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天才的なカリスマ性


 客室で荷を解いて間もなく、母に誘われてサンルームへと向かった。そこには、ヴァルディアン公爵夫人が穏やかな笑みを浮かべていた。


「リリアさん、お会いするのは昔、王城でお会いした以来ですわね。まぁまぁ、なんて素敵なご令嬢になられたのかしら」


 公爵夫人はリリアの手を優しく取り、目を細めた。その所作は優雅そのものだったが、どこか現実味のない、夢を見ているような浮ついた明るさが感じられた。


「ご紹介しますわ。私の自慢の息子たちです。長男はあいにく海外遠征で不在ですが、次男のノルン、そして三男のレオですわ」


 ノルンの傍らには、ルカより一つ年下だという少年、レオが立っていた。


「リリア様、お初にお目にかかります。レオ・ヴァルディアンです。兄さんから貴女のお話はよく伺っていました」


 レオは丁寧に自己紹介をしたが、その瞳はどこか虚ろで、兄であるノルンを崇拝に近い眼差しで見つめている。


「本当に、ノルンは私にとって最高の自慢ですの。文武両道で、次期公爵としてこれほど頼もしい子はおりませんわ。あの子がこの家を継ぎ、素敵な方を迎える日が今から楽しみで……ふふ」


 夫人は歌うようにノルンを褒め称え、その優秀さを語り続ける。その場にいる使用人たちも、弟のレオも、夫人の言葉に深く陶酔したように頷いていた。


(……おかしいわ。この空気、どこか異様だわ)


 リリアは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 公爵夫人の言葉に嘘はないのだろう。だが、この場を支配しているのは家族の愛情というより、抗いようのない「強制的な多幸感」だった。


 リリアは母親の隣にいるノルンを盗み見た。彼は無表情にその称賛を受け流しているが、彼の周囲には魔力が静かに、けれど濃密に渦巻いているのを感じる。


(これは……ノルン様の力だわ)


 ミラの放つ、理性を狂わせ、自分を愛させる毒のような魅了とは違う。

 ノルンの力は、周囲の期待を増幅させ、自分を「理想の王」として崇め奉らせてしまう、天才的なカリスマ性。

 母親でさえも、その光に当てられ、息子の本当の姿を見ることなく「理想」だけを愛している。


(あの日、誰もがあの子を叱らなかったのは……この力のせいだったのね。本当のノルン様を見ていないんだわ)


 リリアの胸に、かつて抱いたあの「同調」に似た痛みが再び込み上げてきた。


 ルカはリリアの斜め後ろに立ち、さりげなく彼女の肩に手を置いた。その瞬間、リリアの指先に隠し持っていた魔力が、ルカの緻密な操作によって一気に増幅されるのを感じた。


「姉様、少しお疲れのようですね。僕がついていますから」


 ルカの穏やかな声と共に、リリアを中心に目に見えない透明な波紋が広がった。リリアの「無効化」の力がサンルーム全体を包み込み、場を支配していた黄金の熱を静かに冷やしていく。

 すると、先ほどまで夢見心地だった公爵夫人が、ふと我に返ったように瞬きをした。


「……あら、私ったら。つい熱が入りすぎてしまいましたわね。ごめんなさい、リリアさん。退屈させてしまったかしら」


 夫人の声から陶酔しきった響きが消え、少しだけ落ち着きを取り戻した。隣にいた弟のレオも、兄を崇めるような強烈な眼差しを緩め、どこか気恥ずかしそうに視線を落とす。


「……すみません。兄さんが凄いのは事実なんですけど、少し、話しすぎました」


 強制的な多幸感が薄れ、場にはようやく「人間らしい」温度の会話が戻ってきた。


 リリアは、ルカが流してくれた魔力の冷たさに安堵しながらも、視線だけはノルンへと向けた。

 ノルンは、家族の様子が急に変化したことに気づいたのだろう。琥珀色の瞳を鋭く細め、リリアと、その背後に立つルカをじっと見つめている。


(ノルン様は気づいているわ……。自分を神格化する空気を、私たちが打ち消したことに)


「いいえ、素敵なお話でしたわ。皆様がいかにノルン様を大切にされているか、よく分かりましたもの」


 リリアは淑女の微笑みを崩さなかった。けれど、無効化の結界越しに見えるノルンの姿は、先ほどまでの「完璧な偶像」ではなく、どこか孤独を抱えた一人の青年のように映った。


 お茶会が終わり、部屋へ戻る廊下で、ルカがリリアの耳元で低く囁いた。


「……姉様、ノルン様は無意識に周囲を『支配』している。本人が自覚して制御しない限り、この館にいる人はみんな、影響を受けてしまうよ」


「一度染み付いた『陶酔』は、私の力でもすぐ完全に解くのは難しいわ」


 リリアはドレスの襟元に手をやり、服の下に隠されたエリオットの蒼いネックレスを、そっと指先でなぞった。

 指先に触れる冷たい石の感触とは裏腹に、そこから伝わる静かな守護の気配が、リリアの不安を受け止めてくれるようだった。


(……エリオット様の言う通りね。これに触れていると、とても心が穏やかになるわ)


 ルカは打開案があるのか、難しい表情をしている。


「でも、あの弟は……レオ君だったかな。彼は魔力量もそこそこあるし、まだ若い。姉様が根気強く力を通し続ければ、あるいはあの中で唯一、正気を取り戻せるかもしれない」


「……そこまでか」


 不意に、背後から低く、掠れた声が響いた。

 振り返ると、そこには壁に背を預けたノルンが立っていた。いつからそこにいたのか、彼の表情は深い影に沈み、琥珀色の瞳だけが自嘲気味な光を宿している。


「ノルン様……」


 ルカは一瞬、リリアの前に出ようとしたが、リリアが静かにその制止を遮った。ルカは不本意そうに眉を寄せながらも、一歩、二歩と下がりリリアの隣に立った。

 ノルンはゆっくりとリリアに歩み寄る。


「これだけは分かる。リリアのおかげて母上もレオも、一瞬だけ……俺を『神』ではなく『人間』として見た」


 ノルンはリリアの目の前で足を止め、その大きな手で自分の顔を覆った。


「俺の家族も、この館の従者たちも……全員、おかしいだろう? 俺が何をしても賞賛し、何を言っても跪く。……これが、俺の力なのか。リリア、お前には……俺が、化け物に見えているのか?」


 その問いは、あまりに切実で、震えていた。

 あの日、誰にも叱られなかった少年は、今、自分が無意識に周囲の心を縛り上げてしまっている事実に、誰よりも絶望していたのだ。

 

「……化け物などではありませんわ、ノルン様」


 リリアは逃げずに、琥珀色の瞳を正面から見据えた。あの日、庭園で怒りに震える少年を見つけた時と同じように。


「貴方の魔力は、あまりに質が高く、そして量も膨大すぎるのです。それに……その、貴方の容姿や立ち振る舞いといった魅力が、魔力と混ざり合って、無意識のうちに周囲を呑み込んでしまっているのですわ」


 少し頬を赤らめながらも、リリアは確信を持って言葉を続ける。


「今の貴方は、蓋のない香炉のようなもの。望まなくても香りが周囲に満ちてしまうのなら、蓋をすること……つまり、魔力操作を覚えればよろいのだと思います」


 ノルンは呆然としたように目を見開いた。自分を恐れるのでもなく、崇めるのでもなく、これほど冷静に「技術的な問題だ」と指摘されたのは初めてだった。


「……そんなことを言われたのは初めてだ」


「それは、ノルン様があまりに優秀で、天才的なカリスマ性があったからですわ。……ノルン様と温室でお話したあとから調べておりましたの。なぜ、貴方の周囲だけがあのようにおかしいのかを」


 リリアは一瞬、迷うように視線を落とした。胸元のネックレス、ポケットの鏡……隠し通すべき秘密はあまりに多い。けれど、目の前で自分の存在に絶望し、立ち尽くしている彼を、これ以上放っておくことはできなかった。


「ノルン様。私には、あらゆる魔力の影響を受けない『無効化』の力があります。……これこそが、私の仮説の根拠ですわ」


 その告白に、ノルンは息を呑み、琥珀色の瞳を大きく見開いた。


「……そんな、家の命運に関わるような大事な話を、俺にしていいのか?」


「ノルン様のためですもの。私には、貴方の力は通用しません。だからこそ、無意識に放ってしまう魔力を誰よりも正確に観測し、正しく蓋をする方法を指導できます。……誰にもできなかった指摘を、私ならできますわ」


 真っ直ぐに自分を見据えるリリアの言葉に、ノルンの呼吸が止まる。

 すると、それまで沈黙を守っていたルカが、静かに一歩前へ出た。


「姉様の言う通りだよ、ノルン様。姉様は幼い頃から、その強すぎる力のせいで魔力操作を徹底的に叩き込まれてきたんだ。精密なコントロールにかけては、王都の魔導師だって姉様の足元にも及ばない。……その代わり、姉様の訓練は厳しいよ?」


 ルカはどこか誇らしげに、けれどノルンを試すように不敵な笑みを浮かべた。


「僕も協力するよ。姉様が魔力を使いすぎて疲れたら、僕の治癒魔法ですぐに癒してあげる。……どうかな、一度姉様の仮説を信じて、僕たちと訓練してみる気はない?」


 廊下の静寂の中で、ノルンの瞳に強い光が宿った。

 世界中が彼に跪き、あるいはその力を恐れる中で、唯一自分を「ただの人間」として扱い、正面から向き合ってくれる少女。そして、その異質な力を支える弟。


「……いいのか。俺の側にいれば、お前は常にこの呪わしい魔力に晒され続けることになるんだぞ。お前を……壊してしまうかもしれない」


「慣れておりますわ。それに、貴方をあの日のように『かわいそう』なままにしておくのは、私の矜持が許しませんもの。……ふふ、あの日のお返しですわね」


 リリアが茶目っ気を含んだ微笑みを見せると、ノルンは初めて、心の底から憑き物が落ちたような顔で、小さく、けれど晴れやかに笑った。

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