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二人の想い

 夏季休暇が始まり一週間、王城の空は抜けるような青に染まっていた。

 ルカの献身的な治癒と王宮医師団の慎重な観察を経て、リリアにようやく退院の許可が下りた。毎日欠かさず見舞いに訪れたサリーナは涙ぐんで彼女の手を握り、ルカは「姉様、やっと帰れるね」と、安堵のあまり少しだけ幼い顔を見せた。

 一方でノルンは、あの日医務室でリリアと衝突して以来、一度も姿を現していない。


 退院を翌日に控えた、最後の夜。

 夕食を終え、少しだけ涼しくなった風が廊下を吹き抜ける頃、リリアの部屋の扉が静かにノックされた。


「……エリオット様?」


 そこに立っていたのは、護衛も連れず、ラフなシャツを羽織っただけのエリオットだった。彼はいつもの完璧な王子としての仮面を脱ぎ、年相応の優しい微笑みを浮かべている。


「リリア。少しだけ、僕に時間をくれないかな。君に見せたいものがあるんだ」


 差し出された手を取り、彼に導かれるまま静かな回廊を歩く。辿り着いたのは、王宮の奥深くに隠された「エリオット専用の温室」だった。

 ガラス越しに見える月光が、中の植物たちを銀色に縁取っている。


「覚えてる? 僕たちが最初に出会った時のこと」


「えぇ、もちろんですわ。王太子殿下だとも知らず、私……思い出すだけで冷や汗が出てしまいます」


「ふふ、そんなことない。名乗らなかった僕が悪かったんだ。でも、あの時の君の真っ直ぐな瞳のおかげで、僕は救われたんだよ」


 温室の最奥でエリオットが足を止める。そこには、二人が初めて言葉を交わした際に見つめた、あの淡い薄紫の花がひっそりと息づいていた。


「わぁ……懐かしい。この花、春の盛りにしか咲かないはずでは?」


「そうなんだ。条件を揃えるのが難しくて何度も失敗したけれど、魔法で調整して、やっと、咲かせることができたんだ」


「本当、綺麗……」


「ムーン・ドロップ。君にとても似合う」


 エリオットは花を一輪そっと手に取ると、リリアの髪に優しくさした。その手つきは驚くほど慎重で、大切に扱う心が指先から伝わってくる。


「こうして見ていると、エリオット様の優しさが花に伝わっているのが分かります。私にとって、貴方はいつだって穏やかで、信頼できる……尊い友人ですわ」


 リリアの「友人」という言葉に、エリオットの指先が一瞬だけ止まった。彼は切なげな苦笑を浮かべ、花の蕾にそっと触れる。すると、薄紫だった花弁が彼の魔力に反応し、一瞬だけ黄金色の輝きを放った。


「友人、か。……嬉しいよ、リリア。でも僕は、君をただの友人として放っておくことなんてできないんだ」


 エリオットはリリアを真っ直ぐに見つめ、その翡翠の瞳の奥を覗き込む。


「君が倒れた時、目の前が真っ暗になった。……守りたいんだ、リリア。誰にも、君を傷つけさせたくない」


「エリオット様……。私は、まだ自分のことがよく分からなくて。この力が、いつか誰かを傷つけてしまうかもしれないのが怖いです。私が私でなくなってしまうような、そんな予感がして……」


「なら、僕が君以上に強くなればいい。君が自分を見失いそうになったら、僕が何度でも呼び戻すよ」


 揺るぎない覚悟を告げ、エリオットはリリアを優しく引き寄せ、その背に腕を回した。温室を満たす花の香りと彼の体温が混ざり合い、リリアの胸が高鳴る。

 

「これを、君に。お守りだと思って持っていてもらいたいんだ」


 エリオットが差し出したのは、彼の瞳と同じ、深い蒼の輝きを放つネックレスだった。


「これは古の加護を宿した石だ。持ち主の精神を安定させ、魔力の暴走を抑える効果がある。……これをつけている間は、僕が君を支えていると思ってほしい」


 リリアはネックレスを受け取るか迷ったが、エリオットの自分を案ずる気持ちに静かに答えた。

 

「……ありがとうございます。大切にしますわ、エリオット様」




 翌日、リリアは無事に王城を退院した。

 揺れる馬車の中で、エリオットの優しさと情熱的な言葉を思い出しながら、胸元の蒼い石にそっと触れる。けれど、ふとした瞬間に脳裏をよぎるのは、あの時、自分の腕の中で顔を真っ赤にしていたノルンの姿だった。


(……どうして、あの方のことばかり思い出してしまうのかしら)


 自分でも理由の分からない胸のざわつきに、リリアは不思議そうに小首をかしげた。



* * *



 馬車が住み慣れたロゼッタ公爵邸の重厚な門をくぐった。

 王城での緊張感からようやく解放され、リリアが「ようやく帰ってこれた」と小さく安堵の息をついた、その時だった。


「……遅い」


 邸の玄関先に、一台の豪華な馬車と、見覚えのある長身の影があった。

 プラチナブロンドの髪を夏の陽光に輝かせ、腕を組んで仁王立ちしているのは、紛れもなくノルン・ヴァルディアンだった。その表情は「歓迎」とは程遠い、嵐の前触れのような険しさを湛えている。


「ノ、ノルン様……? どうしてこちらに」


「……退院の許可が下りたと聞いた」


 ノルンはそこまで言いかけて、リリアの胸元で揺れる「蒼い石」に目を止めた。

 瞬間、彼の瞳が鋭く細められる。一瞬でそれが誰の贈りもので、どのような意図で贈られたものかを悟ったようだった。


「……なんだ、その首飾りは」


「これ、は……エリオット様が、お守りにと。精神を安定させる効果があるそうですわ」


「お守りだと? 冗談だろ。そんな王家の紋章が入った石をぶら下げて……自分が何を贈られたか分かってんのか」


 ノルンは一歩、また一歩と距離を詰める。彼の周囲に渦巻く力が、怒りに呼応して重く沈み、庭の花々がザワザワと不穏な音を立てた。


 リリアは思わず一歩後ずさったが、ノルンはその手首を掴み、逃がさないように引き寄せた。至近距離で見下ろす彼の瞳は、あの日、医務室でリリアに迫られた時の動揺など微塵も感じさせない、強い独占欲に満ちた熱を帯びている。


「あいつは、そうやって優しく微笑みながら、外堀を埋めてお前を縛り付けるつもりだ」


「ノルン様、痛いです……。エリオット様は、私のことを心配してくださって……」


「心配なだけなら、こんな重い石は贈らない」


 ノルンはリリアの首元に指をかけ、エリオットの瞳と同じ色のネックレスを、まるで忌々しい鎖であるかのように弾いた。


「ヴァルディアンの別荘に来い。……これは招待じゃない、決定だ」


「す、少し話が急すぎませんこと? 私はまだ病み上がりですし……」


「いいか、三日後だ。迎えを出す。それまでに荷物をまとめておけ」


 ノルンは有無を言わせぬ口調で言い残すと、翻って自分の馬車へと歩き出した。呆然と立ち尽くすリリアの元へ、入れ替わるようにノルンの従者が歩み寄る。


「お、お嬢様。こちら……ノルン様より、お見舞いのお品にございます」


 差し出されたのは、両手でも抱えきれないほどの巨大な花束だった。深紅の薔薇が芳醇な香りを放ち、リリアの腕を埋め尽くす。あれほど強引な態度をとりながら、彼はリリアが花を愛していることを知っていて、わざわざこれを用意していたのだ。


 胸元に輝くエリオットの蒼い石と、腕に抱えきれないほど贈られたノルンの燃えるような花束。

王都の夏は、本格的な猛暑を前に、早くも激しい火花を散らし始めていた。


「ふふ、なんてこと。なんてことかしら、リリア!」


 玄関から響く優雅な足音と共に、興奮を隠しきれないサリーナの声が近づいてくる。


「見てしまいましたわよ。まさに真夏の太陽より熱烈なノルン様の強引な招待! そして、エリオット殿下からの蒼い誓い……。このロゼッタ邸は今や、王国で最も密度の高い恋の戦場ですわね!」


 楽しげに瞳を輝かせるサリーナは、リリアの腕の中にある巨大な花束を覗き込んだ。


「この薔薇は、ヴァルディアン公爵家が誇る特別な品種ではありませんこと? ノルン様ったら、あんなに不機嫌そうな顔をしながら、心の内は真っ赤に燃え盛っていらっしゃいますのね」


「……サリーナ様、そんなんじゃありませんわ。これはただのお見舞いで……」


 リリアは困ったように眉を下げ、蒼いネックレスを隠すように手を添えた。そして、どこか言い出しにくいことを打ち明けるように視線を落とす。


「それに、ノルン様の別荘へ伺うなんて……。光栄ですけれど、遠慮させていただくつもりですわ。三日後にお迎えが来ても、丁重にお断りします」


「あら、どうして? あの方、一度言い出したら聞きませんわよ?」


「……歓迎会のことを覚えていますか? ノルン様のファーストダンスのお相手は、サリーナ様でしたでしょう。周囲の皆様も、お二人の仲を噂していらっしゃいますし……。私が入り込むような場所ではありませんわ」


 リリアの言葉に、サリーナは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。リリアにとって、あの日のダンスは二人の間にある「確かな絆」の証に見えていたのだ。


「リリアったら……!」


 サリーナは呆れたように、けれどどこか愛おしそうに溜息をつき、真剣な眼差しで親友を見つめた。


「それでいいのですか?」


「え……?」


「貴女は、それで納得できるのですか?」


 その問いかけは、リリアの胸の奥に深く、波紋のように広がっていった。サリーナの言葉は、彼女が部屋に戻った後も、いつまでも頭から離れなかった。



* * *


 

 リリアが王城から戻り、ロゼッタ伯爵邸で一夜を明かした翌日の夕食。

 ようやく平穏を取り戻した食卓は、ルカの治癒魔法のおかげでリリアに食欲が戻ったこともあり、久しぶりに和やかな空気に包まれていた。


「リリア、体調はどうだ? まだ少し顔色が悪いようだが、無理はしていないか」

 

 父であるロゼッタ伯爵が、ワイングラスを置いて優しく問いかけた。


「はい、お父様。皆様のおかげで、無事に回復いたしましたわ。ご心配をおかけしました」


「そうか、それは良かった。……さて、戻ったばかりで酷だが、一つ話がある。実は、ヴァルディアン公爵家から避暑地への招待が届いている」


「……私にですか?」


 リリアの声は、あの日玄関先でノルンに詰め寄られた記憶が蘇り、自然と震えた。


「それだけであったならば、すぐに断りの返事をしたよ、リリア。だが今回は、ロゼッタ一家を招待したいとのことだ。それも我が家だけではない。指折りの名だたる名家が数軒、招待されているようだ」

 

 リリアは驚き、手にしたカトラリーを止めた。ノルンがあの日、半ば強引に「別荘に来い」と言い放ったのは、単なる若気の至りや独占欲の暴走ではなく、家同士の公式な社交、あるいはそれ以上の国家規模の思惑を含んだ打診だったのだ。


「ヴァルディアン公爵家が……名家を揃えて、ですか?」


「ああ。あちらは代々騎士の家系として武功を挙げ、王国の盾となっている。だが、近年の魔獣被害の影響で、兵站の維持に必要な海上ルートの確保を急いでいるようでな。我が家が守るポルトの港と、その利権……それを彼らは求めている」


 父は少し声を潜め、真剣な眼差しをリリアに向けた。


「ヴァルディアン公爵は『ポルトの港の優先使用権を貸してほしい。その代わり、ヴァルディアンの武力をもって、我が一家をあらゆる脅威から守り抜く』と言ってきている。他家を招いたのも、この強固な同盟を周囲に知らしめるための舞台だろう」


 それは、単なる甘い誘いではない。ロゼッタ家が持つ「海」という資産を差し出す代わりに、ヴァルディアン家が誇る圧倒的な「武力」で一家の身の安全を保障する。互いの利害が一致した、対等で強力な協力関係の提案だった。


「この話はまだ協力関係の構築に過ぎない。だが、ヴァルディアン家と強く結ばれることは、結果としてお前を――その特異な力に狙われるお前を――最も強く守ることに繋がるだろう」


 父の言葉に、リリアは胸元に隠れたエリオットの蒼いネックレスにそっと触れた。

 名家を巻き込んだ壮大な社交が始まろうとしていることを、リリアは否応なしに実感させられた。

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