新入生歓迎会2
講堂は魔法の光で満たされ、オーケストラが奏でる優雅な旋律が空気を震わせる。
このダンスパーティーは、まず中等部と高等部の一年生たちが最初にフロアへ上がり、若々しくも華やかなダンスを披露するのが恒例となっている。
真っ先に会場の注目を集めたのは、約束通りフロアへと進み出たノルンとサリーナだった。
サリーナは、宝石商の娘らしい豪奢な「エメラルド・ピーコック」のドレスに身を包んでいた。深い緑のシルクを基調に、裾には本物の孔雀の羽を模した精緻な刺繍と、歩くたびに火花を散らすような小粒のダイヤが散りばめられている。彼女が翻るたび、会場全体に芳醇な花の香りが広がった。
「……約束通り、一度きりだからな」
「分かっていますわ。さあ、最高のエスコートを期待していますわよ、ノルン様」
不機嫌さを隠しきれないノルンではあったが、公爵令息としての洗練された身のこなしは流石であった。 黒を基調とした正装に琥珀色の瞳を鋭く光らせ、サリーナを完璧なリードで導く。息の合った二人の演舞は、まるで舞台を飾る一対の美しい彫像のようだった。
一方、リリアは壁際でその様子をうっとりと眺めていた。
リリアが纏っているのは、清楚な「リリー・ホワイト」のドレス。何層にも重なった薄いチュールが、彼女が動くたびに朝霧のように揺れ、胸元にはロゼッタ家の象徴である3つの薔薇の紋章が銀糸で控えめに施されている。装飾を抑えたからこそ、彼女の持つ透明感と、翡翠の瞳の輝きがいっそう引き立っていた。
(お二人とも、なんてお似合いなのかしら……。サリーナ様、あんなに楽しそうに笑って……)
二人の間に新しい絆が生まれたのではないかと、リリアが微笑ましい想像を巡らせていると、背後から落ち着いた、けれど確かな意志を持った声がかけられた。
「姉様、よそ見は終わりだよ。……さぁ、僕たちも行こうか」
振り返れば、そこには見違えるほど立派な、眩いほど純白の正装に身を包んだルカが立っていた。この一ヶ月でさらに背が伸びた彼は、リリアの前に跪き、優雅に手を差し出す。
その胸元には、リリアと同じロゼッタ家を象徴する三つの薔薇の紋章が銀糸で誇らしげに刻まれている。
「行こう。今日は、僕が姉様のエスコート役だ」
薄紫の髪をなびかせ、背筋を伸ばして歩き出すルカの横顔には、かつての幼さは欠片もなかった。
光り輝くフロアへと進み出る二人の姿は、まるで一枚の神聖な宗教画のような美しさを放ち、周囲の視線を一瞬にして釘付けにしていった。
華やかな旋律が最高潮に達する中、ルカは驚くほど淀みのない足取りでリリアをリードしていった。
かつてリリアの後ろをついて歩いていた小さな少年はもういない。自分よりも一回り大きな掌に包み込まれ、リリアは不思議な高揚感を感じていた。
ダンスの中盤、ルカはリリアの腰をぐっと引き寄せると、至近距離でその瞳を覗き込んできた。
「姉様、よそ見が多すぎるよ。……もう、子ども扱いはしないでね。すぐに僕は姉様を、この国のどんな魔法からも守れる男になるから」
耳元で囁かれたその声は、かつての甘えた響きではなく、一人の騎士のような力強さに満ちていた。リリアは顔を火照らせながら、少し困ったように、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「……もう、ルカったら。いつの間にそんなに口が上手くなったのかしら」
リリアは恥ずかしさを隠すように、ふと会場の奥へと視線を巡らせた。
そこでは、エリオットがどこかの国の公女と思われる美しい令嬢と踊っていた。エリオットの気品溢れる立ち振る舞いと、煌びやかなドレスを纏った令嬢の姿は、まさに物語から抜け出してきた王族そのものの輝きを放っている。
(エリオット殿下、あんなに素敵に踊られて……。お相手の令嬢も、まるで宝石のように輝いて見えるわ。本当にお似合いね……)
リリアは心からそう感嘆していたが、その視線に気づいたルカは少しだけ不機嫌そうに目を細めた。
ふわり、とリリアの白いドレスがルカのステップに合わせて舞う。
二人の周囲だけ、清らかな光が満ちているかのような幻想的な光景の中、ダンスは終わりへと近づいていった。
一年生たちの華やかなダンスが幕を閉じると、オーケストラの曲調がより軽快なものへと変わり、他学年との合流を促すプロムナードが始まった。
「ありがとう、ルカ。本当に素敵なダンスだったわ」
「……どういたしまして、姉様。でも、次はもっと驚かせてあげるからね」
ルカは名残惜しそうにリリアの手を離したが、その直後から会場は喧騒に包まれた。上級生たちが入り混じり、フロアの熱気は一気に跳ね上がる。
エリオットは王族としての挨拶回りに追われ、ノルンもまた、公爵家の次期当主として他家の貴族たちに囲まれて身動きが取れなくなっていた。
リリアは久しぶりに一人の学生として羽を伸ばしていた。クラスメイトたちと出店の魔道具について熱心に語り合ったり、誘われるままに何度かフロアへ上がり、軽やかなステップでダンスを楽しんだ。
その後、広間へと移動しての豪華な昼食会が行われる。テーブルには色とりどりの宮廷料理が並び、学生たちは午前中の興奮を語り合いながら舌鼓を打つ。
食後の自由時間には、リリアはサリーナと共に陽光の差し込む庭園へと足を運び、用意されたお茶を楽しむことにした。
「それにしてもサリーナ様、先ほどのダンス、本当にお見事でしたわ。あんなに息がぴったりだなんて……」
リリアはカップを置き、少しだけ熱の入った声で切り出した。
「ダンスを約束される仲だったのですね。私、お二人の間に何か特別な進展があったのではと思って、つい嬉しくなってしまいましたわ」
リリアのその「勘違い」を含んだ言葉に、サリーナは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに扇で口元を隠し、意味深な笑みを浮かべた。
「あら、そう見えましたかしら? ノルン様はああ見えてエスコートがお上手ですもの。あの方とのダンスは、私にとっても非常に『価値』のあるものでしたわ」
否定も肯定もしないサリーナの態度は、リリアの目には余計に二人の親密さを裏付けるものに映った。
「やはり、素敵ですわ……。ノルン様のような方が、サリーナ様のようにしっかりとした方と支え合っていらっしゃるのなら、安心ですもの」
純粋な祝福の眼差しを向けるリリアに対し、サリーナは呆れ混じりの溜息をついた。けれど、面白くなってしまった彼女は、わざと否定せずにその誤解を泳がせることにした。
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夜の帳が下りると、講堂の雰囲気は一変した。昼間の格式高い装いとは打って変わり、生徒たちは学園側が用意した色とりどりのドレスと、顔の半分を覆う精巧な仮面を身に纏う。
誰かを知る術はなく、ここでは家柄も、学年も、そして「冬の薔薇」という呼び名さえも隠されてしまう。
自室に戻ったリリアは、姿見の前で深呼吸を一つした。
侍女たちの手によって丁寧に整えられていく準備は、どこか儀式のようでもあった。袖を通したのは夜の静寂をそのまま形にしたような、深いミッドナイトブルーのドレスだ。
スカートが動くたびに、裾に施された星屑のような細かな銀の刺繍が微かな光を放ち、まるで夜の湖面に月光が跳ねているかのような幻想的な美しさを演出していた。
デコルテを縁取るレースは、職人の手による繊細な氷細工のようで、リリアの真っ白な肌をいっそう際立たせる。
「……リリア様、お仕上げにこちらを」
手渡されたのは、翡翠の瞳を縁取る繊細な銀の仮面だった。これを身に付ければ、彼女がロゼッタ家の公爵令嬢であることは、一見して分からなくなる。仮面の冷たい感触が頬に伝わると、リリアの心臓は期待と、そして少しの不安でトクン、と跳ねた。
廊下へ出ると、同じく準備を整えたサリーナが待っていた。彼女は真紅のドレスに金の仮面という、情熱的で目を引く出で立ちだ。
「……言葉は交わさない。それがこの舞踏会のルールよ、リリア。今夜は身分も過去も忘れて、貴女自身の心のままに踊りなさい。……でも、私のことはすぐに見つけてくださいね?」
サリーナは楽しげにそう囁くと、リリアを連れて幻想的な光が揺れる講堂へと足を踏み入れた。
広間には、正体を隠した少年少女たちが溢れていた。普段なら声をかけられないような高位貴族と平民の特待生が、仮面の下で視線を交わし、手を取り合っている。
魔法のシャンデリアからは、淡い青や紫の火花が雪のように降り注ぎ、夢のような光景を作り出していた。
リリアは壁際に立ち、そっと周囲を窺う。
昼間のダンスであれほど堂々としていたエリオットやノルンは、今どこで、誰と、どのような姿でいるのだろうか。
「……私の半分。愛しい人、見つけて……」
ふと、どこからか少女の嘆く声が喧騒の合間に耳元で微かに響いたような気がした。切実で、張り裂けそうな想いが波のようにリリアへと流れ込んでくる。
まるで自分自身の心が震えているかのような錯覚に陥り、リリアは思わず自分の胸元を強く押さえた。
会場には、誰が誰だか分からないほど多くの仮面の男女が溢れている。本来なら、この匿名性の中に身を潜めることで、昼間の騒がしい視線から解放されるはずの夜だった。
「なぜ……。こんな気持ちになるのでしょう」
リリアは何故か、特定の「誰か」に今すぐ見つけ出されてほしいと、抗いがたい切望に駆られていた。
誰かの想いなのか、リリア自身の内側から溢れ出た本音なのか。仮面をつけたことで素顔を隠しているはずなのに、心だけは昼間よりもずっと剥き出しになっているような感覚だった。




