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歓迎会の翌日

 歓迎会の翌日は休日だった。

 昨夜の夢に現れた少女の嘆きが頭から離れず、今日は一日ゆっくりと考えを整理しようと思っていたリリアだったが、現実はそれを許してはくれなかった。

 朝食を終えたばかりのロゼッタ家に、次々と伝令が舞い込んでくる。


「お嬢様、サリーナ様よりお越しになるとの伝言が」


「リリア様、エリオット殿下とノルン様からも、それぞれ別々に『今から伺う』と……」


「……えっ? 皆さん、今から?」


 リリアは慌てて夢の余韻を振り払い、身支度を整え始めた。昨夜のミッドナイトブルーのドレスとは対照的な、清楚な若草色のデイ・ドレスに着替え、客間に最高級の茶葉と焼き菓子の準備を急がせる。



 ロゼッタ家の重厚な扉を最初にくぐり抜けたのは、エリオットだった。


「やあ、リリア嬢。急に押しかけてしまって済まない」


 エリオットは王子としての気品を纏い、穏やかに微笑む。そして、流れるような所作でリリアに歩み寄ると、彼女の柔らかな手をそっと、けれど確かな力強さで握りしめた。


「あの、エリオット様……」


「昨日は、君とダンスができずに、本当に残念だった。あんなに美しい君の姿を、ただ遠くから眺めていることしかできなかったから……。今はこの温もりを感じられて、ようやく心が落ち着いたよ」


 その甘い言葉にリリアが頬を染めた瞬間、開いたままの扉から涼やかな声が響いた。


「あら。お邪魔だったかしら?」


 扇を優雅に揺らしながら、確信犯的な笑みを浮かべて現れたのはサリーナだった。そしてそのすぐ背後には、氷のような冷徹な眼光を放つノルンが、苛立ちを隠そうともせずに立っている。


「エリオット殿下、抜け駆けとは感心しませんわね。私たちもリリアにお会いしたくて、こうしてお邪魔しましたのよ」


 サリーナはリリアを助け出すようにその場を華やかに支配し、ノルンは握られたままのリリアの手を射抜くような視線で見つめている。


「ノルン、君だって昨日リリアを独り占めしていただろう?」 


「っあれは!……不可抗力だ」


 三者三様の視線がリリアに注がれ、広々とした客間は一瞬にして、昨夜の舞踏会にも負けない緊張感に包まれた。


「さて、私たちが集まったのはこんな茶番を繰り広げるためではなくてよ?」


 サリーナが扇をピシャリと閉じて、鋭い一喝で場を支配した。その音に弾かれたように、エリオットは名覚惜しそうにリリアの手を離し、ノルンも低く吐き捨ててソファに深く腰を下ろした。


「そうだね。今は個人的な感情よりも、優先すべき深刻な問題がある」


 リリアは、彼らが単なる休日の挨拶に訪れたのではないことを察した。

 三人の表情には、昨日までの華やかな祝祭の余韻は微塵もなく危機感が漂っている。


「実は、気になるものを見つけてね」


 そう言ってエリオットは表情を引き締めると、持参していた鞄から一冊の書物を取り出した。王家に代々伝わる重厚な装丁の古文書が、大理石のテーブルに音を立てて広げられる。

 そこには、かつて世界を混乱に陥れたとされる「特異な魔力」についての記録が記されていた。


「……ここを見てほしい。記録にある『魅了』というものは、術者の意志とは無関係に、周囲の人間を盲目的な信者へと変えてしまうと書いてある。……ミラ・フェンディ嬢に心当たりはないかい?」


 その問いに、宝石商としてフェンディ家と古くから交流のあるサリーナが、扇で口元を隠しながら顔をしかめた。


「ええ。我が家は両親が宝石の売買でフェンディ家とのお付き合いがありましたから、何度か屋敷を訪れたことがありますわ。あの方は昔、親からの関心すら満足に受けられない影の薄い令嬢でした。けれど……」


 サリーナは当時の不可解な光景を思い出し、眉を寄せる。


 「ある時期を境に、邸の空気が一変したのです。無関心だったご両親が、まるで何かに取り憑かれたように、急に彼女を猫可愛がりし始めましたの。当初は『急に可愛がられ始めて良かったわね』くらいに思っていましたけれど……今思えば、あれが全ての始まりだったのでしょうね」


 彼女の不自然なほどの「変貌」を目の当たりにしていたサリーナの言葉に、客間の空気はいっそう重く沈み込んだ。


 ノルンはそこで言葉を切り、自身の掌を忌々しげに見つめた。


「……俺も、望んでいないが似たような力がある。放っておいても人が寄ってくる、あの忌々しい引力だ。だからこそ、フェンディ嬢の力の質が、俺のものよりずっと強欲で歪んでいるのが分かる」


 ノルンのその言葉に、客間はしんとした静寂に包まれた。彼が語った「引力」という言葉の重みを、エリオットもサリーナも、そしてリリアもまた痛いほどに理解していた。

 ノルンの周囲に常に漂う、人を惹きつけ、抗いがたい魅力を放つあの特異な性質。それは、ミラ・フェンディが振るう「魅了」の力と、根底では同じ種類のものなのだ。


「……ノルン、君もやはり自覚していたんだね。自分の中にある、その力の危うさを」


 エリオットが沈痛な面持ちで口を開いた。


「なるほど。王家は気づいていたか。俺を次期公爵としてではなく、『危険物』として監視していたということか」


「いや、まだ父上――王は知らない。僕だけだ。……サリーナ嬢も、薄々は気づいていたかな?」


 エリオットが視線を向けると、サリーナは静かに扇を閉じ、頷いた。


「ええ。ノルン様の放つ輝きは、あまりに天然のそれとはかけ離れておりましたもの。……ですが殿下、今はまだニ人が『魅了』を持っているのか、あるいは別の何かなのか、断定はできませんわ」


「その通りだ。性急に動いて、フェンディ嬢を刺激するのは得策じゃない」


 エリオットは思案するように顎に手を当てた。


「しばらくは泳がせよう。僕とノルンで、学園内での彼女の動きを慎重に観察する」

 

 表立って動くのではなく、静かに、けれど確実に囲い込んでいく。ミラの暴走を止めるための、密やかな包囲網が敷かれようとしていた。

 エリオットは少し言葉を切り、鋭い眼差しで古文書の一節を指先でなぞった。


 「……それに、僕が危惧しているのはもう一点ある。フェンディ嬢のあの異様な執着だ。今までの様子を見ても、彼女はノルン、そしてリリア……君たち二人に、特に強い関心を持って付きまとっているように感じるんだ」


 その言葉に、ノルンが鼻で笑いながらも、その瞳には剣呑な光が宿る。


「フン、あの女が俺に向けるのは、同類を見つけたという醜い共鳴だろう。だが、なぜリリアまで巻き込む……。昨日のダンスフロアでの強引な振る舞い、あれは正気じゃなかった」


 エリオットは重々しく頷いた。


「彼女の思惑は分からないが、いずれにせよ彼女の狙いは君たち二人だ。魔法団に相談するにしても、まずは内密に、王家の信頼できる調査員に彼女の過去を洗わせることにするよ」


 リリアは、エリオットの握っていた手の温もりを思い出しながら、自分とノルンに向けられたミラの「執着」という言葉に、背筋が薄寒くなるのを感じた。


 夢で見た、あの泣きじゃくる少女の姿。そして現実で毒々しいオーラを放つミラ。

 ふと、リリアは何故か二人の影が重なった気がした。


「では、今日はこの辺りで。……明日、また学園で会おう」


 エリオットが名残惜しそうに立ち上がり、重苦しい話し合いは解散となった。

 サリーナが馬車に乗り込む際、ノルンは貴族としての習慣から、さりげなく彼女をエスコートする形になった。公爵家の正装に近い身なりのノルンと、華やかなサリーナが並ぶ姿は、まるで一枚の完成された絵画のように美しい。


 それを見たリリアは、昨日のダンスの余韻も相まって、ふんわりと頬を緩めて呑気に呟いた。


「昨日も思いましたが……。やはり、お二人は本当にお似合いですね。並んでいらっしゃると、まるでお手本のような美しさですわ」


 その瞬間、ノルンの身体が石のように固まった。

 彼は弾かれたようにリリアを振り返り、琥珀色の瞳に焦燥を浮かべて否定しようと口を開く。


「待て、リリア! お前、何を変な勘違いを――」


 しかし、ノルンが言葉を繋げるより早く、サリーナがリリアに向かって不敵に微笑んで見せた。

 リリアの隣にいるエリオットは、事の顛末を悟って必死に笑いを堪えている。


「あら、リリア様から見てもそう見えますのね? ありがとうございます、大切にさせていただきますわね」


「お前、何を言って――!」


 絶句するノルンを余所に、サリーナは楽しげに喉を鳴らして笑い、リリアに優雅に手を振った。


「そうか、それなら心置きなく僕はリリアをエスコートできるね」


「エリオット、貴様まで……!」


 リリアは二人の「仲の良さ」に満足げに頷き、見送りの手を振り返す。馬車に乗って去っていくサリーナの高く晴れやかな笑い声は、姿が見えなくなってからも、心地よい風に乗っていつまでもリリアの耳に届いていた。


 残されたノルンとエリオットも、顔を見合わせると「今日はここまでにしよう」と切り出した。リリアとルカに見送られ、二人はロゼッタ家の門を出て、並んで歩き始める。


 しばらくの沈黙を破ったのは、エリオットだった。


「……正直な話、ノルン。君はリリアのことをどう思っているんだい?」


 正面を見据えたままの問いに、ノルンは鼻で笑って応えた。


「リリアは……特別だ。俺の力を恐れず、正面からぶつかってくる勇気がある。だからこそ、俺はあいつを信じている」


 ノルンの言葉に、エリオットはどこか試すような笑みを浮かべた。


「ふうん。……僕はね、彼女は他のどの令嬢に比べても、家柄も人柄も、すべてにおいて最高だと思っているよ。王妃としても、一人の女性としてもね」


 そのあからさまな称賛に、ノルンは面白くなさそうに顔を背けた。


「……勝手に言ってろ。サリーナだって、これ以上にないほど優秀だろう。お前にはああいう、胆の据わった女の方が向いているんじゃないのか」


「あぁ、あの子には『君』がいるだろう? リリアもそう言っていたじゃないか」


 エリオットが事も無げに、けれどリリアの誤解を逆手に取って追い打ちをかけると、ノルンのこめかみに青筋が浮かんだ。


「……エリオット。……貴様、後で覚えていろよ」


 ノルンは静かに、けれど逃げ場のないほど冷徹な殺気を放ちエリオットを見据える。

 隣でエリオットは「おやおや、怖いね」と肩をすくめながらも、その瞳にはノルンを出し抜こうとする狡猾な光が宿っていた。



.




ノルンとエリオットの姿を見送ると、リリアはようやくホッと胸をなでおろした。


 「皆さん、仲が良くて安心したわ」


 満足げに息をつくと、一緒に見送っていた、それまで黙って控えていたルカが、重い溜息をつきながら歩み寄ってきた。


「姉様、お疲れ様。……でも、一つだけ言わせて。姉様は、あの二人が本当に『仲が良い』と思っているの?」


「ええ、そうよ。だってエリオット様も、ノルン様とサリーナ様のことをあんなに温かく見守っていらしたじゃない」


 リリアが疑いようのない笑顔で答えると、ルカは眉間を押さえて天を仰いだ。


「姉様……。あれは温かく見守っているんじゃなくて、ノルン様が自爆するのを面白がっているだけだよ」


 ルカはリリアの目を真っ直ぐに見つめ、少しだけ声を低くした。


「当たり前のように姉様を呼び捨てにして、他の男が近くにいるだけであんなに殺気立って……。姉様があんな風にサリーナ様とくっつけようとするから、ノルン様、今にも泣きそうな顔をしていたよ」


 リリアは、ルカの真剣な表情に思わず言葉を失った。


「えっ……でも、サリーナ様もあんなに楽しそうに……」


「それは、ノルン様をからかっていたからだよ。姉様のこういうところ、本当に心配だよ」


 ルカはリリアに背を向け、「ノルン様とエリオット様のこと、よく考えた方がいいよ」と、弟とは思えないほど大人びた、けれど慈愛に満ちた眼差しを残して部屋を出ていった。


 その夜、リリアは一人、静まり返った自室でルカに言われた言葉を反芻していた。


(私、何か……とんでもない勘違いを、しているのかしら……?)


 窓の外では、まだ風に紛れてサリーナの笑い声が聞こえてくるような気がして、リリアの心は初めて、ざわつくような不安と不思議な胸の高鳴りに包まれるのだった。


「まだ一ヶ月しか経っていないのに、ポルトの海が懐かしいわ」


 ふと漏れた独り言が、夜の静寂に溶けていく。打ち寄せる波の音、鼻をくすぐる潮風、笑い合っていた人々の声。すべてが遠い過去のように感じられた。


 王都に来てからの毎日は、激動の連続だった。授業は大変なりに充実していて楽しいけれど、常に誰かの思惑や、目に見えない巨大な力が渦巻いている。

 あの頃のように、心穏やかに過ごせる日はいつになるのだろうか。


 リリアは窓を叩く夜風の音を聞きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。闇の向こうに、自分を見つめる琥珀色の瞳と、穏やかに微笑む王子の姿が、交互に浮かんで消えた。

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