおした。
その背中を見送りながら、従者はなぜか苦笑いし、彼のあとを追っていった。




