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ヴァルディアン公爵家

 出発を明日に控え、リリアはサリーナに誘われて王都の目抜き通りへと買い物に繰り出していた。

 公爵家への滞在という大仕事に緊張し、あれこれと気負うリリアを見て、サリーナはふふっと上品に、けれど楽しそうに笑った。


「リリア、そこまで気張る必要はありませんわ。もっと肩の力を抜いて選びましょう?」


「でも、サリーナ様……あちらは名門のヴァルディアン公爵家ですし、正式なご招待ですもの。粗相があってはいけませんわ」


「貴女だって公爵令嬢じゃありませんこと。そんなに怯えなくても大丈夫ですわよ」


「そうですが。長く社交界から離れていましたから、どうしても心配が多くて……」


 新作のドレスを真剣に眺めるリリアに、サリーナは励ますようにそっと耳打ちした。


「我がランドル公爵家も、ヴァルディアン公爵家には守ってもらっておりますのよ。あちらは王国の盾……我が家のように、領地で宝石や細工加工を主に扱っている家系にとっては、物流の安全を守ってくれる騎士団の存在は不可欠なんですの」


 サリーナの言葉を聞き、リリアは改めて、彼女とノルンがいかに相応しい関係であるかを痛感する。


「持ちつ持たれつですわ。我が家は美しい石を捧げ、あちらは剣で道を切り開く。今回、貴女のご家族が誘われたのも、それと同じ……いえ、それ以上に強力なパートナーシップを求めてのことですわよ」


 楽しげにレースを選んでいる親友の横顔を見つめ、リリアの胸には複雑な色が混じる。かつてのダンスの噂、そして家同士の深い繋がり。そんな二人の間に、自分が入り込んで良いのだろうかと。

 けれど同時に、初めての本格的な社交の場にサリーナが共にいてくれることは、何物にも代えがたい救いでもあった。


「……私も、お父様や家のために、きちんと立ち振る舞えるでしょうか」


「大丈夫ですわ。私がついておりますもの。避暑地への滞在は1週間。退屈する暇はありませんわよ」


 サリーナはリリアの不安を払拭するように軽やかに笑うと、さらりと重要な情報を付け加えた。


「そういえば、間に合えばエリオット殿下もいらっしゃると仰っていたわ。そして最終日には、滞在を締めくくる盛大な夜会が催される予定ですの!リリア、その時こそ貴女の本当の美しさを皆に知らしめる絶好の機会ですわよ」


 エリオットの名前が出た瞬間、リリアは胸元の蒼い石を無意識に押さえた。1週間の滞在、そして最後の夜会に想いを馳せていると、サリーナが一つの店の前で足を止める。


「ラングレー商会……。サリーナさま、少し寄っていかれますか?」


 王都でも一際重厚な佇まいを見せる大きな店舗。だが、その看板を目にした瞬間、サリーナの顔からさっと血の気が引いた。


「リ、リリア様! あそこはやめておきましょう? もっと他に、貴女に似合う可愛らしいお店が……ほら、あちらに!」


 サリーナは珍しく狼狽し、リリアの腕を引いて足早に通り過ぎようとした。その時、タイミングを合わせたかのように店の重い扉が開き、一人の青年が姿を現した。


「――おや。こんなところで会うなんて、奇遇だね。ランドル公爵令嬢」


 涼やかな声に、サリーナの体がびくりと跳ねた。そこに立っていたのは、ラングレー商会の若き主、フェリスだった。歓迎会の夜、リリアが「無効化」の力で暴走から救い出したあの青年だ。


「フェ、フェリス様……。ごきげんよう。……ええ、本当に奇遇ですわね。それでは、私たちは急いでおりますので」


「冷たいな。僕の店に何か用があったんじゃないのかい?」


 サリーナは扇子を握りしめ、視線を泳がせながらどぎまぎと受け答えをしている。いつもなら余裕たっぷりの彼女が、借りてきた猫のようにおとなしくなっている姿に、リリアは驚きを隠せなかった。


(サリーナ様が、あんなに動揺されるなんて……。珍しいですわね)


 二人の間に流れる、ただならぬ空気。

 リリアは、自分が歓迎会の夜に彼を助けたことを口にしてはいけないと直感した。あの夜のことは、彼にとっても、そして力を隠したい自分にとっても秘密にすべきことだ。

 リリアは一歩前に出ると、淑女の礼をとり、静かに微笑んで名を名乗った。


「初めまして。リリア・ロゼッタと申します。サリーナ様とは学院の友人でして……本日はお買い物に付き合っていただいていたのです」


「……リリア・ロゼッタ、嬢」


 フェリスがその名を低く繰り返した。彼の視線が真っ向からリリアに注がれる。あの夜、意識を失う寸前に見た翡翠色の鮮烈な光が、目の前の少女の瞳と重なったのかもしれない。フェリスは射抜くような鋭い瞳でリリアを見つめ、それから何かに合点がいったように不敵な笑みを浮かべた。


「ああ、知っているよ。……君が、そうか。私はフェリス・ラングレー」


 フェリスは優雅に一礼すると、自らの店へと手を掲げ、招き入れる仕草を見せる。


「店の中に素晴らしい生地が入ったばかりなんだ。三人でお茶でもどうかな? 立ち話もなんだろう」


 フェリスの有無を言わせぬ強引な誘いに、サリーナは「え、ええ……。そう、ですわね。お仕事の邪魔でなければ……」と、いつもの鋭さを完全に失ったまま、流されるように店内に足を踏み入れた。


 案内されたラングレー商会の応接室は、最高級の調度品で整えられていた。

 リリアは、隣で落ち着かなく紅茶のカップを揺らすサリーナを不思議そうに見つめる。


「あの、サリーナ様……。フェリス様とは、以前からのお知り合いなのですか?」


 リリアの問いに、フェリスが楽しげに口を開いた。


「知り合いなんてものじゃない。我がラングレー商会が扱う最高級のジュエリーは、そのほとんどをランドル公爵家から卸してもらっているんだ。言わば、商売の上では切っても切れない仲だよ。ねえ、サリーナ?君がまだ鼻を垂らしていた頃からの付き合いだ」


「もう! フェリス様、そんな昔の話をリリアの前でしないでくださいまし!」


 サリーナは真っ赤になって抗議した。どうやら、普段リリアに見せている「余裕ある公爵令嬢」の仮面は、幼馴染の前では通用しないらしい。


「ふふ、昔からのお知り合いだったのですね。道理で、息がぴったりですわ」


 リリアが微笑むと、フェリスはニヤリと笑い、今度はリリアを真っ直ぐに見据えた。


「ああ。彼女の家にはいつも助けられている。……だが、リリア嬢。君のロゼッタ家も、最近は随分と話題に欠かないようだね。ヴァルディアン公爵家と提携を結ぶという噂……あれが本当なら、王国の流通図が塗り替えられる」


 フェリスの言葉に、リリアは背筋が伸びる思いがした。やはり、商人の耳は早い。

 彼は優雅に紅茶を啜りながらも、その鋭い観察眼でリリアを見極めようとしている。歓迎会の夜、自分を救った力がリリアのものだという確信はまだないようだが、彼女の中に眠る「底知れない何か」を、その商才で敏感に嗅ぎ取っているようだった。


「……フェリス様、商売のお話はまた別の機会に。今日は友人とのお買い物なのですから」


 サリーナが必死に話題をそらそうとする。


「そうだな。ヴァルディアン家の別荘へ行くなら、これを持っていくといい」


 フェリスはそう言って、棚の奥から古びた、けれど手入れの行き届いた銀細工の小箱を取り出した。中から現れたのは、手のひらに収まるサイズの二つ折りの鏡だった。


「これは……鏡、ですか?」


 リリアが不思議そうに受け取ると、フェリスは真剣な眼差しでその鏡を指差した。


「ただの鏡じゃない。それは『真実を映す鏡』と呼ばれている古遺物アーティファクトだ。持ち主が惑わされたとき、あるいは正体不明の魔力が働いているとき、その鏡を覗けばその姿が映し出される」


「そんな貴重なものを、私に……?」


「貸しだよ。いつか利子をつけて返してくれればいい。……リリア嬢、君の周りには今、あまりに多くの思惑が渦巻いている。何が本物で、何が偽りか、自分の目だけで判断できなくなった時に使うと良い」


 フェリスの言葉は、まるでリリアがこれから直面する「嵐」を予見しているかのようだった。

 リリアは鏡をそっと閉じ、ポケットへと忍ばせた。銀の冷たい感触が、不思議と今の彼女には心強かった。


「……ありがとうございます、フェリス様。大切にお借りしますわ」


「ちょっと、フェリス様! リリアにそんな怪しげなものを貸して、何か企んでいるんじゃありませんこと?」


 サリーナが頬を膨らませて割り込むと、フェリスは肩をすくめて笑った。


「企みなんて心外だな。僕はただ、上客であるランドル家の『親友』が困らないように便宜を図っただけだよ」


 店を出た後、王都の青空の下でリリアはポケットの中の小さな重みを感じていた。

 サリーナとの買い物は、思わぬ収穫と、そして友人の意外な一面を知る機会となった。


「リリア、明日には出発ですわね。……ヴァルディアンの別荘では、あの鏡を使う暇もないくらい、ノルン様に振り回されるかもしれませんわよ?」


 サリーナの茶化すような言葉に、リリアは苦笑いを返しながらも、遠くに見える高原の山々に思いを馳せた。



* * *



 翌朝、ロゼッタ公爵邸の門前には、朝日を浴びて黄金に輝くヴァルディアン公爵家の紋章を冠した馬車が停まっていた。

 驚いたのは、その馬車の傍らに、一頭の見事な白馬に跨ったノルン自身が「先導」として現れたことだ。


「……準備はいいか」


 ノルンは馬を寄せ、窓から顔を出したリリアを見下ろした。リリアは、ポケットの中にある「真実の鏡」の重みを確かめながら、小さく頷いた。


 馬車が王都を離れ、高原へと続く一本道を進むにつれ、空気は次第に冷涼なものへと変わっていく。やがて見えてきたのは、深い森の奥、陽光を照り返して眩しく輝く「白亜の館」だった。


(あぁ、ここは……)


 館の全貌が視界に入った瞬間、リリアの胸に懐かしさと微かな痛みを伴う記憶が鮮明に蘇った。そこは、かつて五歳の冬にリリアとノルンが初めて出会ったあの「子どものお茶会」の会場となった離宮に、驚くほどよく似ていた。


「……覚えているか。あの日、お前に『かわいそう』と言われた場所を。ここはあの離宮を模して建てられた」


 並走するノルンが、窓越しに低く、けれど確かな声で告げた。あの日、誰にも叱られず、孤独なわがままの中にいた少年。そして、そんな彼を真っ向から憐れんだ少女。運命が大きく動き出したあの景色に、再び二人が降り立つ。


 馬車が正面玄関に停まり、扉が開かれる。ノルンは馬を降りると、当然のような顔をしてリリアに手を差し伸べた。


「あの時とは違う。今の俺を、お前がどう見るか……教えてもらう」


 リリアはその手を取り、白亜の館へと一歩を踏み出す。胸元にはエリオットの蒼い石、ポケットにはフェリスの鏡。そして目の前には、琥珀色の瞳に強い光を宿したノルンがいる。


「ノルン様。お招きいただき、光栄ですわ」


 リリアが精一杯の淑女の微笑みを浮かべたその時、玄関の奥から威厳に満ちた足音が石床に響いた。


「よく来てくれた、ロゼッタ公爵家の皆さん。そしてリリア嬢」

 

 現れたのは、ノルンの父であるヴァルディアン公爵。鋭い眼光は息子と瓜二つだが、その奥には老練な政治家の野心が冷たく潜んでいる。


「他家を招くのは明日からだが、ロゼッタ家には一日早く来てもらった。例の『港』に関する話を、じっくりと進めたいと思ってね。……リリア嬢、道中は息子が退屈させなかったかな?」


 公爵の言葉に、リリアの父であるロゼッタ公爵は娘を優しく、けれどどこか庇うような眼差しで見つめながら、ゆっくりと頷いた。他の名家が到着する前のこの一日は、家同士の命運を左右する極めて重要な密談の時間だ。


「勿体なきお言葉です。我が家もこの提携には、大いに期待を寄せております」


 父たちの言葉を背に、リリアは再び白亜の館を見上げた。歓迎の辞とは裏腹に、公爵の視線はリリアの「価値」――あるいは、彼女の中に眠る「力」の利用価値を見極めるように冷徹に注がれている。


 一足早く始まった、静かなる商談と滞在。高原の爽やかな風が吹く中で、リリアはこれから始まる濃密な一週間に、かすかな身震いを感じずにはいられなかった。


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