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魔力操作2

「……姉様、ノルン様。これ以上は二人の心臓が持たないだろうし、僕の精神衛生上も良くないから、一つ提案があるんだ」


 ルカが冷めたカップを置き、真剣な表情で二人を見つめた。


「ノルン様。ここには巨大な『魔力貯蔵庫(マナ・ストレージ)』がありますね」


 家族以外に知るはずのない秘密をさらりと口にしたルカに、ノルンの目が驚愕で見開かれた。だが、今はその追求よりも、掌の破壊的な熱を止める方が先決だった。


「……ある。なるほど、そうか。そこなら、どれだけ俺の魔力を流しても耐えられる」


 ノルンは藁にもすがる思いで頷いた。しかし、そこへ行くには手を繋いだまま屋敷の廊下を抜け、地下階段を下りなければならない。


「あら、それなら私が先導いたしましょう! お二人の仲睦まじいお姿を他の方に見られないよう、私が周囲の視線を惹きつけて差し上げますわ」


 サリーナが楽しげに扇子を翻す。彼女の「視線を惹きつける」という言葉が、物理的な派手さを意味することをリリアは知っていたが、背に腹は代えられない。

 一行はノルンの自室を出て、地下へと向かった。

サリーナがわざとらしく「あら! あそこに珍しい鳥が!」「皆様、あちらの庭園をご覧になって!」と、普段の淑女らしからぬ大声を出しながら従者たちの気を逸らす中、リリアとノルンは、繋いだ手をノルンの上着で隠し、影を縫うようにして地下への重い扉に辿り着く。


 地下に広がる貯蔵庫は、ひんやりとした冷気に包まれ、無数の結晶体が淡い光を放っていた。その中心にある巨大な魔力結晶の前に立ったとき、ルカが鋭い声で合図を送った。


「ノルン様、姉様。今だ、その結晶に二人で触れて!」


 二人は繋いだ手はそのままに、空いた方の手を巨大な結晶へと重ねた。


「――っ! 来るぞ!」


 ノルンが叫ぶと同時に、膨大な熱が、奔流となって結晶へと吸い込まれていった。黄金の炎が結晶の中で渦を巻き、薄暗い地下室全体が昼間のような明るさに包まれる。リリアは、自分の内側を通り抜けていく熱が次第に細くなっていくのを感じ、そっと指先を解いた。


「……消えたわ。炎が、出ない」


 リリアが恐る恐る手を離すと、ノルンの掌からはもう炎は溢れ出さなかった。ノルンは膝をつき、肩で荒い息を吐きながら、自分の手を見つめている。


「……助かった。リリア、お前がいなければ、俺は……」


「良かったです、ノルン様。ですが、これはあくまで応急処置ですわ。貴方が魔力操作を覚えなければ、またすぐに『満水』になってしまいますわよ」


 リリアの言葉に、ノルンは静かに、けれど深く頷いた。魔力が抜けた今の彼は、どこか脆い少年のようにも見える。


「今なら、余計な圧力がない分、自分の魔力の『芯』と対峙できるはずだよ。やってみて」


 ルカの促しに、ノルンは目を閉じた。今まではただ溢れ出し、周囲を焼き、陶酔させるだけだった自分の力。それはリリアの無効化に導かれ、彼は己の内側に深く意識を潜らせていった。


 ノルンは、かつてないほど深く己の内側へと沈む。いつもなら制御不能な熱に飲み込まれるはずの意識が、貯蔵庫へ魔力を放出した後のおかげで、今は驚くほど静かに流れている。


「……っ」


 ノルンが集中して指先に意識を向けると、そこには豆粒ほどの、けれど純度の高い黄金の火が灯った。

 彼はそれをじっと見つめ、ゆっくりと、消え入りそうなほど繊細に魔力の供給を絞っていく。

 しばらく火は揺らめいた後、ふっ、と。

 ノルンの意思に応えるようにして消えた。


「……消せた」


 ノルンは震える手を見つめ、歓喜を噛み締めるように拳を握りしめた。傍らで見ていたリリアも、自分のことのように顔を輝かせる。


「あの黄金の火を操れましたわ、ノルン様! 素晴らしいわ!」


「ああ……。だが」


 ノルンは喜びも束の間、すぐに表情を引き締めて立ち上がった。


「扱えたのは、今、俺の魔力が底を突くほど少なかったからだ。……本来の俺の魔力量でこれをやるには、今の何倍もの集中力と操作精度が必要になる」


「おっしゃる通りです。魔力はまたすぐに溜まっていきますわ。その時、今のこの『静かな感覚』を体が覚えているかどうかが、本当の勝負ですわね」


 リリアの言葉に、ノルンは彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。


「ああ。この感覚を、絶対に忘れないようにしないとな。……お前が教えてくれた、この『静寂』を」


 その真剣な眼差しに、リリアは不意に胸が高鳴るのを感じた。


「……あー、感動のところ悪いんだけど」


 ルカが頭を掻きながら、地下の重い扉の方を指差した。


「そろそろ戻らないと、ヴァルディアン公爵や他家の人たちが怪しみ始めるよ。サリーナ様がいつまでも『珍しい鳥』の話で場を繋げられるとは思えないしね」


 その言葉に現実に引き戻された二人は、顔を見合わせて苦笑いした。


 地下の魔力貯蔵庫から戻り、身なりを整える間もなく、リリアとノルンはヴァルディアン公爵の書斎へと呼び出された。そこにはリリアの父であるロゼッタ公爵も同席しており、重厚な空気の中に緊張感が漂っている。


「二人とも、来たか。……ほう」


 ヴァルディアン公爵の鋭い眼光が、二人の姿を射抜く。

 先ほどまで荒れ狂っていたノルンの黄金の熱気は、今はまだ静かな状態にあり、リリアの無効化に守られずとも、彼自身の意志で辛うじてその枠の中に留まっていた。


「ノルンの雰囲気が変わったな。リリア嬢、君は短時間で息子に何をしたのだ?」


「……父上、商談の話を。彼女を検分するのはその後にしてください」


 ノルンが少し低い声で遮ると、公爵は愉快そうに口角を上げた。


「よかろう。では、始めようか。今回の『新港』の利権および、魔導航路の整備に関する共同事業の件だ」


 重厚な執務机の上に大きな地図が広げられ、両家の公爵による、国を揺るがすような高度な政治交渉が始まった。リリアは父の隣に座り、羽根ペンを走らせてその内容を克明に記録していく。


 ノルンもまた、次期公爵として鋭い視線で地図を見つめ、時折、淀みのない的確な意見を口にしていた。

 今までは、ノルンの存在そのものが抗いがたい「圧力」となり、周囲は彼に盲従するか、さもなくば恐怖に震えるかしか選べなかった。けれど今、彼は自らの内側に荒ぶる火を押し留めることで、初めて他者と対等な言葉を交わすという地平に立っていた。


 それでも、長年彼の魔力に晒されてきたヴァルディアン家の者たちは隠しきれない。ノルンが発言するたび、同席する家臣たちはしきりに彼の方へ耳を傾け、時折、うっとりとした表情を浮かべていた。


 交渉が佳境に入り、新港の管理権を巡って利権の衝突が激しくなった瞬間だった。

 ヴァルディアン公爵が威圧を強め、部屋の空気が一気に張り詰める。その父の放った重圧に呼応するように、ノルンの内側で再び黄金の魔力が、限界まで溜まったダムが決壊するかのように「満ちる」気配がした。


(……まずいわ。ノルン様の『蓋』が!)


 リリアは記録する手を止め、隣で微かに肩を震わせるノルンを盗み見た。彼の琥珀色の瞳が、再び理性を焼き尽くすような黄金の輝きを帯び始めている。

 

「――っ」


 ノルンの指先が微かに震え、テーブルの端が熱でパチリと音を立てる。

 リリアは咄嗟にテーブルの下で、ノルンの裾をそっと掴んだ。


(大丈夫ですわ、ノルン様。今の感覚を思い出して)


 リリアは「無効化」を指先から僅かに流し込む。

 すると、溢れかけようとしていた熱が、スッとノルンの体内に収まった。


「……失礼。今の案ですが、魔導導線の配置を工夫すれば、ロゼッタ家の提案する予算内でも十分に実現可能です」


 ノルンは冷静に言葉を継いだ。

 その様子をじっと見ていたロゼッタ公爵――リリアの父――は、眼鏡の奥の目を細め、娘とノルンの関係を静かに見極めるような深い眼差しを向けた。


 商談が無事に終わり、書斎を出て重厚な扉が閉まった直後、ノルンがリリアを呼び止めた。廊下にはまだ、公爵たちの放っていた緊張感の残滓が漂っている。


「……リリア。先ほどは助かった。お前が触れてくれなければ、今頃あの部屋は灰になっていたかもしれないな」


 ノルンは自嘲気味に笑いながらも、その琥珀色の瞳には確かな希望が灯っていた。


「滞在期間中……毎日、魔力操作の訓練に付き合ってほしい。俺は、もう二度とあの『支配するだけの化け物』には戻りたくないんだ」


「もちろんですわ、ノルン様。ですが、お昼間は皆様の目がありますもの。……見つからないよう、早朝か、あるいは夜にいたしましょうか」


「ああ、助かる。お前がいてくれるなら、俺は……」


「では、早速今夜伺いますわ」


 リリアが意気込む姿を見ながら、ノルンは少し戸惑ったように「あぁ……待っている」とだけ短く答えた。



 そしてその夜。


 館が深い静寂に包まれ、使用人たちの足音も消えた頃。リリアは薄手のガウンを羽織り、足音を忍ばせてノルンの自室の扉を叩いた。


「ノルン様、リリアですわ」


 扉がすぐに開き、中へ招き入れられる。ノルンはくつろいだ格好をしていたが、リリアの姿を見るなり、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせた。


「……ルカはどうした? 姿が見えないようだが」


「ルカなら、今日一日中魔力を使いすぎて、お部屋でぐっすり寝てしまいましたわ。ですので、今夜は私一人です」


「……一人、だと?」


 ノルンの顔が、一瞬で耳まで真っ赤に染まる。先ほどまでの決意に満ちた表情はどこへやら、彼は自分の部屋に年頃の令嬢と二人きりという事実に、猛烈に焦り始めた。


「な、……あまり感心しないぞ。いくら訓練とはいえ、夜更けに男の部屋へ一人で来るなんて」


「ふふ、ノルン様なら私に指一本触れないと信じておりますわ。それよりも……さぁ、始めましょう。溜まった魔力を、今度は少しずつ『循環』させる練習です」


 リリアはソファに座り、ノルンを手招きした。

 狭いソファで肩が触れ合う距離。リリアが「さあ、手を」と促し、ノルンの熱い掌を包み込む。


「……お前は無防備すぎる」


「あら、そうでしょうか」


 教えるリリアの方が夢中になり、もっと魔力の流れを詳しく見ようと身を乗り出した、その時だった。


「あ――」


「リリア!」


 バランスを崩したリリアを咄嗟にノルンが腰を抱き寄せ、支えようとした。しかし、勢い余った二人の体はそのままソファへと倒れ込む。

 気がつけば、リリアはソファの背もたれに背を預け、その上からノルンに覆い被されるような形で、完全に押し込められていた。


「……っ」


 ノルンの腕がリリアの両脇をつき、逃げ場を塞いでいる。

 至近距離で重なる視線。ノルンの内側から、制御を忘れかけた熱い火の魔力が、甘い溜息のように漏れ出した。


「……お前、……」


 制御を覚え始めたはずの黄金の魔力が、彼の昂ぶりに呼応して、じりじりとリリアの肌を焦がすような熱を帯び始めた。

 ミラの「魅了」とは違う、魂の根源を揺さぶり、無条件に平伏させたくなるような圧倒的な「王の熱」が、密室の空気を狂わせていく。


「ノルン様……魔力が、溢れていますわ」


「わかっている。……だが、今は無理だ」


 ノルンの琥珀色の瞳が鋭く光り、射抜かれたリリアはピクリと身体を震わせた。その微かな拒絶とも、恐怖ともつかない反応が、かえってノルンの内側にある渇望を煽り立てる。


「……その反応は、駄目だろう」

 

 リリアは柔らかなソファへ深く沈み込み、退路を完全に断たれていた。

 ノルンの逞しい両腕がリリアの左右を塞ぎ、吐息さえ混じり合うほどの至近距離で、彼はさらに身を乗り出してくる。彼の昂ぶりに呼応して溢れ出した黄金の魔力は、「無効化」の境界線さえも焼き尽くさんばかりに渦巻いている。


「ノルン様……っ」


 リリアの声は微かに震え、彼を押し返そうとした指先は、その圧倒的な熱にあてられて力なく彷徨う。リリアの意識が薄れ、視界がゆらりと揺らいだ。


 その時だった。


「――ねぇ」


 不意にリリアの唇から漏れたのは、彼女自身の声でありながら、全くの別物のようだった。

 翡翠の瞳から色が抜け、吸い込まれるような純銀の輝きへと変貌していく。

 

 直後、リリアの全身からも溢れ出した銀色の光が、ノルンの狂おしい黄金の熱を優しく、けれど有無を言わせぬ強さで包み込んでいった。荒れ狂っていた彼の情熱は、まるで深い雪の中に静かに沈められたかのように、急速に熱を失う。


「……心地良いわ。もっと、もっと欲しい」


 鈴を転がすような、けれど冷徹なまでの美しさを帯びた声。

 銀色の瞳に見つめられたノルンは、まるで魂を射すくめられたかのように、指一本動かせない金縛り状態に陥った。リリアは、自らノルンの首にそっと腕を絡め、彼をさらに深く引き寄せる。


「……リ、リア……?」


 ノルンの声が掠れた。目の前にいるのは確かにリリアの形をしているが、内側にある魂の格があまりにも違いすぎる。それはもはや、人が触れて良い領域のものではなかった。

 銀色の輝きはやがてゆっくりと収まり、波が引くようにリリアの瞳に翡翠の色彩が戻っていく。


「え……? 私、今……」


 腕の力が抜け、リリアは呆然と自分の手を見つめた。

 意識が遠のいた一瞬の間に、一体何が起きたのか。

 ただ、服の下のネックレスが肌を刺すほど冷たく凍りついていることと、目の前のノルンが、見たこともないほど青ざめた顔で自分を戦慄の眼差しで見つめていることだけが、重苦しい現実としてそこに残っていた。

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